2024/12/12

第11部  太古の血族       24

  テオとロホはグラダ大学医学部付属病院の駐車場に到着した。ロホが鼻をひくつかせた。

「病院の臭いって、本当に嫌です。」

と彼が呟いた。

「昔はそうでもなかったのですが、肩の手術を受けてから、どうしてもあの時のことを思い出してしまって・・・」

 彼が何を言っているのか、テオはすぐに悟った。ロホは反政府ゲリラに誘拐されたテオを救出に行って、ゲリラの親玉に肩をナイフで刺されたのだ。親玉は”出来損ない”の”ヴェルデ・シエロ”で、一族の扱い方を心得ていた。ロホがジャガーに変身して逃げないように、肩の関節辺りを深く刺して、体を変化させられないようにしたのだ。ロホはもう少しで左腕を失うところだった。テオ、ケツァル少佐、ステファン大尉が力を合わせて彼を救出し、少佐の応急処置でロホは助かった。今は、すっかり回復して「記念に」傷跡を残す程度だが、やはり当時の記憶は嫌なものなのだ。

「今日は君の診察じゃないから、気にするなよ。」

としかテオは言えなかった。忘れてしまえ、なんて言えない。ロホの負傷はテオを救出した時の代償だったのだから。
 2人は車から降りて、病院の正面玄関から入った。付属病院はセルバ共和国で最高の医療技術と最新の医療設備を備え、最高の腕を持つスタッフが働いているが、料金が安いのでいつもショッピングモールの様に賑わっていた。少なくとも、外来のスペースは、混雑していた。
 よく知った場所をテオはロホを先導して歩いて行き、入院病棟の受付へ辿り着いた。名前は覚えていないが、顔は見知っている女性スタッフに声をかけ、ロアン・マレンカと言う人物が入院していないかと尋ねた。個人情報だったが、テオが大学の職員で、医学部でも彼に色々頼ることが多かったので、あっさり要求は受け入れられた。スタッフはパソコンで検索した。

「セニョール・マレンカは緩和ケア病棟の3階3号室です。」

 緩和ケア病棟、と聞いて、ロホが眉を上げた。大神官代理はもう余命何もないのではないか?


2024/12/04

第11部  太古の血族       23

  テオはもっとブーカ族の旧家について知りたいと思ったが、親友の実家だし、相手を怒らせたくもなかったので、適当に切り上げて遑を告げた。ロホとテオが家から出る時、誰も見送りに来なかった。普段もそうなのだろう、ロホが全く気にせずに車まで歩いて行くので、テオはついて行った。

「病院へ行ってみるかい?」

と彼はロホに訊いてみた。グラダ大学医学部付属病院は、テオにとっては庭みたいな場所だ。研究のために頻繁に出入りしているし、向こうから仕事を依頼されることも多い。入院患者の身元を調べるのはそんなに難しくなかった。ロホは車のドアに手をかけて、ちょっと考えた。

「大神官代理に今回の事件に関する考えを聞くのですから、面会出来るのでしたら、面会したいですね。」
「せめてどんな容態なのかだけでも調べてみよう。」

 2人は車に乗り込み、マレンカ家の地所から出た。

「君のお兄さんはもっと口が固い人だと思ったが・・・」

 テオが感想を述べると、ロホが苦笑した。

「兄はあまり現在の神殿の形態を好いていないのです。何もかも一族の人々に対して秘密にしている、長老会の決定も時に無視する、政府を意のままに操れると錯覚している、と批判しています。太古からの神を敬っているように見えて、実際は俗物的で生臭い政治と経済の問題に突っ込みすぎる、と言ってます。多分、”名を秘めた女の人”もあまり尊重されていないのではないでしょうか。隔離された場所で一生を暮らすあの女性に、思いやりを持っているのかどうかも疑問ですね。 兄はそう言っていつも憤っています。」
「2番目のお兄さんは神殿で働いているんだろ?」
「ウイノカとは滅多に出会わないので、私はあの兄が何を考えているのか、わかりません。」

 でも、とロホは囁いた。

「サカリアスとウイノカは仲は良いんです。」


 

2024/12/02

第11部  太古の血族       22

  サカリアスは、先祖の秘密を神殿に知られても大丈夫だと言う意味のことを言った。しかし、テオは信じられなかった。いや、サカリアスが信じられないのではない。神殿と言う「組織」が信じられなかった。今回の毒の事件からも分かるように、彼等は他人を傷つけることを平気でするではないか。
 それに、テオが知っているグラダの子孫、ケサダ教授には彼個人の秘密がある。恐らく養父のムリリョ博士と妻のコディアしか知らない秘密だ。もしかすると、母親も知らないかも知れないのだ。それを神殿に絶対に知られたくない筈だ。
 テオは話題をグラダの子孫の話から、本来の訪問目的に変更した。

「ところで、その現在の大神官代理ですが、お体が悪いのでしょう? 神殿ではなく外で治療されていると推測されていますが、どこにおられるか、ご存じないですか?」

 ロホも我に帰ったように、兄を見た。

「そうだ、大神官代理の行方をお聞きしに、訪問しています。兄様はご存じないですか?」

 サカリアスが肩をすくめた。

「あの男は・・・」

 一族から尊敬されている筈の人物を、彼は「あの男」と呼んだ。

「伝統的な治療を信用出来ずに、白人の医療に頼っているよ。」

 彼は皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「君達のすぐ近くにいます。グラダ大学医学部病院にね。」

 えっ!と驚いたのは、テオもロホも同じだった。 神の代理人である大神官代理が、現代医学に頼って入院している?

「そんなに悪いのですか?」

 テオの質問に、サカリアスは溜め息をついた。

「恐らく、タチの悪いデキモノだろう。」

 つまり、癌だ、とテオは思った。ロホが憂い顔になった。

「手術を受けたのでしょうか?」
「それはわからない。だが、彼は病院にいる。」


2024/11/25

第11部  太古の血族       21

  テオは即答を避けた。セルバ流にやんわりと遠回りした。

「もし、生き残りがいたとして、その人達は長老会に祖先の申告を義務付けられているのでしょうか?」
「義務はありませんが、どの家系に属するか、”ツィンル”である限り、部族の長老に把握されていなければ、一族の中で発言力を持ちませんし、保護を受けるのも難しくなります。一族の血が薄いミックス達が生活に困窮しているのも、彼等の親、その親の代に家系の登録から外れたからです。ご存じだと思いますが、サスコシ系のサンシエラ家は経済的に大成功を収めています。彼等は一族の血がかなり薄いですが、家系をしっかり族長に把握してもらっているので、末端の子孫が困った場合に保護を受けられるのです。」

 サカリアスはロホを見た。

「弟の部下にブーカの女性がいますね。彼女の家系も4分の1、8分の1の”ツィンル”で、ブーカ族の家系の一つとしてしっかり把握されています。
 もし、”禁断の村”の生き残りがいるのであれば、その人達は家系管理から外れてしまっているか、家系を偽って他部族の中に紛れ込んでいることになります。後者は掟破りです。何故なら、あの”禁断の村”の住民はほぼグラダで、どの部族の人間でもないからです。」
「反逆者になるのですか?」

 テオはドキドキした。胸の鼓動をサカリアスに聞かれはしまいかと不安になった。彼の呼吸の微かな変化をロホが感じ取り、顔を上げた。サカリアスもわかったに違いない。

「反逆者とは、一族に害を与える者のことです。」

とサカリアスがキッパリと言った。

「隠れている”禁断の村”の生き残りがいたとして、その人は一族に害をなすことを考えているのでしょうか? もし、ただ隠れているだけなら、叛逆ではありません。私はその人に出逢ったら、勧告します。新しい家系を立ててください、と。その人だけの部族になるかも知れませんし、その人の家族が入れば、数人だけの部族となるでしょう。少なくとも、能力を隠して生きる必要は無くなります。そして一族に対して発言権も得ます。発言権があれば、幼子を大神官代理に差し出すことを拒否することも出来ます。神殿は・・・」

 サカリアスはちょっと苦笑に似た微笑みを浮かべた。

「”オルガ・グランデの戦い”で懲りているのです。大神官の修行は若年にうちに始めなければなりませんが、本人の意思を尊重しなければ能力を発揮することが難しい。シュカワラスキ・マナの様に修行途中で逃げ出されては、20年近い神殿の教育が無駄になります。ですから、グラダを祖先に持つ子供を見つけても、その親を説得して話し合うでしょう。現代風に処遇すると思います。子供を一生神殿に閉じ込めたりせず、寄宿学校のように扱うと私は思います。何故なら、現代の神官達はそう言う暮らしをしているのですから。」


2024/11/23

第11部  太古の血族       20

  テオは困ってロホを見た。ロホは彼に見つめられて、やはり心当たりがあったのか、ギクリとした表情を一瞬見せた。サカリアスは弟を横目で見た。そして小さな溜め息をついた。

「どうやら、大統領警護隊文化保護担当部は、何か他人に言えない秘密を共有しているらしいな。」

 ロホが目を伏せた。兄に心を読まれない用心だ。テオは彼のためにサカリアスに説明した。

「申し訳ありません、俺は、その”心当たりがある人”に直接確かめた訳ではないのです。遺伝子検査もしていません。文化保護担当部の友人達も・・・ケツァル少佐も本人に確認していません。相手をよく知る人から聞かされただけなのです。そしてロホ・・・アルファットは偶然相手の気の大きさから、『もしかして』と想像している、それだけなのです。」

 サカリアスは視線を弟からテオに移した。暫く考えていたが、やがて諦めに似た息を吐いた。

「神官達が大神官代理に仕立てようとする人間は、グラダを祖先に持つ幼子です。そしてその子が成長し、大神官代理になったとして、その力の暴走を止められるのも、グラダを祖先に持つ人です。つまり、その抑止力を持つ人は、現在既に成人していると考えて良いのでしょう。そうなると、子供の親族、恐らくは親なのだと思います。そしてドクトルやアルファットは、その親である人と知り合いなのではありませんか?」

 するとロホがそこで反撃に出た。

「兄様は、その抑止力を持つ人が私の上官であるとは思わないのですか? それに大統領警護隊には2人の男性のグラダもいますよ。」
「異人種の血を引くステファンとギャラガだね。」

とサカリアスがやんわりと彼の反撃を交わした。

「代理と言っても、大神官になれば力の使い方が普通の一族の力の使い方と異なるのだよ、アルファット。純血種ならともかく、ミックスではまともにぶつかれば大神官代理の方が遥かに強い。それに、ケツァルは女性だ、男女で力の使い方が違う。男の暴走を止められるのは男だけだ。」

 サカリアスは真面目な顔でテオに向き直った。

「禁断の村の生き残りが、まだ他にいるのですね?」


2024/11/21

第11部  太古の血族       19

 「現在の神官達は、そんなに掟に縛られていないと思うよ。」

とサカリアスが言った。

「掟を重視するのは長老会だね。若い神官は長老の言いなりだ。だから大神官代理ロアン・マレンカは遠縁の甥になる神殿近衛兵ウイノカ・マレンカに彼の留守の間の出来事を逐次伝えるよう頼んだ。長老会が新しい大神官を立てる考えを持っていると知っているだからだ。」
「新しい大神官と言うのは、グラダの血を引く人と言うことですか?」

 テオはまたうっかり他人の話の最中に口を挟んでしまった。サカリアスは怒らなかった。

「スィ、長老会はアンドレ・ギャラガ少尉が白人の血を引いているにも関わらず、グラダの能力を保っていることに驚愕し、他にも同様の能力者がどこかに潜在しているのではないか、と考えた。それで一番長老会と親しいアスマ神官にグラダの子孫を探すよう勧めた。長老会が神官に命令することは出来ないが、進言は出来るからね。だが神官の多くは、ミックスのグラダ、過去の事例において災難をもたらした男の事例を思い出し、その考えに難色を示した。グラダ族の力が暴走すると誰にも止められない。それに大神官に異人種の血が入る者を据えることも許したくない。だから、今神官達は二つの派閥に分かれてしまっている。長老会に従う派と反対派だ。」
「アスマ神官は大統領警護隊遊撃班の若い隊員に、グラダの子孫探しを命じました。はっきり言って、無理です。一族全員の遺伝子検査が必要でしょう?」

とロホはテオを見て言った。サカリアスは苦笑した。

「私は、長老会には誰か心当たりがいるのだと思うよ。アスマ神官には教えないだけで。そして、グラダの力が暴走した時の制御能力がある人間にも心当たりがあるのだろう。」

 テオはもう少しで「あっ!」と声を上げそうになった。我慢したが、微かな心の動揺を”ヴェルデ・シエロ”の兄弟は見逃さなかった。
 サカリアスがテオを見つめ、ズバリ質問した。

「貴方は、長老会が誰に目星を付けているのか、お分かりなのですね?」


2024/11/20

第11部  太古の血族       18

  テイサが姿を消すと、サカリアスがテオに話しかけてきた。

「ウイノカは貴方に毒の遺伝子検査を依頼したと言っていましたが、それが今回の出来事にどう影響すると思われますか?」

 ロホが黙っているので、テオはちょっと困惑した。ウイノカ・マレンカの依頼は彼とテオの間の秘密だった筈だ。しかしウイノカはどこかでサカリアスにそれを打ち明け、サカリアスは今”心話”でロホに伝えたのだ。
 テオは正直に言った。

「俺は部外者だし、神殿内の権力闘争とかに関係したくないと思っています。毒の成分の由来を調べましたが、それが毒を使った人間の特定に役立つとも思えませんでした。ウイノカがもし毒を使った人を特定したとして、彼はそれからどうするつもりだったのでしょう。犯人を告発するつもりだったのでしょうか。」
「ウイノカは、厨房スタッフを危険な目に遭わせた人間を許せなかっただけですよ。」

とロホが腹立たしげに言った。長兄とテオの会話に割り込むのは、礼儀作法に外れるのだが、サカリアスは怒らなかった。彼は弟をちょっと横目で見ただけで、視線をすぐにテオに戻した。

「ウイノカが神殿と大統領府で起きたことを私に伝えたのは、厨房の毒事件の3日後でした。神官達がエダの神殿に出かけている間の事件だったので、私は神殿の秩序を守る対処法を訊かれるのだと思い、彼と神殿の外部庭園で会いました。」

 神殿の外部庭園とは、どこだろう、とテオは思ったが、黙っていた。ロホが不審そうに尋ねた。

「先ほども”心話”でそれを知りましたが、外部庭園は神殿近衛兵しか入れませんよね?」
「ウイノカがこっそり入れてくれたのさ。」

 長兄はけろりと答えた。そのウイノカが神殿近衛兵だったことは、既にロホに”心話”で伝わっているようだ。ロホが憂い顔になった。

「兄さん達は掟を破りっぱなしですよ。」


第11部  神殿        16

  夜が明けたが、誰も帰って来なかった。テオは一人で朝食を取り、ケツァル少佐の携帯に電話をかけてみたが、繋がらなかった。電源を切っているらしい。それとも神殿は外から繋がらないのか?  もやもやした気分だったが、仕事に行かなければならない。身支度していると、ドアチャイムが鳴った。防...