2025/01/12

第11部  内乱        1

  ケツァル少佐は空中に右手を差し出した。彼女の目には微かにシルクのカーテンのようなものが見えていた。そのカーテンは彼女の指先が触れると、そこからパッと円形に穴が開いてその口がスッと広がって行った。少佐の後ろに控えていたマハルダ・デネロス少尉とキロス中尉、その部下5人には見えなかったが、彼女達を神殿から遠ざけていた力がスッと後退して行くのが感じられた。

ーー結界が破られた!

 ”ヴェルデ・シエロ”にとって、他人の結界を破ることが出来るのは、結界を張った人間が己より下位の力しか持たない部族である場合だ。一般にブーカ族が現存する一族の中で最も強く、それにサスコシ族とオクターリャ族が続くと言われているが、その力の差はさほど大きくなく、修行を積んだ者なら部族間の差は殆どない。互いの結界を破れないことはないが、実行する時は己の脳への損傷を覚悟しなければならない。下位の能力者であるマスケゴ族、カイナ族とグワマナ族は上位能力者の結界を破れない。見えない壁の様なものにぶつかって先へ進むことが出来ない。脳の損傷以前の問題で物理的に無理なのだ。
 ケツァル少佐は「最強」と呼ばれるグラダ族最後の純血種と言われている。その力を、神殿近衛兵達は目の前で見せつけられたのだ。
 少佐にとっては、他人の結界を破ることはなんでもないことだった。張った人間は修行を積んだ神官だが、サスコシ族とカイナ族の神官だ。彼女にとっては「なんてことない」能力者達だった。

ーーもし、これがカルロやアンドレが張った結界なら、ちょっと難しいだろう・・・

と彼女は心の中で呟いた。弟のカルロ・ステファンは結界を張るのが苦手だし、アンドレ・ギャラガは他部族他人種の血が混ざっているが、グラダ族の力をしっかり持っている。彼等が本気で結界を張れば、彼女も少し覚悟が必要だったろう。脳への損傷を避けられても、エネルギーの消耗が大きくなった筈だ。ましてや、純血種のフィデル・ケサダなら、マスケゴ族として育てられていても結界は強力だ。実際にギャラガが彼の結界の強大さを証言していた。長時間にわたって動く大型バスを結界で包んで移動したと言うのだから、まともにぶつかれば、グラダ族同士でも被害を受けかねない。
 少佐は後ろの女性達を振り返った。

「私の後ろについて来なさい。遅れない様に。敵がすぐに閉じてしまう恐れがあります。」

 中にいる神官達を「敵」と表現した。神殿近衛兵達は槍を持つ手に力を入れ、足を踏み出した。


2025/01/11

第11部  太古の血族       32

 「対立の内容を貴方は知っているのか、マリア?」

とキロス中尉が尋ねた。マリア・アクサ中尉は神殿をチラリと見てから、上官に向き直った。

「噂話ですが、報告してよろしいでしょうか?」

中尉がケツァル少佐を見たので、少佐が「良い」と答えた。それで、マリア・アクサ中尉は「女官から聞いた話です。」と断りを入れてから語った。

「神官の間で、後継者の決め方を変えようと言う意見が出ているそうです。今までは神官に欠員が出た場合に、神殿が一族の中で修行を始めるのに適した年齢の子供を探し出し、親を説得して・・・こんな言い方は失礼でしょうが、殆ど誘拐同然に・・・神殿に連れて来て教育していました。しかし世代を重ねるごとに一族の人口は減少しています。純血種が減っていると言った方が正しいでしょう。ですから、これからは能力が高ければ混血の子供でも良いのではないか、と言う意見が出ました。」
「混血では”名を秘めた女の人”の声が聞こえない!」

と口を挟んだのはカタリナ・アクサの方だ。しかしキロス中尉に「黙れ」と注意されて、口を閉じた。マリアは中尉から目で促され、話を続けた。

「カタリナが言った理由で反対する神官が多かったのですが、その反対者の中でもさらに意見が割れました。新しい神官は現在いる神官の子供から選べばどうか、と言う意見です。」

 すると今度は副官のトーコ少尉が目を丸くして抗議した。

「それでは世襲になる。世襲は古代から禁止されている筈だ!」
「マリアに抗議してどうなる?」

とキロス中尉が彼女を宥めた。ケツァル少佐がまとめようとした。

「つまり、今、エダの神殿の中では、混血の神官でも良いと言う者と、神官を世襲制度にしようと言う者と、それに反対する者がいると言うことですか。」

 マリア・アクサ少尉が「スィ」と答えた。するとデネロス少尉が首を傾げた。

「そうなると、グラダを祖先に持つ子供を探せと言う者は、混血の神官にも世襲にも反対の人の中にいる訳ですか?」
「神官達それぞれの思惑があって意見がバラバラなのでしょう。」

とキロス中尉が苦々しげに神殿を見た。

「いずれにせよ、長老会を無視して神官だけで制度を変えると言うのはとんでもないことです。」
「だから貴女達を締め出しているのです。」

 ケツァル少佐は神殿を睨んだ。

「私が結界を破って中に入ると不敬罪になるのでしょうね。」
「長老会を無視する方が不敬罪です。」

 キロス中尉も部下達も怒っていた。少佐はちょっと考えてから、仲間を振り返った。

「ご存知かと思いますが、私は罪人の子供として生まれました。親は二人共反逆者と呼ばれました。ですから、私が不敬を成しても、やはりあの男女の子供だ、と思われるだけでしょう。貴女達は私を捕まえようと追いかけて神殿に戻った、そう言うことにしませんか?」

 彼女の提案にびっくりしている神殿近衛兵達を横目で見て、それからデネロスが笑った。

「流石、我等が文化保護担当部の指揮官殿です!」


2025/01/10

第11部  太古の血族       31

  ケツァル少佐が「対立」と言う言葉を口に出すと、神殿近衛兵達がサッと緊張するのがデネロス少尉にはわかった。近衛兵達も神殿内の不穏な雰囲気を気にしていたのだ。

「何か情報を得て来られたのですね?」

とキロス中尉が用心深く尋ねた。デネロスは黙して上官に一任した。少佐が近衛兵達を見回した。

「大神官代理ロアン・マレンカ殿はお体の具合が良くないと聞いています。」

 反応がなかった。彼女達は知っていたのだ。少佐は続けた。

「ある隊員が、大神官代理候補となり得る男の子供を探し出すよう命令を受けました。」

 これには、反応があった。数人が互いの顔を見合わせ、キロス中尉も表情を強ばらせた。

「それは、マレンカ様が危ないと言う意味ですね?」

 遠回しではなく、ズバリと訊いてきた。少佐は頷いた。

「スィ。私はどの様なご病気なのか、聞いていませんが、神殿で療養なさっておられないのでしたら、ご実家に下がられたか、どこかの医療施設に入られたのだと思います。」

 キロス中尉は部下達を見てから、少佐に視線を戻した。

「一月前、神殿から御用車が出ました。普通の乗用車で、神官の何方かが私用で使われたのだと思っていましたが、恐らくそれに大神官代理様が乗っておられたのでしょう。と言うのも、それ以降、我々は大神官代理のお姿をお見かけしなくなったからです。」
「しかし、何故少佐が大神官代理の交代に口出しされるのですか?」

と尋ねたのは、セデス少尉と紹介された兵士だった。少佐は隠さずに言った。

「子供を探す命を受けた隊員はある条件を与えられています。祖先にグラダの血を受け継ぐ者、と言う条件です。」

 ザワッと声が聞こえた、とデネロスは感じた。実際は誰も声を発していなかったが、全員がちょっと驚いたのだ。

「神官に選ばれる子供は、親の承諾の下、純血種で能力の強い健康な子供、と定められていますが、部族の特定はありません。しかも先祖にグラダがいるなんて・・・」

 キロス中尉が少し困惑していた。

「どうやって調べるのです?」
「それは私も知りません。」

 少佐はさらに言った。

「私がここに来た理由は、その条件が神官全員の意見なのかどうかお聞きしたいと思っているからです。」

 ああ・・・とマリア・アクサ少尉が囁く様に発言した。

「だから、神殿内で対立が起きているのですね?」

2025/01/06

第11部  太古の血族       30

  彼等は数百メートル神殿に向かって進んだ。そして、デネロス少尉が前方に複数の人間の気配を察知した時、キロス中尉が言った。

「我々神殿近衛兵のキャンプです。」

 キャンプ? 言葉に疑問を感じて少尉はケツァル少佐を見た。少佐も不愉快そうな表情をした。

「貴方方は神殿に入らないのですか?」

 中尉が小声で答えた。

「入れないのです。」

 彼女が手で前進を促し、3人は開けた場所に出た。木の枝でカムフラージュされたテントが3基設営されており、4人の女性兵士がいた。4人共キロス中尉同様短槍を持っており、テントから出て来た5人目だけがアサルトライフルを持っていた。キロス中尉が訪問者を紹介した。

「大統領警護隊文化保護担当部のミゲール少佐とデネロス少尉だ。」

 そして訪問者に仲間を紹介した。

「私の部下達です。」

 つまり全員少尉だ。デネロスは奇異な印象を抱いた。

「全員女性ですね?」
「スィ。今回ここに来る任務を賜ったのは女だけです。」

 銃を持った兵士がキロス中尉のそばに来たので、キロス中尉が紹介した。

「私の副官のトーコ少尉です。残りは、アクサ、もう一人もアクサ、ナカイ、セデス、全員少尉です。アクサはマリアとカタリナ、名前で呼び分けています。」

 全員がブーカ族だ、とデネロスは思った。それも純血種だ。姓が同じなのは仕方がない。一族の人口自体が少ないのだし、家族の単位数も少ない。多分、全員がどこかの時代で親戚なのだ。
 ケツァル少佐が質問した。

「神殿に入れないとは、どう言う理由からですか?」
「わかりません。」

 中尉が腹立たしげに神殿の建物を見た。

「神官達が結界を張っているのです。」

 少佐がグラダ族の目で空中を眺めた。

「3、4人の共同作業の様ですね。一人の神官で神殿全体を覆うのは無理です。グラダでない限り。」

 彼女は微かに微笑んだ。

「私には破れますよ。結界を張っているのはブーカではない、サスコシとカイナです。どうやら、神殿の中で神官同士対立している様です。」


2025/01/01

第11部  太古の血族       29

  ケツァル少佐は直ぐに答えずに、神殿の建物の方を見た。

「神官達がこちらに集まっておられますね?」
「スィ。」
「でも大神官代理は居られない。」

 エダ神殿を守る神殿近衛隊のキロス中尉は無言で少佐を見つめた。

「重要な会議が開かれるのに大神官代理がいらっしゃらないのは、不思議ですね。」
「少佐・・・」

 キロス中尉が硬い表情で言った。

「我々は神官と会議に関する会話はしません。」
「そうでしょう、警護と議事内容は関係ありませんから。」

 少佐は中尉に視線を向けた。

「でも、おかしいと思われませんか? 大神官代理抜きで会議をなさるなど。」
「それは・・・」

 キロス中尉は少し困惑して、デネロス少尉をちらりと見た。

「こちらで会議をなさるなど、滅多にないことですし、ここで会議を開かれる場合は・・・」

 彼女が言い淀んだので、デネロスが口を挟んだ。

「この神殿で会議をなさるのは、神官が入れ替わる時ですよね?」

 上官同士の会話に口を挟んだので、キロス中尉がデネロス少尉を睨みつけたが、ケツァル少佐は無視した。

「大神官代理が来られず、会議を開くと言うことは、大神官代理が交代されると言うことですね?」
「私にはなんとも・・・」

 キロス中尉は困ってしまった様だ。そして改めて質問して来た。

「少佐は何が目的でこちらへ来られたのですか?」

 ケツァル少佐は今ではすっかり大統領警護隊文化保護担当部で出した推論の正さを確信した。

「大神官代理がご病気で引退されることを確かめに来ました。」

 キロス中尉はまた硬い表情に戻り、神殿を見た。そして囁いた。

「神殿から不穏な気が発せられています。私達近衛兵はそのために不安定な思いを感じています。」


2024/12/27

第11部  太古の血族       28

  静かに姿を現した人物は若い女性だった。ジャングルに溶け込むような色の軍服の様な物を着用し、手には銃器ではなく、驚いたことに短槍を持っていた。腰のベルトには拳銃、とデネロスは見て採った。
 ケツァル少佐が尋ねた。

「先刻の声は貴女ですか?」
「スィ」

と女性がニコリともせずに答えた。

「地声で話しかけると侮られますからね。」

 そう言う声は、容姿よりもまだ若く聞こえた。その目は、しかし、デネロスより年上に見えた。少佐が名乗った。

「大統領警護隊文化保護担当部ミゲール少佐です。隊の中ではケツァルで通っています。」

 彼女は振り返らずに手だけでデネロスを差した。

「部下のデネロス少尉です。」

 女性が名乗った。

「エダ神殿の警護を担当していますキロス中尉です。所属は大統領警護隊神殿近衛隊です。」

 デネロスは心の中で「あっ」と思った。神殿近衛隊は大統領警護隊司令部の直属部隊で滅多に他の部署の中で話題に昇らない。若い新参者の警備班隊員などは存在すら知らないのだ。遊撃班も実際の近衛隊の顔を知らないと言われるほどだ。神殿近衛隊に命令を出せるのは総司令官エステベス大佐だけと言う噂だった。デネロスはロホやアスルからチラッとその存在の話をずっと以前に聞かされただけで、今まで忘れていた。

 キロス中尉って、ファビオ・キロスの親戚かしら?

 ふと最近交際を始めた遊撃班の彼氏の顔が思い浮かんだ。そして、「いやいや、私的感情は傍に置いておけ」と己の心に言い聞かせた。
 ケツァル少佐は敬礼しなかった。向こうの方が軍人としては格下だ。しかしキロス中尉が敬礼しないので、彼女もしないのだった。
 中尉が尋ねた。

「こちらに何か御用でしょうか?」

2024/12/22

第11部  太古の血族       27

  エダの神殿は、グラダ・シティから北西へ行った場所にあり、アスクラカンとグラダ・シティ、エダを線で結ぶとほぼ正三角形を形作った。北部の乾燥地帯に近いので、森の樹木は低く細い。住民は海に近い地帯に住んでいるので、少し内陸になるエダは耕地にもならず昔から手付かずの自然が残されていた。セルバ人にとっては「禁足地」の一つで、狩猟で入ることも許されない場所だ。その痩せた森の中に背の低いピラミッド状の石組が隠れるように建っていた。周囲には平屋の石の家屋が互いに少し距離を空けて取り囲んでいた。
 マハルダ・デネロス少尉は初めてエダに足を踏み入れた。森の中に入ると空気が張り詰めた感触で、肌にチクチクするような気分を味わった。

「なんだか不快なんですけどぉ・・・」

と彼女は少し先を行く上官に感想を述べた。

「ミックスの私はここへ入っちゃいけないんでしょうか?」

 ケツァル少佐が振り返った。

「そんなことはありません。私も少し気分が沈んでいます。ここの空気が神官達の気分を反映しているのでしょう。」
「では、神官達が何か問題を抱えていると言うことですか?」
「そのようですね。」

 森の地面には、よく見ないとわからない石畳の道が付けられており、2人はそこを歩いていた。苔で軍靴の底が滑りそうだ。
 突然、少佐が足を止め、片腕を横に伸ばして手のひらをデネロスに向けた。止まれと言う合図だ。デネロスは無言で従った。手にはアサルトライフルを持っている。聖域に武器を持ち込むのは喜ばれないことだが、少佐が持っているようにと言ったのだ。その少佐もライフルを装備していた。もし神官か誰かが苦情を言えば、屋外行動の基本装備だと主張する。
 デネロスは前方から微かな足音が近づいて来るのを聞き取った。 ”ヴェルデ・シエロ”でも軍人でなければ歩くときに物音を立てる。 ”ティエラ”の耳に聞き取れなくても、大統領警護隊なら聞き取れた。そんな程度の音だった。
 ケツァル少佐がライフルを前方に向けて、声を出した。

「止まれ! こちらは武装している。大統領警護隊だ。」

 音が止まった。ちょっと驚いたらしい呼吸が聞き取れ、やがて男性の声が聞こえた。

「こちらはエダの神殿の守り人だ。何故に大統領警護隊がここにいるのか?」

 少佐が答えた。

「貴方のお顔を見てからお答えしよう。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...