2025/02/26

第11部  内乱        21

 「ママコナ様はどんな夢を見られたのです?」

 ママコナは名前ではない。巫女と言う意味だ。セルバ共和国でママコナと言えば普通は”曙のピラミッド”に住まう大巫女のことを意味する。国民の誰も彼女の顔を見たことはないし声も聞いたことがないが、彼女が存在していることは周知の事実だった。彼女はセルバ共和国を大きな自然災害から守っている、そう言う信仰が古代から連綿と続いているのだった。だから、彼女が見る夢も、神官達は大真面目で解釈を試みる。

 テオの質問に、ムリリョ博士は困った様な目をした。

「あの聖なる娘は、白いジャガーの夢を見たと言ったのだ。」

 え? っとテオは思った。ロホもアスルもギャラガも動じた様子を見せなかったが、沈黙が驚きを表している、とテオは思った。

「その・・・白いジャガーの夢の意味は・・・?」
「大神官の代替わりだ。」

 すると歴代の大神官代理が代わる度に、その前に巫女様は白いジャガーを夢に見ているのか。
 テオは、”名を秘めた女の人”がケサダ教授と会ったことがないことを知っている。しかしママコナは全ての”ヴェルデ・シエロ”の本質を知っていると言われている。彼女がケサダ教授の家に息子が生まれたことを知らない訳はないだろう。半分グラダの男の子だ。純血種の”ヴェルデ・シエロ”だ。大神官になる資格を持つ子供だ。そして、現在の大神官代理は瀕死の病状にある。”名を秘めた女の人”は、ケサダ教授の息子を大神官候補にせよと夢でお告げをしたのだろうか。
 しかしムリリョ博士は、孫のことを心配しているのでもなさそうだった。

「ロアン・マレンカは呪いで死の床に着いている。呪いを祓えば、彼は復調する・・・」

 博士の視線がロホに向けられた。ロホがドキリとした表情になった。

2025/02/23

第11部  内乱        20

  ムリリョ博士がセキュリティカメラに映った。カメラを睨んでいるので、テオはインターコムで部屋の階数を告げた。 ”ヴェルデ・シエロ”はエレベーターの使用を好まないが、年を取った博士は渋々ながらエレベーターで上がって来た。テオはエレベーターを降りたところの狭いロビーで出迎えた。彼の階は最上階でドアが2つある。どちらもケツァル少佐所有の部屋だが、テオが使用している部屋へ博士を招き入れた。
 博士は夜分遅い訪問を詫びることなく、リビングに入った。そこではロホ、アスル、ギャラガが整列して博士を迎えた。博士は床の片隅に集められた毛布やシュラフをチラリと見てから、若者達に頷いた。

「お前達、3人が大神官代理に面会したのか?」
「その通りです。」

 代表してロホが答えた。博士がまた尋ねた。

「ロアン・マレンカは病気の原因を言ったか?」

 アスルとギャラガがロホを見た。大神官代理と”心話”で話をしたのはロホだけだ。ロホは宙に視線を向けて、肯定した。

「スィ、大神官代理はカエンシット神官に呪いをかけられたと仰いました。」

 え?! とテオはロホを見た。アスルとギャラガも目を見張って上官を見た。ムリリョ博士だけが表情を変えずにロホを見つめた。

「カエンシットに呪われたと言ったか?」
「呪いをかけたのはカエンシット神官一人、しかしアスマ神官とエロワ神官が力を貸したと・・・。」

 博士はいつも不機嫌そうな顔をしている人だが、この時は鬼の様な形相になった。

「神官が人を呪うなど、あってはならぬ。ましてや大神官代理を害するとは。」
「訊いて良いですか?」

とテオが口を出した。ムリリョ博士が彼の存在を思い出した様な目で振り返った。

「なんだ?」
「そもそも今回の出来事は、何が原因で起きているのですか? 神官同士の権力闘争ですか?」

ふん! と博士はいつもの表情に戻った。苦虫を潰した様な顔だが、これが普段の表情だ。

「権力闘争? ああ、その通りだ。長老会と神官達が合同で会議を開いた時に、長老の一人が最近の神殿の影響力低下を嘆いたのだ。政府が神殿の言うことを聞かぬとな。神殿の意向は長老会の意向であり、一族の安定の為のものである。政府が打ち出す政策は決してセルバ人民に幸福を約束するものとは限らぬ。ごく少数の大企業や富豪に幸福を与えるだけだ。だから、もっと神殿の力を政府に及ぼすべきだ、と。すると別の長老が、”名を秘めた女”が最近見た夢の話をした。しなくとも良い余計な話だ。」

 テオは科学者だが、セルバに住み着いて以来、呪いや夢の話にすっかり慣れっこになってしまっていた。セルバ人はキリスト教徒が大半を占めるが、古代からの呪いや夢占いも信じている。だからムリリョ博士の話を彼は真剣に聞くことが出来た。

第11部  内乱        19

  実際のところ、ムリリョ博士がやって来るのにどのくらい時間がかかるかわからなかったので、アスルはリビング中央のソファの上に横になり、ギャラガもいつもの様にシュラフに体を入れた。テオはロホと向かい合ってテーブルに着いて、アルコール度数の低いビールを飲んだ。

「実を言うと、俺は君が俺には教えてくれていない秘密を抱えているような気がするんだ。」

とテオは言った。昼間、ロホは病院で病気の大神官代理と”心話”で話をした。その後、少し口数が少なくなったのだ。大神官代理が3人の神官と後継者選考に関する方法で意見の対立があった、と語ったことは、食事の時にテオ、アスル、ギャラガに話してくれた。しかし彼は部下の2人と目を合わさず、何か含んでいるような話し方をした。アスル達もそれに気づいている様子だったが、彼等は上官を信じて何も言わなかった。
 ロホは小さな溜め息をついた。

「貴方方に言わない方が安全だと思ったので、少佐が戻られるまで私の胸の内にしまっておくつもりだったのです。しかし、ムリリョ博士がここに来られると言うことは、それに関係していることかも知れません。」
「ムリリョ博士と一緒に俺達も聞いた方が良いのかな? それとも、俺は白人だから知ってはいけないことなんだろうか?」
「白人だから、と言う理由で貴方を疎外するつもりはありません。多分、本当は私も知るべきでなかったのかも知れません。」

 彼は一瞬視線を宙に泳がせた。

「こんな場合、サカリアスやウイノカだったら、どうするかなぁ・・・」
「ウイノカ?」

 テオは懐かしい名前を聞いた様な気がした。神殿で事務関連の業務をしているとロホが信じていた2番目の兄だ。しかし、テオと出会ったウイノカは、彼もまた大統領警護隊の隊員で神殿近衛兵と言う役職だと言っていた。そしてロホは、長兄からその2番目の兄の正体を知らされたばかりだった。

「2番目の兄ウイノカ・マレンカは神殿近衛兵だったのです、テオ。大統領警護隊の司令部直下の役職で・・・ああ、貴方は彼に会って毒の分析を依頼されたのでしたね。」
「スィ、サカリアスはウイノカが大神官代理から勅命を受けて、グラダ族の子孫を次の大神官に立てようとする神官の動きを報告する役目をしていたと言ったんだよな? その神官達は長老会に唆されている・・・。」

 テオは疑問を感じた。ムリリョ博士は長老会の一員だが、養子のケサダ教授がグラダ族であることを必死で隠している。彼は長老会から浮いているのだろうか。
 その時、コンドミニアムの正面玄関を入ったところにある各入居者の郵便受けに取り付けられたチャイムが鳴った。


2025/02/21

第11部  内乱        18

 大統領警護隊文化保護担当部の友人達がテオの部屋に泊まることになった。寝具の準備は必要ない。彼等はどんな場所でも眠れる訓練を受けているし、テオの部屋にはソファがあるし、彼等は頻繁に泊まっていくので、毛布やクッションはクローゼットに入っている。
 銘々が好きな場所に寝場所を作っていると、テオの携帯に電話がかかって来た。画面を見ると、考古学のケサダ教授だったので、何の用だろうと思いつつ電話に出た。

「オーラ・・・アルストです。」

 ケサダ教授の低い声が向こうで囁いた。

ーー博士がそちらへ行きます。

 そして切れた。え? とテオは思わず電話を見つめた。博士とは、ファルゴ・デ・ムリリョ博士のことに違いない。あの白人嫌いの博士が俺のところへ? 
 困惑する彼の呼吸に気がついたアスルがそばに来た。

「良くない知らせか?」

 テオは彼を見た。

「良いのか悪いのか、わからない。ムリリョ博士がこちらに来ると、ケサダ教授から前触れがあった。」
「え?」

 ロホもギャラガも驚いてテオを振り返った。

「ムリリョ博士がここへ?」
「何の用事ですか?」

 アスルが心配そうな表情になった。

「ドクトル、あんた、何か彼を怒らせるようなことをしたか?」
「ドクトルだけじゃないだろう。」

とロホが呟いた。

「私達全員で、大神官代理の病室に押しかけてしまった。そのメンバー全員がここにいるんだからな。」
「”砂の民”恐るに足らずです。」

とギャラガが不安を吹き飛ばそうと空元気で言った。

「ここにいるのは、ブーカとオクターリャ、そして不祥グラダです。マスケゴに負けませんよ。」
「博士が一人で来るとは限らないぞ。」

とテオは言ったが、”砂の民”が複数で粛清に乗り出した話は聞いたことがなかった。それに博士の性格なら、どんな問題も単独で対処するだろう。

「出来るだけ、平素の態度で迎えよう。」
「いや、不意打ちを食らったふりをしよう。」

とアスルが提案した。

「ケサダ教授が俺達に告げ口したとバレても気の毒だろう。」

 

2025/02/20

第11部  内乱        17

  例によって、エダの神殿の内部で実際に何が起きていたのか、神官からの説明はなかった。ただ9人の神官は、捕縛されている3人の神官が世襲制採用を唱え、他の神官と対立したこと、大神官代理の病に何らかの関係があること、グラダ族の血を引く子孫を探せと言う案が実は3人の神官の親族の子供を神官に据えるための方便であったと近衛兵と文化保護担当部の隊員に教えてくれた。

「彼等自身は子を成せない。神官は子供の時に選ばれ一生独身で終わる。しかし親族から新たな神官が出れば、己の権力を維持出来る。」
「独身だったら世襲制は絶対不可能でしょう?」

とデネロス少尉はいつもながら大胆に発言した。神官の話を遮るなど、最低の非礼なのだが、ケツァル少佐は容認した。話を遮られたマスケゴ族の神官がムッとした顔になったが、女性達は誰もデネロスの発言を咎めなかった。彼女は正論を言ったのだ。神官は結婚も事実婚も出来ない、それが古代からの伝統でしきたりだった。

「確かに、世襲制は無理だ、今のしきたりではな・・・」

 マスケゴ族の神官は溜め息をついた。

「権力を握るとしきたりを変えられると考えたのだ、彼等は・・・」

 超能力の使用を不能にする「抑制タバコ」を吸わされて意識朦朧としている3人の神官を他の神官達が運ぶ準備をしていた。近衛兵は手伝わない。彼女達の任務は警護で雑用ではない。

「”入り口”が近くに現れるのが、1時間後だ。」

とスワレ神官が言った。 空間通路の入り口のことだ。普通は出現している”入り口”を探して使うのだが、神官ともなると空間の歪みの動きを計算し、”入り口”や”出口”の出現を読み解ける。これは神官以外の修行をしていない人間には不可能なことだ。

「”入り口”がグラダ・シティの神殿に繋がる時間はそれほど長くない。我々は眠らせた3人を連れて神殿に戻るが、近衛兵の半分は別通路で戻ってもらわなくてはならない。文化保護担当部も申し訳ないが・・・」
「お気遣いなく。」

と少佐は言った。キロス中尉も、そんなことは承知していると頷いた。

「後発の人員は決めておきます。神官様達は出発までお休みください。今まで強いストレスのもとでいらしたのでしょう。」

 女性の心配りに、スワレ神官は頭を下げた。

「かたじけない。我々は普段近衛兵と口をきくことも少ない。話す相手はもっぱら男の近衛兵ばかりで、君達は遠い存在だった。これからは、君達のことも頼りにしていこう。」
「どうしてここへ女性ばかり連れて来たのですか?」

と、またデネロス少尉が尋ねた。するとグワマナ族の神官が答えた。

「破廉恥な理由だ。あの3人は自分達の子供を作りたかった、とだけ答えておく。」


2025/02/18

第11部  内乱        16

「指導権を取り戻すだと?」

 フレータ神官が吐き捨てるように呟いた。

「過去にも何度かその様な言葉を聞いたな・・・それが何を意味するのかわかっているのか?」
「”ティエラ”は我々の何億倍もの人口だぞ。もし我々がセルバの支配権を取れば、彼等は我々の能力を恐れ、抹殺しようとするだろう。今でも我々が犯罪に手を染めたと思えばすぐにでも殺しにかかる筈だ。我々は表に出てはいかん。これまで通り、裏からそっと我々の都合の良い様に政治を動かすのだ。」
「世界中で色々な神が祀られているが、その神が表に出たことがあったか? 歴史に残る争いごとや出来事は全て信仰する人間が起こしたことで、神が行ったものではない。神は姿を表すものではない。」

 ロムベサラゲレス神官も諭すように言った。しかしアスマ神官もカエンシット神官も黙り込んだままだった。
 セデス少尉が外へ見て、報告した。

「8人出て来ましたよ、1人は縛られている様に見えます。」

 キロス中尉と2人のアクサ少尉が会所の外に出た。ひょろりと背が高い神官と中尉が言葉を交わし、やがて彼等は一緒に会所に入って来た。会所は広い空間だったが、12人の男と7人の女が入ると狭く感じられた。縛られた3人の神官は中央の床に座るよう命じられた。
 ひょろりと背が高い神官が、ブーカ族のスワレと名乗った。彼はケツァル少佐を見て、ちょっと複雑な表情を見せた。

「我がスワレの家系と貴女の家系は因縁があるようだ。」

 きっとケツァル少佐の両親と因縁があったエルネンツォとトゥパルの兄弟と、この神官は家族だったのだろう。トゥパルは、グラダ族の復活を試みたイェンテ・グラダ村の生き残りの一人、ニシト・メナクに憑依され、彼自身が老いて力尽きた後はその体を支配されてしまった。トゥパル・スワレの肉体は、ニシト・メナクとして、ケツァル少佐の父シュカワラスキ・マナ、エルネンツォ・スワレを殺害し、その他の人々も巻き添えにして傷つけた罪で処刑された。
 ケツァル少佐はスワレ神官に敬を示して言った。

「過去の因縁は今を生きる我々には関係のないこと。どうか神官様の正しきご判断でこの場を収めて頂きますよう、お願い致します。」


2025/02/15

第11部  内乱        15

  最初にエダの神殿から出て来たのは、髪が白くなりかけた男と少しぽっちゃり体型の男だった。服装はアスマ神官とカエンシット神官が着ているのと同様の貫頭着にベルトを締めた神官服だった。キロス中尉が会所から出て、彼等を迎えた。

「お呼びだてして申し訳ありません。」

 2人の神官は用心深く足を進めた。アスマ神官とカエンシット神官が張った結界を案じているのだ。サスコシ族の結界を恐る能力の弱い部族で2名の神官・・・カイナ族か、とケツァル少佐が思った時、セデス少尉が囁いた。

「頭が白いのがカイナ族のフレータ神官、もう片方はグワマナのロムベサラゲレス神官です。」

 ケツァル少佐はもう少しで笑そうになった。フレータもロムベサラゲレスも知人にいる名前だ。恐らく神官達は彼等の親戚だ。我が一族はなんて狭い世界に住んでいるのだろう。
 キロス中尉が2人に声を掛け、挨拶してから会所に案内して来た。建物に用心深く足を踏み入れた2人は、縛られて目隠しされているアスマ神官とカエンシット神官を見て、立ち止まった。

「この2人を逮捕したのですか?」

とフレータ神官が感情を抑えた声で尋ねた。ロムベサラゲレス神官の方は、明かにホッとした表情を浮かべた。

「では結界は消えたのですね?」
「実は結界は消えていないのです。」

 とケツァル少佐が言った。

「お2人を通すために私が一時的に結界を消しました。もう張り直しています。」

 2人の新しく現れた神官は彼女を振り返った。ロムベサラゲレス神官が微笑んだ。

「もしや、ケツァル少佐ではありませんか?」
「スィ。お初にお目にかかります。」

 少佐は軍隊式に敬礼で挨拶した。そしてデネロスは紹介しなかった。それは彼女を軽んじたのではなく、彼女の名前を味方と確定した訳ではない人物に教えたくなかったからに過ぎない。

「他の神官はどうされています?」

と少佐が質問した。フレータ神官が神殿を入り口のドアの向こうに見えるかの様に振り返った。

「すぐにブーカとオクターリャ、マスケゴが来ます。残念ながらもう一人のカイナの同僚は来ないかも知れない。彼はそこの・・・」

 彼は縛られている同僚を振り返った。

「サスコシの2人と同じ思想を持ちまして・・・恥ずかしいことに、今日のこの失態を招いた原因となる悪き思想です。」
「何が悪き思想か!」

とアスマ神官が呟いた。

「我々は呪い師でも預言者でもない、神の一族ぞ! ”ティエラ”どもに死んだ民族と言われ続けて闇の世界で生きてきた。もうたくさんだ! 今こそ強い指導者の元でセルバの指導権を取り戻すのだ!」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...