2025/04/28

第11部  神殿        17

  大学での仕事は何事もなく平穏にこなせた。学生達は遺伝子の組み替えのさまざまなパターンを考察し、人間の病気に対する遺伝子の影響を考えた。どうすれば病気に強い子供を産めるようになるのか。 それは人口の減少が早い少数民族の課題でもあった。多産でも生まれた子供が病気に罹りやすければ、衛生管理に力を入れても、経済的に貧しい人が多いこの国では乳幼児の死亡率低下を防げない。テオは彼本来の研究分野に没頭して、夕方までなんとか神殿の問題を忘れていられた。
 夕方、研究室を閉めて駐車場に向かいながら携帯をチェックすると、ケツァル少佐からメッセージが入っていた。

ーー今夜帰ります。夕食に間に合うと思います。

 それだけだった。テオは「お疲れ」とだけ返信した。
 駐車場でケサダ教授を見かけた。教授は何もなかったかのように、他の職員と談笑していた。テオは彼に声をかけずに車に乗り込み、帰路に着いた。
 文化・教育省の駐車場に立ち寄ってみると、ロホのビートルが駐車していた。ロホも何とか己の役目を終えたようだ。
 恐らく長老会は文化保護担当部に裁判の詳細に立ち入らせなかったのだ。必要な証言だけ語らせて、彼等を解放したに違いない。
 テオは駐車場を一周してから、自宅に向かった。役所は大学より終業時間が少しだけ遅い。約束していれば、テオは彼等を待つが、この日は誰とも約束していなかったので、自宅で少佐を待つことにした。
 帰宅すると、家政婦のカーラが食事の支度をしていた。テーブルは2人分の用意だけだった。少佐は彼女に特に何も連絡をしていなかった様だ。テオは自分のスペースでシャワーを浴び、着替えて、ダイニングに入った。そこへ少佐が帰って来た。 テオが玄関に出迎えて、「お帰り」とキスをすると、彼女は素直に、何もなかったかの様に応じた。そして、いつもの様にシャワーを浴びて着替えた。
 食事の開始も普段と変わらず、穏やかに2人で乾杯して、カーラに残りの食材を与えて帰らせた。
 カーラがいなくなって、本当に2人きりになると、少佐が初めて大きく溜め息をついた。テオは尋ねた。

「事件は全て解決したのかい?」
「多分・・・」

 少佐が少々投げやりな声で答えた。

「相変わらず、我々には全容を教えてくれない人々です。」

 長老会と神殿の人々のことを言っているのだろう。テオは立ち上がり、リビングへ行った。そこに、最近彼が購入したキャスター付きのホワイトボードがあった。大学の准教授らしい発想で、彼は友人達とややこしい話をするために準備したのだ。今迄部屋の片隅に置いたままで使ったことがなかったが、今回はこれが必要だと思えた。
 彼がコロコロとボードを押して来るのを見て、少佐がちょっと笑った。

「刑事ドラマみたいです。」
「そうさ、時系列や登場人物の相関図がないと、俺は理解出来ないからな。」

2025/04/25

第11部  神殿        16

  夜が明けたが、誰も帰って来なかった。テオは一人で朝食を取り、ケツァル少佐の携帯に電話をかけてみたが、繋がらなかった。電源を切っているらしい。それとも神殿は外から繋がらないのか?
 もやもやした気分だったが、仕事に行かなければならない。身支度していると、ドアチャイムが鳴った。防犯カメラを見ると、アンドレ・ギャラガ少尉が一人だけ立っていて、カメラに向かって、階段方向を指差した。これからここへ上がって来るのだ。テオはマイクに向かって「O K」と呟いた。
 ギャラガはエレベーターを使わず駆け足で階段を登ってきた。かなりの健脚だ。テオが玄関のドアを開けた時、彼は普通の呼吸だった。

「ブエノス・ディアス、ドクトル。これからお仕事ですか?」
「スィ。君は・・・」
「私も出勤します。」

 まるで何事もなかったかのような言い方だったが、すぐに彼は言い添えた。

「他の上官達は全員本部に足止めです。」
「君だけが解放されたのか?」
「そんなところです。」

 テオは時計を見た。まだ半時間余裕がある。

「君の出勤時間の方が早いから、俺の車で送って行こう。それとも車で官舎から来たのか?」
「ノ、バスで来ました。」
「それじゃ、コーヒーを飲む時間はあるだろう。」

 テオは返事を待たずにキッチンへ行き、ポットからコーヒーをカップに注いだ。ギャラガは遠慮なくそれを受け取った。そしてテオが尋ねる前に、彼が知りたいことを喋ってくれた。

「ケツァル少佐とデネロス少尉はエダの神殿で起きたことを神殿近衛兵達と共に証言するために本部に足止めです。長老会と神官の弾劾裁判が終わる迄本部から出られません。
 ロホ先輩は大神官代理が呪いをかけられた件でやはり証言を求められていますが、現在は大神官代理の治療を優先させるとのことで、治療出来る能力を持っている叔父さんを呼びに行っています。それで、裁判にはアスル先輩が代理で出廷します。」
「君は証言を求められないのか?」
「私はどの件にも直接関わっていないので、少佐から業務遂行を命じられ、本部も認めました。」
「それじゃ、君は一人で文化保護担当部の業務を死守しなきゃならないんだ・・・」

 ちょっとだけ揶揄った。ギャラガを励ましたかった。ギャラガもそれに気がついて、苦笑した。

「スィ、責任重大です。こんな場合はステファン大尉が助っ人に来てくれる筈なんですが、神官数人を拘束しているので遊撃班が神殿に『出動』しているんです。神殿近衛兵では神官との馴れ合いの心配があるとかで・・・まぁ、あり得ませんがね。」
「せめてマハルダだけでも返して欲しいよな。」
「全くです。」

 2人は仕事に行くためにアパートを出た。階段を降りながら、テオはギャラガに質問した。

「アンドレ、君は官舎をいつ出るんだい? アスルとマカレオ通りの家に住んでみるつもりはないのかい?」
「あー、その件ですか・・・」

 ギャラガが悩ましげな表情になった。

「アスル先輩との同居は構わないんですが、近所から恋人同士だと思われないかと心配で・・・」

 テオは思わず笑ってしまった。

「俺と同居している時にそんな噂は一度も出なかった。あのご近所さん達は男同士、女同士で住んでいても気にしないし、噂も立てない。君達は同じ職場だが、勤務内容で片方が長期間留守にしたり、毎日帰って来たり、バラバラだろう。ただのルームシェアさ。」

 ギャラガは地下の駐車場でテオの車の前まで来て、やっと言った。

「積極的に同居の件、考えます。」

2025/04/21

第11部  神殿        15

 ほんの10数分だったが、テオは眠った。声をかけられて目を覚ますと、彼が住んでいるコンドミニアムの前に停車していた。アブラーン・シメネス・デ・ムリリョが運転席で微笑を浮かべて彼を眺めていた。

「疲れているんですね。何があったのか聞きませんが、貴方が大統領警護隊を呼べない状況なのだと察します。」

 テオは背もたれから体を起こした。

「グラシャス、ちょっとした事故みたいなもので、自宅から急に遠くへ飛ばされたもので・・・」

 普通の人なら意味不明の彼の言い訳を、アブラーンは真面目に聞いてくれた。 ”ヴェルデ・シエロ”の社会なら、偶にあることなのだろう・・・。テオは反対に彼に尋ねた。

「貴方は何故こんな時刻に外を走っていたのですか?」
「私はパーティー帰りです。」

 そう言えば、アブラーンはスーツ姿だった。

「ビジネス上の付き合いで、出席しなければならなかったのです。私はプライベイトなら飲みますが、ビジネスでは頭をすっきりさせたいので飲みません。飲んだと思わせて、夜明けまで付き合うつもりはなかったので、抜け出したのです。お陰で貴方を拾うことが出来ました。」
「グラシャス。」

 テオは車外に出た。

「貴方のご家族によろしくお伝えください。妹さん達にも・・・」
「父やフィデルではなく、妹達にですか?」

 アブラーンが意味深に微笑んだ。女性に関係あることだろう、と勝手に想像したのだ。テオは「おやすみなさい」と言い、アブラーンは彼がドアを閉めると、すぐに走り去った。
 テオはアパートに入った。エレベーターで最上階に上がり、自室に入った。ひどく疲れて、寝室に入るとベッドに倒れ込み、そのまま眠った。 

2025/04/20

第11部  神殿        14

 都会の墓地は周囲を柵で囲まれている。門番がいて、夜間は門扉が閉じられ開門時間にならなければ開かれない。 テオは迷ったが、その墓地の柵が壊れていないか静かに歩いて探し、なんとか外へ抜け出すことが出来た。

 それにしても、ここはどこだ?

 普段は尻ポケットに携帯を入れているが、夜寝る準備をしていた時に来客があって、寝そびれた。携帯もリビングのテーブルの上に置いて来てしまった。現在地もわからない。兎に角大きな通りに出よう。
 テオは夜の闇を歩き出した。月が天空に浮かんでいる。高さから考えると、現在は午前3時か4時だろうか。夜明けが近い。
 みんなどうしているのだろう。ケツァル少佐と大統領警護隊文化保護担当部の仲間は、本部で足止めを食っていると思って良いだろう。神官達のゴタゴタは片付いたのだろうか。
 住宅地を抜けて、車が通る広い道に出た。そこまで来ると建物の様子から、グラダ・シティの南部だと見当がついた。ここから西サン・ペドロ通りまで歩くのはしんどいなぁ、と思うと急に疲れを感じた。
 後ろから1台の乗用車が走って来て、彼を追い越して行った。ぼんやり眺めながら歩いて行くと、その車が路肩で停車していた。かなり高級なセダンだ。金持ちの車だな、と思っていると、運転席のドアが開いて男が降りて、こちらを向いて立った。

「ドクトル・アルスト?」

声をかけられて、テオはびっくりした。暗いので相手の顔を判別出来ない。歩き続けながら答えた。

「スィ。貴方は・・・」
「アブラーン・シメネス・デ・ムリリョです。」

 あ、っと思った。ムリリョ博士の長子で大企業ロカ・エテルナ社の社長だ。 テオが「こんばんは」と言うと、相手は不思議そうに訊いてきた。

「こんな時刻にこんな場所で、どうして一人で歩いておられるのです?」
「ちょっと訳がありまして・・・」

 アブラーンに事情を説明出来ない。彼は「一般の”ヴェルデ・シエロ”」で、神殿の内乱には無関係だ。きっとアブラーンの父親ムリリョ博士だって息子に今回の騒動を教えていない筈だ。無関係の人間を巻き込んではならない。
 テオは相手に詮索されぬうちに言った。

「訳ありで、事情を語れませんが、困っています。西サン・ペドロ通りの入り口まで送っていただけませんか?」

 アブラーンはどうやら一人だった様で、誰に相談するともなく、頷いた。

「構いません、通り道ですから。」

 彼は助手席のドアを手で指した。テオは「グラシャス」と言うと、素早く車に乗り込んだ。革張りのゆったりした座席に腰を下ろすと、睡魔が襲って来た。

「申し訳ありませんが、眠らせてください。着いたら起こしてください。」

 厚かましい要請に、アブラーンは苦笑した様子だったが、何も言わずに車を発進させた。

2025/04/18

第11部  神殿        13

 目の前にいる最長老は、ケサダ教授を知っているのだろうか。 テオは出来るだけ彼を特定されない程度に情報を出してみた。

「俺の友人は既婚者で子供もいるのです。」

すると意外なことに、最長老はこう答えた。

「では、彼の妻に相談しましょう。勿論、その時が来た場合です。」

 そして彼女は小部屋の出入り口を手で差した。

「さぁ、貴方をここから外に出しましょう。これから少し急ぎます。長老会の招集がある様子ですから。しっかりついてきてください。」

 そしてテオの返答も待たずに部屋から出た。テオも急いで立ち上がり、彼女の後ろをついて行った。
 最長老は高齢者だと思えたが、歩く速さはテオと殆ど変わらなかった。 テオの方が遅れまいとついて行くのが大変だった。ジャガーの足で歩いているな、と彼は思った。
 長い通路、たくさんの曲がり角、階段を登ったり降りたり・・・照明がなくなった時は流石に彼は動けなくなり、最長老が彼の腕を取った。

「神殿内は儀式的意味もあって、我々には必要がない照明を設置していますが、ここにはありません。段差があれば教えますが、平坦な道は障害物がない限り、私は何も言わずに貴方を誘導します。」
「宜しくお願いします。」

 空気に流れがあった。地下道だろうと思えたが、どこかに通風口があるのだろう。やがて、「階段を登ります」と言われて、テオは足探りで段差を見つけ、慎重に登って行った。10段ばかり登って、最長老が不意に彼を前へ押し出した。
 急に明るくなった。実際はまだ夜中だったが、月明かりで照らされた風景が見えた。

 墓地だ・・・

 石造りの四角い小さな小屋の様な墓所の一つから彼は外に出たのだ。それを悟ってから後ろを振り返ると、そこにはもう誰もおらず、闇の中は何も見えなかった。

 今通って来た通路は、もしかすると”アタ”だけが知っている秘密の通路なのかも知れない。

 テオは墓地の中を見回し、出口の方角に見当をつけると歩き出した。今出て来た墓が誰の墓なのか、プレートを見ようと振り返ると鉄の扉が音も無く閉じられるのが見えた。最長老は心のリモートで閉じたのだろう。月明かりで見える墓碑銘は”クレスセンシア・エステベス”だった。

 エステベス・・・? エステベス大佐?


2025/04/17

第11部  神殿        12

 テオは用心深く尋ねた。

「白人の俺が、貴方方の秘密を知り過ぎると、生きてここから出られないような気がするのですが、俺は今どんな立場にいるのでしょう?」

 最長老が近くの棚に心なしかもたれかかった様に見えた。

「貴方の立場は、ピラミッドの中に現れた時から危険な位置にあります。神殿近衛兵に見つかれば、有無を言わさず連行され、ワニの池に投棄されるでしょう。」

 恐ろしいことをサラリと言ってのけた。テオは言った。

「それは愉快じゃないですね。」
「私もそう思います。」

 最長老は面白がっている様な声音だ。テオを痛ぶっているのかも知れない。

「でも」

と彼女は言った。

「貴方が我々を危うくするような人でないことを、私は承知しているつもりです。」
「グラシャス。」
「現在神殿内部では、貴方がご存知の内乱でゴタゴタが起きています。 ”名を秘めた女性”は現在の神官達を以前からあまり信用していません。現在の状態を予感していたのでしょう。ですから女性の近衛兵のみに話かけられ、男達の不審をさらに買う羽目になってしまいました。」
「悪循環ですね。」
「スィ。神官の半数を入れ替えなければならないでしょう。」
「でも、神官は子供の時から修行を始めなければならないのですよね?」
「そう言われていますが、近衛兵も十分その修行をしているのですよ。神託なんて、”名を秘めた女性”にしか降りてこないのですから、大神官も大神官代理も必要ないのです。」

 大胆なことを言って、最長老は仮面の奥で笑った。

「最長老達を招集して、これから神官の弾劾裁判を始めます。」
「俺の友人達は?」
「彼等は証人として暫く神殿内に留め置かれますが、言うべきことを言って仕舞えば、帰されます。」

 テオには、神官達がこの後どうなるか知らされないだろう。そして友人達も一族の最高幹部達の決定を全て知る訳でもないのだ。テオはこれ以上求めても、目の前の最長老が何も教えてくれないことを知っていた。

「後一つだけ・・・俺の友人の白いジャガーは、どうなりますか?」

 最長老が少し間を置いてから答えた。

「”名を秘めた女性”が”アタ”を必要と感じた時に召喚します。」
「彼の意志に反しても?」
「申し訳ありませんが・・・誘拐するかも知れません。誘拐出来れば、ですが。彼は純血のグラダでしょう?」

 ケサダ教授が抵抗すれば、神殿など破壊されるかも知れない。テオは譲歩策を考えた。

「俺から彼に白いジャガーの役目を伝えては駄目でしょうか? 神殿から要請が来た時に、彼が素直に応じてくれるように・・・」
「出来れば、そうしていただきたいです。」

 最長老が溜め息をついた。

「でも、女の子供が出来る迄、帰れないのですよ?」

 教授は子沢山だから・・・とテオは思った。後は女性側の体調だろうな、と。 

2025/04/16

第11部  神殿        11

  テオは恩人でもあるこの最長老に嘘をつきたくなかった。しかし友人を裏切ることも出来ない。

「もし、純血種のグラダの男性がいるとしたら、どうなさいますか?」

 質問で相手の質問に返した。最長老がどんな表情をしたのか、仮面が邪魔でわからなかった。彼女は少し間を置いてから答えた。

「現在神殿内を騒がせている人達と同じ考えを持つ連中が、その人の存在を知れば、ややこしいことになるでしょう。」
「だから、俺は沈黙を保っています。」

 最長老は仮面を被った顔をテオから横の棚で占められた壁に向けた。何か考え込んでいる。テオは小部屋の外が気になった。
 ケツァル少佐は女性の神殿近衛兵達が”空間通路”で神官達と共に神殿に戻ったと言っていた。少佐も大統領警護隊の仲間もこちらへ向かっている筈だ。しかし、この神殿の静けさはなんだろう。ここは広大で一部の騒ぎは全く聞こえない程なのだろうか。
 最長老がテオに向き直った。

「その人が純血種のグラダだとして、どうして成年式で立ち会った長老達は沈黙したのでしょう?」

と訊いてきた。テオは肩をすくめて見せただけだった。そんな成年式のことなんて知るものか、と態度で見せた。

「黒いジャガーなら、直ぐに神殿にグラダの出現が報告されたでしょうね。」

と最長老が言った。少し声の調子が以前と変わっていた。テオはその微かな変調に気がついた。この人は面白がっている? テオの”友人”の正体を推理して楽しんでいるのだ。

「毛色はグラダの男なら黒です。金色に斑はあり得ません。長老達が沈黙してしまったのは、その人の毛色がとても珍しい色だったからでしょう・・・」

 最長老が仮面の向こうで大きな溜め息をついた。

「困りましたね、エル・ジャガー・ブランコですか・・・」

 だがその声音に困ったと言う響きはなかった。テオは思い切って尋ねた。

「白いジャガーは生贄になるのですか?」

 最長老が彼を見つめた。

「そんなことも、貴方はご存知なのですね?」
「あ・・・考古学者や文化保護担当部と付き合っていると、そう言う伝統的な話も耳に入りますから・・・」
「生贄の内容も聞きましたか?」
「生贄の内容?」

 きっと儀式の話だ。テオはずっと以前に聞いた話を思い出そうとした。

「えっと・・・聖なる白いジャガーの能力を取り入れるために大神官が生贄を殺して、その心臓を食う・・・?」
「それは、他所の民族の儀式の話が混ざった間違った言い伝えです。」
「え?!」

 最長老はテオにグッと顔を近づけてきた。テオは松明の灯りの中で暗い空洞に見えた仮面の目の穴の奥に、光る瞳を見つけた。

「正い知識を考古学者に教えなさい。」

と最長老が囁いた。

「白いジャガーは、必ず男性です。そして、彼は”名を秘めた女”と交わって、彼女の子供を作るのです。」

 テオはあんぐりと口を開けた。今、最長老はなんて言った? 

「白いジャガーとママコナは・・・子供を作るのですか?」
「スィ。」

 最長老は姿勢をもとに戻した。

「”名を秘めた女”は、次の世代に知識を伝えなければなりません。でも世継ぎは彼女が死んだ後に生まれます。だから、彼女は自身の子供を産み、その子に引き継ぐべき知識を与えておくのです。 その子は必ず娘で、"アタ”、繋ぎ と言います。 ”アタ”は母親である”名を秘めた女”から全てを受け継ぎ、母親の死後に迎えられる次の”名を秘めた女”に受け継いだ全てを伝え、教育に当たります。養育係であり、教師であり、導師です。」
「では、父親の白いジャガーは、子供が出来たら・・・」
「お役御免ですから、神殿から出されます。」
「殺されるのでは?」
「神殿を汚すことになりますから、そんなことはしません。彼は2度と聖なる妻にも娘にも会えませんが、その命を奪われることはないのです。」

 最長老は仮面の下で笑った。

「”名を秘めた女性”は、そろそろ”アタ”を産まなければなりません。貴方のお友達をここへ迎えなければ・・・」
「ちょっと待ってください。」

 テオは考えた。

「すると、今の”名を秘めた女性”を養育した”アタ”の父親も白いジャガーだったのですか?」

 最長老が「フッ」と声を出した。

「白くはありましたが、斑がありました。純白ではなかったのです。グラダではありませんでしたから。遠い祖先にグラダがいるブーカの男だったそうです。」

 テオは、突然相手が何者か理解した。

 この人は、先代のママコナの娘だ!



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...