2024/06/30

第11部  石の名は     25

 「それで、その”サンキフエラの心臓”は、今アスマ神官がお持ちなんですか?」

とマハルダ・デネロス少尉が尋ねた。翌日の夜だった。久しぶりにジャングル奥地の発掘現場監視を終えて彼女が戻って来たのだ。テオは喜んで、一緒に食事に行こうと提案した。しかしロホはグラシエラ・ステファンとデートの約束をしていたし、アスルとギャラガ少尉はサッカーの練習だ。それで結局ケツァル少佐と彼とデネロスの3人だけで、少佐のアパートでカーラの手料理を食べた。
 デネロスの遺跡監視の報告が終わってから、テオは不思議な石の話をした。彼の話に足りないところは少佐が補ったのだ。デネロスは人間の血を吸って病気を治す石の存在に興味深々だった。もしそんな石が遺跡で出てきたら、どうしよう、と心配もした。

「”サンキフエラの心臓”の様な石は複数作られたと思えません。」

と少佐が言い切った。

「恐らく、あれが唯一無二の石なのでしょう。」
「それなら安心ですけど・・・」

 デネロスは肉の塊を口に入れて、モグモグと食べてから、次の疑問を出した。

「どうして今頃”名を秘めた女の人”はその石を気に掛けられたのでしょう?」
「トーレス技師が拾ったからだろ?」

とテオが言うと、彼女は首を傾げた。

「それじゃ、石が拾われたことをピラミッドの中で知ったってことですよね?」
「石が拾われたから知ったのではなく、石が活動を始めたからわかったのでしょう。」

と少佐。「ふーん・・・」とデネロスは完全に納得が行った風には思えない相槌を打った。

「数千年も眠っていた石の目覚めを、察知されたんですね。ママコナは凄いですね。」

 何だか引っかかるような言い方に、テオは気になった。

「何が言いたいんだ、マハルダ。」
「別に・・・」

 デネロスは水を一口飲んだ。

「ただ何世代も忘れられていた石が急に復活して、”名を秘めた女の人”はさぞかし驚いただろうな、って思って・・・」

 テオは少佐を見た。そして少佐が何やら考え込む目をして空中を見ていることに気がついた。

「どうした?」

と声をかけると、彼女はテオを振り返り、それからデネロスを見た。

「貴女が疑問に感じるのも無理ありません。 ”名を秘めた女の人”は何故石の回収をあの場所にいた人達に命じたのでしょう? 彼女の声を正確に聞き取れる人はあの場に一人もいなかったのに・・・」

その時、デネロスの携帯電話が鳴った。彼女は「失礼」と同席者達に断ってから、電話を取り出して見た。そしてニッコリ微笑むと電話に出た。

「オーラ、アリアナ!」

 先方の言葉を聞いて、彼女は「わかった、神様がお守りくださいますように!」と言って通話を終えた。そしてテオと少佐に顔を向けた。

「アリアナがこれから病院へ行きます。赤ちゃんが生まれます!」



2024/06/28

第11部  石の名は     24

 「サンキフエラの心臓、ですか?」

 ケツァル少佐はその呼び名に驚いた。サンキフエラは蛭で、心臓はない。少なくとも、人間や獣や鳥のような脊椎動物が持つ心臓を持たない。アスマ神官が頷いた。

「奇異に感じるだろうが、そう呼ばれているのだそうだ。これは人の血を吸うだろう?」
「スィ。私の血も吸おうとしました。」

 貴方は平気なのかと訊こうとした彼女に、神官は微笑んで見せた。

「”ツィンル”の血を吸ったりしないから、安心したまえ。」
「”ツィンル”の血は吸わないのですか?」
「契約で吸わないことになっている。」

 神官は石を照明の光にかざして眺め、それから机のハンカチの上に戻した。

「これは大昔、カイナ族が”ティエラ”の求めに応じて作った物で、病を癒す目的を持つ物だ。」
「すると、やはり瀉血ですか?」
「スィ。」

 神官は眼鏡を外して石の横に置いた。

「身体の悪い箇所にこれを当てると、石が悪い気を吸い取ってくれる。但しその際に血も吸うのだ。だから使う際は慎重にしなければならない。昔はカイナ族の祈祷師が所有していて、守護していた地域の住民が誰かが病に罹ると病人を祈祷師の下に連れて行き、石の祈祷で治療してもらっていたのだ。石は血を溜めていき、飽和すると雨を降らせて軽くなる。現代風に言えば、オーバーフローしそうになるとイニシャライズする訳だ。」

 石が血を吸うことも、それで人間の病気が治ることも、石が雨を降らせて溜めた血を無しにしてしまうのも、常識的に考えれば信じられないことだ。しかし”ヴェルデ・シエロ”は彼ら自身の存在そのものが常識とは外れているので、ケツァル少佐はアスマ神官の説明を素直に受け入れた。

「すると・・・この石を砂漠で見つけた男性が死にそうになる迄血を吸われたのは・・・」
「その男は自身で気付かぬ大病を患っていたのだ。恐らく癌でも抱えていたのだろう。石は単純に彼の病を吸い取ったが、同時に働きに見合う量の血液も奪った。本来は祈祷を数回に分けて行うべき病だった筈だ。」
「私の友人の”ティエラ”もこの石を手に載せて、少し血を吸われました。彼は石を手に載せている間は気持ちが良かったと言っていました。 彼も病気だったのですか?」
「どんな病気だったのか不明であるが、恐らく石の治療を必要としない程度の軽いものだったのだ。疲労が溜まっていた、そんな類だろう。」

 アスマ神官の言葉に、ケツァル少佐は安堵した。

「そんな凄い力を持つこの石が、どうして砂漠に落ちていたのでしょう?」
「大昔に失われた物だったのだ。カイナ族が”ヴェルデ・シエロ”であることを知られないように身を隠す必要が生じた時代に、”ティエラ”達が祈祷師の魔術を手に入れようと反乱を起こした。カイナ族は平和的な部族だ。彼等は争いを避け、逃げる時に宝物を隠したり、捨て去った。石はその時に砂漠に落とされたのだろう。我等がカイナの兄弟は、この時代になってサンキフエラの心臓が現れたと聞いて驚いていた。」
「”名を秘めた女性”はこれの出現をご存知だったのですね?」
「彼女はカイナの女だからな、感じることがあったのだろう。」

 アスマ神官は石を見た。

「ピラミッドに納めよう。今の時代に必要があるとは思えない。」


2024/06/27

第11部  石の名は     23

  古代大神官を務めていたグラダ族が絶滅して以降、セルバの”ヴェルデ・シエロ”達は大神官を持たなかった。残った6部族の中から選出された神官達が合議で祭祀を執り行ってきたのだ。
 アスマ神官はサスコシ族の出で、現在のところ神官達の議長的存在だ。ピラミッドの地下にある神殿で若い頃から働いていて、あまり世間のことはご存じでない・・・と言うのが、在野の”ヴェルデ・シエロ”達の認識だ。これは別に軽蔑しているのではなく、俗な問題から遠い人だと言うことだ。前任者の急死でそこそこ歳を取ってから神官になった人よりピュアな心の人とも言えた。
 地下神殿は長い階段を降りて行った先にあった。古代手掘りで造られた岩の神殿だ。迷路の様になっており、一般の”ヴェルデ・シエロ”は祈りの部屋しか入ることを許されない。
 ケツァル少佐が祈りの部屋の大扉の前に行くと、見番の兵士が既に連絡を受けていたのか、「こちらへ」と彼女を別室へ導いた。
 少佐はママコナに仕える侍女達の働く中を通り、曲がりくねった通路を通り、やがて薄暗い照明が灯った小部屋へ案内された。
 アスマ神官に面会するのは初めてだった。一般人は会えない人だ。仮面でも被っているのかと思ったが、普通に素顔を晒していたし、驚いたことに眼鏡をかけていた。
 案内の兵士が彼女を置いて部屋から出て行った。分厚いドアが閉じられた。
 神官は執務机の向こうで立ち上がった。挨拶を交わしてから、彼の方から声をかけて来た。

「仰々しいやり方の様に思えるだろうが、これが私とみんなが会う普通の方法なのでね、面倒臭いだろうが堪えて欲しい。」

 アスマ神官は40歳前後と思われた。眼鏡を取れば、顔色が悪いケサダ教授と言っても良い程度に、フィデル・ケサダに似ていた。勿論、彼等は親戚ではない。
 
「問題の石を見せて頂けるか?」

 少佐はハンカチに包んだまま石を机の上におき、布を開いた。石は透明でキラキラと薄暗い照明の光を反射して光った。

「これは何かとの問合せであったか?」
「スィ。人間の血を吸い、赤くなりました。今は透明に戻っています。」

 するとアスマ神官は尋ねた。

「この石が赤い時に雨は降らなかったか?」

 ケツァル少佐は驚いた。

「降りました。局所的なスコールでしたが・・・」
「この石の仕業だろう。」

 神官は石を己の掌の上に載せた。少佐は「気をつけて」と言いたかったが、彼は承知の上で行っているのだと思い、口を閉じたままだった。神官は石をじっくり眺めた。

「これはカイナの兄弟から聞いたことがある、サンキフエラの心臓だ。」


2024/06/26

第11部  石の名は     22

  テオが電話をかけた時、ケツァル少佐は大統領警護隊本部の司令部にいた。トーコ中佐に面会を申し込んで了承されたのだが、実際は待たされた。客ではなく隊員なので、待合室には通されず、廊下の椅子に座ったままだった。膝の上にハンカチに包まれた石が載っていた。石は布越しで悪さはしないようだ。しかし彼女は素手でそれを掴んだ時の感触を覚えていた。掌がくすぐったいような気がして、皮膚の下を吸引されるような感じがしたのだ。あの時、身の危険を感じて咄嗟に石を投げ出してしまったが、もしあのまま握っていたら、何が起きたのだろうか。
 電話はマナーモードにしてあったが、着信は分かった。見るとテオからだったので、周囲を見回し、誰もいないことを確認して彼女は電話に出た。

「オーラ、静かに願います。」

 小声で話せ、と要求した。テオは状況を想像してくれた。

ーーマレシュ・ケツァルが情報を持っていた。石は瀉血療法を行う道具みたいだ。

 彼の早口の伝言に、彼女は耳を疑った。

「瀉血療法ですか?」
ーースィ。悪い血を石に吸わせて病気を治す、と。彼女はサンキフエラと石を表現した。

 少佐は副司令官室のドアの向こうの気配を感じた。誰かが出てくる。彼女はテオに言った。

「グラシャス、参考になります。」

 そして電話を切った。
 ドアが開いた。中佐の秘書の隊員が彼女の名を呼んだ。少佐は返答して立ち上がった。秘書は彼女を室内に入れず、代わりに命じた。

「地下神殿へ行って下さい。アスマ神官が面会されます。」

 少佐は一瞬息を止めた。神官直々に面会するとは、滅多にないことだ。神官はママコナの代理人だ。その言葉は国政にも影響を及ぼす。
 少佐は敬礼で応え、体の向きを変えた。ちょっとドキドキした。


2024/06/24

第11部  石の名は     21

 「良い石ですか?」

 テオは驚いて、ケサダ教授を振り返った。教授も肩をすくめて見せた。テオは再び質問した。

「人の血を吸う石が、どうして良い石なのですか?」

 するとマレシュ・ケツァルはブツブツと彼女の言語で呟いた。息子が通訳した。

「母は言いました、『膝が痛いので、サンキフエラに悪い血を吸わせたい』と。」

 マレシュは皺だらけの手で、車椅子の上の己の膝をポンポンと叩いて見せた。テオはそれを見て、考えた。

「それは、もしかして、瀉血療法なのかな?」

 瀉血は、澱んだ悪い血液が病気の原因と考えられた時代の治療法だ。患者の体に傷をつけて血液を体外に出す。昔は西洋でも本気で治ると信じられ、19世紀ごろ迄行われていた。しかし、これは科学的根拠がなく、現代医学では否定されている。ジョージ・ワシントンは過度の瀉血で死期を早めたとさえ言われているのだ。

「瀉血療法で血を抜くと言う考え方があったことは、わかりました。しかし、何故石にそんな力があるのでしょう?」

 教授が再び通訳したが、もうマレシュ・ケツァルは喋る気力を失ったのか、ぼんやりとした目になっていた。教授が苦笑して、テオに言い訳した。

「母は、答えるのが面倒になると、いつも内に心を引っ込めてしまうのです。」
「了承しました。」

とテオも苦笑した。きっとマレシュ・ケツァルは実際にサンキフエラと呼ばれる石を見たことがないのだ。そして効能だけを噂で知っていた。だから、石が血を吸う仕組みも理由もわからない。わからないことは答えない。
 テオは教授に感謝の身振りをして見せた。

「グラシャス、教授、少しわかった気がします。 ”名を秘めた女性”もあの石を邪悪な物として認識していないのでしょう。だが使い方を間違えると害になる。だから、貴方のお嬢さんやムリリョ博士に回収するよう声を掛けたのだと思います。」

 教授は頷いた。

「貴方は石を掴んだ時、少し気持ちが良くなった、と感じられた。多分、石は貴方の疲れを取る程度に働いたのでしょう。カサンドラの会社の技師は、もう少し体調の良くない箇所があった。だから石は大いに働き、気持ち良さに技師は石を手放せなくなった。そして石は無制限に彼の血を吸い続けた・・・」
「そうに違いありません。俺はこれからケツァル少佐に連絡を取ってみます。」

 テオは車椅子の女性にも声をかけた。

「グラシャス、マルシオ・ケサダさん。」

 彼女が微笑んだ。

2024/06/23

第11部  石の名は     20

 ケサダ教授は母親の目を見た。 ”心話”だ。 彼は直接件の石を見た訳ではない。同じ”ヴェルデ・シエロ”のケツァル少佐やロホから目撃した情報を”心話”で伝えられたのでもない。彼が知っているのは、”ティエラ”のテオが体験を口で語ったことだけだ。テオがロホから聞いた情報を又聞きしただけだ。耳から得た情報を母親に伝えたのだ。
 マルシオ・ケサダ或いはマレシュ・ケツァルの名を持つ高齢の”ヴェルデ・シエロ”の女性はニコニコしながらテオを見た。そしてテオが理解し得ない言語で何やら言った。ケサダ教授が通訳した。

「母は言いました。『その石を欲しいわ』と。」

 テオは彼を見て、そして車椅子の上の女性に向き直った。

「あの石は何なのでしょうか?」

 ケサダ教授が古いイェンテ・グラダの方言で質問をした。マレシュ・ケツァルは答えた。

「サンキフエラ。」

 数秒間沈黙があった。テオはそれがスペイン語だと気が付くのに数秒要したのだ。ケサダ教授が確認するかの様に復唱して母親の顔を見た。

「サンキフエラ?」
「スィ。」

 頷く母親の目を覗き込んだ教授はちょっと顔を顰めて視線を逸らせた。どうやら単語そのものの嫌なイメージを母親に見せられたようだ。そしてテオに言った。

「お聞きになった通りの意味らしいです。」
「え・・・? すると、あの石は蛭(サンキフエラ)?」

 教授が頷いた。

「蛭の石だそうです。」
「それじゃ、やはりあの石は人の血を吸うのですか?」
「その様です。」
「じゃ、何かの呪いのために・・・?」
「ノ!」

とマレシュが首を振った。

「あれは、良い石です。」


2024/06/22

第11部  石の名は     19

  ケサダ教授とテオはそれぞれの車に乗り込んだ。教授はその日の残りのスケジュールが残っているのか、残っていないのか不明だったが、もう大学に戻る気はないらしかった。グラダ大学は国立大学で、教授もテオも一職員に過ぎないのだが、考古学者達は結構我が物顔に振る舞っている感があり、それはどうやら彼等が”ヴェルデ・シエロ”であり、またその弟子達だからだろう。テオは素直に車を運転してケサダ教授の後ろを付いて行った。
 いつかロホに連れて行ってもらった階段住宅が集まっている斜面地域に入った。グラダ・シティの市街地ではあるが、街路樹や樹木を植えた庭が多くて公園の中に家が建っている様に見える。そこにマスケゴ族が好んで住み着き、彼等の階段式住宅を真似た”ティエラ”の富裕層の家も多く見られる。一番立派な階段式住宅が、セルバ共和国最大手の建設会社ロカ・エテルナ社のオーナー社長アブラーン・シメネス・デ・ムリリョとその家族の自宅で、父親のファルゴ・デ・ムリリョ博士も同居している。アブラーンの末の妹コディアとその夫のフィデル・ケサダ教授は子供達と共にその邸宅の近所に小降りながらも綺麗な階段式住宅を建てて住んでいた。教授が門の前の駐車スペースに車を停めた。コディアの車の横の来客用と思われるスペースにテオも車を停めた。
 車を降りると、教授はテオに手招きして、垣根の隙間の通用口と思しき小さな門から敷地内に入った。正面玄関から入らないのは、正式な来客ではないから、と言う訳ではなく、子供達に見つかるとテオが懐かれて迷惑するだろうと言う、微笑ましい理由だった。テオは教授の娘達に人気があった。

「子供達は上階の部屋にいます。」

と教授が囁いた。

「見つかると煩いので、手早く用件を済ませましょう。」

 芝生の庭の向こう端、涼しい木陰に車椅子を置いて、高齢の女性が午後の風を楽しんでいた。眠っている様に見えたが、2人の男が近づくと、彼女は顔を上げて、黒い目で彼等を見た。息子を認めると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「お帰り、フィデル。」

 そしてテオを見た。

「テオドール・アルスト、お茶でもいかが?」

 教授が年老いた母親に優しく声を掛けた。

「お茶は後で頂きます、お母さん。その前に教えて頂きたいことがあります。」


第11部  神殿        9

  暫くテオはママコナが去った方向を見つめて立っていた。伝説の大巫女様と言葉を交わしたことが、まだ信じられなかった。彼女はスペイン語を話したのだ! しかもインターネットで世間のことを知っていると言った! 彼女がテレパシーで”ヴェルデ・シエロ”に話しかける言葉は、人語ではなくジャガ...