2024/12/27

第11部  太古の血族       28

  静かに姿を現した人物は若い女性だった。ジャングルに溶け込むような色の軍服の様な物を着用し、手には銃器ではなく、驚いたことに短槍を持っていた。腰のベルトには拳銃、とデネロスは見て採った。
 ケツァル少佐が尋ねた。

「先刻の声は貴女ですか?」
「スィ」

と女性がニコリともせずに答えた。

「地声で話しかけると侮られますからね。」

 そう言う声は、容姿よりもまだ若く聞こえた。その目は、しかし、デネロスより年上に見えた。少佐が名乗った。

「大統領警護隊文化保護担当部ミゲール少佐です。隊の中ではケツァルで通っています。」

 彼女は振り返らずに手だけでデネロスを差した。

「部下のデネロス少尉です。」

 女性が名乗った。

「エダ神殿の警護を担当していますキロス中尉です。所属は大統領警護隊神殿近衛隊です。」

 デネロスは心の中で「あっ」と思った。神殿近衛隊は大統領警護隊司令部の直属部隊で滅多に他の部署の中で話題に昇らない。若い新参者の警備班隊員などは存在すら知らないのだ。遊撃班も実際の近衛隊の顔を知らないと言われるほどだ。神殿近衛隊に命令を出せるのは総司令官エステベス大佐だけと言う噂だった。デネロスはロホやアスルからチラッとその存在の話をずっと以前に聞かされただけで、今まで忘れていた。

 キロス中尉って、ファビオ・キロスの親戚かしら?

 ふと最近交際を始めた遊撃班の彼氏の顔が思い浮かんだ。そして、「いやいや、私的感情は傍に置いておけ」と己の心に言い聞かせた。
 ケツァル少佐は敬礼しなかった。向こうの方が軍人としては格下だ。しかしキロス中尉が敬礼しないので、彼女もしないのだった。
 中尉が尋ねた。

「こちらに何か御用でしょうか?」

2024/12/22

第11部  太古の血族       27

  エダの神殿は、グラダ・シティから北西へ行った場所にあり、アスクラカンとグラダ・シティ、エダを線で結ぶとほぼ正三角形を形作った。北部の乾燥地帯に近いので、森の樹木は低く細い。住民は海に近い地帯に住んでいるので、少し内陸になるエダは耕地にもならず昔から手付かずの自然が残されていた。セルバ人にとっては「禁足地」の一つで、狩猟で入ることも許されない場所だ。その痩せた森の中に背の低いピラミッド状の石組が隠れるように建っていた。周囲には平屋の石の家屋が互いに少し距離を空けて取り囲んでいた。
 マハルダ・デネロス少尉は初めてエダに足を踏み入れた。森の中に入ると空気が張り詰めた感触で、肌にチクチクするような気分を味わった。

「なんだか不快なんですけどぉ・・・」

と彼女は少し先を行く上官に感想を述べた。

「ミックスの私はここへ入っちゃいけないんでしょうか?」

 ケツァル少佐が振り返った。

「そんなことはありません。私も少し気分が沈んでいます。ここの空気が神官達の気分を反映しているのでしょう。」
「では、神官達が何か問題を抱えていると言うことですか?」
「そのようですね。」

 森の地面には、よく見ないとわからない石畳の道が付けられており、2人はそこを歩いていた。苔で軍靴の底が滑りそうだ。
 突然、少佐が足を止め、片腕を横に伸ばして手のひらをデネロスに向けた。止まれと言う合図だ。デネロスは無言で従った。手にはアサルトライフルを持っている。聖域に武器を持ち込むのは喜ばれないことだが、少佐が持っているようにと言ったのだ。その少佐もライフルを装備していた。もし神官か誰かが苦情を言えば、屋外行動の基本装備だと主張する。
 デネロスは前方から微かな足音が近づいて来るのを聞き取った。 ”ヴェルデ・シエロ”でも軍人でなければ歩くときに物音を立てる。 ”ティエラ”の耳に聞き取れなくても、大統領警護隊なら聞き取れた。そんな程度の音だった。
 ケツァル少佐がライフルを前方に向けて、声を出した。

「止まれ! こちらは武装している。大統領警護隊だ。」

 音が止まった。ちょっと驚いたらしい呼吸が聞き取れ、やがて男性の声が聞こえた。

「こちらはエダの神殿の守り人だ。何故に大統領警護隊がここにいるのか?」

 少佐が答えた。

「貴方のお顔を見てからお答えしよう。」


2024/12/18

第11部  太古の血族       26

  テオ、ロホ、アスル、ギャラガはテオの車で、テオとケツァル少佐のアパートに向かった。道中、誰も口を聞かなかった。かと言って、車内で緊張していた訳でもない。運転しているテオを除いて、3人の大統領警護隊隊員は寝ていた。
 夕刻前だったが、テオは友人たちを伴って帰宅した。少佐とデネロスはエダの神殿に出かけて今夜は帰らないから、テオは車を出す前に家政婦のカーラに電話をかけて、4人分の夕食を頼んでおいた。夕食が出来上がるまで、彼等はテオのスペースの居間に入って、水だけでこれまでの経過を報告し合った。
 アスルとギャラガは”ヴェルデ・シエロ”の医療に携わる人々を訪ねて、「貴人」の診察を頼まれたことはなかったかと訊いて歩いた。そうした人々は普段は別の仕事を持っていて、医師の真似事が出来るなんて周囲の人間に悟られないよう生活しているのだ。しかし大統領警護隊の訪問を受けて、正直に答えてくれた。誰も大神官代理を診察したことはなかった。しかし、最後にギャラガが、大統領警護隊警備班に勤務する仲間の実家を思い出した。アフリカ系の血が流れる”ヴェルデ・シエロ”の医師ピア・バスコは西洋の医学を修め、町医者として地域医療に献身している女性だ。アスルは大神官代理が白人の医療を受けるだろうかと疑問を抱いたが、他に訪ねる目的地も無くなったので、ギャラガに逆らわず、バスコの診療所を訪問した。そして、バスコ医師はロアン・マレンカを診察したことを打ち明けた。それはアスルとギャラガが大統領警護隊だから、と言うより、息子達の災難に関わって、一家を助け支えてくれた人々だったからだ。

「あの尊いお方は、末期の膵臓癌に侵されています。」

 彼女は大神官代理の病状を説明し、グラダ大学付属病院を紹介したことを明かした。だから、アスルとギャラガは病院に行って、テオとロホに出会ったのだ。
 テオもロホの実家へ行って、マレンカ家の長兄サカリアスから情報をもらったことを語った。アスル達が足を使って得た情報を、こちらは座って話を聞くだけで得たのだから、申し訳ない感じがしたが、アスルは何も言わなかったし、ギャラガは「よく教えてくれましたね」と感心した。兄弟だから教えてくれた、なんて考えないのだ。彼等はロホの実家が一族の最高機密を扱う家族だと知っている。それも家長と後継者しか伝えられない機密だ。四男なんて、そんな機密事項に触れることすら許されない、とアスルもギャラガも承知していた。

「兄はあまり神殿の権威を信頼していないようだ。」

とロホが苦笑した。

「ところで・・・」

とテオが彼に振った。

「君は大神官代理から、何か聞いたんじゃないのか?」


2024/12/13

第11部  太古の血族       25

  テオはロアン・マレンカの担当医の名前を聞いてから、礼を言って、ロホと共に歩いて行った。エレベーターに乗っても良かったのだが、大統領警護隊の隊員達はエレベーターを嫌う。扉が開いた時に外で敵が待ち構えていたら、狭い空間で戦わなければならないからだ。
 階段を上って行くと、3階の通路に知った顔を見つけた。テオより先にロホが声をかけた。

「クワコ中尉とギャラガ少尉、ここで何をしている?」

 何をしているのか、当然わかっていたが、敢えて尋ねた。アスルとギャラガは民間療法士の伝を手繰って大神官代理の行方を探していたのだ。恐らく、ここを聞き出して到着したのだ。
 声をかけられて、2人がビクッと振り返り、上官と親友を認めて緊張を解いた。彼等は敬礼して、それから小声で言った。

「あの人がここにいるって聞いたもので・・・」

とアスル。彼等も到着したばかりなのだ。多分、受付を”幻視”で誤魔化して、通るところを見えないようにしてやって来たのだろう。テオは大神官代理の居場所はそんなに極秘事項じゃないのだな、と思った。たった半日で2つのグループが突き止めてしまったのだ。
 ギャラガがさらに声を顰めて囁いた。

「かなり容態が悪い様です。」

 彼等は3号室の前にいた。ロホはドアを開けずに中の様子を手を扉の表面に当てて伺った。

「まだ死霊の気配はない。」

と彼は囁いた。
 通路に彼等以外の人間がいないことを確かめてから、ロホはドアをノックした。数秒待ってから、部下達とテオを振り返った。

「入室のお許しが出た。」

 恐らく気の動きでも感じたのだろう。彼は静かにドアを開くと、部下達とテオを先に入れ、己は最後に入った。
 テオは機械に繋がれた男性をベッドの上に求めた。先住民の男性で、病気で衰弱して老齢の様に見えるが実際はまだ40代の筈だ。痩せこけて、酸素マスクの下で静かに呼吸をしていた。ロホがベッドの病人の頭の横に近づき、右手を左胸に当てて自己紹介した。 ”ヴェルデ・シエロ”の言語だったが、テオは彼が部下達とテオも紹介したことがわかった。
 その後の説明は、”心話”だった。重病人に負担をかけずに複雑な会話が交わせるのだ。
 テオはロアン・マレンカが口元に苦笑とも思える小さな笑みを浮かべたのを見逃さなかった。きっとロアンの部下の神官達が彼の後継を巡ってドタバタしていることを知って、苦笑したのだろう。
 ベッドの上の男性は、死を前にして穏やかな表情をしていた。もう儀式もしきたりも掟も政治も関係ない時間を送っているのだ。
 不意にロアンがロホの手を掴んだ。骨だけのような細い手にいきなりギュッと力強く掴まれて、ロホが驚いた。大神官代理は彼の目をグッと見つめた。ロホは緊張した面持ちになり、言葉で何かを伝えた。ロアンが微笑み、彼を離した。
 ロホが恭しく頭を下げたので、アスルとギャラガも彼に習った。テオも訳がわからぬまま、真似をした。
 ロホが体の向きを変えた。

「さぁ、お暇しよう。」


2024/12/12

第11部  太古の血族       24

  テオとロホはグラダ大学医学部付属病院の駐車場に到着した。ロホが鼻をひくつかせた。

「病院の臭いって、本当に嫌です。」

と彼が呟いた。

「昔はそうでもなかったのですが、肩の手術を受けてから、どうしてもあの時のことを思い出してしまって・・・」

 彼が何を言っているのか、テオはすぐに悟った。ロホは反政府ゲリラに誘拐されたテオを救出に行って、ゲリラの親玉に肩をナイフで刺されたのだ。親玉は”出来損ない”の”ヴェルデ・シエロ”で、一族の扱い方を心得ていた。ロホがジャガーに変身して逃げないように、肩の関節辺りを深く刺して、体を変化させられないようにしたのだ。ロホはもう少しで左腕を失うところだった。テオ、ケツァル少佐、ステファン大尉が力を合わせて彼を救出し、少佐の応急処置でロホは助かった。今は、すっかり回復して「記念に」傷跡を残す程度だが、やはり当時の記憶は嫌なものなのだ。

「今日は君の診察じゃないから、気にするなよ。」

としかテオは言えなかった。忘れてしまえ、なんて言えない。ロホの負傷はテオを救出した時の代償だったのだから。
 2人は車から降りて、病院の正面玄関から入った。付属病院はセルバ共和国で最高の医療技術と最新の医療設備を備え、最高の腕を持つスタッフが働いているが、料金が安いのでいつもショッピングモールの様に賑わっていた。少なくとも、外来のスペースは、混雑していた。
 よく知った場所をテオはロホを先導して歩いて行き、入院病棟の受付へ辿り着いた。名前は覚えていないが、顔は見知っている女性スタッフに声をかけ、ロアン・マレンカと言う人物が入院していないかと尋ねた。個人情報だったが、テオが大学の職員で、医学部でも彼に色々頼ることが多かったので、あっさり要求は受け入れられた。スタッフはパソコンで検索した。

「セニョール・マレンカは緩和ケア病棟の3階3号室です。」

 緩和ケア病棟、と聞いて、ロホが眉を上げた。大神官代理はもう余命何もないのではないか?


2024/12/04

第11部  太古の血族       23

  テオはもっとブーカ族の旧家について知りたいと思ったが、親友の実家だし、相手を怒らせたくもなかったので、適当に切り上げて遑を告げた。ロホとテオが家から出る時、誰も見送りに来なかった。普段もそうなのだろう、ロホが全く気にせずに車まで歩いて行くので、テオはついて行った。

「病院へ行ってみるかい?」

と彼はロホに訊いてみた。グラダ大学医学部付属病院は、テオにとっては庭みたいな場所だ。研究のために頻繁に出入りしているし、向こうから仕事を依頼されることも多い。入院患者の身元を調べるのはそんなに難しくなかった。ロホは車のドアに手をかけて、ちょっと考えた。

「大神官代理に今回の事件に関する考えを聞くのですから、面会出来るのでしたら、面会したいですね。」
「せめてどんな容態なのかだけでも調べてみよう。」

 2人は車に乗り込み、マレンカ家の地所から出た。

「君のお兄さんはもっと口が固い人だと思ったが・・・」

 テオが感想を述べると、ロホが苦笑した。

「兄はあまり現在の神殿の形態を好いていないのです。何もかも一族の人々に対して秘密にしている、長老会の決定も時に無視する、政府を意のままに操れると錯覚している、と批判しています。太古からの神を敬っているように見えて、実際は俗物的で生臭い政治と経済の問題に突っ込みすぎる、と言ってます。多分、”名を秘めた女の人”もあまり尊重されていないのではないでしょうか。隔離された場所で一生を暮らすあの女性に、思いやりを持っているのかどうかも疑問ですね。 兄はそう言っていつも憤っています。」
「2番目のお兄さんは神殿で働いているんだろ?」
「ウイノカとは滅多に出会わないので、私はあの兄が何を考えているのか、わかりません。」

 でも、とロホは囁いた。

「サカリアスとウイノカは仲は良いんです。」


 

2024/12/02

第11部  太古の血族       22

  サカリアスは、先祖の秘密を神殿に知られても大丈夫だと言う意味のことを言った。しかし、テオは信じられなかった。いや、サカリアスが信じられないのではない。神殿と言う「組織」が信じられなかった。今回の毒の事件からも分かるように、彼等は他人を傷つけることを平気でするではないか。
 それに、テオが知っているグラダの子孫、ケサダ教授には彼個人の秘密がある。恐らく養父のムリリョ博士と妻のコディアしか知らない秘密だ。もしかすると、母親も知らないかも知れないのだ。それを神殿に絶対に知られたくない筈だ。
 テオは話題をグラダの子孫の話から、本来の訪問目的に変更した。

「ところで、その現在の大神官代理ですが、お体が悪いのでしょう? 神殿ではなく外で治療されていると推測されていますが、どこにおられるか、ご存じないですか?」

 ロホも我に帰ったように、兄を見た。

「そうだ、大神官代理の行方をお聞きしに、訪問しています。兄様はご存じないですか?」

 サカリアスが肩をすくめた。

「あの男は・・・」

 一族から尊敬されている筈の人物を、彼は「あの男」と呼んだ。

「伝統的な治療を信用出来ずに、白人の医療に頼っているよ。」

 彼は皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「君達のすぐ近くにいます。グラダ大学医学部病院にね。」

 えっ!と驚いたのは、テオもロホも同じだった。 神の代理人である大神官代理が、現代医学に頼って入院している?

「そんなに悪いのですか?」

 テオの質問に、サカリアスは溜め息をついた。

「恐らく、タチの悪いデキモノだろう。」

 つまり、癌だ、とテオは思った。ロホが憂い顔になった。

「手術を受けたのでしょうか?」
「それはわからない。だが、彼は病院にいる。」


第11部  太古の血族       30

  彼等は数百メートル神殿に向かって進んだ。そして、デネロス少尉が前方に複数の人間の気配を察知した時、キロス中尉が言った。 「我々神殿近衛兵のキャンプです。」  キャンプ? 言葉に疑問を感じて少尉はケツァル少佐を見た。少佐も不愉快そうな表情をした。 「貴方方は神殿に入らないのです...