2021/07/07

異郷の空 6

  基地からの帰路、シオドアはメルカトル博物館近くの公園で車から降りた。彼を途中下車させることにシュライプマイヤーは迷ったが、シオドアは公園を散歩して歩いて帰ると言い張った。

「今日一日休みをもらったんだ。のんびりさせてくれよ。」

 ボディガードに帰宅して夜まで自由にしていろ、と言った。そして返答を待たずにコートのポケットに手を突っ込んで晩秋と言うより初冬の気配が濃い湖畔の細長い公園を歩き出した。平日のお昼で、あまり人は多くなかった。散歩をしたりジョギングをしているのは時間を気にしない年配者達だ。若い人は夜の仕事へ行く前の運動だろうか。小さい湖は泳いで横断できるので夏場はビーチが賑わうのだが、流石にこの季節の水辺は閑散としていた。
 空腹を覚えたシオドアはホットドッグスタンドを見つけてホットドッグとコーヒーを買った。両手が塞がってしまい、何処かで座って食べようと周囲を見回すと、水際に近い所にベンチがあった。男が1人、右端に座ってコーヒーを飲んでいた。シオドアは左側へ行って、相手をよく見ないで声を掛けた。

「こちら側に座って良いですか?」

 すると、男が湖を見ながら答えた。

「どうぞ。」

 スペイン語だったので、シオドアは思わず相手の顔を振り返り、もう少しでコーヒーとホットドッグを落としそうになった。

「前を向いて。」

と男が囁いた。シオドアは英語で有り難うと言って、前を向いた。公園内には所々防犯用のC C T Vが設置されていた。彼は湖を見ながら、ゆっくりとホットドッグを齧った。自然に頭がスペイン語に切り替わった。

「とっくに帰国したと思っていた。」
「一度帰りました。今は別件で任務に就いています。」

 シオドアは間違いであって欲しいと思いつつ、予想していたことを尋ねた。

「”コンドル”は君かい?」

 相手は否定しない代わりにこう言った。

「そんな名前を名乗った覚えはありません。」

 やはり美術品泥棒は大統領警護隊のステファン大尉だったのだ。

「3件の訴訟対象を処分するのに、ダミーを12件も盗むなんて無謀じゃないか?」
「ダミーはいずれ警察が見つけるようにしてあります。」
「セルバのものだけ足りなければ、怪しまれるぞ。」
「ダミーのうち、本当に博物館に置く値打ちのないものは捨てました。偽物を本物として展示して金を取るのは詐欺ですよ。警察は捨てられたと知らずに、売り捌かれたと思うでしょう。」

 シオドアはなんと評価して良いのかわからなかった。

「いつまで続けるんだ?」
「あと1件で終わりにします。」

 シオドアは思わずメルカトル博物館がある方向を向きそうになって、自重した。

「悪いことは言わない、今止めて帰れよ。」
「・・・」
「君1人かい?」
「部下が1人います。飛行機の中で見たでしょう?」
「スィ、彼も君の一族かい?」
「彼は”ヴェルデ・ティエラ”です。だが特殊部隊の人員で、私とは別の上官の指示で私と行動を共にしています。」
「特殊部隊でも盗難品の処理に当たるんだ。」
「実を言うと、私達も初めての経験で戸惑いました。特殊部隊の方から外国での任務だからと申し出があったのです。」
「少佐は承知したのか?」
「特殊部隊の隊長から警護隊の司令に強い要請があったそうです。特殊部隊の隊長は一族の人間で、古い家柄です。司令も少佐も反対出来る立場ではありません。」

 もしかすると泥棒行為もその古い家柄の軍人からの提案かも知れない、とシオドアは思ったが、あまり複雑な話し合いが出来る場所ではなかった。
 彼はホットドッグを食べてしまい、温くなったコーヒーを啜った。

「俺はコンピューターウィルスを作って、研究所の全てのコンピューターからセルバに関するデータを全部消してやったよ。お陰で研究所も基地も追い出されて、今は外で暮らしている。コンビニの店員をしているんだ。食い物に困ったら、援助するよ。」

 ステファン大尉が微かに笑った。それは頼もしい、と彼は呟いた。
 大尉のポケットで携帯が鳴った。大尉は画面をチラリと見た。

「カメル軍曹が呼んでいるので行きます。」

 互いの顔をまともに見ることもなく、ステファン大尉は立ち上がり、空になったコーヒーカップをゴミ入れに突っ込んで去って行った。シオドアは湖を見ながら、彼の無事を祈るしかなかった。


2021/07/06

異郷の空 5

 季節は秋になろうとしていた。テレビや新聞を賑わせているニュースがあった。東海岸で博物館や大学、個人宅で中南米の石像や壁画の欠片を盗まれる事件が15件も連続して起きていた。取材する人間によって伝える内容が微妙に異なっていて、マヤやアステカ、シカン、インカなど、古代文明の名前がごっちゃになっていたので、メソアメリカと中央アンデス文明の文物を見境なく盗む泥棒の様に考えられた。しかしシオドア・ハーストは泥棒の本当の目的は一つだと分かった。盗難に遭った15件のうち3件が、返還訴訟問題の最中にあった古代セルバ文明の石像と壁画の破片だったからだ。セルバ共和国文化・教育省は盗難にあったのは博物館のセキュリティが甘かったからだと非難し、訴訟を取り下げるつもりはないと言い張った。博物館の方は返すつもりがなかったが、肝心のものが盗まれて手元にないので、訴訟を取り下げろと要求した。 
 15件の盗難事件のうち12件はカモフラージュだ、とシオドアは思った。3件のセルバ文明の美術品は盗賊に盗まれたのではない、セルバ政府が取り返したに違いない。中南米諸国で一番マイナーで無名に近いセルバ文明の出土品が5分の1の確率で狙われるとは信じ難い。恐らく、遠くない未来にセルバ共和国は訴訟を断念する筈だ。
 メディアは正体がわからない中南米美術品泥棒を”コンドル”と勝手に名付けて、色々な憶測を書いたりコメントを述べたりしていた。彼等の一致した意見は、怪盗コンドルは古美術品マニアと言うものだ。
 シオドアはメソアメリカ文明専門の博物館でまだ”コンドル”の被害を受けていない所が、自宅近くにあることに気がついた。例のメルカトル博物館だ。あそこのセルバ文明の出土品は大統領警護隊文化保護担当部がマークするような重要な物ではなさそうだったが、アステカの綺麗な壺が展示されていた。いかにも泥棒が狙いそうだ。”コンドル”が世間の目を欺くのに都合の良い美術品だ。”コンドル”はセルバ人だと見当をつけたシオドアは、それが”ヴェルデ・シエロ”なのだろうかと気になった。大統領警護隊に所属していなくても政府の裏の仕事をする人間がいる可能性はあった。セルバ共和国政府は文化財をただ取り戻そうとしているのではない、古代の神様の存在を匂わせる物を回収しているのだ。それは神様の存在が現代に繋がっているからだ。回収された美術品はただの石像や壁画ではない。きっとオルガ・グランデの実力者ミカエル・アンゲルスの生命を奪ったネズミの神像の様に、今も生きたパワーを持っている石物なのだ。神様の力が目覚める前に回収して災いを防ぐ。

 それが大統領警護隊文化保護担当部の真の役目だ!

 シオドアは頭をポカリと殴られた気分になった。ただの盗掘の取り締まりなら、セルバ国家警察や憲兵隊に任せれば済む。”ヴェルデ・ティエラ”、即ち普通の人間でも出来る仕事だ。それを”ヴェルデ・シエロ”自ら先祖が残した物を管理して守っているのは、神像などに残る先祖の力の名残を抑え切れるのが子孫である彼等しかいないからだ。
 シオドアは突然不安に襲われた。彼が北米に送還された時、同じ航空機に乗り合わせたカルロ・ステファン大尉と部下は、帰国したのだろうか。
 そんな時、エルネスト・ゲイルから久しぶりに電話がかかってきた。メルカトル博物館の土産物屋で買った呪いの笛で人事不省に陥り傷害事件を起こした元助手のデイヴィッド・ジョーンズが退院するので、会ってやってくれと言うのだった。シオドアもジョーンズのことは気にかかっていたので、翌日仕事を休んで基地へ出かけた。勿論シュライプマイヤーが運転する車で行ったのだ。彼1人で基地に出入りすることは警戒されていた。 
 ジョーンズとは陸軍病院の面会室でワイズマン所長とエルネストと共に面会した。酷くやつれた元助手の姿はシオドアにとって悲しみでしかなかった。ジョーンズは呪いを解く笛のお陰で正気に戻ってから、自身が犯した罪をどうしても思い出せず、鬱状態になっていた。抗鬱剤とセラピーのお陰で精神状態が安定し、3ヶ月間穏やかに過ごせたので、故郷に帰ることになったのだ。結局のところ警察は、彼が狂気に陥った原因を笛に古い麻薬の成分が残っていて、それを吸ってしまったのだろうと結論づけた。
 シオドアはジョーンズに新しい生活が良いものとなるように祈っていると言って、励まして別れた。
 彼は病院で落ち合ってから別れる迄ワイズマンとエルネストが彼を観察していることを意識していたが、気づかないふりをした。ジョーンズの退院は彼を呼び出す口実だったのかも知れない。

異郷の空 4

  シオドアは2日程アパートに閉じこもってパソコンで何やら作業していた。食事を運ぶアリアナとも口を利かず、エルネストは門前払いを食った。
 3日後、国立遺伝病理学研究所の旧シオドア・ハーストの研究室のメンバー達のパソコンにシオドアからメールが届いた。メールには”7438”と言う名前の添付ファイルが含まれていた。遺伝子分析研究室の科学者達は、シオドアがサンプル”7438・F・24・セルバ”の元の人間を探しに行ったことを知っていた。だから数人がほぼ同時にその添付ファイルを開いた。
 数10秒後、研究室の全ネットワークがダウンした。研究所だけでなく基地が大騒ぎになったのは言うまでも無い。シオドア・ハーストがウィルスを仕込んだメールを研究所内に拡散させたのだ。直ちにシステム復旧の作業が始まり、知らせを受けたホープ将軍はシオドア・ハーストを拘束した。目的を訊かれてもシオドアは黙りで通した。やがて被害の実態が判明すると、研究所の人々はシオドアの行為に首を傾げた。
 ”セルバ”と言う単語を含む文章、遺伝子分析ファイル、グラフ、表などが消されていた。キーワードが”セルバ”と言う単語であることに気がついたのはエルネスト・ゲイルだったが、それがわかったのはウィルス騒動から4日も経ってからだった。大量のデータが消されたことはわかっていても、消されているので内容の確認に時間がかかったのだ。

「シオドア・ハーストは狂っているらしい。」

とホープ将軍がワイズマン所長に言った。

「脳の働きが優秀過ぎると、こう言うことが起きやすいのだろうな。」

 将軍の根拠のない偏見に、シオドアの遺伝子組み替えの指揮を執ったワイズマン所長はムッとなったが、将軍をこれ以上怒らせたくなかった。

「ハーストを基地の外へ出します。監視付きで外で生活させます。」
「病院に入れた方が良いのではないか?」
「彼は重度の統合失調症ですが、他人に危害を加える恐れはありません。静養させます。時間がかかっても治してやりますよ。」

 そう言う経緯で、シオドア・ハーストは研究所からも基地からも追い出され、近くの小さな住宅街にアパートを与えられた。但し一人暮らしではない。ケビン・シュライプマイヤーが監視を兼ねて同居だ。シオドアは彼と日常の会話を交わしたが、どちらもセルバ共和国の思い出は話さなかった。シュライプマイヤーはシオドアがコンビニのレジ係のバイトを始めたと報告して、研究所を驚かせた。彼がそんな普通の庶民が行う仕事をするなど、誰も想像しなかったからだ。
 ダブスンは彼がいよいよ本格的におかしくなったと言い、エルネスト・ゲイルは何か裏があると疑った。アリアナは彼が本気で過去を捨てたがっていると確信した。
 シオドアが消したデータは復旧に時間がかかった。元データをシオドア自身が所持していたので、それを本人が復旧不可能な状態に破壊していたからだ。
 シュライプマイヤーは毎日コンビニの外で車中に座ってシオドアが接客するのを見ていた。シオドアは裏方の商品搬入やゴミ出しも行っていて、バイト仲間と交代で夜勤も行った。普通の店員だ。店の客は選べない。ヒスパニック系の客が来ると、シュライプマイヤーは彼自身の血圧が上がるのを感じた。彼もセルバ共和国にわだかまりがある。それをどうしても拭い去ることが出来ないでいた。彼の場合、接触したのはケツァル少佐とデネロス少尉だけだ。女性だ。彼はコンビニにヒスパニック系の女性が買い物に来ると、どうしても車から降りて様子を伺いに店内に入ってしまった。

「君みたいにいかつい男が来ると、客が怯えるんだよ。」

とシオドアから苦情まで言われた。

「オーナーだって良い顔しないし。セルバ人なんかこんな所にいないんだから、家に帰ってろよ。」

 実を言うとオーナーは用心棒が睨んでいるので質の悪い客が寄り付かなくて良いと喜んでいたのだが。
 その翌日、夕方帰宅するとシュライプマイヤーが地方紙を見せてくれた。シオドアは新聞を購読する習慣がなかったし、地方紙は全く関心がなかった。しかしボディガードがここを読んでくれと指した記事には思わず目を通してしまった。 
 それはアメリカ国内の3つの博物館にセルバ共和国文化・教育省が所蔵品の返還を要求したと言うものだった。セルバ共和国の遺跡から盗掘された壁画や彫刻が北米で売買されていると言う情報を得たセルバ共和国大統領警護隊文化保護担当部が現地調査して、正規のルート以外で国外に持ち出された美術品を発見した。それで政府の関係機関が当該美術品を所蔵・展示している博物館に返還を求めたのだ。博物館側は盗難品だとは知らなかったと主張した。1軒はセルバ共和国に買い取りを求め、残りの2軒は頑なに返還を拒んだ。セルバ共和国は盗まれた物にお金を払って返してもらう気はさらさらなく、訴訟問題に発展する兆しが見える、と記事は伝えていた。

「お金が絡んで来ると厄介だな。」

 シオドアはシュライプマイヤーに新聞を返した。

「俺には、壁画や彫刻の価値がわからない。ヨーロッパの美術品だったら、多少の値段の見当はつくけど、考古学的なものはさっぱりさ。」

 彼は関心なさげに夕食の準備をしにキッチンに入った。コンビニでもらったお手軽ミールだ。シュライプマイヤーの分もある。その分給料から引かれるのだが、彼は文句を言わなかった。金銭感覚は鈍いのだ。


2021/07/05

異郷の空 3

  1週間程してエルネスト・ゲイルがシオドアのアパートに訪ねて来た。この男も遺伝子操作で生まれた人間だ。アリアナやダブスンに言わせると特別選抜の3名の子供の中で一番劣っていたそうだが、今は最優秀児だったシオドアが使い物にならなくなったので、やっと出番が回ってきた感があった。彼は手土産にチョコレートとブランデーを持って来た。

「ヤァ、兄弟。調子はどうだい?」

 シオドアは彼が何か探りに来たのだとしか思えなかった。

「体調は良いよ。」

と彼は言った。

「だが過去は一切思い出せないし、仕事に戻りたいと言う意欲も湧かない。研究所は俺を養う無駄な費用を打ち切って、俺を外へ放り出してくれないかな。俺は肉体労働でも何でも生きて行くためにやってみせるさ。セルバ共和国でもそうやって暮らしていたんだから。」
「冗談だろう。」

 エルネストが作り笑いを浮かべた。

「君がただの市民のふりをして暮らしていたとは思えないな。探していたんだろ?」
「何を?」

 彼はシオドアの目を見つめた。シオドアも相手の目を見たが、互いの言いたいことは全く伝わらなかった。遺伝子構成が似ていると言っても、”ヴェルデ・シエロ”と俺達は全く違うんだ。遺伝子を組み替えても、普通の人間は”ヴェルデ・シエロ”にはなれない。
 エルネストが言った。

「セルバ共和国の伝説の神様さ。」

 ドキリとした。エルネストはシュライプマイヤーやアリアナが目撃した”消える女”の話を聞いたのだ。そしてシオドアが記憶を失う前にこだわったセルバ人労働者のサンプルに思い当たったのだろう。助手のデイヴィッド・ジョーンズが呪いの笛でおかしくなった時、あの小さな私立の博物館でセルバ共和国の神話が書かれた説明板を読んだ可能性も合った。

「神様がいる筈ないじゃないか。」

 シオドアはぶっきらぼうに言い返した。

「コカインの産地が近いんだ。俺が何かおかしな物をゲリラに飲まされた可能性の方が、俺が話したと言う奇妙な体験話の真相への説得力がある。」
「アリアナやケビンもコカインをやったのかい?」
「彼等のことなんか俺が知るものか。」

 その夜、食事を届けに来たアリアナに、エルネストとの会話を語って聞かせた。彼女はコカインを摂取したと言うシオドアの説に憤慨した。

「本当に私達の目の前で、あのセルバ人の女の子は消えたの! そして不意に現れた。3人同時に同じ幻覚を見る筈がないわ。」

 そして涙ぐんだ。

「私だって精神科医から色々聞かれたのよ。でも本当に見たことしか言えないじゃない!」

 彼女の剣幕にシオドアは黙り込むしかなかった。彼女もボディガード達も実際に”ヴェルデ・シエロ”の能力を目撃してしまったのだ。 だが、まだ3人だけだ。同じ場所で同時に見た。まだ何かトリックが存在したと誤魔化せる。

「もし、本当にセルバ人が姿を消せるのだとしたら、君は正常だと納得出来るかい? 」

 アリアナは硬い表情で彼を見たままだった。

「私は正常よ。ケビンも正常。貴方だって本当は見たのでしょう? 」
「幽霊やジャガー男を?」

 シオドアは自分で笑って見せた。出来るだけ自然に見えるように、目が笑っていると見えるように。しかしアリアナは誤魔化されなかった。

「貴方はセルバの神様に魅入られているのよ。」
「神様なんていないよ。セルバ人は俺達と同じ人間だ。」
「それじゃ、どうして貴方は遺伝子分析を止めたの? 彼等の正体を暴くのが恐ろしいからじゃないの?」
「俺は記憶を失ってから遺伝子に興味を失った。前回サンプル集めに行かせて欲しいと要求したのも、セルバに逃げ出したかっただけで、出国の言い訳を作ったんだ。神様の遺伝子なんか俺には関係ないね。」

 アリアナが溜息をついて彼から離れた。帰り支度をしながら彼女は最後に言った。

「エルネストは本気よ。私とケビン、それに貴方が見た者を探っているわ。」

 彼女が帰ると、シオドアはパソコンを立ち上げた。博物館とセルバをキーワードで検索すると、確かに5軒の博物館が確認出来た。1軒は有名な大きな博物館で、残りは小さな所だった。研究所から近い、シオドアの助手が呪いの笛を買った博物館もあった。メルカトル博物館だ。展示物の写真を見ると、大統領警護隊文化保護担当部が国外持ち出しを辛うじて目溢しする割れた土器やレプリカの壁画が殆んどだった。本物の出土品を展示しているのは一軒だけ、メルカトル博物館だ。ステファン達は来るだろうか、とシオドアはちょっと期待した。セルバ人と話をしたかった。

2021/07/04

異郷の空 2

 2日後、シオドアはロバートソン少佐と共にグラダ・シティ国際空港から飛行機に乗って母国へ飛び立った。民間機なので 様々な乗客が一緒だった。軍用機で強制送還されるかと思っていたシオドアは少しだけリラックス出来た。セルバ人のビジネスマンや旅行者も多い。機内は英語とスペイン語が飛び交って賑やかだった。飛行距離も長くないので、エコノミークラスだ。シオドアは窓側の席を与えられたが、トイレは自由に行かせてもらえた。
 通路を歩いて行くと、セルバ人の団体が固まって座っていた。旅行に行くのだろう、ツーリズムガイドをめくっていたり、地図を広げて隣の人と喋っていたり、楽しそうだ。何気なく彼等の様子を眺めながら歩いていたら、いきなり知った顔を見つけてしまった。
 錯覚かと思ったが、間違いなかった。浅黒い肌に白人の血が混ざった顔、髭は剃っているが鋭い目付きは変わらない。
 カルロ・ステファン?! どうしてここに?
 目が合った。残念なことにシオドアは”心話”が出来ない。ステファンが唯一生まれつき自由に使える”ヴェルデ・シエロ”の能力なのに。挨拶代わりに、シオドアは微かに微笑みかけた。向こうもウィンクした。そして隣席のシオドアが知らない若い男に話しかけた。

「セルバの遺跡から出た彫刻等を所蔵している博物館はそんなに多くないな。」

 話しかけられた男もメスティーソで、5館ほどですね、と答えた。それなら検索ですぐに出てくるな、とシオドアは思った。ステファンはさりげなく行き先を教えてくれた、と彼は思った。恐らく国外に流失したセルバ共和国の文化財の調査に行くのだろう。古代の神様の子孫が飛行機に乗っていると言うことが予想外だったので、ちょっと可笑しく思えた。
 トイレで用を足して出ると、驚いたことにステファンが順番待ちをしていた。シオドアは短く尋ねた。

「公務だね?」
「スィ。」

 シオドアは早口で国立遺伝病理学研究所の場所を告げた。

「居住区域だったら民間人でも入れるんだ。」

 困ったことがあれば何時でも訪ねて来いと言う意味で言った。勿論、シオドア自身が自由に面会者を迎えられるかどうか不明だったが。ステファン大尉は「グラシャス」と言って個室の中に入った。
 それから飛行機が着陸して入国審査を済ませる迄、セルバ人達と言葉を交わす機会はなかった。空港のロビーで3人のスーツ姿の男が待ち構えており、シオドアは窓を黒く塗られたバンに乗せられ、真っ直ぐ国立遺伝病理学研究所へ連れて行かれた。
 それから半月余り地獄の様な日々が続いた。ホープ将軍とその子飼いの科学者達はシオドアがセルバ共和国で行方不明になっていた期間に、何をしていたのか知ろうと躍起になった。まるでスパイの尋問みたいにシオドアは質問攻めにされ、薬剤を打たれ、催眠術も試された。シオドアは友人達の秘密を守るために頑張った。他人とは違う脳の働きを最大限にフル回転させ、催眠術も薬剤も乗り切った。

「頑固な記憶喪失だな。」

とワイズマン所長が評した。

「バス事故で記憶を失った上に、ゲリラに襲われてまた記憶喪失の上書きか?」

 薬剤を打たれた時に喋ってしまったのは、反政府ゲリラに誘拐された時の体験だった。縛られて頭から袋を被せられ、ジャングルの中を歩かされたこと、服の中にムカデが入ってきたこと。そして科学者達を困惑させたのは、シオドアが語った真実だった。

「石の家の中にいたら幽霊の声が聞こえた。」
「ジャガーが助けてくれた。」
「ジャガーは友達のナワルだったんだ。」
「俺が暮らした村はまだJ・F・Kが生きていた時代に存在したんだ。」
「太陽に背中を向けて歩くと、時間を早回しで現代に戻ってこられるんだ。」

 精神科医はホープ将軍とワイズマン所長にシオドア・ハーストは統合失調症の可能性があると報告した。
 シオドアは研究室への出勤を止められ、無期限の休業を言い渡された。研究所にあるかも知れないセルバ人の遺伝子情報の確認は出来なくなったが、シオドアには休息が必要だった。半月間の尋問は流石の彼も気力を失う程に精神的にこたえた。休業を言いつけられて3日間、彼はアパートで寝ていた。メイドは彼が些細なことで癇癪を起こして以来怖がって来なくなったので、アリアナ・オズボーンが世話をしに来てくれた。
 遺伝子工学に全く興味を失ってしまったシオドアに、アリアナは仕事以外の話をしようと努めた。

「セルバの女性は神秘的よね。」

 お茶を淹れて一緒にテレビを見ながら、彼女が囁いた。シオドアはカウチにもたれかかって、つまらないコメディドラマを眺めていた。

「どう神秘的なんだ?」

 アリアナは、彼を刺激する恐れのある話題は避けろと精神科医から忠告されていたが、他に話題を思いつかなかった。

「彼女達はとても親切で優雅で美しいの。でも隠し事が上手。どこまでが本当のことを言っているのか、わからない。」
「彼等は軍人だ。ここの連中だって、本当のことを言わないだろう。国家機密を扱うのだから、当たり前さ。」

 アリアナは彼を見ないで呟いた。

「マハルダは、私達の目の前で消えたのよ。」

 彼女には気の毒だったが、シオドアは声をたてて笑ってしまった。

異郷の空 1

  大使館では、シオドアがケツァル少佐の部屋を訪ねてから行方不明になり、出頭する迄の約2ヶ月間の行動をしつこく聞かれた。特にケツァル少佐のアパートから姿を消した時の経緯を大使館は知りたがった。彼がアパートの建物から出たところを誰も目撃しておらず、防犯カメラにも写っていなかったからだ。しかしシオドア自身、どんな方法で少佐の部屋から出たのか知らなかったし、時空の狭間に飛ばされていたなどと誰も信じないと分かっていたので、記憶にないとひたすら突っぱねた。
 本国からホープ将軍の部下であるキャサリン・ロバートソン少佐がやって来た。彼女は昔のシオドアを知っている口ぶりだったが、彼は彼女のことを全く思い出せなかった。彼女はブロンドだったが眉が濃いブラウンだったので、髪を染めているのかと余計なことを言って機嫌を損ねた。同じ女性の少佐でもケツァル少佐より10歳以上は上で、体格も大きい。シオドアに白人に対して蔑視するつもりはなかったが、ロバートソン少佐に少しも魅力を感じなかった。

「ケビン・シュライプマイヤーは覚えているわよね?」

ときつい口調で彼女が質問した。シオドアは覚えていると答えた。海兵隊出身のボディガードに恨みはなかったが、散々迷惑をかけてしまったと言う自覚はあった。

「ケビンは今、メンタル・カウンセリングを受けているわ。」
「俺のせいで?」

 ちょっと驚いた。そんなダメージを与えることをしただろうか。ロバートソン少佐はファイルをめくりながら言った。

「貴方が大統領警護隊の女性のアパートから消えた件。ケビンは貴方が建物に入るのを確かに見たと主張している。正面入り口の防犯カメラにも入って行く貴方は映っていました。でも出て行く姿はどこにも映っていない。」
「他に目撃者は?」
「ケビンの相棒のジョン・クルーニー。彼も知っているわね?」
「うん。だけど・・・俺はその日の記憶がないんだ。」

 シオドアは考えるふりをした。

「ケツァル少佐に会って、彼女の車に乗ったのは覚えている。降りたのも覚えている。だけどアパートに入ったかどうか、記憶がない。防犯カメラに出て行く姿が映っていなかったのは、俺だけかい? それともケツァル少佐も映っていなかったのかな?」
「ケツァル少佐は映っていました。部下の男性は映っていなかったわ。でも彼が少佐のアパートを出たと証言した時刻、防犯カメラは故障していたの。」
「それじゃ、俺はアパートに入らなかった。」
「ケビンとジョンが嘘をついていると?」
「俺は記憶がないから、肯定も否定も出来ない。」

 ロバートソン少佐はページをめくった。

「アリアナ・オズボーン博士がグラダ・シティに来た日の出来事。」
「アリアナがここへ来た?」

 シオドアは初耳だと言うふりをした。ケツァル少佐にアリアナが来ていることを教えられた時、少佐がアリアナに渡したサンプル”7438・F・24・セルバ”の資料を処分してくれと頼んだのは彼自身だった。

「いつ?」
「貴方が消えてから4日後。」

 ロバートソン少佐は彼をじっと見つめた。

「この時も、ケビンとジョンは不思議な証言をしているわ。」
「不思議な証言?」
「オズボーン博士はケツァル少佐を役所に訪ねた。その時に貴方の資料をケツァル少佐から渡されたと言っている。」
「どうして俺の資料をケツァル少佐が持っていたんだろう?」

 シオドアはわざととぼけて見せた。ロバートソン少佐はそれに答えずにファイルを読み続けた。

「オズボーン博士はそれをホテルに持ち帰った。その際、ケツァル少佐の命令でデネロスと言う若い女性が彼女の護衛と言う名目でホテルの部屋迄同行した。」
「デネロス?」
 
 シオドアはまたとぼけた。マハルダ・デネロス少尉とは一回しか会っていない。知らないふりをするのは簡単だった。

「その夜に、デネロスはオズボーン博士の隙を見て、貴方の資料を焼いてしまった。」
「ええ!」

 我ながら上手い演技だ、とシオドアは内心己を褒めた。

「俺の大事な資料を焼いてしまっただと!」

 ロバートソン少佐は無視した。ケツァル少佐並にクールだ。

「オズボーン博士はデネロスが書類を焼いた時、火事が発生したと勘違いした。彼女は2人のボディガードを呼び、室内に入れた。その時、ケビンもジョンもデネロスの姿を見ていない。それなのに、デネロスは不意に戸口に姿を現し、廊下へ逃げた。ケビンは追いかけたが、トイレに追い込んだ筈なのに、デネロスの姿は消えていた。それきり、彼はデネロスを見ていない。」

 つまり、最低でも2回、シュライプマイヤーはマハルダ・デネロスの姿を見失ったのだ。消える筈のない場所で。
 シオドアは”赤い森”に捕虜にされたロホを救出に行った時の様子を思い出した。ステファンの陽動作戦でディエゴ・カンパロと手下達がキャンプから走り去った後、ロホのそばに1人だけゲリラが残った。そのそばにケツァル少佐が歩み寄った時、ゲリラは全く気づかなかった。彼女の姿が見えなかったのだ。シオドアには見えていたのだが。
 ”ヴェルデ・シエロ”は消えることが出来るのではなく、他人に己を見えないと思わせることが出来るのだ。

「不思議だなぁ。」

とシオドアは言った。

「人間が消えたり現れたり・・・ケビンはカウンセリングを受けて当然かもな。疲れているんだよ、俺が勝手に家出したりしたから。」
「どうして家出したのかしら?」
「今迄の生活に飽きたからじゃない?」

 他人事の様に言って、ロバートソン少佐にグッと睨みつけられた。

「貴方はアメリカ政府のものなのよ。貴方の人生は貴方だけのものではないの。」

 だから嫌なんだよ、とシオドアは心の中で呟いた。

2021/07/03

アダの森 14

  カルロ・ステファンが能力を使えないのは、能力が「無い」からではなく、使い方を「知らない」からだと、ケツァル少佐は言った。ジャングルの中を歩いている時に、と彼女はシオドアに問いかけた。

「鳥や虫が私達の周囲にいなかったのを知っていましたか?」
「スィ。鳥の声も虫の鳴き声も全くしなかった。」
「小さい生き物がカルロから放出される気を感じて逃げたからです。」

 ああ、それで、とシオドアは納得した。ステファンが自分と一緒にいると敵に勘付かれると言って別行動を取った理由がそれだったのか。

「彼は気の放出を抑制出来ないのか?」
「コントロールする方法を知らないのです。本来は子供の頃にママコナの声を聞いて習得する基本中の基本です。」

 そんな話をステファン自身がシオドアに語ってくれたことがあった。純血の”ヴェルデ・シエロ”はママコナの声を言葉として聞けるが、異人種の血が入ると頭の中で蜂が唸っている様な音がするだけだと言っていた。

「彼は”心話”は出来ます。だから士官学校から大統領警護隊に採用されました。生まれつき気を放出したままの人ですから、周囲の人々は彼を警戒しました。彼のそばにいると落ち着かなくなるのです。ですから、彼は普通の仕事に就けなくて軍隊に入り、軍人としての才能を見込まれて士官学校へ入れてもらえました。士官学校へは時々大統領警護隊の幹部が新入生をスカウトする為に顔を出します。」
「どうやってスカウトするんだ? 士官学校は普通の人の方が多いだろう?」
「新入生を横一列に並ばせて幹部が顔を見て歩きます。実際は目を見るのです。”心話”で1人ずつ話しかけて返事があれば候補生のリストに入れます。士官学校を卒業と同時に警護隊に配属されるのですが、学校の成績次第ではN Gの人も当然出てきます。ロホとカルロは一緒に採用されました。ブーカ族の良家の子であるロホは全てにおいて成績優秀で性格も素直で優等生でしたが、カルロは貧民街の出で子供時代は素行も良くなかったのです。正反対の育ちの2人が、どう言う訳か馬が合って仲良しになりました。警護隊のスカウトは当初ロホだけを採るつもりだったのですが、司令のエステベス大佐がどうしてもカルロも採りたいと希望したのです。」

 シオドアとケツァル少佐はアメリカ大使館の前の交差点にやって来た。

「エステベス大佐は彼を訓練すれば”人並み”に能力を使えるようにしてやれると思ったんだね?」
「スィ。それに、大佐はロホが優しすぎることも気にしていました。凶悪な敵と戦う時に彼の優しさは彼自身の命取りになりかねません。」

 それは先日の”赤い森”の事件で証明済みだった。ロホは目の前でシオドアがゲリラに傷付けられるのを想像するだけで耐えられなかった。それが彼自身を危うく死にかける目に遭わせてしまったのだ。

「ロホの優秀な能力の使い方からカルロが学び、カルロの躊躇なく戦う姿勢からロホが学ぶことを大佐は期待したのです。しかし・・・」

 少佐は肩をすくめた。

「物事はなかなか上手く運ばない物です。」

 シオドアは交差点の斜め向かいに見えている大使館の門を見た。入りたくないが、入らねばならない。彼は少佐を見ずに言った。

「ここでお別れだ、少佐。俺と一緒にいるところを連中に見られない方が良い。」

 すると少佐が彼にそっと囁いて、道路の反対側へ渡って行った。シオドアはびっくりして、やって来た方角へ歩き去って行くケツァル少佐を見つめた。
 彼女はこう言ったのだ。

「Te besare en mi corazon.」(心の中で貴方にキスを)

 シオドアは幸福と悲しみを同時に感じた。もう一度、ここへ戻って来たい。彼等と一緒に笑っていたい。
 彼は未練を振り切って、交差点を渡った。そして大使館の門に向かって歩いて行った。門前には2人のアメリカ兵が立ち番をしていた。彼等が彼が少佐と一緒にいるところを見たかどうか確かめる気持ちはなかった。もし見たとしても、彼女が何者か彼等は知らない筈だ。

「ヤァ」

と彼は兵士に声をかけた。

「シオドア・ハーストと言います。アメリカ人です。帰国したいがパスポートを紛失したので、出国出来ません。再発行の手続きをお願いしたい。」




第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...