2021/07/11

異郷の空 20

  エルネスト・ゲイルはアリアナ・オズボーンの家に仕掛けた盗聴器をシオドアに発見され破壊されたが、気にしなかった。シオドアが言った通り、昔から彼等の間ではイタチごっこで遊び感覚だったのだ。それに今回の「ハンティング」では十分役に立った。
 居住区の湖岸に設置されたC C T Vに黒い大きな獣が映っているのを発見したのは、エルネストだった。覗き見が趣味だから、警察や警備の防犯カメラ回線に侵入するのは得意だ。テレビで報道されていた「黒豹」だと直ぐにわかった。「黒豹」は湖を泳いでやって来て、あろうことかアリアナ・オズボーンの家の桟橋付近に上陸した。彼はアリアナに注意喚起の為に電話をしようと思ったが、「黒豹」が岸に上がって直ぐに蹲ってしまったので、電話するのを止めた。彼女が獣を見つけた時の反応を見たかった。獣は朝の太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。真っ黒な見事な毛皮だった。防犯カメラの解像度の高くない映像でも、綺麗な動物だとわかった。
 アリアナは彼が予想した時刻に帰宅した。研究所から車で5分の距離だ。何時、あの獣に気がつくだろう。エルネストはドキドキしながら自宅に造ったモニター室で見ていた。仕事もリモートだからモニター室に座っていれば出来た。アリアナの家の前にある防犯カメラに彼女が帰宅するのが映っていたが、裏庭は住民の要望でカメラがない。庭と公共の岸辺を仕切る植え込みの切れ目で蹲る「黒豹」は映っていたが、庭に出るアリアナは見えなかった。
 そのうち、「黒豹」が動いた。頭を上げ、何かを見た。彼女が来たのだ。エルネストは彼女が見えないことを悔やんだ。きっと悲鳴を上げたに違いない。「黒豹」が体を持ち上げた。這うように前進したので、エルネストはモニターの前で思わず怒鳴ってしまった。

「動くな! 見えなくなる!」

「黒豹」は尻尾だけカメラの中に残してまた動きを止めた。エルネストはアリアナが逃げてしまったのだろうと思った。実際、彼女はその時一旦家の中に逃げたのだ。彼は盗聴器の音声を聞くために機械を操作した。モニターから目を離した数秒間に、「黒豹」の尻尾がカメラから消えた。
 エルネストが期待したアリアナの救援要請の電話はなかった。彼女が「黒豹」に食われたのかと思ったが、そのうちリビングとキッチンに仕掛けた盗聴器から彼女が室内を動き回る音が聞こえ、彼はがっかりした。彼女は「黒豹」に気づかず、獣は場所を移動したのだろう、と思った。その後道路や他の湖岸のカメラをチェックしたが、何処にも「黒豹」は映っていなかった。民家の庭から庭を移動していると思われた。これは警備兵に連絡した方が良いかも知れない、と彼は思い、同時に面倒臭いと感じた。彼は気晴らしに基地の外に出かけ、公園のベンチで昼寝しているシオドアを発見した。昼寝の邪魔をして、警察無線で知り得た情報を聞かせてやると、シオドアはちょっと動揺したかに見えた。しかし、この時エルネストはまだ博物館の泥棒と「黒豹」を結びつけて考えていなかった。
 夜になる頃、アリアナがシオドアに電話をかける声が聞こえてきた。聞くともなしに聞いていると、彼女が彼に衣類を持って来てくれと要請した。男物の衣類だ。奇妙な要請だと思いつつ、エルネストは夕食の為に一旦モニター室を離れた。
 モニター室に戻ると、盗聴器からアリアナとシオドアの会話が聞こえてきた。その内容は不思議なものだった。彼女の家の中にシオドア以外の男がいるらしかった。しかもセルバ人だ。さらにエルネストを驚かせた会話が聞こえた。

ーー彼と今朝出会ったと言ったね。何処で?
ーーこの家の庭先。湖に降りるステップのところよ。
ーー彼は裸だったろう? 君は顔見知りなら誰でも平気で家に入れるのか?
ーー私が見つけた時、彼は人間の姿じゃなかったの!

 それからアリアナは信じられないような、御伽噺としか思えない話を語った。庭先で黒い獣を見つけ、その獣が人間の男に変化したこと、大怪我をしていたので家に連れ帰って手当してやったこと。熱を出して震えていた獣から変化した男を抱いて温めたこと。
 シオドアはアリアナの証言に驚かなかった。それどころか、セルバ人の中にはジャガーに変身する者がいると受け取れる発言をした。
 シオドアの声が聞こえなくなったので、エルネストはアリアナに電話を掛けてみた。門衛からシオドアが基地に入ったと報告を受けたと出まかせを言うと、アリアナも適当な嘘をついた。エルネストが電話を切ると、アリアナとシオドアが彼の悪口を言ったので、ちょっと腹が立った。我慢して聞いていると、彼等の会話でさらに驚きの事実が判明した。博物館の泥棒と「黒豹」男が同一人物で、セルバ共和国の政府が絡んでいると言うのだ。しかもシオドアの携帯に電話を掛けて来た人物はセルバ大使ともう1人「少佐」と呼ばれる人間だった。シオドアが「彼女」と言ったので、少佐は女性だと推測された。その時、第3の人物の声が聞こえた。男の声でスペイン語訛りのある英語だった。「黒豹」のセルバ人だ。
 シオドアは「少佐」を迎えに出かけた。アリアナと「黒豹」男だけが家に残った。
 エルネストは決心した。迎えが到着する前に、「黒豹」男を確保しなければならない。彼はヒッコリー大佐に電話を掛けた。大佐は研究所で研究に使われる超能力者達を集める任務を負ったプロだ。超能力者の存在は信じているが、「黒豹」に変身する人間の話は笑い飛ばされた。しかしエルネストが録音したアリアナとシオドアの会話を聞かせると、大佐は直ぐに部下を招集した。「黒豹」男は怪我をして弱っている。捕獲するなら今夜しかない。プロの超能力者ハンター達はアリアナ・オズボーンの家に集結した。エルネストはアリアナを抑える役目を自ら申し出た。彼女の家の鍵は持っていた。
 捕獲劇は短時間で終了した。「黒豹」男はエルネストの予想以上に衰弱していた。原因はアリアナだ、とエルネストには直ぐわかった。彼の好色な”妹”は昔から基地で訓練している兵士達の体を見るのが好きだった。大人になると時々若い兵士をつまみ食いしていた。親代わりのライアン博士もワイズマン所長も彼女が妊娠さえしなければ構わないと放任した。基地の外の男に夢中になられるよりましだと思ったのだ。セルバ人は正に彼女好みの肉体の持ち主だった。そして若かった。研究所へ運び込んで体を洗浄した際に髭も剃ってやったのだが、ゲバラ髭を剃り落とすと、意外に幼い顔立ちだったのだ。もしかするとアリアナが初めての女性体験ではないか、とエルネストは思った。
 ダブスンがアリアナの体からセルバ人の精子を採取した。彼女がどれだけ遺伝子解析の腕前を発揮させられるのか、エルネストは疑問だった。遺伝子情報の分析はシオドアの独壇場だったのだ。折角本物の超能力者の遺伝子を手に入れたのに分析出来ないのでは意味がない。だが研究所に反旗を翻したシオドアを研究に加える訳にはいかない。どうしたものか、とエルネストは考えながら、昨夜から今朝にかけての捕獲劇の報告書を作成していた。
 モニターの一つに、捕獲したセルバ人が映っていた。両手を手錠でベッドに繋がれている。頭部や胸部に脳波計や心電図の端子を付けられ、腕には栄養剤と麻酔剤の点滴を刺されていた。裸の左脇腹にガーゼを当ててテープで止めてある。大きな刃物傷があったが半分治りかけていた。警察の鑑識に頼み込んで送ってもらった博物館に残されていた泥棒のものと思われる血痕の分析結果と、捕らえたセルバ人の血液の分析結果が一致した。セルバ人が怪盗”コンドル”だと判明したので、研究所でのコードネームも”コンドル”に決定した。ただし、警察には泥棒を捕まえた報告をしていない。

「博物館に残っていた血痕から、警察は逃走した2人目の泥棒はかなり出血しているものと考えている。怪我をしてから今日で2日目だ。常識では治療しなければ命の危険があるそうだ。しかし、”コンドル”の傷は既に治りかけている。」

 ワイズマン所長が感動とも聞こえる微かに震える声で言った。エルネストはこの件に関しては驚かなかった。

「シオドア・ハーストもあの程度の傷なら直ぐ治りますよ。治癒能力の遺伝子は兵士に必要でしょう。」
「兵士が直接戦闘を行う場面は限られてくる時代だ。しかし、確かに場合によって人間を投入しなければならない戦場はまだ残っている。治癒能力の遺伝情報を解析するように。」

 ダブスンは所長に視線を向けられて頷いた。エルネストは彼女の能力を高く評価していないので、内心大丈夫かなと思った。分析に失敗して新しい精子の採取が必要になれば、”コンドル”が気の毒だ。


異郷の空 19

 アリアナが寝室から出て来ないので、シオドアは様子を見に行った。ドアをノックすると、中で「来ないで」と声が聞こえた。彼は無視して中に入った。アリアナはベッドの上に突っ伏していた。

「今日は休むんだろ?」
「ええ・・・」
「少し眠ると良い。」

 シオドアはベッドの端に腰かけて、彼女の髪を優しく撫でてやった。

「エルネストは君に酷い扱いをした様だな。」
「彼じゃないわ。ダブスンよ。」
「ああ・・・あのオバサンか。」

 メアリー・スー・ダブスンも先住民の遺伝子に関心を持っていた。ただ彼女の場合は超能力より人間の「原種」から新しい品種を作って戦略的に使える才能を開発しようとしていたのだ。たまたまセルバ人の遺伝子の中に奇妙なものを見つけたと言うだけで、それを解析した共同研究者がシオドアだった。 

「ステファン大尉には会えたか?」
「会わせてもらえる筈がないでしょう。」

 アリアナは顔を上げた。怒っていた。シオドアにではなく、無力な彼女自身に。

「エルネストは興奮しているわ。まるでライオンを生け捕ったハンターみたいに得意満面よ。ダブスンはセルバ人の扱い方を知っていると主張して、何とかして彼のチームに加わろうとしている。だけど・・・」

 彼女は体を起こした。

「超能力者の遺伝子分析の担当は貴方だったのよ、テオ。まだ思い出さない? 研究所は貴方が必要になると思う。それに彼・・・研究所は彼に”コンドル”ってコードネームを与えたわ。コンドルを扱えるのは貴方だけよ。彼に言うことを聞かせようと思ったら、貴方が必要ね。」
「それじゃ・・・」

 シオドアは提案した。

「俺を研究所に連れて行ってくれないか? エルネストがステファンを本気で怒らせる前に、俺が扱い方をレクチャーしてやる。下手なことをすれば、怪我人が出る。」

 アリアナは、投光器が破裂して、特殊部隊の兵士が見えない力で弾き飛ばされたことを思い出した。あの時は訳が分からなかったが、ステファン大尉が1人でやったことであれば、確かに危険だ。大尉はあの時酷く衰弱していた。もし元気な状態の彼を怒らせたら、どんな惨状になるだろうか。

「今から研究所に行くの?」
「直ぐにとは言わない。お昼も食べたいしね。冷蔵庫に何かあるか?」
「何か作るわ。待ってて。」

 彼女はクローゼットに向かった。

「彼女に何が食べたいか訊いてくれる?」
「自分で訊けば?」

 シオドアは彼女が感じている後ろめたさを解消するには、それ以外にないだろうと思った。
 彼がリビングに戻ると、ケツァル少佐はまたアリアナのラップトップを眺めていた。今度はGoogleの衛星写真だ。基地周辺だが、肝心の基地は映っていない。辛うじて居住区が見られるだけだが、ストリートビューはない。彼がそばを通ると、彼女が画面を指差した。

「これは何ですか?」

 シオドアは覗いて見たが、余り関心がなかった区域だったので、分からなかった。彼女はある赤い屋根の建物を指差したのだ。そこへ着替えたアリアナがキッチンへ入る為にやって来た。少佐が声を掛けた。

「ドクトラ、この赤い屋根の建物は何ですか?」

 アリアナは一瞬固まったが、直ぐにテーブルに近づいてラップトップを覗き込んだ。

「給食センターだわ。高齢者の住宅などに食事を宅配しているの。」

 少佐が考えこんだ。それっきり何も言わないので、アリアナは肩をすくめてキッチンに入った。シオドアはもう一度画面を見た。少佐が拡大して写真を眺めている。給食センターが何を意味するのか、彼は見当がつかなかった。
 アリアナが作ったのはカリカリベーコンと胡瓜のサンドウィッチと温めた冷凍ポテトだった。特に美味しいと言う訳ではなかったが、ないよりましだ。

「乾燥ジャガイモと硬いチーズよりは美味いよ。」

とシオドアが変な誉め方をしたので、少佐が次はペミカンにしますと言った。アリアナがクスッと笑った。シオドアと少佐が同時に彼女を見たので、彼女は慌てて言い訳した。

「あなた方が喋っているのを聞いていたら、まるで兄妹みたいだなって思ったの。」
「俺の兄妹は・・・」

 シオドアはちょっと躊躇ってから言った。

「君だよ、アリアナ。それから認めたくないがエルネストだ。」
「エルネストは外しても良いわよ。」

 アリアナが少佐に話を振った。

「貴女は兄妹がいますか?」

 いない筈だ、とシオドアは思ったが、少佐は答えた。

「弟と妹がいます。」
「え? 君は一人っ子じゃなかったっけ?」
「そんなことを言った覚えはありません。」
「でも、生まれて直ぐにお母さんが亡くなったと・・・」
「私を産んだ母親は亡くなりました。」

 少佐はいつも自分のことになるとはっきり言わない。彼女は父親もいないと言った。それはつまり、彼女の両親は正式に結婚していなかったと言うことなのか? それ以上プライベイトなことにツッコミを入れるのは良くない。彼は自重した。アリアナはあまり深く考えずに、

「弟妹がいるって良いですね。」

と言った。少佐はコメントしなかった。
 美食とは程遠いランチを終えて、シオドアは皿洗いを担当した。少佐はセルバ流にシエスタだ。ソファの上に横になって直ぐに睡眠状態に入った。アリアナは書斎に入り、ドアを開いたまま、仕事用のパソコンを開いたが、彼女も昨夜は一睡もしていない。椅子に座ったままうたた寝を始めた。
 皿洗いを終えたシオドアもリビングの椅子に座って目を閉じた。研究所に行って、どこまで奥へ行けるだろう。ステファン大尉は超能力者達を閉じ込めておくエリアにいる筈だ。昔のシオドアなら自由に出入り出来た区画だが、今は無理だ。

異郷の空 18

  昼前にアリアナ・オズボーンが帰宅した。酷く焦燥感を漂わせながら、家に入ると出迎えたシオドアに抱きつき、それから鞄をソファの上に投げ出してバスルームに真っ直ぐ向かった。

「君に挨拶ぐらいすれば良いのにな。」

 シオドアは”妹”の無礼をケツァル少佐に謝った。少佐は鞄が投げ出されたソファの真ん中に座っていたのだ。少佐はコメントせず、窓の外を振り返って見た。アリアナの車が車庫の外にある。シオドアの車を車庫に入れたからだ。路上に1台セダンが停まっていて、運転席と助手席にいる男達がこちらを見ていた。

「彼女は監視されていますね。」
「俺達も見られたかな?」
「貴方は車があるから、ここにいると連中はわかっているでしょう。」
「君は見られた?」
「見えていないと思います。」

 少佐は「私は猫ですから」と意味不明のことを呟いた。シオドアは先刻まで座っていた彼女の向かいの椅子に座った。

「アリアナは今朝風呂に入らなかった。彼女の習慣じゃない。清潔好きなんだ。」

 少佐がフンと鼻先で笑った。

「彼女の体からカルロの匂いがプンプンしていました。」

 シオドアはある考えに至って、ドキッとした。バスルームの方を見て、寝室の方角を見た。アリアナは庭先で拾った黒い猫に魅了されていた。彼を手当てして自身の体温で彼を温めてやった。それだけで満足しただろうか? シオドアが少佐を迎えに出ていた時間、2人はどうやって過ごしたのか。

「やばいかも・・・」

と彼が呟くと、少佐が不思議そうに彼を見た。

「どうしてです? カルロも彼女も大人ですよ。」

 シオドアは彼女を振り返った。少佐はアリアナがステファン大尉を誘惑したことに気がついていたのだ。だが、その行為の重要性には気がついていない。

「エルネストは彼女がステファンに何をしたか悟ったんだ。彼女の体にはステファンの遺伝子が残っている可能性があった。だから、エルネストは彼女に体を洗わずに研究所に来いと命じたんだ。」

 ケツァル少佐はやっとシオドアの憂慮の内容を理解した。ああ、と軽く相槌を打った。ちょっと痛ましいものを見るようにバスルームの方を見た。

「彼女には侮辱的な体験だったでしょうね。」
「それは・・・確かに彼女は気の毒だが・・・」

 どうも少佐と物事の見解がズレている、とシオドアは感じた。

「”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子を研究所が手に入れてしまったってことだ。」

 彼はテーブルの上に体を乗り出して、少佐に顔を近づけた。

「いいかい、連中はステファンを捕まえた。だけど、彼はしっかりした自我を確立させた成人で、他人に操られることはない。薬やなんかで意識を混濁させて精神状態を弱らせ、研究所の言うことを聞かせる方法があるが、彼の様に強力な超能力を持つ人間を調教なんて出来っこないんだ。つまり、彼は本当に研究所が手に入れた初めての”本物”だから、まだ誰も調教の仕方を知らないんだ。操ろうとしても、絶対に無理だ。彼の力の本当の大きさを誰も知らないからね。無理やり従わせたら却って危険な事態になる。その程度の予測は連中も出来る。
 ステファン本人は兵器として使えないから、彼の遺伝子を使って使える人間を作るんだ。普通の人間の遺伝子情報に組み込んで超能力を使えるようにする。或いは時間はかかるが、彼の子供を作って研究所が操れる人間に育てる。」

 シオドアは自嘲した。

「思い出したんだよ、少佐。 俺がやっていた研究が、正にそれだったんだ。俺は変わった能力を持つ人間の遺伝子を集めて、分析して、兵器として応用出来る方法を研究していたんだ。だから、研究所は俺を野放しにしてくれないんだ。」

 少佐が理解した、と頷いた。

「カルロは種馬として捕まえられたのですね。」

 シオドアの目に、彼女はそんなに重要なことと考えていない様に映った。

「セルバの人口は120万です。そのうち純血の先住民は5パーセント、そのうち”ヴェルデ・シエロ”はその0.5パーセントです。メスティーソの”ヴェルデ・シエロ”が何人いるのか、私にはわかりませんが、かなりの人口になります。種馬の価値は大したことではありませんが・・・」
「そう言うことじゃなくて・・・」

 アリアナがバスルームから出て来た。バスローブを纏って、真っ直ぐ寝室へ入って行った。

「セルバ共和国は国を挙げて神様の遺伝子を守っているじゃないか。血液サンプルの持ち出しだって難しい。現にアンゲルス鉱石で採取したサンプルも全く偶然に”それらしい”ものが1件あっただけだ。セルバ人は外国に行っても、多分正体がバレないように用心している筈だ。研究所が手に入れられる遺伝子は、捕まえた男のものだけなんだ。」

 シオドアは結論を言った。

「ステファンを救出するのが一番の目標だが、遺伝子のデータも消さないといけない。」

 少佐が天井を見上げた。暫く考えてから、視線を彼に戻した。

「では、役割分担をしましょう。カルロは私が救出します。貴方はデータを消して下さい。」

 そんなに簡単に言って良い訳? シオドアは彼女の楽観主義は何処から来るのだろう、と疑問に思った。


2021/07/10

異郷の空 17

  ケツァル少佐が目を覚ますと、外はまだ暗かった。時計を見るとセルバ共和国なら既に太陽が昇っている時刻だ。彼女は隣の運転席で寝ているシオドア・ハーストの頬を手でピタピタと叩いて起こした。

「オズボーン博士の家に行きましょう。」

 シオドアは逆らわずに基地へ向かって走った。門衛はシオドアの顔見知りで、助手席で赤いフードをかぶっている人物をチラリと見た。詮索するつもりなどなかったのだが、フードの人物がフードを取ったので思わず顔を見た。目を見てしまった。そしてシオドアに行っていいよと手を振った。車が基地内に入った後、彼はシオドアが戻って来たことを研究所に報告するのを忘れた。
 居住区の道路には当然C C T Vが至る所に設置されていたが、故障している物もある。アリアナ・オズボーンの家のそばのカメラが突然火花を出して停止したが、誰も気が付かなかった。
 シオドアと少佐はアリアナの家の前で車を停めた。シオドアが提案した。

「エルネスト・ゲイルは昔から盗聴や盗撮が趣味なんだ。皆んなが知っているし、彼自身も知られていることを知っている。この家にも盗聴器が仕掛けてある筈だ。俺が見つけて壊しても、あいつは気にしない。これも昔からやってるイタチごっこだからね。少佐、お手数だが、これからこの家の盗聴器を探してくれないか?」
「承知しました。」

 ドアチャイムを鳴らすと、かなり待たせてからアリアナがドアを開けた。シオドアはドアチェーンが断ち切られているのを見たが、コメントはしなかった。鍵が無事だったのは、特殊部隊がステファンに気づかれないよう、静かに侵入したからだ。
 アリアナが抱きついて来たので、シオドアは彼女がどんなに怖かったか訴えるのを聞いてやった。その間にケツァル少佐が屋内を歩き回り、リビングとキッチンで1個ずつ盗聴器を発見した。シオドアはそれを彼が見つけたふりをして踏み潰した。寝室と客間、アリアナの書斎は無事だった。日頃から彼女が客を入れない場所だ。エルネストも入れてもらえなかったのだ。シオドアはステファンと美術品回収任務や暗殺未遂、ナワルに変身した話をしたのが寝室で良かった、と安堵した。
 アリアナがキッチンのテーブルにパンとジャムを出した。

「朝食にして頂戴。私は食欲がないから、食べずに出勤するわ。」

 シオドアはびっくりした。

「研究所に行くのか?」
「私の職場だもの・・・」

 彼女は着替える為に寝室へ行った。シオドアは少佐がキッチンでパンにジャムを塗るのを見た。女達は何か重大な危機があっても日常の習慣を変えないようだ。彼はキッチンに入り、インスタントのコーヒーを淹れた。少佐がラズベリージャムを塗ったパンをくれた。彼女はブラックベリーのジャムだ。

「彼女について行きますか?」

と少佐が尋ねた。シオドアは考えた。

「歓迎してもらえるとは思えないな。俺は追放された身だから。」
「でも研究所に入らなければ、何も出来ませんよ。」
「多分、ここで待っていれば迎えが来ると思う。」

 そこへ着替えたアリアナが戻ってきた。くたびれた顔で、なんとか化粧を直して髪を整えた程度だ。シャワーを浴びずに出かけるのが意外だったので、シオドアは不審を覚えた。それにまだ外は薄暗い。

「仕事を休めよ。」

 シオドアは精一杯思いやって声をかけた。アリアナは首を振った。

「行かなきゃ駄目なの。彼の為にも・・・」

 彼女はケツァル少佐を見る勇気がなかった。このインディオの女性は私が彼にしたことを絶対に気がついている。だから盗聴器を壊した後も私に一度も声をかけて来ない。
 アリアナは職場に出かけて行った。車で5分の距離だ。
 シオドアはリビングの床に散乱している投光器のレンズの破片を片付けた。特殊部隊は強烈な光をステファンの顔に当てて”ヴェルデ・シエロ”の最も手頃な武器である目を眩ませたのだ。エルネストにそんな知識はない。恐らくオルガ・グランデに遺伝子サンプルを集めに足を運んでいたダブスン博士がアンゲルス鉱石の連中から仕入れた”ヴェルデ・シエロ”の対処法だ。
 少佐はアリアナのラップトップを見つけた。アリアナが職場とは別に使っている物だ。昨夜はシオドアが少佐との落合場所を検索するのに使用した。今度は少佐が使い始めた。研究所の見取り図を探し出し、部屋数や配置を見ていた。シオドアが横から覗くと、今度は設計図を出していた。何処からそんなものを探し出したのだ? とシオドアは驚いた。国の研究施設だ。民間人がアクセス出来るものではない。しかし少佐は水道の配管や下水施設や通風孔の位置やゴミのダストシュートまでチェックした。

「ドクトル、彼等はカルロを何処に収容していると思いますか?」

 訊かれてシオドアは地下の特別区画を指した。

「ここは特定のメンバーしか入れない。アメリカ全土から攫われてきた超能力者達が収容される場所だ。検査と実験を行なって、使い物にならないと判断されたら記憶を消されて元の場所に戻される。世間じゃ、U FOに攫われて戻されたと騒いでいるがね。 ステファンを閉じ込めるなら、ここしかない。」
「貴方は入れるのですか?」
「以前は入れた。」

 何故そんなことを思い出せるのだろう。シオドアは自分で驚いた。さっきまでそんな研究所の暗部を思いつきさえしなかったのに。

「I Dカードとパスワードがあれば入れた。俺が生まれた場所でもあったから。超能力者を検査する場所は網膜認証が必要なんだ。」
「コンピューター相手では”幻視”は使えませんね。」

 と少佐は言ったが、特に諦めた感じではなかった。

異郷の空 16

  男達が去ってしまうとアリアナはリビングをぼんやり眺めた。割れた投光器のレンズが落ちている。ステファンの気の力で吹っ飛ばされた兵士がぶつかったテーブルがひっくり返り、上にあったラップトップが床に落ちていた。シオドアが置いていった料金切れの使い捨て携帯電話も転がっていた。
 彼女は携帯電話を拾った。ボタンを押すと一瞬だけ生き返った。最後の通話の番号を彼女はチラリと見た。彼女の脳はそれだけで十分だった。死んでしまった携帯電話を置いて、自分の電話でその番号にかけた。エルネストが部屋の何処かに盗聴器を仕掛けている筈だが、どうでも良かった。向こうに言いたいことが伝われば良いのだ。
 呼び出し1回で先方が出た。アリアナは相手に名乗る暇を与えずに喋った。

「オズボーンです。ここへ来ては駄目。テオと一緒に逃げて下さい。」

 数秒間を置いて、シオドアの声が聞こえた。

ーーアリアナ、どうした?

 アリアナはその声を聞くと涙が出てきた。しかし泣いていては伝えたいことが伝わらない。

「エルネストとヒッコリー大佐が来たの。彼を連れて行ってしまった・・・」

 シオドアも数秒間沈黙した。そして向こうで「あの盗聴オタクめ!」と喚く声が聞こえた。

ーー今、君の家か?
「そう・・・」
ーー来たのは2人だけか?
「いいえ、全部で8人いたわ。多分特殊部隊だと思う。彼はもう力が残っていなかったから、戦わずに捕まったわ。目隠しされたから、ダブスン博士がエルネストにセルバ人について何かアドバイスしたのよ。あの人、よくセルバの太平洋岸へ行っていたから。」
ーー君は何もされなかったのか? 怪我とかしていないか?

 シオドアはいつから他人を気遣うようになったのだろう。

「私は大丈夫。でも明日の朝、研究所へ来いと言われてる。」
ーー取り敢えず、逆らわずに従っていろ。こっちで何か手を考える。

 シオドアの方で電話を切った。アリアナは深呼吸した。そしてケツァル少佐の名前を出さずに会話出来たことに気がついた。盗聴されていても、エルネストに彼女の名前はわからない。否、今頃あの男は捕まえたセルバ人に注意を集中させて盗聴どころでないだろう。
 彼女は寝室へ行った。部屋の中にまだあの男の匂いが残っていた。日向ぼっこしている猫の毛皮に似た匂いだ。彼女はベッドに身を投げ出し、泣いた。

 シオドアとケツァル少佐はメルカトル博物館の近くの公園に車を停めていた。まだ早朝の午前2時だ。真っ暗で星は見えていない。月もない。空は曇っているのだ。雪が降るかも知れない。南国育ちのセルバ人はきっと寒い筈だ。シオドアは助手席の少佐を見た。彼女は先刻から腕組みして目を閉じたままじっとしていた。体に触れるな、声をかけるなと言われているので、彼も背をシートにもたれかけて目を閉じた。
 エルネストは門衛からシオドアがアリアナの家に呼ばれたことを聞いていた。だがステファン大尉が彼女の家にいることをどうやって知ったのだろう。室内に盗聴器を仕掛けているとしたら、ミゲール大使との電話も、大尉がカメル軍曹と行った任務や暗殺未遂の話も聞いた筈だ。あいつはセルバ共和国の秘密をどこまで知ってしまったのだろう。もしあの国が超能力者の国だと知ったら、アメリカ政府はどうするつもりだろう。今まで地球の片隅でひっそりと暮らしてきた古代の神々の子孫達をそっとしてやってくれないか。
 少佐が大きな息を吐いたので、彼は目を開いた。彼女が何処かに心を飛ばしていたのだろうと思ったが、質問しなかった。

「何かアイデアを思いついたかい?」

 すると彼女は言った。

「お腹が空きました。何か食べましょう。」

 シオドアは勤めているコンビニへ彼女を連れて行った。そこでブリトーとコーヒー、使い捨て携帯電話を2つ買った。少佐も使い捨て電話を使用していたのだが、アリアナとの通話が終わった後で捨てたのだ。
 お腹が膨れると少佐はシートを倒して寝てしまった。シオドアは彼女が豪胆なことは分かっているつもりだったが、ちょっと呆れた。アパートに帰ろうかとも思った。しかし建物のそばまで行くと、見慣れない車両が2台ばかり前の道路に駐車していたので、停止せずに通り過ぎた。公園に戻り、そこで彼も少し眠った。

 

異郷の空 15

  アリアナ・オズボーンはカルロ・ステファンの逞しい筋肉質の体を優しく何度も撫でていた。彼はウォッカマティーニ1杯で酔ってしまった。逃亡と変身と負傷で消耗した体力が戻っていなかった。だから彼女にされるがままになって、彼女が求めるままに体を動かした。アリアナは今まで味わったことがない快楽を体験した。シオドアも研究所の他の若い科学者達も助手達も、こんなに素晴らしい体を持っていない。この猫を手放したくない。
 だがカルロ・ステファンの方は違った。命の恩人の要求に応えただけだった。上官の、と言うより士官学校時代の上級生の命令に従う感じで「仕事をした」。終わると全身が溶けてしまう様な疲労感が残っただけだった。もうすぐ上官が迎えに来てくれると言うのに、眠たくて仕方がない。彼はシーツに顔を押し付けて目を閉じた。
 アリアナがベッドから出た。彼女ももうすぐシオドアがケツァル少佐を連れて戻って来ることを忘れていなかった。素早く服を身につけた。

「お水を持って来るわ。貴方も服を着て。」

 彼女が寝室から出ると、彼は仕方なく体を起こしてベッドから降りた。ズボンを履いた時、キッチンの方で物音がした。彼女は水を汲みに行ったのだから当然かと思ったが、彼の本能が警戒せよと言った。素足のまま、彼はドアに近づき、耳を澄ました。音は聞こえない。彼女が水を汲む音も冷蔵庫を開け閉めする気配もない。感じるのは複数の人間の張り詰めた緊張感だ。

 敵が家の中に入ってきている

 武器はない。ナイフもアサルトライフルも拳銃も何もない。変身も出来ない。今は指先さえ変化させる体力が残っていない。寝室の窓を見た。外にも人間の気配があった。
 彼はシャツを着た。捕まるとしても、みっともない姿で捕虜になるのは嫌だと思った。それにアリアナ・オズボーンがどうなったのか気になった。命の恩人だ。そして大事な友人テオドール・アルストの”妹”だ。
 靴がないので素足のまま、ドアを開き、廊下に出た。真っ暗だった。アリアナが照明を消した筈がない。シオドアが帰って来るのだから。キッチンとリビングの方へ歩き出すと、前方に人影が現れた。奇妙な頭部だったので、一瞬ギョッとしたが、赤外線スコープ付きのヘルメットを被っているのだとわかった。銃をこちらへ向けている。左右に1人ずつ。撃つなら撃て。彼はゆっくりと進んだ。暗闇は”ヴェルデ・シエロ”にとって色彩がないだけで普通に見える世界だ。キッチンの方でアリアナの匂いがした。血の匂いはしないから、彼女は抑えられているだけだ。彼が進むと、赤外線スコープの連中が後退りした。
 小さな家だ。すぐにリビングに到達した。部屋に入った途端に照明が点いた。強烈なライトを顔に浴びせられ、ステファンは手で顔を覆った。

「美術品窃盗犯の”コンドル”だな?」

と男の声がした。男はライトの横に立っているので顔が見えなかった。相手の目を見ることが出来ない。胴に銃口が押し当てられた。彼は仕方なく両手を挙げた。まだライトを顔に当てられたままなので目を前へ向けられなかった。ヘルメットを脱ぐ男達がチラリと見えた。
 警察ではない? 彼は軍人だ。外国の軍隊の制服の知識は持っていた。アリアナ・オズボーンの家の中にいるのはアメリカの陸軍だ。
 キッチンでアリアナのヒステリックな声が聞こえてきた。

「私の家の中で何をしているのよ! 彼は友達よ! 銃を向けないで!」

 するとステファンが知らない別の男の声が言った。

「君にセルバ人の友人がいたなんて、初めて知ったよ、アリアナ。今夜はテオが泊まる筈じゃなかったかい?」

 その男はライトの横の男にも声をかけた。

「そのセルバ人の頭に袋を被せなさい、ヒッコリー大佐。目を使わせちゃ駄目だ。ダブスンがそう言ってる。」

 ステファン大尉はアリアナとその若い男が言い合いを始めたのをぼんやり聞いていた。兵士が彼の腕を掴み、背中で緊縛した。そして若い男の希望通りに黒い不織布製の袋を頭部にすっぽりと被せられた。これじゃゲリラの誘拐と同じじゃないか、と彼は思った。急に恐怖が襲ってきた。2度と生きて故郷に帰れない。彼は心の中で叫んだ。

 ケツァル少佐、早く来てください!

 彼の腕を掴んでいた兵士が後ろに吹っ飛んだ。ライトの電球が破裂し、他の兵士達が手に電気の様な衝撃を感じて危うく手にしていた銃を落としそうになった。エルネスト・ゲイルは全身が痺れる様な感覚を覚え、ライトの破片を浴びて呆然としている制服姿のヒッコリー大佐を見た。

「何が起こったんだ?」

 大佐が呟いた。アリアナが床に膝を突いたステファン大尉に駆け寄った。

「大丈夫?」

 咄嗟に彼女は彼の名前を偽った。

「しっかりして、コンドル。」

 ステファン大尉は袋の中で微かに頷いた。エルネストが彼女の肩を抱いて引き起こした。そして大佐を振り返った。

「見たでしょ? 今のがこいつの力ですよ。凄い、本物だ!」

 ヒッコリー大佐は服に飛び散ったガラス片を手袋で払い落とした。兵士達は距離を空けてステファンを取り巻いている。少しでも変わったことをしたら撃ち殺しかねない雰囲気だ。 エルネストはアリアナを振り返った。

「こいつを説得しろ。大人しく従えば、傷つけたりしないと言うんだ。研究に協力すれば窃盗の罪は見逃してやると言え。」

 アリアナは彼を睨みつけ、それから再びステファンの横に膝を突いた。恐る恐る彼の背中に手をかけると、彼は微かに緊張したが、何も起こらなかった。彼女はそっと囁いた。

「貴方の遺伝子を調べさせて。痛い思いは決してさせないわ。だから、彼等に逆らわないで。わかるでしょう? 今の貴方に戦うのは無理よ。」

 彼女は彼が抵抗しないことを示す目的で彼を抱き締め、それからエルネストに頷いて見せた。
 ヒッコリー大佐がセルバ人を家の外に連れ出すと、エルネスト・ゲイルはアリアナにもついて来いと言った。

「テオが戻るのを待つわ。」

と彼女が逆らうと、彼は彼女の体を見ながらニヤニヤ笑った。

「だけど、サンプルは新鮮なうちに採取しておかないとね。」
「どう言う意味?」
「人前で僕に言わせる気かい? さっきまで彼と寝室にいたんだろ?」

 アリアナは耳まで真っ赤になった。それでも行かないと頑張った。それなら、とエルネストが彼なりに譲歩した。

「自分でサンプルを採取して明日の朝一番に持って来いよ。そうすれば彼に恥ずかしい思いをさせずに済むぜ。」

 彼は彼女を家に残し、外に出た。窓を黒く塗ったバンがエンジンをかけたまま待っていた。彼は中央の席に乗った。後部席を見ると、2人の兵士に挟まれて座ったセルバ人がぐったりしているのが見えた。ただし、袋を被せられているので顔は見えない。

「そいつ、どうしたんだ?」
「具合が悪そうです。」
「観察していろ。折角生け捕ったのに死なれては困る。」

 前に向き直った彼は呟いた。

「アリアナのヤツ、かなり弄んだ様だな。」

 研究所はすぐそこだった。


異郷の空 14

 シルヴァークリークが東海岸の先住民の町だと気がついたのは、目的地のラシュモアシアターに到着した時だった。すっかり夜中になっていたが、週末の映画館の前では若者達が酔っ払って騒いでいた。彼等の顔付きがとても懐かしいものに見えた。シオドアは駐車場の中をゆっくり車を走らせ、女性の姿を探した。多分迷彩服を着た人を探していたのだ。だからコーナーを曲がるためにうんと速度を落とした時に、派手な赤いジャンパーを着た女性にいきなり横から窓を叩かれてびっくりした。
 ケツァル少佐は黒っぽい色のTシャツの上に防寒用のド派手な赤いジャンパーを着ただけだった。腰から下は迷彩柄のパンツだ。シオドアがドアを開けると素早く助手席に乗り込んで来た。シオドアは来た道を逆に走り始めた。片道2時間の行程をまた運転するのだ。

「”出口”はここしかなかったのかい?」
「都会のど真ん中に出てしまうより安全でしょう。」
「好きな場所に出られるんじゃないのか?」
「目的地の近くに出られますが、希望通りの場所に出られるとは限りません。」
「俺には仕組みがまだよく分からないんだが・・・」
「空間は均一ではないのです。渦が所々にできて、常時移動しています。渦が”入り口”です。入ると自分が行きたい方角を念じます。”出口”が出来て外に出られます。達人は”入り口”を見つけるのが早いし、”出口”を作るのも上手です。」

 シオドアはゲリラから逃げた時、バナナ畑に落ちたことを思い出した。ステファン、シオドア、ロホの順に上下に重なって落ち、少佐はバナナの木に引っかかっていた。ステファンが上官に苦情を言っていたっけ。もっと上手になってくれ、と。多分、上手な人がいれば地面に立った状態で出られたのだろう。
 今度は少佐が質問した。

「私の部下に何があったのですか?」
 
 それでシオドアはステファンから聞かされた話を語って聞かせた。ミゲール大使がメルカトル博物館の泥棒騒動を知らなかったように、少佐も知らなかった。アメリカの小さな私立の博物館で起きた窃盗未遂事件など外国で報道されたりしないのだ。陸軍特殊部隊のカメル軍曹がステファンを殺害しようとしたと聞いて、少佐は難しい表情を浮かべた。

「本当に殺したいのなら、銃を使えば確実でしょうに。軍曹は拳銃を所持していたのでしょう?」
「俺はそこまでは知らない。だが、警察に向けて発砲したから撃たれたんだ。何か銃器を持っていたのだろう。 ナイフで心臓を刺すのは何か意味があるのかな?」

 すると彼女は嫌そうに顔を顰めた。

「心臓を汚したかったのかも知れません。」
「心臓を汚す?」
「古代の儀式で、勇士の心臓を神に捧げ、神官達が食べると言うものがあります。」

 シオドアは運転しながら、はぁ? と声を上げた。

「食人じゃないか!」
「スィ。メソアメリカ文明ではしばしば見られる過去の文化です。他国の遺跡でも同様の儀式を表すレリーフなどが残っています。食べられる心臓の持ち主は、その勇気と戦歴を讃えられるのです。」
「・・・理解出来ない・・・」
「生贄の文化を私も支持している訳ではありません。今は、カメルの行動を分析しようと試みているだけです。」
「それにしたって・・・心臓を刺すと汚すことになるのか?」
「生贄の心臓は、血を流さずに取り出されなければなりません。食べられる者の名誉です。しかし、心臓自体を刺して血を流せば、勇者は汚され、名誉も汚されます。」

 少佐の声に怒りが滲んだ。

「混血の”ヴェルデ・シエロ”が大統領警護隊の上位将校へ昇ることを我慢出来ない奴等がいるようです。」

 シオドアは以前に少佐やステファン大尉から聞いた純血至上主義者の話を思い出した。純血の”ヴェルデ・シエロ”こそが人間で、他は認めないと言うファシスト達の存在だ。

「純血至上主義者の長老がカメルにステファン大尉の暗殺を命じたと言うことか?」
「誰が命令を出したのか知りませんが・・・」

 少佐は考え込んだ。

「外国で自国民を殺害する様な愚かなことを彼等は喜ばない筈です。私達の存在を外国に知られる恐れがあります。彼等自身が最も心配することです。ですから、カメルのことは・・・」

 シオドアは先に推論を述べた。

「個人的怨恨かな。ステファンに出世を邪魔された誰かの一族が怒っているとか?」

 少佐は否定しなかった。

「私もそれ以外に思いつきません。カメルは”ヴェルデ・ティエラ”、つまり貴方と同じ普通の人間ですから、心を操る術をかけられていたのではないかと思われます。”操心”は非常に高度な術です。長老の誰かが関係しているのでしょう。」

 シオドア達は高速道路に入った。ステファン大尉暗殺未遂はこれ以上考えても埒があかなかったので、彼は話題を転じた。

「ステファンが黒いジャガーに変身したことも聞いた?」
「スィ。」

 少佐の雰囲気が一変した。明るくなったのだ。

「驚きました。誰もが彼はナワルを使えないと諦めていたのですから。私も彼をどう指導すべきか分からなかったのです。今回は酷い状況だった様ですが、一回変身に成功すれば、後は訓練次第で好きな時にナワルを使える様になります。ロホの様に軽はずみに使わないよう、釘を刺す必要はありますが。」
「ミゲール大使は、彼が変身したと聞いて慌てていた様だけど・・・」
「変身出来る”ヴェルデ・シエロ”を私達は”ツィンル”と呼びます。意味は正に”人間”です。本国の長老会は国中の”ツィンル”を登録しています。未登録の”ツィンル”は危険人物扱いされるので、カルロの身の安全の為にも一刻も早く長老会へ報告することが必要だったのです。」
「変身できなければ”出来損ない”で、変身出来たら出来たで危険人物扱いかい? 君達の世界も厄介な決まりが多いなぁ。」

 少佐は肩をすくめただけで、シオドアの言葉を否定しなかった。

「彼は白人の血が入っているので、何が出来て何が出来ないのか、本人も私達もわかりません。ただ普段放出しっぱなしの彼の気がかなり強いので、年長者達は彼を警戒しています。感情のコントロールが出来なければ、気を爆発させてしまう恐れがあるからです。」
「ステファンはカメルに脇腹を切られた時、びっくりして電線を切った筈の警報装置を鳴らしてしまったと言っていた。」
「その時点で気の制御が効かなくなっていたのでしょう。だから逃げたい一心で速く動けるジャガーに変身したのです。」

 シオドアは何か言い忘れているような気がしたが、思い出せないでいた。

「君達純血種は、誰でもジャガーに変身出来るんだね?」
「純血種は、スィ、誰でもナワルを使えます。」
「君も?」
「スィ。」
「混血の人は無理なのか?」
「その人の気の大きさによります。”うちの”マハルダ・デネロス少尉は白人の血の割合が多いのですが、彼女自身の気は大きいので、ナワルを使えます。ただし、ジャガーではなく、オセロットです。」
「可愛い!」
「でも獰猛なオセロットですよ。」

と言いながらも、少佐が微笑んだ。年下の部下達の話をする時、彼女は家族を思う母親の様な表情になるのだ、とシオドアは気がついた。ケツァル少佐にとって、文化保護担当部は家族なのだろう。だからどんな危険な状況でも、部下が困難に直面すると助けにやって来る。シオドアは羨ましいと思った。彼も早くエル・ティティに戻って、ゴンザレス署長や若い巡査達と一緒に暮らしたい。
 そんな温かい感情が、いきなり破られた。
 ケツァル少佐が突然ビクリと体を震わせた。 ドクトル! と彼女がシオドアを呼んだ。

「急いで下さい。今、カルロが私を呼びました。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...