2021/07/18

聖夜 4

  シオドアは翌朝5時前に目が覚めた。まだ疲れが取れていなかったが、亡命のことを考えると興奮して熟睡出来なかった。大使は本国の許可が出次第彼とアリアナをアメリカから出国させてセルバ行きの飛行機に乗せると言ってくれた。空港までは武官とその部下が護衛してくれる。ケツァル少佐とステファン大尉はセルバ国民だし、軍務終了でこの日の内に帰国する予定だ。大使はカメル軍曹の遺体を引き取る口実を考えなければと言っていた。カメルは今のところセルバ共和国と無関係な泥棒として警察の遺体安置所に置かれている。もしかすると国立遺伝病理学研究所が彼も超能力者であると考えて遺体を引き取ってしまったかも知れない。カメル軍曹は恐らく何者かに心を操られ、ステファン大尉暗殺を図ったのだ。本人に罪はなかっただろう。大使は彼の遺体を本国の親族に返したいと希望した。この件は大統領警護隊文化保護担当部の管轄ではなかった。大使館の仕事だ。昨日大使の部屋にいたファルコ少佐と言う武官が指揮を執るのだろう。ケツァル少佐が彼と話をしたのは、その件かも知れなかったが、シオドアは確認する機会がなかった。
  客間のバスルームで洗顔して服を着替えた。廊下に出ると、冷たい風が建物の端から吹いてきて、微かにタバコの香りがした。ステファン大尉のタバコの匂いだ、と思ったシオドアは暗い廊下を静かに歩いて行った。アリアナや少佐の部屋は静かだ。まだ眠っているのだろう。大使館の業務開始が午前9時だと言っていたので、使用人もまだ活動していない様子だ。
 廊下の突き当たりにバルコニーに出る大きな掃き出し窓があった。そこで柵にもたれて庭を見下ろしながら、ミゲール大使がタバコを吸っていた。ガウンを着ている。シオドアが「おはようございます」と声を掛けると、彼は振り返って優しい表情で「おはよう」と返事をした。

「よく眠れましたか?」
「それが、亡命のことを考えると興奮してしまって・・・」

 シオドアは慌てて言い添えた。

「楽しみなので、興奮しているんです。本国が許可を下さることを切に願っています。」
「我が国を愛してくれて有り難う。」

 大使は微笑んだ。

「それとも、国ではなく人を愛して下さっているのかな。」
「人です。」

 シオドアは断言した。

「俺を救ってくれたエル・ティティの町の住人達、一緒に冒険をした大統領警護隊の仲間達、大学で俺を先生と呼んでくれた学生達・・・俺はセルバで初めて人間として扱ってもらえた。」
「私も貴方が気に入りましたよ。」

 大使がタバコを勧めてくれたが、シオドアは喫煙の習慣がなかったので辞退した。

「セルバ国民でも誰かが”ヴェルデ・シエロ”だとわかると、周囲は皆んな退くんですよ。私は父親がスペイン系で、母親がサスコシ族のメスティーソです。私は”心話”しか使えないので普通の子供として育ちましたが、母親は気を出しっぱなしの”出来損ない”でしたから子供の頃それなりに苦労した様です。虐められることは決してありません。皆んな神様の力が恐いのでね。その代わり、仲間外れにされます。ですから私の母は学校の勉強を頑張って白人の会社に就職し、父と出会いました。私の”ヴェルデ・シエロ”としての教育は、母方の親族から与えられた物です。」

 そしてふと心配そうな表情になった。

「寒くありませんか?」
「スィ、寒いです。」

 大使はシオドアに建物の中へ入れと手を振り、タバコを携帯吸い殻入れに入れて消した。

「このタバコの葉には、微量ですが麻酔の様な作用があって、”出来損ない”の出しっぱなしの気を鎮める効果があります。カルロ・ステファンが吸っているのを見たことはありませんか?」
「ジャングルで出会った時、彼はいつも咥えていました。火が点いていてもいなくても。」
「彼の様に大きな気を持つ者には必需品です。しかし、吸うと能力が抑制され、純血種の様に自由に使うことが出来なくなります。」

 大使は窓を閉め、シオドアを階段へと誘った。

「朝食迄時間があります。書斎でコーヒーでもいかがです?」
「いただきます。丁度欲しかったんです。」

 シオドアの正直な言葉に彼は朗らかに笑った。シオドアは大使にリクエストした。

「朝の寛ぎの時間を台無しにして申し訳ありませんが、もし宜しければ”ヴェルデ・シエロ”について少しレクチャーして戴けませんか? これからセルバ共和国で暮らす心構えとして。」
「構いません。私も早くに目が覚めて時間を持て余していただけですから。」

  大使の書斎は大使館に使われている区画の近くにあった。部屋の中は高価な書物がぎっしり詰まった書棚と農園主としての事業家である彼のもう一つの顔を表す書類のファイルの棚があり、観葉植物の植木鉢が5つ点在していた。大使はシオドアに好きな椅子にどうぞと言って、自分でコーヒーを淹れた。遠くで物音がした。彼はコックが出勤して来て朝食の仕込みを始めたのだと教えてくれた。
 
「通常は私一人か妻と2人だけなので朝は自分で簡単に済ませるのですが、今朝は客人がいますからね、彼は臨時収入を得られる訳です。」
「奥様はお出かけですか?」
「妻は宝飾デザイナーで、マドリードとパリに工房を持っています。セルバの農園へはよく帰って来ますが、この大使館には大きな行事がある時にしか来ません。」

 大使がウィンクした。

「ここには娘がいないでしょう?」
「ああ・・・」

 きっとケツァル少佐は大使夫人にも「ママ」と抱きついてキスをするのだろう。大使の机の上には家族の写真を入れた写真立てがたくさん置かれていた。黒髪のスペイン美女と黒髪の純血種先住民美少女の写真が大半だ。どの写真も笑顔が溢れていた。

「妻は娘が何者なのか知りません。生まれて直ぐに母親を亡くした赤ん坊を、私の親族を名乗る長老から託された時、本当に単純に子供欲しさから引き取ったのです。”操心”など必要なかった、とその長老は私に言いました。結局私達夫婦には実の子ができずに、子供はシータ一人だけです。ですから妻のあの子への愛情と言ったら、夫の私が嫉妬するほどですよ。」

と大使が幸せそうに笑った。シオドアはこの家族が羨ましかった。エル・ティティのゴンザレス署長が恋しくて堪らない。どうしても本国の許可をもらわなければ、と思った。

「そんな可愛いお嬢さんが軍隊に入ると決めた時、賛成なさったのですか?」

 シオドアの質問に、大使が複雑な表情をした。

「娘が普通の男性と結婚して普通の家庭を築いて穏やかに暮らしてくれれば、私達親は安心出来るのですが・・・やはりジャガーを檻に入れておくことは出来ないのです。」
「ケツァル少佐は、”ヴェルデ・シエロ”としての教育は”曙のピラミッド”のママコナがテレパシーで行う様なことを言っていました。」
「その通りです。私の母も私も”出来損ない”ですから、ママコナの声は脳の奥で雑音程度にしか聞こえませんが、娘ははっきり言葉として聞いていました。”心話”で私にはわかりました。そして日々彼女が”ヴェルデ・シエロ”として成長していくのがはっきりわかりました。正直なところ、私は焦りました。明らかに普通の子供と違って利口過ぎるし、感情表現も大人の物です。ですから私は毎日彼女に”心話”で言い聞かせました。能力を隠せと。使用人の子供達と同じ様に振る舞えと。」
「ジャガーは猫のフリをしたのですね。」
「スィ。きっと彼女なりに辛かったと思います。しかしママコナも同じ様に説得してくれたのでしょう。多くの純血種が同様の教育を受けて来たのです。親が同族であるかないか、その違いでした。シータは妻の前では現在でも普通の娘として振る舞います。たまに失敗しますが、妻は娘が風変わりなのはインディヘナだからだと思ってスルーしています。」
 
 大使は真新しい軍服を着てお澄まししている少女の写真を眺めた。

「軍隊に入って、士官学校に入学し、大統領警護隊にスカウトされる、それが普通の道筋ですが、シータは最初から警護隊に入りました。彼女が何者か、皆んなわかっていたからです。」
「彼女は有名な様ですが・・・」
「特別だからです。」

 大使が視線をシオドアに向けた。

「そもそも、何故長老がわざわざ私に彼女を預けたか、お分かりですか?」
 

2021/07/17

聖夜 3

  食事が終わると、大使が客人に部屋を用意させていると伝えた。

「客間は3部屋あります。お好きな部屋を使って下さい。衣類も着替えた方が良いでしょう。」

 富豪の家は初体験だ。シオドアとアリアナはそれぞれ男性用女性用の衣装部屋に案内された。パーティーなどで来客が宿泊する時に利用するのだと言う。ステファン大尉も当初は遠慮していたが、いつまでも警備兵の制服を着ている訳にいかないので、シオドアと一緒に服を選んだ。人前に出る訳ではないので軽装だ。着替える時、大尉の脇腹の傷がすっかり塞がっていたのでシオドアは感心した。彼も傷の治りが早いが、これは驚異的だ。

「俺たちが大使の執務室に落っこちた時、大使の横にもう1人いたね?」

と話しかけると、大尉は出来るだけ質素な服を探し出してサイズを点検しながら応えた。

「大統領警護隊海外警備部のファルコ少佐です。」
「大使館付きの武官か。」
「スィ。エリート中のエリートです。」
「当然”ツィンル”なんだな。彼は君の救出作戦に全く関わっていなかったのか? 無関心に見えたけど・・・」
「私の任務は外交官が直接関与してはいけないものでした。私とカメルはこちらへ入国して直ぐに大使館に身分証を預けた後、任務完了まで一切大使館に接触してはいけなかったのです。難局に面しても助けを求めることを許されていませんでした。」
「だが、ファルコ少佐は君達の任務を知っていたんだろ?」
「スィ。ですが彼は恐らく死ぬ迄知っていたとは言わないでしょう。」
「セルバ共和国政府はそうまでして自国の秘密を守りたい訳だ。 だけど、今夜ぐらい君に一言苦労を労う言葉をかけても良さそうなものだ。」
 
 シオドアも大尉が探し出した服と同じタイプの物を近くのハンガーで見つけた。フリルが付いていないシャツとラメが付いていないジャケットとズボンだ。それから寝るためのパジャマを見つけた。大尉はパジャマは好きでないらしく、Tシャツとトランクスで十分の様だ。

「ファルコ少佐は、私が警護隊の訓練所を卒業する時に、私を採用しようとして下さった方です。」

とステファンは言った。

「混血の”出来損ない”の隊員の多くは、大統領府の警備で現役時代を終えます。海外警備部にスカウトされるのは大変名誉なことです。純血種でも滅多に呼ばれません。」
「そうだろうね。」
「私は外国語の成績が良かったので、少佐のお眼鏡にかなったのです。しかし・・・」

 大尉は溜め息をついた。

「他人の出世を妬む連中は何処にでもいます。誰かが、私が軍隊に入る前はスラム街でケチな犯罪を犯して暮らしていた過去を持っていると、少佐に告げ口したらしいのです。」
「それで、海外勤務の話はアウトか・・・」
「ええ・・・今回の任務は泥棒行脚でした。ファルコ少佐は私を見て、あの時採用しなかったのは正解だったと思われたことでしょう。」
「そうかな・・・泥棒に見せかけて盗難品を回収するのは非常に危険な任務じゃないか。それを任されるって言うことは、君の司令官が君を信頼していたからだろう?」
「そうですが・・・」

 彼は独り言の様に言った。

「私1人だったらもっと早く終わって帰れた筈なのに、何故カメル軍曹が一緒だったのか未だに理解出来ません。」
「ケツァル少佐はカメルが誰かに操られていたのだろうと考えている。”操心”はとても高度な術だそうだね。」
「スィ。今日、研究所から逃げる時に少佐は研究所全体に私達を無視すると言う術をかけました。それでもかからない人間が何人かいました。それに彼女の術は1時間ほどで効力がなくなります。ですが、カメルは国を出てから警官隊に撃たれる迄2ヶ月以上もかけられたままだったと考えられます。普通の”ツィンル”では不可能な力です。」
「カメルを君達に紹介した特殊部隊の司令官が彼を操ったのではないのか?」
「特殊部隊の司令官はチコ・ディノイ大佐です。まだ長老と呼ばれる年齢ではないし、そんな術を使える修行をした様には思えない。軍隊の中は外の人が考えるより忙しいのです。ママコナから教わる以外の術を修行する時間など取れません。」
「それじゃ、その大佐を操った人間がその上にいるのさ。」

 2人は楽な服装に着替えて、寝間着と翌日の服を持って衣装部屋から出た。すると丁度アリアナも服を抱えて出てきた。ちょっと浮かれていた。

「まるでシンデラになった気分。選り取り見取りに選んでって言われて迷っちゃった。」

 恥ずかしそうに笑って見せる顔を見て、シオドアは可愛いと思った。”妹”がこんな無邪気な笑顔を見せるのは何年振りだろう。

「まさかドレスを選んだんじゃないだろうな?」

 シオドアがからかうと、彼女は「ノ」と言った。そして疲れたからもう寝ると告げた。

「角部屋を使わせてね。朝日を見たいの。」

 彼女は男達にお休みと言った。ステファン大尉がドクトラと呼びかけた。

「色々と有り難うございました。」

 アリアナは振り返らずに手を振って廊下の奥へ歩き去った。彼女は昨晩大尉とどう過ごしたのか言わなかった。大尉も口をつぐんでいる。だからシオドアも訊かなかった。少佐も察しているのだ。

「君はどっちの部屋を使う?」

とシオドアが尋ねると、大尉は首を振った。

「私は廊下で十分です。」
「冗談だろう?」

 シオドアは笑った。

「今はそんな時代じゃないぜ。」
「私は客ではありません。」
「そう、客ではありません。」

 いつの間にか後ろにケツァル少佐が立っていた。両手に何か布の塊を抱えていた。

「カルロ、ハンモックを張るので手伝いなさい。」
「承知しました、少佐。」

 少佐の後ろを付いて歩きかけた大尉にシオドアが訊いた。

「どっちの部屋で寝るんだ、ステファン?」

 すると少佐が答えた。

「決まっているでしょう、私の部屋です。」
「はぁ?」

 ぽかんとするシオドアを無視して少佐は部下に命じた。

「私のベッドを使いなさい。」
「・・・承知しました。」

 シオドアは精一杯皮肉を言ってみた。

「襲うなよ。」

 ステファンが振り返って言い返した。

「そんなことをしたら大使に銃殺されます。」




聖夜 2

  ミゲール大使の私邸でシオドア達は夕食をご馳走になった。たった1時間前にハンバーガーを食べたばかりだったが、随分昔のことの様に思えた。料理は急ごしらえだとコックが言い訳したが、焼いたチキンに玉ねぎやポテトやトマトやトウモロコシなどの焼いたり蒸したりした野菜を添えた単純な物がとても美味しかった。シオドアはこの単純な料理に、エル・ティティの生活を思い出し、懐かしく感じた。セルバの庶民の食事だ。大使にはそれなりの魚をメインにした食事が用意されていたので、コックはそれを分けて女性2人に出した。アリアナは何から何まで初体験で混乱していた。食欲がなさそうに見えたが、斜め向かいに座った少佐が辛いソースを彼女の為にマイルドな物に取り替えてあげてとコックに頼んでくれたので、魚のフライを口に入れた。そして口に合った様で、それから黙って食べ始めた。
 シオドアは斜め向かいのステファン大尉が少佐とチキンの攻防戦を繰り広げるのを見て、笑ってしまった。大尉は肉を最初に食べ易い大きさに切り分けておく習慣があるらしく、少佐がそれを横から掠め取って行くのだ。大尉は苦情を言わない代わりに、彼女が盗る瞬間を見つけると、彼女の手をピシャリと叩いた。上官に対する振る舞いとは思えない。少佐の行為も上官が部下にするものと思えなかったが。
 アリアナがシオドアに囁いた。

「仲が良いのね。」
「うん・・・まるで姉弟みたいだ。」

 いきなりケツァル少佐が咳き込んだ。彼女はナプキンで口元を抑え、失礼、と席を立った。コックが彼女を厨房へ案内した。シオドアはステファン大尉がちょっと気遣う目で彼女の背を見送るのに気がついた。大きな超能力を使った後で疲れている少佐を心配しているのだ。

「それで?」

とミゲール大使が不意に言葉を発した。英語だ。

「ドクトルとドクトラはこれからどうされますか?」

 シオドアは現実に引き戻された。彼はナイフとフォークを皿に置いて、大使に向き直った。

「私、シオドア・ハーストは、セルバ共和国に亡命を申請します。お願いします。」

 もう心は決まっていた。祖国に何も心残りはない。血縁者も友人もいない。仕事に未練もない。財産もない。失うものは何もなかった。
 彼はアリアナを振り返った。彼女は巻き込まれたのだ。セルバへ行っても言葉がわからない。友人もいない。エル・ティティの様な田舎の暮らしに我慢出来るだろうか。

「君は好きな道を選べば良いよ、アリアナ。」

とシオドアは努めて優しく言った。

「元は俺の好奇心から始まった騒動だ。俺は研究所を荒らすつもりはなかった。だが友人を助けるのに必要だった。君はたまたま巻き込まれただけだ。今戻って、俺に無理矢理強要されて逃亡を手伝わされたと言えば良い。」

 アリアナが「馬鹿を言わないで」と反論したので、彼はびっくりした。彼女は言った。

「私は、少佐からパスポートを用意してと言われた時に、心を決めたの。私もセルバに行くわ。スペイン語を覚える。フランス語ができるから、スペイン語だって覚えられるわ。」

 大使が微笑した。

「では、明日の朝、本国に連絡を入れます。我が国が周辺国から難民を受け入れた歴史はありますが、アメリカから亡命者を迎えるのは、恐らく初めてです。しかし、政府が拒む理由はないと思います。あなた方は、我が国の国民を救ってくれましたから。」

 ステファン大尉がシオドアとアリアナに向かって軽く頭を下げた。

「お2人のご協力と犠牲に深く感謝いたします。」

 英語で丁寧に言われて、アリアナが赤面した。シオドアは気が付かないふりをした。彼女はきっとステファンに恋をしているのだ、と推測していた。庭先で拾った黒い猫の抱き心地を忘れられないのだ。しかし男の方は恩を感じていても、彼女に気持ちがある訳ではない。ステファンの心は間違いなく彼の上官にある。シオドアは確信した。
 ケツァル少佐がデザートの大きなチョコレートプディングの皿を持って戻って来た。大使が呆れたと言いたげな顔をした。

「シータ、セルバ美人になるつもりかい?」

 ちょっと昔のメソアメリカでは、女性は太っている方が美人と見做された。女性が太る程彼女の配偶者たる男が裕福である証拠だったのだ。しかし最近は欧米と同じように若い女性はスリムでモデルみたいな体型を維持したがる。

「今夜の彼女は必要なんですよ。」

とステファン大尉が静かに上官を援護した。チキンを掠め取る彼女の手を叩いたくせに、甘い物は見逃してやるのだ。彼は食べないから。
 少佐はテーブルの真ん中にプディングの皿を置いた。そしてアリアナを見て微笑んだ。

「必要でしょ?」
「スィ。」

とアリアナがスペイン語で応えて、また赤くなった。


2021/07/16

聖夜 1

  駐米セルバ大使館は、フェルナンド・フアン・ミゲール大使の私邸の一角を使用していた。大使館を開いた時は本国の省庁同様オフィスビルのフロアを一つ借り切っていたのだが、富豪の農園主が大使に任命された時、共和国政府はミゲール氏の私邸の一部を借りる契約をした。そしてミゲール氏が大使を辞める時は、私邸を大使公邸として購入する契約にもなっていた。大使は格安の条件でそれを呑んだ。
 ミゲール大使は大使館で開くクリスマスパーティーの計画を会議で話し合い、午後9時に終了した。セルバでは普通に夕食が始まる時刻だ。職員達が帰宅し、彼は執務室で1人残った武官にパーティーの警護の計画表を出すよう指示した。武官は大統領警護隊の緑色の鳥の徽章を胸に付けていた。肩書きは少佐だ。勿論純血種の”ヴェルデ・シエロ”だ。

「ファルコ少佐、君はクリスマスに帰国しないのかね?」
「私は独立記念日に休暇を申請しています。」
「そうか。早く家族に会いたいだろうに。申請がすんなり通るといいな。」
「グラシャス。」

 大使と武官が友好的な微笑みを交わしていると、突然オフィスのど真ん中にアメリカ兵の制服を着た男が空中から現れて床に転げ落ちた。大使と武官が呆気に取られているうちに、オフィスワーカーらしい白人女性が同様に出現して先の男の上に落ち、次いで同じくオフィスワーカー姿の白人男性が空中で必死でバランスを取り、女性の上に落ちまいと努力して最初の男の真横に落ちた。最後に赤いジャンパーを着た女性が3番目に出て来た男の真上に落ちた。

「グエ!」

 3番目に出て来た男が声を上げた。失礼! と赤いジャンパーの女性がスペイン語で謝罪した。白人の女性が自分の下敷きになった男から慌てて床に転がり下りて、彼に英語で声を掛けた。

「ごめんなさい!大丈夫?」

 男は肺から空気を押し出されてしまったらしく、うーっと唸った。
 ミゲール大使が武官を振り返って言った。

「今日はこれで終わりにしよう。帰って宜しい。」

 ファルコ少佐は赤いジャンパーの女性を見て、白人女性の下敷きになった男を見た。そして大使を振り返った。

「では、帰らせていただきます。ノス・ヴェモス・マニャーナ。」
「ノス・ヴェモス・マニャーナ。」

 また明日と挨拶して、武官は大使執務室を出て行った。武官がドアを閉じると、大使は赤いジャンパーの女性の下敷きになった男が立ち上がるのを眺めた。白人女性も彼女の犠牲になった男を支えて立ち上がった。その男は大使の存在に気がついた途端、しゃんと背筋を伸ばし、靴の踵をカチッと言わせて直立不動の姿勢を取った。大使は彼に頷いて見せ、白人女性に英語で「こんばんは」と挨拶した。白人女性は明らかにびっくりした表情で室内を見回した。そして見知らぬ中年の紳士に挨拶を返した。

「こんばんは・・・オズボーンと言います。ここは何処ですか?」

 シオドアは答えてやりたかったが、咳が出て声が出なかった。ステファン大尉が気をつけしたままでアリアナに教えた。

「駐米セルバ共和国大使館です。」
「こんばんは、ミゲール大使・・・」

 やっとシオドアは声を出せた。そしてケツァル少佐がいないことに気がついた。さっき迄彼の上に乗っかっていたのに。
 大使が来客用の椅子を手で指して座れとジェスチャーをした。立ったまま動かないステファン大尉のそばにいたアリアナをシオドアは椅子に誘導した。大使が気を利かせて大尉に声を掛けた。

「楽にしなさい、ステファン大尉。」
 
 それでステファン大尉が足を開いて「休め」の体勢になったので、シオドアはちょっと可笑しく感じた。大尉は直属の上官であるケツァル少佐の前では平気で砕けた姿勢になれるのに、大使の前では緊張したままだ。
 大使がシオドアに顔を向けて微笑んだ。

「少し遅かったですね。最後に電話でお話しした時は、彼を保護して下さったとお聞きしました。翌明け方迄には迎えの者が連れて帰って来ると思っていたのですが。」

 ステファン大尉が何か言い掛けたが、シオドアは遮った。

「申し訳ありません。俺の昔の職場の連中に彼の存在を知られてしまいました。俺がケツァル少佐を”出口”へ迎えに行った間に、連中に彼を攫われてしまい、取り返すのに手間取ったのです。少佐に余計な仕事をさせてしまいました。俺が馬鹿でした。彼女を迎えになど行かずに、彼女のいる場所に彼を連れて行くべきでした。」

 アリアナは彼等がスペイン語で喋っていたので会話の内容が分からなかった。しかし、シオドアが自分達が大使館に現れた理由を語っているのだと見当がついた。どうやって墓地から大使館に来ることが出来たのか、彼女には理解出来なかったが、これもセルバ人の超能力なのだろう、と思った。彼女は椅子の横でじっと立っているステファン大尉を見上げた。彼にもっとそばに来て欲しかった。さっきの様に手をしっかりと握っていて欲しかった。

「貴方の昔の職場の人々は、ステファンをどうしようとしたのです?」

 シオドアは躊躇った。母国に忠誠を誓った訳ではないが、外国の、それも大使に聞かせたくない話だ。しかし嘘をつきたくなかった。シオドアはセルバ共和国に行きたいのだ。あちらの国で残りの生涯を過ごしたいのだ。

「お恥ずかしい話ですが、俺とアリアナは母国政府が運営する国立遺伝病理学研究所で生まれた遺伝子組み替え人間です。研究所は超能力者と呼ばれる人々を全国から連れてきて、能力開発や人間兵器の研究をしています。彼等は様々な方面からセルバ共和国の古代の神々の不思議な能力の話を得ていました。しかし、これ迄は本気にしていなかったのです。南の小さな国に大きな能力を持った人々が暮らしているなどと信じていなかったのです。ですが、今回、中南米の美術品ばかりを狙う泥棒”コンドル”が警察に追い詰められ、姿を消したこと、同時に何処から来たのか黒いジャガーが現れたことで、うちのゲイル・・・俺とアリアナの”兄弟”になる男ですが、彼が俺の過去の言動と照らし合わせてセルバ共和国の秘密に興味を抱いたのです。彼は覗き見が趣味でして・・・C C T Vの覗き見や盗聴が好きで、偶然ステファンを助けたアリアナの家に盗聴器を仕掛けていまして、彼女と俺の会話を聞いたり、ジャガーの姿をカメラの映像で見てしまったりしたのです。
 研究所では、超能力者本人を飼い慣らすことは無理なので、遺伝子を採取して兵士の遺伝子に組み込んだり、新しい子供を作るのに使うのです。」
「つまり、子供を作らせる為に彼を攫ったと?」
「簡単に言えば、そう言うことです。」

 アリアナが不安気にシオドアを見た。彼女の名前が話の中で出て来たので、彼が何の話をしているのか心配だった。
 大使がステファンに何か質問しようと顔を向けた時、ケツァル少佐が部屋に戻って来た。大使がちょっと不満顔で声を掛けた。

「私に挨拶もしないで何処へ行っていた?」
「ファルコを追いかけて話をしていました。」

 少佐は少しも悪びれないで大使の前に立った。

「只今任務完了しました。休息の為に大使館の部屋を一つお借りしたい。」

 すると大使がニヤリと笑って言った。

「只今のキスをすれば、私邸の方の部屋を使わせるぞ。」

 シオドアは思わず少佐を見た。少佐は一瞬天井を見上げ、それから大使の前に進み出た。そして、いきなり大使の首に両腕をかけ、

「只今、パパ。」

と囁いて大使の両頬にキスをした。 大使が笑顔で彼女を抱き締めた。

「このお転婆娘が! 半時間で戻ると言って出かけて、結局帰って来たのは48時間後かい?」
「ごめんなさい。事態を軽く考えてしまって・・・」
「それじゃ、指揮官失格だな。警護隊を除隊させられたら、さっさと嫁に行けよ。」
「それだけは勘弁して・・・」
 
 思いっきりラテンアメリカの乗りで大使と少佐が頬のキスを繰り返した。アリアナが目を丸くした。シオドアは何故かステファン大尉を見てしまった。大尉は空中を見つめていたが、肩が細かく震えていた。

 あいつ、笑ってやがる・・・


異郷の空 30

  教会はすぐそこだったが、少佐はその裏手の墓地の入り口前に車を停めさせた。パトカーのサイレンが近づいてきた。尾行車も教会の前に到着した。

「俺達を、”コンドル”の一味だと通報したのかも知れないな。」

とシオドアが憂鬱な気分になって呟いた。少佐は気にせずに墓地の中へ入って行った。門扉が勝手に開いたので、彼女が開けたのだろう。一行は急いで彼女の後に続いた。少佐は仲間を墓地の入り口から10メートル程入ったところにあるマリア像の前へ導いた。ステファン大尉が足を止めた。

「少佐、ここの”入り口”は狭いですよ。」

 スペイン語だったのでアリアナには理解出来なかったが、シオドアもその意味することが分からなかった。

「”入り口”に幅があるのかい?」
「スィ。全員が一斉に入るには狭いのです。」

 ステファン大尉には空間の隙間が見えている様だ。これは以前から彼に備わっている能力だから、”見る”ことは彼等には普通に出来るものなのだろう。
 ケツァル少佐はシオドア達の目には何もない空間を右から見たり左から見たりして大きさを測った。

「通れないことはない。」

と彼女は呟き、仲間を振り返った。

「但し、1人ずつ、縦に並んで入らねばなりません。」

 シオドアは尋ねた。

「縦に入ると何か問題でもあるのかい?」
「先導者が疲れます。全員を引っ張らなければならないので。 着地が難しくなります。」

 シオドアはステファン大尉を見た。

「少佐は着地が上手じゃなかったっけ?」

 部下の立場でコメントしづらいが、大尉は彼に答えた。

「まともに着地された試しがありません。」

 スペイン語が分からないアリアナが、外の騒音を気にした。

「パトカーが来たわよ。」

 少佐がステファン大尉に命令した。

「先導しなさい。ドクトラ・オズボーンの手を握って。ドクトル、片手でドクトラの手を握って、もう片手で私の手を握って!」

 体の向きの前後を気にしている暇はなかった。ステファン大尉がアリアナの右手を掴んだので、シオドアもアリアナの左手を握った。少佐がシオドアの空いた手を握った。大尉が叫んだ。

「入ります!」

 警察車両が墓地の前に停まった。ステファン大尉が空中に体を捩じ込ませた。彼の体が暗闇に溶け込んだので、アリアナが息を飲んだが、彼女も彼の強い力に引っ張られて空中に消えた。シオドアも続き、墓地に警察が駆け込んだ時、少佐の赤いジャンパーが闇の中に消えていった。
 尾行していた男達が警察を掻き分け、走って来た。

「”コンドル”は?」
「消えた。」
「何?」
「そこで消えたんだ。抜け穴があるのかも知れない。」

 警察が応援を呼ぶ声を聞きながら、2人の尾行者はマリア像を眺め、顔を見合わせた。

「また”コンドル”は消えた。」
「研究所は混乱しているし、将軍のオフィスも連絡が取れない。どうなっているんだ?」

2021/07/15

異郷の空 29

  シルヴァークリークの町に入った。雪がチラついている。シオドアがケツァル少佐と落ち合った映画館ラシュモアシアター前でアリアナの車は停まった。着いたよ、とシオドアが声を掛けると、うたた寝をしていたステファン大尉が目を開いた。少佐はまだ寝ている。しかしこの”部隊”の隊長は彼女だ。大尉は意を決して上官を揺すった。

「現着です、少佐。」

 少佐が重たい瞼を開けた。

「もう?」
「映画館の前だよ。」

とシオドアも言った。

「ここから何処へ行くのか指図してくれ。アリアナも長時間の運転で疲れている。全員空腹なんじゃないかな?」

 少佐がうーんと伸びをした。それから窓の外を見て、雪に気がついた。

「マズイ・・・」
「雪が?」
「スィ。足跡が残ります。」

 つまり、「消える」ことが出来ないのだ。シオドアは気がついた。”ヴェルデ・シエロ”の超能力は相手の脳に錯覚や偽情報を植え付けるのがメインで、物体に作用を与えることが少ない。物体を破壊するのは瞬間的なパワーで、長時間何かを持続させることは無理らしい。自分の姿を「消す」のは透明になるのではなく、相手に「見えない」と思い込ませているのだ。だから、「見えない」筈なのに足跡の様な物質的な証拠が残ることは、彼等にとって都合が悪いのだ。しかし、目の前で降っている雪はまだ少なく、積もる心配はなさそうだった。
 シオドアは映画館のそばのハンバーガーショップを見た。ポケットを探ると何もなかった。仕方なくアリアナに声を掛けた。

「アリアナ、財布を持っているか?」
「ええ・・・」

 でも、と彼女が申し訳なさそうに言った。

「カードしか入っていないわ。使用したら、私達の位置がバレるんじゃない?」
 
 シオドアは尾行車を探して周囲を見回した。駐車場の出口付近に停まっている車がそれらしかった。

「俺達の居場所はもう通報されているよ。一緒にハンバーガーを買いに行こう。」
「私達も行きます。」

と少佐が既に車外に出ながら言った。結局4人全員で店に入った。奇妙な取り合わせの4人組だ。オフィスワーカーらしい服装にコートを着た白人女性、やはりオフィスワーカーの服装をしているがコートは着ていない白人男性、薄く黒いTシャツに赤いフード付きのジャンパーを着た先住民女性に、兵隊の様な制服を着たヒスパニック系の男性。その4人がぴったりくっつき合う様にカウンターの前に立って、それぞれ好みのハンバーガーとコーヒーとポテトを注文した。窓から遠く裏口に近いテーブルに陣取って、座るなり一斉に食べ始めた。食事の時は少佐のジャンパーのフードは後ろへ下ろされていた。それでシオドアは尋ねた。

「ずっとフードを被っていたけど、力の効果を高める為かい?」

 すると少佐がキョトンとした表情で彼を見た。

「ノ、寒いからですよ。他に理由はありません。」
「でも、薄着だわ。」

とアリアナが心配そうに言った。

「私のコートを貸しましょうか?」
「大丈夫です。 グラシャス。」

 軍人は食べるのが早い。少佐が自分の食べ物を早々に平らげてしまったので、シオドアは自身のポテトを彼女に分けてやった。さもないと、彼女は部下のポテトを狙う恐れがあった。ステファン大尉は最近ハンバーガーばっかりだなぁと言いたげに食べていたが、コメントはしなかった。アリアナが尋ねた。

「次は何処へ行くの?」

 シオドアは少佐を見た。ステファン大尉も少佐を見た。”隊長”は指に付着した脂を紙ナプキンで拭ってから、立ち上がった。

「ここから約5キロメートル、凡そ3マイルのところに古い教会があります。そこへ行きましょう。」

 彼等は店を出て再び車に乗り込んだ。アリアナがエンジンを掛けて車を発進させると、尾行車もライトを点灯した。彼女は気がついて不安になった。

「教会に何があるの? 尾行されているけど、逃げ切れるの?」
「大丈夫さ。」

とシオドアは根拠なく言った。彼女を励ます為だ。それから後ろを振り返って少佐に尋ねた。

「”入り口”があるのかい?」
「スィ。」

 少佐は隣の部下を見た。

「一番近いセルバへ行きます。」
 
 一瞬ステファン大尉がキョトンとした。それから意味を理解した。了解しました、と彼はスペイン語で呟いた。


異郷の空 28

  通路の出口が見えて来た。シオドアがホッとして力を抜きかけると、ステファン大尉が彼の肩を掴んで引き留めた。無言で「待機」と合図をして、1人で扉の前迄行った。シオドアは不安になってケツァル少佐を振り返った。彼女がジャンパーのフードを目深に引っ張った。彼等は3人共武器を持っていなかった。ステファン大尉が警備兵から服と靴を奪った時、少佐は武器を奪うことを承知しなかったのだ。
 扉の向こうの気配を推測ってから、ステファン大尉はゆっくりと扉を開いた。シオドアは扉の向こう側は給食センターの厨房だと想像していたが、違った。倉庫の様な場所で、宅配用の車やバイクが駐車していた。積み出し場所だった。しかし、積み込みをするドライバーはおらず、代わりに銃口をこちらへ向けて横一列に並んだ兵士と、その後ろに立つホープ将軍だけが10メートルばかり向こうにいた。

「よくこの通路を見つけたな。」

とホープ将軍が言った。

「尤も、研究所の設計図にアクセスしたログが残っていたから、ここへ来るだろうと言う見当はついていた。”コンドル”を連れて逃げる気か?」

 するとシオドアの後ろから横並びに出てきたケツァル少佐が将軍の言葉に返した。

「流石に将軍ですね、一少佐の考えなどお見通しだった訳だ。」

 将軍が目を細めて彼女を見た。彼女は想定外の人物だった様だ。

「何者だ?」

 少佐はフードを被ったまま、顔を上げて相手の目を見た。

「貴方の遺伝子から作られた息子を誘惑した者です。」

 シオドアは反射的に彼女を見た。将軍が俺のオリジナル? こんな嫌なオヤジが? だが、過去の彼自身の嫌な性格を思えば納得出来るかも知れない。将軍が愛情ではないが彼を昔からいつも妙に気にかけていたことも納得出来る。

「確かに、シオドア・ハーストは私が作った。」

とホープ将軍が断言した。

「だが息子とは呼ばない。90パーセントは他人だからな。彼は私の作品なのだ。お前達の様な外国人に渡す訳にはいかない。」

 彼は右腕を横へ上げた。

「逃がしはせん。ここで殺す。」

 シオドアは思わず横に立っているケツァル少佐の手を握ってしまった。 将軍が腕を下ろして叫ぶと同時に少佐も叫んだ。

「撃て!」
「狙え!」

 兵士達が一斉に向きを変えて将軍に銃口を向けた。
 ホープ将軍は何が起きたのか、一瞬理解不能に陥った。

「お前達、何をしている?!」

 少佐がはっきりと兵士達に言った。

「その男が少しでも足を動かしたり、あるいは一言でも言葉を発したら、即刻撃て。」

 将軍が息を呑んだ。シオドアは彼を助けたいと思わなかったが、人を死なせるのは嫌だったので忠告した。

「貴方が欲しがっていた超能力をプレゼンしてやってるんだよ。そこで黙って立ってろ。時間が経てば彼女の呪縛から連中は解放される。 其れ迄は、絶対に動くな。声を出すな。本当に死ぬぞ。」
「1時間だ。」

と少佐が軍人の口調で宣言した。

「1時間経てば兵士達は元に戻る。但し現在の記憶は残らない。お前が何を言っても彼等は全員お前の言葉を否定する。」

 彼女はシオドアとステファン大尉に進めと合図した。シオドアは歩きかけて、彼女の手を握っていることに気がついた。慌てて手を離した。物凄く照れ臭く、胸の動悸が激しくなった。少佐と大尉は彼の様子を気に留めずに、給食センターの建物から出た。
 まだ午後4時を少し過ぎたばかりだったが、アリアナ・オズボーンの車がエンジンをかけたまま停まっていた。運転席にいた彼女が3人を見つけ、車の窓から手を振った。シオドアは彼女を監視している車が通りの向こうにいるのに気がついた。少佐、と声をかけたが、少佐は無視した。 アリアナの車の後部席にセルバ人2人が乗り込み、シオドアはアリアナの隣に座った。

「何処へ行けば良いの?」

 アリアナが尋ねた。少佐がシオドアに言った。

「私を拾った場所へ彼女を誘導してあげて下さい。」

 シルヴァークリークの映画館前だ。シオドアはわかったと頷き、アリアナに基地から出て高速道路の入り口迄走れと指図した。アリアナが車を発進させると、当然ながら監視の車が尾行を始めた。

「尾行がついて来るぞ、少佐。」
「放っておきなさい。」

 少佐は面倒臭そうに呟いて、ステファン大尉の肩にもたれかかり、目を閉じた。大尉がシオドアに囁いた。

「電池切れです。」
「寝たのか?」
「スィ。彼女の睡眠を妨害すると恐ろしい目に遭います。目的地に到着する迄起こさない方が賢明です。」

 そして彼はシオドアに依頼した。

「もし尾行者が妨害を仕掛けて来たら、貴方が指揮して下さい。」
「俺が?」
「私はここの地理に詳しくありません。貴方の指図通りに動きます。戦闘は私がしますから、戦術は貴方にお願いします。」
「そう言われても・・・」

 シオドアはドアミラーに映る尾行車のライトを見た。恐らく尾行している要員は研究所かホープ将軍のオフィスにでも連絡を入れるだろうが、どちらも現在は混乱の極みだ。仕掛けてくる可能性は低いと思われた。

「今はただ逃げよう。アリアナ、高速道路は北行きへ入るんだ。間違えるなよ。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...