2021/07/25

博物館  13

  階段を下りて行く間、ケツァル少佐は無言だった。シオドアは下りた突き当たりの扉の向こうからコソコソヒソヒソ話し声がして来るのを早速聞き取った。「ほら」と囁くと、途端に声が止んだ。

「連中は邪魔が入るとすぐ沈黙するんだ。」

 デネロス少尉が耳を澄まして聞く素振りをした。

「さっきまで、何か喋ってましたね。」
「聞こえるのかい?」

 少佐が足を止め、シオドアも彼女を振り返った。デネロスが肩をすくめた。

「聞こえると言うか、何か感じました。」
「この子はブーカですから・・・」

と少佐が囁いた。

「霊感は鋭い方だと思いますよ。過去に似た体験をしたことはありますか?」
「うーん・・・」

 デネロスはあまりお化けの存在を気にしない子供だったらしい。

「お墓とか、交通事故の現場とかでそれらしきものを見たことはあります。でもあっちが話すのは聞いたことがありません。」
「君が聞き取れたら、俺のバイトは楽なんだけどな。」

 シオドアは階段を下り切ると、そこに荷物を置いた。狭いが3人の寝袋を何とか広げられそうだ。デネロスが眉を上げた。

「中に入らないんですか?」
「俺が中に入ると亡者は沈黙してしまうんだ。だから、今夜はここで寝転んで彼等の話し声を聞いてやろうと思う。」
「えー・・・」

 デネロスはミイラに囲まれて寝たいのだろうか? 不満顔になったので、少佐が寝袋を広げながら言った。

「貴女一人であっちへ行きますか?」

 恐らく絶対にあっちへ行きたくない人であるに違いない少佐が、部下に意地悪をしている。デネロスは扉を見た。ミイラに囲まれてみたいと言う好奇心と、一人で行くのは嫌だと言う素直な感情が彼女の中で戦っている、とシオドアは察した。彼はデネロスに声をかけた。

「俺は声が聞こえたら音だけでも拾ってアルファベットで書き留めていく。君も聞こえたらそうしてくれないかな? 2人で照合しよう。」
「そうなさい、マハルダ。」

 ケツァル少佐は意地悪を言ってみたものの、やっぱり部下を一人で怖い場所へ行かせたくないのだ。万が一のことがあれば助けに行かねばならない。彼女自身行きたくないし、部下を怖い目に遭わせるのは彼女のプライドが許さない。例え訓練だとしても、話が通じない亡者の相手をさせたくなかった。これが弱小の悪霊なら何とか出来るのだが。
 デネロス少尉もシオドアの提案を受け容れた。
 隙間なく置かれた寝袋を階段の最後の段から見て、シオドアが尋ねた。

「誰がどこに寝るんだ?」

 両側に女性がいてくれたら嬉しいのだが、少佐が真ん中を指差して、デネロス、と言った。左がシオドアで彼女は右だ。

「え? 俺が端っこ?」
「一番若い子を真ん中に置いて守ります。」

 少佐が横目で彼を見た。

「マハルダに変なことをしたら、銃殺です。」
「しないよ!」

  水とトイレは修復ラボの入り口にあった。シオドアはタブレットとノートを準備した。少佐とデネロスは上着だけ脱いでTシャツ姿で寝袋に入った。シオドアも体を押し込んだ。セルバのミイラはみんな膝を抱えた三角座りのポーズだが、寝袋に入るとエジプトのミイラになった気分だ。デネロスが囁いた。

「照明消します?」
「消した方が亡者が出やすいかも・・・」

シオドアが言い終わらぬうちに照明が消えた。デネロスが気で壁のスイッチを押したのだ。真っ暗になった。タブレットもノートも見えない。鼻を摘まれてもわからない程真っ暗だ。シオドアは懐中電灯を探して持参したリュックの中に手を入れた。

「うわっ!」

 いきなり冷たい物が頬に当たって、彼は思わず声を上げた。照明が灯った。ケツァル少佐が点けたのだ。

「マハルダ!」

 少佐の抑えた怒声が狭い空間に響いた。デネロスがリンゴをシオドアの顔のすぐそばに差し出したポーズで固まった。頬に触れた冷たい物の正体はリンゴだった。

「ええっと・・・あの・・・」

 デネロスが手を引っ込めながら言い訳を試みた。

「夜中にみんなで食べようと思って、リンゴとビスケットを持って来たんですけどぉ・・・」
「ピクニックではありません。」

 少佐が怒っているのは、部下が食べ物を持ち込んだからではない。暗闇でも目が利く”ヴェルデ・シエロ”が、暗闇の中では何も見えない普通の人であるシオドアを脅かしたからだ。

「ここがどんな場所か考えて行動なさい。ドクトルに謝るのです。」

 まるで子供を叱るママだ。デネロスがシオドアに「ごめんなさい」と言った。

「あんなに驚くとは思わなかったので・・・」
「俺は君みたいには闇の中で目が利かないんだよ。マジ、びっくりした。だけど、もう大丈夫だから、気にするな。」

 シオドアは少佐にも声をかけた。

「君も俺の声でびっくりしたんだろ? ごめんよ。」

 少佐は彼女の部族の言葉で何やらブツブツ言いながら寝袋の中に戻った。
 シオドアは懐中電灯を灯し、デネロスが照明を消した。それから彼女はシオドアのタブレットにメッセージを打ち込んだ。

ーー少佐が私達のことを、ガキ呼ばわりしていました。
ーー俺もガキに入れられたのかな?
ーーリンゴで悲鳴を上げたから、そうじゃないですか。

 そして彼女がリンゴを差し出したので、シオドアは有り難く受け取った。


2021/07/24

博物館  12

 1930、即ち午後7時半、シオドアはセルバ国立民族博物館の玄関でケツァル少佐とデネロス少尉と落ち合った。こんな場合、友人が時間に正確な軍人であることは喜ばしい。2人の女性は寝袋を持参していた。シオドアが仕事をする間に寝る魂胆だ。一応彼の分も持って来てくれてはいたが。
 ムリリョ博士はシオドアが一人で来るものと思っていたので、女性が2人もやって来てむっつり顔がさらに硬くなった。しかも一人はメスティーソだ。

「儂は子供を雇った覚えはないぞ、ケツァル。」

 少佐が言い訳した。

「デネロス少尉に発掘現場へ出る訓練を受けさせます。今夜はそのリハーサルです。」

 デネロスは作法を守って黙っていた。シオドアは博士が彼の方を向いたので、ドキリとした。ミイラや亡者を怖がって女性に助っ人を頼んだのではないかと疑われた様な気がした。シオドアは直接話しかけて良いのだろうかと一瞬迷った。しかしもう初対面の段階は過ぎていた。彼は言った。

「遺跡の中での野営を想定した訓練だそうです。」

 ムリリョ博士は何も言わずに視線をデネロスに戻した。ジロジロと眺め、それからケツァル少佐に向き直った。

「何処の娘だ?」
「ワタンカフラのブーカ族です。」

 デネロス自身が説明を追加した。

「8分の1ブーカです。後は”ティエラ”とスペインが半々・・・」

 勝手に喋るなっつうの! ケツァル少佐が苦い顔をした。しかし、ムリリョ博士はこう言った。

「お前の部下は面白い連中ばかりだな、”ラ・パンテラ・ヴェルデ”。」

 部下って? シオドアはムッとした。俺は少佐の友達であって部下じゃない。それに”ラ・パンテラ・ヴェルデ”って? ”緑の豹”?
 ムリリョは若い娘に興味津々だった。今度は直接デネロスに質問した。

「お前は”ツィンル”か? ナワルは何だ?」
「スィ、私は”ツィンル”です。ナワルはちっちゃいんですけど、オセロットです。」

 怖いもの知らずで、デネロスがハキハキと答えた。シオドアはムリリョの表情が和らいだのでびっくりした。 老博士が呟いた。

「美しく獰猛な精霊よ。ケツァル・・・」

 返事がなかった。シオドアは少佐を振り返った。ムリリョとデネロスも少佐を見た。 ケツァル少佐は壁にもたれかかって空を見ていた。目を開けたまま気絶しているのか? シオドアが声をかけようとすると、ムリリョが制した。

「心を飛ばしている。邪魔をするな。」

 ケツァル少佐が瞬きした。そして3人が彼女を見つめていることに気がついた。

「失礼しました。」

と少佐が謝った。ムリリョが尋ねた。

「誰かに呼ばれたのか?」
「呼ばれたのではありません。大きな気の放出を感じたので様子を見に行っただけです。」

 少佐は博士を見つめた。

「私の部下にあの建設省の犬を近づけないで下さい。」

 誰のことを言っているのだろう? シオドアはデネロスを見た。デネロスは心当たりがあるようで、不安げな顔をした。ムリリョが半眼で少佐を見た。

「お前の部下? あの半分だけのグラダか? あの男に儂の身内が近づいたと言うのか?」
 
 半分だけのグラダ? ステファン大尉のことだ。シオドアは不安に襲われた。また大尉が狙われたのだろうか。しかし少佐はそう言うことには言及しなかった。

「貴方の身内は不用意に何かを言って、私の部下を怒らせたようです。言動に注意を払うよう躾けておいて下さい。次に彼を怒らせたら、命の保証はありません。まだあの子は抑制が効かないのですから。」

 離れた場所にいるケツァル少佐にわかる程ステファン大尉が怒りの気を放出したのか。シオドアは、「建設省の犬」と呼ばれた人物が一体何を言ったのだろうと思った。きっと純血至上主義者がメスティーソを侮辱したのだろう。
 ムリリョ博士が溜め息をついた。

「あれには手を出すなと配下に言ってある。言葉のやり取りで問題があったのだろう。後で問い質しておく。」

 そして彼は地下室へ降りる階段を振り返った。

「では、ミイラ共をよろしく頼む。」


博物館  11

  夕方、アリアナはエウセビーオ・シャベスが運転する車で帰宅した。シオドアは泊まりなので明け方迄帰らない。恐らくケツァル少佐に送ってもらうから迎えは良いよ、と言われたシャベスは少し不満そうに見えた。

 「送迎する人数が減るとお給料に影響するのかしら?」

 アリアナが心配すると、シャベスは給料は問題ではありませんと言った。

「私はあなた方が大統領警護隊と仲良くしておられることが心配なのです。」
「どうして?」
「彼等が何者かご存知なのでしょう?」

 訊かれて彼女は返事に困った。シャベスは”ロス・パハロス・ヴェルデス”の正体を知っている。だがこの国でその事実を知っていると他人に話すのはタブーなのだ。彼女は用心深く答えた。

「彼等は友人よ。」

 シャベスが少し悲しげに彼女を見つめた。アリアナはドキリとした。彼はメスティーソだが、ステファンとは違ったタイプの魅力的な顔をしていた。

「彼等は私達とは違う人々です。」

とシャベスが囁いた。

「この国を陰で操って支配している真の実力者達です。私達のことを本気で友人などとは思っていません。家の庭で遊ばせている犬や猫の様に考えているのです。いざとなれば、彼等は我々を平気で切り捨てます。信用し過ぎると痛い目に遭います。」

 友人を貶された気分で、アリアナは不機嫌になった。

「私は彼等ほどには貴方のことを知らないわ。お願いだから、私の前で彼等の話をしないで下さる?」
「申し訳ありません。」

 シャベスは謝って、交替の警備兵に引き継ぎの為に通用口脇にある小部屋へ去った。アリアナは携帯電話をバッグから出した。大統領警護隊の友人達の電話番号が登録されていた。メアドも入っている。彼等は普通の人々だ、と彼女は信じた。友達を見捨てたりしない。
 それから1時間後、行きつけの店で夕食を簡単に済ませたステファン大尉が自宅アパート前に帰って来た。車を降りてドアをロックし、キーをポケットに入れてから彼は近くの家の横手にある暗がりに向かって声をかけた。

「用事があるなら、さっさと出てきては如何です?」

 暗がりの中から、男が一人現れた。黒いTシャツの上に白い麻のジャケットを着込み、白い麻のズボンを履いている。靴も白い革靴だ。顔は純血の先住民だった。彼は車の向こうで立ち止まり、ステファンに声をかけた。

「ケツァル少佐と亡命アメリカ人が国立民族博物館へ夜になってから出かけるのは、どう言う理由かな?」

 ステファンは答えずに相手の目を睨みつけた。白いジャケットの中年男が睨み返した。

「”出来損ない”がこの私に”心話”を要求するのか、無礼だろう。」

 ステファンは言い返した。

「一族の者なら”心話”を拒否するのは非礼だとわかるでしょう。」
「笑止! ”出来損ない”に礼儀を教わる義理などない。一族呼ばわりされる覚えもない。」

 一瞬周辺の空気が帯電したかの様な異様な感覚を中年男に与えた。街頭の照明や道路両側の家々の照明が点滅した。庭木の枝で休んでいた鳥類が鳴き声を上げて夜空に舞い上がった。中年男は両手をギュッと握り締め、両足を踏ん張って立っていた。
 ステファン大尉はポケットからタバコの箱を出し、1本咥えた。相手を見ながらライターでタバコに火を点けた。

「失礼、今吸わないと、この区画を停電させかねないので。」

と彼は煙を吐き出して言った。空気が静まった。中年男は肩の力を抜いた。

「私を脅したつもりか、ステファン。たった1回ナワルを使えただけでいい気になるな。」
「脅したなど・・・私はちょっと腹が立っただけです。貴方の言い方にね。」

 ステファン大尉は彼がちょっと気を放っただけで相手がビビったことを気配で察していた。相手の男、シショカは純血至上主義者だ。何故か白人の政治家の秘書として働いているが、国政にはかなり影響力を持っている。彼が仕えている建設大臣マリオ・イグレシアスを”ヴェルデ・シエロ”に都合良く操縦していると言われていた。ケツァル少佐は常々彼が混血の”ヴェルデ・シエロ”に対して発する差別発言に不快感を示しており、同時に彼が彼女の大切な部下達に危害を加えるのではないかと危惧していた。最年少のマハルダ・デネロス少尉は決して一人で建設省に行かせて貰えないし、ステファンも少尉の頃は同様だった。
 だが、今シショカはステファン大尉が放った気の大きさに怯んでいた。もうこんなヤツ、恐くない。ステファンは自信がついてきた己に少し驚いていた。気のコントロールが出来ている。
 シショカは大尉が気を緩めたことに気がついていた。この甘さは若さ故に来ていると彼は知っていた。まだ完全に目覚めておらぬ、と長老達が言っていた。無理に刺激すれば暴走する。”出来損ない”だがこの世で唯一人のエル・ジャガー・ネグロだ、慎重に扱わねばならぬと。それは純血至上主義者達にとって耐え難い意見だった。我々には、純血種の女”ラ・パンテラ・ヴェルデ”がいるではないか! 彼女に純血種の男の子を産ませれば良い、”出来損ない”の男は要らぬ。
 だがシショカは攻撃しなかった。ここでステファンを殺しても意味がない。第一長老が許可していない。今迄一度も、どの長老もこの”出来損ない”を処分せよと言ったことがない。
 ステファン大尉がタバコの灰を落とした。

「少佐とアメリカ人はムリリョ博士の要請で徹夜の仕事に行かれたのです。それ以上のことをお知りになりたいのなら、博士に直接お訊きになるとよろしい。」

 シショカの一族の長老の名前を出すと、政府高官に仕える殺し屋が沈黙した。
 ステファン大尉は「おやすみ」と言った。そして相手にクルリと背中を向け、アパートの階段を上って行った。


博物館  10

  昼食の場所に指定されたカフェにシオドアが到着すると、既にケツァル少佐と2人の部下、それにアリアナがテーブルに着いて待っていた。アリアナがいたのでシオドアはびっくりした。彼女が文化保護担当部を訪問するとは聞いていなかった。しかもステファン大尉の向かいの席だ。大尉の隣は当然ながらケツァル少佐で、メニューを見ることもなく、アリアナに苦手な食べ物はありませんかと訊いているところだった。少佐の向かいでアリアナの隣に座っているデネロス少尉がシオドアに気が付いて手を振ってくれた。シオドアはアリアナの隣に座った。彼が来たので、女性3人に押され気味だったステファン大尉がホッとした表情で微笑みかけてきた。

「ムリリョ博士のアルバイトを引き受けられたそうで?」
「スィ。それで悩んでいる。」

 するとデネロスがニッコリして言った。

「このお店は何を喋っても大丈夫、店の人も客も口が固いから。」

 シオドアは店内を見まわした。従業員も客も普通の人々に見えた。どこにでもいる善良な市民だ。客は商社関係か省庁関係の人間ばかりだ。のんびりお昼休みを過ごしている人がいれば、書類を間に置いて商談している風の人もいる。パソコンを置いて仕事中の女性は通りかかったウェイターにコーヒーのお代わりを頼んだ。
 少佐が早口で数種類の料理を頼んだ。何を頼んだのか分からなかったが、ステファン大尉もデネロス少尉も異を唱えなかったので、無難なものだろうとシオドアは思った。
 デネロスがシオドアが受けたバイトの内容に興味を抱いて質問してきたので、シオドアは朝アリアナにした説明をもう少し詳しく話した。

「セルバ国立民族博物館が建て替えられるので、その間所蔵品を別の場所に保管するんだ。地下室に保存されているミイラも引っ越しさせるんだが、その時に部族毎に分けたいと館長が希望している。」
「DNA鑑定をするの?」

とアリアナが至極当然の様に尋ねた。

「ノ。ミイラを傷つけるなと言う館長の厳命だ。だから困っている。」
「見て分からないの? 例えば出土場所で分けるとか、埋葬方法の違いで分けるとか?」

 彼女の質問はもっともだ。他所の国の博物館はそうやってミイラを分けている。その問いにステファン大尉がデネロス少尉を見て目で何か伝えた。デネロス少尉が文化保護担当部を代表して答えた。

「ミイラの出土場所は多くありません。何故なら、違う時代の遺体が同じ場所に埋葬されたからです。国立博物館で保存されている遺体の多くは、今から15世紀以上昔のものです。一番古いものは紀元前3世紀半ばのものと考えられています。つまり、凡そ800年間、同じ場所が墓所として使用され、使った部族も時代毎に変化しています。一方、遺体は古い者から順番に安置されたとは考えられにくく、隙間に適当に入れられた感があります。副葬品を置く風習が当時なかったので、遺体だけで時代や部族を特定するのは難しいのであります。」

 多分、教科書のまる覚えだ、とシオドアは思った。少佐と大尉が顔を見合わせ、肩をすくめ合った。大体合っている、と大尉が先輩らしく頷いた。そこへ料理が続々と運ばれてきた。今夜の夕食を簡単に済ませなければならないシオドアの為に、少佐が色々と注文してくれたのだが、支払いは誰がするのだろうか? 
 アリアナが科学者らしくさらに質問を続けた。

「毛髪 の 炭素・窒素安定同位体比 や 放射性炭素年代測定とかは?」
「それじゃ出身部族の特定は難しいよ、アリアナ。時代毎に部族が入れ替わった訳じゃないだろう?」
「それに、 炭素・窒素安定同位体比 や 放射性炭素年代測定は外国の調査機関に依頼しなければなりません。我が国にそんな設備はないのです。」

と少佐。兎に角、とシオドアは投げ槍な気分で言った。

「館長は、俺に亡者の声を聞けと言うんだ。」
「亡者?」

 アリアナが怪訝な表情で一同を見た。

「ミイラが喋るの?」

 馬鹿馬鹿しい、と彼女は笑い、”ヴェルデ・シエロ”達も笑ったのでシオドアはそれ以上説明しなかった。デネロスが無邪気に上官に尋ねた。

「少佐もそのバイトに付き合われるのですか?」

 少佐の笑顔が固まった。ステファン大尉が口に入れたスープに異物でも入っていたのか、ナプキンで口元を抑えた。多分、吹き出しそうになったのだ。シオドアは故意に優しく少佐に言ったみた。

「無理に付き合ってもらわなくて良いんだ、少佐。俺は大勢の亡者に囲まれて朝まで気絶して過ごすから。」

 昨夜彼の手をギュッと握ってきた彼女の手の感触が蘇った。女性に頼られるって良いもんだ。
 デネロスが体を乗り出した。

「私も行って良いですか?」

 え? と残りの4人全員で彼女を見た。銘々が咎める口調で言った。

「遊びに行くんじゃないぞ。」
「夜中の博物館よ、マハルダ。」
「ミイラの山だぞ!」
「まだ修行中でしょ!」

 しかしマハルダ・デネロス少尉はケロッとした顔で言った。

「だって、ミイラは動かないし、悪さしないし、棚の上で座っているだけじゃないですか。」
「そうだけど・・・」
「現場に行ってみたら、何か分別方法が思い浮かぶかも知れません。」

 彼女は期待を込めて上官を見た。シオドアも少佐を見た。ステファンは上官を見ないようにして、豆のペーストを焼いたパンに塗り始めた。アリアナは事態がどう動くのかとテーブルの同席者達を見比べた。
 ケツァル少佐が脱力した。

「わかりました。デネロスが行くなら私も行きます。1930に博物館の玄関に集合。但し、バイト代をもらえるのは、ドクトルだけですよ。」
「承知しましたぁ!」

 デネロスが座ったまま敬礼したので、上官2人は苦笑いするしかなかった。ステファンが豆ペーストを塗ったトーストをアリアナと少佐に分けた。デネロスは部下なので貰えない。女性達が料理の食べ方をアリアナにレクチャー始めた隙に、ステファンがシオドアに目配せして席を立った。シオドアは彼が話があると言った様な気がして、席を立って着いて行った。
ウォーターサーバーでグラスに水を汲みながらステファンはシオドアに囁いた。

「少佐の苦手なものをご存知ですか?」

 シオドアはニヤッと笑ってしまった。

「無害な幽霊だね?」
「スィ。何もしないでただそこにいるだけの亡者が、彼女は大嫌いなのです。戦えないし、蹴散らせない、文句も言えない、そんな相手が彼女は一番怖いんです。」
「大丈夫、マハルダにバレない様に、少佐を守ってやるよ。」
「お願いします。」

 抑えた、しかし切実な声に、シオドアは苦笑した。そして思った。君は本当に彼女をよく理解しているんだなぁ、と。

博物館  9

  次の日の朝、シオドアとアリアナは通常通り大学へ出勤した。アリアナにバイトの話をしなかったのは、まだ具体的に博物館で何をするか決めていなかったからだ。だから、国立民族博物館に用事があるので帰りが遅くなる可能性があるとだけ伝えておいた。彼女が大統領警護隊文化保護担当部と関係があるのかと尋ねたので、肯定はしておいた。

「多分、ミイラのDNA鑑定が必要になると思うんだ。」

と言うと、彼女はそれ以上突っ込まなかった。
 大学の研究室に入ったシオドアは午後の授業の準備に没頭した。シエスタの時間を長く取りたかったので、早く準備を終わらせる必要があった。
 アリアナは医学部の研究室が少し暇になったので、先週末にマハルダ・デネロス少尉から頼まれた英語で書いた論文の校正した原稿を届けに出かけた。監視役の運転手を電話で呼ぶと、彼は大学の近くにいて、すぐ来てくれた。メスティーソの若い男性でエウセビーオ・シャベスと言う名前だ。内務省の職員かと思ったが、陸軍の軍曹だと言った。だから大学の側にある陸軍士官学校で送迎の時刻まで待機しているのだと説明した。大統領警護隊の隊員も陸軍士官学校からスカウトされるので、アリアナはなんとなく親しみを感じてしまった。シオドアから監視役とは個人的に親しくなるなと言われていた。彼等の任務の障害になるから、と言う理由だ。シャベスは普通の”ヴェルデ・ティエラ”のメスティーソで、大統領警護隊とはお近づきになれても友達になりたくない様子だった。彼の同級生で警護隊にスカウトされた人がいないのも理由の一つであるかも知れなかった。

「ドクトル・アルストから夜の迎えは暫く必要ないと言われましたが、”ロス・パハロス・ヴェルデス”と何かなさっているのでしょうか?」
「知らないわ。博物館で何か仕事を依頼されたみたいだけど。」
「博物館? セルバ国立民族博物館ですか? それともグラダ・シティ近代科学博物館?」
「ミイラがいる所よ。」

 アリアナの答えに、彼は「ああ」と呟き、それ以上は訊いて来なかった。
 文化・教育省の入り口で、いつもの愛想のない女性軍曹にI D確認をしてもらい、入館パスをもらってアリアナは4階へ上がった。階段からフロアに入って、しまった!と後悔した。デネロスの都合を先に確認するべきだった。これ迄彼女が大統領警護隊文化保護担当部を訪問した時、必ずと言って良いほどマハルダ・デネロス少尉は在席だった。しかし、この日彼女は不在で、文化保護担当部の場所にいたのはカルロ・ステファン大尉一人だけだった。ケツァル少佐もロホもアスルもいなかった。ステファンは火が点いていないタバコを咥えて、面白くなさそうな顔でパソコン作業をしていた。服装はカーキ色のTシャツとジーンズだ。パンツが迷彩服の時はいつでも遺跡へ出動出来る体勢で、ジーンズの時は一日中事務仕事の日、と以前デネロスが教えてくれていた。ステファンは本日留守番の当番なのだ。
 彼しかいないのだと分かったので、アリアナは出直そうと思った。しかし、他の部署の職員に気づかれてしまった。誰かが声を上げた。

「ステファン大尉、お客さんですよ!」

 すっかり顔を覚えられてしまった。ステファン大尉が顔を上げてこちらを見たので、仕方なく彼女はデネロスの論文が入った封筒を掲げて、訪問の目的を告げようとした。封筒を誰かに預けて帰るつもりだったが、ステファン大尉が手を振って、入って来いと合図をした。アリアナはカウンターの内側へ入った。文化保護担当部の区画へ行くと、大尉が視線をキーボードに戻して言った。

「デネロスは10分か20分程で戻って来ます。」

 封筒を預かってやろうと言わない。彼女がデネロスを待つものと決め込んでいる。しかしこれはセルバ流だ。1時間や2時間市民を待たせることをセルバ共和国のお役人はなんとも思わないのだ。アリアナは仕方なくデネロスの椅子に座った。気まずい沈黙が訪れた。何か彼と話をしたいが話題が思いつかない。仕事の邪魔をしたくない。だが黙っていると息が詰まる。彼女は大尉をそっと見た。先週末、彼はまたゲバラ髭になっていたが、この朝はまた髭がない。タバコを咥えた少年の様に見える。彼女は思い切って話しかけてみた。

「髭を剃ったのは任務で必要だからかしら?」
「なんです?」

 よく聞こえなかったのか、ステファンが顔を上げた。アリアナはちょっと緊張しながら繰り返した。

「貴方が髭を剃ったのは、仕事で剃る必要があったからですか?」

 多分スペイン語の文法を間違えずに言えた筈だ。ステファンが顎を手で擦った。彼女の為に英語で語ってくれた。

「ああ・・・これは・・・夕べ、下士官達とポーカーをして負けたからです。」
「?」
「金のやり取りがあると軍律違反になるので、勝ったヤツの言いなりになるんです。昨夜は負けたら剃刀を一回ずつ髭に当てることになっていました。」
「負けた人、全員?」
「スィ。しかし、中途半端で終わるとみっともない顔になるので、最後は全員で剃りましたがね。」

 アリアナは思わず笑ってしまった。そこへマハルダ・デネロスが戻って来た。アリアナが笑っている理由をすぐ悟った。

「髭がない大尉って、可愛いでしょ?」

と彼女も笑いながら話しかけてきた。

「この顔で遺跡荒らしを追いかけても、怖がる人はいませんよ。男の人って馬鹿でしょ?」

 ステファン大尉はムッとして、エステベス大佐の札が下がったドアを指差した。

「ドクトラに論文の指導をしていただくのだろう? 時間を無駄にするな。」

 デネロスは舌をペロッと出して、部屋の準備をする為に大佐の部屋へ向かった。その隙にステファン大尉がアリアナに声をかけた。

「金曜日の夜は酔った勢いで失礼なことをしてしまい、申し訳ありませんでした。」

 アリアナは彼の逞しい腕に抱き抱えられたことを思い出した。胸がドキドキした。

「気にしないで・・・私も酔っていたから・・・」
「つい妹と戯れている様な気分になって・・・怖がらせてしまって、済みませんでした。」

 私に対する彼の認識は女ではなく妹のレベルなのか、とアリアナは思った。胸の動悸が鎮まり、赤面せずに済んだ様だ。なんとか誤魔化す為に言った。

「少佐も妹に見えた? 彼女と私の間に強引に座ったけど?」

 大尉が赤面した。

「どうか忘れて下さい。少佐が手を上げなかったのが奇跡なんです。」
「誰が手を上げるって?」

 ケツァル少佐の声がして、ステファン大尉が固まった。いつの間にか少佐がカウンターの内側にいた。

「素面の私が酔っ払いを殴るとでも?」

アリアナは素直に笑えた。


2021/07/23

博物館  8

  博物館から出て、ケツァル少佐はシオドアを本当の夕食に連れて行った。午後10時を過ぎていたが、南国の夜は暑くまだ賑やかだった。月曜日だと言うのにセルバ人は平気で夜更かしする。

「臨時収入は嬉しいが、ミイラの鑑定なんて、どうすりゃ良いんだろ。」

 シオドアは火曜日の夜からのバイトを考えると憂鬱になった。一人であんな場所で何をすれば良いのか。それに、彼が少佐について博物館に行ったのには、別に目的があったからだ。それが思いがけないバイトの話で話題に出しそびれてしまった。
 少佐も無言で食べながら考えていた。亡者は危険ではないが、バイトの成績いかんではムリリョの機嫌を損ねる恐れがある。彼女自身はムリリョが怖い訳ではない。シオドアの身の安全を考慮しなければならないのだ。

「君は亡者を見ることが出来るんだろ?」
「スィ。」
「でも声は聞こえない。」
「聞けません。」
「俺は亡者を見ることは出来ない。でも声は聞こえる。」
「でも話は聞き取れないでしょう。」
「そうなんだ。それに、もし言葉がわかったとしても、俺が話しかけて彼等が聞いてくれるかどうかもわからない。」

 ふと思いついてシオドアは提案してみた。

「ロホはどうだろ? 悪霊祓いの家の息子なんだろ?」

 少佐が首を振った。

「悪霊と亡者は違います。悪霊は神様が間違った祀られ方をして歪んでしまった姿です。正しい儀式をして清めれば正しい姿に戻ります。」
「セルバの悪霊は素直なんだな。キリスト教世界の悪魔は一筋縄ではいかないぞ。」
「話を逸らさないで下さい。」
「ごめん。亡者は悪霊とどう違うんだ?」
「亡者は目的がありません。」
「はぁ?」
「死んだ人の魂が行くべき世界に行かずに、ただそこにいるだけなのです。」
「それって、この世に何か未練があって・・・」
「そんなことで残ったりしません。亡くなる時や葬儀の時に神父が祈りを捧げてくれます。それでも残るのが悪霊ですから、拝み屋が処理します。拝み屋の手に負えないものは、悪霊祓いの家の仕事になります。」

 拝み屋と悪霊祓い屋は別物らしい、とシオドアはセルバ文化独特の分業を習った。拝み屋はきっと”ヴェルデ・ティエラ”の霊能者で、悪霊祓い屋は”ヴェルデ・シエロ”の職人なのだ。

「つまり、ただそこにいるだけの亡者に、ロホは何も出来ないってことか?」
「悪霊祓い屋は悪霊と話をするのではありません。悪霊を封じ込めて、正しい祀り方で鎮めてしまうのです。でも亡者は何もしないので、封じ込められないし、鎮める必要もありません。あちらの世界に行きそびれただけですから、私達が何かするのはお節介なだけです。時間が経って自然に行ってしまうのを待つだけです。」
「それにしては、あのミイラ達は古そうだったぞ。随分長い間こっちへ居残っているんだな。」

 少佐はこの疑問をさらりと片付けた。

「人ぞれぞれですから。」
「それを言うなら、亡者それぞれだろう?」

 シオドアは近くのテーブルの客がこっちを見ていることに気がついた。亡者だの悪霊だのと喋っているので、気になったのだろう。彼は使った単語の中に聞かれてマズイものが入っていなかったか、記憶を整理してみた。”ヴェルデ・シエロ”とか”ティエラ”とかは言っていない。このまま喋っていてもオカルトマニアだと思われて済ませられるだろう。

「兎に角、俺は死人が話しかけて来ても、向こうが言いたいことを理解出来ないから。」
「・・・」
「それに俺の方から話しかけることも出来ないし。」
「仕事を依頼されたのは貴方ですよ。」

 少佐はずる賢く話を変えた。

「貴方はどんな理由で私について来られたのです?」
「それは・・・」

 ここでは言えない、とシオドアは思った。”砂の民”のムリリョにカルロ・ステファン大尉が狙われなければならない理由を聞き糺そうと思ったのだ。ケツァル少佐は、”砂の民”は一族の秘密を守るのが役目で個人的な恨みが理由の暗殺はしない、と言った。それなら純血至上主義者の立場からのムリリョの意見を聞かせて欲しかった。

「この場では言えない。人が多過ぎるから。」

 シオドアも話題を変えてみた。

「あの教授はずっと俺を無視していたなぁ。」

 すると少佐は問題ないと言う顔をした。

「先住民のマナーです。初対面の人同士が仲介人を通して話をすると言う昔ながらの習慣です。仲介人がいない場合は構いませんが、あの場での仲介人である私を通さずに直接貴方と教授が話をするのはマナー違反なのです。」
「そんなマナーを聞いたのは初めてだ。」
「あの人の主義を思い出して下さい。」

 純血至上主義だ。 ああ、とシオドアは納得した。それに、と少佐が付け加えた。

「人類学者でもありますから、部族の古い習慣を守っているのです。」
「それじゃ、俺が途中で口を出したので、怒っていただろうな。」
「それはバイトを引き受けてくれる人が見つかったので、帳消しになっています。」

 また話がバイトに戻って来た。しかしケツァル少佐はセルバ人らしくまとめた。

「明日、考えましょう。」



博物館  7

  ムリリョはシオドアに目を向けながらも、話しかける相手は必ずケツァル少佐だった。

「グラダはやっぱり私が何を希望しているかわかるのだな。」

 少佐は無表情だが、老博士の言葉の意味を測りかねているのがシオドアにはわかった。ムリリョはまだ彼女を呼び出した用件を教えてくれないのだ。シオドアは試しに老人に質問してみた。

「俺が亡霊の声を聞けることに何か思うところでもあるのですか?」

 ムリリョが棚のミイラを一体取り出した。成人のものらしいミイラは、大人の男性の腕でも一抱えはある大きさだ。彼はそれをケツァル少佐の前に持って近づいた。

「これは”ヴェルデ・シエロ”か”ヴェルデ・ティエラ”か、どっちだと思う?」

 少佐が脱力した。

「そんなこと、私にはわかりません。この遺体からは何も感じない。遺体が語りかけてこない限り、私にはこの人が何者なのか判別出来ません。」
「細胞を・・・」

 シオドアはDNAを分析すれば遺伝子レベルで判別出来ると言いかけた。しかし、少佐が片手を上げて彼を制した。それ以上勝手に喋ってくれるな、と言うことだ。
 ムリリョがミイラを元の位置に戻した。

「お前はグラダだ、亡者が見えるのだろう?」
「見えても話は出来ません。亡者とは”心話”が出来ないのです。」
「だが、この白人は声を聞けると言ったぞ。」

 ムリリョがシオドアを見ずに指だけ指した。全く失礼な爺様だ、とシオドアは思った。彼はまた我慢出来ずに言った。

「俺は声を聞けるが、言葉を聞き取れない。君達の先祖の言語を知らないし、亡霊の言葉は不明瞭で単語として聞き取れないんだ。それに俺が部屋に入ったり、外へ顔を出したりして彼等の姿を見ようとしたら、声は止んでしまうんだ。」

 ムリリョが黙り込んだ。シオドアは室内のミイラを見た。

「要するに、ムリリョ博士はここのミイラを”ヴェルデ・シエロ”と”ヴェルデ・ティエラ”に分別したいと希望されている訳ですね?」
「遺体に傷を付けることは許さぬ。」

 初めてムリリョが彼をまともに見た。

「”シエロ”であろうが”ティエラ”であろうが、セルバ人の祖先の遺体を傷つけてはならぬ。」
「しかし、表面の細胞は乾燥で破壊されているので、骨周辺か骨の組織を採取しないと、分析に掛けられないし、これだけの数を処理しようとなるとかなりの時間がかかるし、グラダ大学の設備で間に合うかどうか・・・」
「時間がない。」

 ムリリョはキッパリと言った。

「博物館の建物は老朽化している。この地は地震が多い。政府に数年前から最新の耐震構造で博物館を建て替える要求を出していたが、遂に予算が通った。来月から仮保管所へ所蔵品の移転を開始する。しかしミイラは所蔵場所が足りないので”忘却の谷”へ持って行く。」

 ああ・・・と少佐が顔を顰めた。シオドアが怪訝な表情をしたので、彼女が素早く説明した。

「”ヴェルデ・ティエラ”の昔からの墓所です。遺跡なのですが、ミイラ専用の保管施設があり、そこにここのミイラを一時保管すると言う計画です・・・よね?」

 最後はムリリョに自説の正しさを確認するトーンだった。ムリリョが弟子をジロリと見て、徐ろに頷いた。

「”忘却の谷”の亡者どもが、ここの”ヴェルデ・シエロ”の遺体を移すことで眠りを妨げられるのは心苦しい。だから”シエロ”のものだけ別に部屋を設けて入れる。そのために、ここで分けておきたい。」

 科学的なのか非科学的なのかよくわからないが、そう言うことか。
 少佐が不満顔になった。

「私はミイラと睨めっこして分別している時間などありません。発掘の季節が始まるのです。超忙しいことは教授が一番ご存知の筈です。」
「だから、他に適任者がいないか相談する為に、お前を呼んだ。そしてお前はこの白人を連れて来た。珍しく気が利くではないか。」

 皮肉なのか褒めているのかよくわからない。シオドアは純血至上主義者のムリリョ博士が何故”心話”でケツァル少佐と話そうとしないのか、不思議に感じた。それにムリリョは少佐がグラダ族だから亡者を見ることが出来ると言う意味のことを言った。ムリリョは何族だったっけ? グラダ族でなければ霊は見えないのか? ロホは見えていた様だが?
 気がつくと、少佐とムリリョがシオドアを見ていた。

「ドクトル・アルスト・・・」

 ケツァル少佐はシオドアが何回頼んでも、テオと呼んでくれない。

「貴方は夜間暇ですね?」
「暇・・・だけど、夜間の外出は内務省の許可が要るし、今日は君が同伴だから無許可でここへ来ているだけで・・・」
「許可申請は儂が出しておく。」

とムリリョが言った。そりゃ、純血至上主義者で”砂の民”の爺様からの申請だったら通るだろうけど、とシオドアは思った。ちょっと強引じゃないか?

「期限は来月の10日迄、夜の8時から明け方5時迄、ここで分別をすること。」
「ちょっと待ってくれよ、俺の睡眠時間は・・・」
「シエスタの時間に寝れば良い。」
「大学のシエスタは2時間しかないぞ。」
「午後からの仕事が多いのか?」

 シオドアは返答に詰まった。午後の授業があるのは火曜日だけだった。残りの曜日は研究室で学生に出す課題の準備研究をしていたのだ。ムリリョは勝手に話を進めた。

「食べ物の持ち込みは許可しない。食事は上の事務室で取ること。ラボも飲食禁止だ。」
「もしかして、タダ働き?」
「ノ。要した時間の分だけ支払う。」

 ムリリョは”心話”で少佐に何か伝えた。少佐が表情を崩した。

「安い! そんな時給でバイトを雇えるとお思いですか?」
「予算ギリギリだ。」

 とても”神様”の会話とは思えなかった。



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...