2021/08/01

礼拝堂  12

  軍靴を履いているにも関わらず音一つ立てずにカルロ・ステファンが祭壇前に近づいて来た。シオドアは「ヤァ」と声をかけるしかなかった。ステファン大尉は彼に頷き、それからムリリョに挨拶した。

「こんばんは。お久しぶりです、博士。」

 大統領警護隊文化保護担当部の隊員は皆グラダ大学の考古学部で学んで卒業している。ステファンもケサダ教授の教室の学生で、ムリリョの講義も受けたのだ。ムリリョはこの生徒を覚えていても覚えていないふりをしていたのだろう。純血至上主義者のプライドだ。彼は無愛想に頷いた。
 ステファンはケツァル少佐の横に来た。そしてわざとらしく溜め息を付いて言った。

「私を営倉送りになさりたいのですか?」

 護衛していた上官に脱走されて腹を立てていた。少佐がチラリと彼を見て冷たく言った。

「営倉へぶち込むなら、貴方が持ち場を離れてロハスの要塞に突入した時にしていました。」
「少佐は俺を心配して追って来たんだ。俺が単独でムリリョ博士と面会しようと考えたから・・・」

 シオドアが少佐の為に言い訳すると、ステファンは尚も上官を責めた。

「それなら私に一言仰って下されば・・・」
「黙れ、黒猫!」

 ムリリョがいきなり怒鳴りつけ、ステファンの口を閉じさせた。シオドアは礼拝堂の中の聖具がビーンと微かに振動するのを見た。これは誰の気なんだ? ムリリョが少佐の後ろの椅子を指差した。

「ガキの様に文句を言うでない。ジャガーならジャガーらしく威風堂々としておれ! さっさと座るのだ。朝まで儂に語らせる気か?」

 ステファン大尉は渋々少佐の斜め後ろの席に座った。ムリリョがシオドアに尋ねた。

「儂はどこまで語った?」
「シュカワラスキ・マナがカタリナ・ステファンと結婚したところ迄です。」

 ムリリョが「グラシャス」と呟き、話を再開した。

「グラダ・シティからマナを捕縛する為に追手が放たれた。マナは大神官の教育を受けていたが、まだ学習を完了させていなかった。中途半端のまま大神官の秘儀を使われては惨事を引き起こす恐れがあったからだ。オルガ・グランデの鉱山で鉱夫として働いていたマナを見つけた追跡者達は彼に戻るよう説得を試みた。しかしマナは拒否した。彼はオルガ・グランデで家族を得て、初めて幸せを感じていたからだ。」

 ムリリョがステファンを見つめた。

「ブーカ族のエルネンツォ・スワレが彼の説得に当たった。エルネンツォは儂の兄弟子で”砂の民”だった。もしマナが一族に災厄を招く様な行動を取れば即殺害する覚悟で説得に臨んだのだ。純血のグラダと戦えば生きて帰れぬかも知れぬ危険を承知で役目を引き受けた。
 マナはグラダ・シティに帰ることを拒んだ。エルネンツォは、それなら代わりに子供を寄越せと迫った。マナの子は半分グラダだ。教育次第で大神官になれるかも知れぬと。しかしマナの子は女の子だった。次の大神官を産めるかも知れない子供だ。だからマナは娘の能力を封印して普通の人間にしてしまおうと試みた。」
「彼は失敗して、娘を死なせてしまった?」

 シオドアが口を挟むと、ステファンが睨んだ。ムリリョはシオドアの言葉に頷いた。

「大神官の勉強を中途で投げ出した報いだ。妻のカタリナは父親に能力を封印されていたのか、それとも白人の血の影響が強くて能力を使えないのか、それは誰にもわからぬ。しかし彼女が産んだ子供はどれも半分グラダだ。生半可な封印術で扱える代物ではないのだ。我が子を死なせたマナは、オルガ・グランデの街を自らの結界に取り込んでしまった。”ヴェルデ・ティエラ”には何ら意味がない結界だが、少しでも”ヴェルデ・シエロ”の血を引く者は出ることも入ることも出来ぬ結界だった。」
「そんなことが出来たんですか?」

 シオドアが素直に驚愕すると、ムリリョが頷いた。

「それこそが、大神官の役目、セルバと言う国を守るための力だった。古代のセルバは一人の大神官の結界に取り込まれて守られていたのだ。だから”ヴェルデ・シエロ”は他民族の侵略から守られ、神としての地位を享受していられたのだ。」
「すると、シュカワラスキ・マナを大神官に仕立て上げようとした当時の長老会はもう一度セルバ共和国をマナの結界で守らせようと考えていたのですね?」

 ムリリョが悲しそうな目をした。

「その通りだ、アルスト。」

 初めてまともに名前を呼んでくれたな、とシオドアはぼんやりと思った。

「儂から見れば随分身勝手な考え方だった。外の世界はもう古代の世界とは違うのだ。船や飛行機で行き来し、電話、電波、インターネットで繋がっている。誰も古代の神の力を頼りになどしておらぬ。マナがそれを理解していたのかどうか、今ではわからぬ。彼はただ家族との穏やかな生活を守ろうとしたのだ。だが、結界内に閉じ込められた”ヴェルデ・シエロ”達は彼の存在を脅威と見做してしまった。閉じ込められた者の中には当然エルネンツォと儂もいた。彼は結界を消せと迫るために、カタリナが産んだ2番目の娘を人質に取ろうとした。赤ん坊はその時、麻疹に罹っていた。儂はマナに子供を医者に見せろと言ったが、マナは人質に取られることを恐れて拒否した。」
「それで赤ん坊は亡くなった・・・」

 シオドアが呟くと、ステファンが膝の上でギュッと両手を握りしめた。

「カタリナ・ステファンは夫に投降してくれと頼んだ。結界を張ったままでは他の”ヴェルデ・シエロ”の生活に支障が出る。マナ自身も消耗する。生き別れは辛いが、彼に生きていて欲しいと訴えたのだ。だがマナは妻の訴えも退けた。グラダ・シティに連れ戻されればピラミッドの地下神殿に閉じ込められる。そこでウナガンが産んだ娘と妻される。彼がシータを欲しがったのは、妻にする為ではなく、長老達の目論見から我が子を守るためだったのだ。彼はウナガンの娘が既に外国で育てられていることを知らなかった。
 マナは2人目の娘を死に追いやったエルネンツォを憎んだ。子供が死んで13日目に、儂は川岸でエルネンツォの遺骸を発見した。全身の骨が砕けていた。そんなことが出来るのは”ヴェルデ・シエロ”だけだ。」

 ステファンが絞り出すような声を出した。

「それは、大罪です。絶対にやってはいけない・・・」

 彼に背を向けたままで、ケツァル少佐が呟いた。

「でも、彼はやってしまったのです。」

 ムリリョが溜め息をついた。

「大罪に免罪はない。マナの結界の中にいた儂には聞こえなかったが、長老会にはマナが何をしたか報告が入っていた。国中の”ヴェルデ・シエロ”に布告が出た。シュカワラスキ・マナの捕縛に生死は問わずと。」


2021/07/30

礼拝堂  11

  大事に育てられたにも関わらず、3人の若いイェンテ・グラダの生き残り達は、一族が親を殺したことに大きな衝撃を受けた。当然の反応だった。しかし、殺戮の目撃者だったニシト・メナクは、親達が殺害された理由を知らなかった。理解していなかった。

「若者達は、ただ我々を憎んだのだ。しかし育てられた恩はある。だから表立って憎しみを見せることはしなかった。あの時彼等が腹を立てたことを表明すれば、その後の悲劇は起こらずに済んだやも知れぬ。
 ウナガンは思い入れの強い女だった。彼女はシュカワラスキ・マナが大神官になるのなら、自分はママコナを産もうと考えた。」
「待って・・・」

 シオドアはまた口を挟んでしまった。

「先代が存命中に生まれた女性はママコナになれないのでしょう?」

 ムリリョが不気味な微笑みを浮かべた。

「ウナガンは当時のママコナの死を願ったのだ。」

 ケツァル少佐が溜め息をついた。彼女は、何故今迄誰も彼女に母親のことを教えてくれなかったのか、その理由がわかりかけてきたのだ。

「ウナガンは何をしたのです?」

 少佐はその質問をするのにきっと勇気が要っただろうとシオドアは思った。彼女の為にここでムリリョの昔話を打ち切って欲しかった。しかし、ムリリョはカルロ・ステファンが命を狙われる理由を推理する為に過去を語っているのだ。それを頼んだはシオドア自身だ。そしてケツァル少佐も知りたいのだ。彼女にとって大事な部下の安全の為に。否、部下以上の存在なのではないのか、あの若い黒いジャガーは。
 ムリリョは決してもったいぶる訳ではないだろうが、ストレートに本題に入らなかった。これは”ヴェルデ・シエロ”の流儀なのだろうか。

「ウナガンは一族が勧めるシュカワラスキ・マナではなく、ニシト・メナクと結婚した。メナクと彼女が互いに愛し合っていたことは大人達も知っていた。だから強い反対はなかったのだ。やがてウナガンは身籠った。誰もが彼女の腹の子はメナクの子供だと思ったのだ。生まれてくる子供が純血種である可能性は・・・」
「正確な親の遺伝子比率は不明ですが、単純にウナガンとメナク双方が2分の1のグラダだったとしたら、純血種の子供が生まれる確率は4分の1です。」

 シオドアはまたうっかり口出しした。驚くべきことにムリリョが笑った。

「お前は遺伝子学者だったな。」
「スィ、余計な口を出して済みません。」
「まぁ良い・・・」

 ムリリョはケツァル少佐を見た。

「ウナガンは純血種の子供を欲した。だから子供の父親は夫のメナクではなく純血種のマナを選んだ。そして純血種の子供を身籠れば、これは大人達も望んだことだ。だが、もし女の子だったら、ママコナの資格はない。ウナガンはママコナの女官をしていた。ママコナの食事の世話が担当だった。」

 その先は言われなくてもわかったのだろう、ケツァル少佐が舌打ちしたのをシオドアは聞いた。

「愚かな女だったのですね。」

と彼女が呟いた。そしてジュースの残りを飲み干すと、シオドアにちょこっと八つ当たりした。

「ビールはなかったのですか?」
「ごめんよ・・・」

 シオドアは何と言って彼女を慰めて良いのかわからなかった。ムリリョも悲しげに見えた。

「ウナガンは純血種がどんなものか知らなかった。己の腹の中にいる純血種が既にママコナの声を聞いて理解していることを知らなかったのだ。彼女はママコナに毒を盛ろうとして、何者かに阻まれた。手が言うことを利かなくなって配膳室で半狂乱になったところを他の女官達に発見された。ママコナは、彼女の腹の中の子が母親が罪人に身を落とすのを防ごうとしたのだと言った。ウナガンは信じなかった。ママコナが彼女の子を誑かしたのだと言い張った。女官達は彼女をピラミッドの地下に幽閉した。
 ニシト・メナクは妻を返すよう長老会に訴えた。そして妻を狂わせた腹の子を処分してくれと嘆願した。長老会は勿論彼の頼みを聞き入れなかった。子の父親が誰であれ、メナクには育てる義務があった。彼の妻の子なのだから。そしてシュカワラスキ・マナも我が子を欲した。だが彼はウナガンの夫ではない。長老会は彼の要請も拒んだ。」
「その時子供を父親に与えれば良かったのに・・・」

 シオドアが呟くと、ケツァル少佐が苦笑して、「それはない」と言った。ムリリョが白人に教えた。

「グラダが神と呼ばれた時代、父親と娘が結ばれることが往々にあった。娘の母親が妻でない女であった場合だ。」
「ええ?!」
「シュカワラスキ・マナは己の娘を将来の妻とする為に育てたかったと考えられた。しかし長老会はイェンテ・グラダの悲劇を繰り返すことを恐れた。そしてウナガンは実際に娘を産んだ。純血種のグラダの女だ。ウナガンは幽閉生活で体力が落ちていた。赤ん坊に初乳を与えるのがやっとだった。ママコナが彼女に子供に名前を付けるようにと呼びかけた。それがウナガンへの免罪だった。ウナガンは子供にシータと名付け、罪を許されて眠りについた。」

 少佐がハァっと息を吐いた。

「私は罪人の娘だった訳ですね。」

 しかしムリリョは首を振った。

「ウナガンはお前を産み、お前に名を与えることで最後に罪を許されたのだ。彼女を罪人呼ばわりする者は一族におらぬ。ママコナが無罪だと言えば無罪なのだ。それが”ヴェルデ・シエロ”の掟だ。」
「しかし彼女は夫でない男との間に子供を作り、その子をママコナにしようと目論んでママコナを毒殺しようと図ったのでしょう? 私の倫理観では、彼女は立派な罪人です。」
「お前がそう思いたいのならば、そう思っておれば良い。」

 ムリリョはシオドアを見て、肩をすくめた。その目が「母娘揃って頑固者だ」と言ったような気がして、シオドアは心の中で苦笑した。彼は取り敢えずムリリョに先を促した。

「2人の男達は何をしていたのです? ウナガンが幽閉されている間、彼女を助け出そうとはしなかったのですか?」
「ニシト・メナクは意気地のない男で、ひたすら妻を返せと訴えるばかりだった。シュカワラスキ・マナはウナガンが捕らえられて子供ももらえないと知ると、グラダ・シティから逃げた。」
「え?」

 驚きだ。失望したと言っても良いほどがっかりした。シオドアはそんな気分だった。純血のグラダだから、その強大な能力で好きな女を救い出して逃げたと言うならわかる。それが一人で逃げたのか?

「メナクの企みでは、マナを大神官に据え、ウナガンにママコナを産ませ、グラダ族が君臨する古代セルバ王国を再現する筈だった。彼等の親を殺した一族への復讐が目的だったのだ。しかしウナガンはママコナ暗殺に失敗し、マナは逃げた。マナは以前にも言ったが穏やかな性格の男で、大神官になるつもりなど毛頭なかったのだ。彼はただ愛する女を手に入れたかっただけだ。メナクの計画に乗る気概もなく、彼は姿を消した。メナクは妻を失い同志にも裏切られ、絶望した。ウナガンの死から半年後に自ら命を絶った。
 長老会は残された純血種の赤ん坊の処遇に対してかなりの話し合いを持った。儂はその頃はまだ若輩者だったから、どんな議事が行われたのか知らぬ。結論から言えば、赤ん坊は出来るだけ政治から遠ざけ、どの部族の影響も受けぬ環境で育てることになった。それがママコナの意向でもあった。生母が殺人者となるのを腹の中から防いだ子だ。並の”ヴェルデ・シエロ”では養育しきれまいとママコナも長老達も考え、一番”ヴェルデ・シエロ”らしからぬ”ヴェルデ・シエロ”に育てさせることに決まった。」

ああ、とシオドアとケツァル少佐は同時に声を上げ、互いの顔を見て慌てて目を逸らした。

「あの白人に限りなく近いミゲールはお前を上手く育てた。狭い部族社会では今のお前はなかっただろう。」
「私の親はミゲール夫妻以外にいません。」

 ケツァル少佐は元気を取り戻した。この復活の速さは何処から来るのだろう。
 シオドアはそろそろカルロ・ステファンが命を狙われる理由に辿りつかないかと焦れてきた。時刻も遅くなってきている。しかしムリリョはまた逃げた純血種に話を戻した。

「シュカワラスキ・マナはグラダ・シティから逃げ出した後、オルガ・グランデへ行った。セルバ共和国第二の都市だ。鉱山労働者は身元があやふやでも雇ってもらえたのだ。彼はそこでイェンテ・グラダの生き残りと出会った。」
「カルロのお祖父さんだ!」

 シオドアは思わず声を上げた。やっと話が目的に近づいて来た?

「グラダはグラダを見分ける。マナとステファン一家はそこで知り合ったのだ。マナがどこまで己の身の上を明かしたのかはわからぬ。彼はカタリナ・ステファンを妻に迎えた。」

え? シオドアは一瞬思考が停止しかけた。それって・・・まさか? 彼がケツァル少佐を見ると、少佐は諦めた様な表情をしていた。

「シュカワラスキ・マナが純血種だと聞いた時から、そんな気がしていました。」

と彼女は言った。 そして、不意に礼拝堂の入り口に向かって言った。

「いつまでそこに隠れているつもりですか? ここへ来て一緒に聞きなさい。」

 シオドアは跳び上がった。礼拝堂の扉が僅かに開いて、カルロ・ステファンが姿を現した。その顔は強ばり、蒼白だった。いつからそこにいたんだ? シオドアは心の中で問いかけた。どこから今の話を聞いていたんだ?
 ムリリョが微笑した。そして腕を振った。

「こっちへ来て座れ、シュカワラスキ・マナの息子。」


礼拝堂  10

 「イェンテ・グラダで見つけられた3人の子供は幼過ぎて酒を飲まなかったのだ。だから生きていた。2歳の男の子、1歳の女の子、そして4歳になる男の子だった。我々は彼等をグラダ・シティに連れ帰り、ブーカ族の長老会に託した。グラダの血の濃い子供達の養育を任せられるのはブーカ族ぐらいなものだったから。子供は、2歳の男の子がシュカワラスキ・マナ、4歳の男の子がニシト・メナク、そして女の子がウナガン・ケツァルと言った。」

 シオドアは思わずケツァル少佐を見た。少佐は無表情だった。彼は再びムリリョを見た。

「少佐の本当のお母さんはイェンテ・グラダの生き残りだったのですか?!」
「そうだ。半分だけのグラダだった。ニシト・メナクも半分だけのグラダだった。しかしシュカワラスキ・マナは違った。あれは純血種だった。」

え? と驚いたのはシオドアだけではなかった。少佐も目を見開いてムリリョを見つめた。

「イェンテ・グラダの試みは成果を挙げていたのだ。彼等は念願の純血種を生み出していた。だがタバコの毒で堕落した彼等に純血種の教育は不可能だったであろう。シュカワラスキ・マナを託されたブーカの長老達もその教育に手こずったのだ。誰も純血種のグラダの能力を実際に目の当たりにしたことがなかったのだからな。長老達は彼を古代に絶えた大神官に仕立て上げようと悪戦苦闘したのだ。ママコナもマナの心に絶えず語りかけ、”ヴェルデ・シエロ”としての心得と義務を説いた。正しい能力の使い方を教えようと努力した。マナの力は強大で、成長するに従って誰の手にも負えなくなっていった。マナが暴走しなかったのは、彼の性質が穏やかだったからだ。そして兄妹の様に育ったウナガンとメナクの存在もあった。彼等は仲が良かった。マナは年頃になるとウナガンを妻にと望んだ。大人達も彼等が結婚するべきものと考えた。」

 そこでムリリョが口を閉じた。長い話なので疲れた様だ。シオドアは飲み物を持って来るべきだったと悔やんだ。

「外の屋台で何か飲む物を買って来ようか?」

と少佐に声を掛けた。少佐が一瞬期待の目でムリリョを見た。彼女も喉が乾いたのだろう。ムリリョが話を中断するのを嫌がりはしないかと心配もあったが、誰からも異論が出なかったので、シオドアは立ち上がった。
 礼拝堂から出ると晩課は終わっていた。暗い聖堂内を歩き、外に出ると屋台村はまだ賑やかで、彼は瓶入りのジュースを購入した。出来るだけ短い時間で買い物を済ませ、礼拝堂に戻ると、ちょっと雰囲気が重たくなっていた。ムリリョが彼の留守の間に話を進めたのかと思ったが、そうではなかった。ケツァル少佐がシオドアを見るなり告げた。

「カルロが病院にいません。」

 シオドアはジュースの瓶を落としそうになり、慌てて椅子の上に置いた。

「いない?」
「様子を見ようと心を飛ばしたら、廊下にいなかったのです。病院内に彼の気配がありませんでした。」
「何処にいるのか、わからないのか?」

 するとムリリョが意外な冗談を言った。

「あの男にGPSなど付いておらん。」

 シオドアは彼にジュースの瓶を渡した。少佐にも渡しながら励まそうと試みた。

「食事に出たんじゃないのか? 護衛に病院食は出ないだろう?」
「それなら、私に断って・・・」

 言いかけて、ケツァル少佐は「しまった」と拳で椅子の座面を打った。

「食事に出ようとして私に声を掛け、私の不在に気がついたのです。」

 はっとムリリョが短く笑ってシオドアを驚かせた。

「手抜かりだったな、ケツァル。ベッドで寝ていたのが枕だと気がついて、お前を探しに病院から出てしまったのだ。」
「探せないのか?」
「無理です。」

と少佐。己の失敗を悔やんでいるので不機嫌だ。

「元いた場所から移動されたら、彼が気を放つ迄私には彼の居場所がわかりません。タバコキャンデーを食べているので、彼は気を抑えているでしょう。」
「案ずる必要はない。」

とムリリョがぶっきらぼうに言い放ち、瓶の栓を祭壇の角で抜いた。カトリックの信者だったら不敬になるだろう。老人は構わずにジュースを一口飲んだ。

「子供ではないのだ。お前が今心を飛ばした気を感じて、そのうちここへ辿り着く。グラダであれば出来る。例え半分だけでもな。」

 ムリリョはカルロ・ステファンの存在を認めている。”出来損ない”と貶しながらも能力を認めている。シオドアは今迄この長老を誤解していたことを痛感した。ステファンの命を狙っているのは”砂の民”ではないのだ。
 シオドアが椅子に座ってジュースを飲むのを待ってから、ムリリョは「何処まで語ったかな」と呟いた。シオドアは答えた。

「シュカワラスキ・マナとウナガン・ケツァル、それとニシト・メナクが大人になったところまでです。」

 ムリリョは頷き、続きを語り始めた。

「長老達はマナを大神官にしようと教育に熱を注ぎ、ウナガンには彼の子を産むよう働き掛けた。この2人に注意を注ぐことに力を入れ、3人目がいることを忘れていたのだ。」
「ニシト・メナク?」
「そうだ。メナクはブーカの長老の一人に家族として大事に育てられたが、グラダの教育を受けることはなかった。育て親は彼を普通のブーカ族として扱った。しかし、イェンテ・グラダ村で保護された時、メナクは4歳だった。3人の中で最年長だった彼は、親が殺されるところを目撃していた。」

 シオドアは背筋が寒くなるのを感じた。

「メナクは4歳の時に故郷で目撃した惨劇を記憶していたのですね?」
「そうだ。そしてそれを覚えていることを誰にも語らずに成長した。だが成年式でナワルを披露した後で、彼はシュカワラスキ・マナとウナガン・ケツァルに自分達の出生の秘密と親達が一族から受けた仕打ちを教えたのだ。」


2021/07/29

礼拝堂  9

 「世間で”ボラーチョ”村と呼ばれていた村の本当の名前はイェンテ・グラダと言った。」

 ムリリョの言葉にケツァル少佐が怪訝な顔をした。シオドアが意味を尋ねると、彼女は言った。

「甦れグラダ と言う意味です。」
「もしや、グラダ系の人々が暮らす村だったのですか?」

 ムリリョが珍しくシオドアの言葉に頷いた。

「グラダの血が濃いブーカ系の者達が集まって暮らしていた。勿論”ヴェルデ・ティエラ”や白人や黒人の血は入っていない”ヴェルデ・シエロ”だけの村だった。閉鎖的で、他の部族の血が新たに入ることを拒み、婚姻も村の中だけで行った。」
「近親婚を繰り返してグラダの血の割合を増やしていったんですね?」

 シオドアは彼自身が生み出された研究所を思い出して嫌な気分になった。ボラーチョ村ことイェンテ・グラダ村の住民達はグラダ族が支配した古代のセルバを再現させようとしていたのだろうか。
 純血至上主義者と言われるムリリョが、暫く言葉を選んでいる様子で黙り込んだ。だからシオドアはケツァル少佐に小声で尋ねた。

「カルロのお祖父さんはそんなにグラダの血が濃い人だったのだろうか?」

 少佐は首を傾げた。

「カルロのお母さんは”心話”しか出来ないと彼が言っていました。もしお祖父さんのグラダの血が濃ければ、気の制御が必要でしたでしょうし、娘の能力もそれなりにある筈です。出稼ぎに行った鉱山で正体がバレなかったのですから、お祖父さんの力は弱かったのか、或いはその反対で、気の制御がとても上手で、娘の能力を封じ込めることが出来たのかも知れません。」
「力を封じ込める?」
「赤ん坊の時に子供の気を封じ込めてしまうのです。」
「封じ込まれたら、どうなるんだ?」
「その辺にいるメスティーソの”ヴェルデ・シエロ”並の”心話”しか使えない人になります。」
「一生?」
「それは封じた人の技量によります。とても難しい技で、失敗すると子供を廃人にしてしまいます。」

 ふと少佐がステファン家のもう一つの話を思い出した。

「カルロは姉が2人いたと言ったことがあります。 彼が生まれる前にどちらも生まれてすぐ亡くなってしまったと言っていました。」
「まさか、彼のお祖父さんは娘の力を封じて、孫にも同じことをした? だが失敗して2人立て続けに亡くしてしまい、3人目の孫であるカルロには何もしなかった?」
「カルロには妹がいます。彼女は”心話”しか出来ないと言っていました。」
「4人目は成功した・・・もしかすると女の子だけを封じたのかも知れない。理由はわからないが・・・」

 するとムリリョが言った。

「女の子は制しやすい。だから敵に奪われぬよう能力を隠したのだ。普通の人の子供だと思わせて連れて行かれないように予防線を張ったのだろう。」
「どう言う意味です?」

 しかしムリリョは話を元に戻してしまった。

「イェンテ・グラダ村の住民達のグラダの血は世代を重ねる毎に濃くなっていった。彼等はもう一つの血統であるブーカの血が濃い子供達を村の外へ捨てていった。だから、今セルバにいる遠い祖先にグラダを持つ人々の中には、イェンテ・グラダから捨てられた者の子孫がいるのだ。彼等はイェンテ・グラダ村のことを知らぬ。村の名前も聞いたことがない。ブーカや他の部族に拾われてそこの子供として育った。」
「俺にはイェンテ・グラダ村が何か異様な場所の様に聞こえます。」

 シオドアの感想に驚いたことにムリリョが同意した。

「左様、あの村は異常な程純血種を作ることに拘った。しかし、彼等は重大な問題を見逃していた。どんなに純血に近づこうと、彼等は所詮”出来損ない”だったのだ。」

 少佐が呟いた。

「気の制御が出来なかった・・・」
「そうだ。周辺の”ヴェルデ・ティエラ”達に正体を気づかれては困る。完全なグラダでないうちは、彼等は神と崇められた先祖達と同じではないのだ。彼等は自身を守る為に、タバコを乱用した。気を鎮める為に吸うだけでなく、食って飲んだ。」
「死ぬほど不味いんだろ?」

 少佐がこっちを見たので、シオドアは説明した。

「君が入院している病院の売店でキャンデーを売ってるってさ。」
「キャンデー程度なら害はありません。」

 シオドアのチャチャ入れにムリリョが不機嫌にならぬよう、少佐が急いで言った。

「タバコの乱用で彼等は酔っ払った状態になり、ボラーチョ村と呼ばれるようになったのですね?」
「そうだ。」

 そこでムリリョは大きく息をした。何か勇気が要る告白をする様だ。

「ボラーチョ村の噂はグラダ・シティにも流れてきた。イェンテ・グラダ村で行われていた異様な純血回帰が初めて我々の知ることとなったのだ。」
「ええ? それじゃ、それまで誰もボラーチョ村のことを知らなかったんですか?」
「村全体が”幻視”で姿を消していたからな。だが酔っ払ってそれが出来なくなった。」

 ムリリョが床を見た。

「ブーカ、オクターリャ、サスコシ、マスケゴ、カイナ、グワマナの長老達が集まった。存在しないと信じられていたグラダの血が復活しようとしていた。純血のグラダなら問題はない。理性を持つ混血なら問題はない。だが、イェンテ・グラダは村全体が狂気に包まれていた。放置すればオクタカス周辺の”ヴェルデ・ティエラ”達に危害が及ぶ。我々の存在が国外にまで知られてしまう。我々の存在意義はこのセルバと言う小さな国を守ることだ。我々はここでしか生きられない。我々の存在を受け入れてくれてきた”ヴェルデ・ティエラ”を暴走する”出来損ない”から守らねばならぬ。長老会は”砂の民”に総動員を掛けた。イェンテ・グラダを殲滅し、この世から完璧に抹消せよと。」

 シオドアは寒気を覚えた。一夜にして消えた住民達は殺されてしまったのか。

「”ヴェルデ・シエロ”は力を人の殺害に使ってはならないと聞きましたが・・・」
「勿論だ。」

 ムリリョは遠くを見る目つきをした。

「我々は満月を待って、彼等の月読みの酒に毒を入れた。」

 少佐がまた教えてくれた。

「月例の祭祀です。農耕の為に一月の天候を占うのです。今でも農村部の古い家庭に残っていますが、都市部では廃れてしまっています。」
「その祭礼に使う酒に毒を盛ったのか・・・」
「遅効性の毒でな・・・」

とムリリョが囁く様に言った。

「即効性では却って何かが起きていると彼等に知られてしまう。だからゆっくりと彼等の脳を死へと向かわせた。苦しみはなかった筈だ。死にきれなかった者は刀で始末した。死体は夜明け迄に全て村から運び出し、森の奥深くに埋葬した。」
「カルロ・ステファンのお祖父さんは出稼ぎに出ていて、難を免れたのか・・・」
「出稼ぎに出た者はまともな精神状態だった。だから見逃した。恐らく2人か3人だけだった筈だ。」
「まさか、その時の生き残りの子孫を全員殺そうと思うヤツがいるって言うんじゃないでしょうね?」

 ムリリョが首を振った。

「まだ話は終わっておらぬ。我々は死に絶えたイェンテ・グラダの村で、3人の子供を見つけたのだ。」


礼拝堂  8

 「あの”出来損ない”のグラダの死を望む者を、この儂が知っているとお前達は本気で思っているのか?」

 ムリリョが傷ついた様な台詞を口にしたが、顔は無表情で声も冷静だった。シオドアは一族を守る為に暗殺を請け負う役目を担ってきた老人を見つめた。

「貴方の仕業だとは思っていませんし、貴方が仲間に指図したとも思っていません。あなた方の仕事がどんなものか俺は知りません。しかし、オクタカスの”風の刃の審判”を利用したやり方や、外国での任務を遂行する相棒を操って心臓を刺そうとしたり、ロハス一味を攻撃する政府軍の中に紛れ込んでどさくさに彼を射殺しようとする、他人の心を操れるのは、あなた方しかいないでしょう?」

 ムリリョが口をへの字に歪めて彼を見返した。絶対に怒らせた、とシオドアは思った。後悔していないが、不安だった。ケツァル少佐を巻き込んでしまった。
 すると少佐が呟いた。

「今聞いてみると、随分手の込んだ回りくどいやり方をしている様ですね。」
「儂にもそう聞こえた。」

 ムリリョが不愉快そうに言った。

「もし儂の仲間がやるとすれば、そんな手の込んだことはせぬ。”操心”で他人を使うとしても、確実に相手を仕留める保障がなければ行わぬ。第一、あの”出来損ない”を殺す理由がない。」
「理由って・・・」

 純血至上主義者が混血児を排除するのに理由が要るのか、とシオドアは言いそうになって我慢した。ムリリョは彼が何かを控えたことに気づかなかったふりをした。

「白人の血が入っているが、あの男はちゃんとお国の為に働いておる。気の制御は下手くそだが、周囲に迷惑をかけぬようバレたりせぬよう、あの男なりに努力しておる。何故儂等”砂の民”があの男に死を与える必要があるか?」

 シオドアは、博物館でケツァル少佐がステファン大尉の気の動きを感じて心を飛ばした時のことを思い出した。あの時、少佐がムリリョの身内がステファンを怒らせたと言ったら、ムリリョは何と言った? あれには手を出すなと配下に言ってある、とムリリョは言ったのだ。
 ムリリョは純血至上主義者だと聞いていたが、この老人はメスティーソのマハルダ・デネロスを気に入っていた。「美しく獰猛な精霊」とデネロスを評したのだ。
 この人は正しく他人を見極めることが出来る人なんだ!
 それならば・・・

「では、お尋ねします。貴方は、誰がカルロ・ステファンを付け狙っているのだと思われますか?」

 シオドアの質問にムリリョは直ぐには答えず、ケツァル少佐を見た。

「唯一人の真のグラダ・・・」

と彼は少佐に呼びかけた。

「お前は己の親を知っておるか?」

 シオドアは礼拝堂内の気温が1度下がった様な気がした。少佐が緊張した?

「私の親と今話している件が関係しているのですか?」
「グラダは母親の名を受け継ぐ。」

 ムリリョがシオドアに顔を向けた。

「この女の母親は、ウナガン・ケツァルと言う。最初の祖先の名前がケツァルだった。」

 彼は少佐に顔を向けた。

「あの”出来損ない”の母親は、カタリナ・ステファンと言う名だ。その母親の姓もステファンだったからだ。普通、メスティーソは父なし子でなければ父親の姓を名乗る。カタリナ・ステファンの父親はグラダの血を引いていた。」
「彼のお祖父さんの話なら彼から聞いたことがあります。」

 シオドアはうっかりムリリョの話を遮ってしまった。少佐に横目で睨まれた。彼は、ここで爺様を怒らせるな、と言われた気がした。ムリリョは白人の無作法を我慢することにしたらしい。シオドアに尋ねた。

「彼とはあの”出来損ない”のことか? 祖父さんのことを何と言っていた?」
「彼にはカルロと言う名前があります。」

 シオドアは親友を”出来損ない”呼ばわりされるのにうんざりした。

「カルロのお祖父さんは、オクタカス遺跡の近くにあった”ヴェルデ・シエロ”の子孫の村の出だったそうです。若い頃にオルガ・グランデの鉱山へ出稼ぎに出て、ある時に同郷の人達と里帰りしたら、村が消えていたと、カルロに語ったそうです。」

 ムリリョが頷いた。

「あの男の祖父は”ボラーチョ”村の生き残りだったのだな。」

 シオドアはその言葉に引っかかりを感じた。

「”生き残り”と仰いましたか? ”ボラーチョ”村の住民は死んだのですか?」

 ムリリョが初めて躊躇いを見せた。ケツァル少佐をグッと見つめて言った。

「これを語れば、お前は我々に背を向けるかも知れぬな。」



礼拝堂  7

  朝の出勤時、運転手のシャベス軍曹に今夜も出かけるので帰りはアリアナだけ乗せてやってくれと言ったら、軍曹はまた不満そうな顔をした。

「せめて何処へ行くのか教えてくれませんか?」

 それでシオドアは行き先に関しては正直に言った。

「グラダ大聖堂だよ。晩課の礼拝を見学するんだ。俺は宗教と無縁の場所で育ったから、伝統的な宗教儀式に興味がある。」
「そこから別の場所へ移動とかはないですね?」
「ない。」

 もしかするとムリリョが場所を移そうと言うかも知れないが、シオドアはそこまで監視役に言うつもりはなかった。シャベスを安心させて、大学に出勤した。日中は考古学部の教職員と出会う機会はなく、昼食も一人で取った。シエスタの後半は学生が数名来て、世間話をした。若者達はアメリカ文化に興味がある。世界中どこでも普通に見られる光景だった。
 午後は授業がなかったので翌日の授業の準備で時間を過ごし、大学のカフェで早めの夕食を取った。街中のバルはまだ開店時間になっていなかったし、カフェを利用するなら料金が安い大学で飲食しても味はそんなに差がなかった。
 タクシーではなくバスでセルバ大聖堂へ行くと、聖堂前の大広場では屋台が出ていて、ちょっとびっくりした。お祭りかと思ったがそうではなかった。雨が降らなければ毎晩屋台が出ているのだ。
 大聖堂の中は屋外より涼しかった。晩課を行っている信者達の邪魔をしないように端の通路を静かに歩き、エクスカリバー礼拝堂を探した。結局近くにいた老女に声をかけて教えてもらう羽目になったが。
 グラダ・シティに最初に上陸した宣教師に捧げられた礼拝堂で、エクスカリバー師の像が祀られている。その祭壇の前でファルゴ・デ・ムリリョが座っていた。濃紺のシャツと黒いパンツで痩身を包んだ姿は、年齢を感じさせず、忍者の様に素早く駆け回りそうだ。

「こんばんは。来て下さって有り難うございます。」

 シオドアは礼を失さないよう用心深く挨拶した。ムリリョは無言で手を振り、彼に近くへ来いと合図した。シオドアは相手の目を見ないように心がけながら近づいた。ムリリョが指差した椅子に座ると、老人が言った。

「もう一人来る。」

 シオドアはびっくりした。2人だけで話したかったのだ。するとムリリョも言った。

「お前と2人だけで話したかったが、ケサダが余計な気を利かせてお前を私から守ろうとした。だから、あれも来る。」

 ケサダ教授が来るのか、と思ったら、礼拝堂の扉が小さく開いた。振り返ってシオドアは驚いた。思わず立ち上がってしまった。

「ケツァル少佐!」

 少佐がゆったり大きめのTシャツに病院職員のパンツを身につけて入って来た。明らかに病室を脱走してきたのだとわかる服装だ。

「まだ寝てないと駄目じゃないか!」
「平気です。戦闘をする訳でなし。」

 ケサダ教授は自分が来るのではなく、ケツァル少佐にシオドアがムリリョと会見すると告げ口したのだ。だから、友人を見捨てて置けないケツァル少佐は病院を抜け出して来てしまった。シオドアは思わず愚痴った。

「護衛は何やってんだ? ステファンの目を誤魔化して来たのか、少佐?」

 少佐がニッと笑った。部下を欺くなど朝飯前だと言いたげだ。そしてムリリョの前に来ると”ヴェルデ・シエロ”の言葉で挨拶をした。驚いたことに、ムリリョも立ち上がって、彼女に頭を下げて挨拶を返した。シオドアに少佐が説明した。

「族長同士の挨拶をしたのです。」

 現生でたった一人の純血のグラダ族だから、ケツァル少佐はグラダ族の族長なのだ。そしてムリリョは長老であるだけでなくマスケゴ族の族長だった。
  ムリリョが手で椅子を指したので、少佐はシオドアの隣に座った。微かに甘い香りがした。病室の見舞いの花の移り香だ。

「結界を張った。暫くは誰もこの礼拝堂に入って来ない。」

 ムリリョがシオドアを見た。

「さて、何を儂から聞きたいのかな、白人?」

 シオドアは深呼吸した。下手なことを言えば、この長老は腹を立てるだろう。2度と面会してくれないかも知れないし、最悪命を奪われるかも知れない。彼は用心深く質問した。

「カルロ・ステファンの命を狙っている者がいます。お心当たりはありませんか? 彼が殺されなければならない理由を知りたいのです。そして俺に出来ることならば、相手を説得して彼を救いたい。」

 少佐がゆっくり首を動かして彼を見た。感情を表さない黒い目で彼を眺め、それからムリリョに向き直った。彼女が言った。

「私も知りたい。誰が彼の死を望んでいるのですか。」


2021/07/28

礼拝堂  6

  盗掘美術品密売ルートの元締めで麻薬シンジケートの一端でもあったロザナ・ロハスの要塞を破壊しボスのロハスを生け捕ったステファン大尉が、手柄を褒められもせず、降格もされず、国防省病院の廊下でケツァル少佐の護衛を命じられているのは、上官が負傷して前線を退いた後の指揮を執らずに私怨でロハスの要塞に突入した罰だと、少佐は言い、ステファン本人もそう認識していた。しかしシオドアは、大統領警護隊の司令官であるエステベス大佐と言う人が護衛されている筈のケツァル少佐にステファンを守らせているのだと理解した。病院の建物は遺伝病理学研究所と同じで結界を張りやすい。少佐は彼女の病室から離れている大部屋で寝ているアスルも守ることが出来るのだ。
 見舞いを終えて、シャベス軍曹が運転する車で彼はアリアナと共に一旦帰宅した。彼女を家に入れて、彼は再び出かけようとした。シャベス軍曹は良い顔をしなかった。内務省の指示で亡命者の監視をしているのだ。のこのこ外出されては彼も気が抜けない。仕方なく、その夜は家にいることにした。
 シャベスが夜の護衛と交替に帰宅し、シオドアはアリアナと夕食を取った。アリアナは上機嫌でアスルが脚の傷以外は元気だったことを報告した。

「”ヴェルデ・シエロ”って、貴方と同じで傷の治りが早いんですって。だからアスルはもう痛くないそうなの。だけど憲兵隊の守護を放棄して要塞に突入した罰で、普通の人と同じ日数を入院していないといけないんですって。」
「何だい、それ? 仕事をするなってことか?」
「アスルは営倉に入るよりベッドで寝ている方が辛いってこぼしてたわ。」

 日中の業務時間以外は風来坊のような生活をしているらしいアスルには、例え数日のことでも1箇所で寝ているのは苦痛なのだろう。それは廊下の椅子に座って護衛を続けるステファンも同じなのだ。居眠りも散歩も許されない。トイレに行くにも上官の許可が要る。

「大尉はタバコを我慢しているのかい?」
「そうよ、病院の中ですもの。だから売店で売られているキャンデーを舐めていたわ。」
「キャンデー?」
「タバコと同じ香りがするの。」

 ああ、とシオドアは合点した。禁煙となっている国防省病院では、気のコントロールが上手くいかないメスティーソの”ヴェルデ・シエロ”の患者の為に、タバコと同じ植物を原料とするキャンデーを作って与えているのだろう。売店でも販売しているのだ。アリアナが可笑しそうに笑いながら言った。

「そのキャンデー、私も舐めたいと言ったら断られたの。死ぬほど不味いんですって。」
「そうだろうな・・・美味しかったら、街でも売られている筈だよ。」

 シオドアはタバコも吸わないので、キャンデーの味が想像出来ない。だが美味しい筈がないと思った。ハバナ産の高級葉巻だって、その味のキャンデーが出回ったと言う話を聞いたことがない。
 夕食の後、それぞれの部屋に引き揚げた。シオドアは電話を出した。セルバ国立民族博物館にかけてみたが、誰も出なかった。営業時間はとっくに終わっている。職員は皆んな帰ったのだ。館長も帰ってしまったのだろう。彼は自室を出て、アリアナの部屋のドアをノックした。アリアナはまだ部屋に入ったばかりだったので、寝る支度をしている最中だった。シオドアがデネロスの電話番号を教えてくれと言ったら、女の子の番号を本人の許可なく教える訳にはいかないと断られた。

「何だよ、下心なんかないぞ。」

 シオドアが怒って見せると、彼女はちょっとむくれた。

「一緒にバイトした時に訊かなかったの?」
「そんな必要はないと、あの時は思ったんだ。それに俺が今用があるのは彼女じゃなくて、彼女の知り合いだ。その人の番号を彼女に訊きたいんだよ。」
「誰なの? 私がマハルダに電話して訊いてあげるわ。」

 時々アリアナは故意に融通が効かない。シオドアが大統領警護隊の友人達に関わる行動を始めると、彼女は仲間外れにされまいと必死になるのだ。シオドアは仕方なく目的の人の名を言った。

「考古学のケサダ教授だよ。マハルダの担当教授だろ?」

 それでやっとアリアナはデネロス少尉に電話ではなくメールを送ってくれた。大統領警護隊の官舎は門限でなくても電話を掛けられる場所が決められていて、外から掛ける場合は事前にメールで予告した方が良いのだと彼女はロホから教えられていた。時間帯に関係なく電話を掛けられるのは、同じ大統領警護隊の少佐以上の階級の将校だ。
 メールの返事はメールで来た。シオドアはそれを見せてもらい、自分の電話に登録した。礼を言って、おやすみのキスをすると、アリアナがちょっと照れた。
 自室に戻り、シオドアはベッドではなく椅子に座って姿勢を正した。緊張感を持ってマスケゴ族の教授に電話をかけた。ケサダ教授はすぐに出てくれた。背後で子供の声や女性の声が聞こえたので、家族団欒の夕食の場を邪魔してしまったようだ。

「お寛ぎの時間に申し訳ありません。」

 シオドアは名乗って直ぐに用件に入った。

「ムリリョ博士の連絡先を教えていただけませんか?」

 ケサダ教授は暫く沈黙した。ケツァル少佐でさえ滅多に掴まえることが出来ないマスケゴ族の長老の電話番号を白人が訊いているのだ。シオドアは付け加えた。

「友人の安全を確保するために、あの方の協力を頼みたいのです。」
ーー友人?
「大統領警護隊の友人です。」

 数秒間を置いて、ケサダ教授は言った。

ーーこちらから掛けなおします。

 電話が切れた。シオドアは脈ありと感じた。ケサダとムリリョは同じ大学の師弟関係よりマスケゴ族の純血種同士の繋がりが強いのだろう。そして、恐らくケサダは”砂の民”だ。しかし純血至上主義者ではない。ムリリョは純血至上主義者で”砂の民”の組織の長であり、マスケゴ族の長老だ。
 まだ眠るには早い時間だったので、シオドアはジャガイモの遺伝子の変遷を研究した学者の本を開いた。料理のレシピが載っていれば面白いのだが、生憎文章と遺伝子の相関図ばかりだ。同じものを見るなら人間の方がずっと面白い、と思っていると眠たくなってきた。こっくりしたところに、ケサダから電話が掛かってきた。

ーー明日の夕刻7時、グラダ大聖堂のエクスカリバー礼拝堂で。

 それだけ囁いてケサダは電話を切った。シオドアは一瞬彼が冗談を言ったのかと思った。グラダ大聖堂と言えば、セルバ共和国カトリック教会の中心だ。”曙のピラミッド”より低い土地に建てられており、高い尖塔を持っているがピラミッドより高い位置にならないよう配慮されている。礼拝の時間には信者が集まっているので、聖堂は厳かだが周辺は賑やかな区域になっている。”ヴェルデ・シエロ”の長老がキリスト教会を面会の場所に指定するのは奇妙だが、仲間の目を誤魔化すには都合が良いのかも知れない。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...