2021/08/07

太陽の野  18

  ケツァル少佐が選んだ入り口は閉鎖されて15年経ったと言う廃道だった。閉じられた扉をこじ開けて数メートル行くと竪穴になった。昔はエレベーターが設置されていたのだ。腐食したケーブルの残骸が岩壁にへばり付いていた。ライトで照らしてみると光が届く範囲に底が見えたが、飛び降りる訳にいかない。ロープを入り口の鉄柱に固定し、最初にロホが降りた。足場を数カ所確認して下へ降り立つと、次に荷物を降ろした。それからシオドアの番だった。岩登りは初めてだったので、最初は流石に躊躇したがロホが印を残した場所に足を引っ掛けながらなんとか下へ到着した。始まったばかりなのに既に汗だくになった。続いて少佐が飛ぶように降りて来て、最後にステファン大尉が到着した。穴の中は冷たく湿っぽかった。風が微かに吹いていた。
 バルデスは人数分のヘッドライトを用意してくれていたが、使用したのはシオドアだけだった。”ヴェルデ・シエロ”達は暗闇でも目が見えるのだ。それでもヘルメットに着けていたのは、シオドアのライトが使えなくなった時の用心だった。

「神殿は地図ではこの方向ですね。」

とロホが言ったが、シオドアには見えなかった。どっちだ?とキョロキョロしかけると、ケツァル少佐が横に来て手を繋いでくれた。

「私達だけが見えていると言うことを忘れてはいけません。ロホ、貴方が先頭です。行手に何があるか報告しなさい。カルロ、貴方は殿です。ヘッドライトを点けてドクトルに周囲の様子が見える様に心がけなさい。ドクトル、貴方は申し訳ありませんが、出来るだけ荷物を持って下さい。但し、両手は使えるように空けて下さい。」

 指図した彼女自身はアサルトライフルの安全装置を外した。

「少しでも怪しい気配を感じたら、私は撃ちます。私が警戒音を発したら全員伏せなさい。」

 勿論男達も武装している。シオドアも拳銃を持たされた。少佐が言った。

「一緒に戦い一緒に帰る。」

 以前も聞いたことがある。反政府ゲリラ”赤い森”のカンパロと戦った時だ。シオドアは躊躇わず、ステファン大尉とロホと共に声を合わせて復唱した。

「一緒に戦い一緒に帰る。」

 そして4人は歩き出した。
 息が詰まりそうな暗闇だ。しかし坑道の随所に捨てられたケーブル、バケツ、掘削道具が朽ちかけて転がっていた。ランプを置くのに使われた棚も掘られていた。人間がいた痕跡があるだけでも心強い。枝道が何本かあったが、ロホは迷わず行く先を選んで進んだ。
 静寂がプレッシャーになって来たので、シオドアは少佐に囁きかけた。

「さっきの出発のフレーズだが、あれは君達のモットーかい?」
「と言うと?」
「大統領警護隊文化保護担当部のモットーなのかな?」
「ノ。」

と少佐が短く答えた。

「だけど、カンパロからロホを救出に行く時も、あれを唱えただろう?」

 すると後ろでステファン大尉が言った。

「文化保護担当部は戦闘部隊ではありません。あれはセルバ陸軍のモットーです。」
「我々も一応は陸軍の一部の様な物ですから。」

とロホも言った。

「敵と戦う時は、己を鼓舞する目的で唱えます。」
「文化保護担当部のモットーはないのかい?」

 するとステファンが言った。

「さっさと報告書を上げる!」

 ロホと少佐が爆笑した。


太陽の野  17

  午後5時に社屋へ荷物を取りに来るとバルデスに約束して、大統領警護隊とシオドアは一旦基地へ戻った。遺跡発掘隊を警護する時に使用する部屋があり、そこで夕刻迄シエスタとなった。ケツァル少佐はロホがバルデスの部屋からもらって来た大きな紙の地図を広げて、どの坑道口から入るか検討していた。部下の意見は聞かないので、ステファン大尉は椅子を並べて昼寝を決め込み、ロホも風が当たる廊下に出て壁にもたれかかった。持参した武器の手入れをしないので、多分それは既に出発前に済ませているのだろう。
 シオドアは少佐の向かいから地図を眺めた。坑道図なので複雑な地図だ。三次元のものを二次元で描いてある。眺めても、暗がりの神殿がかなり深い位置にあるとしかわからなかった。

「どうして、こんな深い場所に神殿を造ったんだろう。」

 彼が呟くと、少佐が目で何かを数えながら答えた。

「地下から来たからです。」
「はぁ?」

 彼は彼女を見た。

「誰が?」
「先祖が。」
「グラダ族の先祖が地下から来たって言うのかい?」
「グラダ族だけでなく、”ヴェルデ・シエロ”の先祖が、です。」

 彼女は”暗がりの神殿”の印からほぼ直線に緩やかな傾斜で地上へ延びる坑道を指差した。その大半は赤く塗られていた。

「地下から来て、上を目指して登って行ったのです。地上に出て、青くて高い空と風に揺れる緑の大地を見た時、彼等は深い感動を覚えたことでしょう。」
「だから・・・”ヴェルデ・シエロ(空の緑)”?」

 少佐はシオドアを見た。

「ただの神話ですよ。」

と言った。シオドアは苦笑した。

「君達の存在自体が神話じゃないか。」

 彼は地図の神殿の印を指差した。

「君達の親父さんはこれを探したんだろう? ここに彼を一族の縛りから解放してくれるものがあるかも知れないと期待したんじゃないかな。」
「そんな実在するのかしないのかわからない物に頼っていては、いつまで経っても自由は手に入りません。それに彼が探したのは神殿ではなく、鯨です。」
「ますます混乱する。地下にどうして鯨がいるんだ?」
「化石じゃないですか?」

 神様らしくない答えを言って、少佐は一つの抗口を指した。

「ここから入りましょう。最初は急勾配で歩きにくいでしょうけど、エレベーターよりは安全です。地下で箱に閉じ込められる危険は冒せませんから。」
「シャベス軍曹とアリアナは坑道に入ったと思うかい?」
「2人は”ヴェルデ・ティエラ”と同じですから、私に彼等の存在を感じ取ることは出来ません。でも”操心”をかけられているのでシャベスの動きはなんとなく感じます。彼はこの街に来ています。」
「憲兵隊の検問は無駄だった訳だ・・・」
「特殊部隊の隊員ですから、検問を避ける要領は十分わかっている筈です。それに操る人間も一緒です。上手く気を抑えていますが、そのうちに尻尾を出します。」
「そいつがトゥパル・スワレとか言う爺さんだとして、どうしてカルロを誘き出す必要があるんだろう? そいつの術が優れているのなら、グラダ・シティで彼を殺せた筈だ。手の込んだことをする必然性があると俺には思えない。それに彼が子供のうちに始末してしまった方が、誰にもバレずに済んだだろうに。」

 少佐が腕組みした。

「確かに、貴方が言う通りです。トゥパル・スワレが暗殺の首謀者だとして、何故今なのかと言う疑問が残ります。簡単に殺せる子供時代は手を出さず、大人になって大統領警護隊と言う”ヴェルデ・シエロ”にとって最高の能力開発訓練の場にいる彼を狙い、眠っていた彼の能力を目覚めさせてしまいました。全く逆効果です。」
「今迄は、彼に手を出せない理由があったんじゃないか?」

 シオドアは地図を広げたテーブルの上に身を乗り出した。

「トゥパル・スワレは君にもカルロの妹にも手を出していない。女だから手を出さないんじゃなくて、やっぱり手を出せない理由があったんだ、きっと。もし今回の罠でカルロを殺してしまったら、次は君と妹が狙われる、俺はそんな気がする。」

 ケツァル少佐は小さな溜め息をつき、椅子の上で寝ている異母弟を見た。

「新入隊員の披露式で並んでいる彼を見た瞬間に、彼に私と同じグラダの気を感じて、初めて同族を見つけた思いで嬉しかったのです。それから折に触れて彼の訓練の様子を伺っていました。気のコントロールが下手で一族としては落ちこぼれでしたが、兵士としては優秀でしたから、期待していました。エステベス大佐が文化保護担当部を設置すると決めて私を指揮官に任命された時に、部下を自由に選べと仰いました。私は迷わず彼と優秀なロホを選びました。正反対の2人ですが彼等と上手く働ける自信があったのです。どちらも私にとっては大事な部下であり、弟達です。今回の件に、本当はロホを巻き込みたくなかったのですが、彼が事件の第一発見者ですからね、仕方がありません。それに彼の力が必要です。まだカルロは自由に能力を使いこなせていませんから。」

 彼女はシオドアに視線を戻した。

「本心は貴方も地下へ連れて行きたくないのです。私にとっても未知の場所ですから、危険過ぎます。」
「残れなんて言わないでくれ。」

 シオドアは彼女を見つめ返した。

「俺は自分だけ安全な場所で待つのは御免だ。足手まといにならないよう努力するから、連れて行ってくれ。」

 少佐が微笑してうなづいた。彼女は地図を片付け、いきなりテーブルの上に乗っかった。

「夕刻までまだ時間があります。私達も休憩しましょう。隣にどうぞ。」

 彼女が横のテーブルの面を叩いてみせたので、シオドアはドキドキした。嬉しいが、どうして彼女はこんなに男の心を理解しないのだ?



太陽の野  16

「セニョール・バルデス」

とケツァル少佐に呼ばれて、アントニオ・バルデスはキーボードから顔を上げた。シオドアはふと彼と愛するゴンザレス署長のファーストネームが同じであることを思い出し、ちょっと忌々しく思った。もっともアントニオと言う名前はスペイン語圏ではありふれた名前なのだ。大学の学生達の中にもアントニオは数名いたし、文化・教育省でも何人かいる。養父とマフィアの様な会社の社長が同名でも我慢するしかない。
 少佐が壁の大画面の一点を指さした。

「ここに神殿とありますが、遺跡ですか?」

ああ、とバルデスが頷いた。

「スィ、少佐、古代の神殿です。暗闇の神殿とか暗がりの神殿とか呼ばれています。そこへ行く坑道はもう10年以上も昔に閉鎖になっています。金が出なくなったし、古くからこの街に住んでいる鉱夫連中が近づくのを嫌がるので。」
「何か呪いでも?」

とシオドアが尋ねると、バルデスは苦笑した。

「ノ、先住民の聖地ですよ、ドクトル。闇の中にある岩を削って造った神殿で、私は行ったことがないのでどんな場所か知りませんし、街の外では知られていないので発掘調査もされたことがないでしょう。」

 彼は少佐に顔を向けた。

「学術調査でも入るんですか?」
「そのうちに」

と少佐は誤魔化した。

「闇の中にあると言うことは、照明施設はないのか?」

とシオドアは出来るだけ情報を集めようと試みた。

「いや、昔は坑道に金鉱石が出たので古い電線はあります。まだ使えるかどうか知りませんが。神殿が発見された時代は、油ランプで掘っていましたからね。」

 バルデスは紙の地図を広げているロホをチラリと見た。

「どうしてあんな深い地下に神殿を造ったのか、ご先祖の気が知れません。」
「貴方の先祖でないことは確かです。気にしないことです。」

と少佐が言った。 

「赤い色の廃棄坑道ですが、中には通れない箇所もあるのでしょうね。」
「あります。落盤箇所は報告がある限り印を入れていますが・・・」

 バルデスはポインターでバツ印が入った地点を指した。

「閉鎖口から奥で発生した落盤までは把握しかねます。音が聞こえても鉱夫達を危険な場所へ確認に遣ったりしません。救助活動は時間と金がかかりますからね。」

 彼は大統領警護隊の人々を見回した。

「事前調査に行かれるのは結構ですが、赤い坑道に入るのは止した方が良い。私どもは責任を取りたくありません。」
「ご迷惑はおかけしません。」

 少佐はポケットからメモ用紙を出した。

「これに書いてある装備を本日の夕刻1800までに用意して頂きたい。費用はグラダ・シティの私のオフィスに請求して頂いて結構。」

 バルデスはそのメモをチラリと見て首を振った。

「全部進呈させて頂きますよ、少佐。昨年のお礼がまだでしたから・・・」

 

太陽の野  15

  アンゲルス鉱石の2代目社長アントニオ・バルデスは昼食を終えるとシエスタを取りに自宅へ帰るのが習慣だったが、その日は建設大臣から電話がかかってくる予定だったので、社屋に戻った。広い社長室の隣の個室で昼寝をするつもりで上着を脱いだ時に、階下の受付係から電話がかかって来た。

ーー社長、大統領警護隊のミゲール少佐が面会に来られています。お通ししてよろしいですか?
「ミゲール少佐?」

 すると受付係ではない女性の声が聞こえた。

ーーケツァルと言えばわかります。

 バルデスはぎくりとした。すっかり忘れていた存在なのに、今頃何用だ? 彼は受付係に言った。

「社長室にお通ししろ。」

 バルデスは室内を見回した。大統領警護隊に睨まれるような古美術品はどこにもない。数分後、ケツァル少佐は男性の部下2人とバルデスが知っているアメリカ人の男と共に部屋に入って来た。バルデスは営業用の微笑みで客を出迎えた。

「これは少佐、お久しぶりです。相変わらずお美しい・・・」
「急に押しかけて申し訳ありません。」

 ケツァル少佐は挨拶抜きで単刀直入に要件に入った。

「坑道の地図があれば拝見させていただきたい。」
「坑道の地図?」

 予想外の言葉だったので、バルデスは面食らった。うちの鉱山に遺跡はあっただろうか、と彼は考えた。
 ステファン大尉がバルデスの執務机の上のパソコンを見たので、シオドアは机の向こう側へ行った。

「地図はこの中かな、セニョール?」
「待ってくれ。」

 バルデスは慌てて壁に設置された大画面を起動させた。アンゲルス鉱石所有の坑道が壁に映し出された。蟻の巣の様に複雑に地底にはりめぐされている坑道を4人の客は見上げた。ステファン大尉が少しイラッとした声でバルデスに尋ねた。

「立体図はないのか?」
「只今・・・」

 バルデスは従僕の如く素直に従った。様々な角度から計算された立体図が表示された。事故や警備の為に作成された立体地図のソフトだ。シオドアはバルデスの指の動きとキーボードを見ていた。ソフトの立ち上げ方とパスワードを記憶した。
 
「これで全部ですか?」

と少佐が尋ねたので、バルデスは再び慌ててキーを叩いた。立体図が少し小さくなって、表示区域の範囲が広がった。

「緑が現行の坑道、赤が廃棄坑道です。」

と彼は説明した。ケツァル少佐は立体図の隅々まで目を通し、バルデスを振り返った。

「20年前の図はありますか?」
「20年前?」

 バルデスは訝しげに彼女を見て、うっかり目を合わせそうになった。慌てて目を逸らした。

「二次元図だけならあります。お待ちを・・・」

 ロホが書棚を眺め、紙の図面を引っ張り出した。

「これには他社の坑道も載っているようだな、セニョール?」

 バルデスが頭を抱えた。

「すみませんが、要件は順番にお願いします。」

 少佐とロホが目を合わせ、クスッと笑った。シオドアもステファンと肩をすくめ合った。
アンゲルス鉱石は他社の坑道を買収し、合併吸収し、成長して行ったのだ。新しい年代の他社の坑道地図はあったが、古いものはなかった。拡張されたアンゲルス鉱石の地図を見て、他社の古い坑道をイメージするしかなかった。

太陽の野  14

  基地司令官はグラダ・シティの陸軍本部からシャベス軍曹の手配と確保を命じられていた。大統領警護隊に出しゃばって欲しくない感が滲み出ていたので、ケツァル少佐は挨拶だけで基地から退散した。
 シオドアは司令官室に入れてもらえず、一番格下になるロホと一緒に車両部で待っていたが、見覚えのある顔を見つけた。名前を呼ぶと、相手はびっくりして振り返り、それから照れ笑いの様な泣き顔の様な複雑な表情で近づいて来た。車両部の帽子を脱いで挨拶した。

「お久しぶりです、セニョール・アンゲルス・・・」
「俺の本当の名前はアルストだよ、リコ。」

 かつてアンゲルス鉱石のNo.2だったアントニオ・バルデスがパシリに使っていたリコだった。シオドアが大統領警護隊とバルデスの繋ぎを付けるために利用したので、彼はバルデスに報復されることを恐れた。だからシオドアはケツァル少佐にリコの保護を頼んだのだ。
 オルガ・グランデの下町でヤクザな生活をしていた男が、今オイルまみれの作業着姿で目の前に立っていた。胸にはセルバ陸軍の軍属を示す徽章、袖にも印のワッペンが付いていた。真面目に軍隊で雇われて働いていたのだ。シオドアはちょっとこの元ヤクザを見直した。

「車両部で働いているのか!」
「スィ、セニョール。お陰様で車の整備を習って仕事をもらってます。寝るところがあるし、飯も食わせてもらえる。出かける時は、必ず制服着用を義務づけられてますが、身を守るためなのでしょうがないです。」
「バルデスはもう君のことなんか覚えちゃいないだろうけど、長生きしたけりゃ今の生活を続けることだね。」
「スィ、俺もそう思ってます。」

 リコはロホをチラッと見た。大統領警護隊だとわかっている。

「俺をここへ連れて来たエル・パハロ・ヴェルデですね?」
「スィ、彼は中尉だ。」
「俺が感謝してますと伝えて下さい。あの女性の少佐にもよろしく。」

 リコは両手を組み合わせて祈りのポーズを作って見せ、また仕事に戻って行った。彼が十分遠ざかってから、ロホがシオドアに話しかけた。

「バルデスはネズミの神様の荒魂を扱いかねていました。我々の訪問を心の底で喜んでいましたよ。あの男が我々を呼び込んだことに感謝すべきです。」
「バルデスにそう説教してやれよ。」

 シオドアが笑ったところへ、ケツァル少佐とステファン大尉がやって来た。ロホが基地から借りるジープへ彼等を案内した。当然運転をするのは彼だ。シオドアは助手席に座るつもりだったが、少佐の隣を大尉に指示された。
 鉱山業で賑わうオルガ・グランデはセルバ共和国第2の都市だ。旧市街地にはスペインの植民地時代の名残りである古い家屋が並んでおり、近代的ビルが並ぶ新市街地と細い川を挟んで向かい合っていた。新市街地のビルは建築制限でもあるのか、3階建てばかりで、それより高いビルはなかった。ロホが運転するジープは石畳の旧市街地を横切り、新市街地に入った。アスファルトの道路を走って、アンゲルス鉱石の社屋ビルに到着した。少佐は暫く路上からそのビルを見上げ、それからロホに再度命じた。

「何処か食事が出来るところへ。」

 ロホが車を出し、助手席のステファン大尉と相談を始めた。シオドアは少佐に尋ねた。

「食事の後でバルデスに会うんだったよな?」
「スィ。」
「アポは取ったのか?」
「ノ。でもシエスタの時間に捉まえます。」

 ステファン大尉はオルガ・グランデ出身だったが入隊する前は貧民街の不良少年だったので、新市街地にも旧市街地にも彼が友人にお勧め出来るレストランを知らなかった。それでロホは適当に駐車スペースを見つけ、基地の知人に電話をかけ、店を紹介してもらった。到着した店は緑の樹木で囲まれた庭園風の店で、高そうに見えたが利用客は庶民ばかりだった。ウェイターは客の緑の鳥の徽章に気がつくと慌てて一番涼しそうな日陰のテーブルに案内した。席に着き、料理を注文してから、ステファンが可笑しそうに笑った。

「あのウェイターは旧市街地の不良グループのボスだった男です。私と縄張り争いで散々喧嘩したのですが、さっきは私が誰だかわからなかったようです。」

 すると少佐が言った。

「髭を生やしているからです。次にテーブルに来たら名乗りますか?」
「ノ、昔を蒸し返すようなことはしません。」

 シオドアは呟いた。

「どんな過去でも、昔話に出来る思い出を持っている人は羨ましいよ。」

 ロホが尋ねた。

「まだ記憶が戻らないのですか?」
「まさか・・・」

 シオドアは吹き出した。

「記憶喪失は治った。俺はずっと研究所の特別な部屋で育ったんだ。毎日観察されて学習を強要されて、それが当たり前の生活だと信じて疑いもしなかった。だから、昔話をしようにも、何も語るものがないんだ。アリアナとエルネストと遊んだことぐらいさ。」

 珍しく少佐が彼の手に彼女の手を重ねた。

「必ず彼女を救出します。」
「グラシャス・・・」

 シオドアは友人達を見回した。

「グラシャス、アミーゴス。」


 

2021/08/06

太陽の野  13

  滅多に飛んでいる姿を見たことがない、とセルバ国民から揶揄される程飛ぶ便数が少ないセルバ空軍の物資輸送機がグラダ・シティからオルガ・グランデの政府軍基地に向かって飛び発った。離陸する前から中古の機体はガタガタビシビシと音をたてて、辛そうに唸るエンジンがいっそう乗客達を不安に駆らせた。シオドアは大統領警護隊文化保護担当部の友人3人と一緒に並んでハーネスで機体に体を固定していた。向かいには交代でオルガ・グランデに派遣される陸軍兵が5名並んで固定されている。彼等の視線はシオドアの右隣に座っているケツァル少佐に向けられていた。但し、彼女の目は見ない。セルバ人のマナーだし、相手の胸で光っている緑色の鳥の徽章を見れば、目を合わせるのは絶対に避けたいと言うのが本音だろう。彼等は同様にシオドアの左に座る2人の男性隊員の目も見ない。大統領警護隊と出会うことすら珍しいのに、それが3人も目の前で、同じ機内にいるので、兵士達はちょっと興奮していた。シオドアが白人で民間人であることを忘れている様だ。もっとも、遺跡発掘調査隊の警護に当たれば、彼等は嫌でも大統領警護隊と毎日顔を合わせることになるのだが。

 シオドアは機体の激しい揺れで胃の具合がおかしくなりそうだった。早朝に少佐が朝食として作り置きのお手製煮豆を少しずつ全員に出してくれた。前日の作り立てより味が馴染んで美味しかったのでお代わりを頼むと断られた。ロホもステファンも物足りなそうだったが、彼等は黙っていた。その理由が、この機体の揺れだったのだ。朝食が少量だったので、機内に備え付けられている汚物袋を何とか使わずに済みそうだが、向かいの陸軍兵士達は苦労していた。一度機体がシオドア達の側へ傾いた時、ステファン大尉が思わず彼等に怒鳴った。

「その袋をこっちへ落とすなよ!」

 輸送機には人間の他に食糧や軍が使う備品なども積み込まれていて、果物の甘い匂いが充満していたのだが、それも飛行機酔いの一因だった。ステファン大尉が気の抑制タバコを出して咥えた。火は点けない。酔わないために咥えたのだ。ロホが珍しく1本分けてくれと頼んだので、シオドアももらった。
 タバコは死ぬほど不味かった・・・。
 ケツァル少佐は終始目を閉じて微動だにしなかった。もしかすると気絶しているのかも知れない、とシオドアは心配した。しかしどんなに機体が激しく揺れても彼女は彼に倒れかかってこなかった。ロホが彼女を見て、何か呟いたが、騒音で聞こえなかった。ステファン大尉には聞こえたらしく、大尉が笑った。シオドアが「何だい?」と訊くと、大尉は彼の耳に顔を寄せて囁いた。

「彼女は今この飛行機を必死で守護しているに違いない、とロホは言ったのです。」

 少佐が守護すると言うことは、飛行がやばいと言うことだ。ロホは縁起でもない冗談を言った訳だ。酔い止めの意味で、2人の男性隊員は冗談を飛ばし合った。

「アスルがいなくて良かったな。アイツがここにいたら、目を開けたまま気絶していたぞ。」
「この前飛行機に乗せた時は、搭乗締め切り寸前迄ゲイトで駄々をこねていたからな。」
「アイツが搭乗を嫌がると、その飛行機に良くないことが起きるんじゃないかと、こっちが不安になるぜ。」
「マハルダもそろそろ飛行機を体験させてやらないとな。」
「彼女は相当煩いぞ。離陸から着陸までずっと悲鳴をあげているさ。」
「エンジン音にかき消されるから大丈夫だ。」

 後輩の悪口のオンパレードだ。しかしどれも愛情が篭っていた。兄貴分としてロホもステファンも若い2人の少尉の性格を把握しているのだ。
 やがて輸送機が高度を下げて行くのがわかった。気圧が変化して行く。ロホが大声を出した。

「口を閉じていろよ、着陸するぞ!」

 輸送機としてはかなり乱暴なアプローチで急降下に近い角度で飛行機はオルガ・グランデ陸軍基地へ降り立った。激しい揺れと振動でシオドアは口を閉じていても舌を噛みそうになった。短い滑走路を走って、輸送機は止まった。
 ケツァル少佐が両腕を伸ばして、うーんと声を上げた。

「よく寝た・・・」

 彼女は唖然として見つめている男達に気づかないふりをして、ハーネスを外した。

「先ず、基地司令に挨拶、それから食事、その後でアンゲルス鉱石の本社へ行く。」

 シオドアはハーネスを外しながら彼女にそっと尋ねた。

「カルロのお母さんの様子を見に行かないのか?」

 トゥパル・スワレがステファン大尉の命を狙うなら、母親と妹も危険なのではないか、と彼は案じたのだ。しかし少佐は「不要」と一言で片付けた。荷物を持ってすぐに出口へ歩いて行く彼女を見て、シオドアはステファン大尉を振り返った。大尉は生まれ故郷に戻って来たにも関わらず、懐かしそうに見えなかった。生きるために、家族を養うために窃盗や掏摸や詐欺紛いのことをして少年時代を過ごした街だ。そして父親が一族を相手に一人で戦った土地だ。きっと複雑な気分なのだろう。ロホが荷物を背負うのを見届けて、シオドアは機外に出た。
 基地の中を歩くと、当然ながら出会う人々が大統領警護隊に敬礼して迎えた。迎えられる方は一々返礼するので疲れそうだ。途中、一人の男とすれ違った。消毒薬の匂いがすると思ったら、彼はロホを見て声をかけた。

「マルティネス中尉、もう肩の具合はよろしいのかな?」

 軍医だ。シオドアは思い出した。反政府ゲリラのディエゴ・カンパロに肩をナイフで刺されたロホはここで診察と再手術を受けたのだ。ロホがニッコリ笑って軍医に礼を言った。

「グラシャス、ドクトル。もう以前と変わりなく動けます。」

 彼は腕を回して見せた。軍医も笑顔で彼の肩を軽く叩いて歩き去った。ステファン大尉がちょっぴり不満げに囁いた。

「君の回復が上手くいったのは、少佐が手術してくれたからだ。」
「わかっている。だけど、軍医の顔を立てないとね。」

 ロホはケツァル少佐の手術の手伝いをしたシオドアを見て微笑んだ。するとずっと先に進んでいた少佐が怒鳴った。

「早く来なさい、置いて行きますよ!」





太陽の野  12

  シオドアは文化・教育省が入居している雑居ビル1階にあるカフェでコーヒーを飲みながら、閉庁して帰宅して行く役所の職員達を見ていた。彼は事件現場となった自宅に帰る気がしなかった。家はアリアナを攫った賊に荒らされ、捜査した憲兵隊に更に荒らされた。もうメイドは来ないし、護衛も内務省に断ってしまった。亡命審査官のロペス少佐は良い顔をしなかったが、今回の事件にアメリカ合衆国が全く関与していないと憲兵隊も特殊部隊も結論づけたし、大統領警護隊も同意見だったので、彼は内務大臣に外務省にこの件を持ち込むなと提言した。それでパルトロメ・イグレシアス大臣は国防省に苦情を言ったので、内務省と国防省の間に険悪な空気が漂い始めていた。国防大臣は、憲兵隊と特殊部隊に、シャベス軍曹を早急に確保しアリアナ・オズボーンを発見して救出するように、と檄を飛ばした。今回の件が政治に関係ないところで起きたらしいと考えているシオドアは、翻弄されている軍部が気の毒に思えた。
 帰宅ラッシュが終盤に差し掛かる頃に、やっとケツァル少佐が現れた。テーブルには来ずに、シオドアに来いと合図した。シオドアは彼女について駐車場まで歩き、彼女のベンツに乗った。

「大学には、アリアナは病欠だと届けを出した。内務省からの指示だ。」

とシオドアは報告した。それで少佐も情報を出した。

「シャベスの車がC CT Vに映っていました。西に向かっていました。憲兵隊がハイウェイを調べています。私はエル・ティティ警察に電話でそれらしき車を見なかったかと問い合わせました。」

 シオドアはドキリとした。ゴンザレス署長はアリアナと一度会っている。シオドアの妹として彼女を気に入ってくれた。彼女が誘拐されたと知って、どんな気持ちでいるだろう。しかしケツァル少佐は詳細を地方警察に語っていなかった。

「武装した恐れのあるひき逃げ犯が逃走中と言ったので、恐らくエル・ティティ警察は慎重に検問をしてくれることでしょう。警察に被害を出したくありませんし、シャベス軍曹も出来るだけ無事に確保したいですから。」
「彼を操っているヤツは、目的を果たしたらシャベスを始末してしまうんじゃないかな。」
「その恐れは十分あります。だからキルマ中尉は焦っています。」

 少佐のアパート前に到着した。少佐が車を車庫に入れてから、2人はアパートのエレベーターに乗った。

「アスルは無事に退院したかい?」
「スィ。今夜から病院よりも厳しい官舎住まいです。風来坊には堪えるでしょう。」
「アスルには厳し過ぎるんじゃないか? カルロだって懲罰ものだろ?」

 2人はエレベーターを降りた。少佐のアパートではメイドが夕食の支度をしていた。料理が出来る迄まだ時間がかかるので、2人はリビングでビールを飲みながら話の続きをした。

「アスルは中尉に昇級出来る成績を残しているのに、生活態度が軍人らしからぬと言う理由で少尉のままなのです。司令官は今回の件を利用して、彼の生活態度を改めさせて、昇級の道を開いてやろうとお考えです。」
「親心ってやつかい? だけどアスルは今のままで満足しているんじゃないかな。」

 すると少佐が何とも言えない複雑な笑みを浮かべた。

「少尉の給料では家族を養えませんよ。アスルに家庭を持つ意思があるのかどうか、私は知りませんが。」

 大統領警護隊で少尉は一番下っ端だ。下士官がいなくて少尉の人数はかなり多い。ステファンが中尉の時期に既に独立してアパートの部屋を借りていたし、中古とは言え自家用車を持っていたから、少尉と中尉の給料の差は馬鹿にならないに違いない。

「それじゃ、アスルは中尉になる為の試練を受けている訳か。」
「ですから、今回の事件は彼には教えないことにしました。事件を知れば、彼は官舎を抜け出してしまうでしょうから。」
「仕事も休ませるのか?」
「I Tを使って本部で働かせます。」

 ドアチャイムが鳴った。メイドが応対に出て、すぐにステファン大尉とロホが現れた。2人共にジャングルでの戦闘に行くかの様なリュックを持っていたので、シオドアは驚いた。

「発掘隊の監視に行くのか?」
「ご冗談を・・・」

 ステファン大尉がリュックを床に置いて、シオドアの向かいに座った。少佐の隣だ。ロホもシオドアの隣に座って、リュックを横に置いた。

「アリアナを探しに行くのです。」

と少佐が言った。え? とシオドアは彼女を正面から見た。

「彼女が何処へ連れて行かれたのか、見当が着いたのか?」
「恐らく、オルガ・グランデです。」

とステファン大尉が言った。

「お宅の鏡に呪い文が書かれていたのでしょう? あの文はオルガ・グランデの”暗がりの神殿”に書かれている文句が原本です。」

 ロホも言った。

「犯人がトゥパル・スワレなら、カルロにそこへ来いと伝えているのでは、と我々は考えています。」

 少佐も言った。

「ムリリョ博士に、トゥパル・スワレが今何処でどうしているか問い合わせてみました。博士が掴まらなくても、長老の誰かに尋ねるつもりだったのですが、幸運にも今日は博物館にいらっしゃいました。トゥパル・スワレは2日前から誰にも会っていないとのことです。高齢なので自宅に篭っている可能性もありますが、シャベス軍曹が操られるままにオルガ・グランデに向かった可能性はあります。」

 そして彼女はこうも言った。

「”暗がりの神殿”はグラダ族が最初に建造した聖地だと博士が教えてくれました。」
「私は鉱夫をやったことがないので、地下に降りたことはありませんが、”暗がりの神殿”は鉱夫の間では知られていて、行くにはそんなに難しくないそうです。」

とステファンが説明を追加した。

「ただ、地下の深い場所にあるので、一般人は立ち入れません。アンゲルス鉱石の縄張りでもありますから、無断で入ろうとすると、連中の用心棒に袋叩きにされます。アンゲルス鉱石は金を掘っていますからね。」

 シオドアはロス・パハロス・ヴェルデス達を見回した。

「そんな地下に神殿を造ったのか、君達の祖先は?」
「祖先が何を考えていたかなんて、知りません。」

と少佐が突き放した様に言った。

「ただ、アンゲルス鉱石の土地であると言う障害をクリアして誘拐した女性を神殿に連れて行くのであれば、やはり”操心”の術が必要だと思うのです。シャベス軍曹一人では絶対に無理ですから、術をかけた人物も一緒に行く筈です。」
「目的地が本当にそこなら・・・だね?」
「シャベスの車は西へ向かったことが確認されています。」

とロホが言った。

「エル・ティティで我々を待ち伏せするとは考えにくいし、ティティオワ山では具体的な場所が特定しにくい。カルロを誘き寄せたいのなら、カルロが知っている場所を選ぶでしょう。」

 シオドアはもう一度友人一同を見回した。

「わかった・・・俺も一緒に連れて行ってくれないか? アリアナを助けたい。彼女を放置した俺の責任だ。 しかし、何故彼女なんだ?」
「貴方では、素直に言うことを聞いてくれないから上手く扱えないのでしょう。」

と少佐があっさり言った。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...