2021/08/13

星の鯨  7

  復路は往路より辛かった。行きは4人だったが帰りは3人だ。目的を果たし、誘拐された2人を救出したが、彼等は空間通路で無事にグラダ・シティへ送り届けられた。残された3人は疲れた体に鞭打って荷物を背負い、坂道を登り続けた。
 先頭はシオドアだ。ヘッドライトの光だけを頼りに道を見つけて歩いて行く。真ん中のケツァル少佐はナビゲーターで、方向を指示する。最後のステファン大尉は2人分の荷物を背負って黙々と歩いていた。
 シオドアはライトの電池が使い果たされてしまうことを恐れた。最後の1個をセットする時、これがなくなれば真っ暗闇だと思い、気分も暗くなった。少佐と大尉は闇でも見えるが、自分が何も見えないと言うのは辛く苦しい。出来るだけ早く照明が設置されている現役の坑道へ出ようと頑張って歩いた。
 ケツァル少佐はまだ胸が痛むのか、時々立ち止まって片手で胸を抑えていた。呼吸を整え、再び歩き出す彼女に、シオドアは前を向いたまま水筒を差し出した。グラシャス、と彼女が低い声で感謝した。
 ステファン大尉はナワルを解いた。変身した姿から人間に戻ると丸1日は動けなくなると言う”ヴェルデ・シエロ”の体質に耐えて歯を食いしばって歩いていた。シオドアは休憩させてやりたかったが、休むとそのまま眠ってしまうと少佐に言われて、彼に我慢させるしかなかった。ストレス解消のタバコも許されなかった。気を抑制する効果は、ナワルを使った後の体に眠気を誘うのだ。
 シオドアは気を紛らわせる為に、独り言でも良いから喋ってみたくなった。

「俺達が出かけている間、文化保護担当部にはマハルダしかいないんだよな。アスルは脚が治る迄本部でリモートワークだろ? マハルダは忙しいだろうな。」
「そうでもないですよ。」

と少佐が応じた。

「隣の部署から回されてくる申請書類に記入漏れがないかチェックして、書類のデータを入力するだけです。警護の規模を考えるのはロホですから、ロホがいなければ書類を置いておけば良いのです。ロホの書類は溜まりますけどね。」
「カルロは何をするんだい?」
「カルロは予算の計上です。ロホが想定する警備規模に係る金額を算定するのが仕事です。」
「なんだ、カルロは会計士か。頭が良いんだな。アスルは何をしているんだ?」
「アスルは実際の警備に係る兵力の手配です。 但し、私が今言った仕事はオフィスの中だけですよ。」
「それじゃ、マハルダからロホへ行く途中で書類が止まるとアスルの仕事がない?」
「ありません。」
「君の仕事は?」
「私は承認です。警備規模、予算が適正であると判断したら承認の署名を入れます。するとマハルダが申請団体に連絡を入れて実際の準備に取り掛からせます。その間にアスルが陸軍に連絡を入れて警備隊を組織させるのです。」
「そして現地での警備の監督と遺跡の見張りを君達全員が交替で行うのだな?」
「スィ。」
「休日は何をして過ごすんだい? 省庁は土日は休みだろう? 君達も休みかい?」
「軍隊に休日はありませんが、それは建前です。」

と少佐がけろりとして言って退けた。

「まず、オフィスが閉まってしまうので、デスクワークが出来ません。文化保護担当部の業務は休業です。ですから、我々は軍事訓練を行います。」
「本部で? それとも士官学校で?」
「ノ。海岸とかバナナ畑とかサッカー場とか・・・」
「野外訓練だから、実際の場所に似たような所を使うんだな。」

 するとステファン大尉が囁く様な声で言った。

「訓練の内容は、主に隠れん坊や鬼ごっこです。それから宝探し・・・」

 シオドアは少佐を振り返った。

「遊びじゃないか。」
「ですから、建前だと言いました。」

 少佐は真面目な顔で言った。

「ジャガーの子供の訓練を参考にしているだけです。」

 シオドアは笑った。立派な大人が、それも泣く子も黙る大統領警護隊の軍人が、ビーチや畑で隠れん坊? 鬼ごっこ? 

「まさか、絶対に参加しなければならないのか?」
「任意です。」
「誰も来ない時は?」
「指定時間に来なければ、私はそのまま休日モードに入ります。」

 やっぱり遊んでいるのだ。少佐も必ずしも部下に相手にして欲しい訳ではなく、軍隊と言う集団である建前上、訓練を設定しているだけなのだろう。するとステファンが言った。

「マハルダは必ず参加していますね。」
「スィ。」

 少佐がちょっと立ち止まって休んだ。 シオドアも足を止めた。ステファン大尉は荷物を背負って立ったまま休憩だ。

「彼女は早く現場に出たいので、訓練も頑張っているのです。ですから、隠れん坊と言えども手は抜けません。」

 ステファン大尉が、シオドアが考えていた遊びではないことを教えた。

「我々の隠れん坊や鬼ごっこは実弾射撃を伴いますから。」
「空砲やペイント弾でなく?」
「実弾です。飛んでくる弾丸の破壊が大統領警護隊の役目ですから。」
「ああ・・・そうだったな。」

 ステファンが欠伸を堪えて横を向いた。また歩こうとシオドアが前を向くと、ライトの光の中に人影が現れた。彼は思わずアサルトライフルを構えた。

「誰だ?」

 すると相手が思いがけない名乗りを上げた。

「大統領警護隊遊撃班ファビオ・キロス中尉です。司令の命により、文化保護担当部の指揮官シータ・ケツァル・ミゲール少佐、副官カルロ・ステファン大尉、及びグラダ大学客員講師テオドール・アルスト博士をお迎えに上がりました。」

 よく見ると彼の背後には10名ばかりの兵士が立っていた。皆目を金色に輝かせていた。ケツァル少佐ではなく、ステファン大尉が前に出た。

「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲール少佐の副官ステファン大尉だ。ミゲール少佐は胸に深い傷を負われて平常の活動が困難である。またアルスト博士は民間人で”ヴェルデ・ティエラ”であるにも関わらず我々の助力となりお疲れだ。私に関して報告すれば、ナワルを使った直後である。従って速やかに本部へ我々を移送されたし。」

 キロス中尉がシオドアをジロリと眺め、それから少佐に視線を移した。恐らく2人の身体検査を”透視”で行ったのだろう、とシオドアは見当をつけた。果たして、キロス中尉は少佐の胸の傷が心臓にあることを発見して、青褪めた。

「そのお体で、一体どれだけの距離を歩いて来られたのですか?」

 少佐は肩をすくめた。

「歩くのに精一杯で距離を計測していません。あなた方の接近にも気づかなかったのです。大失態です。」
「時間にして・・・4時間かなぁ・・・」

 シオドアは時計を見ながら呟いた。

「疲れて空腹も感じない程だ。なぁ、カルロ・・・」

 振り返って、ドキッとした。ついさっき、あんなに堂々と口上を述べたばかりなのに、ステファン大尉は既に立ったまま居眠りモードに入りかけていた。
 ナワルを使える大統領警護隊の隊員達はステファンの疲労が理解出来たのだろう、笑ったりしなかった。キロス中尉がステファンにではなくケツァル少佐に言った。

「失礼しました。こちらに”入り口”があります。どうか、”通路”を出る迄眠らないで頂きたい。」

 少佐が彼に尋ねた。

「意識のない人間を通路で先導した経験はないのですか?」

 キロス中尉は戸惑って部下達を振り返った。誰もが首を振るのを見て、シオドアは文化保護担当部の隊員達が本隊の隊員より優秀だと思った。キロス中尉は赤くなって少佐に向き直った。

「申し訳ありません。我々は未熟です。」
「未熟ではなく未経験なだけです。」

 少佐は立ったままうつらうつらしかけたステファン大尉の顔の前で両手をパンっと叩いた。大尉がハッと目を覚ました。

「あと少しで任務完了です。それまで耐えなさい。」

 少佐に言われて、大尉は敬礼で応えた。そしてシオドアに小声で頼んだ。

「私がまた眠りかけたら、踵を蹴飛ばして下さい。」

星の鯨  6

  トゥパル・スワレの体に宿るニシト・メナクが悲鳴を上げた。シオドアは急に呼吸が楽になって、その場に膝を突いた。肺が空気を求め、彼は激しく咳き込んだ。ケツァル少佐が彼の体に腕をかけ、背中を優しく摩った。
 男の悲鳴が続いていた。シオドアが顔を上げて見ると、地面に倒れた男の上に大きな黒いジャガーがのしかかっていた。男は両腕を顔の前にかざし、噛まれまいと必死で抵抗していたのだ。シオドアは怒鳴った。

「殺すな、カルロ! そんなヤツの血で君の牙を汚すな!」

 ジャガーが逞しい前脚を持ち上げた。ケツァル少佐が叫んだ。

「止めい!」

 ジャガーの動きが止まった。男はまだ腕で顔を覆っていた。腕は傷だらけで血が流れ出ていた。その腕が少しでも動くと、ジャガーが威嚇の声を発した。

「退がれ、エル・ジャガー・ネグロ。」

 穏やかな男性の声が聞こえた。シオドアと少佐は声がした方向へ振り向いた。そして暗がりの中から湧いて出た5人の白い貫頭衣の人物を見た。彼等は全員奇妙な文様が入った人面の仮面を被っていた。長老会の人々だ、とシオドアは思った。
 別の声が同じことを繰り返したが、それは女性の声だった。

「退がりなさい、エル・ジャガー・ネグロ。」

 黒いジャガーは唸り声を出した。その「抗議」を理解したのか、先刻の女性が応えた。

「怒りは理解します。しかし、裁きは我々で行います。」

 ジャガーが男の体から下りた。まだ唸り声は続いていた。相手に、少しでも動くと爪を立てるぞと威嚇しているのだ。
 シオドアはケツァル少佐に手を貸して立ち上がった。彼等はニシト・メナク=トゥパル・スワレが地面に蹲り両手で頭を抱えているのを見下ろした。
 シオドアは新たに現れた人々に声を掛けた。

「あなた方は長老会の人々だとお見受けします。ここで起きたことを、何処からご存知ですか? 今来られた様に見えましたが・・・」

 3人目が答えた。

「暗がりの神殿にいると、ここでの会話が全て聞き取れるのだ。何処から聞いていたかだと? フン、黒猫が湖に入ったあたりからだ。」

 その喋り方に聞き覚えがあったので、シオドアはドキッとした。貴方は、と言いかけると、ケツァル少佐が脇腹を肘で突いた。仮面を被った長老に個人名を呼んではいけないのだ。
 4人目が説明した。

「アルファット・マレンカが白人の女を連れてピラミッドの太陽神殿へ戻って来た。彼の通報を受け、すぐに動ける者だけで彼の記憶を辿って太陽神殿から空間を抜けて暗がりの神殿に来たのだ。暗がりの神殿は禁忌の場所で長い間誰も立ち入らなかったので、仕組みもよくわかっていない。だが奥の壁の前に立つと、ここでのお前達の会話が全て聞こえた。」
「え? そんな仕組みがあったんですか?!」

 シオドアが単純に驚くと、少佐が小声で囁いた。

「私達が向こうにいた時、こちら側には誰もいなかったでしょ!」
「あっ、そうか・・・」
「恐らく、ここでの音声を壁の向こうで巫女や神官が聞いて、神託を行っていたのです。」

 4人目はシオドア達の口出しに気を悪くした様子もなく続けた。

「”入り口”も奥の壁にあった。襞の様な”入り口”だったので、マレンカの小倅も気付かなかった様だが。」

 最初の長老が後を継いだ。

「我々もここは初めてだ。ここへ来て初めて知ったことばかりでな・・・」

 彼は仮面越しに湖や天井を眺めた。

「恐らく、生きている者が知ってはいけない場所なのだろう。」

 彼には誰か懐かしい人が見えたのだろうか。
 すると5人目が初めて声を出した。

「急がせて申し訳ないが、この”ヴェルデ・ティエラ”は早く手当てしてやらなければ死んでしまうぞ。」

 彼は倒れていたシャベス軍曹を診ていたのだ。

「頭の中の出血を止めておいた。後は医者に任せるしかない。”ティエラ”は自分で治せないからな。」

 3人目がケツァル少佐に向き直った。

「ケツァル、そこで縮こまっている男を束縛せよ。」
「承知。」

 ケツァル少佐はスワレ=メナクを引き起こし、残っていたロープで後ろ手に縛り上げた。3人目の長老が薄刃のナイフを取り出し、男の前に屈み込んだ。

「聖地を汚す罪を知っているな?」

 彼がいきなり手を動かしたので、男が悲鳴を上げた。シオドアは3人目の長老が何をしたのかすぐにわからなかった。びっくりして男の様子を見ようとしたが、足元にジャガーがすり寄って来たので前に出られなかった。女性の長老がシオドアの為に教えてくれた。

「目を使えない様にしただけです。」

 目を潰したのか? シオドアはゾッとした。メナクはスワレが死んだ様なことを語っていたが、肉体の苦痛を感じたり、機能の低下は辛い様だ。
 3人目が罪人を立たせた。5人目が4人目にシャベス軍曹を運ぶ手伝いを要請した。

「年寄りの仕事ではないぞ。」

と4人目が文句を言ったので、シオドアはおかしく思えたが笑うのを控えた。3人目が宥めた。

「ここにいる若い連中は使えぬ。白人は神殿に入れられぬ。それでなくともマレンカの小僧が白人女を入れたので清めの為に女官達が奔走しておるのだ。ケツァルは手負で力仕事を任せられぬ。黒猫はまだナワルを解いておらぬ。解けても暫く動けぬだろう。」

 長老達は、罪人と怪我人を運んで暗闇の中へ消えていった。
 
 静寂が洞窟内に戻って来た。
 シオドアは命綱を片付け、ケツァル少佐も装備をリュックに片付けた。彼女がシャベス軍曹に投げつけたのは、温パック用に持参した使い捨てカイロだった。水泳で冷えたステファン大尉の為に使用しようとリュックから掴み出したところで、シャベス軍曹の存在に気がついたのだった。
 2人がせっせと作業をしている間、黒いジャガーは岩の上に寝そべって見物していた。ゴロゴロ喉を鳴らす音が響いていた。シオドアが声をかけた。

「おい、寝てないで手伝えよ。」
「放っておきなさい。」

と少佐が地面に罪人の血が落ちていないか確認しながら言った。

「ナワルを解いても寝てるだけです。すぐには役に立ちません。」
「それじゃ、猫と同じじゃないか。」

 2人で言いたい放題だ。

「どうやって帰るんだ?」
「暗がりの神殿までなら、”入り口”を使えるでしょう。」
「そこからは?」
「歩きです。」
「俺たちは太陽神殿へ行く通路を使えないのか?」
「無理です。私も権限を与えられていません。」
「ロホは空間通路でめっちゃ早く帰れたんだよな?」
「ロホだから出来たのです。私が普通の”入り口”を見つける迄はひたすら歩きです。」

 荷造りが終わったので、シオドアは黒いジャガーのそばへ行った。ジャガーが緑色の目で彼を見上げた。シオドアは屈み込んで、ビロードの様な毛皮を撫でた。本当に美しい獣だ。強くて逞しい。古代の人々が神として崇めたのも理解出来る。

「もしかすると親父さんの無実が認められるかも知れないな。少なくとも、殺人の罪は免れると俺は思う。君は親父さんのことを堂々と語れるんだ。」

 ジャガーが目を閉じて頭をシオドアの胸に押し付けて来た。シオドアはその逞しい首を抱いてやった。ゴロゴロ・・・ジャガーが喉を鳴らし続けた。
 少佐が呟いた。

「ジャガーもリュックを背負えるかしらね・・・」

 天井や鯨を覆う無数の光の点達が笑ったかの様に瞬いた。


2021/08/12

星の鯨  5

  白い貫頭衣の男がジリジリと下流の岩壁の方へ回り込みながら近づいて来た。

「その女は、母親の腹の中にいる時に、母親を死に追いやったのだ。儂の妻が惨めに牢獄で死んでいったにも関わらず、己はのうのうと生きておる。許し難い存在だ。」

 その話を何処かで聞いたことがある。シオドアは相手を見つめた。

「貴方は、ニシト・メナクか?」
「アイツはブーカです。」

と少佐が囁いた。

「グラダではない。でも・・・」

 彼女は戸惑っていた。

「時々気の大きさが変化します。」
「どう言うこと?」
「時々グラダで時々ブーカ・・・」

 シオドアは相手の動きに合わせて体の向きを変えた。少佐を常に後ろへ隠す形になろうと務めた。男が声を張り上げた。

「こっちへ来い、ケツァル! お前は儂の娘になる筈だった女だ!」
「やっぱり、ニシト・メナクだ。」

とシオドアは言った。

「貴方、自殺したんじゃなかったのか? ウナガン・ケツァルがママコナの暗殺に失敗して捕らえられた時に、彼女を救出することもしないで、ただ返せと訴えただけだろ? ウナガンがシュカワラスキ・マナの子供を身籠ることを黙認したくせに、生まれた子供を引き取ることを拒否したんだろ? ウナガンが死んでマナが逃げ出したら、絶望して自分で死を選んだんじゃないのか? 勝手な男だよな。イェンテ・グラダ村の殺戮の時、ウナガンもシュカワラスキもまだ赤ん坊で何も覚えちゃいなかった。貴方が彼等に教えて、親の敵討ちに誘い込んだんだ。それなのに仲間が失敗したら、自分だけ逃げた。死んだふりをしたのかい? 今までブーカ族のふりをして、一族を騙していたんだな?」

 喋りながら、彼は岩に結えつけていた命綱が弛んでいることに気がついた。ステファン大尉は何処へ行った?
 男がフッと笑った。皺だらけでよくわからないが、笑ったのだ。

「儂はブーカ族のふりなどしておらぬ。元々半分ブーカだった。そしてこの体は完全にブーカだ。」

 少佐がシオドアの後ろから顔を出した。

「貴方はトゥパル・スワレの体を乗っ取ったのか、メナク?」
「乗っ取った? 憑依したってことか?」

 シオドアは目の前に立っているのが化け物に思えてきた。こいつを倒せるのだろうか?

「憑依か・・・」

と男が言った。

「確かに。儂とトゥパルは契約したのだ。トゥパルは儂のグラダの力を欲しがった。儂は一族に君臨する力が欲しかった。スワレの家長になればそれは夢ではない。だから儂はニシト・メナクであることを捨てたのだ。」

 それは何時のことだ? シオドアは疑問を感じた。ニシト・メナクが自殺したことになっているのは、シュカワラスキ・マナがグラダ・シティから逃げて半年後だ。その時にメナクとトゥパル・スワレの間で契約が成立していたとなれば、スワレ家の人々はずっと彼等に騙されていたことになる。兄のエルネンツォも・・・。
 突然、シオドアはある考えに至った。彼は男に尋ねた。

「エルネンツォ・スワレを殺したのは、シュカワラスキ・マナではなく、貴方じゃないのか?」
 
 男は答えなかった。否定しないのだから、沈黙は肯定だ、とシオドアは確信した。

「エルネンツォは貴方が弟とメナクの二重の人格を同居させている人間だと知ってしまったんだ。だから、貴方は兄を殺害して、シュカワラスキ・マナに罪をなすりつけた。そして4人の”砂の民”も貴方が殺したんだ!」

 彼は暗闇をライフルで指した。

「スワレはブーカだから、空間通路を自在に使える。シュカワラスキ・マナが作った結界も貴方には意味がなかった。この坑道の中にいくつか”入り口”と”出口”を持っていたんだろ? だから鯨の文句が書かれた神殿も知っていたし、ここへも出て来られたんだ。」

 男が低い声で笑った。

「トゥパルは本気でシュカワラスキ・マナが兄を殺したと思い込んでいたぞ。己の手で殺しておきながら、記憶がなかったのだ。儂がグラダの力を使う時は意識がなかったからな。だからシュカワラスキの倅が成長してグラダ・シティにいると知ると、儂に消してくれと頼んだ。己の力でグラダに挑むことは不可能だと怖気付いたのだ。儂はまだ正体を誰にも知られたくなかった。だからややこしい技で”ティエラ”の兵隊どもを操らねばならなかった。儂にはまだやるべきことがあったからな。」
「何をやるつもりなんだ?」

 シオドアは男の背後の岩陰から真っ黒な影が出て来るのを視野の片隅に捉えた。

「トゥパルの体は老いた。」

と男が言った。

「この体はもう使い物にならぬ。トゥパルもいなくなった。」
「え?」

 とシオドアと少佐が同時に声を出した。トゥパルがいなくなったと言うことは?

「アイツは消えたのだ。白人の女がシュカワラスキ・マナの倅を殺した時にな。」
「つまり、貴方の宿主は寿命が尽きて死んだのか。」

 シオドアは目の前の男が屍人なのだと悟った。自殺した男の魂が動かしている死体だ。
 男の背後から黒い影が近づいて来た。緑色の二つの目が輝いていた。
 シオドアは叫んだ。

「それじゃ、貴方も潔くあの世に行ったらどうなんだ?」
「儂はまだ行かん。その女を寄越せ。グラダの体が必要だ。」
「何を世迷言を言ってるんだ? 狂っているのか?」

 いきなり喉が詰まった。締め付けられた。彼はライフルを落とした。何かに首を絞められる・・・少佐が彼の体に縋り付いてきた。

「テオ! アイツを振り払いなさい!」

 その時、 野獣の咆哮が洞窟内に轟いた。


星の鯨  4

  光の点達が騒ぎ始めた。サワサワザワザワと音が大きくなってきた。シオドアは銃口を見つめた。洞窟内の光が増した様な気がした。暗闇が薄くなり、男の姿がぼんやりと見えてきた。ヨレヨレのシャツと泥だらけのパンツ姿のエウセビーオ・シャベス軍曹が、アサルトライフルを手に立っているのだった。ライフルはケツァル少佐の物だ。軍曹はじっとシオドアに照準を定めていた。シオドアは頭の中で周囲の風景を展開させてみた。身を隠せる岩がそばにない。体を地面に投げ出してもライフルの銃弾を避けられない。
 ケツァル少佐はじっとしていた。荷物を取ろうとしてライフルがないことに気がついたのだろう。そしてシャベス軍曹の存在を知って、武器から目を離してしまった己のミスを悟ったのだ。彼女の目は軍曹を見ていなかった。前方の暗闇を向いていたが、多分全神経はシャベス軍曹の指の動きに集中させている筈だ。シャベス軍曹はトゥパル・スワレの”操心”に掛けられているから、そこに更なる”操心”を上書きすることは至難の業だ。シオドアは彼女がアリアナの”操心”に”幻視”を上書きした時のことを思い出した。アリアナに少佐自身をステファン大尉だと思わせることは成功したが、トゥパル・スワレの”操心”を解くことは心臓を刺される迄不可能だった。
 少佐は今どうしようかと考えている、とシオドアは思った。下手に動いて軍曹に引き金を引かせてしまったら、シオドアは確実に撃たれる。ここは”連結”とか言う技しかないのでは? しかし今の少佐にそれを使う力が残っているだろうか。
 その時、湖の何処かでパシャッと水音が響いた。シャベス軍曹の注意が一瞬そっちへ飛んだ。少佐がリュックの中で掴んでいた何かの小袋をシャベス軍曹に投げつけた。軍曹が小袋に銃口を向けた。シオドアは夢中で軍曹に突進した。軍曹が銃を構え直す前にタックルした。
 アサルトライフルが火を吹いた。天井の岩に向かって数発の銃弾が撃ち込まれ、岩の破片が落ちてきた。シオドアとシャベス軍曹は岩の上に倒れた。軍曹の頭の下でゴツッと嫌な音がした。シオドアは必死で彼の手からライフルを奪い取った。シャベス軍曹は頭を上げかけ、また落とした。頭上でザーザーと音がした。光の点が乱舞していた。銃弾に驚いたのか?
 
「テオ!」

と少佐が呼んだ。シオドアは彼女を振り返った。ケツァル少佐がシャベス軍曹が立っていたその奥の暗闇を指差した。真っ暗だったが、何か白い物が近づいて来るのが見えた。シオドアは立ち上がり、アサルトライフルをそちらへ向けた。

「少佐、俺の後ろに来い!」

 多分、ケツァル少佐は今迄他人の後ろに隠れるなんてしたことがなかっただろう。しかし彼女は素直に彼の後ろに来た。

「スワレか?」
「スィ。」
「丸腰か、何か持っているか?」
「杖を持っています。武器はそれだけです。」

 つまり、杖を武器にする可能性はあると言うことか。相手は”ヴェルデ・シエロ”だ。銃火器や刃物を持っていなくても、危険な存在であることに間違いない。

「向こうに坑道があるのか?」
「ノ・・・”出口”から来ました。」

 つまり、空中から湧いて出てきたのだ。
 シオドアはシャベス軍曹に視線を向けた。シャベスは倒れたまま動かなかった。頭の打ちどころが悪かったのか? シオドアは彼に怪我をさせたのではないかと不安になったが、確かめる余裕がなかった。
 天井の点が動き、見える範囲が広がった気がした。近づいて来る人物がシオドアの目にも見える様になった。白い貫頭衣を着た男だ。身長が高く、頭髪は薄い。残っている髪の毛は真っ白だった。シオドアは骸骨が歩いているのかと思った。それ程に男は痩せこけてシワだらけだった。目は”ヴェルデ・シエロ”らしく暗闇の中で金色に光っていた。シオドアは彼に声を掛けた。

「貴方がトゥパル・スワレか?」

 男が足を止めた。微かに驚いている気配を感じられた。シオドアは相手が何に驚いたのかわかった。

「俺に”操心”を掛けているつもりだったか? 生憎、俺は特異体質なんでね、あなた方の常識に当てはまらないことが多いんだ。もっとも、俺の立場から言わせて貰えば、あなた方”ヴェルデ・シエロ”の方が人間の常識から外れているがな。」

 男が嗄れ声で言った。

「お前に用はない、その女を渡せ。儂のものだ。」

 シオドアの後ろでケツァル少佐が「はぁ?」と声を出した。シオドアは相手を挑発してみた。

「馬鹿か、貴方は? 彼女が貴方みたいな爺さんのものになる筈がない。」

 男が杖でシオドアを、と言うより彼の後ろにいるケツァル少佐を指した。

「その女は儂の妻を殺した。儂等の計画を潰した。だから、その報いを受けさせる。」

 支離滅裂だ、とシオドアは思った。ケツァル少佐がいつブーカ族の長老の妻を殺したのだ? ところが、後ろで少佐が呟いた。

「アイツ、誰?」

 

星の鯨  3

  ロープを結えつける岩は抜け穴がある岩壁が湖に面している辺りにしかなかったので、そこに結びつけた。腰にロープを巻いたステファン大尉を見て、不安解消を兼ねてシオドアは揶揄った。

「まるで繋がれた猫だな。」

 ステファン大尉はふんと言った。

「せめてジャガーだと言って下さい。」

 彼は丸腰で1メートル程の岩を下り、水に脚を浸けた。ああ、と声を上げたのでケツァル少佐が慌てて水辺に来た。

「どうしました?」
「水が冷たい。」

 少佐が肩の力を抜いたので、シオドアはクスッと笑った。

「なんだかんだ言っても、君は彼が心配なんだ。」
「部下の安全は上官の責任ですからね。」

 少佐は彼と並んで湖の中の部下を眺めた。
 水深は1メートル20センチ程だろうか。足が立つ様だが、ステファン大尉は泳ぎ始めた。水流を斜めに遡っていくのは、帰りが楽だからだろう。シオドアは水温を考え、”ヴェルデ・シエロ”はどれ程の低温に耐えられるのだろうと心配した。氷の様な冷たさではないが、普通の人間が長時間浸かっていられる温度ではなかった。
 天井の光る点達がまた騒ぎ出した。と言っても攻撃する気配はなく、ザワザワと動いているだけだったが、少しばかり活発になった様だ。少佐が天井を見上げた。シオドアが知り合いでもいたかと尋ねると、「ノ」と答えた。

「誰の顔も見えません。ただ光が動いているだけです。」
「俺もザワザワ木の葉が風に揺れる音みたいなものしか聞こえない。」

  命綱のロープはまだ余裕があった。少しずつ水の中へ入っていくロープをシオドアは見ていた。
 ステファン大尉が鯨に辿り着いた。彼が手を伸ばすと光の点がサッと左右に動いた。岸辺のシオドアにもそれが見えたので、彼は声をかけてみた。

「その小さいのは生き物かい?」
「その様にも見えますし、違うかも・・・」

とステファンが曖昧な返事をした。

「手に触れても感触がありません。」

 彼は光のベールの中に手を突っ込んだ。彼の腕が肘まで光の中に入って行ったので、シオドアはドキドキした。まさか、あのまま吸い込まれるんじゃないだろうな?
 ドンっと音がした。少佐が「何?」と尋ね、ステファンが答えた。

「拳で叩いてみました。金属のようで・・・少し温かい・・・すべすべして・・・」

 どうやら鯨の本体に触れている様だ。

「何処にも手をかけられる場所がありません。反対側へ行ってみます。」

 彼は鯨の尾なのか頭なのかわからないが、上流側へ鯨の流線形の体に沿って泳いで行った。命綱がどんどん水の中へ入って行く。

「あれは何だと思う?」

 シオドアは少佐に声を掛けた。少佐はまた首を傾げた。

「人工物だと思いますが、見当がつきません。」
「U F Oかな?」
「地下にU F Oですか?」
「何処かの火山から地下へ入り込んで隠してあるとか・・・」
「誰が?」
「君達のご先祖?」
「テレビの見過ぎですよ。」

 超能力者に軽くいなされてしまった。

「兎に角、君達のご先祖はこの湖と鯨を見て、神秘的なものを感じたのは間違いない。だから神殿を造って祀ったんだ。あの神殿に神像がなかったのは、ここに本尊があるからさ。」

 ステファン大尉が鯨の端っこに到着した。そのまま島陰に回り込んで姿が見えなくなった。シオドアは耳を澄ました。手で水をかく音が聞こえたので、ホッとした。

「そっち側も同じかい?」
「スィ。」

 シオドアは命綱がもう残り少ないのを見た。

「そろそろ戻って来いよ。ロープがいっぱいいっぱいだ。」
「承知・・・」

 遂にロープがピンと張った。シオドアは岩に結びつけてある付近を掴んで、くいくいと引っ張ってみた。抵抗があった。ステファンが引いたのか、鯨の端っこで何かに引っかかったのか。シオドアはステファンの服とアサルトライフルを岩の根元に移動させた。大尉が水から上がったら直ぐに服を着られるよう準備した。バスタオルはないが、汗拭き用の小さいのはある。少佐もリュックの所へ戻った。何かを取り出そうと彼女が荷物を探りかけて動きを止めた。シオドアは彼女から2メートル程離れたところで、大尉の軍靴を掴み上げようとしていた。微かに気温が下がった気がして、彼女の方を見た。

「どうした・・・」

 彼は口を閉じた。暗闇の中から1丁のライフルが突き出されていて、シオドアを狙っていた。



星の鯨  2

  透明な湖が目の前にあった。天井や奥行きがどの程度の距離なのかわからないが、水の上の空間はかなり広い様だ。そこにキラキラ光る小さな物体が無数に見えた。岩に付着しているのか、空中に浮かんでいるのかわからない。土蛍なのだろうか。しかしシオドア一行の目を捉えたのはもう一つの光る物体だった。それは湖の中央辺りに横たわっていた。兎に角大きな物体だった。長さは100メートル以上あるだろうか、幅もかなりありそうだった。緩やかな流線形で半分水面下にあった。水上に出ている部分は光っていた。さまざまな色彩が絶えず波打つように変化して、表面はすべすべの様に見え、次の瞬間には粉を吹いている様にも見えた。表面から時々光る小さな物体が飛び立ったり、集まってきたりしている様にも見えた。透明な水の底は金色だった。金鉱石でもあんなに金色ではないだろう、とシオドアは思った。空中の光る小さな物体は、湖底の金色の光を受けて光っている様にも見えた。
 ケツァル少佐が呟いた。

「太陽の野に星の鯨が眠っている・・・」

 ステファン大尉が記憶を探る表情をした。

「祖父の昔話のイメージより明るいですが、ほぼ同じです。」
「それじゃ、君のお祖父さんはここ迄来たことがあるんだな?」
「祖父に見せてもらったイメージはもっと暗かったのですが、ここは予想以上に明るいです。」

  シオドアは星の鯨をもっと良く見ようと水辺に近づいた。滝の方を見ると、綺麗な岩壁が水を堰き止めているのが見えた。あれは人工物じゃないのか? シオドアは湖を見回した。壁が綺麗に滑らかな曲線を描いている。巨大な水盤の様に見えた。底が平に見えるのは目の錯覚ではなさそうだ。天井も凸凹していなかった。キラキラ輝くものに覆われているが、プラネタリウムの様にも思える。そして、時々横へ動く点もあった。
 彼は鯨を見た。表面を覆っている光る物も動いているのだ。あれは生き物だろうか。光る生物なのか? 
 突然空気がぴっと冷えた様な気がして、シオドアはびくりとした。後ろを振り返ると、ケツァル少佐が空中の一点を見つめていた。彼女の目の前を小さな光の点がゆっくりと移動していた。少佐はそれを見つめていたのだ。シオドアはステファン大尉の反応を伺った。大尉もやはり少佐と同じ物を見つめていた。
 光る点が湖の方向へ動き、少佐と大尉がそれを目で追った。シオドアも点を見たが、虫の様な羽根は見えなかった。兎に角小さい。小さいが光っているので見える、そんな大きさだ。光はゆっくりと飛んでいたが、水上に出ると急に速度を得てスッと中央の鯨の形の島へ去って行った。
 ステファン大尉が息を吐き出した。そして島を見たまま、少佐に話しかけた。

「グリュイエでしたね?」
「スィ。」

 少佐が夢見心地の表情で答えた。シオドアは「グリュイエって?」と尋ねた。大尉が少佐を見た。少佐が我に帰った。そしてシオドアを見上げて答えた。

「大統領警護隊文化保護担当部に配属される予定だった少尉です。」
「予定だった?」
「配属の打診を受けて本人も喜んで承諾した日の夕方に亡くなったのです。」

 シオドアは鯨の島を見た。もうさっきの光の点が何処へ行ったのかわからなかった。

「その人が、さっきの光だったのか?」
「わかりません。彼の顔が光のそばに見えたのです。」
「幽霊か?」

 少佐は首を傾げただけだった。シオドアはステファンを見た。ステファンが彼に向き直って説明した。

「グリュイエは陽気で優しい若者でした。アスルの後輩でアスルに憧れて彼と同じ部署を希望したのです。」
「希望が通って嬉しかっただろうな・・・」
「スィ。彼は上官に配属の承諾をした日の夕方、アスルにその報告をするつもりだったのでしょう、バスで文化・教育省へ向かったのです。そのバスが事故を起こした・・・信号無視のトラックと衝突したのです。6人の死者が出ました。」
「グリュイエもその一人だったんだ・・・」
「アスルは彼の死を受け入れられなくて、事故の瞬間に飛んだのです。」

 アスルことキナ・クワコ少尉は時間跳躍を自在に出来るとシオドアも聞いたことがあった。但し、それには厳しい掟があって、未来に飛んだり、過去の歴史を変えることは絶対に許されない。アスルは後輩のグリュイエを助けたかったのだろうが・・・。

「グリュイエは脚を曲がったバスの車体に挟まれていたそうです。それでも近くにいた妊婦を助けようと、気で彼女を外へ弾き飛ばした。その直後にバスは火に包まれてしまったのです。一瞬のことだったそうです。」

 少佐が言った。

「私は彼に会ったことがありません。配属希望者がいると副司令から推薦状を受け取っただけでした。彼に会うのを楽しみにしていたのに突然の悲報でショックでした。彼は、大統領警護隊の”名誉の殉職者”に列せられて写真が礼拝堂に飾られています。ですから、彼の顔は知っているのです。」

 そう言えば、マハルダ・デネロス少尉が大統領警護隊文化保護担当部に配属された時、「空きがある」と上官に勧められたと言っていた。その「空き」がグリュイエ少尉の死去だったのだ、とシオドアは悟った。恐らく、グリュイエ少尉が文化保護担当部を希望していたと言う事実をデネロス少尉は教えられていないのだ。ケツァル少佐もステファン大尉もロホもアスルも彼女にそんな悲しい事情を教えない。デネロス少尉は将来の進むべき道をなかなか見つけられなくて、偶々空きが出来た場所にやって来た。そして楽しく働いている。だから、それで良いのだ、と彼女の上官達は考えている。

「事情はわかった。だけど、どうしてその夭逝した英雄が、こんな所に現れたんだ?」
「わかりません。カルロも私も彼と直接の接点がありませんでしたし、さっき彼を見る迄彼のことを思い出したこともありませんでした。ですから、いきなり彼が目の前に現れて、私は仰天してしまいました。」
「でも君達は、すぐに彼だとわかったんだ?」
「スィ・・・本当に、すぐわかりました。」
「私もです。」

 ステファン大尉は光る点達を見上げた。シオドアはふと思ったので、言葉に出してみた。

「普段もこんなに輝いて動いていたら、鉱夫達にもっと知られていたよな?」

 ステファンが振り返った。

「どう言うことです?」
「この光の点は普段はじっとして余り輝いていないんじゃないかな。だけど、今日は俺達が来た。強力な力を持ったグラダ族が2人と白人だ。だから、彼等は騒いでいる。」
「しかし、何故グリュイエが・・・」
「テオがいるからでは?」

と少佐が言って、シオドアを驚かせた。

「俺が?」
「貴方はバス事故の生き残りでしょう?」

 ああ、とシオドアは声を立てた。

「グラダ族とブーカ族の強い力が神殿から発せられたのを感じて、彼等は目覚めたんだ。そして、大統領警護隊文化保護担当部の指揮官と副官がやって来た。同行している白人がバス事故で生き残ったヤツだ。だからグリュイエ少尉は興味を持って挨拶に近づいた・・・」

 彼は湖を指差した。

「あの湖は死者の魂の場所か?」
「それも英雄の・・・」

とステファンは呟き、彼はリュックを背中から下ろした。岩に座っている少佐の横に荷物を置き、アサルトライフルも置いた。

「あの島を見てきます。」
「はぁ?」

 シオドアは彼の前に立った。

「いきなり何を言い出すんだ? あれが何かもわかっていないのに、そばへ行くのか?」
「何かわからないから調べに行くのです。」

 ステファンは既に服を脱ぎ始めていた。少佐が言った。

「許可していません。」
「今やらなくて、何時やるのです?」

 大尉は好奇心と言うより、することをさっさと済ませて帰ろうと言う気分だ、とシオドアは感じた。トゥパル・スワレと戦ったら、もう鯨を調べる余力は残らないだろうと思っているのかも知れない。後日またここへ来ることは考えていない。きっとここにまた来たいなんて思っていないのだ。
 ステファン大尉は見事な筋肉をシオドアの前に曝し、軍靴も脱いだ。ボクサーパンツ1枚になると、少佐がリュックのサイドに装備されていたロープを掴んで彼に投げた。

「水の流れは見た目より疾いですよ。しっかり固定させて体に結えて行きなさい。風邪をひいたら承知しません。国防省病院に叩き込みますからね。」



 



2021/08/11

星の鯨  1

  メンバーが3人になった。正直なところ、全員がまだくたびれていた。ケツァル少佐は胸の痛みが動きの妨げになっていたし、ステファン大尉は眠気が残っていたし、シオドアも緊張の連続だったので休みたかった。しかし彼等はなんとなく神殿にいても何の進展もないと感じていた。少佐にも大尉にも、神殿の彫刻や建築様式を見てもその目的がわからなかった。入り口の神代文字は読めるのに、何の為の神殿なのか、どこにもヒントが残されていなかったのだ。

「アリアナがやって来た方角へ行ってみよう。」

とシオドアは提案した。

「ただ、水がもうないんだ。水汲みを先に済ませておいた方が良いと思う。」

 すると少佐が言った。

「全員で一緒に行動しましょう。これ以上散開するのは危険です。」

 彼女は全員を守る体力がないのだ。彼女の余力は今彼女自身の傷の治療に集中して使用されている。だから仲間に遠くへ行って欲しくないと思っていた。シオドアもステファン大尉もそれを理解した。

「それじゃ、全員で俺が水を汲んだ場所まで行こう。距離はそんなにないが、下り坂があるから、足元に注意してくれ。」

 ステファン大尉が少佐に尋ねた。

「私の背中に乗られますか?」
「結構です。」

 少佐は彼女のリュックをシオドアに差し出した。

「誰の背中にも乗りませんが、荷物も水筒とライフル以外は持ちません。」
「それで結構です。」

と大尉が素っ気なく言った。まだ完全に仲直りした雰囲気ではない。シオドアは心の中で肩をすくめた。似たもの姉弟だ。互いに意地を張っているが、仲直りは突然やってくる筈だ。それまで彼は我慢しなければならない。
 3人は静かに神殿を離れた。ゴミの一切はロホが持ち去ってくれた。遺跡を汚すなと言う文化保護担当部の規則を守ったのか、自分達の痕跡を他人に辿られたくないのか、恐らくその両方だろう。 
 真っ暗な道を歩いて行った。足音を立てるのはシオドアだけだ。軍靴を履いているのに、大統領警護隊の隊員達は決して足音を立てない。だから先頭を歩いているシオドアは時々仲間がちゃんと後ろをついて来ているのか不安になった。すぐ後ろが少佐で、最後がステファンだ。

「俺の歩みが遅いので、まどろっこしいだろう?」

と声をかけると、少佐が「ノ」と言った。

「今の私には丁度良いペースです。」

 神殿の右手を真っ直ぐ歩き、坂を下って突き当たった壁を今度は右に折れて壁沿いに歩くと地下の水流に行き当たる。シオドアは道順を覚えていたが、真っ暗なので通る道筋が合っているかどうか自信がなかった。だから、先の時と同様、いきなり開けた空間に出て、青い水流をライトの光の中で見た時は、ホッと安堵した。
 少佐が岩の上に座るのを見ながら、水辺に近づき、水筒を下ろした。汲みたての冷たい水を3人で飲んだ。もう一度水筒をいっぱいにしてから、ステファンが地下川の上流を見た。

「滝の向こうに空間がありますね。」

 だからシオドアは光をそちらへ向けた。

「鉱物が光って星空みたいに見えたんだ。」

 滝の上方にキラキラと小さな光が無数に瞬いた。ステファンの目が緑色に光った。

「あの光達、動いていますよ。」
「え?」

 目を凝らして見たが、普通の人間の目では光の点が小さ過ぎてよくわからなかった。

「瞬いているだけじゃないのか?」
「ノ、ちょっとずつ移動しています。この距離でわかりにくいのでしたら、近くで見てもさらにわからないでしょう。」

 少佐に滝の上流の光を報告すると、呆れたことに少佐は滝を登ろうと言い出した。これに、ステファン大尉が遂にブチ切れた。

「いい加減にしてくれませんか! 貴女は死ぬ一歩手前だったのですよ、これ以上体に無理なことをしないで下さい!!」

 感情を爆発させたので、空気がビリリと震動した。シオドアは敵に位置を勘づかれると注意しようとした。その時、滝の上流でサワサワと音がした様な気がした。

「さっきの音、聞こえたか?」

 睨み合っている少佐とステファンが「何の音?」と同時に尋ねた。シオドアは言った。

「滝の上流で木の葉が擦れる様な音がしたんだ。カルロの気に反応したみたいだ。君達には聞こえなかったのか?」

 ステファンはまだ少佐を睨んでいたが、彼女はシオドアを見上げた。

「貴方には聞こえるのですね?」
「スィ・・・霊かな?」
「霊なら私は感じますが・・・」

 彼女はステファンを見た。

「貴方は、カルロ?」

 話をふられてステファンは一瞬戸惑った。

「何も感じません。」

 少佐を睨んでいた眼差しが不安に変わった。霊がいたら、少佐が怖がるじゃないか・・・。 その心の微妙な動きを少佐は察した。彼女はツンツンして言った。

「怖くなんかありません。感じないのですから。」

 彼女はシオドアを見た。

「まだ聞こえますか?」
「今は聞こえない。俺より聴力の優れた君達に聞こえなかったのなら、やっぱり霊かも知れない。」

 少佐は幽霊が見えなければ怖くない人だ。声だけとか、物がガタガタ動いたりとか、そう言うのは平気だ。彼女はステファン大尉を振り返った。

「沢登りは止めて、上流へ行く道を探しましょう。」
「トゥパル・スワレを探すんじゃないんですか?」

 上官の気紛れに慣れているステファンは、彼女が少しでも敵に出会う確率を減らしてくれるのであれば大歓迎だった。少佐はニッと笑った。

「あっちがしびれを切らしてやって来ますよ。」

 彼女が腰を浮かしたので、大尉は手を貸した。シオドアは上流に向かってライトをぐるりと動かしてみた。川から離れた岩壁に岩の隙間の様な通路があった。空気が流れていたので、何処かに通じているのだ。シオドアは体を入れてみた。立って通れる高さは最初の1メートルだけで、後は背を丸めて頭を下げなければ通れなかった。これは胸を負傷している少佐には辛いだろうと思ったが、彼女は荷物を持っていなかったので腰をかがめてついてきた。最後尾のステファンが荷物の大きさが祟って一番苦労した。
 シオドアは通路の最後の部分を四つん這いになって通り抜けた。リュックは引っ張らなければならなかった。少佐が押してくれて、何とか広い場所に出た。
 滝の音が響いていた。穴の外は低い岩棚で、目の前に湖が広がっていた。じっくり眺める前にシオドアは少佐を引っ張り出し、通路の中に声をかけた。

「カルロ、荷物を先に押せ。引っ張り出すから。」
「そんな・・・向きを変える空間などありませんよ。」

 そう言われればそうだった。結局ステファン大尉を先に引っ張り出して、それから彼のリュックを救出した。
 ケツァル少佐は穴から出た時のままの膝を突いた姿勢で地底湖を見ていた。見惚れていたと言っても良かった。最後に穴から出たステファンも、その場の風景を見て、思わず「ワオ!」と声を上げた。シオドアは額の汗を拭きながら目の前の景色を眺めた。ライトで照らさなくても、そこの景色が良く見えた。
 それは不思議な光景だった。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...