2021/08/22

星の鯨  14

  ロホとアスルはデネロスが運転する軍用ジープで大統領警護隊の官舎に帰って行った。アリアナはステファン大尉が病院職員寮へビートルで送ると言った。アリアナは躊躇したが、少佐がそうしなさいと勧めたので、素直に従った。シオドアは少し心配だったが、アリアナが大丈夫と目で言ったので、彼女を大尉に任せることにした。

「カンクンへ行く日が決まったら、必ず連絡しろよ。」

と彼は念を押して彼女を送った。
 ビートルの助手席に座ると、走り出して間もなく、大尉が彼女に話しかけた。

「向こうに行ったら、アメリカ人に気をつけて下さい。遺伝病理学研究所と繋がりがあるかも知れません。向こうはまだ貴女を諦めていない可能性もあります。」
「ロペス少佐はそれも考慮に入れて下調べをして下さった筈よ。」

 アリアナは前を向いたまま言った。

「私もいつまでも人に頼ってばかりじゃ駄目なのよ。自分で自分の身を守れるようにならないと。」
「頑張り過ぎても良くありません。」
「まだ頑張る入り口にいるのに、そんなことを言わないで。」

 彼女は笑った。そして、思い切って胸の内を打ち明けた。今言わなくて、何時言えるのだ?

「知っていると思うけど、私、貴方のことが本当に好きなの。今も好き。だけど、貴方が誰を愛しているか知っている。テオは貴方の恋に批判的だけど、私は・・・貴方が彼女を諦めきれない気持ちがわかる。だから、貴方の邪魔をしたくないの。」
「邪魔とは・・・?」
「貴方に恋愛ゲームを仕掛けたりしないってこと。」

 アリアナは運転席の方を向いた。ステファンは前を向いたままだ。

「テオによく叱られるけど、私は時々自分を抑えられなくなる。多分、本当の恋愛をしていないからだと思うの。このまま貴方のそばにいたら、私はまたゲームを始めてしまう。貴方に少佐と私を選ばせようとするでしょう。負けるとわかっていてもね。そして貴方には気まずい思いをさせてしまうに決まっている。私はまた別の男性を摘み食いしてしまうわ。シャベス軍曹みたいな若い人を誘惑してしまうでしょう。」

 彼女も前を向いた。

「貴方とロホが、私のことをアスルが気に入っていると言ってくれたわね。私には彼はまだ子供に見えるの。だけど、今日、私は彼をもう少しで誘惑しそうになった。」
「そうは聞こえませんでしたが・・・」
「本当に誘いをかけようとしてしまったのよ。テオは気がついているわ。後で聞いてごらんなさい。」
「アスルにも経験は必要です。」
「でも貴方の代わりに、と言うのは良くないわ。だから、私はロペス少佐の提案を聞いた時に、貴方達と距離を置く良い機会だと思ったの。でもね、少佐とマハルダから離れるのは寂しいの。洞窟の中で少佐の手術を任された時、彼女が私を心から信頼してくれていることがわかって、本当に嬉しかった。だから、私は彼女が貴方を選んだら、絶対に応援する。テオが反対しても私は味方するわ。」

 ステファン大尉が小さく溜め息をついた。

「彼女が私を選んでくれるかどうか、私には自信がありません。今まで彼女が私に対して親しげに振る舞っていたのは、同じグラダ族の血が流れていたからだと、今回の事件で思い知りました。男としての信頼は、私よりロホの方へ置かれています。そして人として彼女はテオを信用しています。洞窟で敵に襲われた時、彼女はテオの背中に隠れたのです。私だったら、絶対に彼女はそんなことをしない。逆に私を守ろうとしたでしょう。男として屈辱です。」
「諦めちゃ駄目よ!」

 アリアナが力強く言ったので、彼はびっくりした。

「彼女はどんなことでも貴方に関することは細やかに気をつけて行動しているわ。貴方との本当の関係がわかる前から・・・彼女は貴方を愛している。彼女を信じてあげて。」

 ステファン大尉が苦笑した。

「遺伝子学者が、近親婚を奨励するのですか?」
「心の繋がりは誰にも邪魔出来ないのよ。」

 アリアナは心の中で呟いた。

 私は繋がりたい人が増えてしまったの・・・

星の鯨  13

 「明日からはまた普通の業務に戻るんですか?」

とマハルダ・デネロス少尉が尋ねた。 ケツァル少佐が頷いた。

「スィ。但し、アスルはまだ足が不自由ですから・・・」
「もう歩けます!」

 アスルが主張したが、少佐は無視した。

「アスルがしていた仕事をデネロス、貴女がして下さい。」

 え? と全員がちょっと驚いた。アスルは確実にショックを受けた。仕事を後輩に取られるなんて屈辱ではないか? シオドアは彼が可哀想に思ってしまった。しかし少佐は部下の抗議を受け付けなかった。

「短期間の業務内容の交換です。軍の警備隊の手配を承認が通った申請書に従ってデネロスが行います。アスルはデネロスがしていた申請書のチェックとデータ入力です。誰もが最初に行う業務ですから、まだ覚えているでしょう?」
「そうですが・・・」
「デネロスにも現場へ出る準備が必要です。彼女が手配した警備隊の最終確認はアスルがしなさい。」
「承知しました。」

 下っ端の仕事と指南役を命じられて、アスルは渋々承知したのだ。文化・教育省はエレベーターがない。脚を折ったアスルを4階まで何度も往復させまいと少佐なりの気遣いなのだろうけれど、その気になれば直ぐに傷を治せる”ヴェルデ・シエロ”にとっては却って嫌がらせだ。もっとも・・・

「私もまだ本調子ではないので、大臣や他のセクションとの会議には、ステファン大尉に出席を命じます。」

 少佐もまだ階段の登り降りを頻繁にするのは辛いのだ。会議の席が苦手なステファン大尉が不承不精承った。恐らくロホに代わってもらいたいだろう。そのロホは発掘調査隊監視のスケジュールがぎっしり詰まっていた。少佐が駄目、アスルも駄目、ステファンも忙しいとなると、中間の彼が全部負うことになる。
 大統領警護隊文化保護担当部の業務打ち合わせが終わったと思われた時、アリアナが、「私も・・・」と声を出した。シオドアが振り返ると、彼女が遠慮がちに話し出した。

「私も職場を変わることになったの・・・」
「はぁ?」

 シオドアは思わず声を上げた。全然そんな話を聞いていない。と言うか、事件の後、亡命観察期間の住居に戻るのを拒否したら、シオドアとアリアナは別々の住まいに移されてしまい、あまり顔を合わせていなかったのだ。シオドアは送迎の必要がない大学の寮に入居させられ、アリアナは大学病院の職員寮に移された。互いの仕事に変更があれば連絡を取れば良いではないか、とシーロ・ロペス少佐に言われた。しかしアリアナは仕事に変更がある話をシオドアにしていなかった。

「変わるって、何処へ?」
「カンクンよ。」
「カンクン?!」

 メキシコだ。少佐とロホが顔を見合わせた。デネロスとステファンも戸惑った。

「セルバから出るの?」

とデネロスが不安そうな声で尋ねた。 アリアナはちょっと笑おうとして、おかしな表情になった。きっと彼女も涙が出そうになったのだ。

「国籍はセルバ共和国なの。カンクンの遺伝病研究施設へ出向になるのよ。半年の予定で、次のクリスマス迄には帰って来られるって、ロペス少佐が言うの。」
「シーロがね・・・」

と少佐がちょっと不機嫌な声を出した。誘拐事件の渦中にあったアリアナをスキャンダルから遠ざける為に考え出した策だろうが、彼女一人だけを遠ざけるのは最善策と思えなかったのだ。
 アリアナが無理に笑おうとした。

「ロペス少佐が意地悪をしたんじゃないのよ。内務大臣の弟の建設大臣のところの・・・」
「シショカ?」

とシオドアが名前を出した。”ヴェルデ・シエロ”達が彼を見た。アリアナが頷いた。

「そう、秘書のシショカって人が、私があまりにも事件の細部に入り込み過ぎたって言ったんですって。」

 シショカは”砂の民”だ。”ヴェルデ・シエロ”の秘密を知ろうとする外国人やセルバ共和国の国益に反することをする市民の抹殺を行う役目を負う人間だ。ステファン大尉がアリアナに優しく言った。

「ロペス少佐は貴女をシショカから守りたいと思っている訳ですね。」
「スィ。」

 アリアナがやっと微笑みらしい微笑を浮かべた。

「”ヴェルデ・シエロ”がいない国で、私が言語に不自由しなくて、出来るだけセルバ共和国に近くて、私の知識が活かせる職場を探して、カンクンの病院を見つけてくれたの。そこなら、私がもし何かの弾みにこの国の秘密を口走っても誰も気にしないだろうって。半年も経てばセルバ人は事件を忘れてしまうし、過去の詮索をしないマナーで噂も消えてしまうから、また帰って来なさいって・・・」
「何故君だけなんだ? 俺は放置しても平気だって思われているのか?」

とシオドア。

「貴方は大丈夫でしょう。シショカも寄り付かない。」

と少佐がぶっきらぼうに言った。なんで? とシオドアが問いかけるのを無視して、彼女はアリアナの手を取った。

「半年の我慢なのですね? 電話やネットでお話しするのは構わないでしょう?」
「ええ!」

 アリアナが頷くと、デネロスも尋ねた。

「私達が出張で訪ねても良いんですよね?」
「その筈・・・」

 出張? と少佐がデネロスを睨んだので、アリアナは思わず笑いそうになった。
 シオドアはアスルが静かなのに気がついた。アスルは黙ってアリアナを見ていた。

 コイツ、本当にアリアナのことが好きなのか?

 アリアナがシオドアの視線の先に気がついた。ちょっと躊躇ってから、アスルに目を合わせた。

「もし、機会があれば遊びに来て・・・一緒にメキシコの遺跡巡りとか出来れば良いわね。」

するとアスルは精一杯無愛想に言った。

「俺と一緒に歩くなら、サッカー場巡りになりますよ。」

 ロホが彼の後頭部をペンっと叩いた。しかしアリアナは笑ってアスルに言った。

「サッカー場の方が私の性に合っているかもね。」




 

2021/08/14

星の鯨  12

  シオドア達がいなくなると、メナクはシャベス軍曹を連れて神殿へ入った。神殿は汚れていなかったが、血の匂いで満ちていた。それはケツァル少佐が決して万全の体調でないことを彼に伝えた。彼等は遠くへ行けない。そう踏んだメナクが神殿で休んでいると、声が壁の向こうから聞こえてきた。驚いた。シオドア達は、禁断の聖地を発見した様子だった。神殿の仕組みがどの様になっているのかわからなかった。もっとよく聞こうと壁に近づいて歩いていると、”入り口”を見つけた。巧妙に隠された様な狭い”入り口”だったが、メナクはシャベス軍曹を連れて通った。
 ”出口”から出たメナクはその場所のあまりの美しさと異様さに暫く動けなかった。その場所が何なのか理解出来なかった。キラキラ光る小さな点、金色に輝く湖、光に包まれた巨大な鯨型の島・・・正に、太陽の野に星の鯨が眠っている・・・風景だった。
 湖の畔でシオドアとケツァル少佐が何かをしていた。ステファン大尉の姿は見えなかった。やがてシオドアと少佐が荷物を置いた場所に戻った。”出口”の近くだ。動くものを見つけたシャベス軍曹が、地面に置かれたアサルトライフルを拾い上げた。女が先に気がついて動きを止めた。メナクの期待に反して彼女は声を出さずにシオドアに警告を発した。気を発して気温を下げたのだ。そしてシオドアは異変に気付いて振り返り、シャベスを見つけた。
 シオドア・ハーストはメナクの思惑に反して、シャベスの名を呼ばなかった。”操心”にかけられたシャベス軍曹を動かすキーワードは何かと考えたのだ。フリーズした様に見えた彼は、その時必死で難局打開を考えていた。先にケツァル少佐が行動を起こした。シャベス軍曹の目がシオドアを捉えていると判断すると、荷物の中から掴み取った使い捨てカイロを軍曹に投げつけた。シャベスがそれを撃った瞬間、シオドアが飛びかかった。シャベスは仰向けに倒れ頭部を岩盤に打ちつけてしまった。
 シャベス軍曹が動かなくなったので、メナクは軍曹は死んだと思った。手駒が無くなった彼は、自ら敵の前へ出て行った。相手は”ヴェルデ・ティエラ”の白人学者と手負の女だ。純血のグラダは油断禁物だが、彼女は白人の背後に隠れてしまった。”ヴェルデ・ティエラ”に守ってもらわなければならない状態だ。勝てるとメナクは確信した。
 ケツァルを渡せと言うメナクの要求を、シオドアが拒絶した。彼はメナクとスワレが同じ肉体を共有していたと知ると、シュカワラスキ・マナとエルネンツォ・スワレの死の真相を察した。誰が本当の殺人犯か分かったのだ。メナクはシオドアの喉を締め上げ、シュカワラスキと同じ方法で殺そうと試みた。
 突然、彼の背後から黒いジャガーが襲いかかってきた。湖の探索に一人で出かけたカルロ・ステファンのナワルだった。ステファンは島の反対側から戻ろうとした時に、岸辺でシオドアと少佐が何者かに襲われていることを知った。彼は咄嗟に水の流れに乗って下流へ流れ、岩伝いに水に入った場所へ戻った。変身は速やかに終了した。泳ぐために裸になっていたのでスムーズに出来た。メナクの背後から忍び寄って行くとシオドアが気がついたが、知らぬ顔をしてくれた。メナクがシオドアの首を締めにかかった時に、彼は襲いかかった。
 メナクは完全にパニックに陥った。彼が知っている黒いジャガーはシュカワラスキ・マナだった。彼は死者の魂が集まっている聖地に現れたカルロ・ステファンのナワルをシュカワラスキ・マナだと勘違いしたのだ。抵抗する気力が一瞬で消え失せ、噛みつこうとする牙から頭部を守ることで精一杯だった。シオドアと少佐がジャガーを制止しなければ、腕を噛み砕かれ、喉を裂かれて殺されていただろう。
 ジャガーは少佐の命令で動きを止めた。そして現れた長老会の命令でやっとメナクから離れた。メナクは恐怖で動けなかった。ジャガーの唸り声が続いており、シュカワラスキ・マナが怒っていると思うと、顔を上げる勇気もなかった。長老達と少佐とシオドアが話しているのが聞こえたが、彼の頭は理解する余裕がなかった。やがて女の手で縛り上げられ、長老の一人が薄刃のナイフで彼の目の下を切った。目を封じて技を使えなくしたのだ。
 メナクはグラダ・シティに連行され、ピラミッドの神殿で長老会の裁判にかけられた。”ヴェルデ・シエロ”の裁判は欧米的なものではない。弁護人はつかない。長老達が”心話”で被告人の罪状に対する情報を交換し合う沈黙の裁判だ。弁護は被告人が口頭で行うだけだ。メナクは多くを語らなかった。ただこう言った。

「お前達が儂の親兄弟を殺したから、こう言うことになった。」

 誰も同情しなかった。メナクにはその場で酒が与えられた。彼の親兄弟を死に至らしめた遅効性の毒が入った酒だった。

***********

「それで、イェンテ・グラダ村で生まれた人々は全てこの世から去りました。」

とケツァル少佐が締めくくった。
 アリアナが尋ねた。

「シャベス軍曹は助かったの?」
「スィ。」

 少佐がちょっとだけ笑って見せた。

「少し記憶障害が残っていますが、手術を受けて意識を取り戻しました。生命の危機を脱したので、来週には一般病棟に移れるそうです。」
「良かった・・・」

とシオドアが真っ先に言った。

「俺は人殺しになるところだった。」
「正当防衛でしょ。」

とデネロス少尉が言った。

「素手でアサルトライフル持った軍人に立ち向かったんですよ。罪になんか問われません。」
「法律じゃなくて、気持ちの問題だよ、マハルダ。」

 そうかなぁと言うデネロスはまだ若いのだ。生きるか死ぬかの体験をしたことがない。その証拠に、話題をすぐに変えた。

「太陽の野は死者の場所なんですね? 少佐と大尉はお父さんとお母さんに会えたんですか?」
「ノ。」

と少佐と大尉が同時に答えた。一瞬目を合わせてから、少佐が言った。

「多分、あの場所は英雄だけが休むことを許される場所だと思うのです。だからとても美しく心休まる空間です。」
「グリュイエがいたんですね。」

とアスルが言った。彼はまだ松葉杖を使っている。その気になれば少佐の心臓の様にスピード回復させられるのだが、司令官から普通の人間並の回復を求められているので、ギプスが取れないのだ。大尉が頷いた。

「いた。何だかのんびり空中を漂っていた。」
「そうですか・・・」

 アスルはちょっぴり感慨深そうな表情を見せた。若くして非業の死を遂げた後輩が、美しい地下の世界でのんびり漂っている。想像しただけで涙が出そうになった。デネロスがグリュイエって誰?と訊きたそうな顔をしたが、アスルの表情を見て質問を呑み込んだ。きっと尋ねてはいけないことなのだと彼女なりに理解したのだ。

星の鯨  11

  スワレ=メナクはブーカ族の名家の家長として、また長老会の重鎮として権力を欲しいままにしていたが、1人の体に2人の魂は時に厄介でもあった。スワレはブーカ族だから、己の一族が可愛い。しかしメナクにとっては親を殺した人々の身内だ。2人はしばしば対立することがあった。陰の気だ。それは肉体を蝕むことになった。スワレはメナクの消滅を願うようになったが、メナクに知られた。同じ体にいるのだから当然だ。メナクはスワレの肉体を己一人のものにしたかったが、もしスワレを消したら肉体も死ぬのではないかと心配だった。
 そのうちに、大統領警護隊のカルロ・ステファンが大尉に昇進した。敵が近づいて来ると彼等は焦った。もう一度手を結び、彼等は陸軍兵士カメル軍曹に”操心”をかけた。北米の博物館から中南米の古美術品を盗み出す任務に彼を参加させたのは、陸軍に顔が利くスワレだった。盗むべき美術品のリストを手に入れ、メルカトル博物館のオパールの仮面に目を付けた。ステファンが仮面を手に取った時、背後から心臓を刺して殺す。それが命令だった。心臓を汚して甦るのを妨げる古代の呪法だ。
 しかし、カメルは失敗した。彼は非業の死を遂げ、ステファンは思いがけず”ヴェルデ・シエロ”の能力を目覚めさせてしまったのだ。無事にセルバ共和国に帰国したステファンをスワレ=メナクは脅威と看做すしかなかった。しかし打つ手が見つからず、2人の魂は再び肉体の中で諍いを持つようになった。そんな時に思いがけない事件が起きた。美術品密売人ロザナ・ロハスの要塞を政府軍が攻撃した際、大統領警護隊文化保護担当部に反政府ゲリラだった従兄弟を殺された憲兵が逆恨みでステファンを狙い、それを庇ったケツァル少佐を撃ってしまったのだ。少佐はそれをステファン暗殺未遂事件と結びつけて考えてしまった。そしてその考えを打ち明けられたシオドア・ハーストがムリリョ博士に純血至上主義者の犯行ではないかと果敢に詰め寄り、ムリリョの古い記憶を呼び覚ましてしまった。正に寝た子を起こしてしまったのだ。
 ムリリョはシュカワラスキ・マナが空間通路での移送で死んだことを疑っていた。強大な力を持つ純血種のグラダが移送事故で死ぬ筈がないと考えた。そして兄をマナに殺されたトゥパルが事故を装って殺害したに違いないと推測したのだ。実際、そうだった。メナクは己の計画を蹴って逃げた裏切り者のマナを憎んでいたが、同じグラダだ、殺すつもりはその時まだなかったのだ。マナから空気を奪い殺害したのはスワレだった。スワレはムリリョに疑われていることに気づかず、ステファン暗殺だけに執着した。
 一方、メナクはスワレの肉体が老齢で体調も良くないことが気になっていた。新しい肉体が必要だと感じていたが、スワレにそれを告げることは出来なかった。メナクが欲したのは、限りなく純血種に近いグラダ系の体だった。但し、白人の血が混ざった体はごめんだった。彼の身近で一番条件に当てはまったのが、ケツァル少佐だった。女性だが我慢するしかない、と彼は思った。
 シュカワラスキ・マナの2人の子供を同時に誘い出し、1人を殺し1人の肉体を盗む。但し、肉体強奪はメナク一人の企みでスワレには内緒だった。彼等はケツァル少佐とステファン大尉の親しい友人となったシオドア・ハーストとアリアナ・オズボーンの家を襲撃した。高齢者と言えども”ヴェルデ・シエロ”だ。普通の人間の特殊部隊など赤子と同じだった。警護のシャベス軍曹はあっさり”操心”にかかった。シオドアが留守だったので、アリアナを攫った。
バスルームの鏡に暗がりの神殿の呪い文を書いたのは、地下の神殿がマナの子供を殺す絶好の場所だと思ったからだ。メナクもスワレも、その神殿の奥にある本当の聖地をその時点で知らなかった。
 オルガ・グランデの鉱山へは空間通路を使った。スワレがブーカ族だったので、これは簡単だった。だが高齢のスワレの体は、”ヴェルデ・ティエラ”を2人運ぶことでかなり消耗してしまった。暗闇の空間で彼等は獲物が来るのを待ち続けた。そのうちに彼等は面白いことを知った。”操心”にかけられていても人間は日常の会話や生活が出来る。攫われてきた2人の男女は暗闇の恐怖の中でも励まし合っていた。その内容からスワレはアリアナがステファンを好いていることを知った。だから”操心”をかけた。カルロ・ステファンに出会ったら彼の心臓を刺す、と言うものだった。そして遂にシュカワラスキ・マナの子供達が坑道へやって来た。
 スワレはアリアナを解放した。彼女は夢見心地で暗闇を歩いて行った。やがて彼等はロホの叫び声を耳にした。

「カルロ・ステファンが死んだ! シュカワラスキ・マナの息子が殺されたぞ!」

 長年の怨念が晴らされた。スワレは感激した。感激して、興奮して、彼の魂は消えて行った。
 メナクはスワレの死を感じ、慌てた。しかし幸いなことにメナク自身は消えなかった。スワレの肉体が遂に彼一人のものになったのだ。但し、老いさらばえ、ポンコツになった肉体だった。メナクはケツァル少佐の肉体を手に入れるべく、神殿に近づいたが、様子が変だと気がついた。
 神殿はロホの結界で守られており、近づくことすら出来なかった。そして殺された筈のカルロ・ステファンが生きて動き回っていた。倒れていたのは、ケツァル少佐の方だった。ステファンと白人のシオドアが彼女の手当てに奔走していた。
 スワレは失敗したのだ。ブーカの若造に欺かれ、メナクの大事な新しい肉体を傷つけられたのだ。怒りに駆られたが、メナクはそこで純血のグラダの恐るべき能力を目の当たりにすることとなった。心臓を刺されたシータ・ケツァルは死んでおらず、自らの力で治療に専念していた。そして半分グラダの腹違いの弟が姉の心臓から刃物を少しずつ引き抜く繊細な技に挑戦していた。メナクは彼等の能力に賭けることにした。新しい肉体を手に入れる為に、しかもそれは彼が愛したウナガンとよく似た女だった。
 メナクは一旦隠れていた坑道に戻った。シャベス軍曹に新しい”操心”をかけた。誰かがシャベスの名を呼んだら、そいつを撃つ、と言う簡単なものだ。”操心”の上の”操心”の上書きだ。それが限界だった。
 敵が疲弊するのを待っていると、かなり長い時間が経った。大統領警護隊は優秀な軍人達だ。疲れても一度に全員が休憩することはなかったし、結界は張られたままだった。最初にブーカの若造を始末するべきかと迷っていると、ケツァル少佐が復活してしまった。手負であるにも関わらず、彼女はロホを休ませ、仲間にも気づかれぬうちに結界を張った。
 メナクは自分達がとんでもない者を相手にしているのだと気が付き始めた。純血種のグラダは彼の様な混血には決して追いつけない途方もなく大きな力を持っているのだ。メナクは作戦を変えるべきか、続行すべきかと迷った。迷っているうちに、大統領警護隊は2手に分かれた。ロホと”操心”が解けて少佐の手当てに活躍したアリアナが救援要請と報告の為に神殿から出た。メナクには、彼等をもう一度襲って捕虜を得る余力も、ブーカ族の若者と戦って勝つ気力もあまり残っていなかった。メナクは彼等を見逃した。長老会がこの場所へ来る迄に、女を手に入れることが先決だと思ったのだ。
 ケツァル少佐はステファン大尉とシオドアを連れて神殿の奥へと歩き始めた。何処へ行くのか、メナクには見当がつかなかった。

星の鯨  10

  カタリナ・ステファンは3人目の子供を産んだ。今度は男の子だった。シュカワラスキ・マナは息子にカルロと名を付けた。白人の名前を名乗らせ、己とは違う人生を生きて欲しかったのだろう。彼の義父はカルロの能力を封じることを禁じた。勿論未熟なシュカワラスキの技から孫を守る為だ。シュカワラスキも義父に従った。
 だがその直後に、グラダ・シティで大きな事件が起きた。ママコナが逝去したのだ。大巫女の逝去はセルバの全ての”ヴェルデ・シエロ”に文字通り電光石火の速さで伝わり、シュカワラスキとその家族にも届いた。反抗して逃げ出したものの、ママコナはシュカワラスキにとって育ての親だ。彼女の死にシュカワラスキは悲嘆し激しく動揺した。その隙を突かれて結界が破られた。”砂の民”達がオルガ・グランデに雪崩れ込んで来た。
 シュカワラスキは地下の坑道の迷路に逃げ込んだ。追跡者達は暗闇の中で彼と戦わねばならなかった。闇でも目が見える”ヴェルデ・シエロ”だが地の利はシュカワラスキの方にあった。彼は2年間地下で戦った。地上の”ヴェルデ・ティエラ”に影響を与えてはならない。それは古代から神として崇められてきた”ヴェルデ・シエロ”にとって何にも変えられぬ掟だった。
 妻のカタリナと息子のカルロは”砂の民”のムリリョに匿われていた。ムリリョはシュカワラスキの2番目の娘を病魔から救えなかったことが心に残っていた。父親の裁量に任せて赤ん坊を死なせてしまったことを後悔していたのだ。彼はカタリナの父親に協力を求めた。カタリナの子供達を守って欲しいと。
 カタリナは勇敢な女性だった。彼女はムリリョや父親の目を盗み、廃屋の井戸からこっそり地下に降りて夫を援助した。1年半近くそれは続いたが、やがてムリリョに知られた。4人目の子を身篭ってしまったのだ。カタリナはムリリョに夫の助命嘆願をした。当時ママコナはまだ2歳だった。カルロと同じ年に、先代ママコナ逝去の直後に生まれたカイナ族の女の子だ。罪人の裁定が出来る筈がなかった。だから、ムリリョはカタリナが使っていた井戸を降りて、シュカワラスキ・マナと面会した。彼は長老会に投降してひたすら助命嘆願せよと忠告した。息子と次に生まれてくる子供の為に生きることだけ考えよと訴えた。
 翌日、シュカワラスキ・マナは投降した。家族に手を出さぬと言う条件のみで、”砂の民”の頭目に捕縛された。投降した者を殺すことは許されない。直接能力を使って死なせることは掟に反するからだ。”砂の民”達は、長老会の裁きをマナに受けさせることにした。少なくとも、公平な裁判の場を与えてやろうと話がまとまった。護送にはブーカ族の能力が必要だった。空間の通路を使わなければ、マナの様な能力の人間をグラダ・シティ迄連行することは不可能だったからだ。 
 グラダ・シティから派遣されて来たのは、トゥパル・スワレだった。誰も彼がニシト・メナクの魂を宿しているとは気づかなかった。そしてトゥパルはエルネンツォを殺した時の記憶がなかった。殺人を犯した時、彼の意識はニシトに抑え込まれていたからだ。彼はシュカワラスキが兄の仇だと信じて疑わなかった。
 気を抑制する麻薬で意識朦朧となったシュカワラスキ・マナはトゥパル・スワレの先導で空間通路に入った。そしてピラミッドの神殿に出た時、彼は既に息をしていなかった。

********************

 マハルダ・デネロス少尉の目に涙が浮かんだ。

「シュカワラスキ・マナが可哀想・・・カタリナが可哀想・・・」

 彼女の隣に座っていたアリアナがそっと彼女の肩に手をかけた。

********************

 事件は「オルガ・グランデの汚点」と呼ばれ、当時の”ヴェルデ・シエロ”の大人達は語るのも憚られる昔話として封印した。だから若者達はほんの20年前にそんな出来事があったことを知らない。
 その20年間に、シータ・ケツァルはミゲール家の娘として成長し、自ら希望してセルバ陸軍に入隊し、大統領警護隊に採用された。純血のグラダ族であることは、長老会から司令官エステベス大佐に知らされていたが、彼女自身の能力の高さと強さで直ぐに警護隊全体にその血が何者なのか知られることになった。ウナガン・ケツァルは死ぬ間際に罪を許されていたので、シータを罪人の子と見る者はいなかった。それよりも純血のグラダの威力への畏怖の方が勝っていたのだ。彼女は警護隊の中で一目置かれる存在になった。
 一方、カルロ・ステファンは父親を失い、父親の死後に生まれた妹グラシエラと母親と貧民街で暮らしていた。祖父はグラシエラの能力を封じ込め、”心話”以外は使えなくした。彼は一家を支えて鉱夫を続けたが、カルロが5歳になる頃に亡くなった。生きるためにカルロ・ステファンはなんでもやった。子供に出来ることと言えばケチな窃盗やかっぱらい、置き引き、掏摸、詐欺まがいの行為ぐらいで、一人前のワルに育っていった。15歳になる頃に彼は偶然一人の軍人の財布を狙ってとっ捕まった。その軍人は”ヴェルデ・シエロ”だった。彼は掏摸が”出来損ない”だと知ると、こう言ったのだ。

「こんなことをしていると早死にする。同じ早死にするなら軍隊に入れ。給料をもらえるし、死ねば遺族に恩給が出る。」

 カルロ・ステファンは入隊し、成績が良かったので士官学校に入れてもらえた。そして大統領警護隊に採用されたのだ。そこでロホことアルフォンソ・マルティネスと知り合った。
 人類学者のムリリョが遺跡荒らしに頭を抱え、大統領警護隊に先祖の宝を守れと訴えた時、エステベス大佐は文化保護担当部の設立を考えた。指揮官にケツァル少佐を選んだのは偶然だった。女性隊員の多くは外交官や政府高官に付いて警護する護衛官になる。或いはそれらの役職に就いたり、省庁で事務官になる。だがケツァルは野外で走り回るのが好きな将校だった。ジャングルや砂漠の遺跡を守らせるのに打って付けだと大佐は考えた。
 新規開設部署の指揮官に任命するから部下を自由に選べ、と言われたケツァル少佐は後輩達の中から2人の男性少尉を選んだ。ステファンとマルティネスだ。動と静、荒削りと繊細、貧民街出身とブーカ族の名家の御曹司、面白い取り合わせで、その2人は仲が良かったのだ。しかもステファンは半分以上グラダだった。勇敢で運動能力は抜群だ。”ヴェルデ・シエロ”としての能力の使い方を知らない”出来損ない”だが、なんでも上手く出来る優等生のマルティネスと一緒にさせれば学ぶことも出来ると彼女は考えた。そして遺跡では祀られ方が悪くて悪霊と化した神様を鎮めるのにマルティネスの才能が絶対に必要でもあった。
 大統領警護隊文化保護担当部が活動を軌道に乗せると、長老会にも噂が届いた。ウナガン・ケツァルとシュカワラスキ・マナの娘が、グラダの血を引く男を部下として使っていると。長老達は聞き流したが、2人だけ、気にした男がいた。歳を取って長老となったトゥパル・スワレと彼に宿るニシト・メナクだ。シュカワラスキの子供達が何時真相を知るか、気が気でなかったであろう。
 そんな時に事件が起きた。シオドア・ハーストが”曙のピラミッド”に近づいてしまったのだ。ママコナの結界を破った男の存在を聞いて、スワレ=メナクはステファンかと不安になったのだ。ところが、シオドアをママコナの好奇心から守る為に、ケツァル少佐が彼をオクタカス遺跡に隠してしまった。スワレ=メナクはシオドアを観察する為に配下の陸軍兵士をオクタカス遺跡の警備隊に送り込んだ。そこで配下の兵士は、既にオクタカス遺跡で警備の役に就いていたステファン中尉を見つけてしまった。報告を聞いたスワレ=メナクは慌てた。彼等はそれまでシュカワラスキの息子が己の近くで大統領警護隊として働いていたなどと夢にも思わなかったのだ。彼は警備兵の配下に命じて”風の刃の審判”を用いてシュカワラスキの息子の能力の大きさを試させた。そして防御本能しか使えない”出来損ない”だと断じて、放置することにした。”出来損ない”なら何時でも殺せるとたかを括ったのだ。

 

星の鯨  9

  シュカワラスキ・マナは長老会が彼の娘を他人に与えてしまったことを知らされなかった。彼はウナガンの忘れ形見を養育したいと望み、子供を渡してくれと長老会に要求した。しかし彼の要求は誤解された。イェンテ・グラダ村では、純血種を生み出す為に古代の風習を取り入れ、男が妻以外の女性に産ませた自身の娘と婚姻することが平然と行われていたのだ。シュカワラスキは要求を拒絶されると、愛する女性を失った悲しみで自棄を起こした。大神官になる為の勉学を全て放棄して、グラダ・シティを逃げ出してしまったのだ。
 愛する妻を失い、同志と頼みにしていたシュカワラスキに逃げられてしまったニシト・メナクは絶望した。彼は自殺を図ったのだが、その時、彼と親しかったブーカ族のトゥパル・スワレに発見されてしまった。トゥパルはかねてからグラダ族の巨大な能力に羨望を抱いていた。ニシトの権力を手に入れて一族へ復讐しようと言う考えと、グラダ族の能力があれば権力を欲しいままに出来ると言うトゥパルの欲望が、その瞬間にマッチしてしまったのだ。ニシトは己の肉体を棄て、トゥパルの肉体に入った。一人の肉体に2人の心が同居したのだ。
 ニシト・メナクは自害したとされ、その体は一般のセルバ人と同じ墓地に葬られた。ニシト=トゥパルはそれから暫く一族を欺いて大人しく暮らしていた。
 一方、グラダ・シティを逃げ出したシュカワラスキ・マナは流れ流れてセルバ共和国第2の都市オルガ・グランデの鉱山町に辿り着いた。そこで偶然にも、或いは運命的な出会いがあった。彼は、イェンテ・グラダ村が殺戮に遭う2、3年前に村から鉱山町へ出稼ぎに出ていた男達と知り合ったのだ。男達は故郷の村が消えてしまったことを知っていたが、その理由を知らなかった。故郷喪失を悲しみながらも、新しい生活を守る為に、普通の市民として生きていたのだ。シュカワラスキは彼等と同じ鉱夫になり、鉱山で金鉱石を掘って働いた。そして同郷の男の一人の家族と親しくなった。彼女の名前はカタリナ・ステファン、母親は白人と”ヴェルデ・ティエラ”先住民のハーフだった。4分の1白人、4分の1”ヴェルデ・ティエラ”先住民、そして残りは割合が不明だが、グラダ族の血を含む”ヴェルデ・シエロ”の女性だ。カタリナの父親は娘が普通の人間として生きていけるよう、彼女が赤ん坊の時に能力を封印していた。だからカタリナは”心話”しか使えなかった。それでもシュカワラスキと心を通じ合わせるのに十分だった。
 シュカワラスキとカタリナは町の小さなカトリック教会で結婚式を挙げた。”ヴェルデ・シエロ”でもカトリック教徒はいるが大神官になる筈だった男が異教の神の前で愛の誓いをしたのだ。

***************

デネロス少尉とアスルが思わずステファン大尉とケツァル少佐を見比べた。シオドアは彼等の心の中が読める気がした。

 まさか、この2人は姉弟だったの?
 大尉は姉君に恋心を抱いているのか?

少佐と大尉は互いにチラリと目を交わし、肩をすくめ合った。

***************

 グラダ・シティからはシュカワラスキ・マナ捕縛の命令が出されていた。大神官の修行を貫徹させずに逃げ出した純血のグラダが暴走した時、どれだけ危険か、長老会が危惧したのだ。他にグラダ族に匹敵する能力の人間はいない。彼等はシュカワラスキの逃亡から2年目に彼をオルガ・グランデで見つけた。
 ブーカ族のエルネンツォ・スワレが彼の説得に当たった。エルネンツォはブーカの名家の当主で”砂の民”だった。もしマナが一族に災厄を招く様な行動を取れば即殺害する覚悟で説得に臨んだ。純血のグラダと戦えば生きて帰れぬかも知れぬ危険を承知で役目を引き受けた。
 シュカワラスキは拒否した。彼は家族を得て、初めて人並みの幸福を知ったのだ。しかし長老会は彼の我儘を許さなかった。そこでエルネンツォは彼に子供を寄越せと迫った。マナの子供は確実に半分グラダだ。それ以上の可能性もあった。教育次第で男の子なら大神官になれるかも知れない、女の子なら次代のママコナを産めるかも知れない。当然ながらシュカワラスキはそれも拒否した。彼の最初の子供は女の子だった。彼は義父を真似て娘の能力を封印しようと試みたが、中途半端で修行を投げ出した彼には難し過ぎた。娘は死んでしまった。
 我が子を死なせてしまったシュカワラスキはショックを受け、オルガ・グランデを自らの結界に取り込んでしまった。”ヴェルデ・ティエラ”には無意味な結界だが、”ヴェルデ・シエロ”は出入りが出来なくなった。エルネンツォ・スワレは結界を下げさせる為に、シュカワラスキの2番目の娘を人質に取ろうとした。当時、オルガ・グランデの街に結界で閉じ込められた”ヴェルデ・シエロ”の中に、ファルゴ・デ・ムリリョがいた。考古学者だが、裏の顔は”砂の民”だ。彼は同僚であるエルネンツォの意を汲み、シュカワラスキの子供を拐いに行ったのだが、赤ん坊が麻疹に罹っていることを知った。直ちに医師に診せるようシュカワラスキに進言したが、父親は子供を人質に取られることを恐れ、拒否した。赤ん坊は死んでしまった。
 2人も続けて我が子を失ったシュカワラスキは当然ながら怒り心頭に発した。彼とエルネンツォ・スワレは激しく戦った。彼の妻カタリナ・ステファンは夫に投降してくれと懇願した。生きていれば必ずまた会える、彼に死んで欲しくないと訴えたのだ。しかしシュカワラスキの怒りは抑えられなかった。
 赤ん坊の死から13日目に、エルネンツォ・スワレの遺体が発見された。全身の骨を打ち砕かれていた。そんなことが出来るのは”ヴェルデ・シエロ”だけだ。当然シュカワラスキが疑われた。超能力で人間を殺害するのは大罪だ。長老会は全ての”ヴェルデ・シエロ”にシュカワラスキ・マナの捕縛を生死問わずで発令した。
 しかし、これは先日の調査会で判明したことだが、エルネンツォ・スワレを殺害したのは、弟のトゥパル・スワレに宿っていたニシト・メナクだったのだ。彼等は空間通路を使い、シュカワラスキの結界の隙間である地下の坑道を利用してグラダ・シティとオルガ・グランデを何度も往復していた。トゥパルにとっては兄の援助だったが、その言動に弟と異なるものを感じたエルネンツォにニシトの魂の存在を見破られてしまったので、殺害したのだ。誰もその事実に気が付かなかった。トゥパル自身も、兄を殺害したのはシュカワラスキだと思い込んだ。殺害時、彼の意識はメナクに抑え込まれていたのだ。ニシト=トゥパルはシュカワラスキに更に罪を被せる為に仲間を4人次々と騙し討ちで殺していった。地下水路を利用してオルガ・シティを脱出したムリリョや他の”ヴェルデ・シエロ”は真相を知る由もない。シュカワラスキ・マナは大罪人の汚名を着せられることになった。

星の鯨  8

  全ては遠い過去に始まった。
 出生率の低下で部族としての勢いを失ったグラダ族は歴史から消えて行き、その血を受け継いだ一部の者が集まってグラダ族の復権を企み、血を濃くする試みを始めた。しかし混血のグラダ達は気の制御が上手く出来ず、指導者もいなかった。試みは中央のママコナに秘密で行われていたからだ。他部族にも内緒で行われていた純血種への回帰は、彼等を狂気へと駆り立て、麻薬に頼るようになった。彼等イェンテ・グラダ村の存在が中央の長老会に知れたのは、その狂気が周囲の”ヴェルデ・ティエラ”に知られたからだ。既に時代は20世紀も終盤にかかっていた。ママコナと長老会は”ヴェルデ・シエロ”全体の安全を守ることを第一と考え、イェンテ・グラダ村をこの地上から抹消した。
 イェンテ・グラダ村の生き残りは幼過ぎて殺戮から免れた3人の子供だけだった。半分グラダのウナガン・ケツァルとニシト・メナク、そして大人達の念願だった純血種のシュカワラスキ・マナだ。彼等はそれぞれブーカ族の家庭で養育されたが、最年長のニシトは両親を殺された時の記憶があった。彼は成長するに従い、密かにウナガンとシュカワラスキにその事実を伝えたが、彼は親達が殺された本当の理由を知らなかった。生き残った子供達は、ただ一族への恨みを募らせて行っただけだった。
 ウナガンはママコナの神殿で働く女官となった。そして純血種故に大神官となるべく教育を受けている最中だったシュカワラスキに子供の父親になることを頼んだ。彼女はニシトと愛し合って結婚していたのだが、子供の父親は純血種が生まれる確率の高いシュカワラスキを選択したのだ。これはニシトも合意の上だった。ニシトは親を殺された恨みと、一族が混血のグラダである彼を無視して純血種のシュカワラスキだけを大切にしていると思い込み、一族への憎しみしか抱いていなかったのだ。ウナガンの権勢への欲望とニシトの一族への怨恨が手を結んだ。
 シュカワラスキは単純にウナガンを愛していた。だから彼は喜んで彼女の提案を受け入れ、子作りに協力した。彼が大神官になれば、ニシトも側近として権力を得られる筈だった。しかし、ウナガンは欲を出した。生まれてくる子供が女の子であったなら、ママコナにしようと考えたのだ。その為には当代のママコナが子供が産まれる前に死ななければならない。ウナガンは臨月になると、ママコナの暗殺を図った。しかし、ママコナの食事に毒を盛ろうとした彼女の手は突然動かなくなり、彼女はパニックに陥った。女官達に制圧された彼女は、企みを白状させられ、投獄された。
 ママコナは、ウナガンの腹の中の子供が、母親の悪意を感じて止めたのだろうと言った。ウナガンはそれを信じなかった。ママコナが彼女の子供を誑かし、彼女を罪に陥れようとしたのだと主張した。ママコナはそこで初めてイェンテ・グラダ村の生き残りの3人が心の闇を抱えていたことを知った。偉大なる巫女はウナガンの胎内の子供に語りかけ、子供が母親の毒気に侵されぬよう守り続けた。
 ウナガンが失敗して捕らえられたことを知ったニシト・メナクは妻を返せと長老会に訴えた。ウナガンの心の闇の原因が彼であることを知った長老会は彼の要求を退けた。ニシトはシュカワラスキにウナガンを救い出すよう求めたが、シュカワラスキは一族に逆らうことを良しとしなかった。その間に牢獄のウナガンは衰弱していった。企みが失敗した上に自身が愚かにも夫の怨恨に引き込まれたことを、ママコナとの連日の対話でようやく理解したのだ。激しい後悔と自責の念が彼女を弱らせていった。ママコナと女官達は彼女を救おうと尽力したが、彼女自身が死を受け入れたのだ。彼女は最後に一族への貢献として純血種の子供を産み落とした。シュカワラスキ・マナの娘だ。ママコナはウナガンに子供に名を与える栄誉を与えた。免罪だった。赤ん坊に最初で最後の乳を与えて名前を付けたウナガンは、安らかにこの世を去った。
 ウナガンの死を、2人の幼馴染で彼女を愛した男達は素直に受け入れることが出来なかった。彼女の夫として名目上の子供の父親になる筈のニシトは、子供を受け入れることが出来なかった。母親を胎内で裏切った子供だと罵り、養育を拒否した。長老会も彼に子供を託す訳にいかぬと判断した。子供の命を守る為に誰に育てさせるのが最善かと考えていると、ママコナが提案した。最も一族から遠い場所にいる一族に与えよう、と。子供は政治から遠ざけて育て、成長した暁にその将来の選択は誰も干渉してはならぬ、と。つまり・・・

「普通の子供として育つ様に」

とママコナは決定を下した。長老会は、ウナガンが産んだ赤ん坊を、白人の血が濃いサスコシ族のメスティーソ、フェルナンド・ファン・ミゲールとスペイン人の妻マリア・アルダ・ミゲール夫妻に与えた。シータ・ケツァルと言う本名以外の子供の身元に関する情報を一切与えずに。 

***********

「少佐は普通の子供じゃないですよ。」

とマハルダ・デネロス少尉がお茶を飲みながら言った。

「凄いお金持ちのお嬢様ですもの。」

 大統領警護隊文化保護担当部の隊員達とシオドア・ハースト、アリアナ・オズボーンはケツァル少佐のアパートに集合して、今回の事件の顛末を少佐とステファン大尉とロホから聞かされていた。少佐達もあの迷路の様な坑道から救出されて長老会と大統領警護隊本部の合同調査会で知ったことを話しているのだ。最初は若い2人の少尉に何も教えないでおこうと彼等は思っていたのだが、”心話”でいつかぽろりと伝わってしまうかも知れない。それでは部下に上官に対する不信感が生じるのではないか、とシオドアが言ったのだ。シオドア自身も事件の整理がまだついていなかったし、アリアナも誘拐されたので巻き込まれた理由を知る権利があった。
 しかし、最初の部下からのコメントが、マハルダのちょっとズレた感想だった。話の腰を折られて、アスルが不満げにデネロスに注意した。

「話の展開にそんなことは問題じゃない。つまらんことに口を出すな。」

 デネロスがペロッと舌を出した。

「すみません・・・続けて下さい。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...