2021/09/09

第2部 ゲンテデマ  3

  テオは自宅のベッドで心地良い昼寝から覚めた。体を起こそうとすると体に掛けた薄手のブランケットが重たくて動けなかった。このパターンは何時ぞやも・・・一瞬期待して首を曲げて見ると、若い男がベッドの縁に座っていた。ちょっとがっかりして、少し驚いた。

「アスル! 何故ここに? 少佐の遣いか?」

 アスルが立ち上がったので、起きることが出来た。アスルは迷彩柄のパンツにベージュのTシャツ、いつもの勤務中の服装だった。

「雨が降って来たので、雨宿りしていた。」

と何時も愛想のない男が呟いた。それなら居間で良いだろうと思った。客間でも良いのだ。アスルは時々ふらりとやって来て、勝手に泊まって行く。テオを嫌っている様に見えて、本当は愛しているのだと以前ロホにからかわれたことがあった。恋愛感情はないだろうが、憎まれていないとテオは思っている。アスルは「通い猫」のジャガーなのだ。定住する家を持たないので、住所不定では昇級させられないと大統領警護隊の本部から再三注意を受けているのだが、本人は気にしていない。

「君の部屋で休めば良いのに。」

 テオが言う「君の部屋」はアスルが普段勝手に宿泊する時に使用する客間だ。しかしアスルは顔を顰めて言った。

「カベサ・ロハ(赤い頭)がいる。」

 そう言えばアンドレ・ギャラガを客間に入れてやったのだ。ギャラガはアスルの1年下の少尉仲間だが、仲が良いと言えなかった。どちらかと言えば、ギャラガは虐められっ子で、アスルは虐める方だ。対マンで闘えば勝つ自信があっても、喧嘩する理由がなければ衝突を避ける。アスルのルールだ。
 テオがコーヒーを淹れると言うと、彼は素直に彼について居間に入った。

「もう少佐への報告は終わったのかい?」
「ノ。」

 テオがキッチンで作業する間、彼は手脚を伸ばしてストレッチしていた。

「今日は大学へ行って、内務省へ行って、建設省へ行って、地質学院へ行った。」
「遺跡の調査じゃなかったのか?」
「初めは遺跡の調査だった。」

 コーヒーの芳しい香りが漂うと、彼の表情が緩んだ。

「俺の好きなグアテマラだ!」
「俺も好きだから、最近はこれしか買わないんだ。」

 物音がして、2人が振り返ると、客間の戸口にギャラガが立っていた。コーヒーの香りで目覚めたのだ。アスルが「チッ」と舌打ちして、テオは微笑んで手招きした。

「君もコーヒーを飲めよ。これからアスルが調査報告をしてくれる。」
「そんなことを言った覚えはない。」

 と言いつつも、アスルはギャラガが席に着くのを待っている間、コーヒーに手を付けなかった。2人の少尉は挨拶も敬礼もしなかった。それぞれ砂糖やミルクで好みの味にコーヒーを調整して、それからテオがアスルを見た。

「ラス・ラグナス遺跡とは、どんな処なんだ?」
「考古学部にも史学部にも資料がなかった。全くのノーマークの遺跡だ。」
「しかし、セルバ国立民族博物館の地図には記載されている。」

 ギャラガはうっかり先輩が話している最中に口を挟んでしまった。アスルは彼を無視した。

「宗教学部へ行って、あの地方の伝承や神話に何か手がかりがないか調べた。何もなかった。」

 ウリベ教授の研究室に行ったのだろう。

「内務省へ行って、近くのサン・ホアン村の登録を調べた。あの村は植民地支配が始まった16世紀の記録にはなかった。最初の記載は17世紀中盤だ。税金を取る為に国土調査が行われたんだ。当時の地図を見ると、今より少し北寄りにあった。沼の辺りにあったんだ。」
「ラス・ラグナスは、サン・ホアン村だったのか?」
「そう考えて良さそうだ。村の移転の記録は資料整理が滅茶苦茶で、独立当時の物は田舎の村が大概同じことをしたが、植民地の支配者側が資料を焼いてしまって損失している。兎に角、19世紀の独立以降は今の位置に村がある。」
「村が移転したのは、沼が干上がったせいだろうか?」
「建設省へ行ってみたが、村の引っ越しに関する資料はなかった。そこで働いている知人が地質学院へ行けと言ってくれたので、行った。」

 セルバ国立地質学院は、ティティオワ山の火山活動の監視と西部海岸地方の砂漠化の調査、国土の地質調査、地図作成などをしている。地図作成は本来建設省が受け持っていそうなのだが、セルバ共和国では地質学院の仕事だった。

「オルガ・グランデから北は人口が極端に少ない。金の埋蔵量も期待出来ないので、白人は興味を持たなかった。それに、あの周辺は地揺れが多い。」
「地揺れ? 地震か?」
「スィ。昔のサン・ホアン村があった沼は17世紀から18世紀初頭にかけて頻発した小規模の地震で消滅したと考えられている。水源が絶えたのだろう。」
「現代のサン・ホアン村の井戸は涸れ掛けている。」

 ギャラガはつい再度口を挟んでしまった。アスルが初めて彼をジロリと見た。

「井戸を見たか?」

 ギャラガは彼の目を見た。”心話”で覗き見した井戸のビジョンを伝えた。アスルが微かに眉を上げた。なんだ、”心話”を使えるじゃん、と言う表情だ。彼は視線をテオに戻した。

「あの付近は、最近また小規模な群発地震が発生している。人が感じるか感じないかの微細な揺れらしいが、地質学院が設置した地震計にははっきり揺れが計測されているそうだ。恐らく地下の水流が変わってしまい、村の井戸に水が届かないのだ。」

 それはどんなに神様に祈っても効き目がない筈だ。村を救おうと遺跡の神像へ祈りに行き、遺跡荒らしを知って、オルガ・グランデに救いの手を求めて出て行ったフェリペ・ラモスの不運を、テオは哀れに思った。神と頼んだ”ヴェルデ・シエロ”が当の遺跡荒らしで、彼は殺されてしまったのだ。
 アスルがコーヒーを飲み干して立ち上がった。

「雨が止んだから、オフィスへ帰る。」
「少佐にさっきと同じことを報告するんだろ? 二度手間をかけさせて済まなかった。」
「どうせ、先に少佐に報告しても後であんたに教えなきゃならない。後先の違いだ。」

 彼はさよならも言わずに出て行った。ギャラガはぽかんとして彼の後ろ姿を見送った。
 テオが時計を見た。

「まだ夕食には早いが、俺達もゆっくり文化・教育省へ行こう。また歩く気力はあるか?」
「大丈夫です。」

 

 

2021/09/08

第2部 ゲンテデマ  2

  4階のオフィスに上がると、大統領警護隊文化保護担当部の場所にはロホ1人だけがいて、書類を眺めていた。ケツァル少佐とステファン大尉がカウンターの内側に入ると、昼休みでも出かけずに残っていた職員達が立ち上がった。大尉は忽ち古巣の職員達に取り囲まれた。
 少佐は彼をほっぽって己の机へ行った。ロホが立ち上がって机の前に来た。すぐに目と目で報告が交わされた。

ーーコンドルは高山地帯に住む鳥です。セルバにコンドルを神とする風習はありません。しかし、コンドルの神像を祀る部族がいた訳ですから、南から北上して来た外来種族の遺跡と考えられます。
ーーコンドルは天空の神の使者でしょう?
ーースィ。ですから、ラス・ラグナスを造った部族は神として祀っていたのではなく、神の使者として崇拝していたのでしょう。地上の者の願いを天空の神へ伝えてもらう為に祀っていたのだと思われます。
ーーでは、そのコンドルの像から目玉を奪う意味は何ですか?
ーーコンドルは天空から地上を見ます。その目を使う呪術ですから、何かを探していたのではありませんか?
ーー探す?

 少佐は考えた。

ーー目玉泥棒と思われるグワマナ族の男達が粘土人形を用いた呪いの儀式を行っていた形跡がありました。彼等は呪う相手を探して、コンドルの目玉を使ったのではありませんか?
ーー考えられます。
ーー彼等はカルロのジャガーの心臓を生贄に望んだそうです。
ーー心臓はコンドルへの礼でしょう。しかしカルロから心臓を取れなかった・・・
ーー年嵩のシャーマンが心臓を欲し、若い男がカルロは”出来損ない”だからナワルを使えないと言って止めたそうです。
ーーグワマナ族のシャーマンならカルロがナワルを使えるか使えないか判別出来るでしょう。若い男がシャーマンの弟子なら、判別出来る筈です。そいつはカルロを庇ったのです。
ーー生贄を得られなかったとすると、彼等はまだ標的を見つけていないのでしょう。
ーーテオの街で見つかった死体が、彼等の犠牲者だとすると、また殺るかも知れません。

 ステファンが職員達の歓迎から解放されて彼等のところへ来たので、少佐とロホの無言の会話は中断した。少佐がロホに言った。

「大尉に報告しなさい。彼の任務です。」
「承知しました。」

 ロホはステファンの目を見た。ステファンが憮然として呟いた。

「私の心臓はコンドルの餌か?」

 ロホが苦笑した。

「怒るなよ。多分、目玉の石を取り戻して元の場所に嵌め込めば、”節穴”の問題は解決すると思う。」

 

第2部 ゲンテデマ  1

  テオとギャラガをシエスタで休ませるためにテオの家に届けた少佐は、夕方連絡を入れると言って、ステファン大尉を連れて再び車を走らせた。大尉は静かに助手席に座っていたが、車が文化・教育省の方向ではなく住宅地をそのまま走るので、行き先に見当がついた。

「止して下さい、まだ帰りたくありません。」

 思わず抵抗すると、少佐はキッパリと言った。

「一言挨拶するだけで良いから、カタリナに会って行きなさい。さもないとここで放り出しますよ。」

 養母がセルバ共和国に帰ってくる時は必ず休みを取って実家に帰る上官がそう言うので、ステファンは仕方なく口を閉じた。テオの家がある地区は集合住宅が多いが、ステファン大尉が母親の為に買った家は戸建て住宅が多い地区だった。決して裕福な層ではないが、少し経済的に余裕のある人の住居地だ。スラムで生まれ育った母親が生活に慣れないうちに本隊に召喚されてしまった大尉が、母親に申し訳なく思っていたのは確かだった。
 家の前に駐車すると、少佐は首を振って彼に降りろと無言で命じた。ステファン大尉は一呼吸置いて、車外に出た。そして足早に家の中へ入っていった。狭い庭に野菜が植えられていた。洗濯物がロープに吊るされている。典型的なセルバ共和国の庶民の生活ぶりだ。大尉が本隊に去ってしまった後、少佐は暫く休日毎にこの家に通い、カタリナ・ステファンを外へ連れ出した。近所のメルカド(マーケット)へ行き、買い物をしながら近所の女性達とカタリナの顔繋ぎをした。早く友達を作って地区に馴染ませたかったのだ。異母妹のグラシエラはすぐに友人が出来て、大学でも楽しく過ごしている様だ。仕事を持たないカタリナには近所付き合いが重要だった。
 10分ほどして、早くもステファンが家から出て来た。後ろを振り返りもせず、足早に車に戻って助手席に乗り込んだ。

「行きましょう。」

と言うので、少佐は外を見た。窓からカタリナがこちらを見ていたので、彼女は敬礼して見せた。カタリナが手を振ってくれた。
 車を走らせてから、彼女が彼に「もう少しゆっくりすれば良いのに」と言うと、彼は抗議した。

「まだ任務遂行中です。それに長居すると頭の傷を見られてしまいます。」

 少佐は思わず笑った。ステファンは母親に心配をかけたくないのだ。

「母が貴女に感謝していました。貴女に連れて行っていただいたメルカドで知り合った女性グループに参加して織物クラブで機織りしているそうです。さっきも織り上げた布を検品している最中でした。」
「民芸品として売れますから、お小遣い稼ぎにもちょうど良い趣味ですよ。」
「その様です。それから・・・」

 少し大尉は躊躇った。

「もしクリスマスにミゲール夫妻がお許し下さるなら少佐をステファン家のクリスマスに招待したいと言ったので、少佐はミゲール家を大事に思っておられるのでそれはないと答えておきました。」

 ケツァル少佐は苦笑した。大統領警護隊にクリスマス休暇はないのだ。ただ警護すべき要人達が休暇に入るので、時間が余る当番には休暇を取る余裕が出てくる。文化保護担当部は文化・教育省がクリスマス休暇に入るので暇になるだけだ。ケツァル少佐はその間、養母が仕事の拠点としているスペインへ毎年行っていた。実を言うと、スペインからスイスへスキーに行くのが彼女の1年に1回の贅沢だった。実家を大事にすると言うより、実家を利用して遊びを優先しているのだが、彼女は黙っていた。
 
「貴方はクリスマス休暇がないと、ちゃんとカタリナに言いましたか?」
「スィ。がっかりさせたくないので、引っ越しの時に言いました。今までオルガ・グランデにも帰らなかったので、それは受け入れてくれました。しかし休みの時は電話ぐらい入れろと叱られました。」
「当然です。」
「テオからも同じことを言われました。」

 ムリリョ博士からも同様のことを言われたのだ。ステファン大尉は少し反省モードになっていた。
 車は文化・教育省の駐車場に入った。ステファンは半年前迄彼の愛車だった中古のビートルが停まっているのを見た。ロホがオフィスに戻っている様だ。



2021/09/07

第2部 地下水路  12

  お昼ご飯は大学のカフェだった。テオもギャラガもステファンも空腹だったが、相変わらずのケツァル少佐の食欲には及ばなかった。テオとギャラガは下水の臭いが微かに残る財布の中身を早く使ってしまいたかったので、少佐の分も支払った。ステファン大尉は財布をラス・ラグナスで置いてきたので文無しだった。当然彼の分も支払った。

「財布を買い換えないとな。」

 テオはテーブルに着くとそう言った。ギャラガは一つしか持っていない財布を眺め、溜め息をついた。するとテオが尋ねた。

「誕生日は何時だい? 財布をプレゼントする。」
「それはいけません。」
「否、俺が君を下水に突き落としたも同然だから。誕生日を教えないと言うなら、クリスマスに贈る。」

 それで仕方なく誕生日を告げた。そこへ少佐とステファンが食べ物を持って戻ってきた。食べ始めて間もなく彼女がギャラガに尋ねた。

「ゲンテデマと言う言葉をよく知っていましたね。」

 ギャラガは恥ずかしく思いながら言った。

「休日は1人で海へ出かけて浜辺で過ごすのです。街で遊ぶのに慣れていないし、友達もいないので。通りかかる漁師の会話を聞くともなしに聞いて耳に覚えのある単語だなと思ったのです。」
「泳ぎは得意ですか?」
「多少は・・・」
「よく行く浜辺はどの辺りですか?」
「グラダ・シティの南の方です。」
「ガマナ族を知っていますか?」
「スィ。」

 ギャラガは一瞬”心話”を使おうかと思ったが、テオがいるので言葉に出した。

「グワマナ族のことですね? ”ティエラ”はガマナと発音しますが。」

 テオが驚いて彼を見た。グワマナ族は”ヴェルデ・シエロ”だ。普通他部族は一般人に混ざって暮らしているが、グワマナ族は集団で生活しているのか? それも普通の人間のふりをして? 
 テオの驚きを感じて少佐が彼を見た。

「グワマナは大人しい部族で、現代も昔のしきたりを守って暮らしています。気の力も弱いので周囲に溶け込めるのです。国の南部で漁業や農業をして静かに暮らしていますよ。」
「だが、例の男はガマナ族の疑いがあるんだな?」
「確かめないといけませんが・・・」

 テオは先刻からステファン大尉が大人しいことが気になった。

「カルロ、まだ頭が痛むのか?」
「ノ・・・」

 大尉は物思いから覚めた様な顔をした。

「あの連中が誰を呪っているのだろうと気になったのです。呪いは相手を倒すだけではありません。呪った方も犠牲を強いられます。相手の命を奪うと自分も死ぬのです。」
「え? そうなのか?」

 テオはびっくりした。人を呪わば穴二つ。余程の覚悟がなければ他人を呪うことをしてはいけないのだ。これは神様を怒らせて呪われるのとは次元が違う。

「コンドルの目と人形の呪いは関係があるのかな?」
「同じ人間の仕業なら関係あるのでしょう。」

 少佐がギャラガをチラリと見た。

「でも今日の捜査はここで一旦休みにしましょう。少尉も貴方もシエスタが必要な顔ですよ。」

 確かにテオもギャラガも昨夜から一睡もしていなかった。睡眠だけはたっぷり取ったステファン大尉が申し訳なさそうな顔をした。

 

第2部 地下水路  11

 グラダ大学のメインキャンパスに到着した時、既にお昼前だった。早めに講義が終わった学生や、屋外で教師を囲んで授業をしているグループなど、敷地内は明るく華やかな賑わいを見せていた。ギャラガは生まれて初めて大学と言う場所に来て、緊張した。彼の様な貧しい生まれの人間には遠い世界だと思っていた。しかし周囲を歩き回っている学生達はきちんとした服装の者がいると思えば、ホームレス顔負けの見窄らしい身なりの者もいた。若い人も年寄りもいた。だがくたびれた雰囲気はどこにもなかった。どの人も活き活きとして見えた。
 ギャラガがケツァル少佐に買ってもらった古着は、大学では少しも古く見えなかった。同じようなファッションの人が多かったのだ。だからギャラガは気後せずにテオ達について行った。テオがグラダ大学の先生だと言うのは本当らしい。時たま学生が声をかけて来るのを、彼は「また明日な!」と言ってやり過ごした。
 やがて一行は博物館並みに重厚な石造の建物にやって来た。表示が出ていて、建物の右翼が文学部・言語学・哲学で左翼が考古学部・史学部・宗教学部だった。 建物自体の入り口の上には大きく「人文学」とあった。外観は植民地時代のものだが、中は改装されてかなり近代的だ。入ったところのロビーの突き当たりに本日の講義予定と在室の教授・教官達の名前が掲示されていた。電光掲示板だったので、ギャラガはちょっと驚いた。空港みたいだと思った。テオは考古学部にムリリョ博士の名前がなかったので、内心ホッとした。あの長老は嫌いではないが苦手だ。ケサダ教授は在室だと思ったが、少佐は宗教学部に向かった。
 目的の教授はノエミ・トロ・ウリベと言う女性だった。典型的な古典的セルバ美人で膨よかな体型で肌は艶々だが髪はシルバーだった。少佐がドアをノックすると1分ほどしてからドアを開けた。

「あら! シータ、久しぶり! 元気だった?」

 ケツァル少佐はウリベ教授の太い腕でギュッと抱擁された。少佐が息が詰まりそうな声で挨拶していると、ステファン大尉がこそっとその場を離れようとした。ウリベ教授は見逃さなかった。少佐を解放すると、すぐに「カルロ!」と叫んだ。ステファン大尉が固まり、彼も抱擁された。テオは人文学の建物にいる教授達とはあまり馴染みがなかったが、白人の教官はそれなりに目立つ。ステファンの次は彼だった。万力の様に締め付けられ、ステファンが逃げ出そうとした理由がわかった。

「ドクトル・アルスト、一度はお話したかったですわ!」
「光栄・・・です・・・ウリベ教授・・・」

 多分、誰も紹介も何もしていないのだが、ウリベ教授はお構いなしだ。初対面のギャラガ少尉まで犠牲になった。

「新しい学生かしら? よろしくね!」

 ギャラガは言うべき言葉を失して目を白黒させた。
 熱烈歓迎を受けた4人の訪問者は教授の部屋に招き入れられた。不思議な空間だった。アメリカ大陸南北から集められた土着信仰に使用される人形が所狭しと置かれていた。蝋燭や、祭祀の様子を撮影した写真を貼ったパネルや、書物や薬品の様な物が入った容器がそこかしこに置かれ、整理整頓されているのかいないのかわからない。奥に机と椅子があったが、教授は床に広げられたラグの上に座り込み、少佐も座ったので男達もそれにならった。
 ウリベ教授は”シエロ”なのだろうか”ティエラ”なのだろうか、とテオは様子を伺ったが、判別出来なかった。彼女は純血の先住民だ、それだけわかった。

「今日はお客さんが朝から多いわね。」

と教授がお茶をポットからカップに入れながら言った。

「朝一番にキナが来たわよ。それからアルフォンソ。次はシータとカルロが揃って来たのね。午後はマハルダが来るのかしら?」

 どうやらこの先生は大統領警護隊文化保護担当部の頼れる先生の様だ。少佐はアスル(キナ)もロホ(アルフォンソ)も命令を受けて真っ先にこの教授を頼ったことに、少し苦笑した。彼等がどんなことを聞いたかは尋ねずに、すぐに用件に入った。

「粘土の人形を使う呪術なのですが、鶏の頭とコカの葉っぱを使い、ジャガーの心臓を生贄に要するものは何を目的とするのでしょう?」
「ジャガーの心臓?」

 教授がカップのお茶を啜って、少佐を見た。

「写真ある?」

 少佐は空き家で男達がステファンを見つけた間に撮影した携帯の写真を見せた。それでウリベ教授は”ティエラ”だとテオはわかった。写真を拡大して教授は細部を眺め、やがて首を振って携帯を少佐に返した。

「嫌な図柄ね。儀式を中断してアイテムをかき回しているわ。何が目的かわからない様にしてある。」
「駄目ですか?」
「人殺しよ、それは間違いない。」
「このアイテムで準備は揃ったのでしょうか?」
「この儀式にジャガーは必要ありません。後は標的の持ち物か体の一部、髪の毛や爪を人形に埋め込んで、3日3晩呪文を唱え続ける。勿論、唱えるのはシャーマンでなければ効果はないわ。」
「一般的な儀式ですか?」
「呪いの儀式に一般的も何もないわね。でもこれは・・・」

 もう一度教授は少佐の携帯を受け取り、写真を拡大して隅々をじっくり再見した。そしてテーブルの角を指差した。

「これに気がついた、シータ?」

 少佐が携帯を覗き込んだ。そして素直に見落としを認めた。

「ノ、今ご指摘で気がつきました。」
「見せてもらって良いかな?」

 テオが好奇心で声をかけると、ウリベ教授は愛想良く見せてくれた。空き家のテーブルの角に光る小さな物がくっついていた。この形は・・・。

「魚の鱗ですね、ウリベ教授?」
「スィ、流石に生物学部の先生ね。これは鱗だわ。鶏の頭に加えて魚も贄にしたのね。」
「魚が加わると儀式の意味が違って来ますか?」
「違いはしませんが、シャーマンの出身がわかります。」

 テオは今朝見かけた2人の男を思い出してみた。ばっちり見えた訳ではないが、どちらも純血種の先住民に見えた。老人は口元に痣の様な物があった。あれは痣か? そうではなくて、もしや・・・? 彼がそれを言おうとすると少佐も口を開きかけた。2人同時に言った。

「口元に刺青・・・」

 互いに顔を見合った。少佐が先に尋ねた。

「老人の方にありましたね?」
「スィ。皺で痣みたいに見えたが、青黒い模様だと思われる。」

 ウリベ教授が立ち上がり、棚から本を一冊抜き取って戻った。パラパラとページをめくり、写真を客に見せた。

「こんな模様?」

 それは先住民の男の写真で、口の両端に青黒い波模様の刺青が入れられていた。隣のページは似たような民族衣装を着た男で、少し異なるがやはり波模様の刺青を口元に施していた。

「これは、ゲンテデマよ。」

と教授が言った。テオはケツァル少佐が「はぁ?」と言う表情をするのを初めて見た。

「それは部族名ですか?」
 
 すると予想外の方向から返事が来た。

「漁師です。」

 少佐とテオは後ろを振り返った。ステファン大尉は隣を見た。ウリベ教授がにこやかにギャラガ少尉を見た。ギャラガは赤くなって目を伏せた。教授が優しく頷いてから、説明した。

「スィ、漁師です。ゲンテ・デル・マール(海の民)のことよ、シータ。東海岸の漁師達は気取って自分達のことをそう呼ぶの。この刺青を施している漁師は、南の方のガマナ族ね。でも最近は顔に波模様を入れる人は少ないわ。野暮ったく見えるから、若者は腕や背中に入れたがるの。漁師もやらないからね。観光業に力を入れているわ。」
「では、この写真のテーブルの儀式を行っていたのは、ガマナ族の元漁師でシャーマンをしている人ですか?」
「しているのか、していたのかわからないけど、そんなところでしょうね。」

 

 

第2部 地下水路  10

  テーブルの上には粘土の他に蝋燭の燃え残りが5個、干からびた鶏の頭部3個、萎びた植物の葉の束が残っていた。

「心臓はコンドルの神様への生贄でしょう。」

とケツァル少佐が言った。

「ロホがそのコンドルの神様がどう言う力を持つ精霊なのか調べてくれています。」

 テオはステファン大尉が不満そうな表情になったのを見逃さなかった。これは彼の任務なのだ。しかし完全に大統領警護隊文化保護担当部にお株を奪われている。それは彼が望んだことではなかった。古巣の文化保護担当部に介入を許してしまったのは、彼自身の失敗に原因がある。彼は悔しいのだ。些細なミスで敵に捕虜にされて元上官に助けられる羽目になったことが、口惜しいのだ。それに彼はその元上官を超えたくて修行に励んでいると言うのに。
 少佐がギャラガに命じた。

「家の中を詳細に調べて犯人の身元特定の糸口を探しなさい。」

 ギャラガがキビキビと動き始めた。テオも一緒になって屋内のガラクタを調べ出した。少佐がステファンに尋ねた。

「敵はどうして急に撤収したのです? 貴方が電話をかけたからですか?」
「スィ。爺さんが私が放った微細な気を感じ取ったのです。電話の電波が結界を破ったとかなんとか言っていました。」
「結界を破った? 電波で破られる結界ですか?」

 少佐が髪を掻き上げた。考え込む時の彼女のポーズだ。

「結界は我々一族が互いに争うのを防ぐ為の防壁です。人(この場合は”ヴェルデ・シエロ”限定)や石や矢の投擲は防げますが、電波は防げないでしょう。」
「”ティエラ”が作る物は結界を通りますよね?」
「通ります。こちらが意識して破壊しない限りは弾丸でもミサイルでもなんでも通ります。」
「彼は私が電話をかけたので、私の気が彼の結界を破ったのだと勘違いしたのでしょう。」

 少佐は頭から手を下ろした。

「結界を張って呪い人形を使う儀式をしていた・・・その年寄りはシャーマンですね。」
「ブーカのマレンカ家の様な?」
「ノ、マレンカの一族は神に仕える神聖な家柄です。他人に呪詛をかけるような下品なことはしません。」

 テオが戻って来た。

「何にもない家だ。空き家に勝手に入り込んで寝グラにしていたんだろう。」

 ギャラガも居間に戻って来た。

「ほんの2、3日の滞在だった様です。儀式を行う場所としてここを見つけていたのでしょう。住んでいた形跡はありません。」

 そうなるとケツァル少佐の次の決断は早かった。

「グラダ大学へ行きましょう。」

 テオは目的の人物に当たりがついた。

「ケサダ教授かムリリョ博士を訪ねるんだな?」

 少佐がニッコリしたので、またステファン大尉が不満げな顔をしたが、テオは敢えて無視した。君は彼女がどれだけ君のことを心配していたか知らないだろう、と彼は心の中で呟いた。



2021/09/06

第2部 地下水路  9

  水で湿らせた古いタオルでステファン大尉の頭髪を拭うと、ドキッとする程血で汚れた。しかし当の傷の方は既に治りかけていて、頭皮に赤い線状の傷口が見えただけだった。気絶していた途中で苦い液体を飲まされたと彼が言うと、少佐がそれは麻酔効果がある薬草の汁だろうと言った。捕虜を眠らせて逃亡を防ぐのが目的で与えたのだろうが、眠ったお陰でステファンの頭部の傷の治りが早くなったのだ。
 何か覚えていることはないか、とテオが尋ねると、大尉は考えてからこう言った。

「若い男は魚臭かったです。」

 魚? テオと少佐は顔を見合った。ギャラガは遺留品のタバコの吸い殻を見た。ラス・ラグナス遺跡に落ちていた抑制タバコではなく、セルバ共和国なら何処ででも手に入る安物の既製品紙巻きタバコだ。

「遺跡に来た人物と同一でしょうか?」

 彼が呟くと、大尉が頷いた。

「同じ人物だ。私は君とデネロスと別れてドクトルが吸い殻を拾った場所へ行った。そこで人の気配を感じた。恐らく、私が近づいたので、先にそこにいたヤツが”入り口”に飛び込んだのだ。私は”入り口”を見つけ、うっかり手を中へ入れてしまった。先に入ったヤツが”通路”を閉じようとしたので、吸い込まれてしまったらしい。咄嗟に警報を発するのが精一杯だった。」
「それと財布のばら撒きとね。」

とテオが口を挟んだ。

「何か見つけたら声を出して構わないって言ったのは、何処のどなただったかな?」
「虐めないで下さい、テオ・・・」

 ステファン大尉が情けない顔をした。怖くて少佐の目を見られない様だ。

「目隠しされて、頭は痛いし、で暫く気を発すのを控えていました。それにあの爺さん・・・だと思いますが、年嵩の方が、やたらと私の心臓を欲しがるので、ナワルを使えない”出来損ない”だと思わせる為に出来るだけ力を使わないようにしていました。」
「どうしてあの年寄りは大尉の心臓を欲しがったのです?」

 ギャラガの質問にケツァル少佐が答えた。

「儀式に使う生贄が欲しかったのです。」

 彼女が茶色の塊をテーブルの上に転がした。土の塊に見えた。テオはそれを遠慮なく摘んで見た。

「粘土の塊に見える。」
「スィ。粘土で人形を作っていたのです。」
「人形を使う儀式と言えば・・・」

 大尉が考え込んだ。テオが先に思いついた。

「呪いだね?」
「スィ。それもただの呪いではありません。生贄を要求している儀式ですから、目的は呪殺でしょう。」

 少佐が不潔な物を見るように粘土の塊を見るので、テオはテーブルに置いた。ちょっと指を洗いたくなった。

「粘土の人形の中に心臓を入れるのか?」
「ノ。人形の中に入れるのは、殺したい相手の持ち物や髪の毛です。儀式を行って、最後に人形の頭を叩き潰す、或いは胸に釘を打つ、首をへし折る・・・」
「わかった。」

 テオは少佐を遮った。ギャラガはびっくりした。上官が話している時に遮ると懲罰ものだ。しかしテオは民間人で白人だった。軍隊の規則も”ヴェルデ・シエロ”の作法も無関係の人だ。平気で少佐を遮り、また質問した。

「それじゃ、生贄はどこで使うんだ? それにコンドルの神様の目玉はどこなんだ?」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...