2021/09/09

第2部 ゲンテデマ  5

  翌朝、ケツァル少佐はベンツのSUVにテオ、ステファン大尉、そしてギャラガ少尉を乗せて南のグワマナ族が住む地方へ向かった。水曜日の朝だ。警備班から来た大尉と少尉には、捜査の最終日だった。ステファン大尉には不本意だったが、この捜査には古巣の仲間達の援助が必要だった。彼もギャラガもゲンテデマの2人の男の顔を見ていなかったので、少佐とテオの記憶を頼るしかない。少佐は”心話”で男達の顔を教えてくれたが、顔だけでは犯人達の名前も居場所もわからないのだ。だから彼等には少佐が必要だった。ステファン大尉は悔しさを堪えて元上官にお願いしたのだ。「一緒にグワマナの村へ行って下さい」と。すると彼女はテオも行くなら行っても良いと答えた。ギャラガは大尉がムッとしたのが不思議だった。テオと大尉は親友の様だが、何故か時々ステファン大尉はテオに対して不満を抱いている様に見えた。
 東海岸地方の道路は快適だ。観光用に開発され、産業道路でもある。交通量が多く、道幅も片側3車線の幅だ。快適なドライブでまだ太陽が海の上にあるうちにプンタ・マナと言う町に到着した。外国人が所有する豪奢な別荘が海岸線に並んでいた。内陸側は先住民が多く住む綺麗な街だ。色とりどりの屋根の可愛らしい家が並んでいた。住宅地の背後にはバナナ畑が広がっていた。エル・ティティのバナナ畑よりずっと広大だ。畑の中の道路を走って行くと、テオが看板を見つけた。

「フェルナンデス農園だ。ここじゃないか?」

 何が「ここ」なのだろう、とステファン大尉は後部席で思った。少佐は目的地をテオにしか伝えていなかったので、それも彼は不満だった。ギャラガは大尉の気がピリピリするので、ちょっと不安になった。大尉がご機嫌斜めなのは、きっと捜査期限の今日になってしまったからだろう、と思うことにした。
 少佐は車を門扉の中へ乗り入れた。守衛の男に、ロドリゴ・ロムベサラゲレスと言う人に会いたいと告げると、男は胡散臭そうに車内を覗き込んだ。軍人の女性と、白人と私服の男2人だ。

「セニョール・ロムベサラゲレスが何処にいるのかわからない。うちの農園は広いから。」

 少佐がポケットに手を入れたので、男はチップを貰えるものと思って手を出した。少佐は緑色の鳥の徽章を出した。男はびっくりして手を引っ込めた。西の方角へ伸びる道を指差した。

「セニョールはあちらです。」
「グラシャス。」

 少佐は小銭を2枚ほど彼の手に入れてやった。それで十分だ。
 ジャングルの様なバナナ畑の中を走って行った。ギャラガが大尉に尋ねた。

「これ、全部1人の所有ですか?」
「会社形式になっているが、オーナーは1人だ。」

 ステファンは農園主の名前を知っていた。遺跡や考古学には無縁の実業家だが、バナナを大統領府に収めている業者だ。個人的に会ったことはないが、顔はメディアを通して知っていた。その人間と今回の捜査にどんな関係があるのだろうか。ロムベサラゲレスなどと言う長ったらしい名前の人間は何者なのか。
 行手を塞ぐ形でトラックが停車していた。畑の中にロープが張られ、大きなバナナの房がロープウェイみたいにぶら下げられて行儀良く順番にトラックの荷台に送られている最中だった。花柄の派手なシャツに綿パンの若い男がそばに立って、トラックの荷台の男達の作業を見守っていた。顔にはサングラス、ツバの広い日除け帽子を被っていた。
 少佐がSUVを停めた。テオが外に出た。彼は若い男に近づいて行った。

「ブエノス・ディアス。」

 彼が声をかけると、男はチラリと訪問者を見た。すぐに視線をトラックに戻しながら挨拶を返した。

「ブエノス・ディアス。何か御用ですか?」
「私はテオドール・アルストと言います。グラダ・シティから来ました。セニョール・ロムベサラゲレスはどちらにいらっしゃいますか? こちらで支配人をなさっていると聞きましたが。」

 若い男がトラックに向かって怒鳴った。

「止めろ! 休憩だ!」

 トラックの男達が畑の向こうへ同じ言葉を怒鳴った。「止めろ! 休憩だ!」 が伝言ゲームの様に伝わって行った。そしてバナナの行進が止まった。
 男がサングラスを外し、テオを見て、運転席の少佐を見た。そして言った。

「私がロドリゴ・ロムべサラゲレスです。」

 すると少佐が運転席から素早く降りて、テオとロムべサラゲレスのそばに来た。右手を左胸に当てて挨拶した。

「私はグラダのシータ・ケツァル・ミゲールです。」

 ロムべサラゲレスは同じポーズを取って改めて挨拶した。

「グワマナのロドリゴ・ロムべサラゲレスです。」

 大尉がギャラガに車から降りろと囁いた。

「族長同士の挨拶だ。私たちがここに座ったままだと不敬になる。」



 

第2部 ゲンテデマ  4

  小規模の地震が群発するサン・ホアン村は井戸が涸れ始め、占い師のフェリペ・ラモスは神様に救いを求めてラス・ラグナス遺跡へ行った。そこで神様の遣いであるコンドルの石像の目玉を盗まれていることに気がついた。井戸が涸れるのは神様の怒りだと思ったラモスは、神様に話を聞いてもらおうとオルガ・グランデへ”ヴェルデ・シエロ”を探しに行った。バルで「雨を降らせる人を探している」と言って心当たりを探っていた彼は、不幸にも遺跡荒らしの”ヴェルデ・シエロ”に出くわしてしまった。恐らくグワマナ族の漁師だった2人の男だ。彼等はラモスからコンドルの目玉を盗まれた話を聞き、ことが大きくなる前に手を打った。ラモスを殺害してしまったのだ。身元がわかる物を奪い取り、エル・ティティ郊外の畑の脇に遺体を捨てた。
 だが遺体が身につけていた”雨を呼ぶ笛”だけは取るのを忘れたのだ。エル・ティティ警察署長ゴンザレスの養子テオがそれに興味を持ち、大学で考古学教授ケサダに鑑定してもらった。笛がオルガ・グランデ北部で使われる雨乞いの儀式の物だと教えられたテオは、ゴンザレスに調査結果を伝え、ゴンザレスは地元警察に問い合わせてみた。そして2月前にサン・ホアン村のラモスが行方不明になったと言う届出があることを知った。
 一方大統領府西館庭園で謎の「視線」騒ぎが起きた。実際は何時から始まったのか不明だが、警備第4班が一巡以上するより前からだ。気味が悪いと感じた若い警護隊隊員達が報告書に書いて提出したのが、ほんの先週末だった。経験値の高い司令部の人間達は「視線」の正体に見当がついただろうが、それが何故そこに起きたのか、ステファン大尉とギャラガ少尉に調査と対処を命じた。
 大統領警護隊文化保護担当部から移籍したステファン大尉は、ギャラガと現場へ行き、空間の歪みを発見した。それが「視線」の正体だと彼はすぐにわかったが、それがそこに突然出現した理由は調査に出かけなければわからなかった。2人は”節穴”の向こうに見えた石らしきものを手がかりに、遺跡のエキスパートであるセルバ国立民族博物館のムリリョ博士に協力を求めた。ムリリョ博士は”節穴”の向こうに見えた石らしきものは、ラス・ラグナス遺跡の物だろうと見当をつけた。国内の遺跡に立ち入るには文化保護担当部の許可が必要だ。大尉は文化保護担当部の元同僚ロホに協力を求め、ロホは翌朝2人をケツァル少佐の自宅へ連れて行った。
 テオの殺人事件の身元探しを知っていたケツァル少佐は、ラス・ラグナス遺跡がサン・ホアン村のそばにあることを知り、ステファンとギャラガの遺跡捜査にテオとデネロス少尉を参加させた。テオの観察眼に期待したのと、デネロスに現場体験と護衛をさせたのだ。
 日曜日の夜にオルガ・グランデ基地で合流した4人は月曜日の朝、サン・ホアン村を訪問した。そこでラモス失踪の経緯を聞き、井戸が涸れ掛けていることを知った。ラス・ラグナス遺跡ではコンドルの神像の右目が失われ、目があった箇所に”節穴”が出来ていることがわかった。それが大統領府西館庭園の「視線」の正体だった。遺跡をさらに調べると、テオが抑制タバコの吸い殻を発見した。抑制タバコは”ヴェルデ・シエロ”しか吸わないタバコだ。遺跡荒らしが”ヴェルデ・シエロ”であった疑いが生じた。その夜、再び遺跡を調べていたデネロスとギャラガは遺跡の精霊とコンタクトを取れそうになるも失敗した。そしてステファンが突然姿を消した。
 ステファン大尉は誰かが先に遺跡に来て”入り口”に入るのを気配で知った。うっかり”入り口”に手を入れてしまった彼は吸い込まれ、”着地”した途端に何者かに殴られて昏倒した。
 大尉が消えたことを知ったテオとギャラガは”入り口”が閉じてしまう前に追いかけようと”入り口”に入った。そしてグラダ・シティの下水道の中に”着地”した。2人は下水道を歩き、地上に上がってケツァル少佐に助けを求め、”着地”した地上の座標を探した。そして何処かへ立ち去るグワマナ族の2人の男を目撃し、空き家に放置されたステファン大尉を救出した。グワマナ族達は呪いの儀式を行っていた様子だったが、妨害が入って逃げたのだ。彼等は魚の鱗や刺青からグワマナの漁師ゲンテデマであると推測された。
 
 サン・ホアン村から1人で帰って来たマハルダ・デネロス少尉はステファン大尉の無事な姿を見るなり彼に抱きついてワンワン泣き出した。1人でキャンプを片付け、2人の二等兵の記憶からステファン、ギャラガ、テオの記憶を消して、基地に戻って基地司令官からも記憶を抜き取り、彼女1人で遺跡調査に来たと思い込ませた。そして今にも落ちるんじゃないかと思わせる空軍の古い輸送機でグラダ・シティに帰って来たのだ。
 いつもは冷たい目で部下達が感情的になるのを見ているケツァル少佐がデネロスをステファンから引き剥がし、優しく抱き締めてやった。

「1人でよく後始末を手際良くやり遂げました。賞賛物ですよ。」
「少佐ぁ・・・もし皆とあれっきり会えなくなったらって思ったら、すごく不安でした。」

 男の部下達と違ってデネロスは感情をまっすぐにぶっつけて来る。少佐は食べてしまいたいくらいにこの女性少尉が可愛くて仕方がない。デネロスにハンカチを渡した。

「さぁ、顔を拭いて・・・皆で晩御飯に行きますよ。」
「私、埃だらけです。」
「それじゃ、うちに来なさい。男達に先に店を選んでテーブルを確保してもらいましょう。」


第2部 ゲンテデマ  3

  テオは自宅のベッドで心地良い昼寝から覚めた。体を起こそうとすると体に掛けた薄手のブランケットが重たくて動けなかった。このパターンは何時ぞやも・・・一瞬期待して首を曲げて見ると、若い男がベッドの縁に座っていた。ちょっとがっかりして、少し驚いた。

「アスル! 何故ここに? 少佐の遣いか?」

 アスルが立ち上がったので、起きることが出来た。アスルは迷彩柄のパンツにベージュのTシャツ、いつもの勤務中の服装だった。

「雨が降って来たので、雨宿りしていた。」

と何時も愛想のない男が呟いた。それなら居間で良いだろうと思った。客間でも良いのだ。アスルは時々ふらりとやって来て、勝手に泊まって行く。テオを嫌っている様に見えて、本当は愛しているのだと以前ロホにからかわれたことがあった。恋愛感情はないだろうが、憎まれていないとテオは思っている。アスルは「通い猫」のジャガーなのだ。定住する家を持たないので、住所不定では昇級させられないと大統領警護隊の本部から再三注意を受けているのだが、本人は気にしていない。

「君の部屋で休めば良いのに。」

 テオが言う「君の部屋」はアスルが普段勝手に宿泊する時に使用する客間だ。しかしアスルは顔を顰めて言った。

「カベサ・ロハ(赤い頭)がいる。」

 そう言えばアンドレ・ギャラガを客間に入れてやったのだ。ギャラガはアスルの1年下の少尉仲間だが、仲が良いと言えなかった。どちらかと言えば、ギャラガは虐められっ子で、アスルは虐める方だ。対マンで闘えば勝つ自信があっても、喧嘩する理由がなければ衝突を避ける。アスルのルールだ。
 テオがコーヒーを淹れると言うと、彼は素直に彼について居間に入った。

「もう少佐への報告は終わったのかい?」
「ノ。」

 テオがキッチンで作業する間、彼は手脚を伸ばしてストレッチしていた。

「今日は大学へ行って、内務省へ行って、建設省へ行って、地質学院へ行った。」
「遺跡の調査じゃなかったのか?」
「初めは遺跡の調査だった。」

 コーヒーの芳しい香りが漂うと、彼の表情が緩んだ。

「俺の好きなグアテマラだ!」
「俺も好きだから、最近はこれしか買わないんだ。」

 物音がして、2人が振り返ると、客間の戸口にギャラガが立っていた。コーヒーの香りで目覚めたのだ。アスルが「チッ」と舌打ちして、テオは微笑んで手招きした。

「君もコーヒーを飲めよ。これからアスルが調査報告をしてくれる。」
「そんなことを言った覚えはない。」

 と言いつつも、アスルはギャラガが席に着くのを待っている間、コーヒーに手を付けなかった。2人の少尉は挨拶も敬礼もしなかった。それぞれ砂糖やミルクで好みの味にコーヒーを調整して、それからテオがアスルを見た。

「ラス・ラグナス遺跡とは、どんな処なんだ?」
「考古学部にも史学部にも資料がなかった。全くのノーマークの遺跡だ。」
「しかし、セルバ国立民族博物館の地図には記載されている。」

 ギャラガはうっかり先輩が話している最中に口を挟んでしまった。アスルは彼を無視した。

「宗教学部へ行って、あの地方の伝承や神話に何か手がかりがないか調べた。何もなかった。」

 ウリベ教授の研究室に行ったのだろう。

「内務省へ行って、近くのサン・ホアン村の登録を調べた。あの村は植民地支配が始まった16世紀の記録にはなかった。最初の記載は17世紀中盤だ。税金を取る為に国土調査が行われたんだ。当時の地図を見ると、今より少し北寄りにあった。沼の辺りにあったんだ。」
「ラス・ラグナスは、サン・ホアン村だったのか?」
「そう考えて良さそうだ。村の移転の記録は資料整理が滅茶苦茶で、独立当時の物は田舎の村が大概同じことをしたが、植民地の支配者側が資料を焼いてしまって損失している。兎に角、19世紀の独立以降は今の位置に村がある。」
「村が移転したのは、沼が干上がったせいだろうか?」
「建設省へ行ってみたが、村の引っ越しに関する資料はなかった。そこで働いている知人が地質学院へ行けと言ってくれたので、行った。」

 セルバ国立地質学院は、ティティオワ山の火山活動の監視と西部海岸地方の砂漠化の調査、国土の地質調査、地図作成などをしている。地図作成は本来建設省が受け持っていそうなのだが、セルバ共和国では地質学院の仕事だった。

「オルガ・グランデから北は人口が極端に少ない。金の埋蔵量も期待出来ないので、白人は興味を持たなかった。それに、あの周辺は地揺れが多い。」
「地揺れ? 地震か?」
「スィ。昔のサン・ホアン村があった沼は17世紀から18世紀初頭にかけて頻発した小規模の地震で消滅したと考えられている。水源が絶えたのだろう。」
「現代のサン・ホアン村の井戸は涸れ掛けている。」

 ギャラガはつい再度口を挟んでしまった。アスルが初めて彼をジロリと見た。

「井戸を見たか?」

 ギャラガは彼の目を見た。”心話”で覗き見した井戸のビジョンを伝えた。アスルが微かに眉を上げた。なんだ、”心話”を使えるじゃん、と言う表情だ。彼は視線をテオに戻した。

「あの付近は、最近また小規模な群発地震が発生している。人が感じるか感じないかの微細な揺れらしいが、地質学院が設置した地震計にははっきり揺れが計測されているそうだ。恐らく地下の水流が変わってしまい、村の井戸に水が届かないのだ。」

 それはどんなに神様に祈っても効き目がない筈だ。村を救おうと遺跡の神像へ祈りに行き、遺跡荒らしを知って、オルガ・グランデに救いの手を求めて出て行ったフェリペ・ラモスの不運を、テオは哀れに思った。神と頼んだ”ヴェルデ・シエロ”が当の遺跡荒らしで、彼は殺されてしまったのだ。
 アスルがコーヒーを飲み干して立ち上がった。

「雨が止んだから、オフィスへ帰る。」
「少佐にさっきと同じことを報告するんだろ? 二度手間をかけさせて済まなかった。」
「どうせ、先に少佐に報告しても後であんたに教えなきゃならない。後先の違いだ。」

 彼はさよならも言わずに出て行った。ギャラガはぽかんとして彼の後ろ姿を見送った。
 テオが時計を見た。

「まだ夕食には早いが、俺達もゆっくり文化・教育省へ行こう。また歩く気力はあるか?」
「大丈夫です。」

 

 

2021/09/08

第2部 ゲンテデマ  2

  4階のオフィスに上がると、大統領警護隊文化保護担当部の場所にはロホ1人だけがいて、書類を眺めていた。ケツァル少佐とステファン大尉がカウンターの内側に入ると、昼休みでも出かけずに残っていた職員達が立ち上がった。大尉は忽ち古巣の職員達に取り囲まれた。
 少佐は彼をほっぽって己の机へ行った。ロホが立ち上がって机の前に来た。すぐに目と目で報告が交わされた。

ーーコンドルは高山地帯に住む鳥です。セルバにコンドルを神とする風習はありません。しかし、コンドルの神像を祀る部族がいた訳ですから、南から北上して来た外来種族の遺跡と考えられます。
ーーコンドルは天空の神の使者でしょう?
ーースィ。ですから、ラス・ラグナスを造った部族は神として祀っていたのではなく、神の使者として崇拝していたのでしょう。地上の者の願いを天空の神へ伝えてもらう為に祀っていたのだと思われます。
ーーでは、そのコンドルの像から目玉を奪う意味は何ですか?
ーーコンドルは天空から地上を見ます。その目を使う呪術ですから、何かを探していたのではありませんか?
ーー探す?

 少佐は考えた。

ーー目玉泥棒と思われるグワマナ族の男達が粘土人形を用いた呪いの儀式を行っていた形跡がありました。彼等は呪う相手を探して、コンドルの目玉を使ったのではありませんか?
ーー考えられます。
ーー彼等はカルロのジャガーの心臓を生贄に望んだそうです。
ーー心臓はコンドルへの礼でしょう。しかしカルロから心臓を取れなかった・・・
ーー年嵩のシャーマンが心臓を欲し、若い男がカルロは”出来損ない”だからナワルを使えないと言って止めたそうです。
ーーグワマナ族のシャーマンならカルロがナワルを使えるか使えないか判別出来るでしょう。若い男がシャーマンの弟子なら、判別出来る筈です。そいつはカルロを庇ったのです。
ーー生贄を得られなかったとすると、彼等はまだ標的を見つけていないのでしょう。
ーーテオの街で見つかった死体が、彼等の犠牲者だとすると、また殺るかも知れません。

 ステファンが職員達の歓迎から解放されて彼等のところへ来たので、少佐とロホの無言の会話は中断した。少佐がロホに言った。

「大尉に報告しなさい。彼の任務です。」
「承知しました。」

 ロホはステファンの目を見た。ステファンが憮然として呟いた。

「私の心臓はコンドルの餌か?」

 ロホが苦笑した。

「怒るなよ。多分、目玉の石を取り戻して元の場所に嵌め込めば、”節穴”の問題は解決すると思う。」

 

第2部 ゲンテデマ  1

  テオとギャラガをシエスタで休ませるためにテオの家に届けた少佐は、夕方連絡を入れると言って、ステファン大尉を連れて再び車を走らせた。大尉は静かに助手席に座っていたが、車が文化・教育省の方向ではなく住宅地をそのまま走るので、行き先に見当がついた。

「止して下さい、まだ帰りたくありません。」

 思わず抵抗すると、少佐はキッパリと言った。

「一言挨拶するだけで良いから、カタリナに会って行きなさい。さもないとここで放り出しますよ。」

 養母がセルバ共和国に帰ってくる時は必ず休みを取って実家に帰る上官がそう言うので、ステファンは仕方なく口を閉じた。テオの家がある地区は集合住宅が多いが、ステファン大尉が母親の為に買った家は戸建て住宅が多い地区だった。決して裕福な層ではないが、少し経済的に余裕のある人の住居地だ。スラムで生まれ育った母親が生活に慣れないうちに本隊に召喚されてしまった大尉が、母親に申し訳なく思っていたのは確かだった。
 家の前に駐車すると、少佐は首を振って彼に降りろと無言で命じた。ステファン大尉は一呼吸置いて、車外に出た。そして足早に家の中へ入っていった。狭い庭に野菜が植えられていた。洗濯物がロープに吊るされている。典型的なセルバ共和国の庶民の生活ぶりだ。大尉が本隊に去ってしまった後、少佐は暫く休日毎にこの家に通い、カタリナ・ステファンを外へ連れ出した。近所のメルカド(マーケット)へ行き、買い物をしながら近所の女性達とカタリナの顔繋ぎをした。早く友達を作って地区に馴染ませたかったのだ。異母妹のグラシエラはすぐに友人が出来て、大学でも楽しく過ごしている様だ。仕事を持たないカタリナには近所付き合いが重要だった。
 10分ほどして、早くもステファンが家から出て来た。後ろを振り返りもせず、足早に車に戻って助手席に乗り込んだ。

「行きましょう。」

と言うので、少佐は外を見た。窓からカタリナがこちらを見ていたので、彼女は敬礼して見せた。カタリナが手を振ってくれた。
 車を走らせてから、彼女が彼に「もう少しゆっくりすれば良いのに」と言うと、彼は抗議した。

「まだ任務遂行中です。それに長居すると頭の傷を見られてしまいます。」

 少佐は思わず笑った。ステファンは母親に心配をかけたくないのだ。

「母が貴女に感謝していました。貴女に連れて行っていただいたメルカドで知り合った女性グループに参加して織物クラブで機織りしているそうです。さっきも織り上げた布を検品している最中でした。」
「民芸品として売れますから、お小遣い稼ぎにもちょうど良い趣味ですよ。」
「その様です。それから・・・」

 少し大尉は躊躇った。

「もしクリスマスにミゲール夫妻がお許し下さるなら少佐をステファン家のクリスマスに招待したいと言ったので、少佐はミゲール家を大事に思っておられるのでそれはないと答えておきました。」

 ケツァル少佐は苦笑した。大統領警護隊にクリスマス休暇はないのだ。ただ警護すべき要人達が休暇に入るので、時間が余る当番には休暇を取る余裕が出てくる。文化保護担当部は文化・教育省がクリスマス休暇に入るので暇になるだけだ。ケツァル少佐はその間、養母が仕事の拠点としているスペインへ毎年行っていた。実を言うと、スペインからスイスへスキーに行くのが彼女の1年に1回の贅沢だった。実家を大事にすると言うより、実家を利用して遊びを優先しているのだが、彼女は黙っていた。
 
「貴方はクリスマス休暇がないと、ちゃんとカタリナに言いましたか?」
「スィ。がっかりさせたくないので、引っ越しの時に言いました。今までオルガ・グランデにも帰らなかったので、それは受け入れてくれました。しかし休みの時は電話ぐらい入れろと叱られました。」
「当然です。」
「テオからも同じことを言われました。」

 ムリリョ博士からも同様のことを言われたのだ。ステファン大尉は少し反省モードになっていた。
 車は文化・教育省の駐車場に入った。ステファンは半年前迄彼の愛車だった中古のビートルが停まっているのを見た。ロホがオフィスに戻っている様だ。



2021/09/07

第2部 地下水路  12

  お昼ご飯は大学のカフェだった。テオもギャラガもステファンも空腹だったが、相変わらずのケツァル少佐の食欲には及ばなかった。テオとギャラガは下水の臭いが微かに残る財布の中身を早く使ってしまいたかったので、少佐の分も支払った。ステファン大尉は財布をラス・ラグナスで置いてきたので文無しだった。当然彼の分も支払った。

「財布を買い換えないとな。」

 テオはテーブルに着くとそう言った。ギャラガは一つしか持っていない財布を眺め、溜め息をついた。するとテオが尋ねた。

「誕生日は何時だい? 財布をプレゼントする。」
「それはいけません。」
「否、俺が君を下水に突き落としたも同然だから。誕生日を教えないと言うなら、クリスマスに贈る。」

 それで仕方なく誕生日を告げた。そこへ少佐とステファンが食べ物を持って戻ってきた。食べ始めて間もなく彼女がギャラガに尋ねた。

「ゲンテデマと言う言葉をよく知っていましたね。」

 ギャラガは恥ずかしく思いながら言った。

「休日は1人で海へ出かけて浜辺で過ごすのです。街で遊ぶのに慣れていないし、友達もいないので。通りかかる漁師の会話を聞くともなしに聞いて耳に覚えのある単語だなと思ったのです。」
「泳ぎは得意ですか?」
「多少は・・・」
「よく行く浜辺はどの辺りですか?」
「グラダ・シティの南の方です。」
「ガマナ族を知っていますか?」
「スィ。」

 ギャラガは一瞬”心話”を使おうかと思ったが、テオがいるので言葉に出した。

「グワマナ族のことですね? ”ティエラ”はガマナと発音しますが。」

 テオが驚いて彼を見た。グワマナ族は”ヴェルデ・シエロ”だ。普通他部族は一般人に混ざって暮らしているが、グワマナ族は集団で生活しているのか? それも普通の人間のふりをして? 
 テオの驚きを感じて少佐が彼を見た。

「グワマナは大人しい部族で、現代も昔のしきたりを守って暮らしています。気の力も弱いので周囲に溶け込めるのです。国の南部で漁業や農業をして静かに暮らしていますよ。」
「だが、例の男はガマナ族の疑いがあるんだな?」
「確かめないといけませんが・・・」

 テオは先刻からステファン大尉が大人しいことが気になった。

「カルロ、まだ頭が痛むのか?」
「ノ・・・」

 大尉は物思いから覚めた様な顔をした。

「あの連中が誰を呪っているのだろうと気になったのです。呪いは相手を倒すだけではありません。呪った方も犠牲を強いられます。相手の命を奪うと自分も死ぬのです。」
「え? そうなのか?」

 テオはびっくりした。人を呪わば穴二つ。余程の覚悟がなければ他人を呪うことをしてはいけないのだ。これは神様を怒らせて呪われるのとは次元が違う。

「コンドルの目と人形の呪いは関係があるのかな?」
「同じ人間の仕業なら関係あるのでしょう。」

 少佐がギャラガをチラリと見た。

「でも今日の捜査はここで一旦休みにしましょう。少尉も貴方もシエスタが必要な顔ですよ。」

 確かにテオもギャラガも昨夜から一睡もしていなかった。睡眠だけはたっぷり取ったステファン大尉が申し訳なさそうな顔をした。

 

第2部 地下水路  11

 グラダ大学のメインキャンパスに到着した時、既にお昼前だった。早めに講義が終わった学生や、屋外で教師を囲んで授業をしているグループなど、敷地内は明るく華やかな賑わいを見せていた。ギャラガは生まれて初めて大学と言う場所に来て、緊張した。彼の様な貧しい生まれの人間には遠い世界だと思っていた。しかし周囲を歩き回っている学生達はきちんとした服装の者がいると思えば、ホームレス顔負けの見窄らしい身なりの者もいた。若い人も年寄りもいた。だがくたびれた雰囲気はどこにもなかった。どの人も活き活きとして見えた。
 ギャラガがケツァル少佐に買ってもらった古着は、大学では少しも古く見えなかった。同じようなファッションの人が多かったのだ。だからギャラガは気後せずにテオ達について行った。テオがグラダ大学の先生だと言うのは本当らしい。時たま学生が声をかけて来るのを、彼は「また明日な!」と言ってやり過ごした。
 やがて一行は博物館並みに重厚な石造の建物にやって来た。表示が出ていて、建物の右翼が文学部・言語学・哲学で左翼が考古学部・史学部・宗教学部だった。 建物自体の入り口の上には大きく「人文学」とあった。外観は植民地時代のものだが、中は改装されてかなり近代的だ。入ったところのロビーの突き当たりに本日の講義予定と在室の教授・教官達の名前が掲示されていた。電光掲示板だったので、ギャラガはちょっと驚いた。空港みたいだと思った。テオは考古学部にムリリョ博士の名前がなかったので、内心ホッとした。あの長老は嫌いではないが苦手だ。ケサダ教授は在室だと思ったが、少佐は宗教学部に向かった。
 目的の教授はノエミ・トロ・ウリベと言う女性だった。典型的な古典的セルバ美人で膨よかな体型で肌は艶々だが髪はシルバーだった。少佐がドアをノックすると1分ほどしてからドアを開けた。

「あら! シータ、久しぶり! 元気だった?」

 ケツァル少佐はウリベ教授の太い腕でギュッと抱擁された。少佐が息が詰まりそうな声で挨拶していると、ステファン大尉がこそっとその場を離れようとした。ウリベ教授は見逃さなかった。少佐を解放すると、すぐに「カルロ!」と叫んだ。ステファン大尉が固まり、彼も抱擁された。テオは人文学の建物にいる教授達とはあまり馴染みがなかったが、白人の教官はそれなりに目立つ。ステファンの次は彼だった。万力の様に締め付けられ、ステファンが逃げ出そうとした理由がわかった。

「ドクトル・アルスト、一度はお話したかったですわ!」
「光栄・・・です・・・ウリベ教授・・・」

 多分、誰も紹介も何もしていないのだが、ウリベ教授はお構いなしだ。初対面のギャラガ少尉まで犠牲になった。

「新しい学生かしら? よろしくね!」

 ギャラガは言うべき言葉を失して目を白黒させた。
 熱烈歓迎を受けた4人の訪問者は教授の部屋に招き入れられた。不思議な空間だった。アメリカ大陸南北から集められた土着信仰に使用される人形が所狭しと置かれていた。蝋燭や、祭祀の様子を撮影した写真を貼ったパネルや、書物や薬品の様な物が入った容器がそこかしこに置かれ、整理整頓されているのかいないのかわからない。奥に机と椅子があったが、教授は床に広げられたラグの上に座り込み、少佐も座ったので男達もそれにならった。
 ウリベ教授は”シエロ”なのだろうか”ティエラ”なのだろうか、とテオは様子を伺ったが、判別出来なかった。彼女は純血の先住民だ、それだけわかった。

「今日はお客さんが朝から多いわね。」

と教授がお茶をポットからカップに入れながら言った。

「朝一番にキナが来たわよ。それからアルフォンソ。次はシータとカルロが揃って来たのね。午後はマハルダが来るのかしら?」

 どうやらこの先生は大統領警護隊文化保護担当部の頼れる先生の様だ。少佐はアスル(キナ)もロホ(アルフォンソ)も命令を受けて真っ先にこの教授を頼ったことに、少し苦笑した。彼等がどんなことを聞いたかは尋ねずに、すぐに用件に入った。

「粘土の人形を使う呪術なのですが、鶏の頭とコカの葉っぱを使い、ジャガーの心臓を生贄に要するものは何を目的とするのでしょう?」
「ジャガーの心臓?」

 教授がカップのお茶を啜って、少佐を見た。

「写真ある?」

 少佐は空き家で男達がステファンを見つけた間に撮影した携帯の写真を見せた。それでウリベ教授は”ティエラ”だとテオはわかった。写真を拡大して教授は細部を眺め、やがて首を振って携帯を少佐に返した。

「嫌な図柄ね。儀式を中断してアイテムをかき回しているわ。何が目的かわからない様にしてある。」
「駄目ですか?」
「人殺しよ、それは間違いない。」
「このアイテムで準備は揃ったのでしょうか?」
「この儀式にジャガーは必要ありません。後は標的の持ち物か体の一部、髪の毛や爪を人形に埋め込んで、3日3晩呪文を唱え続ける。勿論、唱えるのはシャーマンでなければ効果はないわ。」
「一般的な儀式ですか?」
「呪いの儀式に一般的も何もないわね。でもこれは・・・」

 もう一度教授は少佐の携帯を受け取り、写真を拡大して隅々をじっくり再見した。そしてテーブルの角を指差した。

「これに気がついた、シータ?」

 少佐が携帯を覗き込んだ。そして素直に見落としを認めた。

「ノ、今ご指摘で気がつきました。」
「見せてもらって良いかな?」

 テオが好奇心で声をかけると、ウリベ教授は愛想良く見せてくれた。空き家のテーブルの角に光る小さな物がくっついていた。この形は・・・。

「魚の鱗ですね、ウリベ教授?」
「スィ、流石に生物学部の先生ね。これは鱗だわ。鶏の頭に加えて魚も贄にしたのね。」
「魚が加わると儀式の意味が違って来ますか?」
「違いはしませんが、シャーマンの出身がわかります。」

 テオは今朝見かけた2人の男を思い出してみた。ばっちり見えた訳ではないが、どちらも純血種の先住民に見えた。老人は口元に痣の様な物があった。あれは痣か? そうではなくて、もしや・・・? 彼がそれを言おうとすると少佐も口を開きかけた。2人同時に言った。

「口元に刺青・・・」

 互いに顔を見合った。少佐が先に尋ねた。

「老人の方にありましたね?」
「スィ。皺で痣みたいに見えたが、青黒い模様だと思われる。」

 ウリベ教授が立ち上がり、棚から本を一冊抜き取って戻った。パラパラとページをめくり、写真を客に見せた。

「こんな模様?」

 それは先住民の男の写真で、口の両端に青黒い波模様の刺青が入れられていた。隣のページは似たような民族衣装を着た男で、少し異なるがやはり波模様の刺青を口元に施していた。

「これは、ゲンテデマよ。」

と教授が言った。テオはケツァル少佐が「はぁ?」と言う表情をするのを初めて見た。

「それは部族名ですか?」
 
 すると予想外の方向から返事が来た。

「漁師です。」

 少佐とテオは後ろを振り返った。ステファン大尉は隣を見た。ウリベ教授がにこやかにギャラガ少尉を見た。ギャラガは赤くなって目を伏せた。教授が優しく頷いてから、説明した。

「スィ、漁師です。ゲンテ・デル・マール(海の民)のことよ、シータ。東海岸の漁師達は気取って自分達のことをそう呼ぶの。この刺青を施している漁師は、南の方のガマナ族ね。でも最近は顔に波模様を入れる人は少ないわ。野暮ったく見えるから、若者は腕や背中に入れたがるの。漁師もやらないからね。観光業に力を入れているわ。」
「では、この写真のテーブルの儀式を行っていたのは、ガマナ族の元漁師でシャーマンをしている人ですか?」
「しているのか、していたのかわからないけど、そんなところでしょうね。」

 

 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...