2021/09/18

第3部 夜の闇  4

  テオは文化・教育省の駐車場に車を置いた。本当は職員専用なので来庁者は徒歩5分の距離にある市営駐車場に車を置かねばならないのだが、常に空いているスペースがあって、そこは頻繁に来る人だけが知っている秘密の場所だった。その日も幸い空いていたので、テオはそこに駐車した。ケツァル少佐のベンツとロホのビートルが駐車しているのを確認した。
 どんなに顔馴染みになっても絶対に妥協しない入り口の番をしている陸軍の女性軍曹に身分証を提示し、リストに記名して入庁パスをもらった。
 階段を上って4階に到達すると、賑やかな声が聞こえた。文化財・遺跡担当課の前で数人の若者達が並んでいた。雨季が終わる後に始まるどこかの遺跡発掘に参加する学生やアルバイトの人々だ。文化財・遺跡担当課でパスを発行してもらわないと発掘隊のバスに乗せてもらえないので、パスの申請に来ているのだ。窓口の職員が申請書と身分証を見比べ、不備な点がないかチェックしていた。テオが大学で偶に見かける顔が数人いたが、知り合いではないので無視して、彼はカウンターの中に入った。職員ではないので勝手に入ってはいけない筈だが、そこはセルバ共和国だ、顔パスで自由に出入り出来る。中にいた職員と挨拶を交わし、彼は奥の大統領警護隊文化保護担当部に向かった。
 カウンターの前に座っている赤毛で色白の男は、アンドレ・ギャラガ少尉だ。数ヶ月前迄大統領警護隊本隊で警備兵として勤務していたのだが、ケツァル少佐に引き抜かれて、今は事務仕事をしている。高等教育どころか義務教育も満足に受けていなかったギャラガ少尉が、外国から提出された申請書をチェックして、提出者に記入漏れを指摘しているところだった。短期間で彼をそこ迄仕込んだ指導者のマハルダ・デネロス少尉は大したものだ。そのデネロス少尉は申請が通った書類を見ながら、陸軍の警備担当者に警備兵の派遣指示を電話で出しているところだ。彼女もこの仕事を任されてまだ日が浅い。しかし書類通りに指示を出すだけなので、強気で年嵩の陸軍少将相手に熱弁を振るっていた。
 テオは2人の少尉に目で挨拶して、ケツァル少佐の机に行った。少佐はいつもの様に書類を読んで署名をする承認業務に取り組んでいた。遺跡の規模と調査隊の規模、それに当たる警備兵の人数と兵力、その警備に係る予算が適当か否か判断して発掘調査計画を承認するか却下するか、彼女が決めるのだ。彼女が署名しなければ、警備隊の規模と予算を算定した副官のロホが再検討する。そして彼がどうしてもそれ以下の変更を見込めないと判断すると、その発掘申請は「却下」されるのだ。

「ブエノス・タルデス、少佐。」

と挨拶すると、ケツァル少佐は書類を眺めたまま、返事をしてくれた。顔を上げないのは、忙しいから話しかけてくれるなと言うメッセージだ。
 テオは彼女の机の前に2つ並んでいる机の一つに移動した。ロホがパソコンと書類を眺めながら、挨拶してくれた。

「お呼びだてして済みません。」

 彼は作業途中の書類を保存して閉じた。情報を画面に出したまま別のことに取り掛かったりしない。テオに空いている席の椅子を勧めた。テオが座ると、彼は机の引き出しからビニル袋を取り出した。

「アスルが送って来たのですが、何の毛だかわかりますか?」

 テオは袋を受け取った。茶色と灰色が混ざった様な動物の体毛らしいものが10数本入っていた。長さは1本3、4センチメートルか? テオは動物学者ではない。遺伝子分析の研究者だ。
 毛を眺め、それから空いている机を見た。

「アスルは発掘隊の護衛かい?」
「スィ。南部のミーヤ遺跡に行っています。そこでちょっと厄介事が起きているらしくて。」

 ロホは立ち上がり、テオに場所を移動しましょうと言った。少佐に断りを入れて、カウンターの向こうに出ようとしたので、テオは忘れないうちに彼女に質問しておくことにした。ロホにちょっと待ってと断ってから、少佐の机の前に戻った。

「ここへ来る途中の東サン・ペドロ通りで、ロス・パハロス・ヴェルデスと出会ったんだ。」

 少佐は聞こえていないふりをして、書類をめくった。テオは伝言を告げた。

「ステファン大尉から君に聞いておいてくれと頼まれた。昨夜は夜歩きしてないよな?」

 奇妙な質問に聞こえたのだろう、ロホが立ち止まって振り返った。デネロス少尉も電話を切ったばかりで、テオを見たし、ギャラガ少尉もカウンターの上の書類から顔を上げて後ろを振り返った。ケツァル少佐が最後に顔を上げてテオを見上げた。

「質問の意図が不明です。」

 テオは苦笑した。文化財・遺跡担当課の職員に聞かれても支障のない程度で説明した。

「今朝早く住民から警察にネコ科の大きな動物を目撃したと言う通報があって、警察が大統領警護隊に連絡したそうだ。それでステファン大尉が部下を連れて住宅街を捜査している。もし夜中に散歩して獣に出会したら危険だから、当分夜間は出歩かないように。」

 彼は一般職員達にも微笑みながら言った。カウンターの前で並んでいた発掘隊のアルバイト希望者達がざわついた。東サン・ペドロ通りから西サン・ペドロ通り迄の間に住んでいそうな富裕層の子供達には見えないが、その周辺に住んでいる人はいるだろう。
 ジャガーが誰かのナワルなら人を襲う可能性は低い、と思いたい。しかし用心するに越したことはない。
 ケツァル少佐が猫を被った顔で言った。

「夜間は出歩かないよう、気をつけます。」


第3部 夜の闇  3

  テオは自宅に帰ってシャワーを浴び、服を着替えた。すぐに文化・教育省へ行くつもりで車に乗り込み、住宅街の道を走り出した。信号がない道路を低速で走っていると、見覚えのあるジープが道端に停車していた。車体に緑色の鳥の絵が描かれている。道幅の余裕があまりないので、徐行して横を通ると、軍服姿の大統領警護隊隊員が民家の塀の前に立って、空を見上げていた。庭の中にも1人いて、住民と話をしていた。塀の外の隊員に見覚えがあったので、テオは少し進んで路肩がわずかに広がった場所に停車した。
 車から降りて、大統領警護隊のジープに近づいた。

「オーラ、カルロ!」

と声をかけると、塀の外の隊員がサッと振り返った。軍人には珍しいゲバラ髭を生やすことを認められている数少ない若い隊員が、テオを認めると微笑した。

「オーラ、テオ! ああ、ご近所だったんですね。」
「スィ、2ブロック向こうの角を曲がった先だよ。」

 久しぶりの再会だったのでハグしたかったが、自重した。カルロ・ステファン大尉は同性とのハグ自体は嫌いでないのだが、相手の方から抱きつかれると固まってしまう癖がある。過去の不愉快な体験のトラウマだ。だからテオはステファンの方からハグして来ない限り、握手で我慢する。尤も大統領警護隊の隊員達は滅多に他人に体を触らせないのだが。
 テオは塀の中を見た。中にいる隊員は住民の指差す地面を見ていた。珍しくスマホで写真を撮っていた。

「何をしているんだ?」
「捜査です。」

 カルロ・ステファン大尉は警備班から独立して活動する遊撃班に転属していた。ルーティンに縛られず、他の班で欠員が出たら代理で任務に就いたり、上官の命令で本隊の外で短期間任務に就いたりする部署で、勿論エリート中のエリートが集まるグループだ。
 ステファンは捜査内容を住民に喋るつもりはなかったのだが、テオは別格だ。”ヴェルデ・シエロ”の秘密を知っている数少ない白人で、科学者だ。そしてステファンの親友だった。それに捜査している理由を知らせた方がテオの安全にも繋がると判断したので、彼は囁いた。

「昨夜、この辺りでジャガーを目撃したと言う通報があったのです。」
「ええ?!」

 テオは再び塀の中を見た。中にいる若い隊員が撮影していたのは、獣の足跡だったのだ。
彼は周辺を見渡した。普通の住宅地だ。緑地が多いが、それでもセルバ共和国の首都グラダ・シティの中心地からそんなに距離はない。所謂都会の中の住宅地だ。野生のジャガーが出没する訳がない。ジャガーの生息地は他国同様セルバ共和国でも年々開発で狭まって来ていた。本物のジャガーを見たければ、ティティオワ山の南に広がるジャングル地帯に入らなければならない。運が良ければ見られる、そんな希少動物だ。もし都会の真ん中でジャガーが現れるとしたら、それは動物のパンテラ・オンカではない。
 テオはステファンに囁き返した。

「誰かのナワルか?」
「それ以外に考えられません。」

 ステファンは通りの南を指差した。

「昨晩、あの辺りで犬達が騒いでいたそうです。どこかにジャガーが現れて、怯えた犬の感情が吠え声で伝染して行ったのでしょう。実際に何処までジャガーが出現したのか、定かではありません。今朝になって、この家の住民が庭に大きな足跡を見つけ、警察に通報しました。警察が大統領警護隊に連絡して来たので、我々が出動して来た訳です。」
「ナワルは無許可で使えないよな?」
「別に許可制ではありませんが、重要な儀式や特別な時に使うものです。深夜の徘徊に使用されては困ります。」

 ”ヴェルデ・シエロ”と呼ばれるセルバ共和国の古代の神様は、儀式の時にジャガーやネコ科の動物に変身した。それは国内にある遺跡の壁画や彫像に残されているし、”ヴェルデ・ティエラ”と呼ばれる現代の先住民の神話や言い伝えの中でも言及されている。そして”ヴェルデ・シエロ”は実在して、今も存在している。市民の中に混ざってひっそりと生きているのだ。大統領警護隊は”ヴェルデ・シエロ”だけで構成されている軍隊だ。彼等は古代からセルバ共和国を周辺国の侵略から守り、植民地時代は庶民の心の支えとなり、現代も土着信仰の形で敬われているが、実際は「ちょっと強力な超能力を持つ普通の人間」なのだ。
 動物に変身するナワルは、儀式や特殊な戦闘の時以外に使ってはならないとされている。無闇に使うと正体が他の種族にばれてしまうし、ナワルを解いて人間に戻ると極端な疲労で1、2日は動けなくなるので、敵の攻撃をかわせない。大統領警護隊では上官の許可無しに変身すると罰を与えられる。市井の”ヴェルデ・シエロ”は他人種とのミックスが多く、ナワルを使えない人が多い。偶に純血種や使えるミックスもいるが、そう言う人々は属する部族から厳しい掟を教え込まれており、ルールを守って暮らしているのだ。ナワルを使う儀式は滅多に行われないし、長老の認可の元で行われるべきものだった。
 ステファン大尉が出張って来たのは、無届けのナワル使用が疑われるので、調査が目的だった。彼が空を見上げていたのは、ナワルを使える”ヴェルデ・シエロ”の気の波動を感じ取ろうとしていたのだ。

「この近辺で”シエロ”がいるのかな?」
「私が知る限りでは・・・」

 ステファン大尉は北西方向を見た。

「あっちにグラダの女が1人住んでいるだけです。」

 テオは吹き出した。「グラダの女」とは、彼の大親友で愛しい女性、ケツァル少佐のことだ。そして彼女はステファン大尉の元上官で、彼の腹違いの姉だった。少佐は唯一人の純血種のグラダ族だが、ステファンはミックスだ。グラダの血を4分の3近く持っている筈だが、彼自身は「半分」と言う。母方の曽祖父であろう白人の血が彼の”ヴェルデ・シエロ”の能力の開発に障害となるので、彼はいつも謙遜していた。人から尋ねられない限り、彼の方からグラダ族を名乗ることはない。

「少佐がナワルを使って夜歩きする筈がないしな・・・」
「そんなことを彼女がしたら、エステベス大佐が見逃しません。」

 車が通りの向こうからやって来るのを見て、テオは用事を思い出した。

「実はロホからオフィスに来いと呼び出しがかかっているので、これから行くところなんだ。何か言付けはないか?」
「ノ」

と言ってから、大尉はニヤッと笑って言った。

「少佐に夜歩きしなかったか、確認だけして下さい。」


 

2021/09/17

第3部 夜の闇  2

  テオドール・アルストは大統領警護隊文化保護担当部から要請を受けて、文化・教育省へ向かっていた。グラダ大学と文化・教育省は徒歩で10分の距離なのだが、お呼びがかかる日に限って彼は離れた場所にいた。大学の農業学部が経営する牧場で、牛達のDNAサンプル採取を行っていたのだ。ゼミの学生達と一緒に新しく生まれた仔牛の細胞をちょこっと頂く。最近、遺伝子操作された仔牛をある大手の食肉業者が購入しているのではないかと、市民団体の一つが騒ぎ出し、農業省からグラダ大学農業学部に調査依頼が来た。農業学部は遺伝子分析のエキスパートである生物学部の准教授テオドール・アルスト・ゴンザレスに仕事を丸投げしてきた。いかにもセルバ的なお役所仕事だ。それでテオは比較検査のためのサンプルを大学の牧場から採取する必要があったのだ。その月に生まれた仔牛10頭からサンプルを採取し終わった直後に、大統領警護隊文化保護担当部の副指揮官アルフォンソ・マルティネス中尉、通称ロホから電話がかかってきた。

ーーブエノス・ディアス、ご機嫌いかがですか?

 テオは額から流れる汗を拭きたかったが、手が牛の臭いで顔を拭ける状態ではなかった。目に汗が滲みて痛い。

「ブエノス・ディアス。ご機嫌良いとは言えないなぁ。牛臭くて・・・」

 牛の鳴き声がBGMになっていたので、ロホが尋ねた。

ーー大学に電話したら牧場におられると教えられたので、携帯にかけたのですが、本当だったのですね。乳搾りでもなさってるのですか?
「仕事だよ、ロホ。知ってるくせに、変なことを言うな。」

 ロホは真面目なイメージがあるイケメン軍人だが、時々ドキッとする冗談を言うので、油断ならない。セルバ人の男達の間で「乳搾り」と言えば、女性と遊んでいると言う暗語だ。女性との会話では使わない。職場で暗語を堂々と使っているのだから、恐らくロホの上官は席を外しているのだ。

「急ぎの用事かい? 急がなければ、一旦切って、手を洗って、こちらからかけ直すが・・・」
ーーノ、用件は短いです。

 ロホは本当に短く言った。

ーーお帰りの時で結構ですから、オフィスに立ち寄って下さい。

 そして「さようなら」と言って切った。テオの仕事の邪魔をしない配慮なのか、それとも彼自身の上官が戻って来たか、どちらかだろう。ロホの上官は部下が電話で長話をするのを好まない。
 テオは学生達に機材を片付けるように指図すると、手洗いに行った。石鹸でゴシゴシ洗ったが、牛の臭いは服にも染み込んだ様に臭った。これは時間をかけて取るより、自宅に帰って着替えた方が良さそうだ、と思えた。
 学生達に集合をかけ、現地解散を告げた。

「但し、サンプルを研究室に持って帰る人が必要だ。誰か引き受けてくれるか?」

 すぐに学生達が輪になって話し合いを始めた。数分後に学生寮に住んでいる男子学生が挙手したので、彼に研究室の鍵を預けた。サンプルを冷蔵庫に入れたら施錠して事務局に鍵を預けること、と言いつけた。そして一同には、

「今日の作業のレポートを明日提出すること。分析は明日の朝から始める。それじゃ、今日はお疲れ!」

と挨拶すると、学生達は午後から自由になったので大喜びで解散した。

第3部 夜の闇  1

  夜空に大きな月が浮かんでいた。満月にはまだ2日ほど足りなかったが、月明かりは外を歩くのに十分だ。ケツァル少佐は月明かりを必要としないが、アパートのバルコニーでビールを飲みながら外を眺めているうちに散歩をしたい衝動に駆られ、外に出た。私用外出だが、一応拳銃は携行していた。規則を守ることは部下を統率する者にとって重要だ。指揮官が規則を無視すると部下も無視する。
 家並みの向こうは明るかった。繁華街は夜明けまで明るい。平日でも活動している区画があるのだ。セルバ共和国には夜目が効く国民が多いので、昼間働けない場所の工事を夜間にやってしまう業者が少なくない。当局はあまり良い顔をしないのだが、そう言う労働者の夜勤明けの食事や寛ぎの場が夜も賑わっているのだ。
 少佐はアパートを出ると住宅街の道を目的もなく歩いて行った。坂道を上ったり下りたり、特に風景を楽しむこともなく、ただ月を追いかけて歩いている、そんな感じだった。時々民家の庭で犬が吠えた。人の気配で吠えただけだろう。少佐は気を完全に抑制していた。動物達に”ヴェルデ・シエロ”が歩いていると気取られる筈がなかった。
 1本向こうの筋の犬達が盛んに吠え始めた。何か怪しい気配が通っているのだ。少佐は足を止めた。犬の騒ぎは西から東へ移動して来る。先に吠えた犬の感情が伝わって、まだ怪しい気配が到達していない地区の犬も吠え始めたので、少し収拾が付かなくなってきた。その怯えた様な鋭い声に、少佐は一瞬気を放った。

ーー落ち着け

 犬達が静かになった。だが彼等は安心した訳ではない。犬達の緊張が伝わってきた。少佐が立っている通りの犬達も落ち着きを失っている気配だ。
 少佐が放った気は、犬達を怯えさせたモノにも伝わった筈だ。家並みを間に置いて、何者かと少佐が互いの出方を伺う、そんな状態が数分間続いた。

ーーどうしました?

 不意に少佐の脳にママコナが話しかけてきた。少佐が放った気をピラミッドの巫女が受信したのだ。少佐は簡単に答えた。

ーー犬が騒いだので鎮めただけです。
ーー満月が近いせいでしょう。

 ママコナはそれっきり何も言ってこなかった。
 怪しい気配の主はピラミッドには影響を及ぼしていない様だ。だが動かない。少佐が放った気を感じて警戒しているのだ。
 少佐は時計を見た。散歩に出てから1時間経っていた。そろそろ帰ろう。彼女は向きを変え、やって来た道を逆に辿り始めた。当初はぐるりと町内を一周するつもりだったが、犬を騒がせた気配と出くわすのを避けたかった。相手が悪意ある者かただの無心の者なのか判断がつかない。彼女は無用な争いを好まなかった。
 再び背後で犬の吠え声が始まった。怪しい気配は遠ざかって行く。誰かが犬に向かって「黙れ!」と怒鳴る声が聞こえた。
 

番外   番外編ではない

 登場人物にインタビューしたいことがあれば、コメント欄にどうぞ

2021/09/14

第2部 雨の神  6

  テオドール・アルストはケツァル少佐からランチの誘いを受けて、2つ返事で承諾した。少佐は2人の職場から当距離にある小洒落たレストランに席を予約してくれた。普段着で入れるが、料理は手の込んだものを出してくれる人気の店だ。

「ペラレホ・ロハスの処遇が決まったので、お知らせしようと思いました。」

 注文を済ませてから、少佐が切り出した。甘いお話でないことは察しがついていたので、テオは大人しく聞いていた。

「ペラレホはグワマナ族長老会の取調べを受け、取引に応じました。」
「取引?」
「ジョナサン・クルーガーへの制裁を部族に一任すると言うことです。船の当て逃げが起きた時、クルーガーは警察に賄賂を渡し、彼が犯人であると部族が知った時には国外へ逃亡した後でした。ですから、部族は彼に制裁を与えられなかった。結果としてイスタクアテとペラレホが復讐に走ることになったのです。部族はこれからクルーガーに相応の報いを与えるでしょう。」
「部族がペラレホの代わりに復讐してやるんだね?」
「報いを受けさせるのです。」

 少佐は復讐と言う言葉を避けた。恐らく、はっきりとした形でクルーガーに害を与えるのではなく、じわりじわりと苦しみが訪れる形になるのだろう。

「ペラレホはそれを受け入れた。彼はその代償としてどうなるんだ?」
「彼は警察に引き渡され、サン・ホアン村のフェリペ・ラモス殺害の容疑で起訴されます。」
「それは、つまり普通の”ティエラ”として裁かれると言うことか?」
「スィ。彼は遺跡への無断侵入と遺跡荒らしを認め、盗掘を指摘したラモスを殺害したと”自供”しました。」
「”ヴェルデ・シエロ”のことは一切言わずに・・・か。船舶事故のことも言わない訳だな。」
「スィ。ただ遺跡荒らしと殺人の罪だけです。」
「汚職警官を殺害したのも、彼等だろう?」
「それは不問です。何も証拠がありません。グワマナ族も調べようがありません。」

 兎に角、不幸な占い師を殺害した人は裁かれるのだ。

「ペラレホの処遇を教えてくれて有り難う。だが、サン・ホアン村はどうなるのかなぁ。」
「大統領警護隊本部が建設省にオルガ・グランデ北部の地質調査を行うよう勧告しました。あの辺りはオルガ・グランデの水源となる地下水流の支流になりますから、放置する訳に行きません。国とオルガ・グランデ市が大規模な調査に乗り出す筈です。サン・ホアン村は恐らく村ぐるみで移転になると思います。水源枯渇だけでなく、丘陵地の崩落も考慮しなければなりませんから。」
「すると、ラス・ラグナス遺跡が消滅する恐れもあるんだな?」
「スィ。ムリリョ博士が昨日、学術調査の申請を出されました。」

 へぇっとテオは感心した。

「あの人もちゃんと申請を出すんだ!」
「当然です。」

 と言いつつも、少佐も笑った。

「あの遺跡は”ヴェルデ・シエロ”のものではありませんが、コンドルの神像は強い霊力を持っています。博士は気になるようです。マハルダとアンドレも精霊を見ていますしね。」
「俺も見たかったなぁ・・・君は報告で見たんだろ?」
「スィ。綺麗な沼と葦が茂る岸辺の村でした。」

 テオはあの乾いた土地の大空に舞うコンドルと、大地を歩くジャガーを想像した。

「そうだ、一つお知らせがあります。」

と少佐が楽しそうに言った。テオが現実に還って彼女を見ると、珍しく少佐が楽しげな微笑みを浮かべて言った。

「文化保護担当部の欠員補充申請が通りました。若い子が来ますよ!」


 

2021/09/13

第2部 雨の神  5

  トーコ中佐が書類仕事に取り掛かって間もなく、秘書が次の面会者の来訪を告げた。入室を許可するとすぐにケツァル少佐が入って来た。敬礼して、夜の訪問を詫びる彼女を副司令が遮った。

「ギャラガのことだろう?」
「スィ。既にステファン大尉から報告がありましたね?」
「スィ。なかなか面白いではないか。」

 トーコ中佐は書類を閉じた。興味津々で体を机の上に乗り出した。

「君は何時気がついた?」
「気がつきませんでした。」
「ほう?」

 ちょっと驚きだ。彼は思わず言った。

「グラダはグラダを見分けるのではないのか?」
「彼の血の半分は白人です。そしてグラダの血の割合はカイナ族の血より少ないです。ブーカ族の血も混ざっています。正直なところ、初対面の時、彼の出自部族が分からなくて戸惑いました。」
「色々と混血を繰り返してきた家系なのだろう。もしかすると全ての”ヴェルデ・シエロ”の血が混ざっているやも知れぬ。ドクトル・アルストに遺伝子分析を頼んでみてはどうだ?」

 最後は揶揄いだった。先刻ステファン大尉から報告を受けた時、若い大尉の嫉妬心までトーコは読み取ってしまったのだ。大尉は愛する女性を親友の白人に奪われるのではないかと心底恐れていた。恐れる程にケツァル少佐はドクトル・アルストと仲が良いらしい。
 上官の揶揄いを少佐はものともせずに言った。

「遺伝子分析には、比較対象物が必要だそうです。全ての部族のDNAサンプルを採らせて頂ければ彼に分析を依頼出来ますが?」

 トーコは思わず笑った。ケツァルが男達を見ている次元と、ステファンが彼女を見ている次元は違うのだ、と彼は理解した。

「分析にかけなくともわかる。ギャラガが持っているグラダの血はかなり薄いのだろう。しかし薄くてもグラダの力の影響が強いのだ。だから、2頭目のエル・ジャガー・ネグロが現れた。」
「かなり黒が薄いエル・ジャガー・ネグロですが?」
「薄くても、あれは黒いジャガーだ。金色ではない。」
「認めます。」
「では、あの男をグラダ族と認定する。」
「承知しました。」

 ケツァル少佐が微笑した。トーコはドキリとした。この女はまた何か企んでいるな、と警戒した。果たして、彼女は机の方へ上体を傾けた。

「副司令、お願いがあります。」

 トーコは後ろへ上体を反らせた。

「何かな?」
「ギャラガ少尉を文化保護担当部へ下さい。」
「何?!」

 ケツァル少佐は熱弁を振るった。

「半年前に本部がステファン大尉を私から取り上げました。文化保護担当部は目下のところ人手不足に悩んでおります。私は再三人員補充を申請していますが、未だに聞き届けて頂けません。ギャラガ少尉はグラダ族です。彼は今回の任務で能力を目覚めさせました。グラダの力が暴走すると、止められるのはグラダだけです。しかしステファン大尉はまだ修行中で、一番能力の弱いグワマナ族に殴り倒される迂闊者です。ギャラガ少尉が暴走した時に制圧出来るのは私しかおりません。ですから、私が彼を教育します。アンドレ・ギャラガ少尉に文化保護担当部への出向を命じて下さい。お願いします。」

 トーコ中佐が吹き出した。

「最初からそのつもりでここへ来たな、ケツァル?」

 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...