2021/10/25

第3部 隠れる者  8

  ドロテオ・タムードはカルロ・ステファン大尉とロホがサスコシ族の族長に面会したいと希望すると連絡を取ってくれた。族長は大統領警護隊がオルトの夫の子の件で面会を希望していると聞いて、自宅へ来てくれるようにと言った。それでドロテオの次男が大統領警護隊の2人を案内することになった。次男の名はセルソと言った。年齢は2人の隊員より上だった。彼は警護隊のジープの後部席に乗り込んだ。

「族長はシプリアーノ・アラゴと言います。父の幼馴染で、気の良い人です。」

 セルソもメスティーソだ。彼が案内出来る家だから、純血至上主義者ではないのだ。

「因みに、ピアニストの父親の名はヘナロ・パジェです。ヘナロは仕事で海外へも出かけていましたので、純血至上主義がどんなに馬鹿馬鹿しいか理解していましたが、彼の家族は昔ながらの伝統を重視していました。妻のアゲダ・オルトはパジェの同族でヘナロとは親が決めた結婚でした。私が他人の家の内情に詳しい理由は、あの家がガチガチの純血至上主義者で知られているからです。」

 恐らくセルソは過去にパジェの家と何か嫌な出来事があったのだろう。しかし彼はそれ以上語らなかった。
 アラゴの家は広い敷地内に小ぶりの戸建て住宅がUの字に並んでいた。夫婦単位で大家族が固まって暮らす伝統的な建て方だ。しかし中庭にジープを乗り入れると、戸建ての家の半分は空き家で農機具置き場などに使われていることがわかった。実際に住民が住んでいる家は綺麗に手入れされているので、すぐ判別出来た。
 ジープのエンジン音を聞きつけて子供が3人ばかり出て来た。続けて50代と思える男性が姿を現した。ステファン大尉はジープのエンジンを切り、ロホと共に左右に降りた。セルソ・タムードも車外に出ると、その家の主人の前に進み出た。

「セニョール・アラゴ、本日は突然の来訪をお許し下さり・・・」

 型通りの挨拶の遣り取りが5分ばかり続き、その間大統領警護隊の2人は辛抱強く待っていた。それからセルソから族長シプリアーノ・アラゴに紹介された。ステファンが挨拶するとアラゴはゆっくりと彼を眺め、そして言った。

「シュカワラスキ・マナに似ているな。お前の父親に一族のしきたりを教える役目を名を秘めた女から賜ったことがあった。お前は修行を投げ出したりしないよう、心して努めよ。」

 思いがけない場面で父の名を出されて、ステファンは心の中で動揺したが、表に出さずに堪えることが出来た。

「今日は貴方のお力添えを頂きに参りました。貴方のお力で事態が良い方向へ向かうことを信じています。」

 彼の丁寧な物言いに満足したのか、アラゴは頷き、それからロホを見た。ロホも作法に則って挨拶をした。アラゴが不思議そうに彼を眺めた。

「名家マレンカの名を棄てた息子がいると聞いていたが、お前のことなのか?」

 ロホは肯定して言った。

「マレンカの家には息子ばかり6人おります。残っていても親の負担になるだけですから、私自身の家を創る為に、けじめをつける意味で名を変えました。決してマレンカの名を棄てたのではありません。」

 するとサスコシ族の族長は愉快そうに笑った。セルソ・タムードを振り返って言った。

「ドロテオの息子よ、グラダ・シティには面白い人間が多いな。」

 セルソは頭を下げて同意を示した。
 シプリアーノ・アラゴは手を大きく振った。

「中へ入れ、客人。お前達の用件を聞こう。」


2021/10/22

第3部 隠れる者  7

  テオとケツァル少佐はシティホールの周回道路沿いの歩道をゆっくり反時計回りに歩いた。ホールの周囲は公園になっており、背が高い木々がランダムに生えている。その下は芝生だったり、花が咲く薮だったり、土だったりで、子供が遊び、親が日陰でそれを見守っている。長閑な日曜日の午後だった。

「ビアンカ・オルティス、じゃなかった、オルトはロレンシオ・サイスを襲いに来ると思うかい?」

 テオはそうあって欲しくなかった。アパートの屋上で話をした時のビアンカは、本当にサイスの身を心配している様に見えた。彼女は母親と意見を違えて家出したのではないだろうか。家族が”砂の民”にサイスの消滅を望んだとしたら、そして彼女がそれを知ったなら、彼女は弟を守りたくてサイスの側に来たのではないのか。異母弟憎し、或いは一族を危険に曝す不穏分子として処分するつもりで近づいたと思いたくなかった。
 少佐はビアンカの本心を図りかねているのか、黙っていた。彼女の可愛い異母弟は、気の抑制が下手くそで、正に不穏分子として一族から軽蔑されていた。しかし彼は向上心を捨てなかった。超能力を使えないのであれば、普通の人間、軍人として腕を上げて働こうと努力した。彼女は彼が腹違いの弟であると知る迄は、そんな彼が男らしくて好きだった。血縁関係を知ってからは、努力家の彼が誇らしかった。生命の危険に陥ったことがきっかけで、彼は能力を目覚めさせ、メキメキと使い方を上達させていった。彼女の自慢の弟だ。
 きっと少佐はオルトの心の内を理解出来なくて戸惑っているのだろう、とテオは想像した。

「サイスに彼の出生の秘密を教えてやった方が良かないか? 彼は自分がジャガーに変身することを知ってしまった。だけど、何故そんな体質なのか、わからないから悩んでいる。仲間が大勢いることを知れば、きっと落ち着いてオルトのことも考えられると思うんだ。」
「それではサイスに一族の歴史から順番に教えていかねばなりませんね。」

 少佐はテオの顔を見上げた。

「貴方の時は貴方が興味を抱いて接近してきたので、こちらが警戒して情報の小出しをしてしまい、時間がかかりました。サイスは当事者です。どこか邪魔が入らない場所で一度に語って聞かせた方が良いでしょう。」
「だけど、ショックだろうな・・・」

 テオはホールの建物を見た。

「でも今日の彼はいつもと同じ様に演奏した。動揺して弾けないかもと心配したんだが。」
「今朝面会した時に、励ましておきましたから。」

 と少佐が微笑んだ。

「それに気を放出しないように、”操心”をかけておきました。今日の彼の演奏は彼の実力です。」
「そうか・・・上手だったが、俺は惹き込まれる程じゃなかった。」
「それは貴方の趣味が違うからでしょう。ラジオの生放送で聞いていましたが、かなり上手ですよ。」
「はぁ? 車の中で聞いていたのか?」

 昼寝をしているのかと思ったら、少佐はしっかりサイスの音楽を聞いていたのだ。彼女はけろりとして言った。

「もしチケットを購入して、下手な演奏を聞かされでもしたら、損じゃないですか。」

 テオはがっくりときた。ケツァル少佐は「無駄な」出費はしない人なのだ。

「もしこのままサイスの能力を封じても普通のピアニストとしてやっていけるんだな?」
「実力があるので、ピアニストとして生業を立てるのは大丈夫ですが、能力の封印は出来ません。あれは、直系の血縁者でなければ出来ない術です。サイスの父方の祖父母が生きていればなんとかなるでしょうが。」

 そして彼女は立ち止まってテオを見た。テオも足を止めて彼女を見た。

「なんだい?」
「グラシエラの子孫のことを考えなければなりません。」
「?」
「グラシエラは能力をステファンの祖父に封印されました。母親のカタリナも能力を封印されています。でもグラシエラが将来子供を産めば、その子は能力を持って生まれてきます。しきたりに従えば、カルロが子供の教育をすることになりますが、グラシエラの結婚相手にそれを理解してもらえるとは限りません。それにグラシエラが家族と何処に住むのかもわかりませんしね。私も可能な限り協力するつもりですが、封印も教育も難しいことになるでしょう。」

 テオはちょっと考えた。そして言った。

「俺が昔研究していたのは、超能力者の遺伝子を普通の人間に注射して遺伝子を変化させると言う方法だった。だから、その逆もあるんだ。”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子を本格的に分析していないから、出来るとは断言出来ないが、出来る可能性はある。しかし、グラシエラの子供で実験するつもりはない。したくない。」

 彼は少佐が体を寄せて来たので驚いた。

「実現の確証がない未来のことを悩んでごめんなさい。」

と彼女が苦笑した。

「最近グラシエラが同じクラスの男子学生達の話をよくするので、誰か好きな人でも出来たのかと、ちょっと勘繰っているのです。カマをかけてみましたが、なかなか尻尾を出しません。」
「兄貴は馬鹿正直に感情を出すが、妹は強かなんだな。」

 テオと少佐は笑った。公園にいる人々はそんな彼等を、仲良しのカップルが散歩しているなぁと言う程度の認識で眺めただけだった。


 

 

2021/10/21

第3部 隠れる者  6

  コンサートの客による帰宅ラッシュが一段落着くと、少佐が車外に出た。シティホールを一回りしてくると言うので、男達もお供しようと我先にと車外に出た。少佐が呆れた様に言った。

「誰がこの場所を見張るのです?」

 テオはデルガドを見た。ギャラガも同僚を見た。

「君は歩き回った後だから、休憩しながら見張っていろよ。」

 ギャラガがそう言うと、デルガドは建物の入り口を顎で指した。

「暑いから、あの中から駐車場を見ている。」
「結構。」

 少佐が頷いた。テオが車のキーをデルガドに渡した。

「君には必要ないだろうけど、形だけでもキーを使うところを世間に見せておけよ。」
「キーぐらいいつでも使っています。」

 デルガドは車を施錠した。ギャラガが左方向を指した。

「私は時計回りに歩きます。」
「それじゃ、少佐と俺は反時計回りに歩く。」

 すると少佐が眉を上げた。

「私は貴方と行くと言った覚えはありません。」
「それじゃ、アンドレと行ってこいよ。」

 テオは特に意地悪を言ったつもりはなかったのだが、彼女はツンツンして反論した。

「貴方がピューマに襲われたら、後の目覚めが悪いではないですか。」
「別にいつも大統領警護隊に守ってもらうつもりもないけどな。」

と言いつつ、テオは腕を差し出した。少佐はちょっと彼を睨んでから、いかにも渋々と言いたげにゆっくり手を伸ばして彼の腕を掴んだ。
 2人が歩き去ると、ギャラガとデルガドは堪えていたものを吹き出した。

「君の上官は素直じゃないな。」
「君の上官もだ。彼女のことが好きなくせに、今の状態から前へ行けない。だからドクトルにいつも遅れを取る。」
「彼女はどうなんだ?」
「どうだろ?」

 ギャラガは苦笑した。

「多分、どっちも好きなんだ。だけど迷っているんじゃない、今の状態が彼女には心地良いんだと思う。 彼女は選びたくないんだ。」



第3部 隠れる者  5

  昼の部が終わり、客達がぞろぞろと客席から出て来た。テオとギャラガは人の波に巻き込まれる前に建物の外に出た。車に戻ると、既にデルガドが到着しており、窓を開放した車内で少佐と2人してアイスクリームを食べていた。テオは周囲を見回し、駐車場の入り口付近にアイスのスタンドが出ているのを見つけた。少佐に断らずに彼はギャラガを引っ張ってスタンドへ走った。

「夜迄どうします?」

とギャラガがメロン味のアイスキャンデーを舐めながら尋ねた。面白がっている。以前は大統領警護隊の中で孤独だった彼は、休暇をもらっても遊ぶ友達がおらず、1人で海岸へ行って海を眺めるか、官舎のジムで体を鍛えるしか時間の過ごし方を知らなかった。しかし文化保護担当部に引き抜かれてから、毎週土曜日は「軍事訓練」と言う名の戦闘ごっこ、ボール遊び、ジャングル探検、そしてデネロス農園での畑仕事の手伝い等、することが沢山あった。日曜日の軍隊の外の世界は「安息日」なので、彼は官舎で好きなだけ眠り、目が覚めると外出許可をもらって買い物に出たり、図書館へ行った。彼の好きな様に活動出来るのだ。
 自称ビアンカ・オルティスとロレンシオ・サイスの調査や監視は、文化保護担当部の任務ではない。少佐も彼に働けと命令していない。彼は彼自身の意志で参加していた。
 駐車場から出て行く車の列を避けながら、彼とテオは車に戻った。
 日差しを浴びて熱くなっている車内に入ると、大急ぎでアイスキャンデーを食べた。少佐がデルガドに声を掛けた。

「2人に報告してやって下さい。」
「承知しました。」

 デルガドは、まず女の同室の女性から聞いた話、と前置きした。

「自称オルティスは3ヶ月前に突然あのアパートに越して来たそうです。ルームメイトが出していた同居人募集の貼り紙を見てやって来たのです。大学生と言う触れ込みでしたが、荷物に書物や学生らしい物は殆どなかったとルームメイトは言っています。日中も家にいることが多く、時々散歩に出ていたそうです。恐らくサイスの家を見張っていたのでしょう。大学に行っていた様子もなく、夜はよく外出するので、ルームメイトは彼女が夜の仕事をしているのだろうと想像していました。あのアパートは女性の学生用なので、学生以外には貸さないことがルールですが、管理人は家賃さえもらえれば目を瞑る人です。自称オルティスが犯罪者でも外国のスパイでも構わない、そんな人です。
 月曜日のジャガー騒動を聞いて、自称オルティスは火曜日の昼間に出かけ、その後暫く外出を控えていたそうです。そして昨日、2人の男性の訪問者と話をした1時間後に彼女は突然アパートを引き払ってしまいました。現在所在不明です。」

 しかし、彼の話はまだ続きがあった。

「ステファン大尉から電話がありました。アスクラカンのある伝統を重視するサスコシ族の家に男がいて、彼は妻子と同居しながら、仕事で行った北米で別の女を作りました。女との間に息子が生まれたのですが、彼は母親と子供を引き取ることをアスクラカンの両親に反対され、1人でセルバへ戻りました。彼は妻に内緒で北米へ仕送りを続けていましたが、北米の女が死んで息子が1人になったので、自分の正体を隠して息子をセルバへ移住させようと考えました。ところが彼のビジネスパートナーだったアメリカ人が、息子の音楽の才能を発見し、ピアニストとしてデビューさせました。男は息子が独り立ちする為の仕事だと思って密かに資金援助したのですが、それを妻に知られてしまいました。息子のピアノの才能が頭角を表し、メディアに出る様になった為に、父親とよく似た風貌を見て、妻が隠し子の存在に気づいてしまったのです。妻は激怒しました。何故なら、妻との間に生まれた子供の養育費は全て伝統を重んじて妻の実家が出していたからです。妻から言わせれば、北米の息子の養育費は北米の女の実家が出すべきものだったからです。夫婦は激しく対立し、心労から男は病に倒れ、死にました。4年前のことです。」

 テオとギャラガは顔を見合わせた。夫を死に追いやるなんて、どんな怒り方をしたのだ、その妻は? デルガドは続けた。

「妻の子供は娘1人だけです。サイスの母親違いの姉になります。名前はビアンカ・オルト、既に成年式を済ませた大人ですが、彼女の家族は彼女のナワルを一族に公表していません。」

 テオが呟いた。

「ピューマだからだ・・・」

 少佐がデルガドに尋ねた。

「カルロ達はビアンカ・オルトの所在を攫みましたか?」
「ノ、ビアンカは2年程前に故郷を出て、それ以来帰っていないそうです。大尉がこの話を語ってくれた家族に”心話”で彼女の顔を確認してもらいました。オルティスとオルトは同じ女です。」
「ロレンシオ・サイスとビアンカ・オルトは異母姉弟なんだな。」

 テオは不思議な感じがした。ケツァル少佐とステファン大尉も異母姉弟だ。彼等は大人になる迄互いに相手が同じ父親を持つキョウダイだと知らなかった。ビアンカとロレンシオは、ビアンカだけが2人の関係を知っていて、弟に密かに接近を図った。彼女はロレンシオをどうしたいのだろう。一族に迎えたいのか、それとも父親の死の原因となってしまった者として排除したいのか。少佐と大尉の様に互いの命を預け合って共に戦い、一緒に喜んで笑う仲になれないだろうか。
 少佐がまたデルガドに尋ねた。

「カルロはタムードの伯父様から他に何か聞いていませんか? オルトの家族がどれだけ伝統を守ることに厳しいのか、ビアンカの母親はまだ怒っているのか、彼等家族は異種族の血を迎え入れる余裕があるのか・・・」

 デルガドは硬い表情で答えた。

「少佐の質問にお答え出来る内容の報告と思えますが、大尉はセニョール・タムードから1人でオルトの地所に立ち入るなと忠告されたそうです。どうしても1人で行かねばならない時は、グラダの証が必要だと。」

 それで十分だった。ビアンカ・オルトの家族は純血至上主義者だ。


第3部 隠れる者  4

  シティホールの駐車場は4分の3ほどの入りだった。昼の部と夜の部があって、夜の方が入りが多い。昼の部の当日チケットがまだ残っていたので、テオはギャラガの分も支払って2人の席を取った。少佐は興味がなさそうで、一緒にお昼ご飯を食べた後、車に残ってシエスタに入ってしまった。
 少佐が寝てしまうと言うことは、自称ビアンカ・オルティスの気配がないと言うことだ、とテオは判断した。
 座席は2階席の傾斜した客席の最後部で見通しは良くなかった。1階を見下ろすとステージの手前の座席を取っ払って客が踊れる様にしてあった。それでバンドやピアノがよく見えないのに1階席が完売していたのだな、とテオは納得した。2階席の客もダンシングタイムには1階に入っても良いと言うことになっていた。
 夜と違って曲目も定番の演目が多く、観客の服装もカジュアルだ。ロレンシオ・サイスはソロ演奏を2曲弾いただけで、後は全部バンドと一緒だった。確かに元気良い上手なピアノだったが、テオは惹き込まれる様な気分にならなかった。ギャラガが曲に乗って体を揺らしていたので、下で踊って来いよ、とテオは言ってやった。それで、少尉は「偵察です」と断って席を立った。
 テオはV IP席を見たが、そちらは夜の部の客だけなのか、どの席も空だった。
 ポケットの中の携帯電話が震動したのは5曲目が終わる頃だった。見るとデルガドだったので、テオは席を立ち、通路へ出た。

「オーラ、アルストだ。」
ーーデルガドです。やはり女は逃亡していました。

 と少尉が報告した。

ーー同室の女性に話を聞くと、昨日我々が彼女のアパートを離れた1時間後に、彼女は荷物をまとめて出て行ったそうです。
「出て行った? 部屋を引き払ったのか?」
ーーその様です。ルームメイトは今月の家賃をもらっていますが、オルティスが何処へ行ったのかは知りません。

 デルガドが自信を持って話すので、”操心”を使って相手に自白させたのだろう、とテオは想像がついた。

ーーステファン大尉から何か連絡はありましたか?
「ノ、ロホからも何も言って来ない。話を聞き出すのに手間取っているのかも知れない。ところで君はこっちへ来るかい?」
ーー行きます。今、バスに乗ることろです。一旦切ります。

 テオがシティホールの何処にいるのかも訊かずにデルガドは電話を切った。
 テオは通路の壁に沿っておかれているベンチの一つに腰を降ろした。南国のシエスタの時間にジャズコンサートなんて、いかにもアメリカ人が考えそうなことだ、と彼は思った。
 ギャラガが階段を上がって来た。通路にいるテオを見つけてそばに来た。顔が上気していて、かなり体を動かした様だ。テオは笑った。

「かなり楽しんだみたいだな。」
「伝統舞踊と違って作法を気にせずに踊れましたからね。」

 テオは大統領警護隊の本部内での生活を知らなかったが、ギャラガと親しくなってから、時々”ヴェルデ・シエロ”の若者達の軍隊生活を知る機会が出来た。それまで文化保護担当部のメンバーは誰も本部内の様子を教えてくれたことがなかったのだ。基本的に警備班の交替制勤務が本部の生活の中心で、上層部もそれぞれ担当している班のシフトに合わせて業務に就いているとか、季節の行事はちゃんとそれぞれの出身部族の仕来りに従い、時間を与えられて部族毎に行うとか、その行事の中で若者にはちょっと恥ずかしい伝統舞踊を習わなければならないとか、そう言う類だ。メスティーソの隊員は父親か母親の出身部族の行事に参加させられるのだが、ステファン大尉は絶滅したグラダ族の父と母を持つのでどの行事も不参加だ。ギャラガは母親からブーカ族だと聞かされていたのでブーカ族に参加しているが、多種の血が入っているので本人はあまり馴染めない。大尉の様に免除して欲しいなぁと思っている訳だ。ケツァル少佐はグラダ族だ。養父はサスコシ族だがその養父は伝統的でない家で育ったので、少佐もサスコシ族には参加しないで、暦に従って祈ったり瞑想に耽ったりしているだけだと言う。

「伝統舞踊は気に入らないかい?」
「だって・・・」

 ギャラガは顔を赤らめたまま、そっと声を顰めた。

「殆ど裸になって変身する迄踊るんですよ。」

 半年前までナワルを使えなかった彼は、それ迄太鼓を叩いたり、マラカスを振る役目だった。変身出来ない”出来損ない”の役目だが、正直なところ、彼はそっちの方が良かったのに、と悔やんでいた。
 テオはちょっと意外に思った。

「君はエル・ジャガー・ネグロだろ? グラダとして少佐の祈りに参加すれば良いじゃないか。カルロだって同じだ。見物なんかしていないで、君達でグラダ族の行事をやれば良いんだ。」
「グラダ族の行事なんて誰も知りませんよ。」

とギャラガが苦笑した。

「名前を秘めた女性ですらご存知ないのですから。」


第3部 隠れる者  3

 ライブラリーのドアをサイスが開けると、マネージャーが苛々とリビングの中を歩き回っていた。彼はピアニストが出て来ると、駆け寄り、早く食事を済ませろと言った。

「今日は夜まで食べる暇がないかも知れない。早く食事を済ませて着替えろ。」

 そして客を憎々しげに見た。テオと少佐は心の中で苦笑しながら、暇を告げて家の外に出た。デルガドを連れて道に出ると、ギャラガが角の向こうに駐車していたテオの車で迎えに来た。

「シティホールへ行きましょう。」

と少佐が言ったので、テオは尋ねた。

「オルティスのアパートに行かなくて良いのか?」
「行っても意味がありません。」

と彼女は言った。

「恐らく彼女はアパートにいないでしょう。大統領警護隊が彼女の話を鵜呑みにすると思っていない筈です。昨日のうちに身を隠したと思います。」
「彼女はピアニストを狙っているのでしょうか?」

とギャラガが運転しながら尋ねた。しかし少佐はセルバ流に答えただけだった。

「彼女に訊かなければ分かりません。」

 デルガドはポケットの中の携帯電話が沈黙しているのが気になっていた。アスクラカンへ行ったステファン大尉が何かを掴んだら連絡を寄越す筈だ。時間的にはもうアスクラカンに到着して、ケツァル少佐の養父の遠縁の人に会っている頃だ。
 テオはサイスについていなくても大丈夫なのだろうかと心配していた。サイスはボディガードを雇っていない様だ。ハイメと言う男はボディガードにしては強そうに見えなかった。恐らく運転手か付き人なのだ。だが屈強なボディガードでも、相手が”ヴェルデ・シエロ”ならいないのも同じだ。

「少佐、こうも考えられないか?」
「何です?」

 少佐は眠たそうに見えた。普通日曜日は自宅でのんびり機関銃の手入れをしている人だ。休日に早朝から他人の心配をして走り回るのはくたびれるのだろう。テオは彼女を寝かせまいとして喋った。

「自称ビアンカ・オルティスは”砂の民”だとしよう。そしてロレンシオ・サイスの父親の親族が、サイスのコンサートを何処かで生で聞いて、サイスが気を放出していることに気が付く。親族はそれが一族にとってどんなに危険な行為か理解しているので、家長に報告する。 家長が身近にいた”砂の民”のオルティスにサイスの処分を命じる。オルティスはサイスを粛清する為に近づいたが、まだ若いのでなかなか要領を得ない。何度かコンサートに通ううちに、彼女はサイスのファンになってしまう。彼女は彼を守りたいと考え、大統領警護隊に嘘の証言をする。」
「守りたいのなら、どうして彼にドラッグを許したのです?」

 麻薬組織の摘発を最近したばかりのギャラガが質問した。テオは考えた。

「彼女は俺達に、彼女が席を外した間にサイスがドラッグをやってしまったと言った。」
「彼女はそのパーティーの常連なのですか?」
「いや、初めて参加した様なことを言った。サイスの父親と出身地が同じだから呼んでもらえた、と・・・」

 デルガドが「失礼」と遮った。

「自称オルティスは”操心”でパーティーに潜り込んだのではないですか? サイスの能力がどの程度のものなのか、確認する為に彼女が麻薬を持ち込み、他の人間を酔わせてサイスの心のタガが外れるのを観察していたとか・・・」

 流石に大統領警護隊遊撃班のエリートだ。発想が普通の人と違う。彼は運転しているギャラガに声を掛けた。

「向こうの角で降ろしてくれ。私は女のアパートを調べて来る。」

 彼はケツァル少佐の直属の部下ではない。だから文化保護担当部の指図は受けない。彼は少佐に顔を向けた。

「緊急の事態さえなければ、後でシティホールで合流させて下さい。連絡は携帯でよろしいですか?」
「俺の電話にかけてくれ。」

とテオが素早く言った。少佐は部下以外の電話の呼び出しをよく無視する。
 少佐は頷いてデルガドに了承を伝えた。そして彼が車から降りる時、一言注意を与えた。

「気をつけなさい、相手はピューマです。」

 しかしマーゲイの若者は怯むことなく微笑んで素早く立ち去った。


2021/10/20

第3部 隠れる者  2

  ロレンシオ・サイスの家のライブラリーは防音仕様になっていた。書斎と言うより音響を楽しむ為の部屋だ。サイスは客を中に入れるとドアを閉じて中から施錠した。
 テオは棚に収録されているレコードやC D、D V Dなどを眺めた。どれもピアノやジャズの媒体だった。サイスはこの部屋で他人の演奏を聴いて勉強しているのだろう。
 ケツァル少佐は興味なさそうだ。そう言えば彼女が何か音楽を聴いているのを見た記憶がないな、とテオは気がついた。彼女はいつも風の音や小鳥や虫の鳴き声を聴いている。聴いて敵が接近して来ないか警戒しているのだ。どんな時でも。
 サイスが客に向き直った。英語で尋ねた。

「ジャガーを追跡されているのですね?」

 と彼が尋ねたので、テオは正直に言った。

「追跡は大統領警護隊遊撃班の仕事で、俺達は遊撃班の手伝いをしている。申し遅れたが、俺はグラダ大学生物学部で遺伝子分析の研究をしている。遊撃班が採取したジャガーの体毛と血痕を分析した。」
「血痕の分析・・・」
「何処か怪我をしたんじゃないか? 有刺鉄線で引っ掛けただろう?」

 サイスが不安でいっぱいの暗い目で彼を見た。

「僕がジャガーだと考えていらっしゃるのですか?」
「違うのかい?」

 テオに見つめ返されて、サイスは目を逸らし、ケツァル少佐を見た。少佐は彼の目を見たが、感じたのは恐怖と不安感と孤独感だけだった。彼女も英語で尋ねた。

「変身したのはあの月曜日の夜が初めてだったのですか?」
「僕は・・・」

 サイスが床の上に座り込んだ。

「何が起こったのか、わからないんです。バンド仲間やファンクラブの人達とパーティーをして、調子に乗ってドラッグに手を出しました。クスリをやったのは初めてです。本当です、信じて下さい。」
「私達は貴方の薬物使用を咎めに来たのではありません。私の質問に答えて下さい。変身を何回経験しましたか?」

 サイスが震える声で答えた。

「1回です。あの時が初めてです。」
「あれから変身していませんね?」
「していません。どうやって変身したのかも覚えていません。本当に変身したのか、自分の記憶も混乱しているんです。でも、家に帰った時、僕は裸で何も身につけていませんでした。脇腹に引っ掻き傷があって、鏡を見たら、僕の目が・・・」
「ジャガーの目だった?」

とテオが声を掛けた。

「金色の目をしていたんだね?」
「はい・・・ドラッグのせいで幻覚を見ているのだと思いました。だけど、家に帰って来る時の身軽さと爽快感は覚えていて・・・」
「ナワルを知っているかい?」

 サイスがこっくり頷いた。

「ファンクラブの人がパーティーの時に話していました。古代の神官や魔法使いが動物に化けるのだと・・・」
「ファンクラブの人がね・・・」

 テオと少佐は顔を見合わせた。ドラッグパーティーにナワルの話など出すか、普通? とテオが心の中で呟くと、少佐がまるで彼と”心話”が通じたかの様に言った。

「不自然な話題の出し方ですね。その話をしたのは女性ですか?」

 サイスがちょっと考えた。そして再び頷いた。

「そうです、生粋のセルバ人で、綺麗な人でした。コンサートの客席で何度か見かけましたが、話をしたのはあの夜が初めてでした。」
「ビアンカ・オルティス、彼女はそう名乗りませんでしたか?」
「名乗ったかも知れませんが、覚えていません。正直なところ、僕は自分の身に起きたことで混乱して、あの夜のパーティーのことは漠然としか思い出せないのです。」
「記憶が曖昧なのはドラッグの影響でしょう。」

 少佐が時計を見た。

「貴方のマネージャーが苛ついています。私達はここで切り上げます。」
「あの・・・」

 サイスが立ち上がってテオの腕に手を掛けた。

「僕に何が起きたのか、ご存知なのでしょう? 助けて下さい。誰にも相談出来ないんです。大統領警護隊がジャガーを探していると言う噂を家政婦から聞いて、捕まるんじゃないかと恐ろしくて堪らないのです。」
「それで昨日まで家に閉じこもっていた?」
「はい・・・」

 勿論、サイスをこのまま放置しておくつもりはないテオと少佐だ。少佐が名刺を出した。

「私の連絡先です。平日は文化・教育省にいます。いつでもいると言う訳ではありませんが、職員に伝言を残して下されば、こちらから接触します。それから、今日のコンサートですが・・・」

 少佐はサイスの目をグッと見つめた。サイスがその眼力にたじろぐのをテオは感じた。少佐が微笑んだ。

「頑張って下さい。成功を祈ります。」



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...