2021/11/05

第3部 終楽章  4

  テオが帰宅すると、リビングのソファでステファン大尉が寝ていた。客間で寝れば良いのに、と思いつつ、テオは寝室で着替えてからキッチンでコーヒーを淹れた。芳しい香りでステファンが目を覚ました。家の主人が帰宅しているのに気がついて、彼は体を起こした。無言のまま彼はソファを離れ、ダイニングのテーブルに来た。
 2人は黙って昼食を取った。ステファンはタコス1個では物足りないのではと心配したテオは、冷蔵庫からマカロニチーズを出して温めて出した。それもステファンは無言で食べてしまった。食欲が無さそうに見えて、かなりの量を食べている。超能力を使ったのだ、とテオにはわかった。姉のケツァル少佐が能力を使った後に異常な量の食事を取るのと同じだ。
 ステファン大尉が落ち着いてきた様子だったので、テオは自然な風を装って会話を始めた。

「昨日の朝、アスルがここへ来て、ミーヤ遺跡で不審な女と出会して銃撃したが逃げられたと教えてくれたんだ。勿論彼は少佐に電話で報告済みだったろうけど。それで夕方、ロホとマハルダとアンドレがオフィスでの仕事が終わった後で向こうへ行った。アスルは遺跡を離れられないから、彼等が女の痕跡を追ったら、マカレオ通りに出たそうだ。アスルが使った”通路”の近所だろうね。そこで女の痕跡を追うのが困難になったので、彼等は追跡を諦めて解散したんだろう。」

 流石に少佐とディナーデイトして自宅まで送ってもらったとは言えなかった。彼が、これで終わり、と仕草で表現すると、ステファンがそれに続ける様に語り出した。

「オルトは最近迄住んでいたアパートに戻っていました。血の臭いを辿って突き止めました。アパートに踏み込もうとしたら、少佐が一足先に来て結界を張っていたので、私は入れなかった。」
「結界? どうして少佐が・・・」
「オルトと話がしたかったのでしょう。」

 俺の知ったこっちゃないよ、と言いたげに、ステファンはそれ以上の説明はしなかった。

「アパートから出て来た少佐は、オルトに大統領警護隊に出頭するよう言った、と言いましたが、私はオルトを信じられませんでした。勿論少佐もあの女を信用していた訳ではありません。後は私の仕事だと言って少佐は帰りました。
 私はデルガド少尉を呼んで、アパートに踏み込むつもりでした。すると結界が消えたことを確認したオルトがアパートから出たのです。」
「逃げたのか?」
「逃げようとしたのです。私達が追いかけると、彼女は気の爆裂を放って来ました。私は風が私に到達する前に押し返しました。オルトは自分が放った気をくらって転び、立ち上がって逃げようとしたので、私は止まらなければ脚を砕いてやると警告しました。」
「彼女は止まった?」
「スィ。立ち止まったので、私は彼女の目を塞ごうとしました。その時、デルガドが彼女の手を後ろで拘束しようとしました。」

 テオはドキリとした。嫌な予感がした。

「君が目を塞ぐ前に、エミリオは彼女に触れたのか?」
「スィ・・・そう言うタイミングでした。オルトがいきなりエミリオに向かって振り返ったのです。私は咄嗟に彼女の首を殴りました。」

 ジャガーの一撃だ。一突きで殺すもの、それがジャガーの語源とも言われている。そしてジャガーはピューマより強いことが動物学者によって確認されている。だがマーゲイはジャガーよりもピューマよりも小さい。テオは不安に襲われて尋ねた。

「エミリオは・・・?」
「肋骨を3本折られました。オルトは私に立ち向かっても叶わないと悟って、エミリオを攻撃したのです。ただ、先に己が放った気の爆裂を私に跳ね返されて自分でくらってしまっていたので、力の全開は出来なかった。だからエミリオは命拾いしました。」
「そして、オルトは・・・死んだのか・・・」

 ステファンが溜め息をついた。

「少佐と出会った時に、エミリオにまともにオルトの相手をさせるなと注意されていたのです。私は彼女に、部下を危険に曝したりしないと見栄を切ってしまいましたが、結局失敗しました。オルトは”出来損ない”のグラダより純血種のグワマナを相手にした。私とエミリオが互いに離れた瞬間に、彼女は2人の力の差を測りとったのです。そう言うことが出来る人間が敵なのだと、私は考慮すべきだったのです。」

 ステファン大尉の気鬱は、オルトを死なせてしまったことではなく、部下を守りきれなかった後悔だった。テオは微笑んで見せた。

「だけど、エミリオは生きているんだろ? 君がオルトの首を折らなければ、彼は殺されていたんだ。君はエミリオを守ったんだ。彼もきっとわかっているさ。」

 ステファン大尉は床に視線を向けた。

「それでも・・・少佐に叱られます。」


第3部 終楽章  3

 金曜日の午後は学部毎の教授会があって、進級させる学生や落第させる学生を決める。だから木曜日の最終試験の監督を務めたテオは、お昼になるとランチも取らずに大学を出た。文化・教育省の駐車場に行くと、ケツァル少佐のベンツとロホのビートルが所定の場所に駐車されていたので、彼は雑居ビル1階のカフェ・デ・オラスへ行った。少佐、ロホ、デネロス、そしてギャラガが揃ってランチをしているのを見て、彼は店に入る前にステファンの携帯に電話をかけてみた。1回の呼び出し音の後ですぐにステファン大尉が出た。

「アルストだ。もう本部に帰ったのかい?」
ーーノ・・・お言葉に甘えて貴方の家にいます。

 気のせいか、やっぱり元気がない声だ。テオは気がつかないふりをして言った。

「昼飯を仕入れて帰るから、待っててくれ。」
ーー承知しました。

 電話を切ってテオは店内に入った。カウンターへ行き、持ち帰りのタコスを2人前頼んだ。それから、文化保護担当部の隊員達が座っているテーブルに近づいた。

「ヤァ、今日は全員揃ってるんだな。」

 少佐以外の3人が振り返った。デネロスがニコッと笑いかけてくれた。

「アルスト先生も試験が終わったんですね?」
「スィ。明日の昼迄休めるんだ。」

 ギャラガがびっくりした様な顔をした。

「明日は午後から仕事なのですか?」
「スィ。教授会がある。誰を進級させて誰を落第させるか話し合うんだ。」
「魔の会議ですね。」

  学生のデネロスが身震いのふりをして、仲間を笑わせた。少佐がチラリとテオを見上げた。

「ランチは持ち帰りですか?」

 つまり、一緒に食べないのか、と訊いているのだ。テオは仕方なく頷いた。

「スィ。家で待っているヤツがいるからね。」
「誰? アスル?」

とデネロスが無邪気に尋ねた。まさか、とテオは笑った。

「黒いヤツだよ。」

 4人の隊員全員が彼を見つめた。何故ステファン大尉がテオの家にいるのか?と問いたげな表情だった。デネロスが小さな声で尋ねた。

「今日の未明に、ピューマを捕まえたんじゃないんですか?」

 テオがすぐに返事をしなかったので、彼女はさらに言った。

「報告書の作成やら取り調べで大尉は忙しい筈ですけど・・・」

 それでもテオが返事出来ずにいると、ギャラガが言った。

「私達は昨夜ミーヤ遺跡に行ったんです。 アスル先輩が不審な女を銃撃したと聞いたので、女を追跡しました。そしたら、マカレオ通りに出たんです。」
「アスルもあの辺りに”通路”があると言っていたな。」
「私達はそこで追跡を諦めたのですが、未明に町が慌ただしくなりました。日が昇る頃に官舎に帰ったら、遊撃班が外へ出て行ったと聞いたので、ステファン大尉の応援に行ったのだと思いました。」

 大統領警護隊は部署が異なると互いに何をしているのか知らないのだろう。大きな出来事なら情報が拡散するのだろうが。
 少佐がテオに尋ねた。

「カルロは貴方の家で何をしているのです?」
「知らない。」

とテオは正直に答えた。

「今朝は試験の監督しか仕事がなかったから、遅い時間に家を出たんだ。そしたら家の前にカルロがやって来た。疲れている様に見えたから、俺の家で休むように言った。」

 その時、カウンターで彼を呼ぶ声がした。テイクアウトの用意が出来たのだ。テオは友人達に、またな、と言ってテーブルから離れた。

第3部 終楽章  2

  サイスの家を出たステファン大尉は、本部へ帰るべきか、文化保護担当部に明け方の出来事を報告すべきかと少し迷った。迷いつつ運転していたので、気がつくとテオドール・アルストの家の前に来ていた。テオの車がまだそこにあり、丁度テオ本人が鞄を持って出て来たところだった。車に乗り込もうとして、彼は道に大統領警護隊のジープが停まっているのに気がついた。

「ブエノス・ディアス!」

 いつも優しい声をかけてくれる人だ。人1人の命を奪った直後のステファンは、なんだか泣きたくなった。窓を開けて挨拶を返して、彼はわかりきったことを尋ねた。

「お仕事なんですね。」

 テオがジープのそばへやって来た。

「スィ。何か急ぎの用かい?」

 そう言ってからテオはステファンの顔が、朝だというのに憔悴した印象を与えることに気がついた。それに相棒のデルガドはジープに乗っていない。
 テオは家をちょっと顎で指した。

「疲れているなら、中に入って休め。俺は午前中仕事だが、午後は調整すれば何時にでも帰って来られる。帰る時は電話を入れる。」

 彼は時計を見て、それじゃ、と車に戻りかけた。ステファンがその背中に声をかけた。

「彼女は死にました。」

 テオが一瞬足を止めた。そして彼は詳細を知らなくても、その意味は理解した。
 
 カルロはそうしなければならなかったんだ・・・

 彼は努めて明るい声で言った。

「それじゃ、ロレンシオはもう安全だね。」

 彼は車に乗り込み、エンジンをかけた。ジープはまだそこにいた。彼は車を出した。

2021/11/04

第3部 終楽章  1

  木曜日の朝、ロレンシオ・サイスは疲れた顔でテーブルの前に座っていた。テーブルの上には朝食のコーヒー、トースト、オムレツ、サラダ、果物が並んでいたが食欲がなかった。彼は火曜日にステファン大尉から己の出自の秘密を伝えられ、超能力の訓練を受けることを勧められた。その翌日からマネージャーのボブ・マグダスと引退するしないで口論していたのだ。マグダスは既に半年先迄彼の演奏旅行のスケジュールを立ててしまっていた。今ここでサイスに引退されると莫大な損害を出してしまう。サイスが貯金を全て彼にやると言っても容認出来なかった。今迄仲良くやってきたバンド仲間からも我が儘だと責められた。しかし、引退の本当の理由を伝える訳にいかないのだ。彼等はサイスが”ヴェルデ・シエロ”だと言っても信じないだろうし、もしジャガーに変身して証明などしたら、撃ち殺されるに決まっている。
 このまま黙ってグラダ・シティを出て行こうか、と思った時、玄関のチャイムが鳴った。家政婦が応対に出て行き、すぐに客を連れて戻って来た。

「セニョール、エル・パハロ・ヴェルデです。」

 護衛のロス・パハロス・ヴェルデスの2人は台所で朝食を取っている筈だし、交代要員が来るにはまだ早い時刻だった。サイスは顔を上げた。軍服姿のカルロ・ステファン大尉が立っていた。火曜日に会った時は、大尉は私服姿だったので、サイスの目に彼は眩しく映った。

「ブエノス・ディアス。」

と挨拶して、ステファン大尉はサイスの顔を眺めた。

「あまりよく眠れていない様ですね。」
「マネージャーと口論しているので・・・」

 口論の内容は、警護についている少尉達から報告が上がっていたので、ステファンは敢えて訊かなかった。彼は一つだけ朗報を持って来ていた。

「貴方の命を狙っている女性がいると言いましたね? 彼女は大統領警護隊に処罰されました。もう貴方の安全を脅かすことはありません。」

 サイスが彼を見つめた。目が明るくなった。

「本当ですか?!」
「スィ。ですが、貴方は超能力の使い方を年長者から教わる必要があります。」

 サイスがまた沈んだ顔になった。ステファンがリビングのピアノを振り返った。

「ピアノを止める必要はないでしょう。体調が悪いと言って暫く休養を取ることにしては如何です? その間にアスクラカンへ行って、サスコシの族長の家で基礎的なことを学ぶのです。」
「つまり・・・休業宣言するってことですか?」
「出来ますか?」

 サイスは考えた。

「僕がどの程度学べるのかわかりませんが、超能力を使わない訓練でしょう? やってみます。マネージャーを説得して半年間の休業期間をもらえるよう頼んでみます。」

 彼は己の手を見た。

「僕の手はピアノを弾くためのものです。地面を四つん這いになって歩くためのものじゃない。」

 そして彼はハッとして大尉を見た。

「すみません、貴方も変身なさるのでしたね。決して馬鹿にした訳じゃありません。」
「構いません、私も変身した後は酷く疲れるので、あの力は好きではありません。」

 ステファン大尉は台所の方を見た。

「護衛を引き揚げさせます。グラダ・シティにいる限りは必要ないでしょう。休業出来るとわかれば連絡を下さい。族長の家にご案内します。”ヴェルデ・シエロ”に限ったことではありませんが、この国の先住民にはややこしい作法があります。アスクラカンへ旅立つ前に最初にそれを教授します。」

 するとサイスがその日初めて笑った。

「北米の先住民にもややこしいマナーがあります。母方の一族にもありました。ですから、心配ご無用です。僕は喜んで学びます。」

 それから彼は大尉の背後を覗く仕草をした。

「今日は少尉は来られていないのですか?」

 ステファンは表情を変えずに答えた。

「ええ、彼は今朝忙しいのです。処罰された女性に関する報告などもありますから。」





第3部 狩る  15

  エミリオ・デルガド少尉がやって来たので、ステファン大尉はアパートの3階の窓を指差した。

「女はあの部屋に戻っている。文化保護担当部からの情報によれば、彼女は南部国境近くの遺跡で文化保護担当部のクワコ少尉から職質を受け、答えずに逃げたので銃で撃たれた。脇腹を負傷したらしいが、どの程度治っているのか不明だ。これから私は彼女の部屋へ行って彼女を捕まえる。逮捕容疑は違法ドラッグの使用だ。君は私の後ろでフォローしろ。彼女の目を塞がねばならん。私が彼女の目を塞いだら、彼女の手を拘束しろ。もし少しでも攻撃の気を感じたら、容赦無く撃て。相手はピューマだ。油断禁物だぞ。」
「承知。」

 デルガドはホルダーの銃の弾倉を確認した。カルロ・ステファンは知っている。大統領警護隊の隊員達は皆優秀な軍人だ。しかし実際に敵と対峙して、命の遣り取りを経験した隊員は少ない。遊撃班でさえ人を殺した経験を持つ隊員は数人しかいないのだ。デルガドはまだ20歳になったばかりだ。南部の穏やかなグワマナ族の漁村で生まれ育った。詳しい経歴を聞いたことはないが、他人の命を奪う過酷な体験はしたことがないだろう。
 ステファンとデルガドがアパートの入り口へ向かおうとした時、3階から物音が聞こえた。2人は咄嗟に隣のアパートの影に入った。3階のBの部屋の窓から人の頭が突き出された。オルトがケツァル少佐の結界が消えたことを確認しているのだ、とステファンはわかった。

「出て来るぞ。」

 彼等はアパートの出入り口に左右に別れて立った。数分後、やや足を引きずった感じの音が階段を降りて来た。右脚を動かすと脇腹が痛むのか。アパートの階段から見て右側に立っているデルガドは完全に気配を消していた。獲物が通るのを待っているマーゲイだ。ステファンも石になった。音だけを聞いていた。
 女が建物から出て来た。その横顔のシルエットを見た瞬間、ステファンはデルガドに怒鳴った。

「エミリオ、東の非常階段だ!」

 2人は建物と建物の隙間へ入った。物がごちゃごちゃ置いてあるので邪魔だった。デルガドが身軽に障害物を乗り越えて行く。ステファンは彼を先に隙間に入らせてしまったことを後悔した。しかし隙間の幅では彼を追い越せない。だから、隙間の出口に達した時、ステファンは喉の奥を鳴らした。

クッ!

 デルガドがマニュアル通りのお手本見たいに地面に身を投げ出した。ステファンは彼の体を飛び越して、裏路地に出た。風が彼に向かって吹いてきた、と感じる前に、彼はそれを押し返した。キャッと女の声が上がり、路地の向こうの非常階段の下に人間が転がった。ステファンがそちらへ走ると、女は立ち上がり、よろめきながら走り出した。

「止まれ!」

 ステファンは怒鳴った。

「止まらんと脚を砕くぞ !

 女が動きを止めた。

「”出来損ない”が私に命令するのか!」

と彼女が前を向いたままで怒鳴った。

「さっき来た女は、日没迄待つと言ったわ!」
「彼女と私の所属部署は違う。正規のお前の担当者は私だ。」

 ステファンは彼女にゆっくりと近づいて行った。後ろから命令通りデルガドが手に拳銃を射撃の構えで握り、彼と同じ歩調でついて来た。ステファンの呼吸に合わせて、女にそこにいるのはステファン1人だと思わせている。
 近づくと血の臭いがした。女の傷は治っていない。体内に弾丸が残っているのだ。

「大人しく捕縛されて手当てを受けろ。君の容疑は違法ドラッグの使用だ。素直に捕まって自供すれば罪は軽微で済む。」

 ステファンは彼女の前へ回り込んだ。デルガドが拳銃をホルダーに収め、彼女の両手を掴み、後ろで拘束しようとした。いきなり女が体を反転させた。ステファンは咄嗟に彼女の首を横から打った。
 路上にデルガドが倒れ、その上に女も倒れた。

「エミリオ! しっかりしろ!」

 ステファンは女の体を押し退け、デルガドに声をかけた。デルガドが目を開けた。顔が苦痛で歪んだ。彼が消え入りそうな声を出した。

「大尉・・・すみません、貴方が彼女の目を塞ぐ前に・・・」
「喋るな。すぐに救援を呼ぶ。」

 動かなくなった女をチラリと見て、ステファンは携帯を出した、本部へ電話をかけた。呼び出しが鳴る数秒間に、デルガドの体をサッと透視した。本部が応答した。ステファンは早口で喋った。

「遊撃班ステファン大尉だ。デルガド少尉がピューマの気の”爆裂”にやられた。肋骨が3本折れている。動かすと肺を傷つけるので、大至急救護を要請する。場所は西サン・ペドロ通り7丁目と第7筋の交差点から西へ2軒目のアパートの裏路地だ。」

 本部が、すぐにそちらへ救護へ向かうと告げた。ステファンは急いで付け足した。

「アパートの表に”操心”にかけられた”ティエラ”の女性がいる。保護をお願いする。」

 電話を終えると、ステファンはビアンカ・オルトに近づいた。オルトは死んでいた。ステファンのジャガーの一撃で頚骨が砕かれたのだ。

「お前が悪いんだ。」

とステファンは言った。

「私の部下に手を出したから。」




第3部 狩る  14

  学生アパートから道路に出たケツァル少佐は、歩道の暗がりに身を潜めている人物の気配に気がついた。

「貴方もここだと見当をつけたのですね。」

と囁くと、暗がりからカルロ・ステファンが姿を現した。彼は溜め息をついてアパートを見上げた。

「誰かさんが結界など張るから、入れなかったのですよ。」

 彼は視線を少佐に戻した。

「貴女が強いことは承知しています。しかし、1人で危険人物と対峙するのは止めて頂きたい。」

 少佐は肩をすくめて彼の目を見た。”心話”で忽ち情報共有が行われた。ステファンは少佐と交わしたビアンカ・オルトの言葉に納得しなかった。彼は腕組みして言った。

「アスクラカンでの彼女の評価は酷いものでした。人間性に欠陥があると現地では見做されていました。それに麻薬を手に入れようとした理由も明確ではない。彼女は貴女から逃げる為に虚偽の言い訳をしたとしか思えません。」
「私も彼女が素直に警護隊に出頭すると思っていません。」

 少佐は異母弟を悪戯っぽい目で見上げた。

「彼女に誰に追われているかを教えてやりました。あの女はロレンシオ・サイスを狙いつつ、貴方を警戒するでしょう。ことによると、サイスより先に貴方を片付けようと思うかも知れません。エル・ジャガー・ネグロに興味を抱いた様子でしたから。」
「故意に私を狙わせるのですか?」

 ステファン大尉が特に腹を立てた様子はなかった。ケツァル少佐は時々この手の遣り方で部下の教育を行う。部下と同等もしくは少し上の力を持った敵と戦わせる。

「今踏み込んでも構いませんよ。」

 少佐はアパートを見た。

「でも、”ティエラ”達がいることを忘れないで下さい。それから、デルガド少尉はまともに相手にさせないように。どんなに賢いマーゲイも、ピューマの一撃には耐えられません。」
「心得ています。部下を危険に曝したりしません。貴女の教えです。」

 少佐は「おやすみ」と言って、自宅に向かって歩き去った。残ったステファン大尉は暫くアパートを見上げていた。ビアンカ・オルトが眠れない夜を部屋で過ごすつもりはないだろう。彼はアスルが彼女に手傷を負わせたことを、ちょっと腹立たしく思った。撃つなら確実に仕留めろ、と実戦のプロは思った。
 カルロ・ステファンは今捜査員と言うより狩人の心境だった。ミックスの弟の存在を否定するピューマを仕留めたかった。
 あの女はゲームをしている。サイスの”シエロ”としての本能をドラッグで目覚めさせて、己と戦える状態に仕上げようとしている。彼女はジャガーと戦って、己のピューマの力を確認したいのだ。
 彼はデルガドに電話をかけた。少尉はすぐに出た。

「今、何処にいる?」
ーーエンリケ通りの、女がバイトをしていた居酒屋のそばです。
「彼女は西サン・ペドロのアパートに戻っている。すぐにこっちへ来い。」
ーー承知!

 エンリケ通りは人間の足で走って10分足らずの距離だ。ステファンは物陰に隠れてタバコを咥えた。火を点けずに気分を落ち着かせる為に香りを吸い込んだ。高揚すると相手に気取られる。オルトはケツァル少佐が本当に帰ったと確信する迄部屋から出ない筈だ。
 少佐がオルトの部屋ではなくアパート全体を結界で包んだ理由を彼はわかっていた。少佐はオルトとの面会の間、ステファンが介入してくるのを拒否したのだ。”出来損ない”の弟が来れば純血至上主義のオルトを刺激するからだ。少佐がミックス達を”出来損ない”などと考えていないことは、彼が一番よく知っている。彼女がオルトとの面会でその言葉を使ったのは、オルトの心を揺らすためだ。”出来損ない”でも一人前になり得る。”出来損ない”でも愛し合える。少佐はそう訴えたかった。それがオルトの心にどう響いたのか、それはこれから彼が彼女に対峙すればわかる。

 

2021/11/03

第3部 狩る  13

 右の寝室は静かなままだった。ケツァル少佐は静かに待っていた。待つのは慣れている。遺跡発掘隊の監視はひたすら作業行程を眺めているだけの仕事だ。ドアの向こうの気配が動いたのは6分後だった。瞬間に彼女はアパート全体の結界を張った。物音が響き、続いて「キャッ」と声がした。少佐は寝室のドアを開いた。
 窓の近くにベッドがあり、その上で若い女性が蹲っていた。Tシャツとコットンパンツ姿だ。頭を抱えているのは、窓から外に出ようとして、少佐の結界にぶつかったせいだ。”ティエラ”なら問題なく通り抜けられる結界は、同族の”ヴェルデ・シエロ”にはガラスの壁の様に硬い。無理に突破しようとすれば脳にダメージを受ける。

「話があると言った筈です。何故逃げるのです?」

 少佐は後ろ手で寝室のドアを閉めた。女が右脇腹に片手を当てた。

「大統領警護隊は私を撃った。殺されるかも知れないのだから、逃げるのは当たり前でしょう。」

 成る程、と少佐は頷いて見せた。

「何故、貴女は撃たれたのでしょう?」
「知らないわ。いきなり向こうが撃って来たのよ。それも後ろから!」

 暗がりの中で女の目が光った。少佐は”心話”を拒否した。信用出来る相手としか”心話”はしない。それが常識だ。

「貴女を撃った男は、オクターリャ族です。私達を連れて過去に飛んで銃撃現場を見せることが出来ます。検証を望みますか?」

 ”操心”が効かない相手だと悟った女は、脱力した。

「わかった・・・正直に言うわ。アンティオワカ遺跡にコロンビアから密輸した麻薬やドラッグを隠している組織がいると聞いたのよ。それで確かめに行ったの。もし本当にそんな悪いことをしているヤツがいるなら、粛清しなきゃ。この国の害になるからね。」
「貴女1人で麻薬組織を撲滅出来ると思って行ったのですか?」
「操れるでしょ? 1人を操れば、そいつが連中の輪を乱す。自滅させるのよ。」
「それが目的なら、大統領警護隊が職質をかけた時に、そう言えば良かったのです。」
「信じてくれたかしら?」
「彼は言いませんでしたか? 遺跡は警察が封鎖している、と。」
「覚えていないわ。」
「貴女はこう答えました。クスリを分けてくれるって聞いたから、買いに行こうとしていた、と。それも忘れましたか?」

 女が微笑んだ。

「私はジャンキーなんかじゃない。でも、クスリが必要だったのよ。」

 彼女は少佐を見上げた。

「ねぇ、もし突然、貴女に弟がいて、その弟が”ティエラ”が産んだ”出来損ない”で、それなのに父親が貴女よりその子を可愛がっていたと知ったら、貴女、我慢出来る?」

 少佐はニコリともせずに答えた。

「私は、突然弟の存在を知らされたことがありますよ。」
「え・・・?」
「その弟は”出来損ない”の女から生まれた”出来損ない”です。そして私は父と全く接点がありませんでしたが、弟は父に名前をもらい、愛されました。」
「それで?」

 女の声が微かに震えた。

「貴女はその弟をどうしたの?」

 少佐は彼女の目を見つめて言った。

「”シエロ”として生きる為に手を貸してやっています。彼は努力の人です。私は彼を愛しています。」
「貴女のお父さんは・・・」
「父は弟が2歳の時に死にました。私は一度も父に会ったことはありませんが、弟は微かに記憶があるそうです。」
「貴女のお母さんは、その”出来損ない”の弟のことをどう思っているの?」
「母は私を産んですぐに死にました。父の妻は弟の母親で、私の母ではありませんでした。」

 女が沈黙した。
 少佐がドアを手を触れずに開いた。

「私は帰ります。貴女が大統領警護隊の本部へ出頭してミーヤ遺跡での出来事を説明すれば、我々は貴女を追いません。貴女はロレンシオ・サイスのことを忘れて故郷に帰るとよろしい。」

 ハッと女が目を見張った。

「ロレンシオのことを知っているの?」
「我々は知っています。」

 少佐は「我々」と言う単語に力を込めた。ロレンシオ・サイスがミックスの”ヴェルデ・シエロ”であることを、大統領警護隊は承知していると言う意味だ。つまり、サイスが不審な死を遂げれば、お前を真っ先に疑うぞ、と言う警告だった。
 女が独り言のように言った。

「あの”出来損ない”の隊員が報告したのね。」
「あの”出来損ない”の隊員は、貴女より能力が強く、優秀ですよ。エル・ジャガー・ネグロですからね。」

 女が息を呑んだ。黒いジャガーは、グラダ族の男性だけが使えるナワルだ。グラダ族はどの部族よりも強く、使える能力の種類も多い。サスコシ族がまともに戦って勝てる相手でないことを、女は知っていた。

「そんなに強いヤツに見えなかった・・・」

 おやおや、と少佐は心の中で呟いた。カルロも見くびられたものだ。

「彼は気を上手く抑制しているだけです。純血種並みに。貴女が能力の使い方に自信があるなら、”出来損ない”の弟を上手に指導してあげることです。」
「出来ません。」

 と女は俯いた。

「父の愛を奪った男を弟と認めることも、指導することも、私には出来ません。」
「それなら、ロレンシオのことは忘れるのです。血族と思わなければ、彼が存在していても気にならないでしょう。」

 彼女が涙を流すのを少佐は感じた。この女は、ロレンシオ・サイスを愛してしまったのだ、と少佐は気がついた。弟としてではなく、男性として。

「夜が明けたら、出頭なさい。」

と少佐は言った。

「今日の日暮れ迄に出頭しなければ、”砂の民”が貴女を追いますよ。麻薬組織に近づこうとした、それだけで彼等は貴女を不穏分子と見做します。」



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...