2021/12/02

第4部 忘れられた男     3

 ロカ・ブランカの警察署はエル・ティティ警察署より小さかった。署長と巡査が3名いて、署員の人数ではエル・ティティより1人少ないだけだが、建物は小さくて、事務所の奥にいきなり拘置所があった。テオ達が訪問した時、拘置所の鉄格子の向こうには子豚が一頭入っているだけだった。テオは思わず巡査の1人に質問してしまった。

「あの豚は何をやらかしたんだ?」

 巡査がチラリと檻に視線を向けた。

「3軒向こうの家の庭で無断飲食をしたのさ。」

 どこかの豚が逃げ出して他人の庭の草花を食べたのだろう。警察は豚を捕まえて飼い主が引き取りに現れるのを待っているのだ。エル・ティティではこのような場合、引き取り手が現れないと、豚は次の日曜日、日曜礼拝の後競売に掛けられる。落札されると、そのお金は教会に寄付されるのだ。ロカ・ブランカの警察がどんな方法で解決するのか、テオは訊かないことにした。 
 2頭のジャガーは・・・元い、2人の少佐は子豚を焼きたてのローストポークを見るような目で眺めていたが、憲兵隊の車が前庭に到着すると姿勢を正して座り直した。2人共、昨夜は仕舞っていた緑色の鳥の徽章を胸に付けていた。
 憲兵が2人入って来た。どちらも平均的なセルバ人、メスティーソの男性だった。ロカ・ブランカの警察官達が整列して迎え、大統領警護隊の隊員も立ち上がった。憲兵は警察官達を無視して真っ直ぐ大統領警護隊の前まで歩き、立ち止まると靴の踵をカチッと鳴らして直立姿勢を取り、敬礼した。2人の少佐も敬礼で応じた。年長の憲兵が名乗った。

「グラダ・シティ南基地のアウマダ大佐とムンギア中尉です。」

 憲兵隊の大佐は警察官から見れば高い地位だが、大統領警護隊から見ると少尉と同格だ。ロペス少佐が名乗った。

「大統領警護隊外務省移民・亡命審査官ロペス少佐と・・・」

 彼はテオを目で指した。

「グラダ大学生物学部のアルスト博士だ。我が国の遺伝子分析の権威だ。」

 テオは思わずロペス少佐の顔を見た。「権威」などと大仰な呼び方をされたのは初めてだ。ロペスは民間人のテオが憲兵隊相手に活動しやすいように気を配ってくれたのだ。
 ケツァル少佐の紹介がなかったのは、文化保護担当部の任務でないからだったが、憲兵の大佐が彼女を不審げに見たので、ロペス少佐は仕方なく紹介した。

「大統領警護隊文化保護担当部指揮官ミゲール少佐だ。漂流者の荷物を検分してもらうために来てもらった。」

 ケツァル少佐も彼を横目で見たので、テオは彼女がただのアッシーのつもりで来ていたのだと悟った。
 大統領警護隊が決して他人と握手しないと知っている憲兵達は、警察署長の机の後ろにあるドアを手で指した。

「まずは、漂着した救命筏、救命筏の中にあった物、それから村人達が浜辺で拾い集めた漂着物を見ていただきましょう。」

 署長が素早くドアに歩み寄り、鍵を開けて開いた。テオはドアの向こうは小部屋でもあるのかと思っていたが、外れた。ドアの向こうは、裏庭だった。そして道具小屋のような小さな家屋が一軒建っていた。


第4部 忘れられた男     2

  アメリカで住んでいた時代は、まるで富豪の息子かと思われるような至れり尽くせりの待遇で暮らしていたテオドール・アルストだったが、セルバ共和国に亡命してからは現地の住民の生活に自然に溶け込んでしまった。きっと彼を「創った」国立遺伝病理学研究所の科学者達が現在の彼を見たらびっくりするだろう。
 テオは太陽が昇る前に目が覚め、清潔とは言えないが掃除されているトイレで用を済ませ、前日に着ていた服を再び身につけた。それからグラダ大学事務局とゼミの学生代表にメールを送り、政府からの仕事の依頼を受けたので休講する、と連絡した。「政府」と言うのは大袈裟かも知れないが、この単語を入れておかないと、事務局は良い顔をしないのだ。テオは突然の休講が多い准教授なので、次期の雇用に影響が出てくる。食べるための教職だが、テオは学生達と一緒に研究するのが楽しくなっていた。単独で研究室に篭っているより、若者達と共にいろいろな説を論じ合いながら実験する方が楽しい。大学の方も内務省の要請で引き受けた科学者が政府に頼られている優秀な人間だと思えば、度々の休業にも目を瞑ろう、となる。
 身支度を終える頃にロペス少佐が目を覚ました。軍人なのに、テオが起きて動き回っていることに気が付かなかったのだ。すっかり「都会人」だな、とテオは心の中で思った。軍人らしい鋭い面も残っているが、オフィスで仕事をする方がこの男には合っているのだろう。毎朝定時に家を出て、夜定時に帰宅する生活が日常の筈だ。恐らくアリアナ・オズボーンと上手くやっていけるだろう。実を言うと、昨夜寝る前に彼とアリアナの将来についてじっくり語り合ってみたいとテオは思っていた。しかしベッドに入るとロペス少佐はすぐに寝てしまったのだ。
 朝の挨拶をして、ロペス少佐は部屋の外のバスルームへ行った。他の部屋の客に待たされたのか、かなり時間が経ってから戻ってきた。彼も着替えを済ませ、食堂へ降りた。コーヒーと菓子パンだけの朝食だったが、ないよりましだ。ケツァル少佐はとっくの昔に朝食を済ませて海岸のジョギングから戻って来ると、男達を眺めた。

「9時迄まだ時間があります。散歩しませんか?」

 ロペスがテオを見たので、テオは頷いた。他に時間を潰す方法を思いつかなかった。
 前夜は暗かったので宿周辺の風景が見えなかったが、朝日の中で見る漁村は美しかった。ハイウェイがすぐ近くを通っているが、地元民に観光で生業を立てようと言う意思がないらしく、道路と海岸の間にまばらに民家が建っているだけだ。砂浜より高い位置に外付けのエンジンが装着されているだけの簡単な漁船が並んでいた。ハリケーンで流されないように上げてあるのだ。砂浜は思ったより幅があり、整備すれば観光地としてやっていけそうだが、漁民は現状で満足しているのだろう。沖には村の名前になっている白い岩が波間に顔を出していた。陸から見ると象の背中に見えたが、この地に象はいないので、岩の名前に使われなかったのだ。
 ハイウェイから浜へ向かう脇道が何本かあったが、海水浴客用ではなく、地元民の生活道路だ。中には網が干されていて通せんぼされている道もあった。

「砂の上に足跡を残さないように歩く訓練を思い出す。」

とロペス少佐が呟いた。彼はスーツの上着を片腕にかけていた。テオは後ろを振り返った。砂の上に彼のスニーカーの跡が残っていたが、ロペス少佐の革靴とケツァル少佐の軍靴の跡はなかった。

「体重を減らすんですか?」

と揶揄ってみると、ロペスがちょっと笑った。

「そんな方法があれば本か動画配信で世の女性達からお金を集めますよ。」
「足の運び方です。」

とケツァル少佐が言った。

「今のようにゆっくり歩く場合のみ有効な歩き方です。走れば跡は残ります。」
「静かに暮らしていれば、誰も我々に注意を向けないのと同じです。」

とロペス少佐が言った。ケツァル少佐が彼に尋ねた。

「仕事は忙しいのですか?」
「適度に。」

とロペス少佐は答えた。

「近隣の国でクーデターやら大災害が起きて難民が押し寄せて来ない限りは暇だね。」

 


2021/12/01

第4部 忘れられた男     1

  ロカ・ブランカの村には宿屋兼食堂が1軒だけあり、ハリケーンの後であったが営業していた。混雑しており、ロペス少佐が交渉して、なんとか一部屋を確保した。緑の鳥の徽章を見せれば2部屋ぐらいなんとか出来たかも知れないが、そんな「ズル」をしないところが、このシーロ・ロペスと言う男の良さなのだろう、とテオは思った。

「ベッドは2つだ。私は床で寝るから・・・」

とロペス少佐が言いかけると、ケツァル少佐が店の外を眺めて言った。

「大きな木が生えています。私はあの上でも大丈夫です。」

 はぁ?とテオが呆れると、ロペス少佐も顔を顰めた。

「野獣ではないのです、淑女らしくベッドで寝て下さい。」

 テオが笑い出し、ケツァル少佐がむくれた。ロペス少佐は気にせずにテーブルを確保して、同伴者の希望も聞かずに店のお勧め料理を3人前注文した。食事は心配の必要がない美味しさだった。

「明日の朝9時に、ロカ・ブランカの警察署で憲兵と落ち合います。」

とロペス少佐が予定を告げた。

「先に警察が回収した漂流物と救命筏の中にあった物を検証します。それから病院へ行って、生存者に面会の予定です。」
「意識を取り戻していれば良いが・・・」

 テオは生存者が白人だろうが有色人種だろうが構わなかったが、事情聴取出来る状態に回復していることを願った。
 食事を終えると、2階の部屋に上がった。狭いベッドを見て、ケツァル少佐が溜め息をついた。

「2人で1台を使用するのは無理ですね。」
「俺が床に寝る。」

 テオはグラダ・シティを出発する時に自分の車に積んでいた宿泊用鞄を積み替えるのを忘れたことに気がつき、悔やんだ。着替えも寝袋もない。2人の少佐は大統領警護隊の常識なのか、リュックサックを持ってきており、着替えを持っていた。寝袋はないが軍人は野営に慣れている。生温い水のシャワーを浴びて、テオは上半身裸でベッドに入った。スーツを脱いだロペス少佐はTシャツと短パン姿になり、シャワーを浴びに行ったが、間もなく戻ってきた。

「女性用に一部屋空けてもらった。ケツァルはそっちへ行ってくれないか?」
「それは残念。」

 とケツァル少佐が言って、自分の荷物を持って部屋から出て行った。テオは半分がっかりして、半分安堵した。


2021/11/30

第4部 嵐の後で     12

 「本気で言ってるんですか、少佐?」

とテオは尋ねた。シーロ・ロペス少佐が他人を揶揄って喜ぶ人でないことは知っている。しかし、これは余りにも唐突過ぎる。さっき文化・教育省でベンツに乗り込む時、そばにアリアナ・オズボーンがいたじゃないか。2人揃ってあの場で言ってくれた方が衝撃が少なくて済んだのに。

「私は本気です。」

とロペス少佐が言った。

「そして彼女も本気です。」

 テオは深呼吸した。水が欲しかったが、道路側で路駐している車の中だ。ケツァル少佐が非常用の水を車中に常備しているとも思えない。彼はカラカラになった喉を堪えて尋ねた。

「何時からあなた方は交際していたんです?」
「何時からと訊かれましても・・・」

 ロペス少佐はきっと困った表情をしているに違いない。暗いのでテオには見えなかったが。

「彼女がメキシコに行った最初の半年は折に触れて様子を伺いに、私はカンクンに通っていました。彼女には会わずに、彼女の安全を確認するだけの出張でした。」
「ご存じかどうか知りませんが・・・」

 テオは妹の悪口を言いたくなかったが、後でアリアナの不利になる事態を避けたかったので、ここで言ってしまう決心をした。

「彼女は男性との交際が派手です。アメリカ時代も男友達が大勢いましたし、セルバでも・・・」

 彼は勇気を振り絞って言った。

「彼女はカルロ・ステファン大尉やシャベス軍曹と関係を持ちました。この俺も、血が繋がっていませんから、アメリカ時代には関係を持ったことがあります。」
「知っています。」

とロペス少佐が遮った。

「私が結婚を申し込んだ時に、彼女が全て話してくれました。」
「それでも?」
「それでも、私は一向に構いません。メキシコへ行ってからの彼女は、貴方が先刻仰った様な生活をしていたとは信じられない程真面目で身持ちが固かったのです。私は最初の半年、彼女に見つからない様に観察していました。彼女の生活態度が真面目で仕事も熱心に取り組んでいたので、次の半年の勤務延長をメキシコ側から要請された時に、許可を出しました。その時点で彼女は正式にセルバ国籍を取得しました。私が彼女の前に出て、隠れて観察していたことを打ち明けても彼女は怒りませんでした。それから私は一月に一回の割合で彼女の様子を見にメキシコへ通いました。彼女は生活と勤務のリポートを書いて提出しました。それから半年後の最後の延長手続きの後、私達は一緒に食事をしたり仕事の後の時間を過ごす様になりました。
 アリアナ・オスボーネは貴方が知っている昔のアリアナ・オズボーンとは違うのです。」

 テオが黙り込んだ。ケツァル少佐が車を再び動かした。外はもう真っ暗だ。
 テオは一般人がいる場所では話せない問題をぶつけてみた。

「アリアナと俺は人工的に遺伝子操作されて生まれた人間であることは、話しましたね。俺達と普通の人間の間に子供を作れるのかどうかわかりません。作れたとして、どんな子供が生まれてくるのか、それもわかりません。ましてや・・・」
「ましてや”ツィンル”との間に生まれる子供は想像つかないと?」

 ロペス少佐は己のことを”ヴェルデ・シエロ”とは呼ばずに”ツィンル”と敢えて呼んだ。ナワルを使って動物に変身する”ヴェルデ・シエロ”のことだ。変身出来ない”ヴェルデ・シエロ”は含まれない。ロペス少佐は決してミックスを”出来損ない”とは考えていない、と以前テオはケツァル少佐から聞かされたことがある。ミックスが失敗して正体を一般人に知られそうになるのを心配しているだけだ、と。もしそうなったら、そのミックスは”砂の民”に抹殺されてしまうからだ。”ツィンル”は普通の人間とは遺伝子的に離れているのだろう。だから、テオは人工的に遺伝子操作された自分達と”ツインル”の間に子供が出来ることを心配している。
 テオは首を振った。ロペス少佐は楽観主義者に見えなかったが、こう言った。

「子供が生まれてみないとわからないことでしょう。」

 彼はテオから目を逸らした、とテオは思った。金色の光が前を向いたのだ。ロペス少佐は囁くような低い声で言った。

「あなた方”ティエラ”から見れば、現在の我々だって十分怪物ですよ。」

 テオはハッとした。”ヴェルデ・シエロ”だって人類だ。非常に稀な遺伝子を持ち、非常に稀な能力を持った、非常に極少数の現存数しかいない一つの人種だ。彼等は絶滅すまいと大昔から必死で種を守ってきたに過ぎない。

 決して特別な存在ではないのだ

 ロペス少佐はそう言いたいのだ。アリアナもテオも特別な存在ではない、地球上に住んでいる人間の1人に過ぎない、と。考えれば、一番最初に”ヴェルデ・シエロ”との間に子供を作った人は、難しいことなど考えなかっただろう。自然に愛の営みを行なって、子供を生んだのだ。

「俺が間違っていました。」

とテオは言った。

「アリアナは幸せになる権利を持っています。それは貴方も同じだ。」

 彼は手を少佐に差し出した。

「どうか幸せになって下さい。もし・・・」

 彼はちょっと相手を揶揄いたくなった。

「彼女の扱いに困ったら、何時でも相談して下さい。アリアナ・オズボーンの対策法を伝授しますよ。」
「グラシャス!」

 いきなりロペス少佐の手が彼の手を掴み、力強く揺さぶった。事務方にしては力の強い手で、やっぱり軍人だ、とテオは感心した。

 

第4部 嵐の後で     11

  テオはてっきり大統領府の近くの国防省ビルへ行くのかと思ったが、ケツァル少佐のベンツは大通りを走り、そのまま南へ向かって走り出した。

「ええっと・・・何処へ向かっているのか、訊いても良いかな?」

と声をかけると、ケツァル少佐が運転しながら答えた。

「ロカ・ブランカです。」

 グラダ・シティとプンタ・マナの中間地点よりややグラダ・シティ寄りのビーチだ。テオの知識では観光客向けと言うより寧ろ地元民向けの海水浴場がある村だった筈だ。綺麗な砂浜があるが、飲食店やシャワーの設備はない、着替えの為の小屋だけが貸し出されている浜辺だ。泳いだ人は、体を洗わずに服を着て帰る。水着の上にそのまま服を着て帰る人もいる。遠方からの客はいないから、それで良いのだ。荷物の管理は自分でしなければならないし、ビーチの監視員もいないから、外国からの観光客は滅多に来ない。偶に白人や外国人らしき人を見かけても、大概は地元に住み着いている人だった。白い大きな岩がビーチから100メートル程沖にあり、それが地名になっていた。その岩も日が暮れた後に行けば見えないだろう。
 
「ロカ・ブランカに病院も憲兵隊の駐屯地もなかったよな?」

とテオが確かめると、ロペス少佐が前を向いたまま首を振った。

「ありません。しかし警察署はあります。」

 どうでも良いけど、とテオは胸の内で呟いた。晩飯はどうするんだ?
 軍人2人はそんな彼の心配など思いつかない様子で、全く別の話を始めた。ケツァル少佐が最初に質問した。

「式は何時挙げるのです?」
「雨季が明けたら。」

とロペス少佐が答えた。

「教会で?」
「スィ。その方が彼女も喜ぶ。伝統的な部族の結婚式は馴染まないだろうから。」
「貴方の親族はそれで納得しているのですか?」
「私の親族は父が残っているだけだ。広い意味での親族を考えればキリがない。それに彼女の方の親族も1人だけだ。」

 彼はケツァル少佐に顔を向けた。

「立会人になってくれるかと言う依頼の返事をまだもらっていないが?」

 ああ、とケツァル少佐が曖昧な返事をした。そして言った。

「彼女の親族の了承を得ないと、返事を差し上げにくいです。」

 ロペス少佐は結婚するのか、とテオは思った。既婚者だとばかり思い込んでいたが、独身だったのだ。それで、彼は声をかけた。

「ロペス少佐、結婚されるのですね。おめでとうございます。」

 少し奇妙な間を置いて、ロペス少佐が前を向いたまま、グラシャスと返事をした。するとケツァル少佐が彼に言った。

「ここで了承を得ておきなさいよ。」
「ここで?」

 とテオとロペスが同時に声を発した。しかしニュアンスは全く違った。ロペス少佐は「こんな場所と場合に?」だったし、テオは「何故ここで彼が婚約者の親族に了承を得なければならないんだ?」と思ったのだ。
 ケツァル少佐がベンツを道端に寄せて停めた。そして助手席のもう1人の少佐に言った。

「早く!」

 訳がわからないテオは、ロペス少佐が車外に出るのを眺めた。そして、少佐が後部席に入ってきたので、驚いた。
 シーロ・ロペス少佐はネクタイを直し、軽く咳払いして、テオに向かい合った。そして言った。

「私とアリアナ・オズボーンとの結婚を了承して頂きたい。」
「え?」

 テオは直ぐに理解出来なかった。暗い車内で、金色に光る”ヴェルデ・シエロ”の目を見つめた。そして、徐々に事態を理解した。彼は大声を出した。

「ええっ!!」



第4部 嵐の後で     10

  店の外に出ると、ロホとギャラガが待っていた。テオに夕刻の挨拶をしてから、ロホはアリアナには「お帰りなさい」と言った。そして直ぐにケツァル少佐からの指示を伝えた。

「ちょっと国防省からテオに仕事の依頼が入りました。それで少佐が案内されます。」

 彼はアリアナに顔を向けた。

「貴女は私が少佐のアパートまでお送りします。今日の午後から家政婦が出て来ているので、お食事の心配はありません。」
「俺の車は?」

とテオが尋ねた。

「少佐の車で俺は国防省へ行くのだと思うが・・・」

 するとアスルが口を挟んだ。

「俺があんたの車で帰る。」

 デネロスとギャラガは普段通りバスで大統領警護隊本部へ帰るのだ。テオは素直にアスルに車のキーを渡した。キーがなくても彼等はエンジンぐらいかけられるが、ここは普通にキーを使って欲しかった。アリアナはギャラガとは初対面だった。ロホが2人を紹介して、挨拶の遣り取りが始まった。
 そこへ少佐がベンツを運転して路地から出てきた。停車したベンツを見て、テオは「あれ?」と思った。助手席に男性が乗っていた。アスルが先刻言及した「客」だが、テオがよく知っている男だった。

「ロペス少佐じゃないか。」

え?とアリアナも振り返った。彼女の顔に当惑の色が浮かんだが、すかさずデネロスが彼女に囁いた。

「ロペス少佐も国防省からお呼びがかかってます。呼ばれているのは、ロペス少佐とテオの2人なんです。」

 大統領警護隊の隊員で外務省で移民・亡命審査官として勤務しているシーロ・ロペス少佐は事務方でずっと働いてきた人だ。ケツァル少佐が、「彼は随分長い間銃を扱ったことがないのではないか」と揶揄した程、ビジネススーツとアタッシュケースが似合う男性だ。純血種の”ヴェルデ・シエロ”で、テオは彼がどの部族なのか聞いたことはないが、恐らくブーカ族だろう。一族の中で一番人口が多く、大統領警護隊の隊員の多くは純血種、メスティーソを含めて殆どがブーカ族だ。つまり、ロペス少佐は戦闘から遠い場所で働いているが、超能力はかなり強いのだ。とても落ち着いて見えるし、真面目な人なので年嵩に思えたが、デネロスから聞いた話ではまだ30代前半だそうだ。
 テオは亡命して最初の1年間観察期間に置かれていた。度々文化保護担当部の友人達と事件に巻き込まれたり、遊びに行ったりして羽目を外し、ロペス少佐から叱られたことがよくあった。だから、観察期間を満了させて晴れてセルバ市民になった今でも、この男性少佐がちょっと苦手だ。
 クラクションが鳴り響き、テオは我に帰った。運転席のケツァル少佐が、早く乗車しろと鳴らしたのだ。彼は慌ててロホや他の友人達に「また明日!」と挨拶して車に向かって走った。
 助手席が塞がっているから、後部席だ。車内に入ってドアを閉めると、直ぐにケツァル少佐はベンツを出した。
 テオは前を向いたままのロペス少佐に後ろから声をかけた。

「ブエナス・ノチェス、ロペス少佐。」

 ロペス少佐は挨拶を返してくれたが、振り返らなかった。典型的な”ヴェルデ・シエロ”の神様態度なので、テオは気にせずに質問した。

「国防省の仕事って何です?」
「わかりません。」

と素気なく答えてから、それはやはり失礼だろうと思い直したのか、ロペス少佐は前を向いたまま言った。

「ハリケーンで遭難した船の乗員の身元調査に関する事案だと思います。」

 ああ、とテオは少しだけ理解した。

「俺はD N A鑑定でも依頼されるんだな。だけど、移民や亡命者の審査をする貴方がどうして呼ばれるんです?」

 ロペス少佐は直ぐに答えなかった。するとケツァル少佐が彼に尋ねた。

「遭難者は密入国者の疑いがあるのでしょう?」

 ロペス少佐が溜め息をつく音が聞こえた。

「この事案が国防に関することなのか、治安に関する外務の仕事なのか、まだ上は判断つけかねている様だ。」
「遭難船は何処の船です?」

 テオの質問に、初めてロペス少佐が振り返った。

「どの国籍の船か手がかりになるものが一つもない。故に憲兵隊はスパイ活動か犯罪を試みた組織ではないかと疑っている。」
「乗員は生きているんですか、それとも・・・」
「船と言うか、救命筏ですが、中に死者が1名、生存者2名がいました。生存者の1名は低体温症で救助後に死亡、1名はまだ意識が戻りません。ですが・・・」

 彼は前に向き直った。

「生きている男は白人です。」



2021/11/29

第4部 嵐の後で     9

  民間企業などは午後7時まで仕事をしている国だが、省庁は6時で閉庁になる。カフェで時間を潰しているテオとアリアナの所へ最初に現れたのはアスルとデネロス少尉だった。デネロスはアリアナと仲が良い。アリアナが初めてセルバ共和国に来た時以来の付き合いだ。それにデネロスの英語の論文指導をしたのもアリアナだったので、この2人は師弟関係でもあった。既にアリアナの帰国を知っていたデネロスは(女性達はメールや電話で常に情報交換していたのだ。)、テオ達のテーブルに真っ直ぐやって来た。アリアナが立ち上がって彼女を迎えると、2人はハグし合った。テオはデネロスの後ろからゆっくりやって来るアスルを見た。
 以前アスルはアリアナに片思いしていると文化保護担当部の仲間内では噂になっていた。”ヴェルデ・シエロ”達は仕事やプライベイトで”心話”を使うことが多いが、この超能力はちょっと厄介な問題があって、個人的な思考も相手に伝えてしまうことが偶にあるのだ。使い手は幼少期に親から情報をセーブすることを教えられるのだが、精神的に弱っていたり、酒に酔ったりした時にうっかり心の底にしまってある私的感情を他人に伝えてしまう「事故」だ。アスルは普段は寡黙な男なのだが、アルコールに弱い。飲み会でうっかり先輩達に初恋を読まれてしまったのだ。揶揄われたりしていたが、結局アスルが自分から告白することはなく、アリアナはメキシコで働くためにセルバを離れた。あれから一年半経った。
 前夜、テオはアスルにアリアナの帰国を伝えた。アスルは反応しなかった。ふーんと言った感じで、何もコメントしなかった。もう恋の熱は冷めたのか、とテオはちょっぴり安堵した。アリアナはアスルより9歳年上だ。それに遺伝子操作されて生まれた人間だ。テオは彼女と超能力を持つ”ヴェルデ・シエロ”の間に子供が出来る場合を想像すると、不安を感じざるを得なかった。普通の人間と”ヴェルデ・シエロ”との間のミックスの子供達は、親に負けない強さの超能力を持って生まれてくる。だが彼等は純血種と違って親に教わらなければ超能力を使いこなせない。純血種の様に生まれながらに自由に使える訳ではないのだ。
 自分達の様な遺伝子操作された人間と”ヴェルデ・シエロ”の間に生まれる子供は、どんな能力を持って来るのだろう。自分達親は子供を上手く教えることが出来るのだろうか。
 テオはそれを考えると、ケツァル少佐に愛の告白をするのを躊躇ってしまう。少佐も何か不安を感じているのか、彼に親しい振る舞いをしても一線を越えようとはしない。
 もし、アスルがアリアナへの恋を過去のものにしてしまったのであれば、それはそれで良い、とテオは思うのだ。アスルには彼女よりもっとふさわしい女性がいくらでもいる。
 ハリケーン接近時のフライトはどうだったと尋ねるデネロスの横をアスルは通って、テオのそばに来た。そしていつものぶっきらぼうな口調で言った。

「あんたに客が来ている。」
「客?」
「もうすぐ上官達が連れてくる。」

と言ってから、彼は付け足した。

「客も上官だ。」

 つまり、大統領警護隊の隊員だ。アスルは少尉だから、「上官」は中尉以上の将校だ。一瞬カルロ・ステファン大尉かと思ったが、それならアスルははっきり名前を言う。ステファンは元文化保護担当部所属でケツァル少佐の副官だったのだ。
 店の入り口に、文化保護担当部の末席にいるアンドレ・ギャラガ少尉が現れた。テオが彼に気づくと、ギャラガが腕を振って、来いと合図した。目上の人に対して失礼な振る舞いだが、店内は賑わっており、大声を出す訳にもいかないのだ。テオはアリアナやデネロス、アスルに声をかけた。

「店から出ろってさ。少佐の命令だな。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...