2021/12/12

第4部 忘れられた男     20

  アリアナ・オズボーンから電話がかかって来た時、テオはゴンザレス署長の自宅で、会計士ホセ・カルロスから頼まれた書類の清書をしていた。役場に提出する期限が週明けの月曜日の午後だと言うのに、カルロスは彼を当てにして何もしていなかったので、テオは殺人的な忙しさだった。しかし、画面にアリアナの名前が出たので、電話を無視出来なかった。何かエルネスト・ゲイル絡みの事件でも起きたのかと不安を感じつつ、彼はボタンを押した。

「オーラ?」
「テオ、今何処にいるの?」
「何処って、エル・ティティだよ。」

 一瞬間があってから、彼女が、なんだ、と呟いた。だから彼の方が逆に尋ねた。

「何かあったのか?」
「そうじゃなくて・・・」

 彼女は少し躊躇ってから、言い訳するように説明した。

「貴方がケツァル少佐とロペス少佐と出かけてから、何も連絡がなかったから・・・」
「少佐は帰っただろ?」

と言ってから、テオは女性の少佐だと言い直した。英語では男女同じだ。

「ラ・コマンダンテの方・・・」
「彼女は帰って来たわ。でも、貴方達がどんな用件で出かけたのか、教えてくれないの。」
「ハリケーンで漂着した遭難者の身元調査だって、彼女は言ってなかったか?」
「言ったけど・・・」

 アリアナは躊躇った。それで、テオはふと思い当たった。彼女は、ロペス少佐が気になるのだ。彼女はまだ結婚する相手が彼だと、テオに告げていなかった。だからテオの方から先に言ってやった。

「ロペス少佐から婚約のこと、聞いたぞ。」

 彼女が黙ったので、彼は明るい声で言った。

「おめでとう! 式には呼んでくれるんだろうな?」
「ありがとう!」

 アリアナの声も弾んだ。

「彼から聞いたの?」
「うん。いきなり、車の中で、君との結婚を許して欲しいって言われて、たまげたよ。俺は君の親じゃないし、血のつながった兄貴でもない。だけど、君の唯一人の親族と彼は看做してくれた。感謝しているし、俺達の様な生まれの人間でも気にせずに愛してくれることにも、感謝している。」

 アリアナが電話の向こうで、涙を堪えて、「ええ」と呟いた。

「良い人よ・・・とても・・・」
「強いし、頼りになる男だな。」
「ええ・・・」
「幸せになれよ。」
「有り難う。」

 ちょっと間が空いた。彼女は感情の昂りを抑えて、それから、やっと次の話題に移った。

「貴方達が出発してから、彼から連絡がないんだけど、貴方はもうグラダ・シティに戻ったのよね?」

 ああ、そう言うことか、とテオは得心した。アリアナは婚約者から電話がないので心配しているのだ。

「彼は忙しいんだよ。漂流者が不法入国者の疑いがあったので、取り調べやら何やらで、外務省と憲兵隊基地を行ったり来たりしている。俺もちょっとだけ手伝いをしたんだ。多分、次の週末迄には、彼の仕事も片付くさ。」
「忙しいだけなのね?」
「うん。移民や亡命の件でないとはっきり分かれば、彼の仕事も一段落つくさ。だから、気を揉まずに、君は君のことをしていれば良い。」
「信じて良いのね?」

 アリアナはちょっぴり懐疑的になっていた。”ヴェルデ・シエロ”が絡むと、セルバ共和国では秘密裏に進行する物事が多々ある。彼女は婚約者に良くないことが起きたのではないかと心配だった。白人との婚約に、誰かの機嫌を損ねたのではないか、と。

「ケツァル少佐に電話しても、短い会話だけですぐ切られちゃった。」
「彼女は月曜日からオクタカス遺跡へ出張するんだ。2週間はかかるらしい。彼女の留守を預かるロホやマハルダ達もそれで忙しい。」

 テオは彼女に注意を与えた。

「セルバ人がいつものんびりしていると思ったら、大間違いだぞ。忙しい時、連中は自分優先で俺達のことを構ってくれないから、それを肝に銘じて結婚しろよ。」
「何、それ?」

 アリアナがやっと笑ってくれた。そしてテオはエルネスト・ゲイルのことを触れずに済んだ。



第4部 忘れられた男     19

  テオが鞄を下げたまま憲兵隊のビルから出て、タクシーを拾おうと通りを見ていると、ロペス少佐が護送車を引き連れて出てきた。テオの横で彼は自分の車を停め、護送車を先に行かせてから、窓を開けて声をかけた。

「乗って行かれますか? バスターミナルのそばを通るので。」
「グラシャス!」

 テオは後部席に鞄を置いて、助手席に乗り込んだ。車はドアが閉まるとすぐに動き出した。

「あの男は・・・」

と少佐が言った。

「アリアナのことは全く触れませんね。」
「ええ、俺もそれが気になっています。彼女のことを全く気にしていない冷たいヤツだとも思えるし、故意に無視しているのかも知れない。」
「彼女とあの男は、仲は悪かったのですか? 子供の時から?」
「仲が良いとか悪いの問題ではありませんでした。俺達は3人だけ、外部と隔離されて育ちましたから、遊ぶのも食事をするのも勉強するのも、寝るのも一緒でした。周囲は大人しかいませんでしたから。喧嘩する時も、誰が誰の味方、と言うこともなかったです。例えば、エルネストと俺が喧嘩しても、アリアナは傍観しているだけ。彼女と彼が喧嘩しても、俺は関心がなかった。つまり、」

 テオは溜め息をついた。思い出せば思い出す程、己が異常な育ち方をしたとわかる。

「俺達は自分のことしか関心がなかったのです。だから、現在もエルネストは彼自身の身の上しか考えていない。アリアナと俺がセルバで人間の温かい心に触れて、やっと本当の生き方を見つけたのに、彼はまだその体験もしていないのです。」
「残念ですが、彼にその体験をさせる時間的余裕はありません。」

 ロペス少佐が硬い表情で言った。

「大統領警護隊の司令部は、彼がセルバにスパイ行為を働く目的で来たのではないかと疑っています。彼がカルロ・ステファンを誘拐した当事者であることが、確実に彼に不利な状況を作り出しています。」
「わかります。」
「長老会は、警察や憲兵隊の様な慎重な捜査と言うものを望みません。疑わしきものは直ちに排除する、それが”ヴェルデ・シエロ”のやり方です。ですから、シショカが動いたのです。」

 外務省に、と言うより、大統領警護隊の隊員としての事務官のロペス少佐に、”砂の民”の動きが報告されたのだ。そしてロペス少佐は、それは拙いと考えた。現状はどうあれ、一度はセルバと深い関わりを持ったアメリカ人が、セルバで消息を絶ってしまうのは、政治的に良くないと判断した。

「エルネスト・ゲイルはセルバに長く滞在すればする程命を縮める確率が高まると言うことですね。」
「スィ。でも私は彼をセルバでは死なせたくありません。アリアナが彼を嫌っているとしても、貴方と彼女のかつての身内だったのですから。」

 テオは、このシーロ・ロペスと言う事務方の軍人を今まで誤解していた様な気がして、反省した。この男は”ヴェルデ・シエロ”らしく感情を表に出さないだけで、実際は他人を心から思いやり、情熱的に愛せるのだ。もしかすると、アメリカのセルバ大使館で初めて会った時から、アリアナに心を惹かれていたのかも知れない。

「エルネストの処分は、貴方の裁量にお任せします。」

とテオはキッパリと言った。

「俺は彼とここで会ったことを決してアリアナに言いません。貴方の仕事の妨げにならないよう、一切彼とは未来永劫関わりません。約束します。」
「グラシャス。」

 ロペス少佐は前を向いたまま、もう一つ情報をくれた。

「あの男の件が片付く迄、ケツァルとステファンをジャングルの奥へ隠しておきます。長老会に心配性の人がいて、2人があのアメリカ人と偶発的でも出会うことがないよう、気を回したのです。」



2021/12/11

第4部 忘れられた男     18

  空腹とその夜の宿はどうするのかと質問するエルネスト・ゲイルを残して、テオはムンギア中尉と検索係の憲兵と共にアウマダ大佐のオフィスに戻った。憲兵がドアを開き、中尉、テオ、憲兵の順で入室した。オフィスには客がいて、その姿を見た瞬間、テオは一気に緊張した。
 白い麻のスーツに黒いシャツ、白いネクタイ、白い靴の先住民の男が大佐の椅子の横に立っており、大佐は椅子にぼんやりと座っていた。

「尋問が終了したようですね。」

と男が言った。そしてテオを見て、微笑んで見せた。

「憲兵隊への協力に感謝しますよ、ドクトル・アルスト。」

 テオは相手の額を見た。セルバ式のマナーだ。

「建設大臣の秘書殿が、漂流者に何か御用ですか、セニョール・シショカ?」

 シショカが憲兵に命令した。

「ドアを閉めろ。」

 憲兵は言われた通りにした。テオは悟った。このアウマダ大佐の部屋の中はシショカの結界に取り込まれている。大佐以下室内の憲兵隊の人間は全員シショカの”操心”にはまってしまったのだ。ムンギア中尉も今やぼんやりと立っているだけだった。彼等には、テオとシショカの会話が聞こえていないのだ。
 シショカが溜め息をついた。

「大統領警護隊が情報を出し渋るので、時間がかかった。あの漂流者は、”出来損ない”のカルロ・ステファンを誘拐した当事者と言うではないか。」
「だから?」

 テオは不安に襲われた。シショカはエルネスト・ゲイルを消しに来たのか?
 
「本来なら、アメリカ政府に我々の存在を知らしめる結果を作った”出来損ない”を処分するべきだが・・・」

 シショカは身の毛がよだつ様な恐ろしいことを平気で言った。

「そうなると、あの”出来損ない”に任務を与えた大統領警護隊のみならず、長老会にも火の粉が降りかかる。だから彼等はあの”出来損ない”には決して手を出すなと我々に厳命した。」

 シショカが言う「我々」とは、”砂の民”のことだ。

「北の国はセルバのことに目を瞑っている。この国の存在を忘れかけている。このまま平穏に行けば、何の問題も起こらぬ。しかし・・・」

 テオはごくりと唾を飲み込んだ。シショカはエルネスト・ゲイルの出現を憂慮すべき事態と考えている。明白だった。

「セルバ共和国政府があの男を北の国へ返せば、北の連中はセルバを思い出す。それは困る。わかるな、ドクトル・アルスト?」
「エルネスト・ゲイルを消すと言うのか?」

 テオは、エルネストを愛していないが、セルバ人に殺させたくなかった。

「あの男は不愉快な人間だが、はっきり言って、馬鹿だ。さっきの尋問で知ったばかりだが、彼は政府機関を解雇されて、民間企業に就職している。あまり素行の良くない会社の様だが、そこであの男が重要ポストについているとも思えない。政府から政府へ引き渡すのではなく、アメリカの海岸にでも放置しておけば良いんじゃないか?」

 何を甘いことを言っている?と言いたげにシショカが眉を上げた。その時、ドアをノックする者があった。シショカが、チェッと舌打ちした。不意に憲兵達が動いた。結界と言うか、”操心”が解けたのだ。再びノックの音がして、大佐が憲兵に開けろと合図した。
 ドアが開かれ、入って来た人の顔を見て、テオはホッとした。外務省のシーロ・ロペス少佐だった。少佐はシショカを見ても何も言わず、アウマダ大佐に挨拶した。

「漂流者の調査は終わったか?」

 大佐が視線を向けたので、ムンギア中尉が急いで録音機を出した。

「こちらに・・・」

 大佐ではなく、ロペス少佐がそれを受け取った。テオは少佐に囁いた。

「研究所の話が少し入っています。」

 少佐が頷いた。そしてアウマダ大佐に言った。

「アメリカ合衆国の人間だと言うことなので、外務省で例の男を預かる。」

 ムンギア中尉が言った。

「あの男は先刻の取り調べで、密漁の疑いがあります。」
「でも、セルバ領海とは限りません。」

とテオは急いで口を挟んだ。ここでロペス少佐にエルネスト・ゲイルの身柄を預けた方が、憲兵隊基地に置いておくよりエルネストにとって安全と思われた。
 ロペス少佐はテオに頷いて見せ、大佐を見た。アウマダ大佐は大統領警護隊に逆らわなかった。

「あの男の身柄を、そちらが指示される場所へ移します。」
「結構、では外に大統領警護隊の護送車が待っているので、そちらに乗せて頂きたい。」

 護送車? テオは内心驚いたが、黙っていた。ロペス少佐もエルネストの出現を危険視している。だが、シショカの様な残酷な男が取る方法で「処分」はしないだろう。
 大佐が部下にエルネスト・ゲイルの移送の準備を命じた。ロペス少佐がムンギア中尉に録音機を見せ、「暫くお借りする」と言った。
 テキパキと動く憲兵隊を見ながら、テオはバスの時刻にまだ余裕があることを確かめた。余裕はあるが夕食は諦めるしかないだろう。
 ロペス少佐が、ドクトルの用事も終わったな、と大佐に確認した。アウマダ大佐がテオに帰っても良いと言ってくれたので、テオは少佐と共にオフィスを出ようとした。すると、シショカが初めてロペス少佐に声をかけた。

「少佐・・・」

 ロペス少佐が振り返らずに足だけ止めた。

「何かな?」
「外務省はあの男をどうするおつもりか?」
「然るべき手段で、帰国させる。」

とロペス少佐は言い、初めてシショカを振り返って見た。

「ハリケーンでインフラ被害が多く出ている。建設大臣はご多忙だろう。早く帰ってお手伝いされてはいかがかな?」



 

第4部 忘れられた男     17

  エルネスト・ゲイルは突然堰を切ったかの様に彼自身の現状を喋り出した。テオは横目で隣のムンギア中尉のポケットに小型の録音機が入っているのを見た。携帯電話ではないが、外国製の高価な機器だ。
 ゲイルは最初にテオが国立遺伝病理学研究所を滅茶苦茶にして逃亡したことを責め立てた。そして、テオと一緒に逃げたセルバ人の男”怪盗コンドル”に対しても呪いの言葉を吐きたてた。アリアナの悪口も言った。超能力者を制圧出来なかったヒッコリー大佐の部隊の責任にも言及した。テオは彼の罵詈雑言を聞き流し、エルネストが疲れて喚き立てるトーンを落とした頃合いに尋ねた。

「ホープ将軍はお元気か?」
「将軍は死んだよ!」

 ゲイルは吐き捨てるように言った。

「何故だか知らんが、自分の部下達に蜂の巣みたいに撃たれて死んだ。」

 テオは、研究所から逃げ出す時、ホープ将軍とその部下達に立ち塞がれたことを思い出した。あの時、ケツァル少佐が将軍ではなく部下達に”操心”をかけた。「その男が少しでも足を動かしたり、あるいは一言でも言葉を発したら、即刻撃て!」と言う命令と共に。少佐は1時間で”操心”は解けると言ったが、将軍は立っていたから、疲れて動いてしまったに違いない。上官を射殺してしまった兵士達は気の毒だが、きっと何も記憶していないだろう。
 テオの質問の意味がわからないムンギア中尉がテオを見たが、テオは気がつかないふりをして、次の質問をした。

「ワイズマン博士は?」
「軍の精神病院に入っている。」

 少佐の”操心”にかけられて自ら研究所のデータを全て破壊してしまった科学者は、心も壊れてしまって修復不能になったのだ。
 テオはドブスンや他の科学者達のその後も気になったが、ここで質問を控えることにした。バスに乗り遅れたくなかった。

「研究所は閉鎖になったんだね?」
「当たり前だ。全てのコンピュータがワイズマンの手で狂わされてしまって、施設全体が使えなくなった。研究所は解散された。」
「それで、君は今何処に所属しているんだ。」

 エルネスト・ゲイルは、ある名前を口にした。ムンギア中尉がドアの横にあるもう一つの机の方を見た。そこにもう1人若い憲兵がいて、ラップトップでゲイルが口に出した単語を片っ端から検索して確認していたのだ。その憲兵が手を挙げて断言した。

「実在する民間企業です。養殖漁業を行なっており、カリブ海の水産資源を米国の近海で養殖して販売しています。尤も・・・」

 憲兵は画面を見て顔を顰めた。

「他国の領海に無許可で侵入して違法に資源を採取して訴えられた事例が過去10年間に4回もあります。」
「ビジネスだ。」

とゲイルがテオに言った。

「珍しい魚や貝の遺伝子を採取して、培養する。天然の海で採ったものじゃないから、水族館に売れるんだ。珍味を出すレストランにも卸せる。」
「つまり、違法操業、密漁で遺伝子採取をしていたってことか?」

とテオは言った。

「だから、国籍がバレないように装備から製造元がわからないよう細工していたのか?」

 ゲイルが肩をすくめた。

「誰も傷つけないんだ、スパイ行為でもない。海は広いし、魚はいっぱいいる。いいじゃないか!」

 テオはムンギア中尉を振り返って言った。

「こいつ、社会常識がないんです。」


第4部 忘れられた男     16

  テオは憲兵隊のグラダ・シティ南基地へ行った。手には衣類が入った鞄を下げていたが、これはエルネスト・ゲイルと再度の面会をした後、バスに乗ってエル・ティティに帰省するためだ。憲兵隊の要請だから面会するが、本心を言えば、エルネストには関わりたくなかった。病院で会った時、エルネストはテオの顔を見ても嬉しそうでなかった。今どうしているのか、何をして暮らしているのか、アリアナは何処にいるのか、何も彼は尋ねなかった。訊く必要がないのか、関心がないのか、どちらかだ。テオが彼を愛せないように、彼もテオやアリアナを愛していない。アリアナもセルバの友人達もエルネストに絶対に近づかせたくなかった。
 アウマダ大佐はエルネストを尋問した筈だが、テオが彼のオフィスに来ても結果を伝えなかった。恐らく、テオとエルネストの証言の食い違いを見つけたいのだろう。
 金曜日の午後だ。憲兵も日勤の隊員達は任務を終了して帰りたそうな顔をしていた。テオは若い隊員に殺風景な通路に並んでいるドアの一つ迄案内された。ドアの上にプレートが掲げられており、「S Iー3」と書かれていた。取調室3号室の意味だろう、とテオは思った。憲兵がドアをノックしてから開き、テオに入るよう合図した。テオは鞄を大佐の部屋に置いて来れば良かったと思いつつ、持ったまま中に入った。鞄はビルに入る時に持ち物検査を受けていたので、誰も文句を言わなかった。
 長方形の装飾のない事務机の窓側にムンギア中尉が座り、その対面にエルネストが疲れた顔で座っていた。テオが入ると、彼は嬉しそうな表情で迎えた。

「やっと来てくれたか!」

 テオは彼を無視してムンギア中尉に挨拶して、中尉の隣の椅子に座った。

「さて・・・」

とムンギア中尉が英語で言った。

「貴方の名前と生年月日、国籍を言って下さい。」
「エルネスト・ゲイル・・・」

 エルネストは氏名と生年月日は答えたが、国籍はちょっと言葉を濁した。テオが尋ねた。

「どうした? アメリカ合衆国から追い出されたか?」

 エルネストはムッとした表情になった。

「そうじゃない、パスポートを海に落としたんだ。セルバにU Sの大使館はあるんだろ? 連絡してくれないか?」

 彼等の会話が聞こえなかったふりをして、ムンギア中尉がもう一度尋ねた。

「貴方の国籍は?」

 エルネストは渋々答えた。

「アメリカ合衆国。」

 彼は生まれた州と町の名前も告げた。ムンギア中尉は前日にテオが病院で書いたエルネスト・ゲイルの概歴に目を通していた。
 エルネストがテオに言った。

「さっきも別の憲兵に同じことを訊かれたんだ。僕は犯罪者扱いか?」
「入管を通らずに入国したからね。」
「ハリケーンで遭難して、打ち上げられただけじゃないか!」
「静かに!」

 中尉が注意した。

「乗船が遭難したのですか?」
「そうだ。」
「船の名前は?」
「ハーマイオニー」

 テオはプッと吹き出した。

「ハリー・ポッターの登場人物じゃないか。」
「船の名前なんだ。ちゃんと船体に書いてあった。」
「それは客船ですか?」

 エルネストが返事を躊躇った。中尉が重ねて尋ねた。

「民間船ですか、それとも公的機関の船ですか?」

 エルネストは溜め息をついて、答えた。

「海洋調査船だ。」

 ムンギア中尉がテオの方へ顔を向けたので、テオはスペイン語で説明した。

「海に関する色々なことを調査する装備を備えた船です。国が所有している船が主ですが、民間企業が運営しているものもあります。調査内容は、海流、海産資源、海底資源、海底地質、等の自然を調査するものがあれば、沈没船の捜索や宝探し、海底に建設された施設の点検などもあります。この男は、遺伝子学者ですから、本当に海洋調査船に乗っていたのであれば、目的は海産資源調査です。ただ、昨日も言いましたが、彼は陸軍施設で育ったので・・・」
「海産資源の調査に携わる可能性は低い、と?」
「スィ。」

 ムンギア中尉が視線をエルネストに戻したので、エルネストは「何だよ?」と言いたげに見つめ返した。セルバ人のマナーとしては、喜ばれない。
 テオは机の上に体を傾けた。

「エルネスト、本当のことを言ってくれ。君は、今、何処でどんな仕事をしているんだ? まだあの研究所にいるのか?」

 

2021/12/10

第4部 忘れられた男     15

  ケツァル少佐はカタリナ・ステファンに断ってカルロの部屋へ行った。ドアに鍵が掛かっていたが、ノックすると直ぐに開けてもらえた。”ヴェルデ・シエロ”に鍵は何の意味もない。ブエノス・タルデス、と挨拶を交わして、カルロ・ステファンは異母姉を中に招き入れた。質素な部屋だ。住人が本部の官舎に住んでいるから、実家には殆ど物がない。家を購入した時に付いていた家具がそのままあるだけだ。衣類は床に置かれたリュックに収納されている。窓際の古い机の上に置かれたラップトップに密林の映像が映し出されていた。
 椅子が1脚しかなかったので、少佐はベッドの上に座った。そしてラップトップのスクリーンを顎で指した。

「オクタカスですか?」
「スィ。私にも派遣の話が電話で伝えられました。長老の護衛です。」
「私も同じです。一種の牽制でしょう。」
「牽制?」
「グラダ族の力がどんなに強くても、調子に乗るとこうなるぞ、と言う・・・」

ああ、とカルロは頷いた。

「私は司令部に入るつもりはありませんよ。」
「私もです。」
「指揮官より、捜査官の方が面白い。」

 カルロ・ステファンは机の前の椅子に座り、マウスを動かして密林の画像を動かした。

「この部分、2年前の事故の後、撤収時にフランス隊が厳重にシートをかけたのですが、3分の1ほど動かされています。慎重に元に戻したつもりでしょうが、微妙にズレています。盗掘があったことは確実です。」
「誰が撮影したのです?」
「オクタカス村の子供です。スマートフォンで撮影して、SNSにアップしていました。」
「子供が?」
「最近、村でも携帯電話が通じるようになったので、面白がって遺跡へ行って撮影大会をしたらしいのです。」

 少佐が思わず微笑んだので、彼も嬉しくなった。

「自宅で座っているだけで、情報が入って来る。先祖はこんな状態を想像もしなかったでしょう。」
「そうですね。」

 ケツァル少佐は弟を見た。

「今日は、ちょっと質問を持ってきました。」
「何です?」
「貴方のお祖父様の名前を教えて欲しいのです。考えたら、一度も聞いたことがありません。」

 ああ、とカルロも不意打ちを食らった表情で首を振った。

「そう言えば、そうですね。私も祖父とか祖父さんとしか呼んだことがなかった。祖父の名前は・・・」

 彼は遠い記憶を呼び起こそうとちょっと天井へ視線を向けた。

「エウリオ・・・エウリオ・メ・・・」

 彼は自分の記憶にギクリとして、少佐を見た。

「エウリオ・メナクでした。」

 少佐は彼程に驚いた様子ではなかった。

「僅か50人前後の小さな村でしたから、恐らくマナ、ケツァル、メナク、後一つぐらいしか家系がなかったのでしょうし、互いに妻の遣り取りをして全員が親族だった筈です。ニシト・メナクもシュカワラスキやウナガンと近い親族で、もしかすると異母兄弟姉妹だった可能性もあります。エウリオさんも誰かの兄か従兄弟だったのでしょう。」

 カルロがフーッと息を吐いて脱力した。

「私達はあまりにも血が濃すぎますね。貴女が私を夫に選ばないと言われた理由も理解出来ます。グラダ族の純血種は危険です。貴女は危険ではありませんが、我々の子孫がどうなるか、私には抑えきれないだろうし。」

 彼は姉を見て、片目を瞑った。

「でも、ハーフもまだ危ないですよ、例え半分白人だとしても。」
「何ですか、それは?」

 ケツァル少佐は笑ったが、少し頬を赤らめた。それから、直ぐに真面目な顔になった。

「私が気になるのは、エウリオさんと共に出稼ぎに出た残りのイェンテ・グラダ出身の男達のその後です。 彼等はまだ生存しているのか、或いは子孫を残しているのか。」

 カルロは考え、首を振った。

「祖父から何も聞いていません。長老会もそれを気にしているのかも知れませんね。 だから、我々の護衛が必要なのでは?」



2021/12/09

第4部 忘れられた男     14

  2ヶ月の休暇はとても長く感じられた。カルロ・ステファンは退屈で2週間も経たぬうちに本部へ戻ろうかと思ったのだが、同じ時期に大学の雨季休暇に入った妹のグラシエラが、教員免許を取るための特別授業の一環で、スラム街の子供達の教育を行う団体にボランティアとして参加したので、その送迎をする為に実家に残った。グラシエラは”心話”と夜目しか使えない”ヴェルデ・シエロ”だから、普通の人間”ティエラ”と殆ど変わりがない。だから兄貴としては、妹が不良どもに狙われないかと心配だった。さらに気掛かりだったのは、妹の大学の同級生達だ。数人の男子学生がグラシエラを迎えに来たり、送って来たりする。彼女は「ただの同級生だ」と言うが、兄の目から見れば、どれも飢えた狼だ。だから顔を合わせると睨みつけてやる。学生達の間ですぐに噂になった。

 グラシエラ・ステファンの兄ちゃんはおっかない!

 グラシエラには、兄が大統領警護隊の隊員だと周囲に言うなと申し渡してあるが、それでも立ち居振る舞いは軍人だし、軍服を着て街で活動している彼の姿を目撃したことがある学生もいたので、正体がバレるのも時間の問題だった。
 流石にグラシエラも、同級生に片っ端から睨みを効かせる兄貴の態度にいささかうんざりしてしまった。それで彼女は、つい、言ってはいけないことを兄に言ってしまった。

「シータに振られたからって、私の友達に当たることはないでしょ!」

 その話をカタリナ・ステファンから聞かされたケツァル少佐は笑いが止まらなくて困った。カタリナも笑いながら、この3日ほど互いに口を利かない息子と娘に手を焼いている、と愚痴った。彼女達はステファン家の小さな居間でコーヒーを飲みながら世間話をしていた。

「カルロが貴女を慕っていたことを、私は知っていました。でも貴女の心が彼にないこともわかっていました。」
「彼は私にとって大事な部下で、愛する弟です。そして心から信頼出来る仲間です。それ以上でもそれ以下でもありません。」
「グラシエラも貴女を慕っています。でも兄と姉が結ばれる部族の古い習慣には抵抗があることも事実です。だから、貴女が彼に引導を渡してくれた時に、彼女も私も内心安心したのです。だけど、カルロは、まだ未練がある様です。」
「軍隊にいると女性と接する機会が少ないのも事実ですから。焦らずに長い目で見てやって下さい。それにしても、グラシエラの一発は今のカルロにとって、きつかったですね。」
「傷口に塩を塗ったようなものですよ。」

 カタリナは家の奥をチラリと見た。グラシエラはボランティア活動の最終日でスラムに出かけていた。新学期が始まるので、彼女の活動は休止だ。カルロの方も週明けに本部へ戻る。戻ってしまえば、次に実家へ帰るのは何時になるかわからない。本部では、彼を指揮官候補生として教育しているのだ。彼の念願の、「ケツァル少佐と同じ階級に上がる」日が近づいている。しかし、その昇級の目的だった女性は、もう彼のものにならない、と彼女自身から告げたのだ。カタリナは息子が自棄を起こさないかと、ちょっぴり心配だった。こうして彼女が少佐と居間でコーヒーを飲んでいる間も、カルロは自室に閉じこもって出て来ない。ハリケーンが来た時に、祈祷と言う任務で一時的に本部へ召喚されたが、自然災害の脅威が去ると、半ば強制的に実家へ戻された。カルロは丸2日、自室で眠りこけ、目覚めると部屋に閉じこもったままだ。
 ケツァル少佐は、ステファン家訪問の真の目的に入ることにした。何時までも失恋した弟を肴に喋るのも気の毒だ。振ったのは彼女自身なのだから、尚更だ。

「来週、イェンテ・グラダへ派遣されることになりました。」

 カタリナにはピンと来なかったようだ。不思議そうな目で義理の娘を見た。それで少佐は簡単に説明した。

「シュカワラスキ・マナとウナガン・ケツァルが生まれた村です。貴女のお父様の故郷でもあります。」

 ああ、とカタリナは頷いた。夫はイェンテ・グラダ殲滅事件があった時、まだ1歳だった。だから夫から村の話を聞いたことはなかった。父親は10代の頃に村を出て鉱山へ出稼ぎに行った。1度だけ里帰りしたが、その時点で既に村は消滅していた。父親は、故郷を失ったとだけ妻子に語り、それ以上村の思い出を語ることはなかった。恐らく、彼が出稼ぎに出る前からイェンテ・グラダ村には不穏な空気が満ちていたのだろう。父親は村がどうなったのか真相を知らなかったが、何故消滅したのか、理由は漠然と理解したのだ。だから娘に伝えなかった。堕落して自滅した故郷の話を語らなかった。
 カタリナ・ステファンにとって、イェンテ・グラダ村は古代セルバ同様、遠い存在だった。

「ジャングルの中の村だったとだけ聞いています。住む人がいなくなって、既に半世紀経っているのですから、ジャングルに呑み込まれてしまっていることでしょう。」

 彼女はケツァル少佐に微笑みかけた。

「貴女はお仕事で何度もジャングルに入られていると思いますが、気をつけて行ってらっしゃいね。」

 


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...