2021/12/13

第4部 忘れられるべき者     4

  仕留めた野豚を焼く匂いが拡散しないように、”ヴェルデ・シエロ”達は慎重に処理した。肉は5人に等分に分配されたが、背が高い長老が己の肉を2つに分けて、ステファンに差し出した。

「若い者はもっと食え。」

 ステファンが恐縮しながら受け取るのを、ケツァル少佐が微笑ましく思いながら眺めていると、女性の長老が話しかけてきた。

「貴女も必要ではありませんか?」
「今日は大して力を使っていませんから、分けて頂いた量で十分です。」

 そして少佐は相手を見ないように心掛けながら言った。

「無礼を承知で申し上げます。貴女こそ必要でしょう、私達を初めから結界で守って下さっています。」
「そうですか?」

と相手が惚けた。少佐はもっと言いたかったが、それでは相手の正体を見破ったと言うのと同じなので、口を慎んだ。背が高い長老はかなり前から正体が割れていた。カルロ・ステファンを「黒猫」呼ばわりするのは、あの人しかいない。背が低い方は、神殿の外で出会ったことはないが、言葉のアクセントから判断すれば出身部族がわかる。そして、この女性の長老は、彼女にもステファンにとっても、普段から物凄く身近にいる人だ。
 女性の長老が仮面の下で笑った気配がした。

「貴女には敵いませんね、ケツァル。」

 彼女は肉の塊を掴んで立ち上がった。

「木の上で頂きます。明日は日の出と共にお会いしましょう。」

 残りの4人も立ち上がって、彼女を見送った。長老は高齢者とは信じられぬ身のこなしで立木の1本に駆け上がり、葉の茂みの中に姿を消した。
 4人は再び小さくなった焚き火の周囲に腰を降ろした。

「出稼ぎに出た男が3人いた。」

と不意に背が高い長老が口を開いた。残りの3人が彼を見た。背が高い長老が続けた。

「オルガ・グランデの金鉱で鉱夫として働いていた。1人はエウリオ・メナク、ここにいるステファンの祖父になる男だ。オルガ・グランデの事件の数年後に亡くなった。エウリオの死去はグラダ・シティに伝えられたから、間違いない。それに、ここにいる孫も証人だ。」

 もう1人の長老が顔を向けたので、ステファンは頷いた。

「2人目は、ヘロニモ・クチャ。この男は地下で作業中に落盤事故に遭った。鉱夫仲間を助ける為に気の爆裂で岩を吹き飛ばしたために、”ティエラ”達に正体を知られた。」

 ステファンがハッとして語り手の仮面を見た。その話は、北部の寂れた農村で聞いたことがある。背が高い長老は溜め息をついた。

「一族の掟では、消されても仕方がない失態だ。純血種ならば、正体を知られずに岩を吹き飛ばせたであろうが、”出来損ない”だったからな。」

 その人はまさか・・・。ステファンが口を挟もうとする気配を感じ取ったケツァル少佐が彼の膝を叩いた。控えよ、と。長老の語りに口を挟むことは無礼な振る舞いだ。
 すると背が低い長老が疑問を口にした。

「”出来損ない”と言っても、イェンテ・グラダの連中は、グラダとブーカの混血だろう。純血種と変わりない筈だ。」
「混血だからこそ、だ、友よ。ブーカとサスコシ、ブーカとオクターリャ、あるいはマスケゴ、カイナ、グワマナでも良い、6部族は混血しても能力の制御に難が生じることはない。しかし、グラダの血は異なる。余りにも強すぎるのだ。だから、イェンテ・グラダ村の住民は制御出来ぬ己の能力に苦しみ、麻薬に溺れた。ヘロニモ・クチャは鉱夫仲間を救う為に己が能力を使ったことがわかる仕草をしてしまったのだ。」

 背が高い長老は座ったまま、両腕を高く掲げ、大きく振って見せた。

「古の大神官が、民に能力を見せつけた時の仕草だ。ヘロニモは体を動かさなければ力を制御出来なかったのだろう。」
「その人はどうなったのです?」

 と堪えきれずにステファンが質問した。長老はすぐには答えなかった。ステファンがもう一度尋ねようとすると、やっと彼は言った。

「儂の知らぬことだ。ただ、触れは出た。ヘロニモ・クチャには手を出してはならぬ、と。鉱夫達を守ったからな。彼は鉱山を去った。その後の行方は誰も知らぬ。」

 


第4部 忘れられるべき者     3

  サラが造られていた岩山は中央が陥没していた。2年前、フランスの発掘隊が撤収した後ステファンは陸軍の警備部隊にサラの爆破を命じた。警備部隊は命令通り、上手に裁判用の遺跡だけを破壊していた。僅か2年前だが、その陥没した地面を草木が覆い尽くそうとしていた。植物の生命力の強さに感心しながら、ステファンは岩山の裏で湧水を発見した。5人分の水筒を満たすとそれ以上の水は汲まない。長老達は高齢だが、十分ジャングルの中を独り歩き出来る人々だ。水筒が空になれば各自彼の匂いを追跡して水場にたどり着ける。
 野営地に戻ると、ケツァル少佐が立木を何本か選んで樹上に寝床を作っている最中だった。彼は水筒を荷物置き場として造られた木の棚に置くと、立木に登って姉の作業を手伝った。

「男女差別を言う訳ではありませんが、これは男の仕事だと思いますね。」

と彼はハンモックを設置する手伝いをしながら言った。そうですか?と少佐が苦笑した。

「貴方は2年前、この周辺で監視業務に就いていましたから、地の利があります。だから森の中を歩く時の先導や水場探索に選ばれたのでしょう。」
「それなら全部私に任せてもらっても良かった。貴女は長老達と共に村の遺構調査をされた方がお似合いでしょう。」

 木の実が飛んできたので、彼は避けた。おやおや、と彼は思った。姉は先祖が殺害された場所を歩き回るのが嫌なのだ。長老も多少は気遣って彼女を列の最後に置いた。考えれば、2人共村の遺構の中に足を踏み入れたのは、あの井戸跡に生えていた楡の木を見に行った時だけだった。
 長老達も、イェンテ・グラダ村の殲滅作戦が行われた時はまだ若かったのだ。恐らく10代後半から30歳になる前だっただろう。”砂の民”の長老は頭目の指図通りに動いただけだ。もしかすると、この日ここに来ている他の長老の2人は殲滅事件が起きた当時は、村の存在すら知らなかったのかも知れない。後に事件のあらましを一族の負の歴史として学ばされたに違いない。
 木の下に女性の長老が現れた。2人の若い”ヴェルデ・シエロ”は呼ばれる前に素早く木から降りた。ケツァル少佐が敬礼して報告した。

「野営の準備が整いました。お好きな場所でお休みになられて結構です。」
「グラシャス。」

 長老が仮面の下で溜め息をついた。

「こんな場所迄来て形式にこだわるのもどうかと思いますが・・・長老会の任務中でも神殿の外では仮面を外して良いと言う規定がないので困ります。暑くて堪りません。」

 少佐は仮面の向こうの金色の目が彼女の服装をジロリと眺めたのを感じた。長老が呟いた。

「早く私もその服に着替えたい。」
「どうかご辛抱を・・・」

 少佐に目で命じられて、ステファンは水筒を一つ持ってきた。長老はそれを受け取り、礼を言ってから、一つだけ嬉しいことを教えてくれた。

「殿方が、野豚を仕留めました。今夜は5人だけで堪能出来ますよ。」

 長老が再び村の遺構に戻って行くと、ステファンが肩をすくめた。

「狩りなら、私に言ってくれればいくらでもして差し上げるのに。」

 ケツァル少佐が声を立てずに笑った。

「まだ腕が鈍っていないことを示しておきたいのでしょう。」



第4部 忘れられるべき者     2

  住民が消し去られて50年以上経ったイェンテ・グラダ村跡地は、木々が生い茂っていた。そこに人間の営みがあった景色など微塵も残っていなかった。それでも長老達は用心深く辺りを歩き回った。ケツァル少佐とステファン大尉は命じられた位置にそれぞれ立って、警戒に能った。少佐は携帯電話を出してみた。オクタカス村は携帯電話の使用圏内に入ったと言う話だったが、流石にイェンテ・グラダ村跡地では無理だった。
 背が低い方の男性の長老が少佐のそばに来た。

「ケツァル、ここの衛星写真と言うものを見ることは出来るか?」
「残念ながら、ここでは無理です。オクタカス村へ行けば見られますが。」

 長老が木々の間を歩いている仲間をチラリと見遣った。

「彼はここがイェンテ・グラダだと言うが、村の痕跡が何一つ残っておらぬ。」
「痕跡を消しに来たのでしょう?」
「その筈だ。しかし消すべき物が見つからぬ。」

 長老達は歩行に杖を必要としない健康な状態だったが、それぞれ杖を持参していた。それで彼は地面を叩いた。

「本来なら、我々一族の密林での住居は、石の土台の上に木で小屋を建てる。上部の木の部分が朽ちて失われても土台は残る。」
「その土台を消しに来たのですよね?」
「スィ。しかし、その土台がどこにもない。」

 その時、薮の向こうでヒュッと言う声が聞こえた。集合の合図だ。長老が少佐に「ついて来い」と合図したので、少佐は彼の後をついて声が聞こえた場所へ走った。
 集合をかけたのは女性の長老だった。彼女は仲間が全員集まったことを確認すると、杖で目の前の若い楡の木を指した。
 その木は奇妙な成長の仕方をしていた。右斜めに真っ直ぐ伸び、5メートルほど成長してから上へ曲がって伸びていた。根元の地面が少々周囲より高い。
 女性の長老は杖を楡の木の根元に刺した。杖は驚く程素直に地中へ差し込まれて行った。彼女は背が高い男性の長老を振り返った。

「この木が生えている場所は、どんな場所だったか覚えておられますか?」

 質問された長老は周囲を見回した。古い記憶を呼び起こし、過去の映像を確認しているのだろう。やがて彼は楡の木を見て、言った。

「そこは井戸があった場所だ。」

 女性の長老は頷いた。

「誰かが土台に使われた石を集めて井戸を埋めたようです。そこにこの木が根付きました。木が成長すると、地面の下が石で隙間が出来ている為に傾いてしまったのでしょう。」
「誰が井戸を埋めた?」

 背が低い長老に訊かれて、背が高い長老が首を振った。

「知らぬ。この木はまだ芽生えて20年ほどではないのか?」
「では、20年から30年ほど前の間に誰かが来て、土台の石を集めて井戸を埋めたのか。」

 仲間達に仮面を被った顔を見つめられ、背が高い長老は首を振った。

「儂の身内ではない。儂はまだ若輩者だったが、族長からも頭からもそんな話は出なかった。第一、その時期は、オルガ・グランデの戦いの最中ではないか。」

 長老達の会話に割り込むのは礼儀に反するので黙っていたが、カルロ・ステファン大尉は自分の考えを言いたくなったので、軽く咳払いしてみた。長老達が彼の気持ちの動きに気がついて振り向いた。

「なんだ、言いたいことがあるのか、黒猫?」

 ステファンはケツァル少佐があまり歓迎しないと言いたげな表情をしたのを見なかったふりをして、意見を言った。

「ニシト・メナクが来たのではありませんか?」

 3秒程沈黙があり、それから背が高い長老が否定した。

「それはない。メナクはあの時点で既にトゥパル・スワレに憑依していた。スワレが石を運ぶ土木作業に身を使うとは思えぬ。それに、あの男にこの村の痕跡を消さねばならぬ理由はなかった。」

 あっさり否定され、ステファンは大人しく、わかりました、と引き下がった。そしてチラッと姉を見た。ケツァル少佐は森の奥を見ていた。
 女性の長老が天空を見上げた。

「まだ日が高いですが、ここへ来た目的は失われていました。どうしますか?」
「私は誰がここの後始末をしたのか、気になる。」
「私もだ。」

 2人の男性長老がこの場に残ることを希望した。
 女性長老は頷くと、ケツァル、と少佐を呼んだ。少佐が振り返ると、彼女は命じた。

「野営の準備をなさい。ステファンは水場の確保。」




2021/12/12

第4部 忘れられるべき者     1

  雨季が完全に終わっていない。空気中の湿度が高く、この国の大地に生まれた筈の種族である”ヴェルデ・シエロ”にとっても蒸し暑くて不快な天候だった。空は晴れていた。強烈な日差しが照りつけると、高齢者には辛いのではないか、と若い大統領警護隊の隊員達は心配になった程だ。
 グラダ・シティの地下神殿の”入り口”からオクタカス遺跡の近くにある”出口”に出た時、カルロ・ステファン大尉は、2年前の発掘隊監視任務に就いた時にこの”通路”の存在を知っていれば良かった、とちょっぴり後悔した。尤も空間通路は常に同じ場所に生じる訳でなく、2年前の彼は自力で”入り口”を見つけたり”出口”を作る能力を持っていなかった。それに司令部の許可なしに地下神殿に出たりすれば、速攻で営倉行きだ。
 先頭に立ってジャングルの中を歩いて行く彼の後ろを、斑模様の貫頭衣と奇妙な紋様入りの仮面を身につけた長老会のメンバーが3人、殿にケツァル少佐がついていた。長老の足を考え、ステファンは普段よりゆっくりめに歩いていた。久しぶりに着用した迷彩柄の戦闘服とヘルメットが身に馴染んで心地よかった。虫や蛇を追い払う為に彼は微弱な気を放っていた。それでも長老達には感じ取られた。背後で囁き声が聞こえた。

「これでも弱い方だ。」
「修行をする前と比べれば、かなり抑えている。本部にいる時は完璧に消しているぞ。」
「もう気の抑制に関する修行は終わったと考えて良いでしょう。次は呪いに関する対処法を学ばせる頃合いです。」

 このジャングル派遣は、修行の成果を確認する試験なのか?とステファンは思いつつも、アサルトライフルをいつでも撃てる心構えは忘れなかった。倒木を跨ぎこした時、後ろで長老の1人が声を掛けた。

「11時の方向へ、黒猫。」

 進路の指示に従って5分程歩いた時、突然最後尾でケツァル少佐が喉を鳴らした。

 クッ

 忽ち5人全員が地面に伏せた。東の上空からバタバタと機械音が聞こえて来た。高い位置の樹木の枝や葉が振動した。”ヴェルデ・シエロ”達はヘリコプターが完全に飛び去る迄そのまま森の一部になって静止していた。
 音が十分遠ざかり、ヘリコプターが引き返して来る様子がないと確信して、少佐が声を掛けた。

「もう大丈夫です。」

 一行が立ち上がった。

「空軍か?」
「医療ヘリコプターです。医師と看護師を乗せて、無医村を巡回しているのですよ。」

 そう言った女性の長老は軽く衣類からゴミを払い落とした。ふーんと背が高い長老が呟いた。

「保健省もまともなことをしているのだな。」

 彼はステファンに声を掛けた。

「幹に蛇の紋様が浮き出ている木を見つけたら、そこがイェンテ・グラダだぞ、黒猫。」
「承知しました。」

 蛇の紋様だって? とステファンは心の中で疑問を呟いた。まさか樹木に彫刻してそのまま放置したのか? ”ティエラ”に見られたらどうするんだ?
 さらに半時間程歩いて、その蛇の紋様が浮き出ている樹木が本当に現れた時、彼はちょっと驚いた。楡の木なのだが、その幹にまるで錦蛇が絡みついたような紋様が浮き出ていた。蛇の部分は盛り上がっており、彫刻ではないとわかった。
 立ち止まったステファンの横に背が高い長老が並んだ。幹を撫でて囁いた。

「よくこの地を守ってくれた、ご苦労だった。」

 彼は一行を振り返って宣言した。

「ここが、イェンテ・グラダがあった場所だ。」


 
 

第4部 忘れられた男     20

  アリアナ・オズボーンから電話がかかって来た時、テオはゴンザレス署長の自宅で、会計士ホセ・カルロスから頼まれた書類の清書をしていた。役場に提出する期限が週明けの月曜日の午後だと言うのに、カルロスは彼を当てにして何もしていなかったので、テオは殺人的な忙しさだった。しかし、画面にアリアナの名前が出たので、電話を無視出来なかった。何かエルネスト・ゲイル絡みの事件でも起きたのかと不安を感じつつ、彼はボタンを押した。

「オーラ?」
「テオ、今何処にいるの?」
「何処って、エル・ティティだよ。」

 一瞬間があってから、彼女が、なんだ、と呟いた。だから彼の方が逆に尋ねた。

「何かあったのか?」
「そうじゃなくて・・・」

 彼女は少し躊躇ってから、言い訳するように説明した。

「貴方がケツァル少佐とロペス少佐と出かけてから、何も連絡がなかったから・・・」
「少佐は帰っただろ?」

と言ってから、テオは女性の少佐だと言い直した。英語では男女同じだ。

「ラ・コマンダンテの方・・・」
「彼女は帰って来たわ。でも、貴方達がどんな用件で出かけたのか、教えてくれないの。」
「ハリケーンで漂着した遭難者の身元調査だって、彼女は言ってなかったか?」
「言ったけど・・・」

 アリアナは躊躇った。それで、テオはふと思い当たった。彼女は、ロペス少佐が気になるのだ。彼女はまだ結婚する相手が彼だと、テオに告げていなかった。だからテオの方から先に言ってやった。

「ロペス少佐から婚約のこと、聞いたぞ。」

 彼女が黙ったので、彼は明るい声で言った。

「おめでとう! 式には呼んでくれるんだろうな?」
「ありがとう!」

 アリアナの声も弾んだ。

「彼から聞いたの?」
「うん。いきなり、車の中で、君との結婚を許して欲しいって言われて、たまげたよ。俺は君の親じゃないし、血のつながった兄貴でもない。だけど、君の唯一人の親族と彼は看做してくれた。感謝しているし、俺達の様な生まれの人間でも気にせずに愛してくれることにも、感謝している。」

 アリアナが電話の向こうで、涙を堪えて、「ええ」と呟いた。

「良い人よ・・・とても・・・」
「強いし、頼りになる男だな。」
「ええ・・・」
「幸せになれよ。」
「有り難う。」

 ちょっと間が空いた。彼女は感情の昂りを抑えて、それから、やっと次の話題に移った。

「貴方達が出発してから、彼から連絡がないんだけど、貴方はもうグラダ・シティに戻ったのよね?」

 ああ、そう言うことか、とテオは得心した。アリアナは婚約者から電話がないので心配しているのだ。

「彼は忙しいんだよ。漂流者が不法入国者の疑いがあったので、取り調べやら何やらで、外務省と憲兵隊基地を行ったり来たりしている。俺もちょっとだけ手伝いをしたんだ。多分、次の週末迄には、彼の仕事も片付くさ。」
「忙しいだけなのね?」
「うん。移民や亡命の件でないとはっきり分かれば、彼の仕事も一段落つくさ。だから、気を揉まずに、君は君のことをしていれば良い。」
「信じて良いのね?」

 アリアナはちょっぴり懐疑的になっていた。”ヴェルデ・シエロ”が絡むと、セルバ共和国では秘密裏に進行する物事が多々ある。彼女は婚約者に良くないことが起きたのではないかと心配だった。白人との婚約に、誰かの機嫌を損ねたのではないか、と。

「ケツァル少佐に電話しても、短い会話だけですぐ切られちゃった。」
「彼女は月曜日からオクタカス遺跡へ出張するんだ。2週間はかかるらしい。彼女の留守を預かるロホやマハルダ達もそれで忙しい。」

 テオは彼女に注意を与えた。

「セルバ人がいつものんびりしていると思ったら、大間違いだぞ。忙しい時、連中は自分優先で俺達のことを構ってくれないから、それを肝に銘じて結婚しろよ。」
「何、それ?」

 アリアナがやっと笑ってくれた。そしてテオはエルネスト・ゲイルのことを触れずに済んだ。



第4部 忘れられた男     19

  テオが鞄を下げたまま憲兵隊のビルから出て、タクシーを拾おうと通りを見ていると、ロペス少佐が護送車を引き連れて出てきた。テオの横で彼は自分の車を停め、護送車を先に行かせてから、窓を開けて声をかけた。

「乗って行かれますか? バスターミナルのそばを通るので。」
「グラシャス!」

 テオは後部席に鞄を置いて、助手席に乗り込んだ。車はドアが閉まるとすぐに動き出した。

「あの男は・・・」

と少佐が言った。

「アリアナのことは全く触れませんね。」
「ええ、俺もそれが気になっています。彼女のことを全く気にしていない冷たいヤツだとも思えるし、故意に無視しているのかも知れない。」
「彼女とあの男は、仲は悪かったのですか? 子供の時から?」
「仲が良いとか悪いの問題ではありませんでした。俺達は3人だけ、外部と隔離されて育ちましたから、遊ぶのも食事をするのも勉強するのも、寝るのも一緒でした。周囲は大人しかいませんでしたから。喧嘩する時も、誰が誰の味方、と言うこともなかったです。例えば、エルネストと俺が喧嘩しても、アリアナは傍観しているだけ。彼女と彼が喧嘩しても、俺は関心がなかった。つまり、」

 テオは溜め息をついた。思い出せば思い出す程、己が異常な育ち方をしたとわかる。

「俺達は自分のことしか関心がなかったのです。だから、現在もエルネストは彼自身の身の上しか考えていない。アリアナと俺がセルバで人間の温かい心に触れて、やっと本当の生き方を見つけたのに、彼はまだその体験もしていないのです。」
「残念ですが、彼にその体験をさせる時間的余裕はありません。」

 ロペス少佐が硬い表情で言った。

「大統領警護隊の司令部は、彼がセルバにスパイ行為を働く目的で来たのではないかと疑っています。彼がカルロ・ステファンを誘拐した当事者であることが、確実に彼に不利な状況を作り出しています。」
「わかります。」
「長老会は、警察や憲兵隊の様な慎重な捜査と言うものを望みません。疑わしきものは直ちに排除する、それが”ヴェルデ・シエロ”のやり方です。ですから、シショカが動いたのです。」

 外務省に、と言うより、大統領警護隊の隊員としての事務官のロペス少佐に、”砂の民”の動きが報告されたのだ。そしてロペス少佐は、それは拙いと考えた。現状はどうあれ、一度はセルバと深い関わりを持ったアメリカ人が、セルバで消息を絶ってしまうのは、政治的に良くないと判断した。

「エルネスト・ゲイルはセルバに長く滞在すればする程命を縮める確率が高まると言うことですね。」
「スィ。でも私は彼をセルバでは死なせたくありません。アリアナが彼を嫌っているとしても、貴方と彼女のかつての身内だったのですから。」

 テオは、このシーロ・ロペスと言う事務方の軍人を今まで誤解していた様な気がして、反省した。この男は”ヴェルデ・シエロ”らしく感情を表に出さないだけで、実際は他人を心から思いやり、情熱的に愛せるのだ。もしかすると、アメリカのセルバ大使館で初めて会った時から、アリアナに心を惹かれていたのかも知れない。

「エルネストの処分は、貴方の裁量にお任せします。」

とテオはキッパリと言った。

「俺は彼とここで会ったことを決してアリアナに言いません。貴方の仕事の妨げにならないよう、一切彼とは未来永劫関わりません。約束します。」
「グラシャス。」

 ロペス少佐は前を向いたまま、もう一つ情報をくれた。

「あの男の件が片付く迄、ケツァルとステファンをジャングルの奥へ隠しておきます。長老会に心配性の人がいて、2人があのアメリカ人と偶発的でも出会うことがないよう、気を回したのです。」



2021/12/11

第4部 忘れられた男     18

  空腹とその夜の宿はどうするのかと質問するエルネスト・ゲイルを残して、テオはムンギア中尉と検索係の憲兵と共にアウマダ大佐のオフィスに戻った。憲兵がドアを開き、中尉、テオ、憲兵の順で入室した。オフィスには客がいて、その姿を見た瞬間、テオは一気に緊張した。
 白い麻のスーツに黒いシャツ、白いネクタイ、白い靴の先住民の男が大佐の椅子の横に立っており、大佐は椅子にぼんやりと座っていた。

「尋問が終了したようですね。」

と男が言った。そしてテオを見て、微笑んで見せた。

「憲兵隊への協力に感謝しますよ、ドクトル・アルスト。」

 テオは相手の額を見た。セルバ式のマナーだ。

「建設大臣の秘書殿が、漂流者に何か御用ですか、セニョール・シショカ?」

 シショカが憲兵に命令した。

「ドアを閉めろ。」

 憲兵は言われた通りにした。テオは悟った。このアウマダ大佐の部屋の中はシショカの結界に取り込まれている。大佐以下室内の憲兵隊の人間は全員シショカの”操心”にはまってしまったのだ。ムンギア中尉も今やぼんやりと立っているだけだった。彼等には、テオとシショカの会話が聞こえていないのだ。
 シショカが溜め息をついた。

「大統領警護隊が情報を出し渋るので、時間がかかった。あの漂流者は、”出来損ない”のカルロ・ステファンを誘拐した当事者と言うではないか。」
「だから?」

 テオは不安に襲われた。シショカはエルネスト・ゲイルを消しに来たのか?
 
「本来なら、アメリカ政府に我々の存在を知らしめる結果を作った”出来損ない”を処分するべきだが・・・」

 シショカは身の毛がよだつ様な恐ろしいことを平気で言った。

「そうなると、あの”出来損ない”に任務を与えた大統領警護隊のみならず、長老会にも火の粉が降りかかる。だから彼等はあの”出来損ない”には決して手を出すなと我々に厳命した。」

 シショカが言う「我々」とは、”砂の民”のことだ。

「北の国はセルバのことに目を瞑っている。この国の存在を忘れかけている。このまま平穏に行けば、何の問題も起こらぬ。しかし・・・」

 テオはごくりと唾を飲み込んだ。シショカはエルネスト・ゲイルの出現を憂慮すべき事態と考えている。明白だった。

「セルバ共和国政府があの男を北の国へ返せば、北の連中はセルバを思い出す。それは困る。わかるな、ドクトル・アルスト?」
「エルネスト・ゲイルを消すと言うのか?」

 テオは、エルネストを愛していないが、セルバ人に殺させたくなかった。

「あの男は不愉快な人間だが、はっきり言って、馬鹿だ。さっきの尋問で知ったばかりだが、彼は政府機関を解雇されて、民間企業に就職している。あまり素行の良くない会社の様だが、そこであの男が重要ポストについているとも思えない。政府から政府へ引き渡すのではなく、アメリカの海岸にでも放置しておけば良いんじゃないか?」

 何を甘いことを言っている?と言いたげにシショカが眉を上げた。その時、ドアをノックする者があった。シショカが、チェッと舌打ちした。不意に憲兵達が動いた。結界と言うか、”操心”が解けたのだ。再びノックの音がして、大佐が憲兵に開けろと合図した。
 ドアが開かれ、入って来た人の顔を見て、テオはホッとした。外務省のシーロ・ロペス少佐だった。少佐はシショカを見ても何も言わず、アウマダ大佐に挨拶した。

「漂流者の調査は終わったか?」

 大佐が視線を向けたので、ムンギア中尉が急いで録音機を出した。

「こちらに・・・」

 大佐ではなく、ロペス少佐がそれを受け取った。テオは少佐に囁いた。

「研究所の話が少し入っています。」

 少佐が頷いた。そしてアウマダ大佐に言った。

「アメリカ合衆国の人間だと言うことなので、外務省で例の男を預かる。」

 ムンギア中尉が言った。

「あの男は先刻の取り調べで、密漁の疑いがあります。」
「でも、セルバ領海とは限りません。」

とテオは急いで口を挟んだ。ここでロペス少佐にエルネスト・ゲイルの身柄を預けた方が、憲兵隊基地に置いておくよりエルネストにとって安全と思われた。
 ロペス少佐はテオに頷いて見せ、大佐を見た。アウマダ大佐は大統領警護隊に逆らわなかった。

「あの男の身柄を、そちらが指示される場所へ移します。」
「結構、では外に大統領警護隊の護送車が待っているので、そちらに乗せて頂きたい。」

 護送車? テオは内心驚いたが、黙っていた。ロペス少佐もエルネストの出現を危険視している。だが、シショカの様な残酷な男が取る方法で「処分」はしないだろう。
 大佐が部下にエルネスト・ゲイルの移送の準備を命じた。ロペス少佐がムンギア中尉に録音機を見せ、「暫くお借りする」と言った。
 テキパキと動く憲兵隊を見ながら、テオはバスの時刻にまだ余裕があることを確かめた。余裕はあるが夕食は諦めるしかないだろう。
 ロペス少佐が、ドクトルの用事も終わったな、と大佐に確認した。アウマダ大佐がテオに帰っても良いと言ってくれたので、テオは少佐と共にオフィスを出ようとした。すると、シショカが初めてロペス少佐に声をかけた。

「少佐・・・」

 ロペス少佐が振り返らずに足だけ止めた。

「何かな?」
「外務省はあの男をどうするおつもりか?」
「然るべき手段で、帰国させる。」

とロペス少佐は言い、初めてシショカを振り返って見た。

「ハリケーンでインフラ被害が多く出ている。建設大臣はご多忙だろう。早く帰ってお手伝いされてはいかがかな?」



 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...