2021/12/13

第4部 忘れられるべき者     9

  カルロ・ステファンはつい昔の癖で、オクタカス遺跡の盗掘をチェックしたくなった。グラダ・シティの神殿へ通じる”空間通路”の”入り口”へと歩く間、彼の視線は岩山の麓へ向いてしまうのだった。

「彼は何を気にしているのです?」

と女性の長老が最後尾を歩くケツァル少佐に尋ねた。少佐が肩をすくめて答えた。

「文化保護担当部の仕事に未練があるのです。彼が最後に行った監視業務がそこの遺跡でしたから。風の刃の審判の事故で発掘調査が中断されてしまい、彼の任務も中途半端で終わってしまったのです。それに最近の写真を見ると、盗掘被害が発生している疑いがあります。」
「それで気になって仕方がないのですね。」

 長老が仮面の下で笑った。

「オクタカスの発掘は何時再開されるのです?」
「今季、フランス隊が戻って来ます。」
「監視は誰が?」
「ここは村が近いので、デネロスを派遣しようと思っています。彼女の初めての長期ジャングル派遣です。」
「それは楽しみだこと。」

 先頭のステファン大尉が足を止めたので、一行も止まった。長老が彼に止まった理由を尋ねようとした時、ステファンが手で「待機」と合図した。そして彼自身は忽ち密林の中に駆け込んで姿を消してしまった。

「何を見つけたのだ?」

と背が低い長老が囁いた。背が高い長老が本人に代わって答えた。

「向こうで人の気配がした。複数だ。遺跡に向かっている。」
「盗掘者ですね?」

と女性の長老が言った。彼女はケツァル少佐を振り返った。

「行きなさい。」

 少佐は敬礼で応え、素早くステファンの後を追って走り去った。
 3人の長老達はその場に立って、待機していた。2人を置き去りにして帰っても良かったのだが、それでは護衛任務の立場がないだろうから、大人しく待っていた。
 やがて木立の向こうで銃声が聞こえ、男達の怒鳴る声が聞こえた。

「楽しそうだな。」

と背が低い長老が呟いた。声に羨望の響きが入っていた。

「暴れるのは若者の特権だ。」

と背が高い長老が言った。

「人前に出て暴れるなよ。儂らの年齢で飛び跳ねたら、”ティエラ”が怖がる。」

 女性の長老が必死で笑いを堪えて肩を震わせた。

第4部 忘れられるべき者     8

  背が高い長老は周囲を見回し、それから再び仲間に向き直った。

「イェンテ・グラダ村から出稼ぎに出た男は3人と儂は言った。それは儂もそう言い聞かされていたからだ。村の殲滅作戦に携わった者は全員それを信じていた。」

 どう言うことだ? みんなそう問いたいのだが、礼儀を守って黙って聞いていた。

「エウリオ・メナクが亡くなる前に、儂に手紙を寄越してきた。儂はオルガ・グランデの戦いの間、あの男の家族を、娘のカタリナと孫を戦いに巻き込まれぬよう匿ったので、エウリオの信用を得ていた。だから、エウリオは己の命が終わることを悟った時に、儂にある秘密を打ち明けた。イェンテ・グラダ村から出稼ぎに出たのは、2人の男と1人の女だった。」
「女?!」

 思わず背が低い長老が声を上げてしまった。そして彼は慌てて、無礼を詫びた。背が高い長老は仲間の粗相を気がつかないふりをして続けた。

「左様、女だ。マレシュ・ケツァルは女だった。グラダの血が濃い女だ。もし存在がグラダ・シティに知られていたら、ウナガン・ケツァルの様に神殿の地下に連れて行かれただろう。ヘロニモとエウリオはマレシュが男であると我々に信じ込ませたのだ。」
「それで、この楡の木の下に眠っている男性はヘロニモ・クチャだと、貴方は知ったのですね。」

 女性の長老が納得した。背が高い長老は頷いた。

「ヘロニモはエウリオより1年早く亡くなった。エウリオとマレシュはヘロニモをある場所に埋葬したが、場所は誰にも教えるつもりはないと手紙に書いていた。そしてヘロニモの死去も誰にも教える必要はないから沈黙して欲しいとも書いていた。」
「マレシュはどうなったのです? それも書いていましたか?」

 ステファンが強い好奇心に負けて尋ねた。
 背が高い長老は少し躊躇った。長い沈黙が躊躇っていることを物語った。彼はマレシュ・ケツァルのその後を知っているのだ。仲間が焦れかけた時に、やっと彼は口を開いた。

「マレシュはヘロニモを埋葬した後、オルガ・グランデを出て行った。」

 その後は? だが彼はそれ以上は語らなかった。知らない、とは言わないから知っているのだ。だが知っていると言えば、その後々のことも語らねばならない。だから沈黙するしかない。
 わかりました、と女性の長老が言った。

「ヘロニモが亡くなった1年後にエウリオも亡くなった。その時エウリオには娘も孫もいた。つまり、マレシュもそれなりに歳を取っていたのですね。」
「そうだ。儂はマレシュの正確な年齢を知らぬ。まだ存命であれば、儂らとそう変わらぬ歳であろう。」

 朝の太陽はかなり高くなっていた。長老達は野営地を撤収し、グラダ・シティに戻ることにした。樹上のハンモックを片付けるのは、やはり若い者の仕事だ。姉弟が協力して片付けをしている間、長老達は村の跡地に清めの祈りを捧げて歩いていた。
 ステファンが首を傾げた。

「私はまだちょっと納得がいきません。」
「何がです?」

 ケツァル少佐は、自分が気づいたことを彼も気がついたのだろうか、と思った。ステファンはハンモックを畳みながら、ちょっと目を空中に泳がせて、それから姉を見た。

「祖父と同年代だったヘロニモ・クチャとマレシュ・ケツァルが、祖父が亡くなったのと同時期に生きていたのであれば、彼等にも家族がいたと思うのです。祖父が・・・」

 カルロ・ステファンは危うく長老の名前を口に出しそうになって、辛うじて我慢した。

「あの方に私の母と私達兄妹を守ってもらうことを許した様に、ヘロニモとマレシュもシュカワラスキ・マナと一族の戦いに自分達の家族を巻き込まれぬよう手を打った筈です。しかし、あの方はそれには一切触れられなかった。ヘロニモとマレシュはあの戦いを全く傍観していただけなのでしょうか? 鉱夫だったら、地下に潜伏した私達の父とも何らかの接触をした筈です。」

 カルロ、と少佐は言った。

「貴方は、父がカタリナの援助だけで2年間地下で生き続けたと本当に信じているのですか?」

 ステファンは姉を見つめた。

「ヘロニモとマレシュも父を助けていた、と?」
「イェンテ・グラダで生まれた人々の結束でしょう。でも一族は彼等を見逃してやった。麻薬の狂気から逃れて出稼ぎに出た為に、故郷を失った彼等を、そのまま生き延びさせようとしたに違いありません。男性2人は戦いの後長く生きることはなかった様ですが。」
「鉱山の仕事は過酷ですから。インディヘナはあまりああした仕事には向いていません。それは歴史が物語っています。」

 少佐は頷き、空を見上げた。マレシュ・ケツァルは何処に行ってしまったのだろう。1人だったのか、それとも誰か連れがいたのか?


 


第4部 忘れられるべき者     7

  朝日が東の森の木々の向こうから顔を出しかけた。ケツァル少佐はハンモックを片付け、木から降りた。一番近い寝床の木から、女性の長老がほぼ同時に降りて来たので、彼女は思わず敬礼した。長老が囁いた。

「止めよ。ステファンに気づかれる。」

 少佐は慌てて手を下ろした。そして報告した。

「井戸を埋めた人の見当がつきました。」

 長老は仮面越しに彼女を見つめ、やがて小さく頷いた。そして荷物置きに設置した棚から自身の荷物を取った。

「朝食は各自自由に取りなさい。貴女の考えを聞きたい。殿方達を起こしましょう。」

 ドンっと下腹に響くような空気の鈍い振動が起きた。周囲の木々から鳥の群れがバッと飛び立った。直後にカルロ・ステファンが、続けて背が高い長老が木の上から飛び降りる様に現れた。

「何事です?」
「朝が来ただけだ、黒猫。」

 最後に背の低い長老がぎこちなく降りて来た。登るのは得意でも降りるのは苦手と言う人はどこにでもいるものだ。

「ブエノス・ディアス!」

と女性の長老が挨拶した。そしてケツァル少佐を己の横に招き寄せた。

「ケツァルが井戸跡を埋めた人物の見当がついたそうです。」

 男達の視線を集めて、ケツァル少佐は朝の挨拶をしてから、斜めに生えた楡の木の方向を指差した。

「あれは墓所です。」
「墓?」

と思わずステファンが声を出し、急いで口を手で押さえた。背が高い長老に殴られるのではないかと心配したのだ。少佐は彼を無視して続けた。

「昨夜、鉱夫の格好をした方をお見かけしました。彼は私を楡の木まで案内し、地面の下へ消えて行かれました。あの楡の木が生えている場所が、彼の方が眠っていらっしゃる場所だと教えて下さったのです。」

 3人の長老とステファンが楡の木の方向を見た。根元が傾いたために少し歪に伸びてしまった楡の木に朝日が差していた。そうか、と背が高い長老が呟いた。

「ヘロニモはそこにいたのか・・・」

 今度は彼が一同の注目を集めた。ケツァル少佐が尋ねた。

「被葬者がヘロニモ・クチャであると言う確信がおありなのですね?」

 暫く沈黙があった。誰も答えを急かさなかった。背が高い長老は歩き出し、残りの仲間もついて行った。目的地は勿論楡の木が生えた井戸の跡地だった。木の前に立つと、長老は木を見上げ、それから地面に膝を突いた。他の2人の長老もそれに倣ったので、ステファンも慌てて膝を突いた。ケツァル少佐は昨夜拝礼したが、もう一度膝を突き、長老達と共に墓所に敬意を示した。
 死者へ捧げる祈りを終えてから、一同は立ち上がった。背が高い長老が仲間に向き直った。

「長老会の中でも嘘は通るものだ。」

と彼は言った。

「これから話すことは、ここにいる人間の間だけの話にしてもらいたい。誓ってもらえるか?」

 2人の長老が仮面越しに顔を見合わせた。ステファンは少佐を見たが、彼女は話し手の長老を見つめるだけだった。
 やがて2人の長老が声を揃えて言った。

「誓おう。」

 3つの仮面がこちらを向いたので、少佐とステファンも言った。

「誓います。」

 

 

第4部 忘れられるべき者     6

  ”ヴェルデ・シエロ”達が眠ってしまうと、野獣の声が響き始めた。虫の声も聞こえ始めた。勿論毒虫達は彼等のハンモックに近づきはしなかったが、普段通りの密林の夜が戻った。
 ケツァル少佐はハンモックから下の地面を見下ろした。焚き火は埋められて人がそこに居た証拠は数日で草に埋もれてしまうだろう。ロペス少佐はあの漂着したアメリカ人をどう始末したのだろう、と彼女は考えた。長老達がこのイェンテ・グラダ村の遺構を抹消する為に森に来たのは本当のことだが、彼女とカルロ・ステファンを護衛に選んだのには理由があることを彼女は勘づいていた。この森で護衛をするのは、グラダ族でなくても良かったのだ。ブーカ族だって強力な守護者だから、他の遊撃班の隊員に命じても良かった筈だ。
 長老達はロペス少佐の報告を聞いて、カルロ・ステファンが北米で巻き込まれた事件を思い出した。そして漂流者が何者か知ると、憂慮を覚えたのだ。エルネスト・ゲイルはステファンとケツァル少佐の顔を知っている。そしてテオドール・アルストの如く、”操心”で記憶を消すのが困難な脳である可能性が高い。だから今回のジャングル行の護衛をシュカワラスキ・マナの子供だからと言う理由をつけて命じた。ステファンは漂流者の情報を知らないから、綺麗に騙されている。教えてどうと言うこともないだろう。しかし不愉快な記憶を蘇らせる可能性はあった。
 何かが木の下を通った。人の気配? ケツァル少佐はハンモックを揺らさぬよう気をつけて寝床から出た。木を降りて地面に立つと、草の中に男が立っていた。服装は鉱夫だ。

 まじ? 亡者だ!

 少佐は弟を呼びそうになって堪えた。幽霊を見て助けを求めたりなぞしたら、お婆さんになる迄揶揄われる。

 なんでここにテオがいないの?

 黙って手を繋いでくれる遺伝子学者の存在がないことも哀しかった。現代セルバで最強のグラダと言われるケツァル少佐が、無言で立つ男の幽霊を前に立ち尽くしていた。
 幽霊は彼女をチラリと見て、草の中を歩き始めた。

 ついて来いと?

 ケツァル少佐は意を決して歩き始めた。幽霊に悪意はない。悪意があれば悪霊だ。それなら祓える。しかし、目の前を歩く幽霊は無垢の霊だった。
 歩行距離は大して長くなかった。あの傾いた楡の木が生えている井戸跡に来ると、幽霊は彼女をもう一度振り返り、そして楡の木の根元で地面の中に消えた。
 少佐は木の根元に近づき、地面に膝を突いて地表を撫でた。頭の中に閃いた。

 これは、お墓なのだ!

 誰が埋葬されているのだろう。鉱夫の服装をしていた。ヘロニモ・クチャなのか、マレシュ・ケツァルか? 彼女は考えた。どちらかが先に亡くなって、残った人がここに埋葬したに違いない。井戸に遺体を入れて、村の土台になっていた石で埋めて・・・。
 彼女は地面にあらためて座り直すと、右手を胸に当て、深く首を垂れた。
 

 

第4部 忘れられるべき者     5

  ヘロニモ・クチャが落盤事故から鉱夫達を救ったのがいつ頃のことなのか、サン・ホアン村では聞かなかったし、このイェンテ・グラダ村の遺構でも長老は言わなかった。恐らく噂話で残っているだけで、明確な記録は鉱山会社にしか残っていないのだろう。ケツァル少佐が振り向いたので、ステファンは目を合わせた。

ーーお祖父様からクチャの話を聞いたことはありますか?
ーーありません。私が聞いたのは、サン・ホアン村へコンドルの神像の話を聞きに行った時に、村人から伝説の様に聞かされただけです。

 2人は急いで長老に視線を戻した。目上の人の前での内緒話は不敬だ。
 背が高い長老は最後の出稼ぎ鉱夫の話を始めた。

「最後の男は、マレシュ・ケツァルと言った。ウナガン・ケツァルの叔父になる男だったと思うが、イェンテ・グラダ村は住民全員が兄弟姉妹、従兄弟姉妹同士だったから、確実な関係はわからぬ。彼は名前を白人臭くマルシオ・ケサダと変えた。オルガ・グランデの戦いの間も彼は地下で黙々と働き、エウリオ・メナクが亡くなった後も鉱山にいた。」
「子は作ったのか?」

と背が低い方の長老が尋ねた。背が高い方の長老は肩をすくめた。

「知らぬ。マレシュはいつの間にかオルガ・グランデから姿を消していた。ヘロニモ・クチャを探しに行ったのか、あの男自身の終の場所を探しに行ったのか、誰にもわからぬ。」
「解せぬ話ぞ、友よ。」

と背が低い長老は言った。

「グラダの血を濃く受け継ぐ3人の男達を、何故当時の長老会は厳しく監視していなかったのだ。本来なら、彼等が大地に還る迄見届けるのが筋であろう。そうでなければ、村を殲滅させた意味がない。グラダの血を野放しにしたと言うことだぞ。」
「儂に何も権限がなかった時代のことを批判されても困る。」

 背が高い長老がぶっきらぼうな声で応えた。尤も、彼はいつもぶっきらぼうなのだ。

「だが、グラダばかりを監視している訳にいかぬ。気の制御が効かぬ”出来損ない”は代を重ねる毎に増えている。それに比べてマレシュもヘロニモも普段は上手く抑制出来ていたのだ。だから出稼ぎに出かけた。そして行方を晦ませたまま今に至っている。」

 背が低い長老が夜のジャングルを覗き込んだ。

「あの井戸を埋めたのは、ヘロニモかマレシュだと思うか?」
「さて・・・儂はもうどうでも良いと思える様になってきたわい。」

 背が高い長老が自分の肉の残りを掴み、立ち上がった。3人に立つなと手で合図すると、おやすみの挨拶もなしに自分の木を選んで登って行った。
 暫く残された3人は焚き火を眺めながら座っていた。森は静かだ。”ヴェルデ・シエロ”がいるから野獣も昆虫も蛇も寄って来ない。
 そろそろ木の上に登りたいな、とステファンが思い始めた頃に、長老が顔を上げた。

「マナの息子」

と呼ばれて、彼はハッと顔を上げた。

「はい?」
「お前はどう感じる? この父祖が生きて、殺された土地に来て、何か感じるものはあるか?」

 ステファンはちょっと躊躇った。正直なところ、彼にはこの密林の中の藪が父の故郷だと言う実感が湧いて来なかった。悲しいとか、悔しいとか、懐かしい、とか、そんな感情が全く生まれて来なかった。だから彼は正直に言った。

「私にとって、ここは普通のジャングルにしか過ぎません。例え石の土台が残っていたとしても、感じることは何もなかったと思います。私の故郷はオルガ・グランデですし、生活の場はグラダ・シティです。2つの都市に愛着がありますが、ここは何もありません。先祖は薄情な子孫だと思っているでしょうが。」

 仮面の下で長老が奇妙な音を立てた。きっと笑ったのだ。

「今時の若者だな。では、娘の方はどうだ?」

 ケツァル少佐も肩をすくめた。

「私はスペインとセルバを行き来して育ちました。私の親はミゲール夫妻です。今この瞬間に私はイェンテ・グラダにいますが、気持ちは遠いです。」
「そうか・・・」

 長老は小さな声で呟き、そして若者達に、寝なさい、と言った。


第4部 忘れられるべき者     4

  仕留めた野豚を焼く匂いが拡散しないように、”ヴェルデ・シエロ”達は慎重に処理した。肉は5人に等分に分配されたが、背が高い長老が己の肉を2つに分けて、ステファンに差し出した。

「若い者はもっと食え。」

 ステファンが恐縮しながら受け取るのを、ケツァル少佐が微笑ましく思いながら眺めていると、女性の長老が話しかけてきた。

「貴女も必要ではありませんか?」
「今日は大して力を使っていませんから、分けて頂いた量で十分です。」

 そして少佐は相手を見ないように心掛けながら言った。

「無礼を承知で申し上げます。貴女こそ必要でしょう、私達を初めから結界で守って下さっています。」
「そうですか?」

と相手が惚けた。少佐はもっと言いたかったが、それでは相手の正体を見破ったと言うのと同じなので、口を慎んだ。背が高い長老はかなり前から正体が割れていた。カルロ・ステファンを「黒猫」呼ばわりするのは、あの人しかいない。背が低い方は、神殿の外で出会ったことはないが、言葉のアクセントから判断すれば出身部族がわかる。そして、この女性の長老は、彼女にもステファンにとっても、普段から物凄く身近にいる人だ。
 女性の長老が仮面の下で笑った気配がした。

「貴女には敵いませんね、ケツァル。」

 彼女は肉の塊を掴んで立ち上がった。

「木の上で頂きます。明日は日の出と共にお会いしましょう。」

 残りの4人も立ち上がって、彼女を見送った。長老は高齢者とは信じられぬ身のこなしで立木の1本に駆け上がり、葉の茂みの中に姿を消した。
 4人は再び小さくなった焚き火の周囲に腰を降ろした。

「出稼ぎに出た男が3人いた。」

と不意に背が高い長老が口を開いた。残りの3人が彼を見た。背が高い長老が続けた。

「オルガ・グランデの金鉱で鉱夫として働いていた。1人はエウリオ・メナク、ここにいるステファンの祖父になる男だ。オルガ・グランデの事件の数年後に亡くなった。エウリオの死去はグラダ・シティに伝えられたから、間違いない。それに、ここにいる孫も証人だ。」

 もう1人の長老が顔を向けたので、ステファンは頷いた。

「2人目は、ヘロニモ・クチャ。この男は地下で作業中に落盤事故に遭った。鉱夫仲間を助ける為に気の爆裂で岩を吹き飛ばしたために、”ティエラ”達に正体を知られた。」

 ステファンがハッとして語り手の仮面を見た。その話は、北部の寂れた農村で聞いたことがある。背が高い長老は溜め息をついた。

「一族の掟では、消されても仕方がない失態だ。純血種ならば、正体を知られずに岩を吹き飛ばせたであろうが、”出来損ない”だったからな。」

 その人はまさか・・・。ステファンが口を挟もうとする気配を感じ取ったケツァル少佐が彼の膝を叩いた。控えよ、と。長老の語りに口を挟むことは無礼な振る舞いだ。
 すると背が低い長老が疑問を口にした。

「”出来損ない”と言っても、イェンテ・グラダの連中は、グラダとブーカの混血だろう。純血種と変わりない筈だ。」
「混血だからこそ、だ、友よ。ブーカとサスコシ、ブーカとオクターリャ、あるいはマスケゴ、カイナ、グワマナでも良い、6部族は混血しても能力の制御に難が生じることはない。しかし、グラダの血は異なる。余りにも強すぎるのだ。だから、イェンテ・グラダ村の住民は制御出来ぬ己の能力に苦しみ、麻薬に溺れた。ヘロニモ・クチャは鉱夫仲間を救う為に己が能力を使ったことがわかる仕草をしてしまったのだ。」

 背が高い長老は座ったまま、両腕を高く掲げ、大きく振って見せた。

「古の大神官が、民に能力を見せつけた時の仕草だ。ヘロニモは体を動かさなければ力を制御出来なかったのだろう。」
「その人はどうなったのです?」

 と堪えきれずにステファンが質問した。長老はすぐには答えなかった。ステファンがもう一度尋ねようとすると、やっと彼は言った。

「儂の知らぬことだ。ただ、触れは出た。ヘロニモ・クチャには手を出してはならぬ、と。鉱夫達を守ったからな。彼は鉱山を去った。その後の行方は誰も知らぬ。」

 


第4部 忘れられるべき者     3

  サラが造られていた岩山は中央が陥没していた。2年前、フランスの発掘隊が撤収した後ステファンは陸軍の警備部隊にサラの爆破を命じた。警備部隊は命令通り、上手に裁判用の遺跡だけを破壊していた。僅か2年前だが、その陥没した地面を草木が覆い尽くそうとしていた。植物の生命力の強さに感心しながら、ステファンは岩山の裏で湧水を発見した。5人分の水筒を満たすとそれ以上の水は汲まない。長老達は高齢だが、十分ジャングルの中を独り歩き出来る人々だ。水筒が空になれば各自彼の匂いを追跡して水場にたどり着ける。
 野営地に戻ると、ケツァル少佐が立木を何本か選んで樹上に寝床を作っている最中だった。彼は水筒を荷物置き場として造られた木の棚に置くと、立木に登って姉の作業を手伝った。

「男女差別を言う訳ではありませんが、これは男の仕事だと思いますね。」

と彼はハンモックを設置する手伝いをしながら言った。そうですか?と少佐が苦笑した。

「貴方は2年前、この周辺で監視業務に就いていましたから、地の利があります。だから森の中を歩く時の先導や水場探索に選ばれたのでしょう。」
「それなら全部私に任せてもらっても良かった。貴女は長老達と共に村の遺構調査をされた方がお似合いでしょう。」

 木の実が飛んできたので、彼は避けた。おやおや、と彼は思った。姉は先祖が殺害された場所を歩き回るのが嫌なのだ。長老も多少は気遣って彼女を列の最後に置いた。考えれば、2人共村の遺構の中に足を踏み入れたのは、あの井戸跡に生えていた楡の木を見に行った時だけだった。
 長老達も、イェンテ・グラダ村の殲滅作戦が行われた時はまだ若かったのだ。恐らく10代後半から30歳になる前だっただろう。”砂の民”の長老は頭目の指図通りに動いただけだ。もしかすると、この日ここに来ている他の長老の2人は殲滅事件が起きた当時は、村の存在すら知らなかったのかも知れない。後に事件のあらましを一族の負の歴史として学ばされたに違いない。
 木の下に女性の長老が現れた。2人の若い”ヴェルデ・シエロ”は呼ばれる前に素早く木から降りた。ケツァル少佐が敬礼して報告した。

「野営の準備が整いました。お好きな場所でお休みになられて結構です。」
「グラシャス。」

 長老が仮面の下で溜め息をついた。

「こんな場所迄来て形式にこだわるのもどうかと思いますが・・・長老会の任務中でも神殿の外では仮面を外して良いと言う規定がないので困ります。暑くて堪りません。」

 少佐は仮面の向こうの金色の目が彼女の服装をジロリと眺めたのを感じた。長老が呟いた。

「早く私もその服に着替えたい。」
「どうかご辛抱を・・・」

 少佐に目で命じられて、ステファンは水筒を一つ持ってきた。長老はそれを受け取り、礼を言ってから、一つだけ嬉しいことを教えてくれた。

「殿方が、野豚を仕留めました。今夜は5人だけで堪能出来ますよ。」

 長老が再び村の遺構に戻って行くと、ステファンが肩をすくめた。

「狩りなら、私に言ってくれればいくらでもして差し上げるのに。」

 ケツァル少佐が声を立てずに笑った。

「まだ腕が鈍っていないことを示しておきたいのでしょう。」



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...