2021/12/18

第4部 悩み多き神々     7

  日付が変わってからデネロスは少佐の寝室へ去って行った。テーブルの上の食物は痛みやすい物を冷蔵庫に入れたが、あとはそのままだ。
 テオは結局客間に行かずにリビングのカーペットの上に横になった。ケツァル少佐はリビングにあまり装飾品を置いていないが、クッションだけは沢山あって、その一つを枕代わりに使った。見張りだと言いながらも、横にステファン大尉も寝転がった。2人で夜空ならぬ天井を見上げて並んでいた。カルロ、とテオは囁きかけた。ステファンが返事はしないで顔だけ彼の方へ向けた。

「少佐とは結婚しないのか?」

 ステファンが微かに笑った。

「彼女はもう私を弟としか見てくれません。事実そうですし。母もグラシエラも古い慣習には抵抗がある様です。週明けにイェンテ・グラダに行った時、私達の血が濃過ぎることを実感しました。血が濃すぎた為に、私達の親族は己を制御出来ずに皆殺しにされた。同じ轍を踏むことを、彼女は恐れているのです。それがわかった時、私も吹っ切れました。彼女を超える女性に出会えるか、それはまだわかりませんが、もう彼女を女として見るより、姉と上級将校と言う存在でしかないです。」

 そしてテオに釘を刺した。

「だからと言って、貴方が彼女を手に入れようとしたら、私が厳しい審査官になりますからね。兄弟が姉妹の婚姻相手を吟味するのは当然でしょう?」
「おっかないなぁ。」

 テオは天井を見上げて笑った。 

「そんな兄貴が家にいたから、グラシエラが雨季休暇の間仏頂面していたんだな。」
「ああ、グラシエラ・・・」

 ステファンは暗がりの中で顔を顰めた。

「少佐より彼女の方が心配です。オルガ・グランデのスラム街で鍛えられていると思いますが、グラダ・シティは色んな男がいますから。」

 テオはソファの上のアスルを起こさないよう気を遣いながら笑った。
 なんとなく、抱き枕が欲しくなってきた。だから言った。

「君を抱いて寝たいな。」
「え?」

 ステファンがギョッとなったので、彼はまた笑った。

「今の姿の君じゃない、ジャガーの君だよ。オルガ・グランデの坑道の中で君のナワルを抱き締めた時の、毛皮の手触りが素晴らしかったんだ。艶々で柔らかくて・・・君のナワルしか触ったことがないんだ。ロホは目で見ただけだったし、他の人のはまだ見たことがない。」
「煽てても変身しません。」

 ステファンが背中を向けてしまった。本気で眠るようだ。それで報告書が書けるのか?と思いつつも、テオも瞼を閉じた。

第4部 悩み多き神々     6

  アスルはソファの上に横になるとすぐに眠ってしまった。テオはデネロスとステファンと料理を摘みながら小一時間ほど世間話をして過ごした。デネロスはオクタカス遺跡の情報を知りたがり、偶然テオとステファンはそこで知り合ったので、どちらも遺跡の話を彼女に語って聞かせることが出来た。

「美術品と言う観点からすれば、そんなに高価な出土品はないが、歴史マニアやメソアメリカ文明マニアが欲しがるような石像や土器は多いかなぁ。」

とステファンが先日捕まえた遺跡荒らしを思い出しながら呟いた。

「年代が10世紀以降で新しいから、保存状態も悪くない。だから、盗掘者は素人のコレクターにもっと古い年代であるかのように告げて高値で売りつけるんだ。」
「監視に重点を置く場所はありますか?」
「やっぱり支配階級の住居と思われる場所だな。出て来る物が多い。」

 テオは2年前の見学で思い出した壁画を指摘した。

「その金持ちらしき住居跡に壁画があったんだ。色が残っていて、学者達が喜んでいた。剥がして修復したいと言っていたが、それは許可が出るのか?」
「ノ。」

とステファンとデネロスが声を合わせて否定した。

「修復するかしないかは、セルバ国立民族博物館が決めます。申請が通るまで、私達はその壁画に手を加えられないよう見張ります。」
「すると、ムリリョ博士次第?」
「博物館とグラダ大学の考古学者達が相談して決めるのです。壁画の傷み具合を調査しないとね。」
「国外持ち出しは禁止です。これはギリシアでもペルーでも、古代遺跡を管理する国では常識です。どうしてもセルバの技術では無理って言う場合のみ、外国の機関に依頼します。」
「そう言うことは、滅多にありませんがね。」

 遺跡の話をしている時のカルロ・ステファンは本当に楽しそうだ。カルロ、とテオは言った。

「遊撃班に所属したままで、遺跡関係の任務に就くことは出来ないのかなぁ?」
「遺跡関係の任務?」
「だから、チンケな遺跡泥棒相手じゃなく、大掛かりな盗掘と密売組織の捜査とか・・・ほら、ロザナ・ロハスの組織みたいなのを専門に扱う任務とか、さ。」

 するとデネロスがムッとして反論した。

「私達、チンケな泥棒ばかり追いかけている訳じゃないですよ。大掛かりな組織犯罪も捜査してます。」

 ステファンが苦笑しながら後輩の肩を持った。

「その通り、貴方が言ったことは、少佐のお仕事なんです。」
「そうか・・・」

 ステファンが文化保護担当部に戻って来られる道を見つけた様な気がしていたテオはガッカリした。

「遊撃班は色々な分野へ助っ人に行く仕事なので、勉強することも多いです。」

と大尉が言った。気がつくと、彼は海老ばかり食べていた。

「私は取り敢えず体験出来ることは全部体験したいと思っています。まだ上の階級に昇級するための覚悟が足りないと、先日副司令官からも姉からも言われましたし。」

 ケツァル少佐のことをサラリと「姉」と呼んだ。テオは気が付いたが、気づかないふりをした。

「私が少佐以上の階級に上がれば、必然的にケツァル少佐と同じ部署に配属される可能性は無くなります。一つの部署に指揮官が2人いることはありませんからね。だから・・・」

 ステファンはソファの上のアスルを見た。

「彼はロホと同じ部署にいたいが為に少尉のままでいる。ロホは少佐の部下のままでいたいから、中尉のままでいたい。文化保護担当部の男連中は甘えん坊ばかりです。」
「アンドレは上に行きますよ、きっと。」

とデネロスが言った。こちらは肉料理ばかり手をつけていたが、やっとデザートに入ったところだ。

「でも彼は色々ハンディがあるから、年数がかかると思います。だから彼は安心して修行に取り組んでいるのです。孫ができるまでに少佐になるんだって言ってました。」

 テオとステファンは思わず笑ってしまった。

「本当にアイツはそんなこと言ったのか?」
「何年かかるんだ? 20年もかけて少佐になるのか?」

 

 

2021/12/17

第4部 悩み多き神々     5

  テオはケツァル少佐の個室に初めて入った。デネロスが気を利かせて照明を点けてくれた。想像した通り、と言うか、予想以上に、と言うか、若い女性にしては質素な部屋だった。一応寝具がセッティングされているシングルベッド、その横にハンモックがぶら下がり、窓際の机の上にラップトップ、プリンター、キャビネットには書物とDVDが詰め込まれていたが、衣類はクローゼットの中に仕舞われているので他に何もない。壁には絵も時計もない。花も飾っていない。人形もない。本当に寝るためだけの部屋だ、とテオは思った。
 ハンモックは高さがあまりなかったので、デネロスに抑えてもらってそこに少佐を転がした。アパートの中では”ヴェルデ・シエロ”達は裸足なので、靴を脱がせる必要はなかった。ベッドの足元にデネロスのリュックが置かれていたので、彼女もこの部屋で寝るのだとわかった。

「まだ起きているのかい?」
「スィ。家政婦さんがタクシーに乗るのを見届けるよう、少佐に言われてます。」

 もしかすると少佐以上に飲んでいるかも知れないのに、彼女はまだ素面同然の顔をしていた。テオは携帯を出して時刻を見た。

「後片付けは俺達でやるから、カーラを帰してあげよう。」
「そうですね。最後のお料理も出ましたから。」

 少佐の寝室を出ると、丁度カルロ・ステファンがロホに肩を貸して客間へ歩いて来るところだった。ロホはもう半分眠りかけていた。

「おやおや、今日の堕落したインディヘナはロホの番かい?」

 ステファンが苦笑した。

「見張らなくても、ここの連中はみんなすぐ寝てしまいますがね。」

 テオは2人の為に客間のドアを開けてやった。客間にはベッドが2台あるが、ロホの他に誰が使うのだろう。階級から考えればステファンだが、彼は「見張り」だ。
 リビングに戻ると、デネロスが家政婦のカーラに帰り支度をさせていた。料理をいくらか持たせて帰らせるようだ。アスルは食べることに専念して、今夜はまだ飲んでいない。ギャラガが苦手なアスル先輩の相手を1人でしていた。テオが戻ったので、ホッとして、お手洗いに立った。ずっと我慢していたのか、とテオは可哀想に思えたが、笑ってしまった。
 ロホを寝かしつけたステファンも戻って来た。カーラが帰る前の挨拶をした。するとアスルが立ち上がった。デネロスに「君は座ってろ」と言って、彼女をアパートのロビー迄送って行く役目を引き受けた。
 ステファンが椅子に座り、残った料理を突きながら話しかけてきた。

「アリアナが結婚するそうですね。」
「スィ。いきなり帰って来て、いきなり結婚すると言うから、驚いた。」
「女性達は知っていた様ですが・・・」

 ステファンに睨まれて、デネロスがえへへと笑った。ステファンも結局表情をやわらげた。

「実は、ロペス少佐が結婚されることは知っていました。本部でも結構噂になっていたのです。あの通りの、堅物のイケメンですから、どんな女性が彼を落としたのだろうと、隊員達が色々憶測を立てていたんですよ。」
「彼とアリアナの取り合わせが予想外で、たまげたよ。」
「私は2人の結婚式には出られませんが、祝福していると伝えてください。」
「グラシャス。」

 これで、アリアナとステファンの関係は綺麗に途切れた。これから彼は、彼女の友人と言うより、友人の弟と言う立場になっていくだろう、とテオは予想した。
 ギャラガが戻って来た。彼は酒に強い方だが、昼間の疲れと主役と言う緊張で、酔いが回ってきた様だ。眠たそうな目になっていたので、ステファンが声をかけた。

「客間で寝てこい、アンドレ。後は私が片付ける。」
「しかし・・・」
「そう言う役目の仕事だ、今夜は。」
「では、ブエナス・ノチェス。」

 ギャラガは室内の人々に敬礼して、客間へ消えた。ステファンがテオに顔を向けて囁いた。

「酔っ払って、ジャガーに変身されては面倒ですから。」
「ああ、それで見張りが必要なのか。」

 テオは笑った。ジャガーより小さいオセロットのデネロスは、まだ飲めそうだ。だがお酒に飽きたのか、彼女も料理をつまみ始めた。
 アスルが戻って来た。彼は飲んでいないが、満腹になっていたので、やはり眠たそうな雰囲気だった。テオは彼に確認した。

「客間はロホとアンドレが使っている。君もあっちへ行くかい?」
「アンドレは寝袋だ。あいつはそう言うヤツだから。」

とアスルはぶっきらぼうに言い、付け加えた。

「残りのベッドはあんたが使うんだ。俺はここで良い。」

 ステファンが微笑して、目で少尉にソファを示した。

第4部 悩み多き神々     4

  テオがケツァル少佐のコンドミニアムに到着すると、家政婦のカーラが玄関のドアを開けてくれた。良い匂いが漂ってきて、テオのお腹が鳴った。カーラが可笑そうに笑った。
 リビングのテーブルの周りに集まり、銘々が好きな飲み物をグラスに注いで、アンドレ・ギャラガの合格祝いで乾杯した。この夜は、部下達を送り届ける必要がなかったので、ケツァル少佐も飲んだ。話題はやはり文化保護担当部らしく、遺跡泥棒の対策だった。と言っても、酒の席だから、真面目な会議ではなく、かなりふざけたアイデアを述べたり、盗んだ神像の呪いでボロボロになった泥棒の話とか、どこまでが真剣でどこまでがふざけているのか、何が冗談で何が真実なのか、よくわからない話が取り止めもなく続いた。それでテオはクイのミイラの話をして、それの出土場所がグラダ・シティ南部なのに、クイのDNAは北部の齧歯類の特徴を持っているのだと喋った。

「それはつまり、北部の村と南部の村の間に交易があったと言うことですね。」

とギャラガが一人前の考古学部学生の顔で言った。

「貢物かも知れないでしょ。」

とデネロスが言った。

「北部で南部の産物が出てこなかったら、南北の交易じゃなくて、南が北より強くて貢物を要求したのよ。」
「そうなんだ?」

 ギャラガが先輩デネロスの言葉に感心したので、みんなが大笑いした。

「北で南の産物が出土していないからと言って、それが南北に優劣があった理由にはならないさ。」

 ロホがデネロスの出鱈目な学説を批判した。勿論デネロスは後輩を揶揄ったのだ。テオはアスルがカーラにまとわりつくようにして料理の学習をしているのを見物していた。手伝いもしているから、カーラは煩がらずに彼の相手をしていた。少佐は自分で色々とカクテルを作っては試すという遊びをやっていた。彼女が作るカクテルをデネロスは勝手に取って飲んでいる。かなりの大酒飲みだ。ビール派のロホは時々強い酒が入ったカクテルをデネロスに飲まされそうになって困っていた。
 チャイムが鳴った。少佐が携帯を出して、コンドミニアムの入り口に来た客を見た。そして無言で開扉のボタンを押した。テオがその動作に気が付いたが、彼女が何も言わないので、訪問者が誰なのか訊かなかった。
 数分後、玄関のチャイムが鳴り、カーラが応対に出た。玄関で彼女の嬉しそうな声がして、やがて廊下からカルロ・ステファンが現れた。真っ先に反応したのは、いつもと同じくデネロスだった。パッと席を立って、大尉に飛びついた。子供の様にキスを浴びせる彼女をなんとか宥めて、ステファンは最初に家の主人であるケツァル少佐に挨拶した。そしてパーティーの主役であるギャラガに祝辞を述べた。

「休暇かい?」

とテオが尋ねた。ステファンは残りの仲間にも挨拶をしてから、ノ、と答えた。

「任務です。今夜は文化保護担当部が荒れるかも知れないから、羽目を外さないように見張れと副指令から命じられました。」
「それって、君は飲むなってことか?」

 ステファンが悲しそうに頷いたので、ロホとアスルが笑った。

「なんの罰なんだ、カルロ?」

 ロホがその夜6本目のビールを空けながら笑った。ステファン大尉は肩をすくめた。

「少佐はご存じだ。」

 ケツァル少佐はフンと鼻先で笑って、ソファの自分の隣を掌で軽く叩いた。そこに座れと命令したのだ。ステファンが素直に座ると、彼女は彼にもたれかかった。

「かなり飲んでますね?」

 ステファンはテオをちょっと睨んだ。しっかり見張っていろよ、と目で訴えてきたので、テオはおかしかった。

「俺は彼女の保護者じゃないぜ。」
「でも貴方の言うことを一番よく聞きます。」

 ロホとデネロスがケラケラ笑い、ギャラガは酔っ払った上官達をどう扱って良いものか、困っていた。まだそんなに飲んでいなかったアスルが、最後の料理を並べ終わると、自分の席に着いて猛然と食べ始めた。

「飲めないのなら、たらふく食ってくれ、大尉。」
「そうしたいが、動けない・・・」

 ケツァル少佐が体重をかけてもたれかかっているので、ステファンは困ってしまった。テオは少佐が落ちかけていることに気が付いた。強い筈の彼女だが、自作のカクテルを飲み過ぎて酔いが回ったのだ。

「テオ、お願いします。」

 ロホに頼まれて、テオは「なんで俺が?」と思いつつ、椅子から離れ、ステファンの前に行った。

「こんな無防備な少佐を見るのは初めてだ。」
「全員が揃っているからです。」

とステファンが言った。

「安心しているんですよ。」

 彼はテオが姉を抱き上げるのを手伝った。デネロスが立ち上がった。少佐を抱き上げたテオを寝室へ案内した。後ろでステファンがとんでもない助言をくれた。

「添い寝はOKですが、それ以上進まないで下さい。」


第4部 悩み多き神々     3

  テオは文化・教育省には寄らずに真っ直ぐ自宅へ車で帰り、車と仕事用鞄を置き、服も気軽な普段着に替えてから、歩いてケツァル少佐のコンドミニアムへ向かった。時間はかかるが、隊員達は酒類の買い物をしてから集まるので、遅くなることはない。少佐は上客用の高いお酒をストックしているが、普段飲みのお酒はその都度買う主義なので、部下達は自分が飲みたいものを自前で購入して持ち寄る。その方が気兼ねなく飲めるのだ。テオもワインとギャラガにお祝いのプレゼントとして買った万年筆の箱を持っていた。今時万年筆かと思えたが、格式ばった書類に署名する時必要だと少佐が言ったのだ。
 歩いていると、後ろから来た車がクラクションを鳴らした。路肩に身を寄せると、車が横に停車した。

「ドクトル・アルスト?」

と窓を開いて運転者が声を掛けてきた。振り返ると、暗がりの中で憲兵の制服を着た男が見えた。声と風貌に見覚えがあった。

「ムンギア中尉!」
「ブエナス・ノチェス。」

 ロカ・ブランカの漂流者の事件で知り合った憲兵だ。

「このご近所にお住まいですか、ドクトル?」
「スィ。君もかい?」
「スィ。今週は泊まり込みなので着替えを取りに家に帰って、今は基地への戻りです。」

 マカレオ通りは、軍人や省庁関係者の中間職に就いている人が多く住んでいる。その程度の給料で住めるそれなりの住宅地なのだ。
 中尉がテオの手に掴まれているワインの瓶を見た。

「お友達の家にお呼ばれですか?」
「スィ。ちょっとした食事会だ。」
「どちらまで?」
「西サン・ペドロ通り1丁目第4筋・・・」
「ひゃあ、一等地じゃないですか!」
「友達がね。」

 中尉が助手席を指した。

「登り坂でしょう。よければ送って行きますよ。時間はありますから。」
「グラシャス。」

 この手の親切を断る理由はない。ムンギア中尉は気の良い男だ。テオは勧められるまま車に乗った。
 走り出してすぐに中尉が尋ねた。

「例のアメリカ人はどうなりました?」
「知らないんだ。」

 実際、テオはエルネスト・ゲイルがあれからどうなったのか、教えられていなかった。生きているのか死んだのか、まだセルバにいるのか、国外に出されたのか、全く情報が来なかった。

「外務省のあの少佐とは知り合いだけど、仕事の内容を教えてもらえる程親しくないんだ。」
「そうですか。」

 ムンギア中尉はがっかりした様子だった。

「うちの大佐に訊いても、もう終わったことだと言うばかりで、何もわからないんです。軍ではこんな場合、深入りしてはいけないんですけどね。」
「個人的に気になるんだな。」
「スィ。でも、貴方もご存じないのでしたら、私も忘れましょう。」

 それがセルバ流だ。

「その方がいいね。大統領警護隊が絡んでいるから、適当に処理して仕舞えば良いさ。」
「アメリカには変なものを流さないで欲しいですね。」

 エルネスト・ゲイルは「変なもの」か。 テオは笑ってしまった。


 


2021/12/16

第4部 悩み多き神々     2

  シークエンシングによってクイのミイラから遺伝子配列を決定させ、さらにクイの体内から採取した微生物も分析した。それから現代のクイのものを比較して、ミイラの出所がグラダ・シティの北にある東海岸北部地方と推定した。
 結果が出たのが夕方だったので、テオは結果だけケサダ教授のアドレスにメールしておいた。分析表は月曜日に渡します、と断り書きを付けて。
 ミイラの分析で時間がかかってしまったので、アスルとテオのDNAを調べる暇がなくなり、彼は研究室内を片付けて冷蔵庫に鍵を掛けた。冷蔵庫の中には他にも生体細胞のサンプルが色々と入っており、お金にならないが研究には必要な物ばかりだ。
 自然科学の学舎を出て駐車場へ向かっていると、人文学の学舎前でムリリョ博士とケサダ教授が立ち話をしていた。教授が博士に携帯の画面を見せて何か言うと、博士は仏頂面をますます強張らせて短く何か言った。ケサダ教授が首を振り、博士は話にならんと言うジェスチャーをして駐車場に向かって歩き始めた。教授は空を仰ぎ見て、何かを呪った様に見えた。
 テオはケサダ教授のそばへ行った。いかにもただ通りかかったと言うふりをして声を掛けた。

「先程の人はムリリョ博士ですね。大学に顔を見せるのは3ヶ月ぶりなのでは?」

 ケサダ教授は不機嫌な声で応えた。

「3ヶ月と13日ぶりです。」
「なんだか不機嫌でしたね。」
「新しい博物館の間取りでお気に召さない場所があるのです。」

 そう言えば、セルバ国立民族博物館は建て替え中だった。外側は完成して、内部の工事をしているところだった。展示室の形で意見が食い違ったのだろう。

「壁を可動式にされては?」

とテオが提案してみると、教授は肩をすくめた。

「それがお気に召さないのです。先祖の霊が落ち着かない、と。しかし予算も組んでしまっているし。」
「大学と博物館は共同で建て替えに携わっているのですか?」
「スィ。最終決定は教授会だけでなく、他の考古学研究機関も参加して行います。だから私に博士が腹を立てられても、意味はないのです。博士も理解していらっしゃるが、誰かに怒りたいのですよ。」

 八つ当たりか。テオは「大変ですね」としか言いようがなかった。それから、クイの分析結果が出たので、メールしておいたと告げた。グラシャスと言ってから、教授が尋ねた。

「費用は如何程ですか?」
「ランチ一回分で結構です。」

とテオは言った。ケサダ教授は良識のある人だったので、首を振った。

「もっとかかっているでしょう。現実的な金額を週明けに報告して下さい。私ではなく考古学部が払うのですから、遠慮なさる必要はありません。」
「グラシャス。」

 テオは教授とランチを一緒にして何とか彼の細胞サンプルを手に入れようと企んだのだが、無駄だった。教授は、「ではまた来週」と言って去って行った。

 

第4部 悩み多き神々     1

  その夜、アスルはテオが寝る迄戻って来なかった。気まぐれな男なので、テオは気にしなかった。それに朝起きたら、ちゃんと朝食の準備が出来ていて、アスルが遅刻しそうだとバタバタ出勤準備しているのを目撃してしまった。

「遅れる心配があるなら、朝飯を簡単にしても良かったのに。」

とテオが言うと、彼は返事をせずにリュックを掴んで外へ出て行った。同じマカレオ通りの北部に住んでいる先輩のロホがビートルで拾ってくれるのだ。ロホは真面目だから毎朝定刻にやって来る。アスルが家の外に立っていないと通り過ぎるので、アスルはバスに乗るのを良しとしなければ歩いて行くしかない。夕方はテオの車に便乗する。
 テオは食事を終えると、アスルの分も食器を洗い、身支度して大学へ出勤した。金曜日だ。夜はアンドレ・ギャラガの大学合格祝いの宴会がある。レストランを予約しようかとロホが提案したら、少佐が「うちで飲みましょう」と言ったので、少佐のコンドミニアムが会場だ。料理は、家政婦のカーラが腕を振るってくれるから、味は間違いない。少佐は本部の官舎に早速デネロスとギャラガが外泊することを事前連絡してくれた。名目上「軍事訓練の準備で徹夜」だ。
 彼女はアリアナも誘ってくれたのだが、アリアナは婚約者と新居を見に行って、それから彼氏の父親と食事をするのだと言った。デネロスが腕組みした。

「アリアナのお祝いもしないといけないんだけど、ロペス少佐が来るかなぁ・・・?」
「ロペス抜きでやれば?」

と冷たい少佐。えー、でも、とデネロス。

「酔い潰れるロペス少佐を見たいじゃないですか!」

 その話をロホから聞いた時、テオは大笑いしてしまった。純血種のインディヘナはあまりアルコールに強くない。ロホも飲むとやたらとハイになってしまうし、アスルはすぐ眠ってしまう。どちらかと言えばミックス達の方がお酒に強い。シーロ・ロペス少佐は純血種のブーカ族だ。そして素面の時は、石像のような堅物だ。
 堅物でも、アリアナをしっかり守って愛してくれるなら、いいじゃないか。アリアナも彼に夢中になっているし。テオは悔しいがちょっと妬けた。
 夜の予定をワクワクしながら想像していると、講義も軽快に喋ってしまう。学生達は、「またアルスト先生は大統領警護隊と遊びに行くんだな」と予想して、クスクス笑った。
 お昼になった。シエスタを終えたらアスルと己のDNAを分析しよう、とテオは思いつつ、大学のカフェに行った。ケサダ教授が考古学部の学生達と集まってランチをしているのが見えた。こんな場合は中に割り込めない。遺跡発掘の相談をしていることが多いからだ。テオはクイのミイラの分析がまだだったことを思い出した。シエスタが終わったらいの一番に手をつけなければ。今夜祝ってもらうアンドレ・ギャラガも考古学部の学生になるのだが、通信制なので発掘に参加出来ない。参加しようと思ったら、後期まで待たなければ参加資格がもらえない。尤も仕事が発掘の監視をする部署なので、そのうち嫌でも遺跡発掘現場へ行かされるだろう。
 テオが料理を取って、どこに座ろうかとキョロキョロしていると、手を振る女性がいた。宗教学部のノエミ・トロ・ウリベ教授だった。ふっくらとした、典型的な「昔の」セルバ美人だ。ギュッと抱きしめたりしないよな、と思いつつそばへ行った。ウリベ教授は正面の席を指差した。

「お座りなさいな。私は直にいなくなりますから。」

 彼女はほとんど空になった皿を前にして、コーヒーを楽しんでいた。テオはグラシャスと感謝して、お言葉に甘えた。

「雨季休暇明けの週は流石に学生が多いわね。」

とウリベ教授が言った。テオは同意した。

「新学期のスタートですからね。学生達が一番張り切っている週ですよ。」
「地方から来た学生が一番張り切っているわね。私も彼等から民族文化の新しい情報を得られるから、この時期はぼーっとしていられないのよ。若者の宗教みたいなものを教えてもらうの。」

 教授はアハハと豪快に笑った。そう言えば、とテオは教授を見た。

「教授はどちらのご出身ですか?」
「私?」

 ウリベ教授がニコッとした。

「こう見えても、グラダ・シティっ子なのよ。田舎者ぽいでしょうけど。」

そしてまたアハハと笑った。テオはその流れでさりげなく尋ねた。

「ケサダ教授もダンディですから、グラダ・シティ生まれなんでしょうね。」
「ノ。」

 意外に速攻でウリベ教授が否定した。

「彼はオルガ・グランデ生まれよ。10代まであっちで育ったの。言葉でわかるわ。だから私が指摘したら素直に認めたわよ。お父さんがこちらの人なのですって。育て親の伯父さんが亡くなったので、お母さんと一緒にお父さんを頼って都会に出て来たって言ってたわ。」

 それが真実だとしたら、とテオは思った。ケサダ教授のお父さんって誰だ?




第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...