2021/12/25

第4部 牙の祭り     7

  ケツァル少佐はアスルに、憲兵隊の車を憲兵隊基地に戻して、それから休むように命じた。

「私達を待つことはありません。明日は通常業務を行なって下さい。指揮はロホに一任します。あなた方の力が必要になれば連絡します。」
「承知しました。」

 アスルは敬礼で挨拶に替え、先に外へ出て行った。
 少佐はビダル・バスコ少尉にも命じた。着替えて母親の診療所に案内するようにと。当然、テオの服が貸し出されるのだ。テオは毎回”ヴェルデ・シエロ”が事件に巻き込まれる度に衣服を提供しているような気がしたが、彼も服が汚れた時は少佐に着替えを買ってもらっているので、文句を言わないことにした。ビダルは少し体格が小さかったが、ボトムの裾を折り曲げる程度で修正は済んだ。
 テオの車に乗り込むと、少佐は自らハンドルを握った。テオが彼女の疲れを気遣うと、彼女は笑った。

「今日は殆ど力を使っていません。それに常にエネルギーの補給源が目の前にありましたから。」

 そう言えば、踊らずに食べてばかりいたな、とテオは納得した。彼は後部席に座ったビダルに尋ねた。

「バスコ少尉、君の出身部族を聞かせてもらって良いかな?」

 ビダルは疲れた声で説明した。

「母はブーカとジャマイカのミックスです。父はブーカと”ティエラ”のメスティーソのミックスです。だから、私はブーカです。」
「有り難う。」

 つまり、これから会う彼の母親がアフリカ系なのだ。セルバ共和国で医師免許を取れる大学は国立のグラダ大学と、私立の大学が1校あるだけだ。

「お母さんはセルバ国内の大学を出て医師免許を取ったの?」
「スィ、グラダ大学です。今一緒に住んでいる恋人もグラダ大学出の医者です。」
「君達はお父さんに引き取られた?」
「両親が離婚したのは、私達が陸軍に入隊した後ですから、どっちに親権があるとか、そんな問題はありませんでした。それに、父は離婚して1年経たないうちに亡くなったので。」
「ごめんよ、哀しいことを聞いてしまった。」

 多分、ビダル・バスコは19歳か20歳だ。アスルと同期なのだろう。
 ビダルの母親の診療所はグラダ・シティの西部にある低所得者層が住む地区にあった。裕福ではないが、貧しくもない庶民の街だ。強いて言えば、マカレオ通りの住宅街をちょっとだけランクを下げた感じの街で、住宅と店舗と町工場が入り混ざって、それなりに活気がある区域だった。しかし今は真夜中だ。飲食店が多い地区と違って暗く静かだった。
 ビダルの母親の診療所は入院施設のない町医者の施設だった。しかし手術設備はあるのだと、ビダルは言った。重症者だけ離れの部屋に寝かせて、動ける者は手術の後は帰宅させると言う。テオにはかなり乱暴な診療に聞こえたが、それがこの国では普通の医療体制だった。
 少佐は車を診療所の敷地ではなく路上に駐車した。母親の同棲相手に気づかれぬ配慮だ。3人が外に出て、入り口まで行くと、ドアが開き、暗がりの中に背が高い女性が立っているのが見えた。ビダルが紹介した。

「母のピア・バスコです。」

 そして母親には、ミゲール少佐とドクトル・アルスト、と客を紹介した。少佐がピアにお悔やみを囁き、テオも真似た。ピアは感謝の言葉を短く述べて、すぐに彼等を診療所の中に入れた。無言で手術室へ案内した。照明を点けてくれなかったので、テオには真っ暗だったのだが、少佐が手を引いてくれた。彼女のいつものさりげない心遣いが彼には嬉しかった。
 手術室は窓がなく、そこでドアを閉めてからピアは初めて照明を点けた。
 肌が黒い、ほっそりとした、しかし意志の強そうな目をした女性だった。息子のビダルと鼻筋あたりがよく似ていた。ビダルはイケメンだが、全体は母親似とは言えず、父親が男前だったのだろう、とテオは想像した。
 遺体は手術台の上に裸の状態で横たわっていた。既に洗浄されており、テオは殺人者の手がかりが洗い流されたのではと危惧した。しかしピアは医者だ。素人ではなかった。

「ドクトルは遺伝子の専門家と息子から聞いておりましたので、ビトの体から出来るだけサンプルを採取しておきました。」

 彼女は冷蔵庫からシャーレとガラスの小瓶を数本出した。ラベルに採取箇所と「牙の跡」「爪の跡」「爪の間の異物」「歯の間の遺物」などの説明が記入されていた。洗浄される前の遺体の写真も撮っていた。テオは血に塗れた肉片や皮膚片を眺め、有り難く受け取った。
ピアは息子の遺体を無惨な姿のまま放置しておけず、ビダルが協力者を探しに出かけている間に、捜査に必要と思われるサンプルを採取してから遺体を洗浄したのだ。
 テオはビダルとビトを見比べた。確かにそっくりだ。しかし死者と生者ではやっぱり印象が異なる。生きている人の方が美しく見えた。ビトの顔に傷があるせいかも知れないが。

「ジャガーでしょうか?」

とビダルがケツァル少佐に尋ねた。少佐は直ぐには答えなかった。じっと遺体の顔を眺めてから言った。

「傷はジャガーが付けたのでしょう。致命傷はどれですか?」

 ピアが遺体の右脇腹の傷を指した。

「肝臓の傷です。これだけ刃物で刺されたものです。」
「それはおかしいですね。」

 テオは少佐の感想を理解した。彼は右脇腹の傷と全身に付けられている牙や爪の跡を見た。

「俺は医者じゃないから間違っているかも知れないが・・・」

 ”ヴェルデ・シエロ”達が注目したので、彼はちょっと緊張した。

「爪痕や牙の噛み跡は一部瘡蓋が出来ている。ジャガーがこれらの傷を付けた犯人だとしたら、ビトはジャガーに襲われてから少し時間が経ってから亡くなったことになる。だが、脇腹の傷は新しい様な気がする。」

 ピアが改めて息子の全身を眺めた。そしてテオを見た。

「興奮していたので、気がつきませんでした。スィ、貴方のご指摘通りです。ジャガーによる傷と刃物傷には時間差があります。」


 


2021/12/24

第4部 牙の祭り     6

  アフリカ系の”ヴェルデ・シエロ”の兄弟、ビダルとビトのバスコ達は一卵性双生児だった。子供時代は仲良しだったが、士官学校時代にビダルだけが大統領警護隊にスカウトされてから、2人は会わなくなった。互いの勤務が忙しく休日が合わないことも理由の一つだったが、ビトには選ばれなかったことに対するわだかまりがあったのだろう。だがビダルは憲兵隊に入ったビトが真面目に勤務していることを知っていたので、彼なりに弟を尊敬していた。
 2日前、ビダルが半年ぶりの休暇をもらって実家に帰ると、ビトも帰っていた。両親は兄弟が入隊した後に離婚しており、父親が3年前に病死してから実家は普段空き家だった。家でバッタリ出会った兄弟は、暫し近況報告を互いに話し、昔の仲良しだった頃の雰囲気を取り戻した。
 そのうちに、ビトがこんな提案をした。
ーー互いにそっくりのヘアスタイルだし、誰にもバレないと思うから、一度入れ替わってそれぞれの職場に行ってみないか?
 ビダルは駄目だと言った。大統領警護隊は双子が入れ替わって誤魔化せる様なところじゃない、と。ビトは、勤務ではなく、ちょっと顔を出して試してみるだけだと言った。
ーー休暇中なんだから、忘れ物を取りにきたと言えば良いんだ。君も憲兵隊に行ってみろよ。
 それでもビダルは拒否し、兄弟はそれきり口を利かずに夜を迎えた。
 翌朝、つまり昨日の朝だが、ビダルが目覚めるとビトの姿は家の中になかった。遊びに出かけたのだろうとビダルは気にしなかったが、彼が出かけようとすると、クローゼットの中の大統領警護隊の制服がなくなっていることに気がついた。I Dも徽章も拳銃もなかったので、ビダルは青くなった。ビトの携帯に電話をかけたが、呼び出しが鳴るだけでビトは出なかった。
 ビダルは取り敢えず私服で大統領警護隊の本部前まで行ってみた。大統領警護隊が顔パスで入れてくれる所でないことは、隊員である彼が一番良く知っている。I Dも徽章もない彼は中に入れなかった。門衛をしている隊員に、自分と同じ顔の男が来なかったかと尋ねると、変な顔をされた。門衛は彼が誰だか知っていたが、彼が双子の片割れであることは知らないのだ。ビダルは門衛の反応を見て、ビトは本部に来なかったのだと知った。
 自宅に帰ったが、夜になってもビトは現れず、ビダルは残っていた憲兵の制服を着て、憲兵隊の基地へ行ってみた。憲兵隊基地では出来るだけ他の隊員に接触しないように気をつけた。弟の情報を探ってみたが、弟は普段真面目に勤務しており、普通に休暇を取って休んでいることがわかっただけだった。だから基地内で出会った弟の同僚からは、さっさと帰って彼女と休日を過ごしてこい、と揶揄われたのだ。
 そして今朝、ビダルは日が昇る頃に家に帰った。そしてリビングで弟を見つけた。
 ビトは死んでいた。着ていた大統領警護隊の制服はボロボロで、鋭い爪で引き裂かれたような傷跡が腕や脚や胴についていた。顔も傷だらけだった。血まみれで、息絶えていた。
 ビダルは茫然自失の状態で弟の遺体を前にして座り込んだ。何が起きたのか、理解出来なかった。
 我に帰ったのは、外で世間が1日の活動を始める音が始まったからだ。
 ビダルはまず、弟の傷の状態を調べた。どう見ても爪と牙でつけられたものだった。床の血の跡を辿ると、バスルームから続いていた。ビダルはバスルームを覗き、そこに小さな閉じかけた”出口”を発見した。ビトはどこかで襲われ、”通路”を使って必死の思いで自宅に”出口”を作って逃げて来たのだ、とビダルは解釈した。ボロボロの制服のポケットを探ると、徽章は無事だったが、I Dカードと携帯電話、拳銃を持っていなかった。財布もなかった。

「牙と爪で殺されたのか?」

とアスルが顔を顰めた。それだけ聞くと、”ヴェルデ・シエロ”に殺されたとしか思えない。それもナワルを使って変身した姿の”ヴェルデ・シエロ”だ。
 テオも尋ねた。

「遺体はどうした?」

 ビダルが低い声で答えた。

「母が・・・母は医者なんです。母の診療所にビトを連れて行きました。母が守ってくれています。」

 母親は無惨な息子の遺体を見て、酷い衝撃を受けた筈だ。それでも気丈に遺体を保存して守っているのだろう。
 ケツァル少佐が尋ねた。

「I D紛失を本部に届けていませんね?」
「していません。身内の犯行とは言え、寝ている間に奪われたのは恥ですから・・・。」

 ビダルは泣き声に近いボソボソとした声で答えた。少佐が言った。

「届け出なければ隊律違反になります。私が副司令官に電話します。貴方自身で申告しますか?」

 ビダルが少佐を見上げた。そして頷いた。

「私が自分で申告します。」

 少佐も頷き、電話を出した。テオとアスルは黙ってダイニングの椅子に座って、彼女が副司令官と話すのを聞いていた。少佐はビダル・バスコ少尉が休暇中に肉親の不幸に見舞われたと告げ、それからビダル本人に代わった。
 ビダルは最初に双子の弟ビトが憲兵隊に所属していたことを告げ、それからその弟が奇妙な制服交換を持ちかけて来たこと、彼はそれを断ったこと、しかし睡眠中にビトが無断で彼の制服と装備品一式を身につけて外出してしまい、丸一日音信不通になっていたこと、夜になってビダルは弟の憲兵隊の制服を着て基地へ行ってみたこと、弟を見つけられずに帰宅すると家の中でビトが亡くなっているのを発見したこと、をきちんと順序立てて語った。淀みなく喋っていたが、弟の遺体を発見した段になると、流石に感情が昂って、喉がつっかえたようになり、声が乱れた。そして彼は一番重要な事実を告げた。

「弟の遺体には、彼が無断で持ち出した私のI Dカード、携帯電話、そして拳銃がありませんでした。」

 一気に語った彼の顔は、生気がなかった。電話の向こうで副司令が何か言った。ビダルは答えた。

「徽章は残っていました。私以外の人間は触れませんから、パスケースの中にそのままありました。」

 副司令官が何か言い、ビダルは「はい」と答えて、電話をケツァル少佐に返した。少佐は上官の言葉を聞き、「承知しました」と答えて電話を切った。そしてビダルに尋ねた。

「母御は独り住まいですか?」
「ノ、恋人と一緒に住んでいます。彼氏は”ティエラ”です。」

 テオは思わず割り込んだ。

「君のお母さんは”ティエラ”かい?」
「ノ。」

とビダルは即答した。

「両親共に”シエロ”です。母は正体を隠して同棲しているのです。彼氏は私達兄弟のことを知っていますが、私達が何者かは知りません。」

 少佐がテオに言った。

「バスコ少尉の母御の診療所に行きましょう。無惨な息子の遺体をいつまでもそのままにしておいては、母御が気の毒です。早く綺麗にして弔ってあげましょう。」



2021/12/23

第4部 牙の祭り     5

  車のドアが開いて運転席から憲兵が1人降り立った。男性だとわかったが、テオは彼の顔を判別出来なかった。暗がりの中に男がいたのが理由の一つだったが、その顔が黒かったせいもあった。セルバ共和国の人種構成は、60パーセントがメスティーソ、30パーセントがインディヘナ、残りがヨーロッパ系白人で、アフリカ系の国民は純血のインディヘナよりマイノリティだ。
 その稀な肌の色をした憲兵を知っていたのか、アスルが呟いた。

「サンボのビトだ。」
「ノ。」

とケツァル少佐が訂正した。

「あれは兄のビダルです。」

 アスルがちょっと驚いて上官を振り返った。

「憲兵隊勤務をしているのはビトですよ。」
「でも、あれはビダルです。」

 少佐は頑固に言い張った。テオはビトとビダルの区別どころか、憲兵が混血の男性としかわからなかった。インディヘナとアフリカ系の混血のサンボなのか、ヨーロッパ系とアフリカ系の混血のムラートかも判別出来なかった。街灯が切れていて、長屋周辺の道路は暗かったのだ。

「そのビトとビダルは似ているのか?」

 彼の質問にアスルが答えた。

「双子だ。ビトが憲兵隊で、ビダルが大統領警護隊だ。」

 テオはちょっとびっくりした。大統領警護隊に黒人の血が流れている隊員がいると耳にしたのは初めてだった。世間で大勢いるメスティーソが純血種から差別を受けている大統領警護隊の中で、アフリカ系の人がいるとなると、かなり厳しい体験をしているのではないか、と不安を覚えた。
 当然ながらその憲兵は”ヴェルデ・シエロ”だ。近づいて来るテオ達に向かって敬礼で出迎えた。その敬礼の仕方を見て、アスルがチェッと舌打ちした。

「やっぱりビダルでした。」

 なんで?とテオは疑問を感じた。大統領警護隊勤務をしているのがビダルと言う人なら、何故憲兵隊の制服を着て、憲兵隊の車に乗っているのだ?
 ケツァル少佐がビダルの前に立った。

「何故ここにいるのです、ビダル・バスコ少尉?」
「ブエナス・ノチェス、ミゲール少佐。」

 ビダルの声は若く、恐らく本人もまだ若いのだ。

「お力を貸して頂きたく、お待ちしておりました。」

 少佐は多分疲れている。それはアスルもテオも同じだ。しかし、若い大統領警護隊隊員が憲兵の姿をして現れ、力を貸して欲しいと言う。少佐が尋ねた。

「急ぐのですか?」
「出来れば・・・」

 ビダルはテオを見た。

「グラダ大学で遺伝子の研究をされている先生ですね?」
「スィ。」
「ドクトルのお力も必要です。」

 アスルがテオの家を指差した。

「服を着替えたい。俺が着替えをしている間に、少佐に話を聞いて頂け。俺は後で少佐からお聞きする。」

 テオの家なのだが、アスルはテオの了解もなく客を招いた。彼を下宿させると決めた時に、友人を連れて来ても良いと言ったのはテオだ。ビダルは友人でない様だが、テオは拒否する理由がなかった。それに客は彼の協力も必要だと言ったのだ。
 家の中に入ると、アスルとテオはそれぞれの部屋に入り、普段着に着替えた。その間にケツァル少佐は冷蔵庫から冷えた水の瓶を出し、客に振る舞った。
 Tシャツとジーンズに着替えたテオとアスルがリビングに入ると、ビダル・バスコ少尉と呼ばれた若者は片手に水のグラスを持ったまま、ソファに座って俯いていた。細かく縮れた頭髪を細かく編み込んだお洒落な男だ。遊撃班にいなかったので、警備班なのだろう。ケツァル少佐もアスルも大統領警護隊の隊員全部を覚えている訳はないだろうが、サンボの隊員は珍しいので覚えているのだ。
 テオはビダルが泣いているのだと察した。俯いて、ぐっとグラスを握りしめている。あれ以上力を入れるとガラスが割れて危険だ、と思った彼は両手を伸ばしてビダルのグラスを握る手を包んだ。ビダルが顔を上げて彼を見た。テオは言った。

「グラスを握り潰しちゃ危ないぞ。」

 ケツァル少佐は少し離れてダイニングテーブルの椅子に座っていた。既に”心話”で事情を聞き取った様だ。彼女はアスルを見て、伝え、それからテオに言葉で説明した。

「バスコ少尉の弟のビトが殺害されました。」




第4部 牙の祭り     4

  ロホはアスル達少尉3人を彼のビートルに乗せて会場に来ていたが、2人の少尉はバスで帰ってしまった。それでケツァル少佐とテオ、アスルを乗せて帰るつもりだったが、ステファン大尉とグラシエラがタクシーで来たことを知った少佐が、弟妹を乗せて送れと言った。

「歩いても1時間かからない距離ですから、私達は徒歩で帰ります。」
「では、2人を送り届けたら、ちょっとその辺を流してみます。」

 恐らくその気になれば、ロホは歩いているテオ達をすぐ見つけられるだろう。テオは言った。

「無理せずにゆっくりしろよ。」

 そしてステファンに目配せした。妹の恋路を邪魔するなよ、と。ステファンが微かに苦笑した。グラシエラは姉とアスルにおやすみのハグとキスをした。テオにもしてくれた。

「アリアナのブーケ、欲しかったわ。」

と彼女が囁いた。それで彼女の恋の真剣度がテオにはわかった。

「焦らなくても、彼は誠実だから安心して交際すると良いよ。」

 ステファン兄妹とロホと別れ、テオはケツァル少佐とアスルと共に結婚披露宴会場を後にした。まだ雨季の名残がある湿った空気が重たい夜だった。テオは正装のジャケットを脱ぎ、腕に抱えた。軽装に着替えた少佐は軽々と歩いているが、アスルは民族衣装のままで、それなのに暑さを感じないが如く平然としていた。暑くないのか、とテオが尋ねると、彼は煩そうにチラリと見ただけで答えなかった。きっと暑いのだ、とテオは思うことにした。
 アスルが少佐に質問した。

「デネロスのオクタカス派遣の期間は何週間ですか?」
「フランス隊の予定では3ヶ月です。彼女はその間、グラダ・シティと遺跡を数往復するでしょう。どうやら、独自の”通路”を発見したようです。」
「そこがブーカ族の得な能力ですね。カルロは2ヶ月戻って来られなかった。」
「あの時は、空間の流れが止まっていましたから、オクタカスへはどこの”入り口”からもアクセス出来ませんでした。」

 テオはこの会話に参加したくなった。

「アスルは今季派遣業務がないのか?」

 アスルが面倒臭そうに答えた。

「グラダ・シティ周辺の日帰りコースばかりだ。」

 つまり、毎晩家に帰って来るのだ。テオは食事に不自由しなくて済みそうだ。少佐が説明した。

「グラダ大学が学生達をいくつかのグループに分けて複数の遺跡を同時発掘する予定です。そこに外国の調査隊達が協力の形で参加します。アスルはマハルダより忙しくなる筈です。」
「アンドレが早く一人前に監視業務に出られるようになると良いんですがね。」

 テオと少佐は笑った。アンドレ・ギャラガは通信制大学に入学したばかりだ。大統領警護隊文化保護担当部の監視業務は、ただ盗掘者を見張るだけではない。出土物の年代や市場価値なども判定して、さらに、それらに呪いがかけられていないか見極める任務があるのだ。ギャラガがグラダ・シティ近郊の遺跡へ派遣させてもらえるのは、早くても半年先だろう。

「ロホはオフィス仕事か?」
「彼はデネロスとアスルの業務のチェック、それにスポット的に発生する呪い騒ぎの収拾です。」
「”ティエラ”のインチキ呪い師が増えているんだ。」

とアスルが少佐の言葉を補足した。

「ただのインチキなら警察が処理する。だが、中には質の悪い中途半端な能力者がいて、客をトランス状態に陥らせて治せない馬鹿がいるんだ。ロホは警察から連絡を受けると、飛んでいって治療する。」
「結構、大変だな。」

 テオは笑った。
 ダラダラ歩いて、マカレオ通りまで近づいた。テオは自宅から自分の車で少佐を西サン・ペドロ通りのコンドミニアムまで送るつもりだった。
 自宅側の角を曲がると、長屋の前に車が駐車していた。アスルが呟いた。

「憲兵隊が、何の用だ?」


2021/12/22

第4部 牙の祭り     3

 デネロス少尉がパイの大皿のところにやって来た。食べるのかと思えば、テイクアウトして帰るのだと言った。

「ロペス少佐とアリアナには許可をもらいました。アンドレを連れて官舎に帰ります。」

 テオは時計を見た。まだ門限に時間はあるが、平日だ。デネロスとギャラガは次の日の業務に備えて休みたいのだろう。直属の上官であるケツァル少佐は特に許可を与える言葉を言わなかったが、代わりにテイクアウト用の容器にパイをどっさり入れてやった。
 ブエナス・ノチェスと言って、デネロスとギャラガは帰って行った。彼女はブーケトスに参加しないんだな、とテオは思った。まだ若いし、遂に念願のジャングルの大きな遺跡を監視する役目を与えられたところだ。恋愛や結婚は彼女の将来のプランにおいては順位が低いのだ。
 やがて女性達が騒ぎ出した。ブーケトスが始まるのだ。若い女性客が集まり、中には本当に独身なのか?と疑問に思えるような所帯じみた雰囲気の人もいたし、白髪混じりの人もいたが、アリアナの手にある白い花のブーケを彼女達はじっと狙いを定めて見つめた。

「行かないんですか?」

とステファン大尉が、ケツァル少佐に声をかけた。少佐が「行きません」と答えると、彼は余計なことを言った。

「ブーケを取らないと、また一つ歳を取りますよ。」

 ビュッと音を立てて葡萄の粒が飛んで来た。彼はヒョイと避け、葡萄はテオの白いシャツの胸に命中した。紫色の染みがテオの一丁羅に付いた。「少佐!」とテオが抗議の声を上げると同時に女性達の甲高い歓声が上がった。ブーケが投げられたのだ。
 悲鳴にも似た女性達の声が賑やかに場内に響いた。そしてめでたくブーケを手に入れた女性が誇らしげに高々と花束を上に差し上げた。
 悔しがるグラシエラを連れてロホがテーブルに戻って来た。ステファンが妹を宥めた。

「お前はまず教師の資格を取らなきゃ駄目だろ。今から結婚のことを考えていたら、僻地の学校で教える夢も、失ってしまうぞ。」
「だって・・・」

 不満気に唇を尖らせるグラシエラは、子供の表情だった。テオはロホを揶揄った。

「良かったな、まだ当分独身時代を堪能出来るぞ。」
「どう言う意味ですか?」

 ロホは惚けて見せたが、頬がやや赤くなっていた。これは脈ありだ、とテオは感じた。そこへアスルが戻って来た。彼は予想外にもてて、女性達がなかなか離してくれなかったのだ。彼以外の少尉が2人共姿を消していたので、彼は散開した女性達の群れを振り返った。

「官舎組は帰ったのか?」
「ブーケトスの前に帰った。 多分、今頃はバス停で2人でパイを食ってるさ。」

 テオの返事に、アスルはジロリと彼を見て、ボソッと言った。

「シャツに葡萄の血が付いているぞ。」
「少佐に狙撃されたんだ。標的はカルロだったが、彼が避けたので、俺に命中した。」
「後でクリーニング代を請求してやれ。」

 アスルも疲れた様だ。ずっと踊っていたのだから無理もない。

「そろそろお暇しましょうか。」

と少佐が提案した。テオが代表して新郎新婦のところへ帰ることを告げに行った。

「今日はたくさんの愛情をもらったわ。」

とアリアナが涙を浮かべて言った。彼女はテオを抱きしめた。

「有り難う、テオ。貴方が亡命を考えつかなかったら、私はシーロと出会えなかった。」
「良い家庭を築けよ。」

とテオも彼女を抱きしめ返した。

「君とロペスが俺に希望をくれた。俺も頑張るから。」

 そして腕を彼女から外し、新郎に新婦を返した。ロペス少佐が彼とケツァル少佐を交互に見た。

「本気なのですか?」

と移民・亡命審査官が尋ねた。

「グラダをモノにした白人は未だ聞いたことがありません。」
「それは、白人が上陸してから今までグラダがいなかったからだろう?」

 ロペス少佐は片目を閉じた。

「きっと苦労しますよ、彼女は誰にも支配出来ませんから。」

 

第4部 牙の祭り     2

  結婚披露宴は「地味に」午後10時迄続いた。ほぼ8時間ぶっ通しだった。その間に大統領警護隊はそれぞれ一旦帰宅して、ラフな服装に着替えてきた。テオは花嫁の兄なので、場を離れることが出来ない。正装のまま、会場に残った。客も入れ替わり立ち替わり変化して、アリアナが勤務する大学病院の関係者や、彼女が治療した子供達がやって来たり、ロペス父の友人知人、近所の住民まで来て、収拾がつくのか心配になる程だった。
 驚いたことに、カルロ・ステファン大尉もグラシエラを連れてやって来た。正装の軍服を着た彼はアリアナを祝福し、ロペス少佐にも祝福を伝えた。テオが見る限り、彼は新婦には友人として、新郎には同じ軍人の後輩として振る舞っていると見えた。そして全て承知しているロペス少佐も、勤務中は見せたことがない柔和な表情で大尉の祝福を受け、笑顔で数分間会話をした。
 ほんの一瞬だったが、テオはステファンの表情が硬くなった気がした。しかし大尉は直ぐに笑顔に戻り、まだアリアナと言葉を交わしている妹を促し、新郎新婦から離れて、文化保護担当部が集まっているテーブルにやって来た。
 民族衣装を着ているグラシエラは美しく可愛らしかった。デネロスと良い勝負だ、とテオが思っていると、ケツァル少佐がまるで彼の心を読んだかの様に脇を突いた。

「鼻の下が伸びていますよ。」
「美女を見た時の当然の反応をしたまでだ。」
「私を見てもそんな顔をしませんでしたね。」
「君はいつでも一番綺麗だから、わざわざ表情を変える必要がないんだ。」

 まるで恋人同士の会話だ、と彼は思った。
 グラシエラがアスルに踊ろうと声をかけた。アスルは柄じゃないと言ったが、断るのは失礼なので、踊っている人々のグループのところへ2人で入って行った。あれ?とギャラガが驚いて、テオに囁いた。

「ロホ先輩じゃないんですか?」

 テオは教えてやった。

「照れ隠しだ。」

 そこへ見知らぬ若い女性が数人やって来て、男達に誘いをかけて来た。結局ロホもステファンもギャラガも踊る羽目になった。テオにもお声がかかったので、少佐が「行ってらっしゃい」と言った。
 テオが女性に手を引かれて踊りの輪に入る時にチラリと彼女を見ると、少佐はロペス父と何か話を始めていた。
 ダンスは民族舞踊などではなく、現代音楽のセルバ流ダンスだ。テオは北米時代は踊った経験がなかったが、大学で教鞭を取り始めると、学生達と一緒に行動する時にダンスは不可欠な要素となった。ラテンアメリカでダンスは社交的にも宗教的にも必要不可欠なのだ。踊りながら周囲を見回すと、新郎新婦も踊っていたし、大統領警護隊のメンバーも一般人の客に混ざって体を動かしていた。いつの間にかパートナーが交換され、テオは3人の見知らぬ女性と踊り、最後にデネロスと向き合った。

「この曲が終わったら、休憩させてもらう。」
「私もそろそろ足に来ました。」

 デネロスが若者らしくないことを言い、2人は踊りの輪から離れた。飲み物を取って、テオはケツァル少佐を目で探した。少佐は料理が並んだテーブルの番人をしていた。つまり、少しずつ食べながら歩き回っていたのだ。彼が彼女のそばへ行こうとすると、ステファン大尉が一足先に彼女に近づいた。彼女に声をかけ、振り向いた彼女の目を見た。”心話”で何かの情報が伝えられたようだ。少佐が肩をすくめた。ステファンが、先刻ロペス少佐との”心話”で見せた緊張した表情を和らげた。テオは気がつかないふりをして2人のそばに行った。

「今日は来ないと言っていたが、結局来たじゃないか。」

と声をかけると、ステファンは肩をすくめた。

「明後日から地下神殿で指導師の試しを受けます。1ヶ月太陽を見られないので、今日は外出を許可されました。実家に戻ると、グラシエラがどうしても花嫁を見たいと言ったのです。」

 グラシエラの方を見ると、彼女はいつの間にかロホを捕まえることに成功していた。ロホのリードで幸せいっぱいの顔で踊っていた。

「さっき、ロペスと目で話をしていただろ?」

と指摘すると、ステファンはあっさり認めた。

「ブーケトスの時に、妹がブーケを掴んでも怒るな、と言われたんです。」
「え? それだけ?」
「私には重要な問題です。」

と言いつつ、彼は笑って言った。

「相手が誰だか、姉が教えてくれたので安心しました。」

 テオはケツァル少佐を見た。少佐は果物のパイを皿に取っていた。テオは彼等の妹の方を見た。グラシエラはロホと手を繋いで踊りの輪から抜けようとしていた。

「彼女が積極的なんだよ、カルロ。」
「妹の性格は知っているつもりです。」
「彼で良いのかい?」
「妹の目は確かです。」

 ステファン大尉は嬉しそうに微笑んだ。

「あいつなら、私も安心です。」



2021/12/21

第4部 牙の祭り     1

  アリアナ・オズボーンとシーロ・ロペス少佐の結婚式は、サン・ペドロ教会で行われた。建前上カトリック教徒なので、神父が式を取り仕切り、出席者は新郎新婦の希望通り少なかった。新郎側は、ロペス父、大統領警護隊でロペスと親しくしている隊員3名、外務省の同僚1名、そしてケツァル少佐。新婦側は、兄としてテオドール・アルスト、アリアナが1年半勤務したメキシコの病院のスタッフ2名とマハルダ・デネロス少尉。アリアナは白い花嫁用のドレスを着て、ロペス少佐は正装の民族衣装だった。それが彼の精悍な顔によく似合っており、アリアナがうっとりするのはテオも理解出来たが、ケツァル少佐やデネロス、病院の女性スタッフまでが目をハートにしているのは気に入らなかった。
 教会から出ると、ロペス父が準備した屋外レストランへバスで移動した。「質素に」と言う新郎新婦の希望が無視されているのではないか、とテオは心配したが、ケツァル少佐にそう囁きかけると、「これより質素な結婚式があるのか?」と逆に驚かれてしまった。
 レストランではさらに多くの人々が新郎新婦を出迎えた。シーロ・ロペスの幼馴染や同級生達だとロペス父が説明した。料理の半分は客の持ち寄りで、費用は大してかかっていないと父親は言った。しかしテオは、父親が一人息子の結婚式の為にかなり奮発していると睨んだ。
 来客の相手で忙しい新郎新婦から離れ、テオは木陰のテーブルに行った。そこに大統領警護隊文化保護担当部の友人達が集まっていた。男達は民族衣装だ。襞の多い巻きスカートを身につけたケツァル少佐とデネロスは、早くジーンズに戻りたいと思っていた。

「結局、伝統的な式になったな。」

とテオが感想を口にすると、彼等は冷たい視線を彼に浴びせた。

「セルバ国民になってどれだけになるんですか?」
「まさか、結婚式を見たのは初めてだって言うんですか?」
「伝統的な結婚式は、こんなものではありませんよ。」
「俺たちの伝統的な結婚式は3日3晩宴会が続くんだぞ。」
「”ティエラ”も”シエロ”も関係なく?」
「当たり前です。」

 ケツァル少佐が挨拶攻めに遭っている新郎新婦に視線を送った。

「シーロのお父様がよくこれだけ妥協なさったものだと、私達は感心しているのです。」
「すると、ロペス少佐はもっと質素にやりたかった?」
「スィ。彼は市役所に届け出をして、それで終わりにしたかった筈です。」
「でも・・・」

 デネロスが言った。

「アリアナは大勢から祝福されて嬉しいと思いますよ。」

 それは誰も否定しなかった。アリアナ・オズボーンがセルバ共和国に亡命したのは、テオに引き摺られて来たようなものだった。この国に来たばかりの頃の彼女は、見知らぬ国で、スペイン語もおぼつかず、慣れない習慣に戸惑い、片思いの恋に苦しんでいた。アメリカへ帰った方が良いのではないか、と思った者もいただろう。
 しかし、彼女は母国へ帰らなかった。精神的に危うい状態の彼女を”砂の民”から救おうと、手を差し伸べてくれたのが、移民・亡命審査官のシーロ・ロペス少佐だった。彼はメキシコの病院へ出向と言う形で、彼女を国外に出して”砂の民”が手を出せない様に取り計った。同時に、彼女には、いつでも母国へ帰ることが出来る距離にいる、と言う安心感を持たせ、彼女が自身を追い詰めないよう逃げ道を用意してくれた。
 やがてアリアナは気がついたのだ。彼女を守ってくれる大樹がそばにいることを。典型的なセルバ先住民らしく、彼は無口で真面目だったが、2人きりの時は優しく、ユーモアのセンスもあった。彼女はもう彼なしで生きていく自信がなかった。それに、彼が職務上北米に関連する移民などの問題に取り掛かって悩むことがあった時、彼女は北米人の思考パターンや習慣などについてアドバイスした。彼は彼女が必要だと言ってくれた。
 テオはもう遺伝子の問題を考えないことにした。アリアナとロペス少佐の結婚にこだわりを持ってしまったら、テオ自身の恋も否定しなければならなくなる。明るい未来だけを考えていこう。彼は決意した。



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...