2021/12/23

第4部 牙の祭り     5

  車のドアが開いて運転席から憲兵が1人降り立った。男性だとわかったが、テオは彼の顔を判別出来なかった。暗がりの中に男がいたのが理由の一つだったが、その顔が黒かったせいもあった。セルバ共和国の人種構成は、60パーセントがメスティーソ、30パーセントがインディヘナ、残りがヨーロッパ系白人で、アフリカ系の国民は純血のインディヘナよりマイノリティだ。
 その稀な肌の色をした憲兵を知っていたのか、アスルが呟いた。

「サンボのビトだ。」
「ノ。」

とケツァル少佐が訂正した。

「あれは兄のビダルです。」

 アスルがちょっと驚いて上官を振り返った。

「憲兵隊勤務をしているのはビトですよ。」
「でも、あれはビダルです。」

 少佐は頑固に言い張った。テオはビトとビダルの区別どころか、憲兵が混血の男性としかわからなかった。インディヘナとアフリカ系の混血のサンボなのか、ヨーロッパ系とアフリカ系の混血のムラートかも判別出来なかった。街灯が切れていて、長屋周辺の道路は暗かったのだ。

「そのビトとビダルは似ているのか?」

 彼の質問にアスルが答えた。

「双子だ。ビトが憲兵隊で、ビダルが大統領警護隊だ。」

 テオはちょっとびっくりした。大統領警護隊に黒人の血が流れている隊員がいると耳にしたのは初めてだった。世間で大勢いるメスティーソが純血種から差別を受けている大統領警護隊の中で、アフリカ系の人がいるとなると、かなり厳しい体験をしているのではないか、と不安を覚えた。
 当然ながらその憲兵は”ヴェルデ・シエロ”だ。近づいて来るテオ達に向かって敬礼で出迎えた。その敬礼の仕方を見て、アスルがチェッと舌打ちした。

「やっぱりビダルでした。」

 なんで?とテオは疑問を感じた。大統領警護隊勤務をしているのがビダルと言う人なら、何故憲兵隊の制服を着て、憲兵隊の車に乗っているのだ?
 ケツァル少佐がビダルの前に立った。

「何故ここにいるのです、ビダル・バスコ少尉?」
「ブエナス・ノチェス、ミゲール少佐。」

 ビダルの声は若く、恐らく本人もまだ若いのだ。

「お力を貸して頂きたく、お待ちしておりました。」

 少佐は多分疲れている。それはアスルもテオも同じだ。しかし、若い大統領警護隊隊員が憲兵の姿をして現れ、力を貸して欲しいと言う。少佐が尋ねた。

「急ぐのですか?」
「出来れば・・・」

 ビダルはテオを見た。

「グラダ大学で遺伝子の研究をされている先生ですね?」
「スィ。」
「ドクトルのお力も必要です。」

 アスルがテオの家を指差した。

「服を着替えたい。俺が着替えをしている間に、少佐に話を聞いて頂け。俺は後で少佐からお聞きする。」

 テオの家なのだが、アスルはテオの了解もなく客を招いた。彼を下宿させると決めた時に、友人を連れて来ても良いと言ったのはテオだ。ビダルは友人でない様だが、テオは拒否する理由がなかった。それに客は彼の協力も必要だと言ったのだ。
 家の中に入ると、アスルとテオはそれぞれの部屋に入り、普段着に着替えた。その間にケツァル少佐は冷蔵庫から冷えた水の瓶を出し、客に振る舞った。
 Tシャツとジーンズに着替えたテオとアスルがリビングに入ると、ビダル・バスコ少尉と呼ばれた若者は片手に水のグラスを持ったまま、ソファに座って俯いていた。細かく縮れた頭髪を細かく編み込んだお洒落な男だ。遊撃班にいなかったので、警備班なのだろう。ケツァル少佐もアスルも大統領警護隊の隊員全部を覚えている訳はないだろうが、サンボの隊員は珍しいので覚えているのだ。
 テオはビダルが泣いているのだと察した。俯いて、ぐっとグラスを握りしめている。あれ以上力を入れるとガラスが割れて危険だ、と思った彼は両手を伸ばしてビダルのグラスを握る手を包んだ。ビダルが顔を上げて彼を見た。テオは言った。

「グラスを握り潰しちゃ危ないぞ。」

 ケツァル少佐は少し離れてダイニングテーブルの椅子に座っていた。既に”心話”で事情を聞き取った様だ。彼女はアスルを見て、伝え、それからテオに言葉で説明した。

「バスコ少尉の弟のビトが殺害されました。」




第4部 牙の祭り     4

  ロホはアスル達少尉3人を彼のビートルに乗せて会場に来ていたが、2人の少尉はバスで帰ってしまった。それでケツァル少佐とテオ、アスルを乗せて帰るつもりだったが、ステファン大尉とグラシエラがタクシーで来たことを知った少佐が、弟妹を乗せて送れと言った。

「歩いても1時間かからない距離ですから、私達は徒歩で帰ります。」
「では、2人を送り届けたら、ちょっとその辺を流してみます。」

 恐らくその気になれば、ロホは歩いているテオ達をすぐ見つけられるだろう。テオは言った。

「無理せずにゆっくりしろよ。」

 そしてステファンに目配せした。妹の恋路を邪魔するなよ、と。ステファンが微かに苦笑した。グラシエラは姉とアスルにおやすみのハグとキスをした。テオにもしてくれた。

「アリアナのブーケ、欲しかったわ。」

と彼女が囁いた。それで彼女の恋の真剣度がテオにはわかった。

「焦らなくても、彼は誠実だから安心して交際すると良いよ。」

 ステファン兄妹とロホと別れ、テオはケツァル少佐とアスルと共に結婚披露宴会場を後にした。まだ雨季の名残がある湿った空気が重たい夜だった。テオは正装のジャケットを脱ぎ、腕に抱えた。軽装に着替えた少佐は軽々と歩いているが、アスルは民族衣装のままで、それなのに暑さを感じないが如く平然としていた。暑くないのか、とテオが尋ねると、彼は煩そうにチラリと見ただけで答えなかった。きっと暑いのだ、とテオは思うことにした。
 アスルが少佐に質問した。

「デネロスのオクタカス派遣の期間は何週間ですか?」
「フランス隊の予定では3ヶ月です。彼女はその間、グラダ・シティと遺跡を数往復するでしょう。どうやら、独自の”通路”を発見したようです。」
「そこがブーカ族の得な能力ですね。カルロは2ヶ月戻って来られなかった。」
「あの時は、空間の流れが止まっていましたから、オクタカスへはどこの”入り口”からもアクセス出来ませんでした。」

 テオはこの会話に参加したくなった。

「アスルは今季派遣業務がないのか?」

 アスルが面倒臭そうに答えた。

「グラダ・シティ周辺の日帰りコースばかりだ。」

 つまり、毎晩家に帰って来るのだ。テオは食事に不自由しなくて済みそうだ。少佐が説明した。

「グラダ大学が学生達をいくつかのグループに分けて複数の遺跡を同時発掘する予定です。そこに外国の調査隊達が協力の形で参加します。アスルはマハルダより忙しくなる筈です。」
「アンドレが早く一人前に監視業務に出られるようになると良いんですがね。」

 テオと少佐は笑った。アンドレ・ギャラガは通信制大学に入学したばかりだ。大統領警護隊文化保護担当部の監視業務は、ただ盗掘者を見張るだけではない。出土物の年代や市場価値なども判定して、さらに、それらに呪いがかけられていないか見極める任務があるのだ。ギャラガがグラダ・シティ近郊の遺跡へ派遣させてもらえるのは、早くても半年先だろう。

「ロホはオフィス仕事か?」
「彼はデネロスとアスルの業務のチェック、それにスポット的に発生する呪い騒ぎの収拾です。」
「”ティエラ”のインチキ呪い師が増えているんだ。」

とアスルが少佐の言葉を補足した。

「ただのインチキなら警察が処理する。だが、中には質の悪い中途半端な能力者がいて、客をトランス状態に陥らせて治せない馬鹿がいるんだ。ロホは警察から連絡を受けると、飛んでいって治療する。」
「結構、大変だな。」

 テオは笑った。
 ダラダラ歩いて、マカレオ通りまで近づいた。テオは自宅から自分の車で少佐を西サン・ペドロ通りのコンドミニアムまで送るつもりだった。
 自宅側の角を曲がると、長屋の前に車が駐車していた。アスルが呟いた。

「憲兵隊が、何の用だ?」


2021/12/22

第4部 牙の祭り     3

 デネロス少尉がパイの大皿のところにやって来た。食べるのかと思えば、テイクアウトして帰るのだと言った。

「ロペス少佐とアリアナには許可をもらいました。アンドレを連れて官舎に帰ります。」

 テオは時計を見た。まだ門限に時間はあるが、平日だ。デネロスとギャラガは次の日の業務に備えて休みたいのだろう。直属の上官であるケツァル少佐は特に許可を与える言葉を言わなかったが、代わりにテイクアウト用の容器にパイをどっさり入れてやった。
 ブエナス・ノチェスと言って、デネロスとギャラガは帰って行った。彼女はブーケトスに参加しないんだな、とテオは思った。まだ若いし、遂に念願のジャングルの大きな遺跡を監視する役目を与えられたところだ。恋愛や結婚は彼女の将来のプランにおいては順位が低いのだ。
 やがて女性達が騒ぎ出した。ブーケトスが始まるのだ。若い女性客が集まり、中には本当に独身なのか?と疑問に思えるような所帯じみた雰囲気の人もいたし、白髪混じりの人もいたが、アリアナの手にある白い花のブーケを彼女達はじっと狙いを定めて見つめた。

「行かないんですか?」

とステファン大尉が、ケツァル少佐に声をかけた。少佐が「行きません」と答えると、彼は余計なことを言った。

「ブーケを取らないと、また一つ歳を取りますよ。」

 ビュッと音を立てて葡萄の粒が飛んで来た。彼はヒョイと避け、葡萄はテオの白いシャツの胸に命中した。紫色の染みがテオの一丁羅に付いた。「少佐!」とテオが抗議の声を上げると同時に女性達の甲高い歓声が上がった。ブーケが投げられたのだ。
 悲鳴にも似た女性達の声が賑やかに場内に響いた。そしてめでたくブーケを手に入れた女性が誇らしげに高々と花束を上に差し上げた。
 悔しがるグラシエラを連れてロホがテーブルに戻って来た。ステファンが妹を宥めた。

「お前はまず教師の資格を取らなきゃ駄目だろ。今から結婚のことを考えていたら、僻地の学校で教える夢も、失ってしまうぞ。」
「だって・・・」

 不満気に唇を尖らせるグラシエラは、子供の表情だった。テオはロホを揶揄った。

「良かったな、まだ当分独身時代を堪能出来るぞ。」
「どう言う意味ですか?」

 ロホは惚けて見せたが、頬がやや赤くなっていた。これは脈ありだ、とテオは感じた。そこへアスルが戻って来た。彼は予想外にもてて、女性達がなかなか離してくれなかったのだ。彼以外の少尉が2人共姿を消していたので、彼は散開した女性達の群れを振り返った。

「官舎組は帰ったのか?」
「ブーケトスの前に帰った。 多分、今頃はバス停で2人でパイを食ってるさ。」

 テオの返事に、アスルはジロリと彼を見て、ボソッと言った。

「シャツに葡萄の血が付いているぞ。」
「少佐に狙撃されたんだ。標的はカルロだったが、彼が避けたので、俺に命中した。」
「後でクリーニング代を請求してやれ。」

 アスルも疲れた様だ。ずっと踊っていたのだから無理もない。

「そろそろお暇しましょうか。」

と少佐が提案した。テオが代表して新郎新婦のところへ帰ることを告げに行った。

「今日はたくさんの愛情をもらったわ。」

とアリアナが涙を浮かべて言った。彼女はテオを抱きしめた。

「有り難う、テオ。貴方が亡命を考えつかなかったら、私はシーロと出会えなかった。」
「良い家庭を築けよ。」

とテオも彼女を抱きしめ返した。

「君とロペスが俺に希望をくれた。俺も頑張るから。」

 そして腕を彼女から外し、新郎に新婦を返した。ロペス少佐が彼とケツァル少佐を交互に見た。

「本気なのですか?」

と移民・亡命審査官が尋ねた。

「グラダをモノにした白人は未だ聞いたことがありません。」
「それは、白人が上陸してから今までグラダがいなかったからだろう?」

 ロペス少佐は片目を閉じた。

「きっと苦労しますよ、彼女は誰にも支配出来ませんから。」

 

第4部 牙の祭り     2

  結婚披露宴は「地味に」午後10時迄続いた。ほぼ8時間ぶっ通しだった。その間に大統領警護隊はそれぞれ一旦帰宅して、ラフな服装に着替えてきた。テオは花嫁の兄なので、場を離れることが出来ない。正装のまま、会場に残った。客も入れ替わり立ち替わり変化して、アリアナが勤務する大学病院の関係者や、彼女が治療した子供達がやって来たり、ロペス父の友人知人、近所の住民まで来て、収拾がつくのか心配になる程だった。
 驚いたことに、カルロ・ステファン大尉もグラシエラを連れてやって来た。正装の軍服を着た彼はアリアナを祝福し、ロペス少佐にも祝福を伝えた。テオが見る限り、彼は新婦には友人として、新郎には同じ軍人の後輩として振る舞っていると見えた。そして全て承知しているロペス少佐も、勤務中は見せたことがない柔和な表情で大尉の祝福を受け、笑顔で数分間会話をした。
 ほんの一瞬だったが、テオはステファンの表情が硬くなった気がした。しかし大尉は直ぐに笑顔に戻り、まだアリアナと言葉を交わしている妹を促し、新郎新婦から離れて、文化保護担当部が集まっているテーブルにやって来た。
 民族衣装を着ているグラシエラは美しく可愛らしかった。デネロスと良い勝負だ、とテオが思っていると、ケツァル少佐がまるで彼の心を読んだかの様に脇を突いた。

「鼻の下が伸びていますよ。」
「美女を見た時の当然の反応をしたまでだ。」
「私を見てもそんな顔をしませんでしたね。」
「君はいつでも一番綺麗だから、わざわざ表情を変える必要がないんだ。」

 まるで恋人同士の会話だ、と彼は思った。
 グラシエラがアスルに踊ろうと声をかけた。アスルは柄じゃないと言ったが、断るのは失礼なので、踊っている人々のグループのところへ2人で入って行った。あれ?とギャラガが驚いて、テオに囁いた。

「ロホ先輩じゃないんですか?」

 テオは教えてやった。

「照れ隠しだ。」

 そこへ見知らぬ若い女性が数人やって来て、男達に誘いをかけて来た。結局ロホもステファンもギャラガも踊る羽目になった。テオにもお声がかかったので、少佐が「行ってらっしゃい」と言った。
 テオが女性に手を引かれて踊りの輪に入る時にチラリと彼女を見ると、少佐はロペス父と何か話を始めていた。
 ダンスは民族舞踊などではなく、現代音楽のセルバ流ダンスだ。テオは北米時代は踊った経験がなかったが、大学で教鞭を取り始めると、学生達と一緒に行動する時にダンスは不可欠な要素となった。ラテンアメリカでダンスは社交的にも宗教的にも必要不可欠なのだ。踊りながら周囲を見回すと、新郎新婦も踊っていたし、大統領警護隊のメンバーも一般人の客に混ざって体を動かしていた。いつの間にかパートナーが交換され、テオは3人の見知らぬ女性と踊り、最後にデネロスと向き合った。

「この曲が終わったら、休憩させてもらう。」
「私もそろそろ足に来ました。」

 デネロスが若者らしくないことを言い、2人は踊りの輪から離れた。飲み物を取って、テオはケツァル少佐を目で探した。少佐は料理が並んだテーブルの番人をしていた。つまり、少しずつ食べながら歩き回っていたのだ。彼が彼女のそばへ行こうとすると、ステファン大尉が一足先に彼女に近づいた。彼女に声をかけ、振り向いた彼女の目を見た。”心話”で何かの情報が伝えられたようだ。少佐が肩をすくめた。ステファンが、先刻ロペス少佐との”心話”で見せた緊張した表情を和らげた。テオは気がつかないふりをして2人のそばに行った。

「今日は来ないと言っていたが、結局来たじゃないか。」

と声をかけると、ステファンは肩をすくめた。

「明後日から地下神殿で指導師の試しを受けます。1ヶ月太陽を見られないので、今日は外出を許可されました。実家に戻ると、グラシエラがどうしても花嫁を見たいと言ったのです。」

 グラシエラの方を見ると、彼女はいつの間にかロホを捕まえることに成功していた。ロホのリードで幸せいっぱいの顔で踊っていた。

「さっき、ロペスと目で話をしていただろ?」

と指摘すると、ステファンはあっさり認めた。

「ブーケトスの時に、妹がブーケを掴んでも怒るな、と言われたんです。」
「え? それだけ?」
「私には重要な問題です。」

と言いつつ、彼は笑って言った。

「相手が誰だか、姉が教えてくれたので安心しました。」

 テオはケツァル少佐を見た。少佐は果物のパイを皿に取っていた。テオは彼等の妹の方を見た。グラシエラはロホと手を繋いで踊りの輪から抜けようとしていた。

「彼女が積極的なんだよ、カルロ。」
「妹の性格は知っているつもりです。」
「彼で良いのかい?」
「妹の目は確かです。」

 ステファン大尉は嬉しそうに微笑んだ。

「あいつなら、私も安心です。」



2021/12/21

第4部 牙の祭り     1

  アリアナ・オズボーンとシーロ・ロペス少佐の結婚式は、サン・ペドロ教会で行われた。建前上カトリック教徒なので、神父が式を取り仕切り、出席者は新郎新婦の希望通り少なかった。新郎側は、ロペス父、大統領警護隊でロペスと親しくしている隊員3名、外務省の同僚1名、そしてケツァル少佐。新婦側は、兄としてテオドール・アルスト、アリアナが1年半勤務したメキシコの病院のスタッフ2名とマハルダ・デネロス少尉。アリアナは白い花嫁用のドレスを着て、ロペス少佐は正装の民族衣装だった。それが彼の精悍な顔によく似合っており、アリアナがうっとりするのはテオも理解出来たが、ケツァル少佐やデネロス、病院の女性スタッフまでが目をハートにしているのは気に入らなかった。
 教会から出ると、ロペス父が準備した屋外レストランへバスで移動した。「質素に」と言う新郎新婦の希望が無視されているのではないか、とテオは心配したが、ケツァル少佐にそう囁きかけると、「これより質素な結婚式があるのか?」と逆に驚かれてしまった。
 レストランではさらに多くの人々が新郎新婦を出迎えた。シーロ・ロペスの幼馴染や同級生達だとロペス父が説明した。料理の半分は客の持ち寄りで、費用は大してかかっていないと父親は言った。しかしテオは、父親が一人息子の結婚式の為にかなり奮発していると睨んだ。
 来客の相手で忙しい新郎新婦から離れ、テオは木陰のテーブルに行った。そこに大統領警護隊文化保護担当部の友人達が集まっていた。男達は民族衣装だ。襞の多い巻きスカートを身につけたケツァル少佐とデネロスは、早くジーンズに戻りたいと思っていた。

「結局、伝統的な式になったな。」

とテオが感想を口にすると、彼等は冷たい視線を彼に浴びせた。

「セルバ国民になってどれだけになるんですか?」
「まさか、結婚式を見たのは初めてだって言うんですか?」
「伝統的な結婚式は、こんなものではありませんよ。」
「俺たちの伝統的な結婚式は3日3晩宴会が続くんだぞ。」
「”ティエラ”も”シエロ”も関係なく?」
「当たり前です。」

 ケツァル少佐が挨拶攻めに遭っている新郎新婦に視線を送った。

「シーロのお父様がよくこれだけ妥協なさったものだと、私達は感心しているのです。」
「すると、ロペス少佐はもっと質素にやりたかった?」
「スィ。彼は市役所に届け出をして、それで終わりにしたかった筈です。」
「でも・・・」

 デネロスが言った。

「アリアナは大勢から祝福されて嬉しいと思いますよ。」

 それは誰も否定しなかった。アリアナ・オズボーンがセルバ共和国に亡命したのは、テオに引き摺られて来たようなものだった。この国に来たばかりの頃の彼女は、見知らぬ国で、スペイン語もおぼつかず、慣れない習慣に戸惑い、片思いの恋に苦しんでいた。アメリカへ帰った方が良いのではないか、と思った者もいただろう。
 しかし、彼女は母国へ帰らなかった。精神的に危うい状態の彼女を”砂の民”から救おうと、手を差し伸べてくれたのが、移民・亡命審査官のシーロ・ロペス少佐だった。彼はメキシコの病院へ出向と言う形で、彼女を国外に出して”砂の民”が手を出せない様に取り計った。同時に、彼女には、いつでも母国へ帰ることが出来る距離にいる、と言う安心感を持たせ、彼女が自身を追い詰めないよう逃げ道を用意してくれた。
 やがてアリアナは気がついたのだ。彼女を守ってくれる大樹がそばにいることを。典型的なセルバ先住民らしく、彼は無口で真面目だったが、2人きりの時は優しく、ユーモアのセンスもあった。彼女はもう彼なしで生きていく自信がなかった。それに、彼が職務上北米に関連する移民などの問題に取り掛かって悩むことがあった時、彼女は北米人の思考パターンや習慣などについてアドバイスした。彼は彼女が必要だと言ってくれた。
 テオはもう遺伝子の問題を考えないことにした。アリアナとロペス少佐の結婚にこだわりを持ってしまったら、テオ自身の恋も否定しなければならなくなる。明るい未来だけを考えていこう。彼は決意した。



第4部 悩み多き神々     20

 「明日は好きなだけ眠れるぞ。」
「遊撃班は気の毒ですね、あのまま続けて任務だ。」
「心配するな、警備班のルーティンの調整が出来たら、すぐに交代要員が行くさ。」

 食事が終わると、大統領警護隊はアルコールを楽しむでもなく、あっさり席を立った。ロホがケツァル少佐のカードを預かり、カウンターへ行った。

「精算してくれ。」

 バーテンダーではなく、店の支配人が素早くカードを受け取り、レジを打った。カウンターの少し離れた位置で、グラシエラがもたれかかって彼を見ていた。顔もルックスも身のこなしも一部の隙もない「完璧な王子様」だ。ロホが視線に気がついてこちらへ顔を向けかけたので、彼女は急いでトレイを持ち、バーテンダーが上げたグラスを載せた。客のテーブルに歩いて行きながら、彼女は少しばかり幸福を味わった。
 文化・教育省に行けば彼が働いている。それは承知している。しかし、用もないのに出かけて行って彼の業務を邪魔すれば、絶対に姉様に叱られる。しかし多分、姉様は休日に彼女がロホと話をしたり、デートすることは止めないだろう。問題は兄だ。兄とロホは仲良しだ。しかし、兄は彼女が軍人と交際することを嫌がる。己が軍人だから、危険と常に隣り合わせで働く男と妹を付き合わせたくないのだ。それに兄とロホの仲が、彼女が原因で拗れてしまうのも嫌だ。
 客にグラスを配り、彼女は顔を上げた。大統領警護隊は店を出て行くところだった。最後尾にいたテオ先生が、手を振ってくれたので、彼女も振り返した。
 姉様とテオ先生に何とか兄を説得してもらえないだろうか、とグラシエラは考えた。だが兄は、姉様に失恋したばかりだ。今、この話題を出すのは拙いかも知れない。
 バーテンダーがカウンターの向こうで呼んだので、彼女は急いで戻った。もう少し様子をみよう。ロホはまた店に来てくれるだろう。彼女がここにいると知ったのだから。
 大統領警護隊文化保護担当部は、帰りの車の配分を変更した。ケツァル少佐は彼女のベンツのハンドルを握り、ロホ、デネロス、ギャラガを乗せた。テオの車はアスルだけだ。アスルはテオの車に乗ると必ず寝てしまう。喋ることがないからだ。しかし話し相手がいない運転は睡魔を呼び込む。テオは満腹と疲れの攻撃に抵抗しながら、市街地に向かって走った。少佐のベンツは陸軍基地を大きく迂回して、大統領府の方向へ去った。先に大統領警護隊の官舎にデネロスとギャラガを送り届けるのだ。
 テオはマカレオ通りに向かって運転した。ロホもマカレオ通り北部に住んでいるが、何故か少佐は彼をベンツに乗せた。彼女の意図を何となくテオは察した。
 どうにか無事に自宅駐車場に車を乗り入れることが出来た。エンジンを切ると、アスルが目を覚ました。もう着いたのか、とブツブツ言いながら、彼は先に車を降りて玄関へ行った。いつもの様に鍵なしでドアを開けようとして、彼は動きを止めた。隣家の人が外へ出て来たのだ。長屋の住民達は、ドクトル・アルストが軍人とルームシェアしていると知っていたが、実際にアスルを見かけることが滅多になかった。アスルはさりげなく胸の徽章を手で隠し、隣人に「ブエナス・ノチェス」と言った。隣人はニッコリ笑って挨拶を返した。そしてテオとアスル、どちらへと言うこともなく、言った。

「昨日から何処かへ出かけていたのかい?」

 テオが愛想良く答えた。

「軍事演習があるって言うので、見学に行ったんだ。」
「そうかい、軍人さんも土曜日だって言うのに大変だね。」

 また明日、と言って隣人は車に乗り込んだ。
 テオが鍵を出して、ドアを開けた。家の中に入るなり、アスルはバスルームに駆け込んだ。テオはドアを閉め、アスルが玄関に置きっぱなしにしたリュックをリビングまで運んだ。くたくただったが、コーヒーを淹れた。コーヒーが出来上がり、彼がカップに注いで飲みかけたところへ、アスルが濡髪のまま現れた。勿論服も着ていない。

「シャワーの湯が出ないぞ。」
「また故障か・・・明日修理する。」
「俺は冷水でも平気だが、あんたは嫌じゃないのか?」
「今日は水で構わない。暑いし、体もくたくただ。」

 アスルは彼の部屋となった客間へ入って行った。テオはコーヒーを飲み続けたが、アスルが戻らないので、ポットとカップだけテーブルに残して、自分の部屋から着替えを取ってバスルームに入った。
 入浴後にテーブルを見ると、ポットとカップはそのままだった。アスルは寝てしまったのだ。


 

第4部 悩み多き神々     19

  埃と汗にまみれた戦闘服姿のままで入れる店が、陸軍基地周辺に集まっていた。その中の、昼間から開いていて夜の早い時間に閉める稀な店を、ロホは知っていた。セルド・アマリージョ(黄色い豚)と言う中クラスのレストランで、客層は軍隊関係と民間人が半々。軍人の間では、安心してガールフレンドを連れて行ける店として知られていた。デートに使える店に演習後のドロドロの服で入るのはちょっと気が引けたが、他の店がまだ営業前だったので、文化保護担当部はセルド・アマリージョに押しかけた。
 ウェイターは一瞬ムッとした顔をしたが、客の胸に輝いている緑色の鳥の徽章を目にすると、急に愛想が良くなり、上席に案内した。店内に賑やかなポップが流れており、テーブルの半分が埋まっていた。客は若い兵士が多かった。新しく入ってきたグループに目を遣り、それが大統領警護隊だと気付くと、彼等は慌てて視線を逸らした。
 6人は丸テーブルに着いた。渡されたメニューを開くと、そんなに高い料理はなく、適度な料金でお腹いっぱい食べられるとわかった。テオはケツァル少佐の隣になり、少佐が指差す料理に全部頷いて見せた。少佐が上目遣いで彼を見た。

「本当に、これで良いのですか?」
「構わない。君が好きなものなら、なんでも・・・」
「スパイシーですよ。」
「大丈夫だろう。」

 テオはもう片側の隣のデネロスを振り返った。デネロス少尉は何故かデザートから見ていた。

「マハルダ、食事から先に選んでくれよ。」
「そっちにお任せします。私は甘い物担当。」

 男3人は別のメニューを眺めて、肉の大盛りメニューを選んでいた。そこへウェイトレスが来た。メニュー用タブレットを持って、彼女は操作しながら尋ねた。

「ご注文は?」

 その声に聞き覚えがあったので、テオは顔を上げた。同時にロホも彼女を見た。コンマ1秒ほど早く、ロホが相手の名前を口に出した。

「グラシエラ?」

 ケツァル少佐も顔を上げた。デネロス、アスル、ギャラガもウェイトレスを見た。若いウェイトレス本人も目を丸くして客を見た。

「シータ! それに・・・」

 彼女の頬が赤くなった。知っている人に出会って動揺しているのだ。テオが尋ねた。

「アルバイトかい?」
「スィ。土曜日の夕方だけ・・・友達のお兄さんがバーテンダーをしていて、その紹介です。」

 彼女はそっと姉を見た。”心話”で、母親には秘密にして、と要請した。ケツァル少佐が溜め息をついた。

「ママより兄貴の方が厄介だと思いますけどね。」

と彼女は囁いた。少佐はこの店を選んだロホを見た。ロホが急いで言った。

「私は彼女がここで働いているなんて、知りませんでした。」
「土曜日だけですから。」

とグラシエラも慌てて言い訳した。余程異母姉に知られたことが気まずいのか、動揺程度が半端でない。テオは店内を見回した。

「健全な店に見える。取り敢えず、注文を取ってくれないか?」

 それで各自食べたい料理を告げた。妹の手前、控えるつもりなのか、ケツァル少佐も1人前しか注文しなかった。
 グラシエラがカウンターへ戻ると、デネロスが内緒話をするかの様に、テオと少佐に顔を近づけて囁いた。

「グラシエラは、ロホ先輩を全然見ませんね?」

 え? とテオは思わず対面に座っているロホを見た。ロホはギャラガに、酔っ払いに絡まれた時の対処法を話し始めたところだった。アスルは厨房が気になる様だ。奥を何度もチラチラ見ている。
 ケツァル少佐が苦笑した。そして小さな小さな声で囁いた。

「彼女は、ロホがこの店に時々現れるので、友達に頼んで働かせてもらっているのです。」

 さっきの”心話”の時、妹の真意をチラッと感じてしまったのだ。テオとデネロスは顔を見合わせた。数秒後、2人はクスッと笑った。

「ああ、そう言うこと・・・」
「可愛いですね。」
「兄貴が知ったら、悩むぞ。」

 カルロ・ステファンは妹に平凡な人生を送らせたいと願っている。普通の市民と結婚して家庭を持って、平和な穏やかな暮らしをして欲しいと思っているのだ。だから、軍人や警察官との交際は駄目だと日頃から言っていた。しかし、兄貴の親友で優しくイケメンのロホを紹介された時、グラシエラは心に何か響く物を感じたのだ。こればっかりは、阻止出来ない。 ロホの方はどうなのだろう。
 テオとデネロスが見つめると、ロホが視線を感じて、ギャラガから対面に目を向けた。

「何か?」
「別にぃ・・・」

 その時、アスルが、ちょっと失礼する、と言って、立ち上がり、厨房へ歩いて行った。何だろう? と仲間達が見守っていると、彼は厨房入り口近くのカウンターにもたれかかり、バーテンダーに声をかけた。

「料理の過程を見学して良いか? 中には入らない。俺は埃だらけだから。」

 見学だけでしたら、とバーテンダーがドキドキしながら答えた。大統領警護隊の客は初めてだ。いや、ロホは今まで何度かここへ来ていたが、その時はいつも私服だったので、正体がわからなかった。イケメンの軍人らしき客、と言う認識だったのだ。
 バーテンは、他のテーブルへ注文を取りに行ったグラシエラを指した。

「彼女とは、お知り合いで?」

 アスルは本当のことを言った。

「我々の上官の妹御だ。少佐殿が溺愛されている。」

 成る程、とバーテンは頷いた。そして思った。あのウェイトレスに客が手を出したり絡まないよう、見張っていなければ、と。さもないと、客の命が危ない。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...