2021/12/27

第4部 牙の祭り     16

  ケツァル少佐がこれからヤクザのぺぺ・ミレレスを探しに行くと言うので、テオは思わず「俺も行く」と言ってしまった。少佐が横目で彼を見た。彼は慌てて言った。

「足手まといにはならないから。」

 少佐は溜め息をつき、寝室に行って拳銃を1丁持って来た。彼女自身は常に装備しているから、これは予備の拳銃だ。銃弾の装填を確認して、安全装置を掛け、彼に渡した。車のキーも渡して、ベンツの運転手を彼に無言で命じた。
 外に出て車に乗り込んでから、テオは重大な忘れ物を思い出した。

「ああ、しまった!」
「どうしました?」
「今日は金曜日だ。俺はエル・ティティに帰るつもりだった。」

 少佐が言った。

「電話しなさい。」
「はい。」

 どうせバスの時間には間に合わない。テオはゴンザレス署長の電話に掛けた。大統領警護隊と一緒に緊急の仕事に協力しなければならない、と言うと、署長は「仕方がない」と理解する言葉を言った。だが、

ーーもしかして、お前、今から女房の尻に敷かれているんじゃないだろうな?
「はぁ?」
ーーラ・パハロ・ヴェルデの少佐だよ。付き合ってるんだろ?

 静かなので、少佐に筒抜けに聞こえる。テオは恐る恐る少佐の横顔を伺って見た。少佐は微かに口元に微笑を浮かべていた。「女房」とか「付き合っている」とか言われても腹は立たないようだ。

「まだ正式に交際を申し込んでいないんだ。」
ーーさっさと申込め! あんな良い女、他にはいないぞ。お前を本当に大事にしてくれてるじゃないか。

 テオは返答に困って、強引に電話を終えることにした。

「その話はまた後日。兎に角、今週は帰れなくてごめん。」

 電話を切って、少佐を振り返ると、少佐は前を向いたまま、考え事をしている目だった。テオはなんと言って良いのかわからず、一言、ごめんよ、と言った。

「何を謝っているのです?」
「親父が勝手に俺達のことを誤解して・・・」
「貴方は望んでいるのではないのですか?」
「う・・・」

 否定出来ない。でも肯定する勇気が出ない。彼女が彼の拳銃で膨らんでいるポケットを見た。

「嫌いなら、そんな武器を預けたりしません。」

 テオはその言葉にやっと応えた。

「グラシャス。俺も君を守らなきゃな。」

 彼は車のエンジンをかけ、道路に出た。

「何処へ行けば良い?」

 少佐は市街地の古いブロックの名を2、3挙げた。法律スレスレの仕事をしている人々が多く住んでいる、または出没する地区で、夜になると他の地区に住むまともな市民は近づかない。勿論、それらの場所の多くの住民はまともなのだろうけど。”ティエラ”ならベンツで行くような場所ではない。しかし、いつでも強気のケツァル少佐はお構いなしに、その近辺を目的地に選んだ。
 週末の夜だ。街は遅くまで賑やかで明るかった。所謂「無法地帯」も人通りが残っていた。道を通る高級車に無関心なふりをしながら、通り過ぎてしまうと振り返って見ている。
 1軒のバルの前で少佐が停車を命じた。そしてテオに車内に残るよう言いつけ、1人で降りた。店の入り口へ行き、中を覗き込んだ。暫くして彼女は外の壁にもたれかかり、数分後に男が1人出てきた。周囲を見回し、彼女と少し話した。彼女は彼に礼を言ったようだ。男はすぐに店に戻り、少佐も車に戻って来た。

「ぺぺ・ミレレスの所属するグループがわかりました。」

と彼女が報告したのは3軒目のバル訪問の後だった。ペロ・ロホ(赤い犬)と言う不良少年グループがそのまま年を取ったようなギャング団だと言う。テオはアンパロと言う女性が厄介な男と交際し、その彼女にゾッコンになったビト・バスコ曹長がトラブルに巻き込まれたのだと言う考えに至った。
 バスコ兄弟が”ティエラ”なら、大統領警護隊はこの段階で必要な情報を憲兵隊にそれとなく伝えて手を引くのだろう。しかし、兄弟は”ヴェルデ・シエロ”で、奪われたのは大統領警護隊のI Dカードと政府支給の拳銃だ。ケツァル少佐はビト・バスコの命を奪った人間を突き止め、奪われた物を取り返す使命を副司令官から与えられている。本来は遊撃班がこの類の任務に就くのだが、事件の当事者の1人であるビダル・バスコが頼ったのがケツァル少佐だったから、副司令官は彼女に託したのだ。少佐はこの勅命を受けたのが彼女だけなので、部下を巻き込まない。事件が解決する迄文化保護担当部はロホが指揮官となる。

 グラシエラ、当分デートはお預けだぞ

とテオは心の中で呟いた。


2021/12/26

第4部 牙の祭り     15 

  ケツァル少佐は最初にビト・バスコが勤務していた憲兵隊グラダ・シティ本部ではなく、南基地へ行き、顔見知りになったムンギア中尉を呼び出した。そしてアフリカ系の憲兵を知っているかと尋ねてみた。ムンギア中尉は、直接の知り合いではないが、と前置きして、本部にバスコ曹長と言う若い憲兵がいると答えた。評判を訊いてみると、真面目な男だと聞いていると中尉は言った。真面目だが陽気で仲間に好かれているのではないか、と言うのがムンギア中尉の感想だった。これと言った悪い噂はないし、本部で人種差別や虐めがあった話も聞かないと言うことだった。ケツァル少佐は礼を言ってから、ムンギア中尉からこの会見の記憶を消した。
 次に本部へ行き、バスコ曹長と同じ班の憲兵を数名見つけ出し、バスコ曹長の評判を訊いてみた。やはりビト・バスコの評判は良かった。純血種が威張っている大統領警護隊と違い、ミックスの隊員が多い”ティエラ”の軍隊では、黒い肌は問題でなかった。ただ、バスコ曹長は”ヴェルデ・シエロ”なので家族の話を同僚にすることが殆どなく、仲が良い人でさえ彼に双子の兄弟がいて、大統領警護隊で勤務していることも、母親が医師をしていることも知らなかった。
 それで少佐がビトには恋人がいるのかと訊いてみると、初めて手応えがあった。

ーービトはレストランで働いている女性にゾッコンだった。
ーー勤務では冷静な男なのに、彼女のことになると情熱的になって、他のことが目に入らなくなった。
ーー女の方はそんなに彼のことを大事に思っていない風だった。どちらかと言えば、我儘を聞いてくれる都合の良い男扱いをしていた。
ーーあの女は質が悪いから止めろと言ったが、ビトは聞き入れず、逆ギレされたことがある。

 少佐は女の名前や居場所を訊いてみたが、アンパロと言う名前で陸軍基地周辺にあるレストランのウェイトレスだとしかわからなかった。店の名前はセルド・アマリージョ。

「セルド・アマリージョ?」

 思わずテオは叫んでしまった。

「グラシエラがバイトしている店じゃないか!」
「スィ。私も驚きました。それで、憲兵達から記憶を消した後で、あの店に行ってみたのですが・・・」
「彼女は無断欠勤していた。」

 少佐が彼を見つめた。

「何故知っているのです?」
「今日、グラシエラと大学の駐車場で会ったんだ。ここへ来る直前だよ。」

 テオはグラシエラから聞かされたウェイトレスの無断欠勤の件を話した。少佐は少し考え、時計を見てから電話を出した。彼女がかけた相手は、異母妹だった。グラシエラは姉からかかってきた電話にちょっと驚いた様子だった。辞めると言ったバイトを続けていることを、兄に知られたのかと心配した。兄から姉に何か言ってきたのかと危惧したのだ。

「カルロは関係ありません。貴女の無断欠勤している同僚のことです。」
ーーアンパロがどうかしたの?
「彼女はまだ来ていませんね?」
ーー来ていないわ。
「彼女の彼氏の名前を知っていますか?」
ーー彼氏? ちょっと待って、ブルノに訊いてみるわ。

 ブルノ?とテオが訊くと、少佐がバーテンダーだと答えた。電話の向こうで言葉の遣り取りが聞こえ、やがてグラシエラが電話口に戻った。

ーー彼女の彼氏の名前はぺぺよ。ぺぺ・ミレレス。

 ケツァル少佐が眉を顰めた。

「その男は憲兵ですか?」
ーーノ。

 グラシエラが電話口で笑った。

ーーうちの店を出禁になったヤクザよ。ブルノがずっと別れろって言い続けているわ。今日の無断欠勤もきっとぺぺと遊び呆けているんだって、ブルノが言ってる。
「憲兵が彼女の元に来ることはなかったのですか?」
ーー来てたかも。私は土曜日しか働いていなかったから。しつこく付き纏う男がいるってアンパロが文句を言ってたことはあったわ。
「わかりました。グラシャス。早く帰りなさいね。」

 少佐が電話を終えて、テオを見た。テオは彼女と同じことを考えていた。ビト・バスコ曹長はアンパロと言う女性に片思いをした。そして彼女のヤクザな彼氏を彼女から追い払おうと考えたのではないか。しかしヤクザに憲兵の威力は伝わらない。それなら大統領警護隊の威を借りよう、とビトは思い付いたのでは?

第4部 牙の祭り     14

  夕食は魚介類のスープ、バナナチップス、黒豆にライスだった。スープにはエビや貝や白身魚がたっぷり入っていた。飲み物はさっぱり味のフルーツビール。
 テオと少佐はまず食べることを優先した。宴会でない場合は真面目に食べて、家政婦のカーラを早く解放してあげるのだ。彼女は時給ではなく日給で、勤務時間が短くなっても仕事をきちんとしさえすれば少佐は文句を言わない。寧ろ彼女が早く帰宅すれば家族も安心出来るだろうと、考えて家事を言いつける。それにカーラが余計な心配をしないように、彼女がいる間は仕事の話を出来るだけ控えた。
 食事を終えると、テオが先にゲノム解析の話をした。これならカーラに聞かれても大丈夫だ。普通の人が聞いてもチンプンカンプンな内容だからだ。少佐も理解出来ないのでふんふんとわかるふりをして、最後の結論だけ聞いた。

「恐らく、犯人は2人以上だ。刺した人間と爪や牙を使ったヤツは別人だ。」

 テオがそう言った。キッチンの入り口にカーラが姿を現した。コーヒーのお代わりは要りますかと訊いたので、少佐が後は自分でするので帰りなさい、と命じた。カーラは決して雇い主に逆らわない。彼女の主人は軍人で大統領警護隊だ。国家機密を扱う地位の人だから、家政婦が耳にしてはいけない話も多い。だから彼女は少佐が帰りなさいと言った時は素直に帰る。
 テオはアパートの下迄彼女を送り、彼女がタクシーに乗るのを見届けた。普段はそこまで少佐はしないのだが、男性の客達はみんなそうするのが習慣になっていた。
 テオが部屋に戻ると、少佐が実際にコーヒーのお代わりを作っていた。

「今日、ケサダ教授と大学のカフェで出会ったので、俺が大統領警護隊の隊員の兄弟が殺害されたと言ったら、彼はひどく驚いていた。」
「フィデルは事件を知らなかったのですか。」

 少佐はカップにコーヒーを注ぎながら、意外そうに言った。

「俺がビダルとビトがサンボだと言う迄、どの隊員かも知らなかった。母親のことは知っていた様子だったが。」
「それで、ピューマの体毛のことも彼に言いましたか?」
「言った。彼は、ビト・バスコが兄の制服を無断使用した為に、それを知った”砂の民”に警告を含めた制裁を受けたのだろうと言った。」
「つまり、牙や爪の傷をビトに与えたのは、”砂の民”だと彼は考えたのですね。」
「スィ。だが警告だから、殺さない筈だとも言った。少なくとも警告を与えた相手の様子を数日間は観察するだろうって。」
「するとフィデルの考えでは、ビトは”砂の民”から警告を受けた後で、別の人間に刺殺された、と言うことですか。」
「財布と拳銃がなくなっていたから、強盗かも知れない。あれだけの怪我をしていたら、”シエロ”と言えども武器を持った”ティエラ”相手に闘うのは難しかっただろう。」
「奪われたのは財布や拳銃だけではありません。I Dカードも失くなっています。」
「そうだった。だけど、どうして徽章は置いて行ったんだろう。」

 すると少佐は自分の徽章が入ったパスケースをポケットから出して、差し出した。

「触ってみて下さい。」

 テオはケースを受け取り、中から徽章を摘み出そうとした。指先が徽章に触れた瞬間、チクッと指先に痛みが走り、彼は指を退いた。

「なんだ?」

 思わず声を出すと、少佐が微笑してパスケースを彼から受け取った。

「所有者以外の人間には触れないのです。私の徽章にはロホもアスルも触れないし、カルロも触れません。同様に私は彼等それぞれの徽章に触れません。貴方は私達とよく似た脳をお持ちのようですから、徽章に直接触れた時だけ痛みを感じるのです。でも”ティエラ”はこのパスケースそのものにも触れない人がいます。程度は人それぞれですが、針で刺した様な痛みを覚えるのです。」
「参ったな、そんな仕掛けがあるのか、この緑の鳥は。するとビダルの徽章はパスケースに入ったまま残っていたから、I Dカードを盗んだヤツは”ティエラ”である可能性が高いってことだな。」
「ビトはパスケースを触れたので、制服と共に無断借用したのでしょう。」
「兄貴に化けて何をするつもりだったのかな、憲兵君は・・・」

 今度は少佐が自分が調べてきたことを報告する番だ。


第4部 牙の祭り     13

  研究室に戻って分析器が出した遺伝子マップを回収した。これから解読していかなければならない。全く同じなのか違いがあるのか。若いミックスの”ヴェルデ・シエロ”に何が起きたのだろう。
 先に翌週の仕事の準備をしてから、マップ解析にかかろうとすると、ケツァル少佐から電話がかかってきた。

「今、マップ解析に取り掛かろうとした所だ。」

と告げると、彼女は

ーーこちらは少しだけビト・バスコの最後の行動を掴みかけた所です。

と言った。

ーー今夜はうちへ来ていただけませんか。夕食はカーラに用意させます。
「いいね。ワインは要るかい?」
ーー今夜は結構です。気を遣わずに、職場から真っ直ぐ来て下さい。
「わかった。それじゃ、6時半頃になるかな。」
ーー私もその時間に間に合わせます。

 ケサダ教授との会見内容は向こうで告げた方が安全だろうと思えた。電話を終えると、テオはふと思いついて、滅多にかけないカルロ・ステファンの電話にかけてみた。少佐以外の大統領警護隊が、つまり遊撃班が今回の事件の捜査に乗り出していないか聞こうと思った。しかしステファンは既に本部に戻ってしまったらしく、電話は「掛け直せ」と機械の声が応答しただけだった。
 マップをじっと見ていき、目が疲れた頃に終業時間になったので、彼は室内を片付け、ドアを施錠して大学を出た。
 駐車場の車のそばまで来た時、「テオ先生」と声を掛けられた。振り返ると、車の反対側にグラシエラ・ステファンが立っていた。テオは「ヤァ」と微笑み掛けた。

「昨日はアリアナの式に来てくれて有難う。」
「私もお礼を言います。とても良い式でした。」

 彼女はちょっと頬を赤らめた。ロホとの交際を兄に認められたのだろうか。だが、そんなことを言いにわざわざここで待っていたのか?
 すると、彼女が遠慮がちに話を切り出した。

「ちょっとご相談があります。」

 やっぱり。テオは心の中で苦笑した。俺は頼まれ屋か?

「何かな?」
「昨日、ロホに兄と共に家まで送ってもらったんです。」
「うん、知ってる。あの場にいたからね。」
「家に帰ってから、兄に彼との交際を認めて欲しいと言いました。」
「ロホはそこにいたのか?」
「彼が帰った後です。それで、兄が、私がセルド・アマリージョでのバイトを辞めたら認めて良いと言ったんです。」
「カルロは君がそこで働いていることを知ってたのか?」
「昨日のパーティーの客の中に、セルド・アマリージョの常連がいたんです。それで、バイトがバレました。」

 しかし、グラシエラの問題は、兄にバイトがバレたことではなかった。

「今日、私はお店に電話して、バイトを辞めたいと告げたんです。そしたら、支配人が、もう1人女性の従業員がいるんですけど、彼女が昨日無断欠勤して店が大変だったって言いました。もし今日も彼女が来なかったら、手伝いに来て欲しい、新しい人を雇う迄で良いから来てくれないかって。」
「それは困った話だな。」
「私は兄との約束があるので、長くても今週末迄しか働けませんって言いました。」
「つまり、今日と明日だけか。」
「スィ。でもあのお店は結構親切にしてくれて、お給金も良かったんです。だから、お店を困らせたくないな、と思うのですけど、無断欠勤した人が来なくなったら、お店は困るでしょ? 友達に紹介しようと思っていますが、もし新しいウェイトレスが見つからなかったら、先生のお知り合いにも声を掛けて頂けますか?」
「ああ、それなら構わないよ。新しい人が見つかったら連絡してくれ。俺も学生達に声を掛けておく。君の代わりも探した方が良いな?」
「スィ。お店は日曜日と月曜日が休みなので、火曜日から土曜日の勤務ですけど、2人いれば曜日を分けても大丈夫です。」
「それじゃ日替わりのウェイトレスでも良い訳だ。」

 2人は笑って、別れた。車に乗り込んで時刻を見ると、少し遅くなっていた。少佐を待たせてしまうが、グラシエラの頼み事を聞いていたのだと言えば、許してもらえるだろう。

 

 

第4部 牙の祭り     12

「それで、貴方は何を分析しているのです?」

 ケサダ教授に訊かれて、テオは分析器を思い出した。

「遺体の爪の間に残されていた犯人のものと思われる皮膚片と、噛み跡に残されていた唾液と思われる部分を分析してビトを刺した人間とナワルを使った”シエロ”が同一人物かどうか調べているんです。」
「分析しなくても、別人です。」

 ケサダ教授は立ち上がった。

「私は行く所ができました。申し訳ありませんが、これでシエスタを終わらせて下さい。」

 テオも立ち上がった。

「有意義なお話を有難うございます。俺も助かりました。」

 そして彼は、そこで勇気を振り絞って言った。

「実は、大統領警護隊文化保護担当部の友人達に協力してもらって、”ヴェルデ・シエロ”のサンプルを集めているんです。」

 ケサダ教授が無表情で彼を見た。テオは続けた。

「”シエロ”と”ティエラ”の違いではなく、部族毎の違いをDNAで確認出来ないかと思って。例えば、”ティエラ”でも白人、黒人、黄色人種、それぞれに差があるでしょう。白人でも祖先の出身地によって差異がある。ですが、サンプルを提供する人が少なくて、まだ何もわかっていないのですけどね。純血種のグラダとブーカ、オクターリャはサンプルが手に入りました。メスティーソの3人が難しいんです。カルロ・ステファンはグラダの血が濃いですが、ブーカと白人の血が入っています。純血種と比較して時間をかければ分析出来るでしょう。マハルダ・デネロスもブーカと白人、”ティエラ”のメスティーソが入っていて、このメスティーソの部分が難しい。 ”ティエラ”のセルバ人がどの部族か分析が必要です。一番厄介なのが、アンドレ・ギャラガで、彼は父親が白人ってことですが、実際にどんな白人なのかわからない。母親は彼にブーカだと言っていたそうですが、ステファンが母親の名前はカイナ族だと言うのです。なので、カイナ族のサンプルもこれから集めないといけません。」
「失礼、話が読めませんが?」

 教授に遮られて、テオは急いでまとめた。

「ミックス達の遺伝子を分析して、彼等の能力開発訓練に使えないかと思って。どの部族の力を遺伝しているかわかれば、指導者も訓練の強化すべきところ、伸ばすところがわかるでしょう?」
「成る程。それで?」
「でね、もしよろしければ、教授のサンプルも採らせていただければ、と思って。マスケゴ族のサンプルがまだないのです。」
「グラダとブーカとオクターリャの違いはもうわかるのですか?」
「ノ、まだです。出来るだけ大勢から集めないと、個性なのか部族の特徴なのか、わからないですから。」

 ケサダ教授はドアに歩み寄り、鍵を開けた。そしてドアを開いた。

「今抱えておられる事件が解決したら、考えてみましょう。」

 目で「出ていけ」と言った。テオは拒否された、と感じた。それでも微笑して、

「気が変わったら、いつでも研究室に来て下さい。頬の内側を綿棒で擦るだけですから。」

と言って、考古学教授の部屋から退散した。

 

第4部 牙の祭り     11

  他の教授や講師の部屋に入るのは、ちょっとしたワクワク感があった。それぞれの性格が狭い部屋の中に詰め込まれている。テオは宗教学部のウリベ教授の部屋を訪問したことがあった。民間信仰を研究しているウリベ教授の部屋には呪いや祈祷に使用される人形や道具が雑然と置かれていて、どんな基準で置かれているのか、テオは理解出来なかった。
 フィデル・ケサダ教授の部屋は、想像を裏切らず、きちんと整頓されていた。ガラス扉が付いた棚に遺跡からの出土物の破片が綺麗に並べられ、どれもラベルが付いていた。書棚も同じ大きさ、同じシリーズ毎に書籍が並んでいた。まるで図書館か博物館だ。
 教授はドアの外側に「シエスタ」と書かれた札をぶら下げ、テオが中に入るとドアを閉めて中から施錠した。そしてテオに訪問者用のパイプ椅子を勧めた。彼自身の椅子もモダンな事務用チェアで、飾り気がなかった。デスクトップとラップトップのパソコンが机の上にあったが、それを彼は傍へ押し退け、テオに机に近づくよう言った。

「”ヴェルデ・シエロ”を殺せるのは”ヴェルデ・シエロ”だけだと思うのは、自惚れだと承知していますが、私は日頃そう考えています。」

と教授は言った。テオは頷いた。

「俺も同じです。遠くから狙撃しても、あなた方は気がついて銃弾を空中で破壊してしまう。」
「殺された憲兵はどんな死に方をしたのです?」

 テオは昨夜の遺体を脳裏に思い浮かべた。

「無惨でした。全身が爪と牙で傷付けられていました。ですが、致命傷は右脇腹、肝臓を刃物で刺された物です。恐らく、爪と牙の傷で衰弱していたところを刺されて、自力で治せず、失血死したものと思われます。」
「貴方はその死骸をご覧になった?」
「スィ。」

 テオは、結婚式帰りにビダル・バスコ少尉に出会った話から説明を始めた。ビダルがケツァル少佐と彼に助けを求めてきたこと、兄弟の母親が”ヴェルデ・シエロ”であり医師でもあり、息子の亡骸から犯人の遺留品らしき物を採取してくれたこと、現在それをテオの研究室で分析中であることも語った。

「すると、トーコ副司令官は、ケツァル少佐と貴方に事件の真相究明を命じられた?」
「俺は命じられた覚えはありませんが、ケツァル少佐はそうです。」
「彼女が動けば貴方も動く。」

 教授が微かに苦笑した。

「爪と牙で襲われたなら、その憲兵は変身して応戦する暇がなかった。拳銃で応戦した感じでもなかったのですね?」
「硝煙反応が残っていれば、少佐もビダルも母親も気がついたでしょう。」
「確かに。」
「それから、言い忘れましたが、引き裂かれた制服に残っていたのは、ピューマの体毛でした。」

 教授が眉を上げた。

「ピューマ? ジャガーではなく?」
「スィ、ピューマです。」

 ケサダ教授が考え込んだ。テオは彼が今回の事件に無関係だと確信した。
 やがて、教授がテオに向き直った。

「これは、飽く迄私の推測ですが・・・」

と彼は言った。

「その憲兵は兄から無断で借用した制服で何かをしようとしたのでしょう。恐らく、憲兵ではなく大統領警護隊でなければならない何かです。しかし、バレた。それが彼が何かしようとしたことの相手なのか、それとも彼が偽物の大統領警護隊であることを知った無関係な”ヴェルデ・シエロ”かはわかりません。それで、その、ピューマは・・・」

 教授はまた考えてから、質問した。

「ピューマによる傷は致命傷ではないのですね?」
「防御創も含めて、全身噛まれたり引っ掻かれていましたが、治りかけていたものもあり、どれも深いものではありませんでした。数が多すぎましたが・・・」
「多分、彼は制裁を受けたのです。」
「制裁?」
「勝手に大統領警護隊の制服を使用した罰です。ピューマに襲われたのなら、”砂の民”に制服の無断使用がバレて、罰を受けたのです。初犯だから殺さずに痛めつけて、2度とするなと警告を与えられたのでしょう。」
「では、肝臓を刺したのは?」
「それは別の人間です。”砂の民”が警告を与えた相手をすぐに殺すことはありません。必ず数日は様子を見ます。それに直接己の手を汚す”砂の民”はいません。」
「では、ピューマに痛めつけられて弱っていたビトは、誰か別の・・・財布と拳銃を取ろうとした強盗に刺された可能性もあるのですね?」
「憲兵が不甲斐ないことですが、ピューマに痛めつけられた状態でしたら、”ティエラ”と戦うことも無理だったかも知れませんね。」

 ケサダ教授は少し困ったぞと言う顔をした。

「殺された憲兵と兄の警護隊隊員は、ミックスですね?」
「スィ。サンボです。」
「ああ・・・」

 やっと誰だかわかった、とケサダ教授は言った。

「医者の母親と言うのは、ピア・バスコですね。肌の色が違うと言うことで、メスティーソの”シエロ”達からも冷たい扱いを受けながら、医師になった強い女性です。彼女の子供にそんな不幸が起きたなんて・・・」


第4部 牙の祭り     10

  テオが自宅に帰ると、アスルが出勤の準備をしている所だった。1人で帰って来た家主に彼は「朝飯は?」と訊いただけだった。テオも「食べた」とだけ答え、寝室から仕事鞄を取ってきた。ケツァル少佐からの伝言を彼に聞かせてから尋ねた。

「大学へ行く。君は乗って行くかい? それともロホを待つか?」
「いつも通りに行く。あんたは早過ぎないか?」
「遺伝子の分析中なんだ。機械のお守りをしなきゃね。」

 家を出かけて、テオは立ち止まった。リビングを振り返って質問した。

「ビダルに彼女はいるのかな?」
「俺があいつのプライベイトな生活を知る訳ないだろう。」

 アスルは無愛想に答えた。このツンデレ君が消しゴムを集めているのか。テオは笑いそうになって、急いで外へ出た。
 大学に出勤すると、彼は事務局で鍵を受け取る際に、ケサダ教授は出勤する日かと尋ねた。事務員はパソコンを叩いて、画面を見た。そしていつも通りに来ると答えた。いつも通りならデータ検索しなくても来るとわかるだろう、とテオは思った。
 研究室で分析器が順調に動いていることを確認して、授業の準備をし、残りのビト・バスコの遺物をできる限り分析した。それからケツァル少佐にケサダ教授の遺伝子分析を頼まれていたことを思い出した。まだ教授のサンプルを採取する機会が巡ってこないのだ。
 授業は初級講座だ。主に1年生対象だが、今季から遺伝子工学を学び始めた人もいて、質問が多い授業となった。テオは昨年の植物から今季は動物に対象を変更したので、受講者がやけに多かった。セルバ人はDNAに興味があるのだろうか。彼の授業はアリアナの研究とも関連がある遺伝病に関するもので、人種や親族の判定にはあまり触れない。勿論遺伝病なので親族は関係するが。
 お昼前に研究室に戻り、分析器をチェックした。それから部屋を施錠して、キャンパス内のカフェにお昼ごはんに出かけた。料理をカウンターで選んでいると、ケサダ教授が1人後ろにいたので、声をかけると、同じテーブルで良いですか、と訊かれた。混み合っていたが、教授は何らかの力で既に席取りをしていたのだ。2人掛けのテーブルで向かい合って座った。
 最初に教授からアリアナの結婚の祝辞をもらった。それで、新郎のロペス少佐を知っていますかと尋ねると、直接の知り合いではないが、留学生の手続きなどで名前を耳にすることはある、と教授が答えた。

「たまに在籍だけして、実際には学校へ来ない留学生がいるので、移民・亡命審査室へ報告するのです。密入国ではないが、不法滞在になりますからね。調査するのは少佐の部下の事務官達ですから、私と少佐が直接関わることは現在のところありません。」

 それにしても、とケサダ教授が微笑した。

「外務省出向の大統領警護隊隊員と遺伝病理学のお医者さんがカップルになるのも珍しいですね。」
「少佐は、俺達が亡命する時から彼女に目を留めていたようです。」
「それは油断も隙もあったもんじゃない。」

 ケサダ教授は機嫌良く笑った。テオは笑みを返してから、ちょっと深呼吸して、思い切って言った。

「実は一昨日、憲兵隊の隊員が1人亡くなりました。」

 教授がテオを見たが、その目は何の反応も示さなかった。テオは続けた。

「双子の兄弟が大統領警護隊の少尉なのですが、偶然2人の休暇が同じ日になって、実家で出会ったそうです。憲兵は警護隊の兄に制服交換を持ちかけ、互いの職場の人を騙せるか試してみようと提案したそうです。」
「それは異な提案ですね。」

 とケサダ教授が感想を述べた。

「憲兵隊を誤魔化せるかどうか、わかりませんが、大統領警護隊を騙すのは不可能でしょう。」
「俺もそう思いました。当然兄もそんな誘いに乗らず断ると、弟は腹を立てて口を訊かなくなったそうです。ところが、次の朝、兄が目を覚ますと、弟は姿を消しており、大統領警護隊の制服と何やかんやがなくなっていた。」

 ケサダ教授が食事の手を止めた。明らかに驚いていた。

「制服と何やかんや?」
「IDカード、徽章、財布、それに拳銃・・・」
「それは・・・」

 教授が顔をテオに近づけた。声が小さくなった。

「非常に拙い。身内と雖も、大統領警護隊の物を勝手に持ち出せば犯罪行為です。これは、警察官や消防士でも同じことではありますが。」
「確かに。ですから、兄は必死で弟を探しました。そして見つけられずに昨日の朝、帰宅すると、実家で弟が死んでいるのを発見しました。」

 ケサダ教授は姿勢を元に戻した。黙って己の皿の料理を見ていたが、実際は何も見ていないだろう、とテオは思った。
 やがて教授が言った。

「私の部屋でシエスタなさいませんか?」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...