2021/12/28

第4部 牙の祭り     19

  土曜日の朝は、金曜日の夜の繁華な雰囲気がまだ残っていた。ぐずぐずと店仕舞いを遅らせている屋台に、夜の仕事が終わった人々が集まって何か食べていた。もしかすると、そう言う客を相手にしている早朝営業の屋台かも知れない。

「何か食うか?」

とテオが車を停めると、少佐がさっさと降りて屋台へ行ってしまった。駐車場所がないので、仕方なく車中で待っていると、彼女が湯気の立つピタパンのサンドウィッチとカップ入りのコーヒーを2人分持って戻って来た。店がちゃんとテイクアウト用にカップを運ぶ紙のトレイを用意していたので、1人でも運べたのだ。少し行くと、小さな教会と広場があったので、そこで駐車して朝食を取った。
 食べる量は足りているのだろうか? と少佐を横目で見ると、彼女は既に食事を終えて、コーヒーを飲みながら考え込んでいた。
 テオの携帯にメールが着信した。見るとロホからだった。

ーー起きていますか?

とあった。テオは返信した。

ーー起きて朝飯を食ったところだ。

 その返事は来なかった。と思ったら、少佐の携帯に電話がかかって来た。少佐が画面を見て、電話に出た。

「ブエノス・ディアス。」

と彼女が機嫌良く出たので、ロホからだとわかった。彼女とロホは暫く先住民の言葉で話していた。テオに内緒にしなければならない内容なのかと思っていると、少佐がスペイン語で言った。

「では、800にグラダ市警東署の前で。」

 そして電話を終えて、テオを振り返った。

「これから土曜日の軍事訓練をします。」
「え?」
「今日は諜報活動の練習です。」

 つまり、捜査の応援が加わると言うことだ。

「何人が参加するんだ?」
「今日は2人です。ロホとアスルのみ。学生達は休ませます。今日で終わる訓練とは限りませんから。」
「さっきの電話はその相談?」
「スィ。」

 少佐はちょっと遠くを見る様な目をした。

「今日からカルロが指導師の試しに入ります。デネロスとギャラガは官舎組ですから、”見送り”の儀式をします。大層なものではありません。指導師の試しを受ける人を廊下に並んで見送るだけです。」
「君もやった? その、試しとか見送りとか・・・」
「スィ。ロホも経験しています。シーロも済ませています。少佐以上の階級は全員経験済みですし、ロホの様な優秀な人は中尉でも受けられます。」
「アスルは? 彼も経験していそうだが・・・」

 少佐がクスッと笑った。

「住所不定だったので、受けさせてもらえなかったのです。でも貴方の家で下宿を始めたので、もう少しすればお声がかかるでしょうね。」

第4部 牙の祭り     18

  グラダ・シティ・ホールの広い駐車場の片隅に駐車して仮眠を取った。ここは警察が頻繁にパトロールで回ってくるので犯罪が少ない。とは言うものの車上狙いなどは発生するので、夜間に駐車して休む場合は窓を閉めた方が良い。しかしケツァル少佐はジャングルモードに入っているらしく、窓を全開して寝ていた。羽虫が寄って来ないから、弱い気を放っているのだろう。”ヴェルデ・シエロ”が気を放って休んでいる時は、一般人は近寄り難い気分になるらしく、そばに来ない。少佐の眠りは浅いとテオは判断した。彼女が安心して熟睡出来るのは、やっぱりカルロ・ステファンがそばにいる時だ、とちょっと悔しく思う。その時、彼女が手を伸ばしてきて、彼の手を握った。驚いて振り向くと、彼女はまだ眠ったままだった。だが彼は彼女に声をかけられたような気がした。安心して、信用しているから、と。
 テオも眠りに落ち、次に目が覚めた時もまだ暗かった。少佐に片手を握られているので、空いている手で携帯を出して時間を見た。午前4時半だ。約束は5時だったな。彼は隣に声をかけた。

「少佐、そろそろ行くぞ。」

 彼女が目を開いたので、彼はエンジンをかけた。助手席で彼女が伸びをした。

「お腹空きません?」
「食べてる暇はないだろう。」

 セルバ人でも軍人は時間厳守だ。少佐は自分の携帯の時刻を見て、寝過ごした、とブツブツ呟いた。
 東の空の下の方が明るくなりかけていた。夜中に訪問したプールバーはまだ営業していた。何時もそうなのか、週末だから終夜営業しているのか不明だが、再び階段を降りて行くと、取次の下っ端が2人を見て、すぐに奥へ入って行った。それから代表を連れて来ると、彼等は奥へ来て欲しいと言った。客の面子が変わっていて、騒ぎを大きくしたくないと言うのが彼等の気持ちらしい。それでも先住民の美女と白人男のカップルが堂々と歩いて店奥に入って行くのを男達が好奇心で眺めるのをテオは全身で感じた。
 事務室は、一応経営者の部屋と言う体だった。机の上にパソコンがあるし、店の様子を見る監視カメラのモニターもある。金庫や書類棚もあった。
 代表は椅子を勧めたが、少佐もテオも座らなかった。逆に少佐が相手に座れと言った。

「ぺぺ・ミレレスを見つけたのか?」
「見つけましたが、連れて来れません。」
「何故?」

 代表が眉を八の字に下げた。

「あいつ、警察の死体置き場にいたんで・・・」

 室内の気温が1度ばかり下がった感触だった。少佐が気分を害したのだ。

「何処の警察だ?」
「グラダ市警の東署です。詳細は不明です。そこまで調べる時間がなくて。兎に角、奴は昨日の夕方、東署の管内の公園で死体になってるのを発見されて収容されたんです。俺達がそれを知ったのは、ほんの2時間前で・・・」
「女は?」
「行方不明です。」
「ぺぺはメスティーソか?」
「スィ。先住民だったら、憲兵隊が出しゃばってきますが、警察しか動いていないんで・・・」
「わかった。」

 少佐は素直に退いた。

「手をかけさせて悪かった。」

 体の向きを変えかけると、代表が、「あの・・・」と声をかけた。テオが言った。

「彼女は少佐だ。」
「少佐、もしぺぺの奴を殺ったヤツがわかったら、教えてもらえませんか?」

 テオは思わず言った。

「仕返しを考えているなら、止した方が良い。」
「だが、俺達にも面子がある。」

 少佐が「勝手になさい」と言い、テオに出ようと合図した。

2021/12/27

第4部 牙の祭り     17

  不良グループ、ペロ・ロホの溜り場は古いビルの地下だった。プールバーがあり、テオはケツァル少佐と共にそこへ降りて行った。ドアを開けると広い室内はタバコの煙で霞んでいた。入り口横のデスクにいた男が、新顔の訪問者に警戒心をむき出しにして声をかけようとした。少佐がジロリと見ると、男は大人しく座り直した。室内は音楽がガンガン鳴っていた。
 少佐が「ヘイ!」と声をかけたが、台の周りにいる男達には聞こえていなかった。少佐はテオに「後ろにいて」と言い、パスケースを出し、もう片方の手に拳銃を握って、天井に向かって一発撃った。その場を静かにさせる彼女のいつもの手段だ。きっとこのやり方が好きなのだろう。
 場内が静まり返った。少佐が緑の鳥の徽章が入ったパスケースを前へ突き出して言った。

「大統領警護隊だ。ぺぺ・ミレレスを探している。」

 1分ほど沈黙があった。それから、1人の男が前に出て来た。身なりは良かった。スーツを着ていないが、値が張るジャケットとパンツを身につけていた。靴もピカピカの革靴だ。

「ぺぺは昨日からここに来ていません。彼に何の御用です?」
「彼と彼が交際している女性に聞きたいことがある。」

 男達が顔を見合わせた。居場所を知っているが、教えて良いものか、と言う戸惑いだ。だがセルバ人は相手が何者かわかっている。逆らうと拙い相手だ。代表らしい先刻の男が言った。

「俺達が彼をここへ連れて来ます。」
「何時?」

 相手が答えを躊躇った。するとビリヤード台の上にあった球が突然勝手に転がり出した。飛び跳ねたり、転がったりして、やがて三角形に綺麗に並んだ。
 男達から緊張が漂ってきた。目の前の女は本物の大統領警護隊だ、と悟ったのだ。マジ、やばいじゃん、と言う思いをテオは感じた。
 少佐が時計を見た。そして代表の男に視線を戻した。

「500にここへ連れて来い。もう一度来る。」
「午前5時って意味だ。」

とテオは急いで「通訳」した。ギャングの中には軍人上がりもいるだろうが、一応庶民にわかりやすい言葉に直した方が良い。代表が尋ねた。

「生死問わずですか?」
「生きたままで。」

 少佐は台に視線を向けた。手玉が勝手に三角形に並んだ的球に向かって滑るように転がった。かなりの速度だったので、三角形に集まっていた15個の的球は勢いよく弾かれ、次々と互いにぶつかったり、スカートで跳ね返ったりして、最終的に6つのポケットに全部落ちた。彼女は男達を見回した。

「ぺぺ・ミレレスと彼の女友達を殺さずに連れて来い。これは公務である。」

 彼女が体の向きを変えたので、テオは慌てて道を開けようとした。少佐が目で「先に行け」と合図した。
 ビルから出てベンツに乗り込み、車を出した。角を曲がってビルが見えなくなると、テオは一先ず安堵した。

「あいつら、君が球を動かしただけでビビっていたぞ。」

 ちょっとだけ愉快な気分になった。少佐は反省モードになっていた。

「ちょっと遊んでしまいました。ビリヤードは好きな遊びなので。」
「君とプレイして勝てる人がいるのか?」
「キューを使う時は力を使いません。それにビリヤードは本部で許可されている数少ない娯楽の一つです。屋内競技ですから。」
「それじゃ、俺も何処かで習おうかな。」

 ギャング達は本当にぺぺ・ミレレスとアンパロを連れて来るだろうか。

 

第4部 牙の祭り     16

  ケツァル少佐がこれからヤクザのぺぺ・ミレレスを探しに行くと言うので、テオは思わず「俺も行く」と言ってしまった。少佐が横目で彼を見た。彼は慌てて言った。

「足手まといにはならないから。」

 少佐は溜め息をつき、寝室に行って拳銃を1丁持って来た。彼女自身は常に装備しているから、これは予備の拳銃だ。銃弾の装填を確認して、安全装置を掛け、彼に渡した。車のキーも渡して、ベンツの運転手を彼に無言で命じた。
 外に出て車に乗り込んでから、テオは重大な忘れ物を思い出した。

「ああ、しまった!」
「どうしました?」
「今日は金曜日だ。俺はエル・ティティに帰るつもりだった。」

 少佐が言った。

「電話しなさい。」
「はい。」

 どうせバスの時間には間に合わない。テオはゴンザレス署長の電話に掛けた。大統領警護隊と一緒に緊急の仕事に協力しなければならない、と言うと、署長は「仕方がない」と理解する言葉を言った。だが、

ーーもしかして、お前、今から女房の尻に敷かれているんじゃないだろうな?
「はぁ?」
ーーラ・パハロ・ヴェルデの少佐だよ。付き合ってるんだろ?

 静かなので、少佐に筒抜けに聞こえる。テオは恐る恐る少佐の横顔を伺って見た。少佐は微かに口元に微笑を浮かべていた。「女房」とか「付き合っている」とか言われても腹は立たないようだ。

「まだ正式に交際を申し込んでいないんだ。」
ーーさっさと申込め! あんな良い女、他にはいないぞ。お前を本当に大事にしてくれてるじゃないか。

 テオは返答に困って、強引に電話を終えることにした。

「その話はまた後日。兎に角、今週は帰れなくてごめん。」

 電話を切って、少佐を振り返ると、少佐は前を向いたまま、考え事をしている目だった。テオはなんと言って良いのかわからず、一言、ごめんよ、と言った。

「何を謝っているのです?」
「親父が勝手に俺達のことを誤解して・・・」
「貴方は望んでいるのではないのですか?」
「う・・・」

 否定出来ない。でも肯定する勇気が出ない。彼女が彼の拳銃で膨らんでいるポケットを見た。

「嫌いなら、そんな武器を預けたりしません。」

 テオはその言葉にやっと応えた。

「グラシャス。俺も君を守らなきゃな。」

 彼は車のエンジンをかけ、道路に出た。

「何処へ行けば良い?」

 少佐は市街地の古いブロックの名を2、3挙げた。法律スレスレの仕事をしている人々が多く住んでいる、または出没する地区で、夜になると他の地区に住むまともな市民は近づかない。勿論、それらの場所の多くの住民はまともなのだろうけど。”ティエラ”ならベンツで行くような場所ではない。しかし、いつでも強気のケツァル少佐はお構いなしに、その近辺を目的地に選んだ。
 週末の夜だ。街は遅くまで賑やかで明るかった。所謂「無法地帯」も人通りが残っていた。道を通る高級車に無関心なふりをしながら、通り過ぎてしまうと振り返って見ている。
 1軒のバルの前で少佐が停車を命じた。そしてテオに車内に残るよう言いつけ、1人で降りた。店の入り口へ行き、中を覗き込んだ。暫くして彼女は外の壁にもたれかかり、数分後に男が1人出てきた。周囲を見回し、彼女と少し話した。彼女は彼に礼を言ったようだ。男はすぐに店に戻り、少佐も車に戻って来た。

「ぺぺ・ミレレスの所属するグループがわかりました。」

と彼女が報告したのは3軒目のバル訪問の後だった。ペロ・ロホ(赤い犬)と言う不良少年グループがそのまま年を取ったようなギャング団だと言う。テオはアンパロと言う女性が厄介な男と交際し、その彼女にゾッコンになったビト・バスコ曹長がトラブルに巻き込まれたのだと言う考えに至った。
 バスコ兄弟が”ティエラ”なら、大統領警護隊はこの段階で必要な情報を憲兵隊にそれとなく伝えて手を引くのだろう。しかし、兄弟は”ヴェルデ・シエロ”で、奪われたのは大統領警護隊のI Dカードと政府支給の拳銃だ。ケツァル少佐はビト・バスコの命を奪った人間を突き止め、奪われた物を取り返す使命を副司令官から与えられている。本来は遊撃班がこの類の任務に就くのだが、事件の当事者の1人であるビダル・バスコが頼ったのがケツァル少佐だったから、副司令官は彼女に託したのだ。少佐はこの勅命を受けたのが彼女だけなので、部下を巻き込まない。事件が解決する迄文化保護担当部はロホが指揮官となる。

 グラシエラ、当分デートはお預けだぞ

とテオは心の中で呟いた。


2021/12/26

第4部 牙の祭り     15 

  ケツァル少佐は最初にビト・バスコが勤務していた憲兵隊グラダ・シティ本部ではなく、南基地へ行き、顔見知りになったムンギア中尉を呼び出した。そしてアフリカ系の憲兵を知っているかと尋ねてみた。ムンギア中尉は、直接の知り合いではないが、と前置きして、本部にバスコ曹長と言う若い憲兵がいると答えた。評判を訊いてみると、真面目な男だと聞いていると中尉は言った。真面目だが陽気で仲間に好かれているのではないか、と言うのがムンギア中尉の感想だった。これと言った悪い噂はないし、本部で人種差別や虐めがあった話も聞かないと言うことだった。ケツァル少佐は礼を言ってから、ムンギア中尉からこの会見の記憶を消した。
 次に本部へ行き、バスコ曹長と同じ班の憲兵を数名見つけ出し、バスコ曹長の評判を訊いてみた。やはりビト・バスコの評判は良かった。純血種が威張っている大統領警護隊と違い、ミックスの隊員が多い”ティエラ”の軍隊では、黒い肌は問題でなかった。ただ、バスコ曹長は”ヴェルデ・シエロ”なので家族の話を同僚にすることが殆どなく、仲が良い人でさえ彼に双子の兄弟がいて、大統領警護隊で勤務していることも、母親が医師をしていることも知らなかった。
 それで少佐がビトには恋人がいるのかと訊いてみると、初めて手応えがあった。

ーービトはレストランで働いている女性にゾッコンだった。
ーー勤務では冷静な男なのに、彼女のことになると情熱的になって、他のことが目に入らなくなった。
ーー女の方はそんなに彼のことを大事に思っていない風だった。どちらかと言えば、我儘を聞いてくれる都合の良い男扱いをしていた。
ーーあの女は質が悪いから止めろと言ったが、ビトは聞き入れず、逆ギレされたことがある。

 少佐は女の名前や居場所を訊いてみたが、アンパロと言う名前で陸軍基地周辺にあるレストランのウェイトレスだとしかわからなかった。店の名前はセルド・アマリージョ。

「セルド・アマリージョ?」

 思わずテオは叫んでしまった。

「グラシエラがバイトしている店じゃないか!」
「スィ。私も驚きました。それで、憲兵達から記憶を消した後で、あの店に行ってみたのですが・・・」
「彼女は無断欠勤していた。」

 少佐が彼を見つめた。

「何故知っているのです?」
「今日、グラシエラと大学の駐車場で会ったんだ。ここへ来る直前だよ。」

 テオはグラシエラから聞かされたウェイトレスの無断欠勤の件を話した。少佐は少し考え、時計を見てから電話を出した。彼女がかけた相手は、異母妹だった。グラシエラは姉からかかってきた電話にちょっと驚いた様子だった。辞めると言ったバイトを続けていることを、兄に知られたのかと心配した。兄から姉に何か言ってきたのかと危惧したのだ。

「カルロは関係ありません。貴女の無断欠勤している同僚のことです。」
ーーアンパロがどうかしたの?
「彼女はまだ来ていませんね?」
ーー来ていないわ。
「彼女の彼氏の名前を知っていますか?」
ーー彼氏? ちょっと待って、ブルノに訊いてみるわ。

 ブルノ?とテオが訊くと、少佐がバーテンダーだと答えた。電話の向こうで言葉の遣り取りが聞こえ、やがてグラシエラが電話口に戻った。

ーー彼女の彼氏の名前はぺぺよ。ぺぺ・ミレレス。

 ケツァル少佐が眉を顰めた。

「その男は憲兵ですか?」
ーーノ。

 グラシエラが電話口で笑った。

ーーうちの店を出禁になったヤクザよ。ブルノがずっと別れろって言い続けているわ。今日の無断欠勤もきっとぺぺと遊び呆けているんだって、ブルノが言ってる。
「憲兵が彼女の元に来ることはなかったのですか?」
ーー来てたかも。私は土曜日しか働いていなかったから。しつこく付き纏う男がいるってアンパロが文句を言ってたことはあったわ。
「わかりました。グラシャス。早く帰りなさいね。」

 少佐が電話を終えて、テオを見た。テオは彼女と同じことを考えていた。ビト・バスコ曹長はアンパロと言う女性に片思いをした。そして彼女のヤクザな彼氏を彼女から追い払おうと考えたのではないか。しかしヤクザに憲兵の威力は伝わらない。それなら大統領警護隊の威を借りよう、とビトは思い付いたのでは?

第4部 牙の祭り     14

  夕食は魚介類のスープ、バナナチップス、黒豆にライスだった。スープにはエビや貝や白身魚がたっぷり入っていた。飲み物はさっぱり味のフルーツビール。
 テオと少佐はまず食べることを優先した。宴会でない場合は真面目に食べて、家政婦のカーラを早く解放してあげるのだ。彼女は時給ではなく日給で、勤務時間が短くなっても仕事をきちんとしさえすれば少佐は文句を言わない。寧ろ彼女が早く帰宅すれば家族も安心出来るだろうと、考えて家事を言いつける。それにカーラが余計な心配をしないように、彼女がいる間は仕事の話を出来るだけ控えた。
 食事を終えると、テオが先にゲノム解析の話をした。これならカーラに聞かれても大丈夫だ。普通の人が聞いてもチンプンカンプンな内容だからだ。少佐も理解出来ないのでふんふんとわかるふりをして、最後の結論だけ聞いた。

「恐らく、犯人は2人以上だ。刺した人間と爪や牙を使ったヤツは別人だ。」

 テオがそう言った。キッチンの入り口にカーラが姿を現した。コーヒーのお代わりは要りますかと訊いたので、少佐が後は自分でするので帰りなさい、と命じた。カーラは決して雇い主に逆らわない。彼女の主人は軍人で大統領警護隊だ。国家機密を扱う地位の人だから、家政婦が耳にしてはいけない話も多い。だから彼女は少佐が帰りなさいと言った時は素直に帰る。
 テオはアパートの下迄彼女を送り、彼女がタクシーに乗るのを見届けた。普段はそこまで少佐はしないのだが、男性の客達はみんなそうするのが習慣になっていた。
 テオが部屋に戻ると、少佐が実際にコーヒーのお代わりを作っていた。

「今日、ケサダ教授と大学のカフェで出会ったので、俺が大統領警護隊の隊員の兄弟が殺害されたと言ったら、彼はひどく驚いていた。」
「フィデルは事件を知らなかったのですか。」

 少佐はカップにコーヒーを注ぎながら、意外そうに言った。

「俺がビダルとビトがサンボだと言う迄、どの隊員かも知らなかった。母親のことは知っていた様子だったが。」
「それで、ピューマの体毛のことも彼に言いましたか?」
「言った。彼は、ビト・バスコが兄の制服を無断使用した為に、それを知った”砂の民”に警告を含めた制裁を受けたのだろうと言った。」
「つまり、牙や爪の傷をビトに与えたのは、”砂の民”だと彼は考えたのですね。」
「スィ。だが警告だから、殺さない筈だとも言った。少なくとも警告を与えた相手の様子を数日間は観察するだろうって。」
「するとフィデルの考えでは、ビトは”砂の民”から警告を受けた後で、別の人間に刺殺された、と言うことですか。」
「財布と拳銃がなくなっていたから、強盗かも知れない。あれだけの怪我をしていたら、”シエロ”と言えども武器を持った”ティエラ”相手に闘うのは難しかっただろう。」
「奪われたのは財布や拳銃だけではありません。I Dカードも失くなっています。」
「そうだった。だけど、どうして徽章は置いて行ったんだろう。」

 すると少佐は自分の徽章が入ったパスケースをポケットから出して、差し出した。

「触ってみて下さい。」

 テオはケースを受け取り、中から徽章を摘み出そうとした。指先が徽章に触れた瞬間、チクッと指先に痛みが走り、彼は指を退いた。

「なんだ?」

 思わず声を出すと、少佐が微笑してパスケースを彼から受け取った。

「所有者以外の人間には触れないのです。私の徽章にはロホもアスルも触れないし、カルロも触れません。同様に私は彼等それぞれの徽章に触れません。貴方は私達とよく似た脳をお持ちのようですから、徽章に直接触れた時だけ痛みを感じるのです。でも”ティエラ”はこのパスケースそのものにも触れない人がいます。程度は人それぞれですが、針で刺した様な痛みを覚えるのです。」
「参ったな、そんな仕掛けがあるのか、この緑の鳥は。するとビダルの徽章はパスケースに入ったまま残っていたから、I Dカードを盗んだヤツは”ティエラ”である可能性が高いってことだな。」
「ビトはパスケースを触れたので、制服と共に無断借用したのでしょう。」
「兄貴に化けて何をするつもりだったのかな、憲兵君は・・・」

 今度は少佐が自分が調べてきたことを報告する番だ。


第4部 牙の祭り     13

  研究室に戻って分析器が出した遺伝子マップを回収した。これから解読していかなければならない。全く同じなのか違いがあるのか。若いミックスの”ヴェルデ・シエロ”に何が起きたのだろう。
 先に翌週の仕事の準備をしてから、マップ解析にかかろうとすると、ケツァル少佐から電話がかかってきた。

「今、マップ解析に取り掛かろうとした所だ。」

と告げると、彼女は

ーーこちらは少しだけビト・バスコの最後の行動を掴みかけた所です。

と言った。

ーー今夜はうちへ来ていただけませんか。夕食はカーラに用意させます。
「いいね。ワインは要るかい?」
ーー今夜は結構です。気を遣わずに、職場から真っ直ぐ来て下さい。
「わかった。それじゃ、6時半頃になるかな。」
ーー私もその時間に間に合わせます。

 ケサダ教授との会見内容は向こうで告げた方が安全だろうと思えた。電話を終えると、テオはふと思いついて、滅多にかけないカルロ・ステファンの電話にかけてみた。少佐以外の大統領警護隊が、つまり遊撃班が今回の事件の捜査に乗り出していないか聞こうと思った。しかしステファンは既に本部に戻ってしまったらしく、電話は「掛け直せ」と機械の声が応答しただけだった。
 マップをじっと見ていき、目が疲れた頃に終業時間になったので、彼は室内を片付け、ドアを施錠して大学を出た。
 駐車場の車のそばまで来た時、「テオ先生」と声を掛けられた。振り返ると、車の反対側にグラシエラ・ステファンが立っていた。テオは「ヤァ」と微笑み掛けた。

「昨日はアリアナの式に来てくれて有難う。」
「私もお礼を言います。とても良い式でした。」

 彼女はちょっと頬を赤らめた。ロホとの交際を兄に認められたのだろうか。だが、そんなことを言いにわざわざここで待っていたのか?
 すると、彼女が遠慮がちに話を切り出した。

「ちょっとご相談があります。」

 やっぱり。テオは心の中で苦笑した。俺は頼まれ屋か?

「何かな?」
「昨日、ロホに兄と共に家まで送ってもらったんです。」
「うん、知ってる。あの場にいたからね。」
「家に帰ってから、兄に彼との交際を認めて欲しいと言いました。」
「ロホはそこにいたのか?」
「彼が帰った後です。それで、兄が、私がセルド・アマリージョでのバイトを辞めたら認めて良いと言ったんです。」
「カルロは君がそこで働いていることを知ってたのか?」
「昨日のパーティーの客の中に、セルド・アマリージョの常連がいたんです。それで、バイトがバレました。」

 しかし、グラシエラの問題は、兄にバイトがバレたことではなかった。

「今日、私はお店に電話して、バイトを辞めたいと告げたんです。そしたら、支配人が、もう1人女性の従業員がいるんですけど、彼女が昨日無断欠勤して店が大変だったって言いました。もし今日も彼女が来なかったら、手伝いに来て欲しい、新しい人を雇う迄で良いから来てくれないかって。」
「それは困った話だな。」
「私は兄との約束があるので、長くても今週末迄しか働けませんって言いました。」
「つまり、今日と明日だけか。」
「スィ。でもあのお店は結構親切にしてくれて、お給金も良かったんです。だから、お店を困らせたくないな、と思うのですけど、無断欠勤した人が来なくなったら、お店は困るでしょ? 友達に紹介しようと思っていますが、もし新しいウェイトレスが見つからなかったら、先生のお知り合いにも声を掛けて頂けますか?」
「ああ、それなら構わないよ。新しい人が見つかったら連絡してくれ。俺も学生達に声を掛けておく。君の代わりも探した方が良いな?」
「スィ。お店は日曜日と月曜日が休みなので、火曜日から土曜日の勤務ですけど、2人いれば曜日を分けても大丈夫です。」
「それじゃ日替わりのウェイトレスでも良い訳だ。」

 2人は笑って、別れた。車に乗り込んで時刻を見ると、少し遅くなっていた。少佐を待たせてしまうが、グラシエラの頼み事を聞いていたのだと言えば、許してもらえるだろう。

 

 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...