2021/12/30

第4部 牙の祭り     24

  まだ日が高い時刻にプールバーに行くと、営業前だった。ケツァル少佐は勝手に解錠して中に入った。入り口カウンターの上に置かれているベルを叩くと、奥から男が1人出て来た。テオも少佐も彼に見覚えがなかったが、向こうは覚えていたらしく、こちらの顔を見ると慌てて奥へ引っ込んだ。
 奥へは行かず、少佐が壁にかけられていたキューを手に取り、眺めた。テオも1本手に取った。玉を出して台に置くと、代表が現れた。少佐がチラリと彼を見て、言った。

「1回だけ遊ばせろ。」

 代表が頷き、彼は部屋の隅の椅子に座った。
 テオは少佐からビリヤードの手解きを受けた。元から理解と身体能力は高い。直ぐに要領を覚えた。もう1回だけ遊ばせろと、テオが要求すると、代表が少佐を見た。少佐が代表に言った。

「貴方が相手をしてあげろ。」

 代表が舌打ちして立ち上がった。
 勝負は愉快だった。テオは病みつきになるかも、と心の内で危惧した。流石に相手はプロ級の腕前で、テオは負けた。

「君の名前は何て言うんだ?」
「ラファエル。」
「ラファエル、次に会う時は勝たせてもらうぞ。」

 彼の言葉に代表はフンと鼻先で笑っただけだった。そしてケツァル少佐を見た。

「ラ・パハロ・ヴェルデの少佐、今日は何の御用ですか? ぺぺを殺ったヤツの名前でも教えに来てくれたんですか?」
「教えてどうなると言うのか?」

 少佐が何か言いかけたが、テオが遮った。

「ぺぺの彼女のアンパロは今何処にいるんだ? 彼女も狙われるかも知れないぞ。」

 ラファエルは彼と少佐を交互に眺めた。

「まだ犯人を掴めていないんだな。」

と彼は呟いた。少佐が言った。

「見当はついている。」

 彼女は台の上に球を全部戻した。手を使わずに。

「貴方はぺぺが何故死んだのか理由を知っているのか?」
「あいつは・・・」

 ラファエルがちょっと言い淀んだ。しかし少佐と目が合いそうになり、慌てて顔を背けた。

「アンパロにつきまとっていた憲兵と話をつけると言って出かけて、それっきりだった。俺達は憲兵があいつを殺ったと思っていた。だが・・・」
「バスコ曹長も死んでいたので、困惑しているのだな。」
「スィ。」
「アンパロは何処にいる?」

 黙り込むラファエルにケツァル少佐は言った。

「憲兵はアンパロに好意を持っていた。しかし彼女はぺぺを選んだ。ぺぺは殺され、憲兵も死んだ。アンパロが無事で済むと思っているのか?」
「彼女は・・・。」

 ラファエルは少佐を避けてテオを見た。

「あの女はいつも自慢してました。彼女の家族は”シエロ”に守られてるって・・・」

 テオは少佐を見た。ケツァル少佐が「ほう」と言いたげな顔をした。

「アンパロの家族は”シエロ”に守られていると言ったのか?」
「スィ。それが彼女の自慢でした。だからぺぺ以外の男は彼女に手を出さなかった。それが、あの憲兵は無視したんです。」

 少佐がラファエルの襟首を掴んだので、テオはびっくりした。ギャング団の代表が青ざめた。

「アンパロは先住民か?」
「ノ。俺達と同じメスティーソです。」
「親は?」
「親もメスティーソです。あの・・・政府の偉いさんの家で働いている使用人です。」
「その偉いさんとは、誰だ?」



第4部 牙の祭り     23

  もしビト・バスコ曹長が双子の兄弟が大統領警護隊で勤務していると憲兵隊の同僚に話していたら、彼は死なずに済んだかも知れない、とケツァル少佐は言った。

「彼は彼なりに兄に引け目を感じてしまっていたのでしょう。何故兄が選ばれて彼は選ばれなかったのか、彼はきっと悩んだに違いありません。それに大統領警護隊に入ると言うことは、一般の軍人に兄弟が特殊な能力を持っていると教えることになります。双子ですから、選ばれなくても同じ力を持っていると思われる。ビトは友人を失いたくなかったでしょうし、兄より劣っていると思われたくもなかった。だからビダルの勤務先を秘密にしていたに違いありません。」
「だけど、何らかの理由で大統領警護隊のふりをする必要が生じた?」
「ビトにとって必要だったのでしょう。でも理由を兄に言いたくなかった。」
「極めて個人的理由だな。」

 テオは考えて、若者の頭の中を想像した。

「アンパロと言う女性に片思いしたことが関係していると思う。」

 アンパロは陸軍基地の兵士達が多い地区の飲食店で働いている。憲兵も当然客として通う。ビトは彼女に恋をした。しかし彼女にはぺぺ・ミレレスと言うヤクザの恋人がいた。彼女はビトに興味がなくて追い払おうとした。憲兵隊の曹長ごときでは靡かないと言う態度を示した。それで、ビトはビダルと帰省が同じになった時、兄の制服とIDを持ち出した。兄のふりをして、大統領警護隊なら彼女の気を引けると思ったか?
 テオはこの考えを少佐に語り、それから別の考えも披露した。
 アンパロはビトにぺぺと別れたいと言った。彼女は店のスタッフ達にぺぺと別れたいと言っていないから、勿論嘘だ。ビトとぺぺを対決させてぺぺにビトを追い払わせようとした。ビトは憲兵としてぺぺにアンパロと別れろと言ったが、効果がなかった。ヤクザは階級が低い憲兵の若造を相手にしなかった。それでビトはビダルのふりをしてもう一度ぺぺと対決しようとした。大統領警護隊ならヤクザも退くからだ。
 それから3つ目の考えを語った。
 アンパロが振り向いてくれないので、ビトは兄が大統領警護隊にいると彼女に明かした。それで彼女の気を引こうとした。彼女が証拠を見せろと言った。だからビトは一晩だけのつもりで兄の制服とI Dを持ち出した。
 ケツァル少佐が考え込んだ。テオが出した3つの説はありそうでなさそうだ。

「やはりアンパロを探し出さないことには、ビトがビダルの制服を持ち出した理由がわかりませんね。」
「アンパロはまだ姿を現さないのだろうか? ケサダ教授にビダルのIDカードなどを誰から受け取ったのか聞きたいが、あの人は語ってくれそうにないだろう?」

 少佐が家の外に出ようと合図した。
 外はまだ明るく、太陽が照りつけていた。日陰に入り、少佐が電話をかけた。相手はアスルだった。

「状況は?」
ーーバスコ少尉が警備班の指揮官と共に副司令官のところへ行っています。
「ロホは?」
ーーカルロの試しが始まったので、ちょっと覗き見に行ってます。上官に見つかるとやばいですが・・・
 
 テオは笑いそうになって我慢した。ロホは親友が難関試験を乗り越えられるか心配なのだ。カルロ・ステファンは1ヶ月間太陽を見られない地下神殿で修行をする。どれだけ緊張しているか、ロホは気になったのだろう。

「覗き見は良い趣味ではありませんね。」

と少佐が言った。

「ところで、こちらへバスコ少尉を連れて戻ったら、どちらか1人が彼に付いていて下さい。彼は葬儀が終わる迄は母親のそばにいるでしょうけど、埋葬が済んだら何を仕出かすかわかりません。」
ーー私が付きます。
「ではお願いします。それでは、ロホはケサダ教授のところへ行って、先刻の封筒の中身を誰から手に入れたのか聞いて来るように。」

 電話の向こうでアスルがちょっと笑った。

ーーバスコを選んで良かったです。

 少佐も苦笑した。

「フィデル・ケサダは手強いですよ。くれぐれも怒らせるなとロホに伝えなさい。今期アンドレが人質になっていますからね。」
ーーアンドレの担当教官はムリリョ博士でしょう?
「実際に教授するのはケサダですよ。」

 少佐はこれからギャング団のペロ・ロホのところへ行くとアスルに告げて電話を終えた。テオが尋ねた。

「アンパロの居場所をギャングに訊きに行くのか?」

 少佐が頷いた。



第4部 牙の祭り     22

  ランチを済ませると全員でジープに乗ってピア・バスコの診療所兼住居に行った。診療所は休業しており、住宅の方では早くも弔問客が来ていた。ロホとアスルを車に残し、ケツァル少佐とテオは家の中に入った。リビングで遺族に挨拶していたのは、殆どが近所の住民だ。双子の兄弟が幼い頃から知っている人々や、母親が開業してから世話をしてきた患者やその家族だろう。ピアと同居している恋人が客の応対をしていた。恋人の男は白髪混じりの男性で、やはり医師だと言うビダルの証言を裏切らず、しっかりした様子でピアを支えていた。
 ビダルは部屋の隅に座っていたが、テオと少佐を見ると立ち上がった。少佐が”心話”で何かを伝えると、彼は身振りで別室を差した。
 案内された部屋はユーティリティルームで、恐らくお手伝いを雇っているのだろうが、その人は弔問客に出す飲み物や軽食の準備で忙しく、キッチンの方にいた。ビダルはドアを閉め、テオと少佐を見た。

「何か分かりましたか?」

 少佐が茶封筒を出した。

「中身を確認して下さい。」

 ずっしり重量がある紙袋を受け取って、ビダルはハッとした表情を見せた。馴染みのある重量だ。彼はそばの家事台の上に袋の中身を広げた。IDカードが入ったパスケース、財布、その中の運転免許証、拳銃、そして弟の携帯電話。現金がなくなっていることは気にならないようだ。そんなことを気にする次元の話ではないからだ。テオが尋ねた。

「君の物で間違いないな?」
「スィ、私のI Dカードと拳銃、免許証です。そしてビトの携帯・・・」

 ビダルは拳銃を手にして、中の弾倉を開けた。そして少佐に顔を向けた。

「弾は私が装填した時のままです。」

 少佐が頷いた。少なくとも拳銃が何らかの犯罪に使用された形跡はない訳だ。

「これは何処で? 誰が持っていたんですか?」

 当然の質問が来た。テオが答えた。

「それは言えないんだ。俺たちも知らない。ある人がさっき持って来てくれたんだ。その人も多分、遣いだと思う。昨日の午後まで事件のことを何も知らない人だったから。」

 ビダルが何か言いたそうにしたが、少佐が遮った。

「事件の真相はまだ捜査しなければなりません。ただ貴方の所持品は戻りました。出来れば今すぐにこれらの物を持って、本部へ帰還し、指揮官に報告しなさい。貴方がどう行動すべきかは、貴方の上官が指図します。」

 テオは言い添えた。

「警察でも憲兵隊でも、被害者の身内は捜査に参加出来ないからな。」
「承知しています。」

 ビダルは何かを耐える声で応えた。

「しかし、私は母を1人にしたくない・・・」
「まだ休暇中ですね。上官に奪われた物を回収した報告をして、母親に付き添う旨を申し出なさい。大統領警護隊は不幸に見舞われた隊員に勤務を強制するような酷いところではありません。」

 ケツァル少佐にキッパリ言われて、ビダル・バスコ少尉は敬礼した。そして喪服の上着の下に拳銃を隠し、その他の小物も内ポケットに入れると、再び敬礼して居間へ出て行った。テオと少佐も小部屋から出た。ビダルが母親に”心話”で何か伝え、それから彼女をハグし、母親の恋人に何か言ってから、テオ達の方を見た。少佐がテオに言った。

「ここにいて下さい。すぐに戻ります。」

 彼女はビダルを連れて外へ出た。数分後に戻って来たので、ロホ達のジープに彼を乗せたのだとわかった。ロホとアスルはビダルを本部へ連れて行き、また連れ戻って来る予定なのだ。
 テオはお手伝いさんと思われる女性からトレイを差し出され、カクテルの様な飲み物を2つ取った。そばに来た少佐に一つ渡し、室内を見回した。居間は花が飾られ、奥に棺がある。母親と恋人はその棺の前に座って弔問を受けているのだ。近所の世話焼きおばさん達がお手伝いさんを手伝って働いていたり、客の相手もしている。見る限り怪しい人物はいない。死んだぺぺ・ミレレスが本当に刺殺犯なのか否か、まだ不明だ。ミレレスの遺体からサンプルが採れれば良いのだが。
 客達がざわついた。家の入り口を見ると、憲兵が2人入って来た。若い隊員だ。ピアが立ち上がり、彼等を迎えた。憲兵達は弔問の言葉を述べ、1人がピアをハグした。もう1人はピアの恋人に頼んで棺の中を見せてもらった。顔を検めたのだ。遺体の顔はピアが化粧して傷を隠している筈だ。憲兵を誤魔化せるだろうか。
 棺の中を見た憲兵は、棺に向かって敬礼した。母親をハグした同僚と交代し、彼もピアをハグした。
 少佐がテオに囁いた。

「ビトと仲が良かった同僚達です。きっと巡回勤務の途中ですね。正式の弔問ではない筈です。」

 2人の憲兵は改めて敬礼して、外へ出て行った。テオは呟いた。

「ビダルがいなくて良かったな。」

 少佐が彼を振り返った。

「そう言えば、ビトは双子の兄弟が大統領警護隊にいることを僚友に教えていませんでしたね。もしビダルがここにいたら、彼等はどんな反応をしたでしょう。」



2021/12/29

第4部 牙の祭り     21

  何気なくカフェの出入り口の方へ視線を向けたアスルが、「え?」と言う表情をした。彼が驚く顔を見せるのは滅多にないので、テオもケツァル少佐もロホも、同じ方向を見た。そして全員が「え?」と思った。
 滅多に見せない普段着姿でグラダ大学考古学部教授フィデル・ケサダが店に入ってきた。彼は店内を見回し、テオと文化保護担当部の3人を見つけると、まっすぐやって来た。4人用のテーブルだ。一番階級が低いアスルが素早く立ち上がった。しかし教授は手で「座れ」と合図して、テーブルの横に立つと、ケツァル少佐の前に茶色の大判封筒を置いた。ゴツンと鈍い音がした。中に硬い物が入っているのだ。少佐が彼を見上げると、教授は目を逸らし、くるりと体の向きを変えて歩き去った。テオ達は無言で、彼の後ろ姿を彼が店から出て見えなくなる迄見つめていた。
 やがて、彼等の視線はテーブルの上の茶封筒に注がれた。少佐が封筒を掴み、そこそこ重量がありそうなそれを逆様にした。封をしていない封筒から、プラスティックのパスケースに入ったI Dカード、使い込まれた革財布、携帯電話、拳銃が出て来た。ロホが素早く拳銃を掴み、軍服のベルトに差した。少なくとも、座っている間は他の客や店のスタッフに見えない。少佐がパスケースを掴み、中のI Dカードを見た。そしてテーブルの上に置いた。ビダル・バスコ少尉の顔写真が印刷されていた。テオは財布を手に取り、中を検めた。現金は小銭しかなかったが、ビダル・バスコ少尉の運転免許証が入っていた。アスルは携帯電話を掴み、パスワードを2、3試し、ロック解除した。

「ビトの携帯電話です。」

 彼の囁きに、彼等はまた互いの顔を見合わせた。何故、ケサダ教授がこんな物を持って来たのだ?
 ロホが囁いた。

「教授は犯人をご存知ですね。ピューマも刺殺犯人も。」

 テオが追加した。

「きっとミレレスを轢き逃げさせた人も誰だか知っていると思う。」

 少佐が彼に確認した。

「ケサダは、貴方が事件の話を大学で彼に話す迄、何も知らなかったのですよね?」
「うん、驚いていたから、絶対にあの時迄何も知らなかった筈だ。だが、俺と話をしている時に、急用を思いついて俺を部屋から追い出した。」
「その時、犯人に心当たりがあったんだろう。」

とアスルが呟いた。

「あの先生は、よくわからん。俺は一度も”心話”を許してもらったことがない。」
「私はある。だが、常に情報をセイブされて必要なことしか教えて下さらない。」

 ロホもケサダ教授がガードの固い人である意見に同意した。ケツァル少佐はまだI Dカードを眺めていた。テオが仲間が忘れている人物を思い出した。

「ミレレスの彼女、アンパロはどうしたんだろ?」


第4部 牙の祭り     20

  なんとなく衣服が汗でベチャベチャな感触で気持ちが良いと言えなかったが、時間がないので着替えに帰宅出来ない。テオは”ヴェルデ・シエロ”達がいつも平然としていられるのが羨ましい。アスルは暑いと言わないが暑い筈で、彼等だって汗をかくのだ。平然としていられる訓練も受けるのだろうか。ケツァル少佐は汗すらかかないかの様に泰然として、グラダ・シティ警察東署の前へ車を運んだ。
 驚いたことに、ロホとアスルが軍服で大統領警護隊のジープで来ていた。訓練だから、それなりの装備だ。ジープは本部から持ち出したとしか思えない。正規の任務でもないのに、と思い、テオは思い直した。文化保護担当部が指揮官の命令ですることは全部正規任務なのだ。
 ケツァル少佐は車から降りてジープの助手席のロホのところへ行った。”心話”で情報を与え、無言で意見交換を行い、5分で戻って来た。

「私達は一旦帰りましょう。警察での捜査はアスルが行います。」
「ロホは?」
「車の番。」

 つまり上官なのでロホは部下の仕事を監視するのだ。テオは納得して、ベンツを西サン・ペドロ通りへ向けた。
 少佐をアパートで下ろし、彼は自分の車に乗って帰宅した。彼女から連絡がある迄休憩だ。シャワーを浴び、着替えてリビングのソファに横になって遺伝子マップを眺めた。彼の才能は遺伝子マップの解析能力だ。普通の遺伝子学者達が数日かかる分析を半日あればやってしまう。驚異的なスピードで2つのマップを対比しながら見ていった。
 ケツァル少佐から電話がかかって来た時、彼は既に2つのサンプルの人間が別人であることを判定していた。

ーーお休みでしたか?
「ノ、遺伝子マップを解析していた。ビト・バスコを襲ったピューマと、彼を刺し殺した人間は別人だ。殺人犯は”ティエラ”だ。」
ーー間違いありませんか?
「ない。」
ーーでは、これからランチしながら報告会としましょう。来られますか?
「スィ。」
ーーでは、カフェ・デ・オラスに行くので、私が貴方を拾います。

 文化・教育省が入っている雑居ビル1階のカフェだ。日曜日以外は営業している、文化・教育省の職員食堂扱いされているカフェだが、実際は普通の民間の店だ。ここのスタッフは客が何者であろうと気にしない。文教大臣が秘書と政策に関する相談をしても無視しているし、田舎から陳情に出て来た先住民がテーブルで奇妙な儀式みたいな行動を取っても見ぬふりをする。当然文化保護担当部が任務の話をしても聞いていない・・・ふりをしている。
 この店が特別なのではない。セルバ人は他人のプライバシーに踏み込まないのだ。逆に言うと、助けて欲しい時ははっきり助けを求めないと無視される。
 テオは少佐のベンツに同乗して文化・教育省の駐車場へ行った。大統領警護隊のジープが駐車していた。他の車も数台駐車していたが、見慣れない車ばかりだったので、職員ではなく無関係な人が休日の空いている場所に車を停めただけだ。
 ロホとアスルは先にテーブルを確保していた。店内は予想以上に混雑していた。雨季明けで田舎から都会へ出て来た人が多いのだろう。
 料理を注文してから、ロホがアスルに「報告」と命じた。隊員だけなら”心話”だけで済むが、テオがいるので言葉が必要だ。アスルは特に嫌がる様子もなく、警察でわかったことを報告した。
 ぺぺ・ミレレスは東署管内の緑地帯で死体になって発見された。道路横を細長く伸びている植え込みや芝生のベルト状公園だ。そこで彼は昨日の午後4時頃に死んで転がっていた。傷の状態から判断して、警察では交通事故で車に轢き逃げされたと結論づけた。所持品はぺぺ自身の運転免許証、携帯電話と財布だけだった。何者かに奪われたビダル・バスコのI Dカード、財布、拳銃は所持していなかった。ビト・バスコの携帯電話も持っていなかった。

「ただ、彼の死体があることを通報する電話が警察にかかってきたのですが、誰がかけたのかは不明です。ミレレスの電話が使われたからです。」
「それ自体は別に怪しくない。」

とロホが言った。しかしアスルは不思議なことを言った。

「ミレレスがトラックに撥ねられるのを目撃した通行人は数人いました。彼等はトラックの特徴を覚えていました。だが、彼の死体に近づいて彼の携帯電話に触った人間の風態を覚えている人が1人もいない。」

 1分程テーブルを沈黙が支配し、それからテオが尋ねた。

「通報した人は、救急車を呼ばなかったんだな?」
「呼んでいない。ミレレスが死んだことを確認したのだろう。」

 少佐が呟いた。

「”シエロ”ですね。」

 テオは”心話”が出来ないが、この時3人の大統領警護隊隊員の考えが理解出来た。ミレレスは、消されたのだ。彼の体に直接触れることなく、何らかの気の作用でトラックを操作して彼を轢かせた。
 ロホがアスルの捜査中に独自に電話やネットで調査した結果を報告した。

「ピア・バスコ医師が、昨日の午後憲兵隊本部に息子のビトが病死したと届けを出しました。」
「病死・・・」
「ピューマに襲われた上に、刺されて死んだなんて、不名誉な事実を公にしたくなかったのでしょう。彼女は医者ですから、検死報告も提出しました。本部は隊員の突然の死去にショックを受けています。今夜通夜を行い、明日葬儀です。公務での死去ではないので、公葬ではありません。」
「葬儀はビダルも出ますね?」
「出ます。大統領警護隊は隊員の家族の死去なので、花を贈ります。」

 ビダルはまだ弟に盗まれた物を取り返していない。きっと針の筵に座っている気分だろう。



 

 

 

2021/12/28

第4部 牙の祭り     19

  土曜日の朝は、金曜日の夜の繁華な雰囲気がまだ残っていた。ぐずぐずと店仕舞いを遅らせている屋台に、夜の仕事が終わった人々が集まって何か食べていた。もしかすると、そう言う客を相手にしている早朝営業の屋台かも知れない。

「何か食うか?」

とテオが車を停めると、少佐がさっさと降りて屋台へ行ってしまった。駐車場所がないので、仕方なく車中で待っていると、彼女が湯気の立つピタパンのサンドウィッチとカップ入りのコーヒーを2人分持って戻って来た。店がちゃんとテイクアウト用にカップを運ぶ紙のトレイを用意していたので、1人でも運べたのだ。少し行くと、小さな教会と広場があったので、そこで駐車して朝食を取った。
 食べる量は足りているのだろうか? と少佐を横目で見ると、彼女は既に食事を終えて、コーヒーを飲みながら考え込んでいた。
 テオの携帯にメールが着信した。見るとロホからだった。

ーー起きていますか?

とあった。テオは返信した。

ーー起きて朝飯を食ったところだ。

 その返事は来なかった。と思ったら、少佐の携帯に電話がかかって来た。少佐が画面を見て、電話に出た。

「ブエノス・ディアス。」

と彼女が機嫌良く出たので、ロホからだとわかった。彼女とロホは暫く先住民の言葉で話していた。テオに内緒にしなければならない内容なのかと思っていると、少佐がスペイン語で言った。

「では、800にグラダ市警東署の前で。」

 そして電話を終えて、テオを振り返った。

「これから土曜日の軍事訓練をします。」
「え?」
「今日は諜報活動の練習です。」

 つまり、捜査の応援が加わると言うことだ。

「何人が参加するんだ?」
「今日は2人です。ロホとアスルのみ。学生達は休ませます。今日で終わる訓練とは限りませんから。」
「さっきの電話はその相談?」
「スィ。」

 少佐はちょっと遠くを見る様な目をした。

「今日からカルロが指導師の試しに入ります。デネロスとギャラガは官舎組ですから、”見送り”の儀式をします。大層なものではありません。指導師の試しを受ける人を廊下に並んで見送るだけです。」
「君もやった? その、試しとか見送りとか・・・」
「スィ。ロホも経験しています。シーロも済ませています。少佐以上の階級は全員経験済みですし、ロホの様な優秀な人は中尉でも受けられます。」
「アスルは? 彼も経験していそうだが・・・」

 少佐がクスッと笑った。

「住所不定だったので、受けさせてもらえなかったのです。でも貴方の家で下宿を始めたので、もう少しすればお声がかかるでしょうね。」

第4部 牙の祭り     18

  グラダ・シティ・ホールの広い駐車場の片隅に駐車して仮眠を取った。ここは警察が頻繁にパトロールで回ってくるので犯罪が少ない。とは言うものの車上狙いなどは発生するので、夜間に駐車して休む場合は窓を閉めた方が良い。しかしケツァル少佐はジャングルモードに入っているらしく、窓を全開して寝ていた。羽虫が寄って来ないから、弱い気を放っているのだろう。”ヴェルデ・シエロ”が気を放って休んでいる時は、一般人は近寄り難い気分になるらしく、そばに来ない。少佐の眠りは浅いとテオは判断した。彼女が安心して熟睡出来るのは、やっぱりカルロ・ステファンがそばにいる時だ、とちょっと悔しく思う。その時、彼女が手を伸ばしてきて、彼の手を握った。驚いて振り向くと、彼女はまだ眠ったままだった。だが彼は彼女に声をかけられたような気がした。安心して、信用しているから、と。
 テオも眠りに落ち、次に目が覚めた時もまだ暗かった。少佐に片手を握られているので、空いている手で携帯を出して時間を見た。午前4時半だ。約束は5時だったな。彼は隣に声をかけた。

「少佐、そろそろ行くぞ。」

 彼女が目を開いたので、彼はエンジンをかけた。助手席で彼女が伸びをした。

「お腹空きません?」
「食べてる暇はないだろう。」

 セルバ人でも軍人は時間厳守だ。少佐は自分の携帯の時刻を見て、寝過ごした、とブツブツ呟いた。
 東の空の下の方が明るくなりかけていた。夜中に訪問したプールバーはまだ営業していた。何時もそうなのか、週末だから終夜営業しているのか不明だが、再び階段を降りて行くと、取次の下っ端が2人を見て、すぐに奥へ入って行った。それから代表を連れて来ると、彼等は奥へ来て欲しいと言った。客の面子が変わっていて、騒ぎを大きくしたくないと言うのが彼等の気持ちらしい。それでも先住民の美女と白人男のカップルが堂々と歩いて店奥に入って行くのを男達が好奇心で眺めるのをテオは全身で感じた。
 事務室は、一応経営者の部屋と言う体だった。机の上にパソコンがあるし、店の様子を見る監視カメラのモニターもある。金庫や書類棚もあった。
 代表は椅子を勧めたが、少佐もテオも座らなかった。逆に少佐が相手に座れと言った。

「ぺぺ・ミレレスを見つけたのか?」
「見つけましたが、連れて来れません。」
「何故?」

 代表が眉を八の字に下げた。

「あいつ、警察の死体置き場にいたんで・・・」

 室内の気温が1度ばかり下がった感触だった。少佐が気分を害したのだ。

「何処の警察だ?」
「グラダ市警の東署です。詳細は不明です。そこまで調べる時間がなくて。兎に角、奴は昨日の夕方、東署の管内の公園で死体になってるのを発見されて収容されたんです。俺達がそれを知ったのは、ほんの2時間前で・・・」
「女は?」
「行方不明です。」
「ぺぺはメスティーソか?」
「スィ。先住民だったら、憲兵隊が出しゃばってきますが、警察しか動いていないんで・・・」
「わかった。」

 少佐は素直に退いた。

「手をかけさせて悪かった。」

 体の向きを変えかけると、代表が、「あの・・・」と声をかけた。テオが言った。

「彼女は少佐だ。」
「少佐、もしぺぺの奴を殺ったヤツがわかったら、教えてもらえませんか?」

 テオは思わず言った。

「仕返しを考えているなら、止した方が良い。」
「だが、俺達にも面子がある。」

 少佐が「勝手になさい」と言い、テオに出ようと合図した。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...