2021/12/31

第4部 牙の祭り     28

 「礼儀知らずは怖いもの知らずだな。」

とムリリョ博士は言った。彼は椅子に腰を下ろし、テオとケツァル少佐にも座るよう促した。腰を下ろしてから、テオが説明した。

「俺達が知っているのは、ビト・バスコ憲兵隊曹長が、レストランで働いているアンパロと言う女性に片思いをしたこと、彼女にはペロ・ロホと言うギャング団のメンバー、ぺぺ・ミレレスと言う恋人がいて、ビトを疎ましく思っていたこと、ビトが兄のビダルに大統領警護隊の制服と憲兵隊の制服の交換を持ちかけ拒否されたこと、その夜にビトが勝手に兄の制服とIDその他を持ち出したこと、ビダルが翌日、つまり水曜日ですが、終日ビトを探し回って見つからなかったこと、そして木曜日の朝ビダルが自宅へ戻ってビトが亡くなっているのを見つけたことです。木曜日の夜に、ビダルが俺達に、つまりケツァル少佐に助けを求めて来ました。徽章以外のIDがビトの遺体に残っていなかったので、本部に戻れなかったのです。
 俺がビトの遺体からサンプルを採って分析し、制服に付着した体毛がピューマのもので、咬み傷周辺の唾液の主と遺体の爪の間に入っていた人間の皮膚片とは別人のものであるとわかりました。ビトは全身をピューマに噛まれたり引っ掻かれていましたが、致命傷は肝臓を刃物で刺されたものでした。俺達はアンパロが何か知っていると思って、彼女の居場所を探したのですがバイト先の店でも手がかりがなく、彼女の恋人のミレレスを探しました。ところが彼は昨日街中でトラックに轢き逃げされて死んでいました。警察に道端の公園に死体があると匿名の電話がかかってきて、その後の捜査でミレレスがトラックに轢かれるのを目撃した人はいたのですが、電話をかけた人は現れない。最初に死体に触った人がいたらしいが、その人の人相風態を覚えている人が誰もいない。」
「アンパロ・モントージャは・・・」

とムリリョ博士が話しだした。

「シショカの家の使用人の娘だ。」
「え?!」

 テオもケツァル少佐もびっくりだ。

「使用人の娘の素行など雇主が気にすることはない。シショカはメスティーソの使用人の家族の内訳も気にしなかった。あの男らしいがな。だからモントージャから娘のことで相談を受けた時、正直、彼は困ったのだ。娘が質の悪い連中と交際しており、おまけに憲兵にも言い寄られていると。シショカは娘を家に閉じ込めておけと言ったそうだ。」

 それは無理、とテオは思った。娘はもう大人だろう。シショカは使用人の相談に真面目に取り合わなかったのだ。

「父親は娘を家に監禁した。モントージャの一家はシショカの屋敷に住み込みで暮らしておる。当然ながら、アンパロが閉じ込められたのは、シショカの屋敷の一角と言うことになる。アンパロは外へ出たい。だが父親の監視の目が厳しく出られない。だから彼女は最初に不良の恋人に助けを求めた。街のチンピラごときがシショカの屋敷に入れる訳がない。」
「そうですね。」

とテオは相槌を打った。なんとなく、その後の展開が読めてきた気がするが、ムリリョの邪魔をすると後が怖いので、それ以上は言わなかった。

「彼女は次に自分に言い寄る憲兵に電話をかけた。ビト・バスコはシショカが建設大臣の私設秘書であることを知っていた。だが一族の者であることは知らなかった。彼は愚かにも、政治家の秘書に憲兵の威力は効かないが大統領警護隊なら従わせることが出来ると考えた。彼は兄のビダルの制服とI Dを盗み、シショカの屋敷を訪問したのだ。」
「シショカはビトに会ったのですか?」
「その時、シショカは仕事で家にいなかった。応対したのはアンパロの父親のモントージャだ。モントージャは大統領警護隊に娘を監禁から解放しろと言われて、慌てた。彼は主人に電話をかけ、大統領警護隊が娘を監禁した件で来ていると告げた。シショカは電話の内容に怪しんで、モントージャに訪問した隊員のI Dを確認しろと命じた。」

 セニョール・シショカは馬鹿ではない。それにいちいち使用人の娘の素行問題で仕事を中断して帰宅することもない。だが・・・。

「モントージャに身分証の提示を求められたビト・バスコはI Dカードを出したが、徽章を出さなかった。モントージャが徽章の提示を求めると、彼は拒んだ。モントージャはシショカに再び電話をかけ、隊員はカードを出したが徽章は出さなかったと告げた。」
「シショカは隊員が偽物だと悟ったのですね。」
「大統領警護隊の偽物が現れたことは由々しき問題だ。シショカはモントージャに隊員を足止めするよう命じて、職場から家に帰った。」

 ビト・バスコは不幸だった、とテオは思った。彼を愛する意思がない女性に恋をして、利用されようとして、純血至上主義者の”砂の民”の自宅へ無断拝借した兄の制服とI Dで乗り込んでしまったのだ。シショカは、彼が嫌いなミックスの、それも肌の色が他のミックスとは異なる”出来損ない”の若者が、栄光ある大統領警護隊のフリをしているのを見て、激怒したに違いない。

「シショカはビト・バスコにビダルの服を着てビダルのI Dを所持している説明をさせた。ビトは説明し、無断借用を認めたが、アンパロを連れて帰ると言い張った。だから、シショカは若造を屋敷から追い出した。」


   

第4部 牙の祭り     27

 「あー、それは・・・多分、俺に責任があります。」

とテオは言った。ケツァル少佐とムリリョ博士が彼を見た。少佐が何か言いかけたが、彼は片手を上げて彼女を制し、博士に語った。

「金曜日のお昼に、偶然ケサダ教授と大学のカフェで出会って一緒にお昼を食べたんです。その時点で既にビト・バスコ少尉が殺害時に着ていた兄の制服に付着していた動物の毛がピューマの体毛だと判明していました。だから、俺は教授が何かご存知かも知れないと勝手な期待を抱いてしまい、事件の話を教授に聞かせてしまったのです。」

 ムリリョ博士は一つだけ質問した。

「大学のカフェでか?」

 テオは博士が話を学生達に聞かれたのではないかと心配していると感じた。

「多分、教授は結界を張られていたと思います。俺はわからなかったけれど。それに途中で場所を教授の研究室へ移動させたんです。教授は事件の発生をご存知なくて、とても驚いていました。」
「我らは国家の存亡に関わる事案でなければ長老会の審理に測ることはない。個別の細やかな事案は気がついた者が独断で処理する。憲兵が犯した違反をシショカが見つけて処罰したとして、それをフィデルが知ることはない。ましてや干渉するなど・・・」
「私達も教授が動かれるとは予想だにしませんでした。」

とケツァル少佐が素早く割り込んだ。テオがケサダ教授を唆したと博士に思われたくないのだ。ムリリョが他人の話に割り込んだ彼女を睨みつけたので、テオも慌てて言った。

「教授は俺が事件の概要を話すと、行くところがあると言って、突然俺を部屋から追い出してしまいました。それっきり彼と会っていませんでした。今日のお昼迄は・・・」
「今日の昼?」
「カフェで俺達がランチを取っているところへ突然教授が現れて、奪われて不明だったビダル・バスコ少尉のI Dカードや拳銃などを俺達のテーブルに置いて、何も言わずに店から出て行ったのです。」

 ムリリョ博士が沈黙した。ケサダ教授の行動の意味を考えているのだろう、とテオは思った。彼がケツァル少佐を見ると、彼女も考え事をしている表情だったが、ふっと目を現実に戻して博士を見た。

「博士、シショカは貴方に何か訴えて来たのですか?」

 ムリリョ博士はいつも不愉快そうな顔をしている人だが、この時は一層不愉快な表情になった。

「『愛弟子だからと言って、好き勝手をさせるな』と言いおった。」
「電話で?」

とテオが思わず質問すると、博士がギロリと彼を横目で見た。

「あの男は礼儀を弁えておる。必ず直接会いに来る。」

 するとシショカはこの滅多に居場所を掴めない長老の居場所がわかるのか、とテオはどうでも良いことを思った。そして事前に電話で確かめれば不思議ではない、と思い直した。ケツァル少佐が尋ねた。

「当然、貴方はどんな好き勝手なのかとお訊きになったのでしょう?」

 テオは周りくどい会話をする”ヴェルデ・シエロ”達の会話にうんざりした。だから彼女の質問が終わると、続けてズバリと言った。

「俺たちはまだ実際に何が起きたのか掴めていないのです。貴方はいつも俺たちに何が事実なのか説明して下さる。今日もそのご親切を頂きたい。」

 少佐の目が「呆れた!」と言っていたが、彼は真っ直ぐムリリョを見つめた。
 


2021/12/30

第4部 牙の祭り     26

  ファルゴ・デ・ムリリョ博士はグラダ大学考古学部の主任教授で、セルバ国立民族博物館の館長で、マスケゴ族の族長で、長老で、”砂の民”のリーダーだ。そしてケツァル少佐の考古学の恩師で、カルロ・ステファンもロホもアスルもマハルダ・デネロスも彼の教え子で、アンドレ・ギャラガは現役の生徒になる。さらにフィデル・ケサダ教授の師匠でもあるのだ。
 ケツァル少佐はペロ・ロホの代表ラファエルに教えられた人物の家に直ぐにでも行かねばならなかったのだが、長老の「来い」と言う言葉に逆らえなかった。テオドール・アルストも同伴しますと彼女が言うと、博士は「早く来い」とだけ言った。

「何方へ行けば良いですか?」
ーーグラダ大聖堂だ。

 それだけ言うと、博士は電話を切った。テオが声をかけた。

「行くか?」
「行かねば、後がややこしいでしょう。」

 2人共漠然と博士の要件がわかっていた。今関わっている件に厄介な人が首を突っ込んで来たのだ。それとも救世主になるのだろうか?
 テオは交差点で当初の目的地への方向と反対側へハンドルを切った。
 土曜日のグラダ大聖堂は一般観光客へ開放されている。宗教施設なので中は静かだが、聖堂前の大広場は土産物屋や食べ物の屋台が出て賑やかだ。テオは駐車スペースにベンツを停めた。まだ明るいがそろそろ西の空に太陽が傾きかけていた。夕刻の礼拝が始まる前だ。
 少佐とテオは聖堂に向かって歩き始めた。

「何故博士はキリスト教の教会を会談の場所に指定したがるんだろう?」

とテオが単純な質問をすると、少佐が肩をすくめた。

「純血至上主義者は教会に寄り付かないからです。立ち聞きされるリスクが少ないのでしょう。」

 聖堂の中に入ると夕刻の礼拝を見ようと集まっている観光客の後ろを通り、エクスカリバー礼拝堂へ行った。静かに扉を開くと、ムリリョ博士が祭壇の前に座っているのが見えた。テオを先に入れ、少佐は外に目を配って誰も彼等に関心を抱いていないことを確認した。扉を閉めると中から施錠した。
 テオと少佐は博士のそばへ行き、挨拶した。博士が立ち上がった。彼等を振り返り、ジロリと見た。

「儂は我が部族の中で不協和音が起きることを好まぬ。」

と彼は言った。少佐とテオは顔を見合わせた。ムリリョ博士の言葉の意味を考えた。テオが尋ねた。

「マスケゴ族の中で諍いでも?」
「諍いではない。」

 ムリリョ博士は珍しく彼の質問にまともに答えた。

「1人が仕事をした。もう1人がそれに干渉した。仲間の仕事に干渉することは許されぬ。しかし、干渉される理由はあった。」

 ケツァル少佐が彼の言葉を「解読」した。

「ビダル・バスコの大統領警護隊のI Dを無断で持ち出したビト・バスコにセニョール・シショカが制裁を与えた。それにフィデル・ケサダが干渉し、シショカが回収したビダルのI Dや拳銃を取り上げた・・・」

 ムリリョ博士は彼女を見た。

「そう言うことだ。だが何故フィデルが動いた? あれには全く無関係な事案だった筈だ。」




第4部 牙の祭り     25

  アンパロと言う女性の親の名はテオもケツァル少佐も知らなかったが、彼女の一家が住み込みで働いている家の主人の名前は知っていた。思わずテオは少佐を見て、少佐も彼を見た。少佐がラファエルの襟首から手を離した。

「長生きをしたければ、今回の出来事は忘れろ。」

と彼女はペロ・ロホの代表に命令した。ラファエルは答えなかった。だから少佐は囁いた。

「ぺぺ・ミレレスは”ヴェルデ・シエロ”を怒らせた。憲兵も”ヴェルデ・シエロ”を怒らせた。だから、あなた方はこれ以上この件に関わるな。」

 ラファエルがごくりと喉を動かした。その顔に血の気がなかった。ケツァル少佐の言葉がただの脅しでないことを理解したのだ。少佐が念を押した。

「わかったな?」
「スィ、スィ。」

 ラファエルは怯えた目で彼女とテオを見た。
 少佐がテオに目で「出よう」と合図したので、テオは出口に向かって歩き出した。少佐も歩きかけると、ラファエルが「少佐」と呼びかけた。少佐が背を向けたまま、「何?」と訊いた。彼が尋ねた。

「アンパロは生きていますか?」
「知らない。」

 と少佐は答えた。

「大統領警護隊の手に余る事案であると答えておこう。」

 雑居ビルから出て、少佐のベンツの運転席に座って、やっとテオは深呼吸した。助手席に座ったケツァル少佐が電話を出した。小さな溜め息をついてから、彼女は電話をかけた。相手は直ぐに出た。

ーーマルティネスです。
「ロホ、今何処にいますか?」
ーーもう直ぐバスコの家に到着します。
「先刻アスルに託けた貴方への命令を撤回します。バスコを自宅に届けたら、貴方はセルド・アマリージョへ行きなさい。そこでアンパロと言う女性がウェイトレスとして働いていますが、2日前から欠勤しています。もし今日店に現れたら、見張りなさい。彼女の顔はグラシエラが知っています。」
ーー承知しました。
「彼女が店から移動するようであれば尾行し監視しなさい。行き先がわかれば、テオに連絡しなさい。」
ーー承知しました。

 少佐が電話を切った。テオはこの日がグラシエラ・ステファンのバイトの最終日だったなと思い出した。ロホはアンパロが現れる迄彼女と一緒にいるのだろうか。
 少佐はまた溜め息をついた。テオが尋ねた。

「あの男に会うつもりか?」
「少なくとも、何が起きたのかビダル・バスコ少尉には説明が必要でしょう。会いたくない人物ですが、会って話を聞かなければなりません。」
「それじゃ、行こうか。」

 テオがベンツのエンジンをかけた。車が動き出した。その時、少佐の電話が鳴った。少佐が電話を出して、画面を見た。彼女がかけてきた相手の名前を見て、その日一番大きな溜め息をついた。彼女がテオに囁いた。

「ムリリョ博士です。」


第4部 牙の祭り     24

  まだ日が高い時刻にプールバーに行くと、営業前だった。ケツァル少佐は勝手に解錠して中に入った。入り口カウンターの上に置かれているベルを叩くと、奥から男が1人出て来た。テオも少佐も彼に見覚えがなかったが、向こうは覚えていたらしく、こちらの顔を見ると慌てて奥へ引っ込んだ。
 奥へは行かず、少佐が壁にかけられていたキューを手に取り、眺めた。テオも1本手に取った。玉を出して台に置くと、代表が現れた。少佐がチラリと彼を見て、言った。

「1回だけ遊ばせろ。」

 代表が頷き、彼は部屋の隅の椅子に座った。
 テオは少佐からビリヤードの手解きを受けた。元から理解と身体能力は高い。直ぐに要領を覚えた。もう1回だけ遊ばせろと、テオが要求すると、代表が少佐を見た。少佐が代表に言った。

「貴方が相手をしてあげろ。」

 代表が舌打ちして立ち上がった。
 勝負は愉快だった。テオは病みつきになるかも、と心の内で危惧した。流石に相手はプロ級の腕前で、テオは負けた。

「君の名前は何て言うんだ?」
「ラファエル。」
「ラファエル、次に会う時は勝たせてもらうぞ。」

 彼の言葉に代表はフンと鼻先で笑っただけだった。そしてケツァル少佐を見た。

「ラ・パハロ・ヴェルデの少佐、今日は何の御用ですか? ぺぺを殺ったヤツの名前でも教えに来てくれたんですか?」
「教えてどうなると言うのか?」

 少佐が何か言いかけたが、テオが遮った。

「ぺぺの彼女のアンパロは今何処にいるんだ? 彼女も狙われるかも知れないぞ。」

 ラファエルは彼と少佐を交互に眺めた。

「まだ犯人を掴めていないんだな。」

と彼は呟いた。少佐が言った。

「見当はついている。」

 彼女は台の上に球を全部戻した。手を使わずに。

「貴方はぺぺが何故死んだのか理由を知っているのか?」
「あいつは・・・」

 ラファエルがちょっと言い淀んだ。しかし少佐と目が合いそうになり、慌てて顔を背けた。

「アンパロにつきまとっていた憲兵と話をつけると言って出かけて、それっきりだった。俺達は憲兵があいつを殺ったと思っていた。だが・・・」
「バスコ曹長も死んでいたので、困惑しているのだな。」
「スィ。」
「アンパロは何処にいる?」

 黙り込むラファエルにケツァル少佐は言った。

「憲兵はアンパロに好意を持っていた。しかし彼女はぺぺを選んだ。ぺぺは殺され、憲兵も死んだ。アンパロが無事で済むと思っているのか?」
「彼女は・・・。」

 ラファエルは少佐を避けてテオを見た。

「あの女はいつも自慢してました。彼女の家族は”シエロ”に守られてるって・・・」

 テオは少佐を見た。ケツァル少佐が「ほう」と言いたげな顔をした。

「アンパロの家族は”シエロ”に守られていると言ったのか?」
「スィ。それが彼女の自慢でした。だからぺぺ以外の男は彼女に手を出さなかった。それが、あの憲兵は無視したんです。」

 少佐がラファエルの襟首を掴んだので、テオはびっくりした。ギャング団の代表が青ざめた。

「アンパロは先住民か?」
「ノ。俺達と同じメスティーソです。」
「親は?」
「親もメスティーソです。あの・・・政府の偉いさんの家で働いている使用人です。」
「その偉いさんとは、誰だ?」



第4部 牙の祭り     23

  もしビト・バスコ曹長が双子の兄弟が大統領警護隊で勤務していると憲兵隊の同僚に話していたら、彼は死なずに済んだかも知れない、とケツァル少佐は言った。

「彼は彼なりに兄に引け目を感じてしまっていたのでしょう。何故兄が選ばれて彼は選ばれなかったのか、彼はきっと悩んだに違いありません。それに大統領警護隊に入ると言うことは、一般の軍人に兄弟が特殊な能力を持っていると教えることになります。双子ですから、選ばれなくても同じ力を持っていると思われる。ビトは友人を失いたくなかったでしょうし、兄より劣っていると思われたくもなかった。だからビダルの勤務先を秘密にしていたに違いありません。」
「だけど、何らかの理由で大統領警護隊のふりをする必要が生じた?」
「ビトにとって必要だったのでしょう。でも理由を兄に言いたくなかった。」
「極めて個人的理由だな。」

 テオは考えて、若者の頭の中を想像した。

「アンパロと言う女性に片思いしたことが関係していると思う。」

 アンパロは陸軍基地の兵士達が多い地区の飲食店で働いている。憲兵も当然客として通う。ビトは彼女に恋をした。しかし彼女にはぺぺ・ミレレスと言うヤクザの恋人がいた。彼女はビトに興味がなくて追い払おうとした。憲兵隊の曹長ごときでは靡かないと言う態度を示した。それで、ビトはビダルと帰省が同じになった時、兄の制服とIDを持ち出した。兄のふりをして、大統領警護隊なら彼女の気を引けると思ったか?
 テオはこの考えを少佐に語り、それから別の考えも披露した。
 アンパロはビトにぺぺと別れたいと言った。彼女は店のスタッフ達にぺぺと別れたいと言っていないから、勿論嘘だ。ビトとぺぺを対決させてぺぺにビトを追い払わせようとした。ビトは憲兵としてぺぺにアンパロと別れろと言ったが、効果がなかった。ヤクザは階級が低い憲兵の若造を相手にしなかった。それでビトはビダルのふりをしてもう一度ぺぺと対決しようとした。大統領警護隊ならヤクザも退くからだ。
 それから3つ目の考えを語った。
 アンパロが振り向いてくれないので、ビトは兄が大統領警護隊にいると彼女に明かした。それで彼女の気を引こうとした。彼女が証拠を見せろと言った。だからビトは一晩だけのつもりで兄の制服とI Dを持ち出した。
 ケツァル少佐が考え込んだ。テオが出した3つの説はありそうでなさそうだ。

「やはりアンパロを探し出さないことには、ビトがビダルの制服を持ち出した理由がわかりませんね。」
「アンパロはまだ姿を現さないのだろうか? ケサダ教授にビダルのIDカードなどを誰から受け取ったのか聞きたいが、あの人は語ってくれそうにないだろう?」

 少佐が家の外に出ようと合図した。
 外はまだ明るく、太陽が照りつけていた。日陰に入り、少佐が電話をかけた。相手はアスルだった。

「状況は?」
ーーバスコ少尉が警備班の指揮官と共に副司令官のところへ行っています。
「ロホは?」
ーーカルロの試しが始まったので、ちょっと覗き見に行ってます。上官に見つかるとやばいですが・・・
 
 テオは笑いそうになって我慢した。ロホは親友が難関試験を乗り越えられるか心配なのだ。カルロ・ステファンは1ヶ月間太陽を見られない地下神殿で修行をする。どれだけ緊張しているか、ロホは気になったのだろう。

「覗き見は良い趣味ではありませんね。」

と少佐が言った。

「ところで、こちらへバスコ少尉を連れて戻ったら、どちらか1人が彼に付いていて下さい。彼は葬儀が終わる迄は母親のそばにいるでしょうけど、埋葬が済んだら何を仕出かすかわかりません。」
ーー私が付きます。
「ではお願いします。それでは、ロホはケサダ教授のところへ行って、先刻の封筒の中身を誰から手に入れたのか聞いて来るように。」

 電話の向こうでアスルがちょっと笑った。

ーーバスコを選んで良かったです。

 少佐も苦笑した。

「フィデル・ケサダは手強いですよ。くれぐれも怒らせるなとロホに伝えなさい。今期アンドレが人質になっていますからね。」
ーーアンドレの担当教官はムリリョ博士でしょう?
「実際に教授するのはケサダですよ。」

 少佐はこれからギャング団のペロ・ロホのところへ行くとアスルに告げて電話を終えた。テオが尋ねた。

「アンパロの居場所をギャングに訊きに行くのか?」

 少佐が頷いた。



第4部 牙の祭り     22

  ランチを済ませると全員でジープに乗ってピア・バスコの診療所兼住居に行った。診療所は休業しており、住宅の方では早くも弔問客が来ていた。ロホとアスルを車に残し、ケツァル少佐とテオは家の中に入った。リビングで遺族に挨拶していたのは、殆どが近所の住民だ。双子の兄弟が幼い頃から知っている人々や、母親が開業してから世話をしてきた患者やその家族だろう。ピアと同居している恋人が客の応対をしていた。恋人の男は白髪混じりの男性で、やはり医師だと言うビダルの証言を裏切らず、しっかりした様子でピアを支えていた。
 ビダルは部屋の隅に座っていたが、テオと少佐を見ると立ち上がった。少佐が”心話”で何かを伝えると、彼は身振りで別室を差した。
 案内された部屋はユーティリティルームで、恐らくお手伝いを雇っているのだろうが、その人は弔問客に出す飲み物や軽食の準備で忙しく、キッチンの方にいた。ビダルはドアを閉め、テオと少佐を見た。

「何か分かりましたか?」

 少佐が茶封筒を出した。

「中身を確認して下さい。」

 ずっしり重量がある紙袋を受け取って、ビダルはハッとした表情を見せた。馴染みのある重量だ。彼はそばの家事台の上に袋の中身を広げた。IDカードが入ったパスケース、財布、その中の運転免許証、拳銃、そして弟の携帯電話。現金がなくなっていることは気にならないようだ。そんなことを気にする次元の話ではないからだ。テオが尋ねた。

「君の物で間違いないな?」
「スィ、私のI Dカードと拳銃、免許証です。そしてビトの携帯・・・」

 ビダルは拳銃を手にして、中の弾倉を開けた。そして少佐に顔を向けた。

「弾は私が装填した時のままです。」

 少佐が頷いた。少なくとも拳銃が何らかの犯罪に使用された形跡はない訳だ。

「これは何処で? 誰が持っていたんですか?」

 当然の質問が来た。テオが答えた。

「それは言えないんだ。俺たちも知らない。ある人がさっき持って来てくれたんだ。その人も多分、遣いだと思う。昨日の午後まで事件のことを何も知らない人だったから。」

 ビダルが何か言いたそうにしたが、少佐が遮った。

「事件の真相はまだ捜査しなければなりません。ただ貴方の所持品は戻りました。出来れば今すぐにこれらの物を持って、本部へ帰還し、指揮官に報告しなさい。貴方がどう行動すべきかは、貴方の上官が指図します。」

 テオは言い添えた。

「警察でも憲兵隊でも、被害者の身内は捜査に参加出来ないからな。」
「承知しています。」

 ビダルは何かを耐える声で応えた。

「しかし、私は母を1人にしたくない・・・」
「まだ休暇中ですね。上官に奪われた物を回収した報告をして、母親に付き添う旨を申し出なさい。大統領警護隊は不幸に見舞われた隊員に勤務を強制するような酷いところではありません。」

 ケツァル少佐にキッパリ言われて、ビダル・バスコ少尉は敬礼した。そして喪服の上着の下に拳銃を隠し、その他の小物も内ポケットに入れると、再び敬礼して居間へ出て行った。テオと少佐も小部屋から出た。ビダルが母親に”心話”で何か伝え、それから彼女をハグし、母親の恋人に何か言ってから、テオ達の方を見た。少佐がテオに言った。

「ここにいて下さい。すぐに戻ります。」

 彼女はビダルを連れて外へ出た。数分後に戻って来たので、ロホ達のジープに彼を乗せたのだとわかった。ロホとアスルはビダルを本部へ連れて行き、また連れ戻って来る予定なのだ。
 テオはお手伝いさんと思われる女性からトレイを差し出され、カクテルの様な飲み物を2つ取った。そばに来た少佐に一つ渡し、室内を見回した。居間は花が飾られ、奥に棺がある。母親と恋人はその棺の前に座って弔問を受けているのだ。近所の世話焼きおばさん達がお手伝いさんを手伝って働いていたり、客の相手もしている。見る限り怪しい人物はいない。死んだぺぺ・ミレレスが本当に刺殺犯なのか否か、まだ不明だ。ミレレスの遺体からサンプルが採れれば良いのだが。
 客達がざわついた。家の入り口を見ると、憲兵が2人入って来た。若い隊員だ。ピアが立ち上がり、彼等を迎えた。憲兵達は弔問の言葉を述べ、1人がピアをハグした。もう1人はピアの恋人に頼んで棺の中を見せてもらった。顔を検めたのだ。遺体の顔はピアが化粧して傷を隠している筈だ。憲兵を誤魔化せるだろうか。
 棺の中を見た憲兵は、棺に向かって敬礼した。母親をハグした同僚と交代し、彼もピアをハグした。
 少佐がテオに囁いた。

「ビトと仲が良かった同僚達です。きっと巡回勤務の途中ですね。正式の弔問ではない筈です。」

 2人の憲兵は改めて敬礼して、外へ出て行った。テオは呟いた。

「ビダルがいなくて良かったな。」

 少佐が彼を振り返った。

「そう言えば、ビトは双子の兄弟が大統領警護隊にいることを僚友に教えていませんでしたね。もしビダルがここにいたら、彼等はどんな反応をしたでしょう。」



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...