2022/01/09

第4部 花の風     14

  夕刻、テオは文化・教育省の前で省庁が閉庁するのを待った。午後6時になると、ビルの中から一斉にお役人達が出て来た。裏手の駐車場へ行く人、バスターミナルへ向かう人、飲食店街へ消えていく人・・・。アンドレ・ギャラガとアスルが前後して出て来た。アスルがテオを見て顔を顰めた。

「まさか俺を迎えに来たんじゃないだろうな?」
「残念ながら違う。でも一緒に乗って帰っても良いぞ。」

 アスルは断るジェスチャーをして、1人で歩いて街中へ去って行った。多分、食材を購入して先回りして帰るのだ。料理は彼の趣味の一つだ。妨害すると怒るので、テオは彼が料理をしそうな日は少し遅れて帰ることにしていた。
 ギャラガはテオに「また明日」と挨拶してバスターミナルへ歩き去った。官舎に帰って質素な夕食を取り、勉強するのだ。
 ケツァル少佐とロホは話をしながら出て来た。テオに気がつくと、彼等は足を止めた。

「約束でもしてました?」

と少佐が不審そうに尋ねた。夕食の約束がなければ彼女は真っ直ぐ帰宅して、家政婦のカーラが作った美味しい夕食を1人で楽しみたいのだ。ロホはそんな上官の生活を知り尽くしているので、ちょっと笑った。テオは「そうじゃない」と急いで否定して、用件を述べた。

「土曜日に公園で声を掛けてきたアメリカ人の件だ。」

 少佐がカフェを見たので、ロホは「お先に」と帰ってしまった。テオは少佐に導かれるままカフェテリア・デ・オラスに入った。
 コーヒーだけ注文して、ロジャー・ウィッシャーとあれから日曜日と月曜日に続けて出会ったこと、ウィッシャーの怪しい父親探しの依頼を少佐に語った。

「大統領警護隊は人探しが任務ではありません。」

と少佐が不機嫌そうに言った。そうとも、とテオは同意した。

「だから、彼は大統領警護隊が警察か憲兵隊を動かしてくれないかと期待しているようなことを言っているんだ。」
「警察も憲兵隊も暇ではありません。」
「実際に動く必要はないさ。声を掛けてくれさえすれば良いんだ。俺も大統領警護隊に相談してみたから。」

 言いつつ、彼はアンドリュー・ ウィッシャーなる人物の写真を出した。ケツァル少佐はそれを見て、ますます不機嫌な顔になった。

「アンドレに似ていますね。」
「偶然だと思うが。それにC I Aなら、事前にアンドレの写真を入手して古い写真らしく加工も出来るだろう。俺たちに接近する理由を作るために。」

 彼女が気が進まなさそうな顔で写真を摘み上げた。

「兎に角、私達に好奇心を持った人物と言うことですね。セプルベダ少佐にこの件を預けても良いですか?」

 テオはドキリとした。セプルベダ少佐は大統領警護隊遊撃班の指揮官だ。遊撃班は正規任務でない突発的な事案に対処する部署で、隊員は大統領警護隊の中でもエリートと呼ばれる猛者ばかりだ。遊撃班が動けば、他の部署の隊員達は何か不穏な出来事があったなと思うだろう。そうなると何時かは”砂の民”にも知られる。

「ロペス少佐にも言ってあるんだ。人探しじゃないが、俺達に興味を抱いたアメリカ人がいるって。外務省からは何も言ってこないが。」
「シーロはアリアナの安全の為にも何か手を打つでしょう。でも彼自身が何かをすることはありません。彼の仕事は調査と指図です。実際の対処は、やはり遊撃班に指図が下ります。」

 結局セプルベダ少佐の部下が動くのだ。テオはカルロ・ステファン大尉がまだ地下神殿から戻っていないことを残念に思った。ステファンならこちらの我が儘を多少は聞いてくれるだろうに。何はともあれ、テオが大統領警護隊を動かすことは出来ない。
 テオはもう一つの用件に移った。

「別件でもう一つ用事がある。これは依頼じゃないんだ。ケサダ教授に頼まれたんだが、オルガ・グランデのアンゲルス鉱石が新しい坑道を掘っていて、遺跡を発見した。墓地らしい。そのうちアンゲルス鉱石から文化保護担当部に報告が行くと思うが、バルデスが忘れるようだったら困るから、君に伝えておいてくれ、と言うことだ。」
「新しい遺跡ですか。」

 少佐も本業の話になったので、ちょっと機嫌が直った。

「墓地と言うことは・・・」
「ミイラが出た。それで明日そのミイラが俺の研究室に届けられる予定だ。普通のセルバ人であると言う鑑定結果が欲しいんだとさ。アンゲルス鉱石の従業員達が”シエロ”の墓じゃないかと心配して働かないので、バルデスが困っているそうだ。」
「それはただのストの口実でしょう。」

 と少佐が苦笑した。


 

第4部 花の風     13

  翌日、テオが大学の昼休みに学生達と世間話をしながらランチを楽しんでいると、考古学部のケサダ教授が近づいて来た。

「ブエノス・タルデス、遺伝子工学の諸君。」

 教授の挨拶を聞いて、テオはご機嫌良さそうだと思った。この先住民の先生はいつも服装がきちんとしていて、私服でも清潔感が漂う。女子学生達のみならず男性学生も憧れの目で見る人だ。学生達が振り返り、挨拶を返した。1人が冗談混じりに言った。

「いつも難儀なミイラの細胞を有り難うございます。今日のミイラは何ですか?」

 横に座っている女性が肘を突っついて注意を与えたが、教授は怒りもせずに微笑んだ。

「今日は君たちに人間のミイラをお願いしようと思ってね。」

 学生達がシーンとなったので、テオは可笑しくなった。

「遺跡から人間が出ましたか、教授?」
「スィ。」
「それは凄い!」

 遺跡が多いセルバ共和国だからと言って、簡単に人間のミイラが発掘される訳ではない。テオは興味を抱いた。現在ケサダ教授の教室の学生達が掘っているのは、比較的年代が新しく、ミイラを作る条件には適さない気候の東海岸地方の小さな遺跡5ヶ所だった。しかし、教授は言った。

「残念ながら私の学生達の手柄ではないのです。ミイラはオルガ・グランデのアンゲルス鉱石の坑道で同社の従業員達が掘り当てたのです。」
「坑道で?」

 テオは急に不安になった。「太陽の野に星の鯨が眠っている」と言う文言が刻まれている「暗がりの神殿」はアンゲルス鉱石社の坑道の地中奥深くにある。あの付近は既に金鉱を掘り尽くしたとして廃坑になっている筈だ。
 しかしケサダ教授は泰然として言った。

「新しい坑道を拡張する作業で、昔の墓所にぶつかったらしいのです。現地の考古学者が5世紀前の墓だと判定したのですが、鉱夫達が、もし”ヴェルデ・シエロ”の墓だったら呪いを受けると怖がって作業を中断しているらしく、困ったバルデス社長が鑑定を依頼して来ました。」

 セルバ人のミイラは布の衣で包まれて埋められる。エジプトのミイラの様な副葬品がないので、部族や年代の推定が難しい。勿論、その墓が発見された場所にどんな部族が住んでいたのか、現地の考古学者は調べているから推定出来ているのだ。しかし、怯える鉱夫達を宥める為に大学へ鑑定依頼が来た訳だ。
 学生達の中で囁き声が聞こえた。

「”ヴェルデ・シエロ”のDNAサンプルなんて存在しないぞ。」
「比較しようがないじゃないか?」
「馬鹿だな、現代人のDNAと比較して同じだと証明すれば良いのさ。」

 テオがケサダ教授を見ると、教授はその囁き声の会話を耳にして微笑んでいた。テオは学生の意見を支持した。

「ミイラを鑑定して、現代人と同じだと証明すれば良いのですね?」
「スィ。墓がある場所に昔住んでいた部族はわかっています。彼等は今でもオルガ・グランデで我々と同じ生活をしているので、サンプルが必要なら取り寄せます。」
「その必要はないでしょう。部族まで特定してくれとバルデス氏が要求されるのでしたら、話は別ですがね。それと関係なく、鑑定料金をしっかり請求されると良いですよ。こちらから、考古学部に請求する鑑定料に、そちらの手数料を上乗せして請求するんです。」

 ケサダ教授は愉快そうに笑った。学生達も笑った。女子学生が不安そうに教授に質問した。

「ケサダ先生、そのミイラは何時届くんですか?」
「予定では明日。」
「じゃ、私、休みます。」

 またテーブル周辺でドッと笑い声が上がった。
 ケサダ教授はその女子学生を指差して首を振り、それからテオに頼み事をもう一つ加えた。

「新しい遺跡発見と言うことになるので、大統領警護隊文化保護担当部にアンゲルス鉱石から報告が行くと思いますが、もし彼等がそれを怠った場合は罰則ものですから、貴方からミゲール少佐に前もって伝えておいていただけませんか?」
「わかりました。必ず伝えておきます。少佐に出会えなくても、クワコ少尉には必ず出会いますから。」

 ケサダ教授が立ち去ると、学生達の話題はミイラの細胞抽出方法に移った。テオはそれを聴きながら、何となく己の研究室の方向性を確立出来そうに感じた。ミイラの遺伝子鑑定だ。行き当たりばったりで家畜の遺伝子組み替えや植物の品種改良の研究の手伝いをしていたが、これから専門分野としてミイラの鑑定をしていこう。それなら文化保護担当部とも考古学部とも繋がりが持てる。

「そう言えばさぁ・・・」

と対面に座っている男子学生がつまらなそうな表情で言った。

「文化保護担当部のあの娘、デネロスは最近大学に来ないなぁ。」
「マハルダ・デネロスかい? そう言えば新学期が始まってから来ていないな。」
「忙しいんじゃない? 彼女、あれでも少尉よ。大統領警護隊の少尉って言ったら、陸軍の少佐みたいな位なんだって。」
「偉いんだ!」
「まだ20歳だよな?」

 1人がテオを振り返った。

「先生、デネロス少尉と最近出会いますか?」
「彼女は遺跡にいるよ。」

 テオはデネロスが男子学生達に人気があることを知って、ちょっと嬉しかった。

「オクタカス遺跡ってジャングルの中の遺跡でフランスの発掘隊の監視と護衛を指揮している。11月迄は帰って来ない。」

 男子学生達から失望のブーイングが上がった。

2022/01/08

第4部 花の風     12

  テオがカルロ・ステファン大尉から以前聞いた話によると、アンドレ・ギャラガの父親はアメリカ人で、ギャラガが5歳の時に亡くなったことになっている。母親は父親の姓はギャラガだったと息子に教えたそうだ。しかしファーストネームを教えてもらった記憶はギャラガになかった。ギャラガをネグレクトして、偶に相手にする時は殴ったり罵ったりするばかりだった母親の名前はルピタ・カノと言った。ステファン大尉が言うには、ルピタはマリア・グアダルぺの愛称なのだそうだ。しかしギャラガは、記憶の中にある母親がそんな高貴な印象を与える名前だったとは到底思えなかった。ルピタは街娼だったのだ。彼女は息子に自分達はブーカ族だと教えていたが、カノと言う名前はカイナ族に多いのだと言う。ブーカ、オクターリャより力の弱いカイナ族であることは決して恥ではないのだが、ギャラガが放つ気は大きく、大統領警護隊は彼がルピタが言った通りブーカ族で間違いないだろうと考えていた。しかし、彼が初めてナワルを使った時、色は薄いものの黒いジャガーに変身したことから、彼の大きな気はグラダ族の血から来ていることが判明した。恐らく、グラダを遠い祖先に持ち、ブーカとカイナの血も受け継ぎ、”ティエラ”の血が混ざり、最後に白人の血が入った複雑なミックスの”ヴェルデ・シエロ”、それがアンドレ・ギャラガだった。
 ギャラガの外見は白人だ。色白で髪は赤い。目も薄い茶色だ。しかし完全に白人かと言えばそうでもなくて、先住民の雰囲気も持っている、そんな風貌だ。だからメスティーソの女性達に彼はよくモテる。現在のところ、仕事と勉学に忙しい男なので、恋人を作る気はないらしい。
 ギャラガは出自に関してコンプレックスがあるので、先祖の話が好きでない。特に白人の血のことに触れられるのを嫌がる。彼にすれば、今更親族が現れても迷惑なだけだ、と言う気分なのだろう、とテオは気遣った。両親の墓が何処にあるのかも覚えていない男は、もしかすると異母兄弟かも知れないアメリカ人の出現に、腹を立てているかの様に見えた。
 3軒目のバルで、ロホとアスルは卓上サッカーゲームに興じた。テオとギャラガはそばでそれを眺めながら、ビールを飲んでいた。

「例の父親探しをしているアメリカ人ですが・・・」

と不意にギャラガが話しかけて来た。テオは顔を向けて、聞いているよ、と示した。ギャラガが続けた。

「その男自身がエル・ドラドを探していると言うことはありませんか?」
「あー、成る程、そう言う考え方もあったなぁ。」

 テオは、ロジャー・ウィッシャーがアリアナや彼の様子を探りに来たとか、”ヴェルデ・シエロ”に関心を持って調べに来たとか、そっち方面を考えていたので、ギャラガの発想に盲点を突かれた感じがした。

「セルバに黄金郷伝説はないだろ? 俺はそこまで思いつかなかったな。」
「私はそのウィッシャーと言う男が、南の国に兄弟姉妹がいるかも知れないと考えないことを思うと、父親さえ見つければ、黄金があるかないか確認出来ると思っている様な気がします。」
「俺は彼のネット情報では海兵隊に所属した経験があるのに、彼自身が俺に話した経歴にはそれが一切触れられていないことが気になったんだ。俺がネットで確認することを予想しなかったのか、それとも知られても支障がない経歴なのか・・・」
「海兵隊よりCIA に属していた経歴の方が知られたくないと思いますけどね。」

 テオは彼を眺めた。

「アンドレ、君は英語を話せたな?」
「私の見た目が白人なので、上官の意向で英語の会話と読み書きはしっかり学習させられました。」
「アメリカ人のふりをしなくても良いから、英語が出来るセルバ人として、ウィッシャーと接触出来ないか? ”操心”とか習得しただろ?」
「ウィッシャーから情報を引き出すのですか?」

 ギャラガは好奇心で目を輝かせた。しかし、理性が勝った。

「面白そうですが、上官の許可を得ませんと・・・」

 彼がここで言う上官は、ケツァル少佐だ。ギャラガを警備班から引き抜いて、姉の様に見守りながら厳しく能力習得の監督をしている師匠でもある。怒らせると、非常に恐ろしい。”ヴェルデ・シエロ”は普通の人間の心を目を見て支配してしまう能力を持っているが、テオの様にその技が効かない人間も稀に存在する。少佐は、まだ未熟な部下が万が一にもそんな人間に遭遇して危険な目に遭わないよう、”操心”の無断使用を認めないのだ。
 だから、テオはこの場は退くことにした。

「そうだな、俺の好奇心を満たす目的で君が営倉送りになっては申し訳ない。俺から少佐に相談してみる。どのみち、この写真を配らないといけないから。」



2022/01/07

第4部 花の風     11

  テオは研究室に戻ると、ロジャー・ウィッシャーの頬内側の細胞を分析器にかけた。それから翌日の授業の準備をした。昨シーズン、火曜日は午後の講義だけだったが、受け持つ学年が増えたので、午前にも講義がある。それに院生の助手が2人付いた。授業の準備を手伝ってくれるが、秘密の研究をした時はちょっと障害になる存在だ。だがウィッシャーのDNA 検査は秘密にする必要がなかった。行方不明の肉親を探している外国人の細胞だと言うと、助手達は機械のお守りを引き受けてくれた。彼等はテオが驚異的な速さで遺伝子マップを解読していく場面に立ち会うのが嬉しくて堪らないのだ。
 ケツァル少佐の個人的興味で依頼されていたフィデル・ケサダ教授の細胞はまだ手に入れていない。しかし、教授の出生の秘密を知ってしまったので、少佐は興味を失ってしまい、依頼は立ち消えになった。テオも危険を冒してまで、現代最強と言われる”ヴェルデ・シエロ”の細胞を無理に採りたくなかった。
 そのケサダ教授はテオの心を知ってか知らずか、新たな動物のミイラを学生に託してテオの研究室に送り込んで来た。今度は大型の動物で、リャマと思われた。リャマはアンデスの動物だ。そのミイラが中米の東海岸、ジャングルに近い場所で出土した。考古学者は東海岸に住んでいた部族が南米の何処と交易していたのか知りたいのだ。テオは分析作業を助手に任せた。ミイラのどの部分から使える細胞を取り出せるか、助手の腕試しだ。但し、貴重なミイラを傷だらけにするなと事前に注意を与えておいた。
 夕刻になると、研究室を片付け、助手を帰した。分析器には仕事をさせておき、ドアを施錠してテオは文化・教育省の駐車場へ行った。出張から戻ったロホとアスル、ギャラガと夕食に出かけた。ケツァル少佐は文教大臣と各課の責任者達との夕食会と言う名の「仕事」だ。きっとドレス姿なのだろう、と想像しつつ、バルへ行った。
 カウンターで立ち飲み立ち食いしながら、テオはロジャー・ウィッシャーが大学に現れた話を語った。預かった写真を出して見せると、ロホが「おや?」と言う顔をした。アスルも戸惑った様な表情を見せた。ギャラガだけが「ふーん」と言う興味なさそうな顔で写真を見た。その顔をロホとアスルが見た。だからテオもギャラガを見て、やっと写真の中の男が誰に似ているのかわかった。
 ギャラガが先輩達の視線を感じて顔を上げた。

「何ですか?」

 後輩に対して遠慮と言うものを持たないアスルが言った。

「お前は写真の男と似ている、と思った。」

 ロホとテオも頷いたので、ギャラガは「でも」と言った。

「私の父親はギャラガです。ウィッシャーではありません。」
「だがお前の出生届は何処にも出ていなかっただろ?」

とアスルは容赦なく詰めた。アンドレ・ギャラガは物心がつく前に父親を亡くし(と母親が言ったそうだ。)、母親からはネグレクトされた。小学校も行かせてもらえなかった。軍隊に入ったのも、母親の死後、生きる為に彼自身が年齢を誤魔化して入隊したのだ。その時、どうやら陸軍の入隊検査がいい加減だったらしく、大統領警護隊にスカウトされて、初めて出生届が出ていないことが判明した。司令部はエステベス大佐の指示で彼の出生登録を行い、ギャラガはセルバ人であるにも関わらず、16歳になって初めて正式にセルバ国民となったのだ。彼の出生届の両親の欄に書かれている名前は、司令部が彼自身から聞き取った名前だった。それが真実の両親の名前なのかどうか、誰も知らないのだ。
 ギャラガが意地になって言った。

「私はそんな男を知りません。第一、アメリカに妻子がいるのにセルバでも家族を作るなんて・・・」

 テオは苦笑した。以前もそんな男と知り合った。セルバに妻子がいるのにアメリカでも女性に子供を産ませた男がいて、その息子と大統領警護隊は知り合ったのだ。

「アンドレ、気になるなら、君の遺伝子検査をしてやるぞ。ロジャー・ウィッシャーと兄弟かどうか判定してみれば良いんだ。」
「結構です。」

 ギャラガが珍しく反抗的になった。

「私は私です。ルーツなんか知りたくもありません。」
「でも君のサンプルは持っている。」

 ロホが言った。

「検査費用はいくらだったかな?」


 

第4部 花の風     10

  テオはロジャー・ウィッシャーの顔を眺めた。

「それで、貴方が俺を探していた理由は? 大統領警護隊と仲良くしている元アメリカ人を探していると言うアメリカ人は、貴方のことでしょう?」

 ウィッシャーが苦笑した。

「随分失礼なことをしてしまった様です。父親の手掛かりを求めてアメリカ大使館に協力を要請した折に、セルバ共和国で人探しをする時は大統領警護隊に動いてもらわないと無駄だと言われたのです。それで大統領府へ行って、警備している兵隊に声を掛けたのですが、全く相手にしてもらえませんでした。ここの大統領警護隊って、インディアンばかりなのですね?」

 テオは眉を顰めた。中南米を渡り歩く人らしくない物言いだ。

「インディアンではなく、インディヘナと呼びますがね。」
「ああ、そうでした・・・」

 ウィッシャーが頭を掻いた。

「アメリカ人ばかりで集まる傾向があるので、白人も黒人も先住民をインディアンって陰口叩いてしまうんですよ。何しろ、こちらが思う様に動いてくれないものだから。メスティーソの人達は愛想が良いんですけどね。」

 それは先住民の習慣を理解していないからだ、とテオは思ったが黙っていた。本当はインディヘナの呼び方よりも部族名を一つ一つ呼ぶ方が礼儀に適っているのだが。
 ウィッシャーが話を続けた。

「大統領警護隊が相手にしてくれないので困っていたら、隊員と親しくしている元アメリカ人がいると噂で聞いたんです。グラダ大学で講師をしていると聞いたもので・・・」
「准教授です。」
「そうでした。失礼しました。准教授でした。だから、前置きが長くなってしまいましたが、父の足取りを調査してもらえるよう頼んで頂きたいのです。父の名前は、アンドリュー・ウィッシャー、愛称はアンディでした。スペイン風に名乗ればアンドレアになるかな?」

 ウィッシャーは名刺入れから写真を一枚出した。机から降りて、テオの前に来た。

「同じものをコピーして沢山持っていますから、差し上げます。これが父のアンドリューです。20年前の写真なので、今はもっと歳を取っていますが。」

 スーツを着て、カメラに対してちょっと斜めに体を置き、顔を正面に向けて笑っている中年の男性だった。髪の色はロジャーより薄い茶色で、金髪に近い。目は息子と良く似て、薄い青、セールスマンらしく人懐こい顔だ。テオは何処かで見た顔だ、と言う印象を持った。

「これをコピーして配れば良いんですか?」
「大統領警護隊でなくても良いんです。隊員が協力しろと言ったら警察も動くと聞いたので。」

 テオは頷いた。大使館はそれなりのセルバの常識を持っているのだ。大使館員を動かしてこの国の守護者達を怒らせたくないのだ。
 テオは足元に置いてあった鞄を教卓の上に置いた。

「もしよろしければ、ここにDNA 採取セットがあります。貴方のサンプルを採らせていただけたら、お父さんらしき人を見つけた時に比較しますよ。」

 するとウィッシャーが奇妙な笑顔を見せた。

「父らしき死体と言う意味もありますね?」

 テオは肩をすくめて見せた。

「可能性もあります。」

 ウィッシャーが口を開けた。テオは笑って鞄を開き、箱を出した。綿棒で頬の内側を擦ってもらい、それをビニル袋に入れた。

 

2022/01/06

第4部 花の風     9

  ロジャー・ウィッシャーは話を続けた。

「僕のC I Aの活動は現地の社会情勢の調査でしたから、あまり危険なことはしていません。映画に出てくる様なスパイ活動じゃないですよ。毎日新聞やテレビのニュースを本国に送信するだけでした。まぁ、政情が不安定な国ではちょっとやばいこともありましたがね。でも僕の本当の目的は父親探しでした。父が行方不明になった前後のそれぞれの国の、アメリカ人の入国記録を調べていたんです。だが、父は手紙を出したガテマラを最後に足跡を消していました。僕はガテマラ国内をしらみ潰しに探したかったのですが、ニカラグアへ派遣された。そこでかなり危険な目に遭いまして・・・何とか乗り切った後で辞めました。普通のビジネスマンに戻ったんです。」
「それなのに、ガテマラではなくセルバへ来た理由は?」

 ウィッシャーは少し躊躇った。

「父の最後の手紙の内容が奇妙だったと言いましたね。父は『黄金の都を見つけるかも知れない』と書いていたのです。」

 テオは思わず「ハァ?」と声を出してしまった。

「黄金の都? エル・ドラドですか?」
「そうです。馬鹿みたいでしょう?」
「エル・ドラドを探すなら、アンデスへ行かないと・・・」
「僕もそう思ったのですが、父はセルバの伝説を聞いて、エル・ドラドの存在を確信したと書いていました。」
「セルバの伝説?」
「何でも、地の底に黄金の湖があって、宝石でできた魚が飾られている、と言う・・・」

 テオはドキリとした。それは、「太陽の野に星の鯨が眠っている」聖地のことではないのか? ”ヴェルデ・シエロ”の英雄達が亡くなった後、のんびり悠久の時を過ごしている地下の世界・・・。
 ウィッシャーはテオの微妙な顔色の変化に目敏く気づいた。

「何かご存知ですか?」

 テオは顔色を読まれたと悟った。だから言った。

「それは、セルバでは禁忌の文句です。『太陽の野に銀の鯨が眠っている』と言うフレーズで、犯罪組織などが敵対するグループに皆殺しの宣戦布告をする時に使うものです。」

 勿論、それは事実だった。何時の時代にか、「星の」が「銀の」と誤訳されて現代のセルバ人に伝わっているのだ。現代のセルバ人はただの呪いの言葉だと信じて疑わない。原文が地下深くに築かれた神殿に古代文字で刻まれた文言だと知らないのだ。

「太陽は黄金に光り輝いているから、黄金と誤解され、銀色の鯨は光っている宝石と取り違えられたんです。エル・ドラド伝説を求める人々が無理矢理な解釈をしたのでしょう。第一、セルバにはエル・ドラド伝説などありませんし、西部のオルガ・グランデに金鉱がありますが、大部分はアンゲルス鉱石と言う企業が所有しています。勝手に金を掘ると、連中に袋叩きにされます。」

 一気に喋ってから、テオは尋ねた。

「お父さんはその嘘の情報を信じてセルバに入ったと、貴方は考えているのですか?」
「それしか、今は思いつかないのです。メキシコ、ベリーズ、コスタリカ、エルサルバドル、ガテマラ、ニカラグア、パナマと探しましたが、父の手掛りは何処にもありませんでした。最後が、一番アメリカ人の入国が少ないセルバだったのです。ここで父の消息をつかめなければ・・・」

 ウィッシャーは溜め息をついた。

「コロンビアかボリビアに行ってみます。」


第4部 花の風     8

  翌日、テオが大学で初級生対象の遺伝子組み替えに関する講義をしていると、教室の最後列の机に遅れて入って来て着席した人がいた。学生かと思ったらそうではなかった。ロジャー・ウィッシャーだった。彼はテオと目が合うと、微笑して片手を顔の横の高さに上げて挨拶代わりにした。テオは軽く頷いて見せた。何となく心穏やかでなかったが、そのまま講義を続けた。彼の講義が終わると質問タイムだ。開講して1ヶ月経つと質問をする顔ぶれが決まってきた。将来の野外授業に参加するであろう学生達だ。テオは質問しない学生達にもわかりやすく答えを説明していったが、一体何パーセントがついて来るだろう。
 質問が出尽くし、彼が次回の講義までの課題を出すと、学生達はノートに書き留めたり、タブレットにメモしたりして、やがて騒々しく教室から出て行った。
 テオが黒板の文字を消していると、ウィッシャーが近づいて来た。「ハロー」の後、彼は言った。

「スニーカーのセイルスに来たんです。アメリカ人の准教授がいると聞いたので、覗いてみたら貴方だったので、驚きました。」
「遺伝子の組み替えにスニーカーは必要ありませんよ。」

 テオはわざとスペイン語で返した。検索した情報が正しければ、ウィッシャーは中南米をセイルスで渡り歩いて来た。スペイン語やポルトガル語を理解出来る筈だ。
 ウィッシャーが苦笑した。

「僕がスペイン語を話せるとご存知でしたか。」
「仕事で方々を歩いて来られたでしょう。」

 テオは黒板消しをクリーナーで綺麗にした。

「ここへ来られた本当の目的は何です?」
「本当の目的?」
「偶然この教室に来られたとは信じ難い。」

 彼はやっとウィッシャーの顔に真っ直ぐ向き直った。

「それとも、俺が何者か知ってて公園で声をかけて来られたのかな?」

 ウィッシャーが首をゆっくりと振った。彼は言語を英語に戻した。

「成る程、国立遺伝病理学研究所で一番の頭脳を持って生まれた人だと聞いていたが、流石に侮り難い。」
「C I Aですか?」

 テオがズバリと訊いた。ウィッシャーは再び首を振った。

「元です。ニカラグアで仕事をして、その後で辞めました。信じていただけないでしょうがね。」
「確かに、知り合って間もない貴方を信じる謂れはありませんが、差し支えなければ、C I Aを辞めた理由をお聞かせ願えませんか?」

 テオは相手の表情を窺った。嘘をついたら見破ってやる、そんな気持ちだった。ウィッシャーはそばの机の上に座った。

「僕がC I Aに協力した本来の目的を果たすためです。」
「貴方の目的?」
「そうです。僕は父親を探しているんです。僕が14歳の時に中央アメリカで消息を絶った父親をね。」

 ウィッシャーは教室の後方を振り返って誰もいないことを確認した。

「ここで話していても構わないですか? 次の授業とか・・・」
「この教室は午後の授業迄空いています。」

 だからと言って長話をするつもりはないテオは、チラリと天井に近い壁の時計を見た。

「お父さんが行方不明なのですか?」
「ええ、もう20年近くなるので、生きているとは思えませんがね。父はゴムの貿易商でした。中央アメリカの農園を新規開拓に出かけて、いつも留守ばかりしていました。ある時、手紙が母の所へ送られて来たんです。消印はガテマラでした。手紙には奇妙なことが書かれていて、母は笑っていました。しかし、その手紙が父からの最後の便りでした。父の消息はぷっつり途絶えてしまい、母は何度か国務省に父を探して欲しいと働きかけましたが、父の手がかりはガテマラで途絶えていると言う答えしかありませんでした。それで僕は学校を出てから今の会社に就職して、中南米をビジネスで歩き回りながら父の手がかりを探しているのです。C I Aに協力することになったのは、僕が色々な国に出入りしてそこそこ現地の内情に知識があったからです。」

 テオは黙って聞いていた。学校を出て就職した? では海兵隊は何時入隊したのだ?



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...