2022/01/10

第4部 花の風     18

  週末迄は平和に過ぎた。テオの自宅ではエミリオ・デルガド少尉が宿泊して、日中テオとアスルが仕事に出ている間、彼は市内の図書館に行ったり、スポーツ施設へ出かけたりして休日を楽しんでいた。許可されている休暇の期限迄後5日あると言う。それ迄は本部に帰りたくない様だ。若者らしく遊んでいた。アスルは彼に家事を手伝わせなかった。彼も下宿生活で、家賃を安くしてもらっている代わりに家事をしているのだ。デルガドは彼にとっても客であって、後輩だからと言って使うことはなかった。テオはアスルのそんな妙に律儀なところが可愛く思えた。
 憲兵隊はミイラの検死をグラダ大学医学部に依頼した。医学部では警察と憲兵隊から検死を請け負っているが、ミイラは滅多にないので、見学者が多かった、とアリアナが電話でテオに教えてくれた。彼女も見学したのだ。
 ミイラの着衣や履物の分析は憲兵隊の科学分析室が行う。セルバ共和国でも司法はちゃんと科学的な設備を持っているのだ。レントゲン撮影で骨やデンタルインプラントが確認された。ミイラは左大腿骨を骨折しており、それで地上に出られなかった可能性も考えられた。法医はミイラを傷つける了承を憲兵隊から得ると、インプラントの歯を取り出した。腕時計や、着衣のポケットに入っていた身分証らしきもの、骨の細胞などを採取した。

「骨格から判断するに、ミイラは白人、男性、残った歯を分析するが、恐らく20代から50代と思われる。」

 憲兵隊は時計の製造番号やインプラントの歯からミイラの身元を探すだろう。何処まで真剣に捜査するのか不明だが。
 テレビのニュースで時計や判明した情報が報道された。テオはDNA鑑定の依頼が来るかと思っていたが、憲兵隊から連絡はなかった。
 考古学部はケサダ教授以下学生達も苦悶のミイラの身元に無関心だ。彼等はバルデスが新たに送ってきたミイラを調べ、D N Aの鑑定に回すことなく、15世紀の”ヴェルデ・ティエラ”オルガ族の支族のミイラと結論を出した。遺跡登録の為の出張も教授の助手が行くと言うことで、文化保護担当部もアンドレ・ギャラガ少尉を派遣することにした。彼等は週末を待たずに木曜日に出発した。時間がかかる路線バスではなく、騒音が酷いセルバ航空の定期便だ。航空機嫌いのギャラガはロホから乗り物酔い防止の御呪いをしてもらってから空港へ出かけて行った。
 テオが金曜日の朝、エル・ティティ帰省の準備をしていると、デルガド少尉が官舎に帰ると挨拶した。

「まだ2日あるだろ?」
「体を勤務時のサイクルに戻しておかないと、復帰初日がきついですから。」

 エミリオ・デルガドは爽やかに笑って、宿泊と食事の礼を言って朝日の中を出て行った。テオは玄関ドアを閉じてリビングに戻った。アスルが出勤準備を終えて、こちらも出かけようとしていた。デルガドと特に仲良しと言う素振りを見せなかったが、夜のチェッカーの相手がいなくなって寂しいだろうとテオは思った。しかしそれを言うと怒る人間なので、黙っていた。

「アンドレもマハルダもいないから、今日のオフィスは忙しいんじゃないか?」

とテオが言うと、アスルはフンと言った。

「昔に戻っただけだ。」

と言ってから、彼はチェッと舌打ちした。

「カルロもいないんだった・・・」

 今日の文化保護担当部は、ケツァル少佐とロホとアスルの3人だけなのだ。つまり、明日の軍事訓練も3人だ。彼は口の中で呟いた。

「マーゲイを引き止めておけば良かった。」

 テオは笑いそうになって我慢した。デルガド少尉は頭脳明晰だろうが武闘派のイメージが強い。オフィスワークをしている姿を想像出来なかった。土産物屋の息子と言うことだが、帰省中はどうしていたのだろう。結局、私生活を何も語らずにデルガドは去って行ったのだ。


第4部 花の風     17

  ケツァル少佐は考古学部へ行き、ケサダ教授と新しい遺跡の登録について話し合った。教授は実際に現場を見てみないことには規模も位置もわからないと言うことで、次の週末にオルガ・グランデに行くと言った。少佐は彼の出発日時が決まったら教えてもらう約束をした。彼女が同行するか部下を行かせるか、それは教授のスケジュール次第だ。
 テオはその話を彼女が生物学部に戻って来た時に聞かされた。少佐が自宅での夕食に招いてくれたのだ。

「オルガ・グランデは教授の生まれ故郷だね。」

と言うと、少佐は頷いた。

「でも彼は今迄一度もそれに触れたことがありません。」

 きっと彼の出自を秘密にしたい養い親の意向があるのだろう。
 少佐は一足先に帰っていると言って、ベンツで去って行った。テオも自分の車に乗って家路を走った。バスターミナルの近くへ来ると、丁度南から来た路線バスが到着して乗客がゾロゾロ降りて来るところだった。テオは歩行者の為に減速した。するとバスから降りた人々の群れの中に、知っている顔を見つけた。彼はその人のそばまで車を近づけ、窓を開けて声をかけた。

「エミリオ!」

 エミリオ・デルガド少尉が振り返った。よく日焼けした顔を綻ばせた。

「ドクトル・アルスト! 久しぶりですね。」
「良ければ乗って行け。」
「グラシャス!」

 車を止めることなく、窓からリュックサックを後部席に放り込み、助手席のドアを開けてデルガドが入って来た。セルバ人は結構この手の芸当を普通にやっている。危険なので、テオは本当はやって欲しくないのだが、人種に関係なく彼等は日常しているのだ。
 ドアを閉じると、テオはスピードを上げた。

「本部へ帰るのかい? それともうちに来る?」
「まだ休暇中です。実家にいても暇なので戻って来たのですが・・・」
「それじゃうちに来い。と言っても、今夜俺はケツァル少佐の家の夕食に招かれている。俺の家にはアスルしかいない。どっちが良い?」

 ちょっと意地悪な選択だ。時間を考えると、アスルはまだ買い物中だろう。デルガドは数秒考えて、アスルを選んだ。上官の家に招かれもしないのに押しかけたくないのだ。テオは車を路肩に停めて、アスルに電話をかけた。デルガドを自宅に落として己は少佐の家に行くと言ったら、アスルは一言「わかった」と答えて切った。
 マカレオ通りの自宅前でデルガド少尉を下ろし、テオは西サン・ペドロ通りの高級コンドミニアムへ行った。デルガドは自分で鍵を開けられるので、外で待つことはない。
 急な人数変更でも家政婦のカーラは動じない。元々主人のケツァル少佐の食事量が多いので、1人客が増えても影響がないのだ。少佐はカーラが持ち帰る量をちゃんと考えて食べる。満腹になる必要がないので、残す場合もある。残れば朝食で食べてしまうし、残り物がなければ彼女自身で作るだけだ。
 宴会の時と違ってごく普通の家庭料理をテオは味わった。カーラの料理はどれも美味しい。店を出してもやっていけるのでは、と言ってみたが、彼女は笑っただけだった。
 宴会の時と違い、カーラは後片付けもした。テオは皿洗いを手伝い、彼女が帰り支度をしてタクシーに乗るまで付き合った。
 部屋に戻ると、少佐はテーブルの上にオルガ・グランデの地図を広げていた。その横にあるのは、2年前にアンゲルス鉱石の本社でもらった坑道地図だ。

「バルデスがミイラを見つけた墓所は、現在の旧市街地の商店街の地下の様です。」
「墓の上で商売をしているなんて、誰も夢にも思わないだろうな。」
「でもこの区画の何処かに、墓所に入る入り口があるのです。」
「上から探しても時間がかかるだけだ。墓所から上に出る通路を探した方が早くないか?」

 アンゲルス鉱石は地下の工事現場を照らす照明機材や掘削機を所有している。

「地下の墓所って、通路状だろ? 両側に棚みたいに岩を掘って、そこに遺体を置いて行く形式だったと思うが。」
「その通りです。通路1本だけの小規模な墓所なのか、枝分かれして複雑に広がっている大規模なものなのか・・・」

 少佐は市街地図に何か見つけた。

「ここに教会があります。小さいですが、古いと思います。ここが怪しいですね。」

 彼女は紙面を指でトントンと叩いた。

「ミイラの様子をフィデルに”心話”で見せてもらいました。きっと地下で死んでしまったのでしょう。気の毒ですが、何処かで無断侵入したに違いありません。」

2022/01/09

第4部 花の風     16

  憲兵隊が到着したのはテオが電話を掛けてから半時間以上経ってからだった。憲兵隊本部はグラダ大学から車で10分もかからない距離なのに、何故そんなに時間がかかるのか、とケサダ教授は指揮官の大尉に苦情を言った。
 テオの研究室の前は人だかりが出来ており、大学当局の事務員や他の教授や学生達が集まっていた。テオは生物学部の学部長に事態を説明し、憲兵隊にも説明し、最後にやって来た学長にも説明した。喋りながら、何故ミイラが新しいと見破ったケサダ教授が説明しないのか疑問に思った。ケサダ教授はミイラを収容する作業を始めた憲兵達に指図して、テントを撤収し、自分の教室の学生達を引き連れて考古学部へさっさと帰ってしまった。
 テオは遺伝子工学教室の学生達と部屋の掃除をした。干からびた死体を目撃してしまった若者達にトラウマが残らないか心配だったので、気分が悪くなった人は医学部のカウンセラーを紹介すると言っておいた。
 憲兵隊の大尉は、テオに、ミイラが出土した場所はオルガ・グランデなので、捜査権は向こうの憲兵隊に移ると言った。但し、ミイラの身元を調べるのに遺伝子工学教室の協力を求める可能性もあるので、その時はよろしく、と言って撤収して行った。
 静かになるとテオはどっと疲れを感じた。今日は早く帰って休もうと部屋を片付けていると、ケツァル少佐が現れた。

「ミイラが現代人のものだったそうですね?」

 ケサダ教授から聞いたのかと思ったら、そうではなく、噂を立てることはマナー違反と考えるセルバ人らしくなく、ニュースが早々にテレビやラジオで流れていたのだ。大学で思いがけない死体が見つかったと、メディアがセンセーショナルに報道していた。
 テオは苦笑した。

「ケサダ教授が珍しく怒鳴っていたぞ。バルデスは彼が何者か知らないだろ?」
「恐らく、ただの考古学の先生としか認識していないでしょう。」
「教授はバルデスの嫌がらせかと疑っていた。バルデスは、あのミイラが恐ろしげなので鉱夫達が怯えたのだと言い訳していたけどね。」

 少佐が笑った。彼女はミイラは怖くない。怖いのは本気で怒った場合のケサダ教授だ。

「それで、遺跡発見は本当のことなのですね?」
「スィ。ミイラは他にもあるらしい。教授は別のものを送れとバルデスに要求していた。」
「普通のミイラが後で送られて来るのですか。」

 少佐は考古学部がある人文学の学舎を窓から眺めた。

「取り敢えず、新発見の遺跡として名称を決めて登録しないといけませんね。後で地図で位置を確認しなければ。」
「ミイラはチタンのインプラントをして、腕時計を嵌めていた。服装もボロボロだったが俺達と同じような服を着ていた。」
「チタンのインプラント?」

 少佐が興味を持ってテオを見た。

「見えたのですか?」
「ノ、俺には見えなかった。ケサダにはわかったみたいだ。」

 もしかして拙いのでは、とテオは感じた。ケサダ教授は無意識にミイラを透視してしまったのだ。だが、そんなことに疑いを抱く学生や憲兵はいただろうか?

「憲兵隊にも検死施設があります。恐らくレントゲンや解剖で死因や遺体の特徴を掴んで身元調査を試みるでしょう。DNA鑑定はその後です。」
「あの死体は、もう使われなくなった墓地にあったんだ。」
「墓地が500年近く前のものだと言っていましたね。きっと地下墓地の上にスペイン人が建物を築き、その後植民地支配が終わった後も建物が上に残ったのでしょう。アンゲルス鉱石は地下を掘って墓地に行き当たったのですから、死体はそれより前、誰かが地下墓地の入り口を知っていて、そこから入れられたものと思われます。或いは、誰かが入り込んで迷ってしまい、出られずに死んでしまったか・・・」

 少佐は肩をすくめた。

「事件なのか事故なのか、検死でわかると良いですが。」



第4部 花の風     15

  梱包されたミイラと言うのは、結構場所を取る荷物になった。犯罪被害者等の鑑定の場合、医学部や病院で解剖して採取した検体を遺伝子工学教室に送って来るのだが、ミイラの場合はどの部分の細胞を採るのか遺伝子学者が決めるので、テオの研究室で梱包を解くことになる。テオと彼の教室の学生達は、荷物を運んできたケサダ教授と教授の研究室の学生達が梱包を解くのを取り巻いて見学した。教授は埃が飛散しないよう、発掘現場で用いる雨の日対策用ビニルテントを設置し、その中に荷物を置いた。テオ達は透明のテントの外側にいた。テントの中は蒸し風呂並みに暑いだろうに、考古学教室の学生達は繋ぎの作業着に帽子とマスク、手袋を着用して作業した。大事な弟子達が埃を吸い込まないよう、教授が彼等に装備させたのだ。アンゲルス鉱石の作業員達が包んだキャンバス生地を剥がし、ボロボロになった崩れる寸前の古い布を慎重に剥いでいく。取った布も研究資料なので、ビニル袋に収納する係もいた。
 やがてミイラが姿を現わすと、その異様なポーズにテオは思わず目を見張った。学生達もちょっとざわついた。考古学教室の学生達も作業の手を止めて、戸惑った様子で教授を見た。
 ケサダ教授がミイラを手袋を嵌めた手で掴み、その顔を見える様に動かした。扱い慣れている手つきだが、マスクの上に見えている目は厳しかった。
 テオはミイラをビニル越しに眺めた。亡くなって埋葬されたセルバ人のミイラは普通三角座りの姿勢で座っている。しかし、テントの中で梱包を解かれたミイラは地面に四つん這いになった姿勢で、片手を前に伸ばしていた。まるで救いを求めているポーズだ。その顔は口を大きく開き、苦悶の叫びを上げているかの様だ。髪の毛は赤かった。着衣は崩れそうなボロ布になっていたが、西洋風の衣服に見えた。
 ケサダ教授は学生達にテントから出る様に指図した。その際に、彼等にすぐ防護装備を解いて体を洗うように言いつけた。そしてテオを呼んだ。テオがテントの入り口に行くと、彼は憲兵隊を呼ぶよう要請した。テオはミイラを見た。そして500年前にミイラになった人が身につけている筈がない物を目撃した。彼も遺伝子工学教室の学生達を振り返って宣言した。

「今日の作業はここまでだ。聞いた通り、これから憲兵隊を呼ばなければならない。2、3人残って憲兵が来たら、ここへ案内して欲しい。」

 そして彼は携帯電話を出した。憲兵隊本部に繋がると彼は言った。

「グラダ大学生物学部遺伝子工学教室のテオドール・アルスト准教授です。オルガ・グランデから送られて来たミイラを研究する為に、考古学部が運び込んで梱包を解いたのですが、そのミイラがどうも新しいのです。」
ーーミイラが新しい?
「多分この半世紀以内のものです。現代人のものです。」
ーーそんなことがすぐわかったのですか?
「スィ。腕時計をはめていますから。」

 憲兵隊は出動を渋った様子だったが、テオが憲兵隊が来ないのなら大統領警護隊を呼ぶと言ったら、慌てて「すぐに人を遣る」と言って切った。
 テントの中ではケサダ教授がオルガ・グランデのアントニオ・バルデスに電話を掛けていた。テオが憲兵隊との会話を終えた時、教授はアンゲルス鉱石の社長に苦情を言い立てていた。

「貴方は考古学的調査が必要なミイラと、最近死んだ人間のミイラの区別もつかないのですか? チタンのデンタルインプラント治療を行い、腕時計をはめた人間が500年前に存在したと思っているのですか?」

 ケサダ教授はバルデスが厄介な死体をこちらへ押しつけたと決めつけた。

「他にもミイラはあったのでしょう? 何故それをこっちへ送らないのです? 新しい死体はそちらで処理して欲しかった。」

 なんだか問題点がテオとケサダ教授ではズレている感じがしないでもなかったが、テオはアントニオ・バルデスが故意に新しい死体を選んで送りつけたと言うケサダ教授の考えを支持したかった。 ケサダ教授の電話からバルデスの声が聞こえた。

ーー苦しんでいる姿のミイラが鉱夫達を怯えさせたんですよ、教授! だから送ったんだ。時計は兎に角、インプラントなんか知りませんよ!

 教授が怒鳴り返した。

「すぐに別のミイラを送って来なさい。さもないと、ここにあるミイラを送り返します。鑑定費用も全部そちらに請求しますからね!」

 教授は声は怒っているが、感情的になっていない、とテオはわかっていた。フィデル・ケサダは”ヴェルデ・シエロ”だ。本気で腹を立てれば室温が下がる。それだけは、はっきりとテオは知っていた。


第4部 花の風     14

  夕刻、テオは文化・教育省の前で省庁が閉庁するのを待った。午後6時になると、ビルの中から一斉にお役人達が出て来た。裏手の駐車場へ行く人、バスターミナルへ向かう人、飲食店街へ消えていく人・・・。アンドレ・ギャラガとアスルが前後して出て来た。アスルがテオを見て顔を顰めた。

「まさか俺を迎えに来たんじゃないだろうな?」
「残念ながら違う。でも一緒に乗って帰っても良いぞ。」

 アスルは断るジェスチャーをして、1人で歩いて街中へ去って行った。多分、食材を購入して先回りして帰るのだ。料理は彼の趣味の一つだ。妨害すると怒るので、テオは彼が料理をしそうな日は少し遅れて帰ることにしていた。
 ギャラガはテオに「また明日」と挨拶してバスターミナルへ歩き去った。官舎に帰って質素な夕食を取り、勉強するのだ。
 ケツァル少佐とロホは話をしながら出て来た。テオに気がつくと、彼等は足を止めた。

「約束でもしてました?」

と少佐が不審そうに尋ねた。夕食の約束がなければ彼女は真っ直ぐ帰宅して、家政婦のカーラが作った美味しい夕食を1人で楽しみたいのだ。ロホはそんな上官の生活を知り尽くしているので、ちょっと笑った。テオは「そうじゃない」と急いで否定して、用件を述べた。

「土曜日に公園で声を掛けてきたアメリカ人の件だ。」

 少佐がカフェを見たので、ロホは「お先に」と帰ってしまった。テオは少佐に導かれるままカフェテリア・デ・オラスに入った。
 コーヒーだけ注文して、ロジャー・ウィッシャーとあれから日曜日と月曜日に続けて出会ったこと、ウィッシャーの怪しい父親探しの依頼を少佐に語った。

「大統領警護隊は人探しが任務ではありません。」

と少佐が不機嫌そうに言った。そうとも、とテオは同意した。

「だから、彼は大統領警護隊が警察か憲兵隊を動かしてくれないかと期待しているようなことを言っているんだ。」
「警察も憲兵隊も暇ではありません。」
「実際に動く必要はないさ。声を掛けてくれさえすれば良いんだ。俺も大統領警護隊に相談してみたから。」

 言いつつ、彼はアンドリュー・ ウィッシャーなる人物の写真を出した。ケツァル少佐はそれを見て、ますます不機嫌な顔になった。

「アンドレに似ていますね。」
「偶然だと思うが。それにC I Aなら、事前にアンドレの写真を入手して古い写真らしく加工も出来るだろう。俺たちに接近する理由を作るために。」

 彼女が気が進まなさそうな顔で写真を摘み上げた。

「兎に角、私達に好奇心を持った人物と言うことですね。セプルベダ少佐にこの件を預けても良いですか?」

 テオはドキリとした。セプルベダ少佐は大統領警護隊遊撃班の指揮官だ。遊撃班は正規任務でない突発的な事案に対処する部署で、隊員は大統領警護隊の中でもエリートと呼ばれる猛者ばかりだ。遊撃班が動けば、他の部署の隊員達は何か不穏な出来事があったなと思うだろう。そうなると何時かは”砂の民”にも知られる。

「ロペス少佐にも言ってあるんだ。人探しじゃないが、俺達に興味を抱いたアメリカ人がいるって。外務省からは何も言ってこないが。」
「シーロはアリアナの安全の為にも何か手を打つでしょう。でも彼自身が何かをすることはありません。彼の仕事は調査と指図です。実際の対処は、やはり遊撃班に指図が下ります。」

 結局セプルベダ少佐の部下が動くのだ。テオはカルロ・ステファン大尉がまだ地下神殿から戻っていないことを残念に思った。ステファンならこちらの我が儘を多少は聞いてくれるだろうに。何はともあれ、テオが大統領警護隊を動かすことは出来ない。
 テオはもう一つの用件に移った。

「別件でもう一つ用事がある。これは依頼じゃないんだ。ケサダ教授に頼まれたんだが、オルガ・グランデのアンゲルス鉱石が新しい坑道を掘っていて、遺跡を発見した。墓地らしい。そのうちアンゲルス鉱石から文化保護担当部に報告が行くと思うが、バルデスが忘れるようだったら困るから、君に伝えておいてくれ、と言うことだ。」
「新しい遺跡ですか。」

 少佐も本業の話になったので、ちょっと機嫌が直った。

「墓地と言うことは・・・」
「ミイラが出た。それで明日そのミイラが俺の研究室に届けられる予定だ。普通のセルバ人であると言う鑑定結果が欲しいんだとさ。アンゲルス鉱石の従業員達が”シエロ”の墓じゃないかと心配して働かないので、バルデスが困っているそうだ。」
「それはただのストの口実でしょう。」

 と少佐が苦笑した。


 

第4部 花の風     13

  翌日、テオが大学の昼休みに学生達と世間話をしながらランチを楽しんでいると、考古学部のケサダ教授が近づいて来た。

「ブエノス・タルデス、遺伝子工学の諸君。」

 教授の挨拶を聞いて、テオはご機嫌良さそうだと思った。この先住民の先生はいつも服装がきちんとしていて、私服でも清潔感が漂う。女子学生達のみならず男性学生も憧れの目で見る人だ。学生達が振り返り、挨拶を返した。1人が冗談混じりに言った。

「いつも難儀なミイラの細胞を有り難うございます。今日のミイラは何ですか?」

 横に座っている女性が肘を突っついて注意を与えたが、教授は怒りもせずに微笑んだ。

「今日は君たちに人間のミイラをお願いしようと思ってね。」

 学生達がシーンとなったので、テオは可笑しくなった。

「遺跡から人間が出ましたか、教授?」
「スィ。」
「それは凄い!」

 遺跡が多いセルバ共和国だからと言って、簡単に人間のミイラが発掘される訳ではない。テオは興味を抱いた。現在ケサダ教授の教室の学生達が掘っているのは、比較的年代が新しく、ミイラを作る条件には適さない気候の東海岸地方の小さな遺跡5ヶ所だった。しかし、教授は言った。

「残念ながら私の学生達の手柄ではないのです。ミイラはオルガ・グランデのアンゲルス鉱石の坑道で同社の従業員達が掘り当てたのです。」
「坑道で?」

 テオは急に不安になった。「太陽の野に星の鯨が眠っている」と言う文言が刻まれている「暗がりの神殿」はアンゲルス鉱石社の坑道の地中奥深くにある。あの付近は既に金鉱を掘り尽くしたとして廃坑になっている筈だ。
 しかしケサダ教授は泰然として言った。

「新しい坑道を拡張する作業で、昔の墓所にぶつかったらしいのです。現地の考古学者が5世紀前の墓だと判定したのですが、鉱夫達が、もし”ヴェルデ・シエロ”の墓だったら呪いを受けると怖がって作業を中断しているらしく、困ったバルデス社長が鑑定を依頼して来ました。」

 セルバ人のミイラは布の衣で包まれて埋められる。エジプトのミイラの様な副葬品がないので、部族や年代の推定が難しい。勿論、その墓が発見された場所にどんな部族が住んでいたのか、現地の考古学者は調べているから推定出来ているのだ。しかし、怯える鉱夫達を宥める為に大学へ鑑定依頼が来た訳だ。
 学生達の中で囁き声が聞こえた。

「”ヴェルデ・シエロ”のDNAサンプルなんて存在しないぞ。」
「比較しようがないじゃないか?」
「馬鹿だな、現代人のDNAと比較して同じだと証明すれば良いのさ。」

 テオがケサダ教授を見ると、教授はその囁き声の会話を耳にして微笑んでいた。テオは学生の意見を支持した。

「ミイラを鑑定して、現代人と同じだと証明すれば良いのですね?」
「スィ。墓がある場所に昔住んでいた部族はわかっています。彼等は今でもオルガ・グランデで我々と同じ生活をしているので、サンプルが必要なら取り寄せます。」
「その必要はないでしょう。部族まで特定してくれとバルデス氏が要求されるのでしたら、話は別ですがね。それと関係なく、鑑定料金をしっかり請求されると良いですよ。こちらから、考古学部に請求する鑑定料に、そちらの手数料を上乗せして請求するんです。」

 ケサダ教授は愉快そうに笑った。学生達も笑った。女子学生が不安そうに教授に質問した。

「ケサダ先生、そのミイラは何時届くんですか?」
「予定では明日。」
「じゃ、私、休みます。」

 またテーブル周辺でドッと笑い声が上がった。
 ケサダ教授はその女子学生を指差して首を振り、それからテオに頼み事をもう一つ加えた。

「新しい遺跡発見と言うことになるので、大統領警護隊文化保護担当部にアンゲルス鉱石から報告が行くと思いますが、もし彼等がそれを怠った場合は罰則ものですから、貴方からミゲール少佐に前もって伝えておいていただけませんか?」
「わかりました。必ず伝えておきます。少佐に出会えなくても、クワコ少尉には必ず出会いますから。」

 ケサダ教授が立ち去ると、学生達の話題はミイラの細胞抽出方法に移った。テオはそれを聴きながら、何となく己の研究室の方向性を確立出来そうに感じた。ミイラの遺伝子鑑定だ。行き当たりばったりで家畜の遺伝子組み替えや植物の品種改良の研究の手伝いをしていたが、これから専門分野としてミイラの鑑定をしていこう。それなら文化保護担当部とも考古学部とも繋がりが持てる。

「そう言えばさぁ・・・」

と対面に座っている男子学生がつまらなそうな表情で言った。

「文化保護担当部のあの娘、デネロスは最近大学に来ないなぁ。」
「マハルダ・デネロスかい? そう言えば新学期が始まってから来ていないな。」
「忙しいんじゃない? 彼女、あれでも少尉よ。大統領警護隊の少尉って言ったら、陸軍の少佐みたいな位なんだって。」
「偉いんだ!」
「まだ20歳だよな?」

 1人がテオを振り返った。

「先生、デネロス少尉と最近出会いますか?」
「彼女は遺跡にいるよ。」

 テオはデネロスが男子学生達に人気があることを知って、ちょっと嬉しかった。

「オクタカス遺跡ってジャングルの中の遺跡でフランスの発掘隊の監視と護衛を指揮している。11月迄は帰って来ない。」

 男子学生達から失望のブーイングが上がった。

2022/01/08

第4部 花の風     12

  テオがカルロ・ステファン大尉から以前聞いた話によると、アンドレ・ギャラガの父親はアメリカ人で、ギャラガが5歳の時に亡くなったことになっている。母親は父親の姓はギャラガだったと息子に教えたそうだ。しかしファーストネームを教えてもらった記憶はギャラガになかった。ギャラガをネグレクトして、偶に相手にする時は殴ったり罵ったりするばかりだった母親の名前はルピタ・カノと言った。ステファン大尉が言うには、ルピタはマリア・グアダルぺの愛称なのだそうだ。しかしギャラガは、記憶の中にある母親がそんな高貴な印象を与える名前だったとは到底思えなかった。ルピタは街娼だったのだ。彼女は息子に自分達はブーカ族だと教えていたが、カノと言う名前はカイナ族に多いのだと言う。ブーカ、オクターリャより力の弱いカイナ族であることは決して恥ではないのだが、ギャラガが放つ気は大きく、大統領警護隊は彼がルピタが言った通りブーカ族で間違いないだろうと考えていた。しかし、彼が初めてナワルを使った時、色は薄いものの黒いジャガーに変身したことから、彼の大きな気はグラダ族の血から来ていることが判明した。恐らく、グラダを遠い祖先に持ち、ブーカとカイナの血も受け継ぎ、”ティエラ”の血が混ざり、最後に白人の血が入った複雑なミックスの”ヴェルデ・シエロ”、それがアンドレ・ギャラガだった。
 ギャラガの外見は白人だ。色白で髪は赤い。目も薄い茶色だ。しかし完全に白人かと言えばそうでもなくて、先住民の雰囲気も持っている、そんな風貌だ。だからメスティーソの女性達に彼はよくモテる。現在のところ、仕事と勉学に忙しい男なので、恋人を作る気はないらしい。
 ギャラガは出自に関してコンプレックスがあるので、先祖の話が好きでない。特に白人の血のことに触れられるのを嫌がる。彼にすれば、今更親族が現れても迷惑なだけだ、と言う気分なのだろう、とテオは気遣った。両親の墓が何処にあるのかも覚えていない男は、もしかすると異母兄弟かも知れないアメリカ人の出現に、腹を立てているかの様に見えた。
 3軒目のバルで、ロホとアスルは卓上サッカーゲームに興じた。テオとギャラガはそばでそれを眺めながら、ビールを飲んでいた。

「例の父親探しをしているアメリカ人ですが・・・」

と不意にギャラガが話しかけて来た。テオは顔を向けて、聞いているよ、と示した。ギャラガが続けた。

「その男自身がエル・ドラドを探していると言うことはありませんか?」
「あー、成る程、そう言う考え方もあったなぁ。」

 テオは、ロジャー・ウィッシャーがアリアナや彼の様子を探りに来たとか、”ヴェルデ・シエロ”に関心を持って調べに来たとか、そっち方面を考えていたので、ギャラガの発想に盲点を突かれた感じがした。

「セルバに黄金郷伝説はないだろ? 俺はそこまで思いつかなかったな。」
「私はそのウィッシャーと言う男が、南の国に兄弟姉妹がいるかも知れないと考えないことを思うと、父親さえ見つければ、黄金があるかないか確認出来ると思っている様な気がします。」
「俺は彼のネット情報では海兵隊に所属した経験があるのに、彼自身が俺に話した経歴にはそれが一切触れられていないことが気になったんだ。俺がネットで確認することを予想しなかったのか、それとも知られても支障がない経歴なのか・・・」
「海兵隊よりCIA に属していた経歴の方が知られたくないと思いますけどね。」

 テオは彼を眺めた。

「アンドレ、君は英語を話せたな?」
「私の見た目が白人なので、上官の意向で英語の会話と読み書きはしっかり学習させられました。」
「アメリカ人のふりをしなくても良いから、英語が出来るセルバ人として、ウィッシャーと接触出来ないか? ”操心”とか習得しただろ?」
「ウィッシャーから情報を引き出すのですか?」

 ギャラガは好奇心で目を輝かせた。しかし、理性が勝った。

「面白そうですが、上官の許可を得ませんと・・・」

 彼がここで言う上官は、ケツァル少佐だ。ギャラガを警備班から引き抜いて、姉の様に見守りながら厳しく能力習得の監督をしている師匠でもある。怒らせると、非常に恐ろしい。”ヴェルデ・シエロ”は普通の人間の心を目を見て支配してしまう能力を持っているが、テオの様にその技が効かない人間も稀に存在する。少佐は、まだ未熟な部下が万が一にもそんな人間に遭遇して危険な目に遭わないよう、”操心”の無断使用を認めないのだ。
 だから、テオはこの場は退くことにした。

「そうだな、俺の好奇心を満たす目的で君が営倉送りになっては申し訳ない。俺から少佐に相談してみる。どのみち、この写真を配らないといけないから。」



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...