2022/01/09

第4部 花の風     16

  憲兵隊が到着したのはテオが電話を掛けてから半時間以上経ってからだった。憲兵隊本部はグラダ大学から車で10分もかからない距離なのに、何故そんなに時間がかかるのか、とケサダ教授は指揮官の大尉に苦情を言った。
 テオの研究室の前は人だかりが出来ており、大学当局の事務員や他の教授や学生達が集まっていた。テオは生物学部の学部長に事態を説明し、憲兵隊にも説明し、最後にやって来た学長にも説明した。喋りながら、何故ミイラが新しいと見破ったケサダ教授が説明しないのか疑問に思った。ケサダ教授はミイラを収容する作業を始めた憲兵達に指図して、テントを撤収し、自分の教室の学生達を引き連れて考古学部へさっさと帰ってしまった。
 テオは遺伝子工学教室の学生達と部屋の掃除をした。干からびた死体を目撃してしまった若者達にトラウマが残らないか心配だったので、気分が悪くなった人は医学部のカウンセラーを紹介すると言っておいた。
 憲兵隊の大尉は、テオに、ミイラが出土した場所はオルガ・グランデなので、捜査権は向こうの憲兵隊に移ると言った。但し、ミイラの身元を調べるのに遺伝子工学教室の協力を求める可能性もあるので、その時はよろしく、と言って撤収して行った。
 静かになるとテオはどっと疲れを感じた。今日は早く帰って休もうと部屋を片付けていると、ケツァル少佐が現れた。

「ミイラが現代人のものだったそうですね?」

 ケサダ教授から聞いたのかと思ったら、そうではなく、噂を立てることはマナー違反と考えるセルバ人らしくなく、ニュースが早々にテレビやラジオで流れていたのだ。大学で思いがけない死体が見つかったと、メディアがセンセーショナルに報道していた。
 テオは苦笑した。

「ケサダ教授が珍しく怒鳴っていたぞ。バルデスは彼が何者か知らないだろ?」
「恐らく、ただの考古学の先生としか認識していないでしょう。」
「教授はバルデスの嫌がらせかと疑っていた。バルデスは、あのミイラが恐ろしげなので鉱夫達が怯えたのだと言い訳していたけどね。」

 少佐が笑った。彼女はミイラは怖くない。怖いのは本気で怒った場合のケサダ教授だ。

「それで、遺跡発見は本当のことなのですね?」
「スィ。ミイラは他にもあるらしい。教授は別のものを送れとバルデスに要求していた。」
「普通のミイラが後で送られて来るのですか。」

 少佐は考古学部がある人文学の学舎を窓から眺めた。

「取り敢えず、新発見の遺跡として名称を決めて登録しないといけませんね。後で地図で位置を確認しなければ。」
「ミイラはチタンのインプラントをして、腕時計を嵌めていた。服装もボロボロだったが俺達と同じような服を着ていた。」
「チタンのインプラント?」

 少佐が興味を持ってテオを見た。

「見えたのですか?」
「ノ、俺には見えなかった。ケサダにはわかったみたいだ。」

 もしかして拙いのでは、とテオは感じた。ケサダ教授は無意識にミイラを透視してしまったのだ。だが、そんなことに疑いを抱く学生や憲兵はいただろうか?

「憲兵隊にも検死施設があります。恐らくレントゲンや解剖で死因や遺体の特徴を掴んで身元調査を試みるでしょう。DNA鑑定はその後です。」
「あの死体は、もう使われなくなった墓地にあったんだ。」
「墓地が500年近く前のものだと言っていましたね。きっと地下墓地の上にスペイン人が建物を築き、その後植民地支配が終わった後も建物が上に残ったのでしょう。アンゲルス鉱石は地下を掘って墓地に行き当たったのですから、死体はそれより前、誰かが地下墓地の入り口を知っていて、そこから入れられたものと思われます。或いは、誰かが入り込んで迷ってしまい、出られずに死んでしまったか・・・」

 少佐は肩をすくめた。

「事件なのか事故なのか、検死でわかると良いですが。」



第4部 花の風     15

  梱包されたミイラと言うのは、結構場所を取る荷物になった。犯罪被害者等の鑑定の場合、医学部や病院で解剖して採取した検体を遺伝子工学教室に送って来るのだが、ミイラの場合はどの部分の細胞を採るのか遺伝子学者が決めるので、テオの研究室で梱包を解くことになる。テオと彼の教室の学生達は、荷物を運んできたケサダ教授と教授の研究室の学生達が梱包を解くのを取り巻いて見学した。教授は埃が飛散しないよう、発掘現場で用いる雨の日対策用ビニルテントを設置し、その中に荷物を置いた。テオ達は透明のテントの外側にいた。テントの中は蒸し風呂並みに暑いだろうに、考古学教室の学生達は繋ぎの作業着に帽子とマスク、手袋を着用して作業した。大事な弟子達が埃を吸い込まないよう、教授が彼等に装備させたのだ。アンゲルス鉱石の作業員達が包んだキャンバス生地を剥がし、ボロボロになった崩れる寸前の古い布を慎重に剥いでいく。取った布も研究資料なので、ビニル袋に収納する係もいた。
 やがてミイラが姿を現わすと、その異様なポーズにテオは思わず目を見張った。学生達もちょっとざわついた。考古学教室の学生達も作業の手を止めて、戸惑った様子で教授を見た。
 ケサダ教授がミイラを手袋を嵌めた手で掴み、その顔を見える様に動かした。扱い慣れている手つきだが、マスクの上に見えている目は厳しかった。
 テオはミイラをビニル越しに眺めた。亡くなって埋葬されたセルバ人のミイラは普通三角座りの姿勢で座っている。しかし、テントの中で梱包を解かれたミイラは地面に四つん這いになった姿勢で、片手を前に伸ばしていた。まるで救いを求めているポーズだ。その顔は口を大きく開き、苦悶の叫びを上げているかの様だ。髪の毛は赤かった。着衣は崩れそうなボロ布になっていたが、西洋風の衣服に見えた。
 ケサダ教授は学生達にテントから出る様に指図した。その際に、彼等にすぐ防護装備を解いて体を洗うように言いつけた。そしてテオを呼んだ。テオがテントの入り口に行くと、彼は憲兵隊を呼ぶよう要請した。テオはミイラを見た。そして500年前にミイラになった人が身につけている筈がない物を目撃した。彼も遺伝子工学教室の学生達を振り返って宣言した。

「今日の作業はここまでだ。聞いた通り、これから憲兵隊を呼ばなければならない。2、3人残って憲兵が来たら、ここへ案内して欲しい。」

 そして彼は携帯電話を出した。憲兵隊本部に繋がると彼は言った。

「グラダ大学生物学部遺伝子工学教室のテオドール・アルスト准教授です。オルガ・グランデから送られて来たミイラを研究する為に、考古学部が運び込んで梱包を解いたのですが、そのミイラがどうも新しいのです。」
ーーミイラが新しい?
「多分この半世紀以内のものです。現代人のものです。」
ーーそんなことがすぐわかったのですか?
「スィ。腕時計をはめていますから。」

 憲兵隊は出動を渋った様子だったが、テオが憲兵隊が来ないのなら大統領警護隊を呼ぶと言ったら、慌てて「すぐに人を遣る」と言って切った。
 テントの中ではケサダ教授がオルガ・グランデのアントニオ・バルデスに電話を掛けていた。テオが憲兵隊との会話を終えた時、教授はアンゲルス鉱石の社長に苦情を言い立てていた。

「貴方は考古学的調査が必要なミイラと、最近死んだ人間のミイラの区別もつかないのですか? チタンのデンタルインプラント治療を行い、腕時計をはめた人間が500年前に存在したと思っているのですか?」

 ケサダ教授はバルデスが厄介な死体をこちらへ押しつけたと決めつけた。

「他にもミイラはあったのでしょう? 何故それをこっちへ送らないのです? 新しい死体はそちらで処理して欲しかった。」

 なんだか問題点がテオとケサダ教授ではズレている感じがしないでもなかったが、テオはアントニオ・バルデスが故意に新しい死体を選んで送りつけたと言うケサダ教授の考えを支持したかった。 ケサダ教授の電話からバルデスの声が聞こえた。

ーー苦しんでいる姿のミイラが鉱夫達を怯えさせたんですよ、教授! だから送ったんだ。時計は兎に角、インプラントなんか知りませんよ!

 教授が怒鳴り返した。

「すぐに別のミイラを送って来なさい。さもないと、ここにあるミイラを送り返します。鑑定費用も全部そちらに請求しますからね!」

 教授は声は怒っているが、感情的になっていない、とテオはわかっていた。フィデル・ケサダは”ヴェルデ・シエロ”だ。本気で腹を立てれば室温が下がる。それだけは、はっきりとテオは知っていた。


第4部 花の風     14

  夕刻、テオは文化・教育省の前で省庁が閉庁するのを待った。午後6時になると、ビルの中から一斉にお役人達が出て来た。裏手の駐車場へ行く人、バスターミナルへ向かう人、飲食店街へ消えていく人・・・。アンドレ・ギャラガとアスルが前後して出て来た。アスルがテオを見て顔を顰めた。

「まさか俺を迎えに来たんじゃないだろうな?」
「残念ながら違う。でも一緒に乗って帰っても良いぞ。」

 アスルは断るジェスチャーをして、1人で歩いて街中へ去って行った。多分、食材を購入して先回りして帰るのだ。料理は彼の趣味の一つだ。妨害すると怒るので、テオは彼が料理をしそうな日は少し遅れて帰ることにしていた。
 ギャラガはテオに「また明日」と挨拶してバスターミナルへ歩き去った。官舎に帰って質素な夕食を取り、勉強するのだ。
 ケツァル少佐とロホは話をしながら出て来た。テオに気がつくと、彼等は足を止めた。

「約束でもしてました?」

と少佐が不審そうに尋ねた。夕食の約束がなければ彼女は真っ直ぐ帰宅して、家政婦のカーラが作った美味しい夕食を1人で楽しみたいのだ。ロホはそんな上官の生活を知り尽くしているので、ちょっと笑った。テオは「そうじゃない」と急いで否定して、用件を述べた。

「土曜日に公園で声を掛けてきたアメリカ人の件だ。」

 少佐がカフェを見たので、ロホは「お先に」と帰ってしまった。テオは少佐に導かれるままカフェテリア・デ・オラスに入った。
 コーヒーだけ注文して、ロジャー・ウィッシャーとあれから日曜日と月曜日に続けて出会ったこと、ウィッシャーの怪しい父親探しの依頼を少佐に語った。

「大統領警護隊は人探しが任務ではありません。」

と少佐が不機嫌そうに言った。そうとも、とテオは同意した。

「だから、彼は大統領警護隊が警察か憲兵隊を動かしてくれないかと期待しているようなことを言っているんだ。」
「警察も憲兵隊も暇ではありません。」
「実際に動く必要はないさ。声を掛けてくれさえすれば良いんだ。俺も大統領警護隊に相談してみたから。」

 言いつつ、彼はアンドリュー・ ウィッシャーなる人物の写真を出した。ケツァル少佐はそれを見て、ますます不機嫌な顔になった。

「アンドレに似ていますね。」
「偶然だと思うが。それにC I Aなら、事前にアンドレの写真を入手して古い写真らしく加工も出来るだろう。俺たちに接近する理由を作るために。」

 彼女が気が進まなさそうな顔で写真を摘み上げた。

「兎に角、私達に好奇心を持った人物と言うことですね。セプルベダ少佐にこの件を預けても良いですか?」

 テオはドキリとした。セプルベダ少佐は大統領警護隊遊撃班の指揮官だ。遊撃班は正規任務でない突発的な事案に対処する部署で、隊員は大統領警護隊の中でもエリートと呼ばれる猛者ばかりだ。遊撃班が動けば、他の部署の隊員達は何か不穏な出来事があったなと思うだろう。そうなると何時かは”砂の民”にも知られる。

「ロペス少佐にも言ってあるんだ。人探しじゃないが、俺達に興味を抱いたアメリカ人がいるって。外務省からは何も言ってこないが。」
「シーロはアリアナの安全の為にも何か手を打つでしょう。でも彼自身が何かをすることはありません。彼の仕事は調査と指図です。実際の対処は、やはり遊撃班に指図が下ります。」

 結局セプルベダ少佐の部下が動くのだ。テオはカルロ・ステファン大尉がまだ地下神殿から戻っていないことを残念に思った。ステファンならこちらの我が儘を多少は聞いてくれるだろうに。何はともあれ、テオが大統領警護隊を動かすことは出来ない。
 テオはもう一つの用件に移った。

「別件でもう一つ用事がある。これは依頼じゃないんだ。ケサダ教授に頼まれたんだが、オルガ・グランデのアンゲルス鉱石が新しい坑道を掘っていて、遺跡を発見した。墓地らしい。そのうちアンゲルス鉱石から文化保護担当部に報告が行くと思うが、バルデスが忘れるようだったら困るから、君に伝えておいてくれ、と言うことだ。」
「新しい遺跡ですか。」

 少佐も本業の話になったので、ちょっと機嫌が直った。

「墓地と言うことは・・・」
「ミイラが出た。それで明日そのミイラが俺の研究室に届けられる予定だ。普通のセルバ人であると言う鑑定結果が欲しいんだとさ。アンゲルス鉱石の従業員達が”シエロ”の墓じゃないかと心配して働かないので、バルデスが困っているそうだ。」
「それはただのストの口実でしょう。」

 と少佐が苦笑した。


 

第4部 花の風     13

  翌日、テオが大学の昼休みに学生達と世間話をしながらランチを楽しんでいると、考古学部のケサダ教授が近づいて来た。

「ブエノス・タルデス、遺伝子工学の諸君。」

 教授の挨拶を聞いて、テオはご機嫌良さそうだと思った。この先住民の先生はいつも服装がきちんとしていて、私服でも清潔感が漂う。女子学生達のみならず男性学生も憧れの目で見る人だ。学生達が振り返り、挨拶を返した。1人が冗談混じりに言った。

「いつも難儀なミイラの細胞を有り難うございます。今日のミイラは何ですか?」

 横に座っている女性が肘を突っついて注意を与えたが、教授は怒りもせずに微笑んだ。

「今日は君たちに人間のミイラをお願いしようと思ってね。」

 学生達がシーンとなったので、テオは可笑しくなった。

「遺跡から人間が出ましたか、教授?」
「スィ。」
「それは凄い!」

 遺跡が多いセルバ共和国だからと言って、簡単に人間のミイラが発掘される訳ではない。テオは興味を抱いた。現在ケサダ教授の教室の学生達が掘っているのは、比較的年代が新しく、ミイラを作る条件には適さない気候の東海岸地方の小さな遺跡5ヶ所だった。しかし、教授は言った。

「残念ながら私の学生達の手柄ではないのです。ミイラはオルガ・グランデのアンゲルス鉱石の坑道で同社の従業員達が掘り当てたのです。」
「坑道で?」

 テオは急に不安になった。「太陽の野に星の鯨が眠っている」と言う文言が刻まれている「暗がりの神殿」はアンゲルス鉱石社の坑道の地中奥深くにある。あの付近は既に金鉱を掘り尽くしたとして廃坑になっている筈だ。
 しかしケサダ教授は泰然として言った。

「新しい坑道を拡張する作業で、昔の墓所にぶつかったらしいのです。現地の考古学者が5世紀前の墓だと判定したのですが、鉱夫達が、もし”ヴェルデ・シエロ”の墓だったら呪いを受けると怖がって作業を中断しているらしく、困ったバルデス社長が鑑定を依頼して来ました。」

 セルバ人のミイラは布の衣で包まれて埋められる。エジプトのミイラの様な副葬品がないので、部族や年代の推定が難しい。勿論、その墓が発見された場所にどんな部族が住んでいたのか、現地の考古学者は調べているから推定出来ているのだ。しかし、怯える鉱夫達を宥める為に大学へ鑑定依頼が来た訳だ。
 学生達の中で囁き声が聞こえた。

「”ヴェルデ・シエロ”のDNAサンプルなんて存在しないぞ。」
「比較しようがないじゃないか?」
「馬鹿だな、現代人のDNAと比較して同じだと証明すれば良いのさ。」

 テオがケサダ教授を見ると、教授はその囁き声の会話を耳にして微笑んでいた。テオは学生の意見を支持した。

「ミイラを鑑定して、現代人と同じだと証明すれば良いのですね?」
「スィ。墓がある場所に昔住んでいた部族はわかっています。彼等は今でもオルガ・グランデで我々と同じ生活をしているので、サンプルが必要なら取り寄せます。」
「その必要はないでしょう。部族まで特定してくれとバルデス氏が要求されるのでしたら、話は別ですがね。それと関係なく、鑑定料金をしっかり請求されると良いですよ。こちらから、考古学部に請求する鑑定料に、そちらの手数料を上乗せして請求するんです。」

 ケサダ教授は愉快そうに笑った。学生達も笑った。女子学生が不安そうに教授に質問した。

「ケサダ先生、そのミイラは何時届くんですか?」
「予定では明日。」
「じゃ、私、休みます。」

 またテーブル周辺でドッと笑い声が上がった。
 ケサダ教授はその女子学生を指差して首を振り、それからテオに頼み事をもう一つ加えた。

「新しい遺跡発見と言うことになるので、大統領警護隊文化保護担当部にアンゲルス鉱石から報告が行くと思いますが、もし彼等がそれを怠った場合は罰則ものですから、貴方からミゲール少佐に前もって伝えておいていただけませんか?」
「わかりました。必ず伝えておきます。少佐に出会えなくても、クワコ少尉には必ず出会いますから。」

 ケサダ教授が立ち去ると、学生達の話題はミイラの細胞抽出方法に移った。テオはそれを聴きながら、何となく己の研究室の方向性を確立出来そうに感じた。ミイラの遺伝子鑑定だ。行き当たりばったりで家畜の遺伝子組み替えや植物の品種改良の研究の手伝いをしていたが、これから専門分野としてミイラの鑑定をしていこう。それなら文化保護担当部とも考古学部とも繋がりが持てる。

「そう言えばさぁ・・・」

と対面に座っている男子学生がつまらなそうな表情で言った。

「文化保護担当部のあの娘、デネロスは最近大学に来ないなぁ。」
「マハルダ・デネロスかい? そう言えば新学期が始まってから来ていないな。」
「忙しいんじゃない? 彼女、あれでも少尉よ。大統領警護隊の少尉って言ったら、陸軍の少佐みたいな位なんだって。」
「偉いんだ!」
「まだ20歳だよな?」

 1人がテオを振り返った。

「先生、デネロス少尉と最近出会いますか?」
「彼女は遺跡にいるよ。」

 テオはデネロスが男子学生達に人気があることを知って、ちょっと嬉しかった。

「オクタカス遺跡ってジャングルの中の遺跡でフランスの発掘隊の監視と護衛を指揮している。11月迄は帰って来ない。」

 男子学生達から失望のブーイングが上がった。

2022/01/08

第4部 花の風     12

  テオがカルロ・ステファン大尉から以前聞いた話によると、アンドレ・ギャラガの父親はアメリカ人で、ギャラガが5歳の時に亡くなったことになっている。母親は父親の姓はギャラガだったと息子に教えたそうだ。しかしファーストネームを教えてもらった記憶はギャラガになかった。ギャラガをネグレクトして、偶に相手にする時は殴ったり罵ったりするばかりだった母親の名前はルピタ・カノと言った。ステファン大尉が言うには、ルピタはマリア・グアダルぺの愛称なのだそうだ。しかしギャラガは、記憶の中にある母親がそんな高貴な印象を与える名前だったとは到底思えなかった。ルピタは街娼だったのだ。彼女は息子に自分達はブーカ族だと教えていたが、カノと言う名前はカイナ族に多いのだと言う。ブーカ、オクターリャより力の弱いカイナ族であることは決して恥ではないのだが、ギャラガが放つ気は大きく、大統領警護隊は彼がルピタが言った通りブーカ族で間違いないだろうと考えていた。しかし、彼が初めてナワルを使った時、色は薄いものの黒いジャガーに変身したことから、彼の大きな気はグラダ族の血から来ていることが判明した。恐らく、グラダを遠い祖先に持ち、ブーカとカイナの血も受け継ぎ、”ティエラ”の血が混ざり、最後に白人の血が入った複雑なミックスの”ヴェルデ・シエロ”、それがアンドレ・ギャラガだった。
 ギャラガの外見は白人だ。色白で髪は赤い。目も薄い茶色だ。しかし完全に白人かと言えばそうでもなくて、先住民の雰囲気も持っている、そんな風貌だ。だからメスティーソの女性達に彼はよくモテる。現在のところ、仕事と勉学に忙しい男なので、恋人を作る気はないらしい。
 ギャラガは出自に関してコンプレックスがあるので、先祖の話が好きでない。特に白人の血のことに触れられるのを嫌がる。彼にすれば、今更親族が現れても迷惑なだけだ、と言う気分なのだろう、とテオは気遣った。両親の墓が何処にあるのかも覚えていない男は、もしかすると異母兄弟かも知れないアメリカ人の出現に、腹を立てているかの様に見えた。
 3軒目のバルで、ロホとアスルは卓上サッカーゲームに興じた。テオとギャラガはそばでそれを眺めながら、ビールを飲んでいた。

「例の父親探しをしているアメリカ人ですが・・・」

と不意にギャラガが話しかけて来た。テオは顔を向けて、聞いているよ、と示した。ギャラガが続けた。

「その男自身がエル・ドラドを探していると言うことはありませんか?」
「あー、成る程、そう言う考え方もあったなぁ。」

 テオは、ロジャー・ウィッシャーがアリアナや彼の様子を探りに来たとか、”ヴェルデ・シエロ”に関心を持って調べに来たとか、そっち方面を考えていたので、ギャラガの発想に盲点を突かれた感じがした。

「セルバに黄金郷伝説はないだろ? 俺はそこまで思いつかなかったな。」
「私はそのウィッシャーと言う男が、南の国に兄弟姉妹がいるかも知れないと考えないことを思うと、父親さえ見つければ、黄金があるかないか確認出来ると思っている様な気がします。」
「俺は彼のネット情報では海兵隊に所属した経験があるのに、彼自身が俺に話した経歴にはそれが一切触れられていないことが気になったんだ。俺がネットで確認することを予想しなかったのか、それとも知られても支障がない経歴なのか・・・」
「海兵隊よりCIA に属していた経歴の方が知られたくないと思いますけどね。」

 テオは彼を眺めた。

「アンドレ、君は英語を話せたな?」
「私の見た目が白人なので、上官の意向で英語の会話と読み書きはしっかり学習させられました。」
「アメリカ人のふりをしなくても良いから、英語が出来るセルバ人として、ウィッシャーと接触出来ないか? ”操心”とか習得しただろ?」
「ウィッシャーから情報を引き出すのですか?」

 ギャラガは好奇心で目を輝かせた。しかし、理性が勝った。

「面白そうですが、上官の許可を得ませんと・・・」

 彼がここで言う上官は、ケツァル少佐だ。ギャラガを警備班から引き抜いて、姉の様に見守りながら厳しく能力習得の監督をしている師匠でもある。怒らせると、非常に恐ろしい。”ヴェルデ・シエロ”は普通の人間の心を目を見て支配してしまう能力を持っているが、テオの様にその技が効かない人間も稀に存在する。少佐は、まだ未熟な部下が万が一にもそんな人間に遭遇して危険な目に遭わないよう、”操心”の無断使用を認めないのだ。
 だから、テオはこの場は退くことにした。

「そうだな、俺の好奇心を満たす目的で君が営倉送りになっては申し訳ない。俺から少佐に相談してみる。どのみち、この写真を配らないといけないから。」



2022/01/07

第4部 花の風     11

  テオは研究室に戻ると、ロジャー・ウィッシャーの頬内側の細胞を分析器にかけた。それから翌日の授業の準備をした。昨シーズン、火曜日は午後の講義だけだったが、受け持つ学年が増えたので、午前にも講義がある。それに院生の助手が2人付いた。授業の準備を手伝ってくれるが、秘密の研究をした時はちょっと障害になる存在だ。だがウィッシャーのDNA 検査は秘密にする必要がなかった。行方不明の肉親を探している外国人の細胞だと言うと、助手達は機械のお守りを引き受けてくれた。彼等はテオが驚異的な速さで遺伝子マップを解読していく場面に立ち会うのが嬉しくて堪らないのだ。
 ケツァル少佐の個人的興味で依頼されていたフィデル・ケサダ教授の細胞はまだ手に入れていない。しかし、教授の出生の秘密を知ってしまったので、少佐は興味を失ってしまい、依頼は立ち消えになった。テオも危険を冒してまで、現代最強と言われる”ヴェルデ・シエロ”の細胞を無理に採りたくなかった。
 そのケサダ教授はテオの心を知ってか知らずか、新たな動物のミイラを学生に託してテオの研究室に送り込んで来た。今度は大型の動物で、リャマと思われた。リャマはアンデスの動物だ。そのミイラが中米の東海岸、ジャングルに近い場所で出土した。考古学者は東海岸に住んでいた部族が南米の何処と交易していたのか知りたいのだ。テオは分析作業を助手に任せた。ミイラのどの部分から使える細胞を取り出せるか、助手の腕試しだ。但し、貴重なミイラを傷だらけにするなと事前に注意を与えておいた。
 夕刻になると、研究室を片付け、助手を帰した。分析器には仕事をさせておき、ドアを施錠してテオは文化・教育省の駐車場へ行った。出張から戻ったロホとアスル、ギャラガと夕食に出かけた。ケツァル少佐は文教大臣と各課の責任者達との夕食会と言う名の「仕事」だ。きっとドレス姿なのだろう、と想像しつつ、バルへ行った。
 カウンターで立ち飲み立ち食いしながら、テオはロジャー・ウィッシャーが大学に現れた話を語った。預かった写真を出して見せると、ロホが「おや?」と言う顔をした。アスルも戸惑った様な表情を見せた。ギャラガだけが「ふーん」と言う興味なさそうな顔で写真を見た。その顔をロホとアスルが見た。だからテオもギャラガを見て、やっと写真の中の男が誰に似ているのかわかった。
 ギャラガが先輩達の視線を感じて顔を上げた。

「何ですか?」

 後輩に対して遠慮と言うものを持たないアスルが言った。

「お前は写真の男と似ている、と思った。」

 ロホとテオも頷いたので、ギャラガは「でも」と言った。

「私の父親はギャラガです。ウィッシャーではありません。」
「だがお前の出生届は何処にも出ていなかっただろ?」

とアスルは容赦なく詰めた。アンドレ・ギャラガは物心がつく前に父親を亡くし(と母親が言ったそうだ。)、母親からはネグレクトされた。小学校も行かせてもらえなかった。軍隊に入ったのも、母親の死後、生きる為に彼自身が年齢を誤魔化して入隊したのだ。その時、どうやら陸軍の入隊検査がいい加減だったらしく、大統領警護隊にスカウトされて、初めて出生届が出ていないことが判明した。司令部はエステベス大佐の指示で彼の出生登録を行い、ギャラガはセルバ人であるにも関わらず、16歳になって初めて正式にセルバ国民となったのだ。彼の出生届の両親の欄に書かれている名前は、司令部が彼自身から聞き取った名前だった。それが真実の両親の名前なのかどうか、誰も知らないのだ。
 ギャラガが意地になって言った。

「私はそんな男を知りません。第一、アメリカに妻子がいるのにセルバでも家族を作るなんて・・・」

 テオは苦笑した。以前もそんな男と知り合った。セルバに妻子がいるのにアメリカでも女性に子供を産ませた男がいて、その息子と大統領警護隊は知り合ったのだ。

「アンドレ、気になるなら、君の遺伝子検査をしてやるぞ。ロジャー・ウィッシャーと兄弟かどうか判定してみれば良いんだ。」
「結構です。」

 ギャラガが珍しく反抗的になった。

「私は私です。ルーツなんか知りたくもありません。」
「でも君のサンプルは持っている。」

 ロホが言った。

「検査費用はいくらだったかな?」


 

第4部 花の風     10

  テオはロジャー・ウィッシャーの顔を眺めた。

「それで、貴方が俺を探していた理由は? 大統領警護隊と仲良くしている元アメリカ人を探していると言うアメリカ人は、貴方のことでしょう?」

 ウィッシャーが苦笑した。

「随分失礼なことをしてしまった様です。父親の手掛かりを求めてアメリカ大使館に協力を要請した折に、セルバ共和国で人探しをする時は大統領警護隊に動いてもらわないと無駄だと言われたのです。それで大統領府へ行って、警備している兵隊に声を掛けたのですが、全く相手にしてもらえませんでした。ここの大統領警護隊って、インディアンばかりなのですね?」

 テオは眉を顰めた。中南米を渡り歩く人らしくない物言いだ。

「インディアンではなく、インディヘナと呼びますがね。」
「ああ、そうでした・・・」

 ウィッシャーが頭を掻いた。

「アメリカ人ばかりで集まる傾向があるので、白人も黒人も先住民をインディアンって陰口叩いてしまうんですよ。何しろ、こちらが思う様に動いてくれないものだから。メスティーソの人達は愛想が良いんですけどね。」

 それは先住民の習慣を理解していないからだ、とテオは思ったが黙っていた。本当はインディヘナの呼び方よりも部族名を一つ一つ呼ぶ方が礼儀に適っているのだが。
 ウィッシャーが話を続けた。

「大統領警護隊が相手にしてくれないので困っていたら、隊員と親しくしている元アメリカ人がいると噂で聞いたんです。グラダ大学で講師をしていると聞いたもので・・・」
「准教授です。」
「そうでした。失礼しました。准教授でした。だから、前置きが長くなってしまいましたが、父の足取りを調査してもらえるよう頼んで頂きたいのです。父の名前は、アンドリュー・ウィッシャー、愛称はアンディでした。スペイン風に名乗ればアンドレアになるかな?」

 ウィッシャーは名刺入れから写真を一枚出した。机から降りて、テオの前に来た。

「同じものをコピーして沢山持っていますから、差し上げます。これが父のアンドリューです。20年前の写真なので、今はもっと歳を取っていますが。」

 スーツを着て、カメラに対してちょっと斜めに体を置き、顔を正面に向けて笑っている中年の男性だった。髪の色はロジャーより薄い茶色で、金髪に近い。目は息子と良く似て、薄い青、セールスマンらしく人懐こい顔だ。テオは何処かで見た顔だ、と言う印象を持った。

「これをコピーして配れば良いんですか?」
「大統領警護隊でなくても良いんです。隊員が協力しろと言ったら警察も動くと聞いたので。」

 テオは頷いた。大使館はそれなりのセルバの常識を持っているのだ。大使館員を動かしてこの国の守護者達を怒らせたくないのだ。
 テオは足元に置いてあった鞄を教卓の上に置いた。

「もしよろしければ、ここにDNA 採取セットがあります。貴方のサンプルを採らせていただけたら、お父さんらしき人を見つけた時に比較しますよ。」

 するとウィッシャーが奇妙な笑顔を見せた。

「父らしき死体と言う意味もありますね?」

 テオは肩をすくめて見せた。

「可能性もあります。」

 ウィッシャーが口を開けた。テオは笑って鞄を開き、箱を出した。綿棒で頬の内側を擦ってもらい、それをビニル袋に入れた。

 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...