2022/01/10

第4部 花の風     21

  シエスタの時間だ。テオは医学部へ歩いて行った。グラダ大学医学部は人文学舎や自然科学舎からちょっと距離がある。病院が併設されているので駐車場も別だし、職員寮も立派なものが建てられている。アリアナ・オズボーンは結婚する直前迄そこに住んでいた。今はロペス少佐と夫の父親と共に郊外の大きな家に住んで運転手付きの車で通勤だ。テオはアリアナではなく解剖学の教授を訪ねるつもりだった。事務所で面会を申し込んで、断られたら帰ろうと言う軽い気持ちだった。ミイラが現在何処に保管されているのか訊くだけでも良かった。
 病院前は広い芝生の庭になっていて、車椅子に乗った患者やパジャマ姿の患者がベンチに座っているのが見えた。
 ベンチに座った先住民の高齢女性の前を通り過ぎようとした時、女性が囁いた。

「テオドール・アルスト・・・」

 テオはびっくりして足を止めた。振り返ると、その女性はパジャマではなく、Tシャツに巻きスカートを身につけた、年配のセルバ女性に多い服装で、白い髪を三つ編みにして顔の両側に垂らしていた。皺だらけの顔を彼に向けて微笑んだ。テオの名前を呼んだものの、彼女はその後先住民の言語でブツブツ呟き、彼は理解出来なかった。テオは彼女の前に戻り、身を屈めて声を掛けた。

「ブエノス・タルデス。」

 先住民の言語を習いたいのだが、どう言う訳か大統領警護隊の友人達は教えてくれない。”ティエラ”の先住民の言語も習おうとしてみたが、発音が難しい音があって、なかなか習得出来ないでいた。だからスペイン語でその高齢女性に話しかけた。

「俺のことをご存知ですか?」

 女性はまた微笑した。その時、別の女性の声が聞こえた。

「義母は子供に還っているのです。出身部族の言葉しか話しません。」

 テオは後ろを振り返り、40代と思われる先住民の女性を見つけた。純血種だが、”ティエラ”なのか違うのか、わからなかった。テオは立ち上がり、ブエノス・タルデスと彼女に挨拶した。彼が胸から下げている大学職員のI Dカードを見て、女性がニッコリした。

「ドクトル・アルスト、お初にお目にかかります。」
「俺をご存知ですか?」
「スィ。父や夫から貴方のことを伺っています。」

 女性は優しい笑顔を見せたが、その目は知的で、鋭い光を放っていた。テオはドキリとした。”ヴェルデ・シエロ”だ。彼が彼女の正体に気づいたことを、女性も察した。だから彼女は名乗った。

「貴方は一族ではないので、他人を介さずに自己紹介致します。コディア・シメネスと申します。」
「セニョーラ・シメネス・・・失礼ですが、お父様やご主人は俺のことを・・・」
「父も夫もグラダ大学の考古学部で教授をしています。」

 テオは数秒後に、彼女が誰のことを言っているのか悟り、心の底から驚いた。コディア・シメネスはファルゴ・デ・ムリリョ博士の娘だ。そして夫と言うのは、フィデル・ケサダ教授だ。すると、目の前に座っている高齢女性は・・・。彼は低い声で囁いた。

「この方は、マレシュ・ケツァル、いや、マルシオ・ケサダさん?」

 コディアが、「スィ」と頷いた。

「5年前から夢の中に住んでいます。過ぎ去りし日を見て、生きているのです。」
「さっき、俺の名を呼んだんですよ。」
「恐らく夫の記憶を読んだのでしょう。」

 コディアは夫の母親を月に1度定期健診で通院させているのだと言った。薬局で薬を受け取る間、庭で義母を待たせていたのだ。「オルガ・グランデの戦い」を目撃したイェンテ・グラダ村の最後の生き残りである女性は、人生の辛かった記憶を仕舞い込んで、楽しかったことだけを思い出しながら余生を送っているのだろう。
 テオはコディアの許可をもらってマルシオ・ケサダの手を握った。年老いたグラダの血を引く女性はニッコリ笑って彼の目を見た。そして何かを囁いた。コディアが通訳してくれた。

「義母は言いました。エウリオの娘は元気ですか、と。」
「スィ。」

 テオはマルシオの目を見つめて大きく頷いた。

「カタリナ・ステファンは元気です。」

 マルシオがまた何か言った。コディアが通訳した。

「赤ちゃんによろしく。」

 多分、マルシオの中の時は、カルロとグラシエラが幼い時で止まっているのだろう。カタリナが子供を産んだ時、彼女自身は我が子フィデルを守る為に手放していたのだ。今、息子の家で息子の妻に世話をされていることを理解しているだろうか。
 テオはマルシオをハグしたい衝動に駆られたが自重した。”ヴェルデ・シエロ”は異人種とハグする習慣を持たない。それにコディア・シメネスの父親は純血至上主義者だ。もしかすると隠して養っているマルシオ・ケサダの存在をテオが知ったことを知ると、機嫌を損なうかも知れない。
 テオはマルシオ・ケサダから離れた。

「この人の存在は一族には秘密でしたよね?」

と確認すると、コディアは頷いた。

「貴方は信用出来ると夫が言っておりますので、明かしました。」
「グラシャス。」

 テオは心から礼を言った。

「俺は今日のこの出来事を忘れます。」

 するとコディアは微笑んで言った。

「シュカワラスキ・マナの子供達には打ち明けても大丈夫だと思いますよ。」


第4部 花の風     20

  水曜日の昼前にアンドレ・ギャラガとロジャー・ ウィッシャーの遺伝子分析結果が出た。テオはそれを比較していくつもりで、分析表を鞄に入れて、昼食を取りにカフェへ行った。料理を取ってテーブルに着いた時、ロジャー・ウィッシャーがやって来るのが見えた。偶然なのだろうが、テオはちょっと緊張を覚えた。ウィッシャーは彼を見つけると真っ直ぐテーブルに来た。ハローと声をかけ、向かいに座っても良いですか、と訊くので、テオは許可した。

「憲兵隊から連絡が入ったんで、報告しておこうと思いました。」

と ウィッシャーは切り出した。テオが彼の顔を見ると、ウィッシャーはちょっと悲しげに見えた。

「ここの大学で騒ぎになったミイラがありましたね。確か、貴方の研究室で荷解きされたとか?」
「スィ。考古学部の学生達が腕時計や歯のインプラントに気が付いて、分析が中止になったミイラですね。」

 テオは、ウィッシャーが憲兵隊からもらった連絡の内容に見当がついた。ウィッシャーが溜め息をついた。

「憲兵隊にその腕時計を見て欲しいと言われて、昨日の午後、行って来ました。綺麗に泥を落としてもらっていて、裏側の刻印がはっきり見えました。From Mary to Andrew、母が父の誕生日祝いに贈った時計に間違いありませんでした。」
「それは・・・」
「さらにインプラントの調査で、父の歯科の医療記録を取り寄せる許可が欲しいと言われたので、書類にサインしました。恐らく明日にはアメリカから返事が来るだろう、と。」

  ウィッシャーはテーブルに視線を落とした。

「骨から推測される身長や、髪の色、褪せていますが父の髪の色である可能性はあります、それらの要素を合わせて、あのミイラは父である可能性が大きいです。」
「それは・・・残念です。」

 テオはそれ以上言うべき言葉を見つけられなかった。父親が時計を他人に譲ったとか、盗まれた可能性はないのかと言おうかと思ったが、インプラント治療を受けていたとしたら、本人である確率が高い。
 ウィッシャーが顔を上げた。

「兎に角、貴方が大統領警護隊を通して憲兵隊に父の捜索を頼んでくれたので、こんな形ですが父を見つけられたと思います。礼を言います。」
「俺は何の力にもなっていません。」

 ウィッシャーが立ち上がったので、テオも立ち上がった。手を差し出され、握手した。

「これからどうされますか?」
「仕事で来ているので、任期が終わる迄はこちらにいます。ミイラが父だとはっきりしたら、アメリカへ連れて帰って埋葬します。」

 さようなら、とウィッシャーは歩き去った。
 あっけなく終わった父親探しに、テオは釈然としないものを感じたが、黙って靴のセールスマンを見送った。


第4部 花の風     19

  オルガ・グランデからアンドレ・ギャラガがメールで写真を送って来た。地下墓所はやはり旧市街にある小さな教会の床石を外して階段を降りたところにある、十字形の通路で、規模はあまり大きくなかった。グラダ大学考古学部は教会の名前を採って「オルガ・グランデ・聖マルコ遺跡」と名付けた。大統領警護隊文化保護担当部は遺跡登録したが”ティエラ”の墓所なので関心が薄い。グラダ大学も調査を現地の考古学研究施設に託してしまった。
 ギャラガがグラダ・シティに帰って来た。”心話”でケツァル少佐や先輩将校達に報告すると、土日に働いた代休をもらい、海へ息抜きに行ってしまった。
 テオもエル・ティティでゴンザレス署長とのんびり週末を過ごし、月曜日の午前大学に戻り、午後初級者向け講義をこなし、夕方に帰宅した。アスルが帰って来た。珍しくテイクアウトの夕食を買って来ていた。後輩2人がいない職場は流石にキツかったらしい。テオは何も言わずに彼が買った料理を食べた。アスルは食事が終わるとシャワーを浴びて、テレビも見ずに寝てしまった。テオも流石に長距離バスの旅の直後の仕事は堪えた。
 翌朝、テオが目覚めると、アスルはいつもの様に朝食の支度をしていた。ギャラガは何時帰るのかと訊くと、明日から通常業務に戻ると答えた。

「あいつ、海が好きだから、偶にボーッと波を眺めていると気分が落ち着くそうだ。」
「そんなことを以前にも言っていたな。」

 するとアスルが、ドクトル、と呼んだ。

「あいつのサンプルは採ってあるのか?」
「スィ。君達文化保護担当部のサンプルは全員ある。カルロも採ってある。」
「あいつと、あの訳のわからないアメリカ人の比較は出来るか?」

 思いがけないアスルの言葉に、テオは驚いて皿から顔を上げた。アスルは横を向いた。

「あいつの為じゃない。俺がスッキリしないんだ。突然現れた白人が父親を探していると言う。写真の男はアンドレに似ている。その父親が行方不明になった年代はアンドレが生まれた頃だ。しかもその父親は、『暗がりの神殿』の呪い文に似た言葉を聞いて黄金郷を探していたそうじゃないか。アンゲルス鉱石が見つけたミイラは白人のものだと聞いた。地下墓所から出ようとして出られずに死んだかも知れないと、遺跡登録の申請書を持って来た考古学部の学生が言っていたぞ。俺は何だか落ち着かないんだ。」
「その気持ち、俺にもわかる。」

 テオは同意した。

「アンドレにしてみれば今更なんだろうけど、恐らく彼も落ち着かないんだ。だから海を見に行った。ウィッシャーが彼と無関係な人間だとはっきりさせれば、彼もスッキリするだろう。」

 テオとアスルは2人だけの約束を交わした。アンドレ・ギャラガとロジャー・ウィッシャーの遺伝子を比較する。どんな結果が出ようと、ギャラガが希望しない限りは本人に教えない。ケツァル少佐にもロホにもデネロスにも、ステファンにも教えない。
 アスルは普段通り、ロホの車に同乗して出勤して行った。テオも時差出勤して、研究室に入ると、ウィッシャーとギャラガのサンプルから分析に取りかかった。

第4部 花の風     18

  週末迄は平和に過ぎた。テオの自宅ではエミリオ・デルガド少尉が宿泊して、日中テオとアスルが仕事に出ている間、彼は市内の図書館に行ったり、スポーツ施設へ出かけたりして休日を楽しんでいた。許可されている休暇の期限迄後5日あると言う。それ迄は本部に帰りたくない様だ。若者らしく遊んでいた。アスルは彼に家事を手伝わせなかった。彼も下宿生活で、家賃を安くしてもらっている代わりに家事をしているのだ。デルガドは彼にとっても客であって、後輩だからと言って使うことはなかった。テオはアスルのそんな妙に律儀なところが可愛く思えた。
 憲兵隊はミイラの検死をグラダ大学医学部に依頼した。医学部では警察と憲兵隊から検死を請け負っているが、ミイラは滅多にないので、見学者が多かった、とアリアナが電話でテオに教えてくれた。彼女も見学したのだ。
 ミイラの着衣や履物の分析は憲兵隊の科学分析室が行う。セルバ共和国でも司法はちゃんと科学的な設備を持っているのだ。レントゲン撮影で骨やデンタルインプラントが確認された。ミイラは左大腿骨を骨折しており、それで地上に出られなかった可能性も考えられた。法医はミイラを傷つける了承を憲兵隊から得ると、インプラントの歯を取り出した。腕時計や、着衣のポケットに入っていた身分証らしきもの、骨の細胞などを採取した。

「骨格から判断するに、ミイラは白人、男性、残った歯を分析するが、恐らく20代から50代と思われる。」

 憲兵隊は時計の製造番号やインプラントの歯からミイラの身元を探すだろう。何処まで真剣に捜査するのか不明だが。
 テレビのニュースで時計や判明した情報が報道された。テオはDNA鑑定の依頼が来るかと思っていたが、憲兵隊から連絡はなかった。
 考古学部はケサダ教授以下学生達も苦悶のミイラの身元に無関心だ。彼等はバルデスが新たに送ってきたミイラを調べ、D N Aの鑑定に回すことなく、15世紀の”ヴェルデ・ティエラ”オルガ族の支族のミイラと結論を出した。遺跡登録の為の出張も教授の助手が行くと言うことで、文化保護担当部もアンドレ・ギャラガ少尉を派遣することにした。彼等は週末を待たずに木曜日に出発した。時間がかかる路線バスではなく、騒音が酷いセルバ航空の定期便だ。航空機嫌いのギャラガはロホから乗り物酔い防止の御呪いをしてもらってから空港へ出かけて行った。
 テオが金曜日の朝、エル・ティティ帰省の準備をしていると、デルガド少尉が官舎に帰ると挨拶した。

「まだ2日あるだろ?」
「体を勤務時のサイクルに戻しておかないと、復帰初日がきついですから。」

 エミリオ・デルガドは爽やかに笑って、宿泊と食事の礼を言って朝日の中を出て行った。テオは玄関ドアを閉じてリビングに戻った。アスルが出勤準備を終えて、こちらも出かけようとしていた。デルガドと特に仲良しと言う素振りを見せなかったが、夜のチェッカーの相手がいなくなって寂しいだろうとテオは思った。しかしそれを言うと怒る人間なので、黙っていた。

「アンドレもマハルダもいないから、今日のオフィスは忙しいんじゃないか?」

とテオが言うと、アスルはフンと言った。

「昔に戻っただけだ。」

と言ってから、彼はチェッと舌打ちした。

「カルロもいないんだった・・・」

 今日の文化保護担当部は、ケツァル少佐とロホとアスルの3人だけなのだ。つまり、明日の軍事訓練も3人だ。彼は口の中で呟いた。

「マーゲイを引き止めておけば良かった。」

 テオは笑いそうになって我慢した。デルガド少尉は頭脳明晰だろうが武闘派のイメージが強い。オフィスワークをしている姿を想像出来なかった。土産物屋の息子と言うことだが、帰省中はどうしていたのだろう。結局、私生活を何も語らずにデルガドは去って行ったのだ。


第4部 花の風     17

  ケツァル少佐は考古学部へ行き、ケサダ教授と新しい遺跡の登録について話し合った。教授は実際に現場を見てみないことには規模も位置もわからないと言うことで、次の週末にオルガ・グランデに行くと言った。少佐は彼の出発日時が決まったら教えてもらう約束をした。彼女が同行するか部下を行かせるか、それは教授のスケジュール次第だ。
 テオはその話を彼女が生物学部に戻って来た時に聞かされた。少佐が自宅での夕食に招いてくれたのだ。

「オルガ・グランデは教授の生まれ故郷だね。」

と言うと、少佐は頷いた。

「でも彼は今迄一度もそれに触れたことがありません。」

 きっと彼の出自を秘密にしたい養い親の意向があるのだろう。
 少佐は一足先に帰っていると言って、ベンツで去って行った。テオも自分の車に乗って家路を走った。バスターミナルの近くへ来ると、丁度南から来た路線バスが到着して乗客がゾロゾロ降りて来るところだった。テオは歩行者の為に減速した。するとバスから降りた人々の群れの中に、知っている顔を見つけた。彼はその人のそばまで車を近づけ、窓を開けて声をかけた。

「エミリオ!」

 エミリオ・デルガド少尉が振り返った。よく日焼けした顔を綻ばせた。

「ドクトル・アルスト! 久しぶりですね。」
「良ければ乗って行け。」
「グラシャス!」

 車を止めることなく、窓からリュックサックを後部席に放り込み、助手席のドアを開けてデルガドが入って来た。セルバ人は結構この手の芸当を普通にやっている。危険なので、テオは本当はやって欲しくないのだが、人種に関係なく彼等は日常しているのだ。
 ドアを閉じると、テオはスピードを上げた。

「本部へ帰るのかい? それともうちに来る?」
「まだ休暇中です。実家にいても暇なので戻って来たのですが・・・」
「それじゃうちに来い。と言っても、今夜俺はケツァル少佐の家の夕食に招かれている。俺の家にはアスルしかいない。どっちが良い?」

 ちょっと意地悪な選択だ。時間を考えると、アスルはまだ買い物中だろう。デルガドは数秒考えて、アスルを選んだ。上官の家に招かれもしないのに押しかけたくないのだ。テオは車を路肩に停めて、アスルに電話をかけた。デルガドを自宅に落として己は少佐の家に行くと言ったら、アスルは一言「わかった」と答えて切った。
 マカレオ通りの自宅前でデルガド少尉を下ろし、テオは西サン・ペドロ通りの高級コンドミニアムへ行った。デルガドは自分で鍵を開けられるので、外で待つことはない。
 急な人数変更でも家政婦のカーラは動じない。元々主人のケツァル少佐の食事量が多いので、1人客が増えても影響がないのだ。少佐はカーラが持ち帰る量をちゃんと考えて食べる。満腹になる必要がないので、残す場合もある。残れば朝食で食べてしまうし、残り物がなければ彼女自身で作るだけだ。
 宴会の時と違ってごく普通の家庭料理をテオは味わった。カーラの料理はどれも美味しい。店を出してもやっていけるのでは、と言ってみたが、彼女は笑っただけだった。
 宴会の時と違い、カーラは後片付けもした。テオは皿洗いを手伝い、彼女が帰り支度をしてタクシーに乗るまで付き合った。
 部屋に戻ると、少佐はテーブルの上にオルガ・グランデの地図を広げていた。その横にあるのは、2年前にアンゲルス鉱石の本社でもらった坑道地図だ。

「バルデスがミイラを見つけた墓所は、現在の旧市街地の商店街の地下の様です。」
「墓の上で商売をしているなんて、誰も夢にも思わないだろうな。」
「でもこの区画の何処かに、墓所に入る入り口があるのです。」
「上から探しても時間がかかるだけだ。墓所から上に出る通路を探した方が早くないか?」

 アンゲルス鉱石は地下の工事現場を照らす照明機材や掘削機を所有している。

「地下の墓所って、通路状だろ? 両側に棚みたいに岩を掘って、そこに遺体を置いて行く形式だったと思うが。」
「その通りです。通路1本だけの小規模な墓所なのか、枝分かれして複雑に広がっている大規模なものなのか・・・」

 少佐は市街地図に何か見つけた。

「ここに教会があります。小さいですが、古いと思います。ここが怪しいですね。」

 彼女は紙面を指でトントンと叩いた。

「ミイラの様子をフィデルに”心話”で見せてもらいました。きっと地下で死んでしまったのでしょう。気の毒ですが、何処かで無断侵入したに違いありません。」

2022/01/09

第4部 花の風     16

  憲兵隊が到着したのはテオが電話を掛けてから半時間以上経ってからだった。憲兵隊本部はグラダ大学から車で10分もかからない距離なのに、何故そんなに時間がかかるのか、とケサダ教授は指揮官の大尉に苦情を言った。
 テオの研究室の前は人だかりが出来ており、大学当局の事務員や他の教授や学生達が集まっていた。テオは生物学部の学部長に事態を説明し、憲兵隊にも説明し、最後にやって来た学長にも説明した。喋りながら、何故ミイラが新しいと見破ったケサダ教授が説明しないのか疑問に思った。ケサダ教授はミイラを収容する作業を始めた憲兵達に指図して、テントを撤収し、自分の教室の学生達を引き連れて考古学部へさっさと帰ってしまった。
 テオは遺伝子工学教室の学生達と部屋の掃除をした。干からびた死体を目撃してしまった若者達にトラウマが残らないか心配だったので、気分が悪くなった人は医学部のカウンセラーを紹介すると言っておいた。
 憲兵隊の大尉は、テオに、ミイラが出土した場所はオルガ・グランデなので、捜査権は向こうの憲兵隊に移ると言った。但し、ミイラの身元を調べるのに遺伝子工学教室の協力を求める可能性もあるので、その時はよろしく、と言って撤収して行った。
 静かになるとテオはどっと疲れを感じた。今日は早く帰って休もうと部屋を片付けていると、ケツァル少佐が現れた。

「ミイラが現代人のものだったそうですね?」

 ケサダ教授から聞いたのかと思ったら、そうではなく、噂を立てることはマナー違反と考えるセルバ人らしくなく、ニュースが早々にテレビやラジオで流れていたのだ。大学で思いがけない死体が見つかったと、メディアがセンセーショナルに報道していた。
 テオは苦笑した。

「ケサダ教授が珍しく怒鳴っていたぞ。バルデスは彼が何者か知らないだろ?」
「恐らく、ただの考古学の先生としか認識していないでしょう。」
「教授はバルデスの嫌がらせかと疑っていた。バルデスは、あのミイラが恐ろしげなので鉱夫達が怯えたのだと言い訳していたけどね。」

 少佐が笑った。彼女はミイラは怖くない。怖いのは本気で怒った場合のケサダ教授だ。

「それで、遺跡発見は本当のことなのですね?」
「スィ。ミイラは他にもあるらしい。教授は別のものを送れとバルデスに要求していた。」
「普通のミイラが後で送られて来るのですか。」

 少佐は考古学部がある人文学の学舎を窓から眺めた。

「取り敢えず、新発見の遺跡として名称を決めて登録しないといけませんね。後で地図で位置を確認しなければ。」
「ミイラはチタンのインプラントをして、腕時計を嵌めていた。服装もボロボロだったが俺達と同じような服を着ていた。」
「チタンのインプラント?」

 少佐が興味を持ってテオを見た。

「見えたのですか?」
「ノ、俺には見えなかった。ケサダにはわかったみたいだ。」

 もしかして拙いのでは、とテオは感じた。ケサダ教授は無意識にミイラを透視してしまったのだ。だが、そんなことに疑いを抱く学生や憲兵はいただろうか?

「憲兵隊にも検死施設があります。恐らくレントゲンや解剖で死因や遺体の特徴を掴んで身元調査を試みるでしょう。DNA鑑定はその後です。」
「あの死体は、もう使われなくなった墓地にあったんだ。」
「墓地が500年近く前のものだと言っていましたね。きっと地下墓地の上にスペイン人が建物を築き、その後植民地支配が終わった後も建物が上に残ったのでしょう。アンゲルス鉱石は地下を掘って墓地に行き当たったのですから、死体はそれより前、誰かが地下墓地の入り口を知っていて、そこから入れられたものと思われます。或いは、誰かが入り込んで迷ってしまい、出られずに死んでしまったか・・・」

 少佐は肩をすくめた。

「事件なのか事故なのか、検死でわかると良いですが。」



第4部 花の風     15

  梱包されたミイラと言うのは、結構場所を取る荷物になった。犯罪被害者等の鑑定の場合、医学部や病院で解剖して採取した検体を遺伝子工学教室に送って来るのだが、ミイラの場合はどの部分の細胞を採るのか遺伝子学者が決めるので、テオの研究室で梱包を解くことになる。テオと彼の教室の学生達は、荷物を運んできたケサダ教授と教授の研究室の学生達が梱包を解くのを取り巻いて見学した。教授は埃が飛散しないよう、発掘現場で用いる雨の日対策用ビニルテントを設置し、その中に荷物を置いた。テオ達は透明のテントの外側にいた。テントの中は蒸し風呂並みに暑いだろうに、考古学教室の学生達は繋ぎの作業着に帽子とマスク、手袋を着用して作業した。大事な弟子達が埃を吸い込まないよう、教授が彼等に装備させたのだ。アンゲルス鉱石の作業員達が包んだキャンバス生地を剥がし、ボロボロになった崩れる寸前の古い布を慎重に剥いでいく。取った布も研究資料なので、ビニル袋に収納する係もいた。
 やがてミイラが姿を現わすと、その異様なポーズにテオは思わず目を見張った。学生達もちょっとざわついた。考古学教室の学生達も作業の手を止めて、戸惑った様子で教授を見た。
 ケサダ教授がミイラを手袋を嵌めた手で掴み、その顔を見える様に動かした。扱い慣れている手つきだが、マスクの上に見えている目は厳しかった。
 テオはミイラをビニル越しに眺めた。亡くなって埋葬されたセルバ人のミイラは普通三角座りの姿勢で座っている。しかし、テントの中で梱包を解かれたミイラは地面に四つん這いになった姿勢で、片手を前に伸ばしていた。まるで救いを求めているポーズだ。その顔は口を大きく開き、苦悶の叫びを上げているかの様だ。髪の毛は赤かった。着衣は崩れそうなボロ布になっていたが、西洋風の衣服に見えた。
 ケサダ教授は学生達にテントから出る様に指図した。その際に、彼等にすぐ防護装備を解いて体を洗うように言いつけた。そしてテオを呼んだ。テオがテントの入り口に行くと、彼は憲兵隊を呼ぶよう要請した。テオはミイラを見た。そして500年前にミイラになった人が身につけている筈がない物を目撃した。彼も遺伝子工学教室の学生達を振り返って宣言した。

「今日の作業はここまでだ。聞いた通り、これから憲兵隊を呼ばなければならない。2、3人残って憲兵が来たら、ここへ案内して欲しい。」

 そして彼は携帯電話を出した。憲兵隊本部に繋がると彼は言った。

「グラダ大学生物学部遺伝子工学教室のテオドール・アルスト准教授です。オルガ・グランデから送られて来たミイラを研究する為に、考古学部が運び込んで梱包を解いたのですが、そのミイラがどうも新しいのです。」
ーーミイラが新しい?
「多分この半世紀以内のものです。現代人のものです。」
ーーそんなことがすぐわかったのですか?
「スィ。腕時計をはめていますから。」

 憲兵隊は出動を渋った様子だったが、テオが憲兵隊が来ないのなら大統領警護隊を呼ぶと言ったら、慌てて「すぐに人を遣る」と言って切った。
 テントの中ではケサダ教授がオルガ・グランデのアントニオ・バルデスに電話を掛けていた。テオが憲兵隊との会話を終えた時、教授はアンゲルス鉱石の社長に苦情を言い立てていた。

「貴方は考古学的調査が必要なミイラと、最近死んだ人間のミイラの区別もつかないのですか? チタンのデンタルインプラント治療を行い、腕時計をはめた人間が500年前に存在したと思っているのですか?」

 ケサダ教授はバルデスが厄介な死体をこちらへ押しつけたと決めつけた。

「他にもミイラはあったのでしょう? 何故それをこっちへ送らないのです? 新しい死体はそちらで処理して欲しかった。」

 なんだか問題点がテオとケサダ教授ではズレている感じがしないでもなかったが、テオはアントニオ・バルデスが故意に新しい死体を選んで送りつけたと言うケサダ教授の考えを支持したかった。 ケサダ教授の電話からバルデスの声が聞こえた。

ーー苦しんでいる姿のミイラが鉱夫達を怯えさせたんですよ、教授! だから送ったんだ。時計は兎に角、インプラントなんか知りませんよ!

 教授が怒鳴り返した。

「すぐに別のミイラを送って来なさい。さもないと、ここにあるミイラを送り返します。鑑定費用も全部そちらに請求しますからね!」

 教授は声は怒っているが、感情的になっていない、とテオはわかっていた。フィデル・ケサダは”ヴェルデ・シエロ”だ。本気で腹を立てれば室温が下がる。それだけは、はっきりとテオは知っていた。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...