2022/01/12

第4部 花の風     28

 ケツァル少佐の自宅での夕食に招待されたのがテオと己だけだと知って、アスルはひどく不安げな顔になった。過去にも同じ面子で夕食を取ったことがあったが、その時は少佐の命令でテオを過去の時間帯に隠す任務を帯びていたのだ。しかし今回はただ「夕食においで」だ。テオは何故彼がそんなに不安気になるのか理解出来なかった。ステファン大尉やロホなどは単独で少佐の家に呼ばれたことがある。それもこれと言った用事ではなく、少佐も彼等も暇で一人で食事するのが寂しい時だった。 普通に世間話をしてご飯を呼ばれて帰った、とテオは聞いていたので、アスルが緊張する理由がわからなかった。
 カーラが作った家庭料理が並ぶ普通の夕食だった。いつもなら厨房を覗きたがるアスルが大人しく座っているので、少佐がワイングラスを手にしたまま、部下を眺めた。

「どうしたのです、アスル? いつもの貴方らしくありませんね。体調が良くないのですか?」
「否、何でもありません。」

 アスルがテオをチラリと見た。なんで呼ばれたんだろ?と目で訊いてきた。”心話”を使えないテオでも彼の気持ちがわかった。ギャラガの遺伝子を調べたことがバレたのだろうか。
 少佐がワインを飲み干して、グラスをテーブルに置いた。

「貴方達、一緒に暮らしてみてどうですか?」

と訊いてきたので、テオは隣の同居人を見た。

「楽しい。俺は彼と一緒で生活にメリハリが出た。時々闖入者もいるし。」

 上官に視線を向けられて、アスルは少し頬を染めた。

「今のところ、快適です。」

 少佐が頷いた。

「つまり、貴方はこれからも当分テオの家に住み続けると考えて良いですね?」

 テオはハッと気がついた。少佐は、司令部が考えているアスルの昇級の条件である「定住」を確認しているのだ。アスルは直ぐには答えなかった。1箇所に長く住んだことがないと言う彼が、珍しく5ヶ月近くテオの家にいるのだ。

「クワコ少尉」

と少佐が彼を呼び慣れた渾名ではなく、本名で呼んだ。アスルが「はい!」と真っ直ぐ彼女を見て答えた。少佐も彼を真っ直ぐに見つめた。

「来週明けに、本部から正式に通達が出ます。貴方は中尉に昇級します。潔斎して、伝令が来たら直ちに本部へ出頭して辞令を受けなさい。この週末は家で静かに過ごすこと。決してこの話をぶち壊す様な真似はしないで下さい。私の立場もあります。」

 アスルが立ち上がった。椅子の横に立ち、姿勢を正すと、敬礼した。

「シンセラメンテ グラシャス!」(心から感謝します)

 テオは嬉しくなった。アスルなら当然の出世だ。ケツァル少佐も敬礼して、部下に座れと合図した。アスルが腰を下ろしたので、テオはおめでとうと声をかけた。アスルは赤くなって、小さな声でグラシャスと返答した。

「これで文化保護担当部は、少佐1人、中尉2人、少尉2人になるのか?」

とテオが確認すると、少佐が微笑んだ。

「中尉はすぐにアスル1人になります。大尉が1人出来ますから。」

 アスルが顔を上げた。今度は本当に嬉しそうに目を輝かせた。

「ロホが大尉に昇級するのですか?」
「スィ。」

 少佐も嬉しそうだ。

「ロホの昇級もアスルのと合わせてずっとお願いしていたのですが、司令部は彼が”赤い森”事件でミスをしたことをかなり重く見てなかなか承知してくれませんでした。でも、あれ以来彼は慎重に行動するようになり、後輩の指導も上手くやっています。祈祷や指導師の役目もそつなくこなしてきたので、目立った手柄はありませんが、もう良いだろうとお許しが出ました。これで私も安心して外へ監視業務に出られます。」
「ロホに指揮官の事務仕事を押し付ける気か?」

 テオが呆れて言うと、アスルがニヤリと笑った。

「ドクトル、ウチの少佐はオフィスより外での仕事の方がお好きなんだ。」

 彼が己のグラスにワインのお代わりを注ごうとすると、少佐が瓶を取り上げた。

「今夜はここまで。それ以上飲むと貴方は寝てしまいます。」
「眠ったジャガーは結構重いからな、抱っこで運べないんだ。」

とテオも揶揄ったので、アスルはプーっと頬を膨らませて拗ねて見せた。

第4部 花の風     27

  夜中になる前に、テオは大学から電話を受けた。彼の研究室が泥棒に荒らされたと言う報せだった。テオは人間のサンプルを全部持ち帰って自宅の冷蔵庫に入れておいたので、電話をかけてきた警備員に、ドアを施錠してくれるよう頼んだ。

「何を盗られたか、明日チェックする。」

 もし分析器を盗まれたら大学の損害だ。分析中だったのはミイラのサンプルで、アンドレ・ギャラガの分は既に解析も終わっているから安全だった。
 翌日出勤すると、部屋の中は大して荒らされていなかった。連絡してきた警備員は夜勤明けで眠たそうだったが、テオが「盗まれたのは冷蔵庫の中の豚の精子だけ。後は大丈夫。警察にも憲兵隊にも連絡無用。」と言うと、安心して帰って行った。
 恐らくロジャー・ウィンダムは目を覚まして、リュックサックと携帯電話と財布が無くなっていることに気づき、慌てて逃げたのだ。事務局の鍵入れからテオの研究室の鍵だけが無くなっていたので、警備員が様子を見に行き、ドアが開けっぱなしになっていた為に侵入者がいたと気づいた。
 テオはケツァル少佐に夕食に招かれていることを思い出し、ゴンザレス署長に電話をかけた。

「ごめん、また帰れなくなった。」
ーーまたデートか?
「まぁ、そんなものだ。」
ーー良いことだ。お前の様に若い男がこんな田舎に律儀に帰って来る必要はない。
「エル・ティティに空港があれば、明日の朝にでも帰るのに。」
ーー飛行機は止めておけ。バスと違って、今度は本当に死ぬぞ。

 携帯の画面の中でゴンザレスが笑った。

ーーこうしてお前の顔を見られているんだから、俺は寂しくなんかないぞ。
「愛してるよ、親父。」
ーー俺もだ、倅。

 電話を切って、テオは思った。いつかケツァル少佐を連れてエル・ティティに行く日が来るのだろうか。
 また電話が鳴った。シーロ・ロペス少佐からだったので、急いで出た。少佐は挨拶もそこそこに、起きたことだけを告げた。

ーー例のアメリカ人を空港の税関で逮捕しました。
「ウィッシャーをですか?」
ーーセルバ産と思われる動物の生殖細胞を無断で持ち出そうとしたので、職員が引き留め、憲兵隊に引き渡しました。グラダ大学のラベルを貼った小瓶に入っていましたが、お心当たりはありますか?

 仕方なくテオは答えた。

「昨晩、研究室に泥棒が入って、豚の精子の瓶を1本盗まれました。被害はそれだけだったので、警察には届けていません。」
ーー豚の精子ね・・・

 ロペス少佐は電話の向こうで微かに笑った。

ーー農業省が乗り出して来るでしょう。外務省としては、あちらの政府に同国人を拘束したことを連絡しなければなりません。
「彼は運が良かったと思います。こちらの刑務所に入るか、本国へ強制送還されるか、でしょう?」
ーー刑務所は死刑宣告と同じですがね、彼の場合は。

 またもや身の毛のよだつ様な予言をして、ロペス少佐は電話を切った。ウィンダムの正体を伝えるべきだったかとテオは考えたが、結局電話を掛け直すことはしなかった。

 俺もセルバ人の考え方に染まってきたかな・・・


第4部 花の風     26

  室内では分析器が仕事をする微かなブーンと言う機械音が響いていた。廊下を足音を忍ばせてやって来た人物はその音に気づいたのだろうか、一旦前を通り過ぎて、直ぐ戻って来た。アスルはドアの横に立っていた。多分、正面に立っても普通の人間の目に見えない”幻視”を使うだろうが、用心に用心を重ねている。
 事務局から盗んで来たのか、鍵を使ってドアを開け、侵入者が室内に入ってきた。アスルは動かない。相手の出方を伺っている。テオは男だと判断した。
 男は携帯ではなく小型のライトを出して棚を物色し始めた。何か目的を持って探している。テオは男が横方向に移動する度に己もそっと机を回る様に移動した。男がうっかりゴミ箱を蹴飛ばし、床にプラスティックの容器が転がる音がした。男は慌ててライトを消し、暫く動きを止めた。それから誰も聞いていないと判断し、再び動き出した。散らばったゴミを片付けるつもりはなさそうだ。不意に男がライトの向きを変え、テオは急いで身を低くした。男は分析器を眺め、それから舌打ちした。何をする機械なのかわかっているが、中身を確認出来ないのだ。
 再び男は棚を見ていき、やがて冷蔵庫と金庫を発見した。金庫の中は学生達の名簿と成績表、試験問題の資料が入っている。普通の泥棒が盗んでも意味がない紙切ればかりだ。男は金庫を後回しにして冷蔵庫を開けた。冷蔵庫も夜間は鍵を掛けるのだが、先刻テオが開けたまま、無施錠のままになっていた。テオが人間のサンプルを回収した後は、牛と豚のサンプルしか残っていない。ラベルには採取した農場の名前と番号が記してあるだけだ。男はそれを眺め、背負っていた小さなリュックの中にそれを入れ始めた。
 アスルが男のそばにそーっと忍び寄った。気配に気がついて男が振り返ったが、何も見えなかった。ただ、後ろの壁にアスルの影が映った。男は咄嗟に横を見た。アスルが別の場所に立っていて、影が映ったと思ったのだ。アスルが握った拳銃のグリップで男の側頭部を殴った。
 男が倒れたので、テオは机の影から出た。アスルが素早く男の腕を背中に回し、革紐を名人技で手首に巻き付けて縛り上げた。大統領警護隊は手錠を使用するが、この場面でアスルは持っていなかったのだ。しかし”ヴェルデ・シエロ”を拘束するのに有効な革紐は常備していた。それから男の服を探り、拳銃と折り畳みナイフを回収した。
 テオは壁の照明のスイッチを入れた。そして男の顔を見てアスルに言った。

「ロジャーだ。」

 アスルが冷蔵庫から氷を出して、男の顳顬に押し付けた。男が目を開けた。アスルが英語で話しかけた。

「ここで何をしていた?」

 ロジャー・ウィッシャーは彼を見上げ、それからテオに気がついた。またアスルを見て、もう一度テオを見た。

「ドクトル・アルスト、話を聞いてくれ。」

 彼が体を動かしたので、アスルが「ノ!」と言った。

「そのままの姿勢で話せ。」

 テオはロジャーにアドバイスした。

「逆らうな。俺の友人は白人嫌いで気が短い。」
「大統領警護隊?」
「答える必要はない。」

 アスルは1メートル以上ロジャー・ウィッシャーから距離を取っていた。それが嫌いな人間に対する彼の許容範囲の限界だ。昔はテオに対してもこうだったのだ。
 ロジャー・ウィッシャーはうつ伏せの姿勢で仕方なく話を始めた。

「憲兵隊が父は盗掘目的で遺跡に潜り込んで事故死したと言った。僕は恥ずかしかった。確かに父は黄金郷を探していたから、その可能性もあると思った。出来ればこの国に父の痕跡を残したくなかった。貴方はミイラの組織サンプルを採ったと思ったので、回収しようと思ったんだ。」
「それなら、電話でも構わないから、そう言ってくれれば、俺は貴方にサンプルを返した。無理に分析する必要はないから。貴方が時計であのミイラがアンドリュー・ウィッシャーだと確認しただろう。貴方が本当のロジャー・ ウィッシャーなのかどうかは、わからないが。」

 ロジャーが沈黙した。するとアスルが彼の顔のそばに行き、屈み込んだ。相手の髪の毛をいきなり掴み、顔を上げさせた。目と目を合わせた時、彼の目が金色に光った。
 アスルが言った。

「氏名、所属、階級、任務を言え。」

 ウィッシャーが唇を震わせた。何かと戦っているかの様な苦痛の表情を浮かべ、やがて絞り出すような声で喋り始めた。

「私はロジャー・ウィンダム、フォース・リコーン・中米戦略部隊所属、大尉、国立遺伝病理学研究所から脱走したシオドア・ハーストが現在研究しているものが何なのかを調査し報告する任務を帯びている。」

 テオは腹が立った。やっぱり北の国は彼を諦めていない。と言うか、セルバ共和国がどんな国なのか探りたいのだ。何故テオが亡命したのか、何故堅固な警備体制を敷いていた研究所が滅茶苦茶に荒らされたのか、何故当時研究所にいた人々の多くが記憶を失っているのか。
 アスルが尋ねた。

「今、何を知っている?」
「何も・・・」

 ロジャー・ウィンダムが答えた。

「奴らの守りは鉄壁だ。ハーストは私を警戒している。彼の研究サンプルを手に入れたら、直ぐに出国しなければ・・・」

 アスルが彼の髪の毛を離した。ロジャー・ウィンダムはばたりと床に顔を落とした。気絶していた。アスルはテオを見た。

「こいつの名前がわからなかったので、心を盗めなかった。”操心”で質問に答えさせただけだ。」
「十分だよ、アスル。グラシャス。しかし、こいつをどうしよう? 下手に始末したら、北はまた誰かを送り込んで来るぞ。」
「今の尋問は記憶に残らない。」

 アスルは冷蔵庫から豚のサンプルを出した。ウィンダムの手首を縛っている革紐を解き、その手の中に豚のサンプルを握らせた。
 ウィンダムのリュックサック、携帯電話と財布を奪い、立ち上がるとテオを見た。

「帰ろう。こいつはこのままにしておく。多分、強盗に襲われたと思うだろう。」



2022/01/11

第4部 花の風     25

  テオはもやもやした気持ちを抱えたまま自宅に帰った。アスルがキッチンで野菜と肉の煮込みを作っていた。
 テオは鞄を寝室に放り込むと、ダイニングのテーブルの前に座った。甲斐甲斐しく働くアスルを見ながら、彼は呟いた。

「俺はお人好しだなぁ。」

 アスルが呟き返した。

「今頃気がついたのか。」

 ムッとしたが、アスルは元々口が悪い。テオは頭の上で手を組んだ。

「父親探しをしていたアメリカ人は偽物だとさ。ミイラは本物のアンドリュー・ ウィッシャーだが、ロジャー・ウィッシャーは偽物だ。だからアンドレと血縁ではないし、恐らくアンドリューとも他人同士だ。アンドレとミイラの比較を行わなければならなくなった。」

 アスルが肩越しに彼を見た。

「どんな結果が出ようが、アンドレは俺たちの一族だ。アメリカ人には渡さない。」
「当たり前だろう。」

と言い返してから、テオはドキリとした。ロジャー・ウィッシャーと名乗った男は、”ヴェルデ・シエロ”のDNAを採取に来たのではなかろうか。大統領警護隊に接近してみたものの、触れることさえ出来ず、相手にもされなかった。だから次に隊員と親しくしている遺伝子学者に接近した。何らかの理由をつけて隊員の細胞を手に入れようとしていたのであれば・・・。
 テオは研究室の冷蔵庫を思い出した。文化保護担当部の友人達のサンプルを保存してある。他人にわからないように記号で識別ラベルを書いてあるし、他にも色々動物や人間のサンプルを入れてあるが、根こそぎ奪われたらお終いだ。
 彼は玄関に向かった。

「大学に行ってくる。DNAのサンプルが心配だ。」

 ドアを開けようとすると、直ぐ後ろにアスルがついて来ていた。

「相手は武器を持っているかも知れない。俺も行く。」

 めっちゃ心強い用心棒だ。10人のならず者を薙ぎ倒した格闘技の達人だ。テオは彼に来いと手を振った。 アスルは外に出ると、小さく手を振った。後でわかったことだが、ちゃんとドアを施錠してくれたのだ。
 アスルを助手席に乗せてテオはグラダ大学に向かって車を走らせた。大した距離ではないが、夜のラッシュアワーが起こっていた。一般企業は省庁よりシエスタが長い分、終業時間が1時間遅い。企業勤めの人々が帰宅する時刻だった。なかなか前へ進まない。
 テオが焦っていると、アスルが言った。

「先に行ってる。」

 彼はテオの返事も待たずに助手席側のドアを開けて、外に降りた。ドアをバタンと閉めて、車の列の間を走って姿を消した。アッと言う間の出来事で、テオは何も言えなかった。通常なら15分で行ける距離を半時間かけて大学に到着した。遅く迄研究している学者もいるのか、いくつかの部屋の窓に灯りが点いていた。
 テオは駐車場に車を駐めると、自然科学学舎の研究室へ走った。アスルが開けてくれたのか、それとも何処かの研究者が開けっ放しにしているのか、入り口の扉が開いていた。テオは中に入った。何度か夜に来ているので、暗くても勝手はわかる。非常灯の灯りだけを頼りに階段を上り、2階の研究室へ行った。ドアの前へ行くと、アスルが気配でわかるのか、ドアを中から開けてくれた。

「まだ誰も来ていない。」
「それじゃ冷蔵庫の中の物を持って帰る。」

 ロジャー・ウィッシャーが偽物なら、今夜辺りにサンプルを探しに来るだろう。いつ迄もセルバでぐずぐずしていない筈だ。身分を偽る目的で利用した行方不明者が、ひょんなことからミイラになって現れたのだ。身元確認でセルバとアメリカの間で情報交換が行われて、回数が多ければ偽物の息子だとバレる。
 テオは携帯のライトを頼りに棚から保冷バッグを出し、冷蔵庫の中の友人達のサンプルを取り出して中に入れた。小さいので重量はないが、暗がりで落として紛失する恐れがあるので慎重に作業した。
 全部入れ終わって保冷バッグの口を閉めた時、アスルが囁いた。

「足音が近づいて来る。机の後ろに隠れていろ。」

第4部 花の風     24

  テオが仕事を終えて帰宅する準備をしていると、ケツァル少佐から電話がかかってきた。出来れば直ぐに会いたいと言うので、カフェテリア・デ・オラスで待ち合わせる約束をして大学を出た。徒歩でも10分の距離だ。車を文化・教育省の駐車場の空きスペースに置いて、カフェに行った。少佐も直ぐ来た。ただし、少佐は2人いた。どちらも大統領警護隊だ。

「ブエノス・タルデス、ロペス少佐。何か御用ですか?」
「ブエノス・タルデス、ドクトル・アルスト。例のアメリカ人の件です。」

 まだ何も注文していなかった。ケツァル少佐が車の中で話しましょう、と言うので、彼女のベンツまで行った。

「父親探しをしていたアメリカ人ですね?」

とテオは確認した。ロペス少佐が「スィ」と肯定した。ベンツの後部席に男性2人が並んで座り、ケツァル少佐は運転席に座った。ロペス少佐が先に言った。

「先ず、貴方の方の出来事を話して頂けませんか? ウィッシャーと名乗る男の父親探しの進捗状況です。」

 それで、テオはウィッシャーが公園で話しかけて来た翌日、マカレオ通りの食料品店で再び出会ったことを語った。アスルからも大統領警護隊に声をかけて来るアメリカ人の話を聞いたので、ネットで検索して、ウィッシャーが勤務する靴の会社が実在すること、ウィッシャーの経歴に海兵隊勤務があるのに、本人との会話では一度もそれが出てこないこと、C I Aの仕事をしていたと本人は言ったが、それなら父親探しもそちら方面で出来る筈なのに、コネを使わないこと、ウィッシャーは大学の講義の最中に教室に現れ、父親探しを依頼してきたこと、その際にDNA検査用サンプルを採取させてくれたことをかいつまんで話した。

「それから、ニュースになったのでご存じだと思いますが、考古学部がオルガ・グランデで出土したミイラの鑑定を依頼して来て、ケサダ教授と学生達が俺の研究室でミイラの荷解きをしたんです。布を剥がしたら、ミイラの腕に腕時計が嵌められていて、まるで助けを求めるような異様なポーズをしていました。しかもインプラントで歯の治療をしていた。直ぐに憲兵隊に連絡してミイラを引き取ってもらいました。ウィッシャーに憲兵隊が腕時計を見せたら、父親の時計だと確認しました。インプラントの方もアメリカから歯科医療記録を取り寄せるそうです。 ウィッシャーも父親に間違いないだろうと言っています。それから・・・」

 テオは医学部でコンピューター処理による復顔術で、写真のアンドリュー・ウィッシャーと同じ顔が現れたと話した。

「まだコンピュータ画像の話をロジャーに連絡していないのです。恐らく、あれを見ればミイラが父親のものだと納得するでしょう。」
 
 するとロペス少佐が言った。

「ミイラが写真の男である可能性は否定出来ないでしょう。確かに、20年近く前に南の国境検問所からセルバに入国して、出て行った記録が何処にもないアメリカ人が一人いました。アンドリュー・ウィッシャーと言う名前に間違いありません。」
「では・・・」
「しかし、アンドリュー・ウィッシャーに息子はいませんでした。」

 テオは思わず、「ハァ?」と声を上げてしまった。

「しかし、ロジャー・ウィッシャーのネット上のプロフィールには、父親はアンドリューと書いてあった・・・」
「そもそもロジャー・ウィッシャーと言うアメリカ人はいないのです。否、貴方が会っていた男はロジャー・ウィッシャーではない、と言った方が良いでしょう。」
「それじゃ、あのネット情報自体がフェイクですか?」
「今どき、ネットで直ぐ身元を調べられるとわかっている組織がでっち上げた偽のプロフィールでしょう。20年前に行方不明になったアメリカ人がいたので、それを利用したのです。恐らく、ロジャーと名乗る男は少しばかり顔を整形していると思います。それとも行方不明者に似た顔の男が任務を与えられたか・・・」
「任務?」

 ケツァル少佐がそこで初めて言葉を発した。

「テオ、ロジャー・ウィッシャーとミイラのDNAを比較分析したのですか?」
「否、まだだ。分析器に入れて、君の電話をもらったのでそのままにしてある。分析表は夜中に出て来る予定だ。」

 アンドレ・ギャラガとロジャーの比較はしたが、これはアスルとの約束で2人の少佐には言えない。

「きっと他人ですよ。」

とロペス少佐が言った。

「ロジャー・ウィッシャーなる人物の真の目的が何であれ、彼は大統領警護隊を騒がせた。当然ながら外務省は彼の身元調査に遊撃班の出動を依頼しました。私の耳には入っていないが、”砂の民”もその動きを察しているでしょう。遊撃班がウィッシャーを捕まえれば、あの男の命は助かるでしょうが、そうでなければ、我々には何も出来ません。」

 背筋が寒くなるようなことを言って、ロペス少佐はベンツから出た。そして近くに駐車してあった彼自身の車に乗り込むと、直ぐに走り去った。
 テオは黙ってそれを見送っていた。ケツァル少佐が咳払いしたので、彼は我に帰った。

「ごめんよ、直ぐに出る。」

 すると少佐が言った。

「明日、うちへ夕食に来ませんか? アスルも一緒に。」


第4部 花の風     23

  アスルとの静かな夕食を済ませると、テオはゲノムの分析結果表を詳細に眺めた。アスルはいつもの様にサッカー中継をテレビで観戦していた。近所の家から聞こえて来るような興奮した叫び声を上げたりしないが、熱心に見ていて、テオがコーヒーを淹れてやっても直ぐには気づかない程だ。
 テオは3時間程分析表を見つめ、やがて大きな溜め息をついてデスクのライトを消した。書斎兼寝室を出ると、サッカーの試合が終わったところで、アスルがテーブルの上を片付けていた。

「遺伝子の分析は途中だが、結果は大体出た様だ。」

とテオが言うと、アスルは手を止めて彼の顔を見た。テオはちょっと笑って見せた。

「アンドレはウィッシャー氏の子供ではなく、ギャラガ氏の子供だ。」

 アスルは数秒間彼を見返し、そして頷いた。微かに安堵の表情が見て取れた。

「顔の印象は似ているが、アンドレがロジャーと兄弟である確率は、俺の分析では殆どない。まだ見てみないといけないが、肉親だと言う決め手は現在の段階では皆無なんだ。ウィッシャーはアングロサクソンだが、アンドレはラテン系の白人の子供だと思う。彼には色々な人種が混ざっているが、イギリス系ではないと、俺は思う。」
「あいつが何系だなんて、俺達にはどうでも良いんだ。」

とアスルは言った。

「あいつが肉親のことで今以上に悩まずに済めば、良いんだ。」

 テオは同意した。そして「おやすみ」と言って、寝室に戻った。デスクの上の分析表を折り畳み、鞄に入れた。
 翌日、大学に出勤すると、テオは医学部解剖学科のベアトリス・ビスカイーノ准教授にメールを送った。何時研究室にお邪魔すればよろしいかと言う問い合わせだ。ビスカイーノ准教授は3分後に返事をくれた。午後1時ではどうか、と言うことだ。シエスタの時間に行うと言うことは、彼女にとってはお遊びの次元なのだろう、とテオは予想した。
 承諾して、午前中の仕事に専念した。
 昼食は手早く取った。ちょっと楽しみで興奮していたのかも知れない。コンピュータでの復顔処理はテレビで見たことがあるが、実際に見るのは初めてだった。
 ビスカイーノ准教授の部屋に行くと、学生も数人いた。課外学習の形で彼女は行うのだとわかった。テオはアンドリュー・ウィッシャーの写真を画像が出来上がってから出すと言うことに決めて、彼女の作業を見学した。
 さまざまな方向から撮影したミイラの頭部の骨の写真から立体画像を作り、それにコンピュータが「肉付け」していく。3Dプリンターが部屋にあったが、ビスカイーノはそれを使わなかった。正規の製造依頼でないので、スクリーン画像だけの制作だ。
 
「苦悶の表情の骨だったから、画像もちょっと歪むかも。」

とビスカイーノは断った。最も画像が修正されており、彼女の言葉はちょっとした「脅し」に過ぎなかった。テオと学生達が見守る中で彼女はキーボードから次々とコマンドを入力していった。
 1時間後に出来上がった男性の顔を見て、テオは写真を出した。みんなでそれとスクリーン上の顔を見比べた。

「そっくりだ!」
「これでミイラの身元が判明しましたね。」
「遺伝子の方はどうなんですか?」

 テオは言った。

「親族から要求があれば分析するけど、申請がなければしない。」

 そしてビスカイーノ准教授と握手した。

「グラシャス、ビスカイーノ准教授。息子さんに連絡しておきます。」
「グラシャス。お役に立てて嬉しいです。」



2022/01/10

第4部 花の風     22

 解剖学の教授は留守だった。しかし助手を務めた准教授が事務室前迄ミイラのサンプルを持って来てくれた。

「人工物での身元確認では正確性が低いですからね。」

と彼女は言った。彼女はロジャー・ウィッシャーの父親捜索の件を知らなかったので、テオが説明すると、コンピュータでミイラの生前の顔を作ってみようかと提案してくれた。それでテオは、ベアトリス・ビスカイーノと言うその准教授の研究室を翌日訪問する約束をした。
 医学部から生物学部に戻り、午後の授業をこなした。研究室に再び戻った時、携帯電話が鳴った。画面を見るとケサダ教授だったので、病院前で教授の母親と妻に出会ったことがバレたのかと冷や汗が出た。教授が話がありますと言うので、テオは覚悟を決めて考古学部へ行きますと答えた。
 急いで室内を片付け、翌日の授業の準備ができていることを確認すると、部屋を施錠して考古学部へ向かった。
 ドアをノックすると、ケサダ教授が自ら開けてくれた。

「急に呼び出して申し訳ありません。」

と教授が言ったので、怒っていないとわかった。テオは出来るだけリラックスしようと己に言い聞かせた。勧められた椅子に座ると、ケサダ教授はコーヒーを淹れてくれた。

「例のミイラのことです。」

と彼が切り出した。テオが黙っていると、彼は「聞いた話です」と断りを入れた。

「黄金郷などと言う馬鹿な夢を見てオルガ・グランデの旧市街を彷徨いていた白人がいたそうです。」

 テオはドキリとした。アンドリュー・ウィッシャーのことか?

「暗がりの神殿の銘板を誤訳した呪い文が黄金の在処を示す暗号だと勘違いした様でした。彼は聖マルコ教会の地下墓地の存在を何処かで知り、バルで知り合った仲間2人と夜中に床石を剥がして墓地へ降りる入り口を見つけました。彼等は墓所へ降りた。そしてそこに安置されている遺体の中で金の指輪を嵌めている一体を見つけました。バルで知り合った男達は当然セルバ人でした。彼等は黄金が欲しかったが、ミイラの指輪を見て怖気付きました。死者の冒涜は恐ろしい呪いを呼び込むと信じたのです。しかし白人はその指輪に文字が刻まれているのに気がつき、ミイラの指から指輪を抜き取ろうとしました。セルバ人はそれを止めようとして争いになりました。暗闇の中での争いです。白人は転倒し、脚を折りました。セルバ人は逃げた。階段を駆け上がり、教会に出ると床石を元通りに戻して去りました。」

 一気に語ると、ケサダ教授はテオを真っ直ぐ見た。そして繰り返した。

「聞いた話です。」

 テオは黙っていた。アンドリュー・ウィッシャーの身に何が起きたのか、ケサダ教授が教えてくれているのだ。ウィッシャーがバルで出会ったセルバ人は、普通のセルバ人だったのだろうか。ウィッシャーが呪い文を元に黄金を探していると言う噂を聞いて、彼に接近した”砂の民”ではなかったか。年代的には、オルガ・グランデの戦いが行われた頃だ。オルガ・グランデの街にはシュカワラスキ・マナの結界の為に街中に閉じ込められた”ヴェルデ・シエロ”達がいたのだ。”砂の民”が結構いたのではなかったか。彼等はマナと戦いながらも、一族を守る仕事もこなしていた。 ウィッシャーの言動は一族の秘密の聖地を探そうとしていると受け取られたに違いない。だからウィッシャーは「粛清」された。
 ケサダ教授は勿論その頃はまだ子供だった。母親の希望で、ムリリョ博士に引き取られてグラダ・シティで暮らしていた。だから、アンドリュー・ウィッシャーに起きたことは、伝え聞きだ。「聞いた話」だ。誰から聞いたのか、教授が語ることは永久にない。一緒に異様なミイラを見た仲間として、教授が独自のルートで調べたことを教えてくれたのだ。

「グラシャス。」

とテオは言った。教授が軽く頭を下げた。

「一つだけ・・・」

 テオは、多分これは教授も知らないだろうと予想しつつも尋ねた。

「その白人が、”シエロ”の女に子供を産ませたと言う話はありませんね?」

 教授がちょっと考えて、そして彼が誰のことを念頭に置いて質問したか、思い当たった様だ。ノ、とケサダ教授は首を振った。

「あったかも知れませんが、私は聞いていません。しかし、なかったと言うことにしておいた方が良い。」
「そうですね。」

 テオは同意した。あんな末路を辿った男の子供だったなんて、考えただけでも嫌じゃないか。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...