2022/01/24

第5部 西の海     21

  うっかり調子に乗って「アミーゴ」と呼んでしまったが、将校は気を悪くした様子はなかった。それどころか、彼は自己紹介した。

「私はここの指揮官補佐のホセ・ガルソン大尉です。あちらでバイクのエンジンの修理をしているのがルカ・パエス中尉。ホセ・ラバル少尉とカルロ・ステファン大尉はご存じですな?」
「スィ。指揮官はキロス中佐でしたね?」
「カロリス・キロス中佐です。もう一人、厨房勤務のブリサ・フレータ少尉がいます。太平洋警備室は現在6名です。DNAサンプルはご入用かな?」
「ノ、結構です。」

 テオは前日のラバル少尉より人当たりが良さそうなガルソン大尉に、少し安心した。それにガルソンもパエスもラバルより若い。ラバル少尉は一人取り残された感があるのかも知れない。

「私の学生はこちらのカタラーニの他にもう一人ガルドスと言う女性がいます。医者の卵です。私達と同じ活動をしますから、見かけたら声でもかけてやって下さい。」

 オフィスから出て、テオとカタラーニは港湾施設に向かって歩き出した。

「大統領警護隊のオフィスって、普通の事務所と変わらないんですね。」

とカタラーニが感想を述べたので、テオは笑った。

「どんなオフィスを想像していたんだ? 文化・教育省の文化保護担当部のオフィスを見たことがないのかい?」
「遺跡には興味ありませんから・・・」

 カタラーニが申し訳なさそうに言った。

「軍隊だから、もっと機関銃とか銃器を装備しているのかと思いました。」
「勿論、彼等はそう言う物も持っているさ。だけど、アメリカの軍隊だって事務所はあんな感じだよ。武器保管庫は別にある。」

 文化保護担当部のケツァル少佐が机の下にアサルトライフルを置いていることは黙っていよう。テオは心の中で笑った。それに机の引き出しには拳銃ぐらい保管しているかも知れない。
 沿岸警備隊の構成員にアカチャ族がいると言う情報はなかったので、陸軍水上部隊基地へ行った。守衛に用件を告げると、既にガルソン大尉から連絡が行っていたので中に通してくれた。部隊長のオフィスで少し待たされた。当該兵士は艇整備の担当で、作業が終了する迄待ってくれと言われた。こちらの作業は数秒で済むものなので、テオとカタラーニはセルバ人らしく暢んびり待つことにした。部隊長がグラダ・シティの情報を聞きたがったので、世間話で時間を潰した。
 やがて、部隊長がさりげない風を装って質問してきた。

「大統領警護隊太平洋警備室に行かれたのですね?」
「スィ。オフィスに入れて頂きました。」
「指揮官に会われましたか?」
「ノ。指揮官補佐のガルソン大尉に応対してもらいました。」
「キロス中佐にはお会いになっていない?」
「会っていません。」

 部隊長がふーっと息を吐いた。テオがその意味を測りかねていると、彼は言った。

「中佐はこの3年ばかり引き篭もって宿舎とオフィスの往復以外は屋外に出られないのです。」
「引き篭もり?」
「スィ。部下達も当惑している様です。理由がわからないらしい。」
「3年前迄は普通に外出されていたのですか?」
「スィ。彼女はよく港に現れて、我々水上部隊にも沿岸警備隊にも声をかけてくれました。民間の積み出し港のポルト・マロンにも足を向けられて従業員達の安全に目を配っておられました。それがいつからか・・・」

 部隊長は首を振った。

「兎に角、ガルソン大尉は出来るだけ早く上官が元気を取り戻すよう、煩わしい業務などを一手に引き受けて勤務されている様です。他の部下達もセンディーノ医師が処方する気鬱の薬など、普通大統領警護隊が受け容れることのない薬品を中佐に与えている様ですがね。」

 鬱病の”ヴェルデ・シエロ”なのか? テオはカルロ・ステファンが新しい同僚達に違和感を抱いていることを思い出した。太平洋警備室の隊員達は指揮官の異常を本部に知られまいとしているのだろうか。それは、軍隊と言う組織の中では許されないことではないのか。
 やがて1時間以上経ってから、アカチャ族の兵士が現れた。彼は普通の若者で、部隊長の説明を聞くと一瞬不安そうな顔をしたが、綿棒を渡され、口の中を擦るだけだと言われると、素直に応じた。用事はアッという間に終了した。
 テオとカタラーニは部隊長に礼を言って陸軍水上部隊基地を辞した。




2022/01/23

第5部 西の海     20

  翌日、テオはカタラーニを連れて大統領警護隊太平洋警備室を訪問した。本部を訪問しても絶対に中に入れてもらえないのだが、太平洋警備室は、彼が彼自身とカタラーニの紹介の後、応対してくれている男性将校に指導師に会いたいと告げると、オフィスの中に入れてくれた。
 オフィスの中は文化保護担当部と同じように机が並び、パソコンやプリンターや書類が載っていた。カルロ・ステファン大尉は厨房棟で昼食の準備をしていると応対に出た将校は言った。

「指導師にどう言う用件でしょうか?」

と将校は民間人に対して丁寧な言葉遣いで尋ねた。テオは室内を見た。前日に声をかけてきた年配の少尉は姿が見えなかった。30代から40代と思われる男性将校が2人いるだけだ。しかも一人は机の上に何かのエンジンの様な物を置いて修理をしている様子だった。
 テオは少し躊躇ってから言った。

「こちらの言葉で何と言うのか知りませんが、ハラールを教えて頂きたいのです。」
「ハラール?」

 将校はちょっと考えてから、ああ、と呟いた。

「料理の前の清めの儀式のことですか?」
「スィ! それです。」

 テオはセンディーノ医師の小さな悩みごとを隊員に語った。村人から食事に誘われるのに、こちらから誘っても来てくれない、と。その原因は清めの儀式をしないからではないか、とカタラーニが考えついたのだ、と。

「一昨日、私達はここへ来たばかりですが、その時、ステファン大尉の厚意で同じ陸軍のトラックに乗せてもらいました。ステファン大尉はこちらの厨房で働くのだと聞いています。もしよろしければ清めの儀式を教えてもらえないかと・・・」

 応対した将校と機械の修理をしていた将校が顔を見合わせた。”心話”だ、とテオは思った。

「教えていけないと言うことはありませんが、」

と応対した将校が言った。

「私達は教わっていません。ステファン大尉に伝えておきましょう。急ぎの用事ではないのですな?」
「急ぎません。」

 すると機械の修理をしていた将校が顔を上げてテオを見た。

「アカチャ族と我々の儀式が同じと言う訳ではないが、それでもよろしいか?」

 テオはカタラーニを見た。カタラーニはちょっと戸惑った。先住民の儀式は全部同じだと思い込んでいた様だ。テオはその将校に言った。

「住民に私達が決して食べ物を粗末に考えていないと伝われば良いのかと思いますが、それでは駄目でしょうか? 白人でも食事の前に神に祈ります。」

 再び2人の将校が”心話”を行った。そして応対した将校がテオに頷いて見せた。

「確かに、我々の遣り方を住民に見せれば誠意が伝わるかと思います。」
「グラシャス。今日、明日とは言いませんから、よろしくお願いします。」

 オフィスを出かけて、テオはふともう一つ厚かましい要望を思いついた。

「私達がここにいる理由をお聞きでしょうか?」
「政府の仕事でアカチャ族の遺伝子を採取されていると言う話ですか?」
「スィ。実は陸軍水上部隊にも一人アカチャ族出身の兵士がいると聞きました。彼にも協力してもらえるよう、大統領警護隊から口添えしていただけませんか?」

 将校が微かに笑った。

「政府の仕事ですな? 電話を1本かけるだけで良いですか?」

 テオも微笑んだ。

「グラシャス、アミーゴ。」


第5部 西の海     19

 午後はアンゲルス鉱石以外の鉱山会社の波止場へカタラーニと共に出かけた。3社の小企業が共同で使用している波止場で、そこで5人からサンプルを採取出来た。アンゲルス鉱石のホセ・バルタサールから話を聞いていると言うことで、説明が短くて済んだ。そこで陸軍水上部隊にも一人アカチャ族の兵士がいると言う情報をもらった。流石に軍隊の基地にいきなり訪問は拙いので、次の日に電話でも入れようとカタラーニと話し合った。
 診療所に戻ると、センディーノ医師が自宅での夕食に招待してくれた。凝ったものは出なくて、BBQだったが、若い院生達は喜んでくれた。

「久しぶりに賑やかな夕食を取れて嬉しいわ。」

とセンディーノが言った。先住民達は食事会に来ないのかと訊くと、意外な答えが返ってきた。

「村の人達は私を招待してくれることはあっても、私の招待には応じてくれないの。理由を聞いても返事がないのよ。」
「それは・・・」

とカタラーニがちょっと考えてから言った。

「東のアケチャ族でも同じ習慣があるのですが、料理する前の食材にお祈りをしないといけないんじゃないでしょうか? 悪い霊を祓ったり、食材の霊に感謝していることを示せば、来てくれると思います。」

 テオは昼間ステファン大尉が話していたことと同じだったので、驚いた。それは”ヴェルデ・シエロ”も行うことだと言いたかったが、堪えた。

「つまり、ハラールの問題?」
「そうですね。」
「どうすれば良いのかしら? 教えてくれる気があれば、私が招待に応じてもらえない理由を訊いた時に教えてくれたわよねぇ?」
「きっと白人には理解してもらえないと思っているのでは?」

 ガルドスが少し悲しげに言った。彼女はメスティーソだが、時々純血の先住民から白人と同じ扱いを受けることがある。つまり、拒否だ。
 テオはちょっと考えてから、ふと思いついた。

「大統領警護隊も同じ種類の儀式を毎回調理する前に行うそうだ。カルロに頼んで、皆で教わらないか? それを看護師の前でやって見せたら、どうだろう?」
「大統領警護隊も調理前の儀式をするのですか?」

 院生達も医師もびっくりだ。だが宗教的なものは外国の軍隊でも行うだろう、とテオはイスラム世界の習慣を例にして言った。 

「そう言えば、大統領警護隊って先住民しか入れませんよね?」

と不意にカタラーニが言った。テオはドキリとした。

「メスティーソも入隊しているぞ。カルロはメスティーソだ。」
「イケメンですよね。」

 ガルドスは昨日一緒にトラックに乗った素敵な隊員を思い出してニッコリした。カタラーニはしかし興味があるようだ。

「陸軍に入った友達がいますが、15、6歳になる士官候補生を警護隊がスカウトに来るそうです。彼等は必ず先住民優先でしか採用しないとかで、警護隊に憧れていた友人は選から漏れてがっかりしていたことがありました。友人も僕と同じメスティーソなんですけどね。」

 すかさずテオは言った。

「俺には数人警護隊の友人がいるが、見た目が殆ど白人の男もいるし、アフリカ系の人もいる。選考の基準がどうなっているのか、外部にはわからないさ。」

 いや、大統領警護隊には決定的な選考基準がある。”ヴェルデ・シエロ”、しかもナワルを使って動物に変身する”ツィンル”しか採用しないのだ。
 カタラーニはテオの言葉に「そうなのかなぁ」と呟いたが、それ以上は突っ込んでこなかった。それで良いんだ、とテオは心の中で彼に言った。連中の正体を掘り下げようとしたら、命を失うぞ、と。

  

第5部 西の海     18

  突然カルロ・ステファン大尉がピクっと身体を緊張させ、後ろを振り返った。テオもそれに釣られて振り返り、一人の大統領警護隊隊員が近づいて来るのに気が付いた。

「ここの人だね?」
「スィ。ホセ・ラバル少尉です。」
「ブーカ?」
「ノ、カイナとマスケゴのミックスです。」

 ステファンは先輩に敬礼しようとして、己が上の階級だと思い出した。本部にいる時は忘れないのだが、ここでは何か違う雰囲気が漂っているので、つい格下に敬礼してしまう。
 ステファンの前に立ったラバル少尉は敬礼しなかった。テオをジロリと見て、それからステファンに視線を向けた。

「お知り合いですかな?」
「昨日こちらへ来る陸軍のトラックに3人の民間人を同乗させました。その一人です。」

 友人とは紹介しなかったステファンの考えを、テオは敏感に察した。カルロは新しい任地の先輩達を警戒している。万が一の時、友人に手を出されたくないのだ。
 テオは大統領警護隊を扱い慣れていない白人のふりをした。手を差し出して自己紹介した。

「グラダ大学生物学部のテオドール・アルスト、准教授です。よろしく!」

 ラバルが怪訝そうな顔をした。

「大学の教授がここで何を?」
「教授じゃなくて、准教授です。」

 テオは村民全員の細胞採取をすることに大統領警護隊の許可は不要だと知っていたが、一応断っておくべきだろうと思った。後で妨害されては困る。

「セルバ政府の依頼で先住民のDNAを採取しています。目的をお知りになりたければ、内務省のイグレシアス大臣に問い合わせて下さい。まぁ、秘密にするような話ではありませんがね。」
「先住民?」
「アカチャ族です。午前中にアンゲルス鉱石の協力で従業員からサンプル採取させてもらいました。明日は村の残りの住民にお願いして歩きます。予定では1週間こちらに滞在します。」

 テオはまだ手を差し出したままだった。ラバルはチラリとステファンを見遣ってから、視線をテオに戻し、渋々その手を握った。テオはその軍人らしい厳つい手を握ったまま喋り続けた。

「大学院生を2名連れて来ています。男と女、若い学生です。真面目な子達ですが、港湾施設に慣れていないので、もし危険な場所に行きそうな時は注意してやって下さい。よろしく。」

 やっと手を離してやると、ラバルは頷いて見せ、それからステファン大尉に「失礼します」と言って船舶が停泊している方角へ歩き去った。
 テオは声が届かないと思われる距離まで彼が遠ざかると、ステファンに囁きかけた。

「かなり年長の少尉だな。」

 ステファンが溜め息をついた。

「それで困っています。指揮官は中佐で副官は大尉ですが、残りの3人が年上の部下になるので・・・」
「本部でも大勢いるだろ?」
「本部には私の他にも若い上級将校が大勢いますよ。」
「指導師は?」
「中佐と私だけだそうです。」
「それじゃ、胸を張っていろよ。」


第5部 西の海     17

  昼食の時に、村民全員のサンプルを採る話をすると、センディーノ医師は肩をすくめた。そして以前行ったアンゲルス鉱石の健康診断で採取した検体が残っていれば良かったのに、と言った。
 シエスタの時間。宿舎に戻って昼寝をするカタラーニと、仲良くなった看護師の家に遊びに行くガルドスと別行動を取ることにしたテオは、港の方へ散歩に出た。乾季なので空気は乾いている。ビーチは幅が狭く、どちらかと言えば岩礁が多い海岸線だ。水深もかなりありそうで、海岸からすぐに落ち込んでいる箇所が多いのだろう。だから鉱石を積む貨物船が出入り出来る港が建設されたのだ。
 船が一艘着岸しており、鉱石を運んで来るトラックを待っている状態だ。
 テオは作業の邪魔にならないように、使用されていない波止場で船を眺めていた。アメリカ時代は湖の岸辺の街で育ったので、船はあまり珍しくないが、太平洋を航海する船はやはり大きく迫力がある。セルバ共和国に来てからは、ジャングルや高原ばかりで、たまに学生達と海水浴に行く程度だ。グラダ港へ行ったことはない。植民地時代からある港で、立派なコンテナバースやクレーンなどがあるそうだ。

「シエスタですか?」

 背後から声をかけられた。カルロ・ステファン大尉だ、と思って振り返ると、果たしてそうだった。

「君もシエスタかい? 新しい配属先はどうだい?」

 ステファンが隣に並んで立った。気の抑制タバコを出して口に咥えたが、火は点けなかった。

「どうと訊かれてましても・・・」

 彼は苦笑した。テオはその表情を読んでみた。

「想像していたのと違うって顔だな。」
「貴方には敵わないなぁ・・・」

 ステファンは視線をテオと同じ船に向けた。

「奇妙な任務なのですよ。」
「奇妙?」
「通常、指導師の試しに合格すると、半年間本部の食堂の厨房で働くのです。」
「はぁ?」

 厨房で働くと言うこと自体が意外で、テオは思わずそう声を出してしまった。

「厨房で料理をするのが指導師の仕事なのか?」
「仕入れた食材のお祓いをします。それから食べ物となる動物や植物の霊に感謝して料理します。時には、毒が混入されていないかチェックもします。」
「ああ・・・」

 食材のお祓いは、イスラム教徒のハラールを見聞したことがあったので、テオも理解出来た。食べ物への感謝も先住民なら普通にする。毒味も大統領警護に必要だ。しかし半年もそれをやるのか、と驚いた。

「すると本部で働く筈が、いきなり太平洋警備室に行けと言われたのだな?」
「スィ。副司令が、ここで何が起きているのか見て来い、と。」
「何が起きているんだ?」
「それが掴めない。」
「初日だしな。」

 暫く彼等は船と海と空を眺めていた。それからテオがまた質問した。

「ここの隊員達と上手くやれそうか?」

 直ぐには返事がなかった。テオが横を見ると、ステファンは考え込んでいる目をしていた。カルロ? と声をかけると、彼は視線をテオに向けた。

「ここの人達は何と言うか・・・」

 ステファンは肩をすくめたが、それ以上は語らなかった。まだ2日目だ。先輩の批評をしたくないのだ。彼は話題を変えた。

「貴方の検査の方は上手く行っているのですか?」
「スィ。アンゲルス鉱石のバルデスが営業所の方に話をつけてくれていた。診療所の医師も協力的だし、看護師も学生と仲良くしてくれている。ただ・・・」

 テオは営業所長は虫が好かないと囁いた。

「先住民やメスティーソを見下しているんだ。だから君も注意してくれ。大統領警護隊に刃向かったりしないだろうが、従業員を虐待している様子だったら、注意を与えてくれないか。トラブルにならない程度で良いから。」
「わかりました。貴方も港湾施設を歩かれる時は気をつけて下さい。船乗りは気が荒い人が多いと聞きます。」


第5部 西の海     16

  昼前に診療所に戻ると、待合室に患者はいなくて、イサベル・ガルドスと看護師1人が世間話をしていた。聞けばセンディーノ医師ともう一人の看護師は最後の患者と診察室にいると言う。テオが採取した人数を尋ねると、20代の女性1人、30代の男女1人ずつ、60代の女性2人だった。テオは人数を合計して、言った。

「目標人数には足りていないが、大臣が俺の目標人数を指定した訳じゃない。看護師の分も入れて全部で14人だ。遺伝子比較には十分だと思うが、どうだろう?」
「十分だと思います。」

とカタラーニが応じたが、ちょっぴり残念そうだ。この旅行がすぐに終わってしまう予感がして寂しいのだ。それはガルドスも同様で、

「あっけなく終わってしまいましたね。」

と言った。すると看護師が言った。

「それなら村民全員のサンプルを採ればどうです?」
「出来ないことはないが・・・」
「帰りたくないのでしょう?」

 看護師が悪戯っ子の様な笑を浮かべた。

「アカチャ族は港が出来る前から、海から来る客に慣れています。だから貴方達が村の中を歩き回って出会う人に検査協力を求めても騒いだりしませんよ。」

 テオは彼女を眺めた。純血種の先住民の顔をしてるが、もしかすると・・・。彼は尋ねた。

「昔も海から客が来たと仰いましたね? すると村の人でその他所から来た人と結婚したり、子供を産んだりした人もいたのですか?」
「いたでしょうね。」

と看護師はサラリと言った。

「白人やアフリカ系でなければどこの部族と混ざり合っているか、わかりませんもの。」
「そうか!」

 テオは手を打った。カタラーニとガルドスが不思議そうに見たので、彼は説明した。

「海沿いをやって来たり、船で訪れた人との間に生まれたアカチャ族の住民もいたんだ。その人の子孫がまだ村にいる可能性だってある。つまり、東のアケチャ族とここのアカチャ族に遺伝子が違う可能性も十分あるってことだよ。」
「そうなんだ!」

 ガルドスも目を輝かせた。

「アカチャ族が独立した一つの部族だと言う証明を探すのですね!」

 看護師は何故グラダ大学の人々が喜んでいるのかわからず、ぽかんとして見ていた。

第5部 西の海     15

  現場監督のホセ・バルタサールは50がらみの男性だった。よく日焼けしたなめし革の様な肌をした先住民だ。もしかすると見た目より若いのかも知れない。先住民は若い時期は幼く見えて男性でも可愛らしい人がいるが、ある年齢を超えると急速に大人びて加齢に従い若いのに老成して見える。それだけ生活が過酷なのだ。都会でビジネスマンとして働いている先住民は地方の人々と同年齢でももっと若く見える。
 テオはバルタサールと引き合わされた時、先住民の挨拶を丁寧に行った。東海岸のアケチャ族の挨拶だ。バルタサールは一瞬戸惑った表情を見せ、それから、「私達はこうします」と言いたげに、少しだけ手の位置を下に下げて挨拶をした。それでテオは改めてそれを真似て見せた。エルムスが上から目線でバルタサールにグラダ大学の先生と学生の作業を手伝うよう命じた。バルタサールは「わかりました」と言い、テオに「ついて来い」と手で合図をして所長室を出た。だからテオとカタラーニもエルムスに「グラシャス」とだけ言って、急いで現場監督について出た。
 山から乾いた熱い風が吹きおろす村だ。従業員達が仕事の準備をしているコンクリート舗装の広場の様な場所にバルタサールはテオとカタラーニを連れて行った。彼がホイッスルを吹くと、男達が集まって来た。先住民がいればアフリカ系の人やメスティーソもいる。海沿いだから隣国からも労働者が来ているのだ。バルタサールがテオを見た。

「貴方から話をして下さい。私は難しい話は出来ない。」

 それでテオはカタラーニに検査の説明をさせた。彼が白人の使用人でないことをはっきりさせたかった。カタラーニはこれから行う検査が政府の事業であること、目的は先住民の分布状況調査で、先住民保護助成金の予算算出の参考とすること、調査対象はアカチャ族の各世代男女2名ずつなので、協力者は名乗り出て欲しいこと(決して強制ではないですよ、と彼は強調した。)、検査は綿棒で口の内側を擦るだけなので数秒で済むし、痛みは全くないこと、協力の報酬はないが短時間で済むので決して仕事の妨害にならないことを語った。
 アカチャ族だけが対象と聞いて、早くも自分は無関係と決めつけた人達が集会から離れて行った。結果的に14名が残った。全員男性だ。テオは彼等に年齢を尋ね、20代と30代が5人ずつ、40代が3名いたので、彼等が自主的に2名選ぶよう頼んだ。50代は1人で、バルタサールではなかった。
 最終的に残った7人に、テオは自分で実際に綿棒を使って実演して見せ、細胞サンプルを採取することに成功した。
 保冷ケースに検体を入れて、テオとカタラーニは労働者達に丁寧に感謝の言葉を述べた。40代のサンプルを提供したバルタサールが尋ねた。

「足りないサンプルを集めますか?」
「ノ、診療所でも行っているので、ここはこれで十分です。それに必ずしも全部の世代、男女揃わせなければならないと言うこともありません。アカチャ族の遺伝子のパターンさえ登録出来れば良いのです。」

 バルタサールはテオの背後の風景に視線を向けて言った。

「数年前、会社の健康診断と言うことで、色々なことを検査されました。その時に血液も採られた。後で聞いた話では、その血液をアメリカのどこかの研究機関が買ったと言うことです。」

 テオはドキリとした。国立遺伝病理学研究所のドブソン博士がアンゲルス鉱石の労働者達の血液を集めていた。彼はそこから偶然”ヴェルデ・シエロ”と思われるサンプルを発見して、その遺伝子の持ち主に会おうと初めてセルバ共和国の土を踏んだ。そしてエル・ティティでバス事故に遭ったのだ。そこから彼の新しい人生が始まった。

「今日のサンプルを外国に売ったりしませんから、安心して下さい。」

 それは事実だ。問題は助成金の額だ。アケチャ族とアカチャ族が別々に助成金をもらえるのか、一つにまとめられてしまうのか、だ。

「会社の健康診断は、会社が雇った医師が行ったのですか?」
「ノ。」

 バルタサールは診療所の方を指差した。

「ドクトル・センディーノとドクトラ・センディーノです。会社がお金を払って2人に健康診断をさせたのです。この営業所の従業員だけですが。」

 では鉱山は別の医師が担当したのだ。テオはバルタサールに協力の礼を言った。
スムーズに捗ったので、もしかすると残りの日々はオルガ・グランデ観光で過ごせるかも知れない。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...