2022/01/28

第5部 山の向こう     11

  テオはガルソン大尉の横に並び、小声で尋ねた。

「大尉はパエス中尉が何か車にやったとお考えですか?」

 ガルソン大尉が足を止め、ステファン大尉を振り返った。余計なことを部外者に言うな、と目で言ったのかも知れない。ステファン大尉がテオに言った。

「キロス中佐の骨折は気の爆裂を受けたからです。この村の中にいる”シエロ”は我々6人だけですから・・・」
「それに私の子供が2人。」

とガルソン大尉が付け加えた。母親が”ティエラ”でも子供は半分”ヴェルデ・シエロ”だ。でも、とテオは言った。

「貴方のお子さんは計算に入れなくて良いでしょう。あんなことが出来るのは大人だ。それに、パエス中尉も結婚されていましたね?」
「パエスの子供は妻の連れ子です。」

 ガルソン大尉が再び足を動かした。

「彼の家の子供達は”ティエラ”だ。」

 テオも彼を追いかけた。

「しかし、彼が何故キロス中佐にあんなことをする必要があるんです? フレータ少尉だってあんな目に遭わされる理由がない。」
「それはこれから彼を尋問します。」

 ステファン大尉が後ろで別の話を囁いた。

「フレータが言ってました。彼女が助かったのは、キロス中佐が気で彼女を車外に吹き飛ばしてくれたからだ、と。」

 歩きながら数歩の間、ガルソン大尉が目を閉じた。

「そう言う優しい方なのです、中佐は・・・」

 彼が目を開いた時、微かに空気がビリリと振動した、とテオは感じた。上官を暗殺しようとした者へのガルソン大尉の怒りだった。
 オフィスの前に来ると、黒く焦げたジープがまだ残っていた。立ち番をしていた陸軍兵にガルソン大尉が部隊長を呼べと命令した。テオとステファン大尉はオフィスの中に入った。奥の部屋のドアは閉じられ、その前にラバル少尉が椅子を置いて座っていたが、ステファン大尉が入って来たので立ち上がり、敬礼した。ステファンも敬礼した。それから彼はテオに彼自身の席に座って待つよう指図して、ラバルにはコーヒーを淹れてやった。テオはパエス中尉が気になったが、大人しく座っていた。
 ガルソン大尉と部隊長が入って来た。ステファンは彼等にもコーヒーを淹れて出した。部隊長はちょっと驚いた様だ。今迄にも大統領警護隊のオフィスに入ったことはあったのだろうが、コーヒーのサービスは初めてだったに違いない。
 ガルソン大尉は先ず村の道路封鎖を解除する許可を出した。部隊長が不安気に尋ねた。

「テロリストを探さないのですか?」
「テロリストはいない。」

とガルソン大尉が言った。

「爆弾はなかった。ただの事故だ。」

 テオは部隊長がまだ不安気な顔をしているのを見逃さなかった。しかしガルソン大尉は”操心”を使って彼の不安を取り除く気力がないらしく、放置した。

「キロス中佐とフレータ少尉は命を取り留めたが、火傷が酷い。オルガ・グランデ陸軍病院へ移したいので、手配してもらえないか?」

 部隊長が立ち上がり、敬礼した。

「直ちに基地へ戻り、オルガ・グランデ基地に連絡します。ヘリコプターで搬送することになるかと思いますが、大丈夫ですか?」
「スィ。グラシャス。」

 ガルソン大尉も立ち上がって敬礼を返した。部隊長は体の向きを変え、ステファン大尉とラバル少尉にも敬礼してオフィスから足速に出て行った。

第5部 山の向こう     10

  2時間後、イサベル・ガルドスが疲弊した表情で待合室に出てきた。アーロン・カタラーニも一緒だった。2人はバスルームに入って防護服を脱ぎ、シャワーを一緒に浴びた。そして2人で並んで待合室のベンチに座ったので、テオはサンドウィッチとコーヒーを運んでやった。

「怪我人はどんな具合だい?」

 彼が尋ねると、ガルドスが微笑んだ。

「フレータ少尉は大丈夫です。焼けた軍服を脱がすのに時間がかかりましたが、熱傷の程度は深くありませんでした。と言っても、深達性II度ですから、油断出来ません。爆風で外に弾き飛ばされたのが良かったのだと、ドクトラが仰いました。少尉はまだ横になっていますが、意識はあります。入院準備を看護師が整える迄、もう少し手術室にいてもらうそうです。」

 ステファン大尉がテオの後ろでホッと息を吐くのが感じられた。だが安心するのはまだ早い。

「キロス中佐は?」
「深達性Ⅲ度ですから、かなり危険な状態です。意識もありません。」
「助かるだろうか?」
「センディーノ先生は助けると仰っています。」

 テオは手術室のドアを見た。手術室と言っても、村の診療所だ。最新設備が整っている訳ではない。
 ドアが開き、医師と2人の看護師が出て来た。テオはセンディーノ医師と看護師がバスルームへ行って汚れた防護服とマスクなどの装備を解く迄待っていた。10数分後に3人は待合室に戻って来た。テオが作ったサンドウィッチとコーヒーに飛びつくようにして彼等は空腹を満たした。
 テオは辛抱強く彼女達が口を利く迄待った。やがてセンディーノが顔を上げた。

「運よく気道熱傷はありませんでした。肋骨を骨折していたので、その処置に時間がかかりました。熱傷箇所は少なく、治癒に時間はかかりますが、熱傷で生命の危険が脅かされる恐れは低いと思います。でも私としては、オルガ・グランデの大きな病院での治療を勧めます。ここでは清潔に保つのが難しいですから。」

 ステファン大尉が尋ねた。

「フレータ少尉と話せますか?」

 センディーノが「スィ」と頷いた。

「彼女は強いですね。熱傷部位は右半身で、深達性部分は少ないものの、かなりの激痛だと思いますが、耐えています。痛み止めを処方したので、少しうつらうつらした状態ですが、5分程度の会話は出来るでしょう。でも、もう少し後になさっては?」

 しかしステファン大尉は手術室に入って行った。センディーノが呆れたと言う表情をしたが、看護師達は大統領警護隊の行動に特に驚かなかった。
 センディーノがテオに尋ねた。

「夢中で患者の手当をしましたが、一体何が起きたのです?」
「キロス中佐が気分が悪い様子だったので、フレータ少尉がジープで宿舎へ連れて行こうとしたのです。エンジンをかけた途端にジープが爆発したらしい。」
「他に怪我人は?」
「パエス中尉が右目を負傷したと聞きましたが、ここには来てません。」

  看護師が窓の外を見た。

「水上部隊に軍医がいますから。それに沿岸警備隊にも衛生部隊がいます。」

 そっちの設備の方が良かったのかな、とテオはちょっぴり考えてしまったが、それではステファン大尉が怪我人のそばに近づけないかも知れない。
 診療所の入り口のドアが開いて、ガルソン大尉が入って来た。

「中佐と少尉の様子はどうですか?」
「2人共、取り敢えず窮地を脱した様だよ。」
「良かった・・・」

 ガルソン大尉はまだ昼過ぎだと言うのに、3日も働いた様に疲れ切って見えた。センディーノが彼にパエス中尉の怪我の具合を尋ねた。ガルソンは、大したことない、と答えた。

「目の下を少し切っただけです。」

 それは目を武器に使う”ヴェルデ・シエロ”にとって大事なのだが、ガルソンは何でもない様に言った。
 カタラーニが窓の外の道路封鎖を見ながら、大尉に質問した。

「道を封鎖しているのは、テロでも警戒しているのですか?」
「スィ。」

 とガルソンがこれも事なげなく答えた。

「しかし爆弾が使用された様子がないので、暫くしたら封鎖を解きます。」

 彼は医師に向き直った。

「救急処置に感謝します。2人の女性は病院に移した方が良いですか?」

 ”ヴェルデ・シエロ”が普通の病院の利用を考えていることに、テオは少し驚いた。庶民として生活している人ならともかく、大統領警護隊はそんな考えを持たないのではないのか、と思ったのだ。しかし、センディーノ医師がこう言った。

「オルガ・グランデ陸軍病院ですか? あそこなら設備が整っているので、患者も安心して治療に専念出来るでしょう。」
「では、水上部隊長に患者の受け入れ要請をしてもらえるよう頼んで来ます。」

 頼むのではなく、命令しに行くのだ、とテオは思った。そこへステファン大尉が手術室から出て来た。フレータ少尉の話を聞いていたにしては時間が長かったので、きっとキロス中佐と少尉に祓いをしていたのだろう、とテオは推測した。
 2人の大尉が一瞬目を合わせた。”心話”だ。一瞬にして情報共有をしてしまえる。他人に聞かれたくない話がある時は羨ましい。
 ガルソン大尉が石の様に無表情で、顔を振って「来い」と合図した。ステファン大尉は診療所の人々に「また来ます」と言って、先輩について外へ出た。テオも急いで後を追った。それぞれがどんな新しい情報を持っているのか、知りたかった。
 ガルソンがテオに気付き、煩そうな顔をしたが、来るなとは言わなかった。


2022/01/27

第5部 山の向こう     9

  看護師の一人が待合室に顔を出し、テオとカタラーニ、どちらでも良いから中で手伝ってくれと言った。カタラーニが素早く手を挙げた。彼はテオに言った。

「僕が中で手伝います。先生は大統領警護隊に顔が効くから、残って下さい。あ、僕等が集めた検体を冷蔵庫に入れておくのを忘れないで。」

 ちゃっかり恩師を使ってくれた。待合室に一人になったテオは窓の外を見た。診療所から事件現場は見えないが、陸軍兵がジープで道路を封鎖するのが見えた。ステファン大尉はテロの疑いを抱いて、犯人の逃亡を防ごうとしているのだ。
 テオはキッチンに入り、手術室で最善の努力をしている5人の為にサンドウィッチを作った。ジャムやピーナツバターの簡単な物だが、昼食を暢んびり作っている気分になれなかった。大皿にサンドウィッチを盛り付けたところへ、やっとステファン大尉が現れた。

「爆弾か?」

 テオの質問に、彼は首を振った。

「それを疑ってジープの残骸をガルソン大尉と2人で見ましたが、それらしき物は見つかりませんでした。」

 大統領警護隊は科学捜査をしない。ただ破片を「呼ぶ」のだ。爆弾の破片がなかったので、別の疑念が湧いた、とステファンは言った。

「ガルソン大尉は、パエス中尉を拘束しました。」
「何故だ?」

 テオはびっくりした。パエス中尉は仲間だろう? ガルソンと同じブーカ族だ。ステファンは説明した。

「ジープの爆発でパエス中尉は右目を負傷しました。ラバル少尉が彼を介抱しようとした時に、パエスが尋ねたそうです。『中佐は死んだか?』と。」

 テオは少し考えてしまった。そして大統領警護隊が何に引っ掛かりを感じたか悟った。

「普通は、『中佐は無事か?』と尋ねるよな?」
「スィ。ラバル少尉は奇異に感じ、パエスをオフィスに連れて行ってから、手当てをするフリをして、パエスに目隠しをして、手首を縛りました。それから私にパエスを拘束したことを報告に来ました。私が水上部隊の部隊長に車を見張らせてオフィスに戻ると、パエスは椅子に縛られて怒っていました。彼は拘束された理由がわからないと言いましたが、そこに診療所からガルソン大尉が戻って来ました。ラバル少尉がパエス拘束の経緯を報告すると、ガルソンは少尉の意見を支持しました。私も意見を求められたので、同意しました。」
「だが、パエス中尉がジープを爆発させたとして、その理由は何だ?」
「それはこれから調べなければなりません。彼の単独犯行なのかどうかも不明です。」

 テオはもう一度窓の外を見た。小さな村の封鎖は既に完了しており、外は静かになっていた。彼は自分の意見を述べた。

「パエスが犯人かどうかは別として、爆弾が使用されたのでなければ、ジープを爆発させたのは、”ヴェルデ・シエロ”の気の爆裂だな?」

 ステファンが渋々認めた。

「エンジンの不具合でもなければ、そう言うことでしょう。」
「君は村を封鎖したが、多分オルガ・グランデの陸軍基地に報告が入っていると思う。」
「大統領警護隊から指図がなければ、軍は大統領警護隊が関わる事件に乗り出して来ません。」
「そんな問題じゃないだろ。」

とテオは親友が見落としていることを指摘した。

「事件はすぐに”砂の民”の耳に入るってことだよ、カルロ。」


第5部 山の向こう     8

 テオとステファン大尉、ガルソン大尉、そしてラバル少尉は先を争う様にオフィスの外に飛び出した。ジープが炎を上げていた。ドアが吹き飛び、ジープの左右の地面に女性が転がっていた。 左前がフレータ少尉で、右がキロス中佐だ、とテオは思った。離れた場所にパエス中尉が蹲っていた。テオはどっちを先にと思う間も無く、近い方のフレータ少尉に駆け寄った。ステファン大尉が気の力で炎を吹き消した。ガルソン大尉とラバル少尉はキロス中佐の軍服の火を消し、彼女を抱き起こした。
 恐らく”ヴェルデ・シエロ”の女性達はジープが爆発した瞬間自分でドアを吹き飛ばし、脱出したのだろう。普通の人間なら到底無理だった筈だ。フレータ少尉はテオが抱き抱え、中佐をガルソン大尉が抱え上げた。

「診療所へ運べ!」

 ステファン大尉はそばの陸軍水上部隊や沿岸警備隊の基地から人が駆け出して来るのを見た。彼はラバル少尉に命令した。

「パエス中尉を見てやれ! 怪我をしていたら彼も診療所へ!」

 年上でもどうでも良かった。素早く命令を出し、彼はジープをもう一度見た。火が完全に消えて二次爆発の恐れがないことを確認した。
 陸軍の部隊長がそばへ駆けつけた。

「何事ですか?!」

 ステファン大尉は彼等に命じた。

「燃えた車に誰も近づかせるな。村の入り口を封鎖しろ。港も封鎖だ。住民は家から出すな。」

 ステファン大尉が爆発したジープの現場検証を始めている間に、テオとガルソン大尉は負傷者を診療所に運び込んだ。午前の診療を終えかけていたセンディーノ医師の診療所は忽ち大騒ぎになった。フレータ少尉もキロス中佐も脱出したものの大火傷を負っていた。センディーノ医師は診察中だった年配の男性に、待つようにと頼み、大急ぎで手術室を開いた。
 テオが看護師の手伝いをしていると、カタラーニとガルドスが戻ってきた。彼等も爆発音を聞いて、走って来たのだ。何が起きたのかと尋ねる彼等に、テオは手術の手伝いをしてくれと頼んだ。医学生のガルドスが手術室に入った。
 カタラーニはまだ混乱している診療所の待合室に立ち、呆然と立っているガルソン大尉を見た。

「大統領警護隊に何かあったんですか?」

 テオはカタラーニを見た。起きたことを隠す意味がなかったので、彼は事実を教えた。

「ジープが爆発したんだ。フレータ少尉がキロス中佐を宿舎へ連れて行く為に乗り込んだ直後だ。2人共大火傷を負った。」

 爆発?とカタラーニが口の中で呟いた。
 テオは診察を中断されたアカチャ族の男性に声をかけた。

「怪我人の手術に時間がかかります。自宅で待たれますか?」

 男は手術室のドアを見て、それからテオを見た。最後にガルソン大尉を見た。

「ラス・パハロス・ヴェルデスも怪我をするのか?」

と男が尋ねた。大尉がその男に視線を向けたので、男は顔を伏せた。大統領警護隊に失礼なことを言ってしまったと後悔しているのが、テオには感じられた。しかしガルソン大尉は小さな声で呟いた。

「当たり前だろう。」

 男は黙って診療所から出て行った。外で陸軍水上部隊の兵士達が「家に入れ」と住民達に怒鳴っている声が聞こえた。
 大尉、とテオはガルソン大尉に声を掛けた。

「座って下さい。火傷の治療は時間がかかります。」

 ビクッと体を震わせ、それからガルソン大尉は彼を振り返った。目の焦点がやっと合った感じだった。

「ここで待っていても意味がない。」

と彼は言った。

「指導師の方が役に立つ。ステファンと交代してきます。」

 テオの返事を待たずに彼は外へ出て行った。

 


第5部 山の向こう     7

 15分程でステファン大尉がオフィスに出て来た。僅か15分だったのに、彼はげっそりヤツれて見えた。テオとガルソン大尉が思わず彼を見つめると、彼は囁く様な低い声で言った。

「落ち着いてくれました。呪いを祓ってみましたが、悲しみまで癒すことは出来ません。彼女を宿舎で休ませた方が良いかと思います。」

 ガルソン大尉が彼を見つめて、そして首を傾げた。

「呪いと言ったか?」
「スィ。」
「中佐は誰かの気の爆裂か、”操心”の邪悪な気で傷つけられていたと言うことなのか?」

 ステファン大尉は小さく頷いた。

「恐らく、何が起きたか貴方に告げたくても呪いの力で話せなかったのでしょう。酷く衰弱されています。休ませてから、話を聞きましょう。」

 ガルソン大尉も頷いた。そして携帯電話を取り出すと、フレータ少尉を呼んだ。
 テオは2人の大尉のどちらへともなく、尋ねた。

「中佐はブーカ族だと聞いたが、ブーカ族を苦しませることが出来る力を出せるのは、やっぱりブーカ族なのか?」

 ブーカ族のガルソン大尉が彼を振り返った。

「対等に対決すれば、そう言うことになります。しかし、不意打ちや事故の場合はどの部族が優位と言うことはありません。一番力が小さなグワマナ族でも、不意打ちでグラダを倒せる可能性はあります。」
「それじゃ・・・」

 テオはアスクラカンと言う街をバスの通過地点としか認識していないが、最近ちょっとした事件で関わった。ステファン大尉はその事件で現地に行ったのだ。

「サスコシ族と中佐の間で何らかのトラブルがあった可能性もありますね?」

 ステファン大尉がハッとした表情になり、ガルソン大尉も、「サスコシがいたな」と呟いた。アスクラカンの街周辺にはサスコシ族が多く住んでいる。彼等の領地と言うことではないが、街の経済や政治に影響力を持つ富裕層にサスコシ族の血筋の人々が多いのだ。そしてテオがそのことを頭に置いているのには理由があった。アスクラカンのサスコシ族の中には、家族ぐるみで純血至上主義者と言う家系があるのだ。自分達の家族のメンバーが他部族や異人種との間に作った子供を認めないと言う人々だ。最悪の場合、その生存権さえ認めないと言う極右もいた。勿論、全てのサスコシ族がそうなのではない。平和で広い心の人々の方が多い。ただ、ミックスの”ヴェルデ・シエロ”が純血至上主義者の家族が所有する地所に足を踏み入れると、安全の保障がないと言われている。強力な超能力を持っているグラダ族のミックスであるステファン大尉でさえ、平和主義者のサスコシ族から、特定の家族に近づくなと忠告を与えられたのだ。

「アンゲルス鉱石の産業医を追いかけて行ったキロス中佐がサスコシ族とトラブルになったとしたら、その原因をまた考えなければなりませんが、強い力を持っていると言われる中佐がダメージを受ける何かがあったのは間違いありません。」

 ガルソン大尉はテオの言葉を聞いて、ステファン大尉に確認した。

「中佐がかけられた呪いは祓えたのですな?」
「スィ。」
「では中佐が休まれて落ち着かれたら話を聞ける?」
「その筈です。」

 その時、オフィスにフレータ少尉が入って来た。

「遅くなりました。申し訳ありません。」

 昼食の支度を一人でしていた少尉は遅れた言い訳はしなかった。ガルソン大尉が、彼女が不在の間にオフィスであった出来事を彼女に”心話”で伝えた。フレータ少尉が少し動揺したのか、空気が揺らいだ感じがした。彼女はキロス中佐を「女の家」に連れて行くために指揮官事務室に入った。
 パエス中尉が戻って来た。彼にもガルソン大尉が情報を与えた。中尉が溜め息をついた。

「宿舎はすぐそこだが、車で中佐をお連れした方が良いでしょう。」

と彼は言い、外へ出て行った。
 フレータ少尉に支えられる様にしてキロス中佐が出て来た。中佐は両手で顔を覆っていた。泣いている様にも見えた。2人の女性はオフィスを横切り、外へ出て行った。テオは中佐の足取りが弱いものの足がしっかり前に出ているのを見て、ステファンのお祓いは効いたのだと安心した。
 戸口で女性達とすれ違ったラバル少尉が入って来た。

「中佐はどうなさったのだ?」

 それでガルソン大尉が再び彼にも情報を分けた。ラバル少尉の顔が曇った。

「サスコシが関わっているのか?」

 彼は外へ顔を向けた。テオには見えなかったが、車のドアが閉まる音が聞こえた。その直後だった。
 テオと太平洋警備室のオフィスにいた大統領警護隊の隊員達は爆発音を聞いた。


2022/01/26

第5部 山の向こう     6

  テオはキロス中佐の現状に部下が心を痛めていることは言わなかった。その代わりに、3年前にアスクラカンに行ったことを覚えていますか、と尋ねた。
 キロス中佐はボーッと前方を力のない目で見ていた。それから、ゆっくりと答えた。

「覚えています。バルセル医師を追いかけて行きました。」
「バルセル?」
「エンジェル鉱石の産業医でした。」

 スペインっぽくない名前だが、この際医師の先祖が何処の国の出身かは問題ではない。テオは誘導したくなかったが、中佐があまり喋りたがらない様子なので、ガルソン大尉から聞いた話をしてみた。

「エンジェル鉱石が健康診断で集めた従業員の血液をアメリカに売却していたことを知って、貴女はバルセル医師にその真偽か目的を追求しようとされ、アスクラカン迄追いかけたのですか?」

 キロス中佐は反応しなかった。言いたくないのか、それとも意識が飛んでしまったのか。目は虚空を見ていた。テオはどう話を進めるべきか考えた。

「貴女はバルセル医師に会われたのですか?」
「ノ。」

今度は即答だった。

「会えなかったのですか? 会わなかったのですか?」

 答えが直ぐに返って来なかったので、別の質問をしようと考えかけると、中佐が呟いた。

「会えなかった。」

 テオは彼女の視界に入るように椅子の位置を少しずらした。

「どうして会えなかったのですか?」

 キロス中佐がギュッと眉を顰めた。何か不愉快な記憶が蘇った様だ。そして片手を額に当てた。頭痛でもするのか下を向いてしまった。テオは優しく声をかけた。

「水をお持ちしましょうか?」

 返事がないので、彼は立ち上がり、戸口へ行った。キロス中佐が後ろで何か呟いた。彼は振り返った。中佐は体を前に折り曲げ、苦痛に耐えている様に見えた。
 テオは急いでドアを開けた。ガルソン大尉がパソコンで作業中だったが、素早く振り返った。テオは彼に伝えた。

「中佐は気分が悪い様です。指導師かセンディーノ医師を呼んだ方が良いでは?」

 ガルソンが立ち上がり、中佐の部屋を覗き込んだ。中佐の状態を確認すると、彼は携帯を出して誰かにかけた。

「ステファン、オフィスに戻ってくれ。指導師が必要だ。」

 その時、キロス中佐が顔を上げた。彼女が何か言ったが、テオには理解出来ない言葉だった。ガルソン大尉がギョッとした表情になった。彼は”ヴェルデ・シエロ”の言葉で彼女に言葉をかけた。中佐が頭を両手で抱え、首を振った。
 オフィスのドアが勢いよく開き、ステファン大尉が駆け込んで来た。

「どうしました?」
「中佐を診てくれ。」

 テオとガルソン大尉がほぼ同時に同じことを言ったので、彼は急いでオフィスを横切り、指揮官の部屋に入った。テオには、彼が一瞬何かに押し戻されかけた様に見えた。しかしステファンは両足を踏ん張り、それから力強い足取りで前に進んだ。

「中佐、どうされました?」

 キロス中佐は再び何かを言った。テオにステファンは背を向けていたので、テオは彼がその時、どんな表情をしたのか分からなかった。ステファンは優しい声根で指揮官に話しかけた。彼等の母語だったので、テオには理解出来なかった。だがステファンが机を回り込み、キロス中佐の上半身をそっと抱き締めた時、あまり驚かなかった。ステファンは指導師としての治療行為を行なっているのだ、とわかった。ステファンがオフィスの方へ顔を向けた。次の瞬間ドアがバタンと音を立てて閉まった。誰が閉めたのか分からなかったが、テオは指導師の仕事が見られないと悟った。
 ステファンの席に行って椅子に腰を下ろすと、ガルソン大尉が声をかけて来た。

「何か分かりましたか?」
「何も・・・」

 テオは溜め息をついた。

「中佐がエンジェル鉱石の産業医だったバルセル医師を追ってアクスラカンに行かれたことは分かりました。でも医師に会えなかったそうです。その理由を訊こうとしたら、中佐の気分が悪くなった様です。」

 するとガルソン大尉が頷いた。

「私が訊いた時も同じでした。アスクラカンでの出来事を訊くと、あの様な症状が出るのです。」



第5部 山の向こう     5

  宿舎に帰ると、2人の院生はそれぞれの部屋で真面目に日中のサンプル採取に関するレポートを作成中だった。テオは彼等の邪魔をしないように、静かにキッチンで湯を沸かして体を拭き、ベッドに入った。
 キロス中佐がバスを崖から落とした説はどうしても考えたくないが、アスクラカンに彼女がいた時期がはっきりしないことには彼女の無実も考え辛い。今もバスが崖から転落した原因は不明だ。道幅が狭い未舗装の道路だったが、バスの運転手はベテランだったと聞くし、天候も良かったと聞いている。テオを含めた37名の乗客の数も定員オーバーではない。もっと詰め込みで客を乗せて走るバスはいくらでもあった。車両故障か、運転手の突然の病気発症か、それとも何者かの破壊行為か、とゴンザレス署長は捜査したが、転落の衝撃で破壊され、焼け焦げたエンジンや車体から何も手がかりを掴めなかった。
 テオは己がエンジェル鉱石が売却した血液から発見された超能力者かも知れない人間に会いに行ったのだろうと言う、セルバ渡航の動機を捨てていない。その動機を何らかの経緯で”砂の民”が知って、彼の暗殺を図ったのだとしたら、と考えたこともあった。しかし基本的に”ヴェルデ・シエロ”達は自身の存在意義を「セルバ国民を守護する」ことに置いている。”砂の民”がテオ以外の37名を殺害してでも彼を暗殺しようとしたとは考えられない。寧ろ彼を生かしても構わないからバスを救おうとした筈だ。
 色々考えが頭の中を駆け巡り、テオはそのまま訳のわからない夢を見ながら眠った。だから翌朝目覚めた時は、頭がボーッとしてしまった。カタラーニが、気分が悪ければ一人で採取してきます、と言ったので、彼はガルドスと一緒に行ってみれば、と提案した。ガルドスも診療所ばかりで採取していても人数を稼げないだろうし、村の中の様子を見て歩くのは悪くないだろうと。ガルドスも彼の提案に喜んで同意したので、カタラーニはちょっと照れながらも女性と2人で歩くことにした。
 若い2人が出かけると、テオは朝食の後片付けをして、身支度した。キッチンのテーブルで採取した検体の分類整理をしてラップトップにデータを入力していると、ステファンからメールが入った。1030にオフィスへ来て欲しいと言う内容だった。キロス中佐は話が出来る状態らしい。テオは少しだけ安心した。
 入力作業を済ませ、サンプルが入っている冷蔵庫の電源が切れていないことをチェックして(地方ではよく停電が起きる。)約束の時間に太平洋警備室に出かけた。
 オフィスではガルソン大尉一人が机で仕事をしていた。パエス中尉は前日修理したエンジンを沿岸警備隊へ届けに行ったのだと言う。ラバル少尉はいつもの様に港湾施設のパトロールに出かけており、ステファン大尉とフレータ少尉は食材購入に出かけている。
 大尉はテオと挨拶を交わすと、奥のドアの前へ行き、ノックした。そしてドアを少し開いて中の人に声をかけた。

「ドクトル・アルストがお見えです。」

 そしてテオには中の人の声が聞こえなかったが、大尉は頷いて、テオに中へどうぞ、と手を振った。それでテオは奥の事務室に入った。
 薄暗い室内の執務机の向こうに、一見70歳かと思える様な疲れた顔の女性が座っていた。テオが「ブエノス・ディアス」と挨拶すると、彼女も同じ言葉で返礼した。そしてミイラの様にやせ細った手を持ち上げ、椅子を指差した。

「どうぞおかけになって・・・」

 消え入りそうな低い声だった。テオは椅子に座った。中佐が息を吸い込み、それから言葉を発した。

「ガルソンとステファンから話を聞きました。3年前の私の行動についてお聞きになりたいと。」

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...