2022/02/07

第5部 山へ向かう街     13

 20分後、医師が病室から出て来た。次いで大統領警護隊の2人の将校も看護師に追い出されるかの様に出て来た。彼等が近くまで来ると、ケツァル少佐とテオは立ち上がった。内部調査班の将校達は少佐の前で立ち止まった。敬礼を交わし、”心話”が交わされた。そして無言のまま、男性達は立ち去った。 
 ケツァル少佐が溜め息をついた。テオは何となく”心話”の内容が想像出来た。大統領警護隊内部調査班はケツァル少佐にキロス中佐への面会を禁じたに違いない。そして彼等は何も情報を分けてくれなかった。
 彼は彼女に尋ねた。

「もしかして、内部調査班はキロス中佐から何も聞けていないんじゃないか?」

 少佐が、そうです、と言った。

「先刻の”砂の民”が彼女から強引に情報を引き出そうとして、彼女が抵抗した様です。中佐の心は内に篭ってしまいました。内部調査班が彼女に声をかけましたが、反応がないそうです。」
「彼女の心をこちら側に呼び戻さなければならないってことか?」

 テオは347号室を見た。見張りの兵士は背筋を伸ばして椅子に座っていた。
 テオは311号室を見た。見張りはいない。内部調査班もいない。彼等は巻き込まれて負傷したブリサ・フレータ少尉を無視している。尋問しても何も得られないと思っているのだ。彼女に訊くとしたら、キロス中佐の異常を本部に報告しなかった職務怠慢の件だろう。
 ふとテオは思いついたことがあって、347号室に向かって歩き出した。少佐が訝しげな顔をしたが、彼女も黙ってついてきた。部屋の近くへ行くと、見張りの兵士が立ち上がった。テオは少佐に囁いた。

「頼む・・・」

 少佐が前に進み出て、兵士の目を見た。気の毒な兵士はその日2度目の”操心”で、ぼーっとなって椅子に腰掛けた。
 テオは廊下を見て、誰も見ていないことを確認した。ドアを開けて少佐と一緒に中に入った。
 キロス中佐は酸素マスクを付け、点滴の針を腕に刺して寝ていた。顔と両腕に包帯を巻かれていた。頭部も包帯で包まれていた。
 テオは中佐の耳元に顔を寄せ、囁いた。

「キロス中佐、サン・セレスト村で貴方に面会したテオドール・アルストです。覚えておられますか?」

 反応はなかった。中佐の目は包帯の奥で閉じられていた。彼は続けた。

「貴女が3年前に心を閉ざされてから、ガルソン大尉もパエス中尉もフレータ少尉も、貴女が必ず良くなると信じて、本部に貴女の不調を報告しませんでした。その為に、彼等は今、本部から職務怠慢を理由に懲戒を受けようとしています。最悪の場合、反逆罪に問われるかも知れません。どうか、部下達の罪が少しでも軽くなる様に、貴女に起きた出来事を語ってくれませんか? 3年前、アスクラカンで何があったのですか?」

 中佐の睫毛が微かに震えた様な気がした。テオはさらに訴えた。

「俺は3年前、アスクラカンからオルガ・グランデに向けて出発したバスに乗っていました。エル・ティティでバスは事故を起こし、37人が亡くなり、俺一人生き残りました。俺は今も事故当時のことを思い出せません。何があのバスに起きたのか、ご存知ではないのですか? 俺はあの事故で死ぬべきだったのでしょうか? それとも、貴女はあの事故に全く無関係で何もご存知ないのですか? どうか教えて下さい。」

 彼は中佐の手を軽く握った。包帯こそ巻かれていないが、火傷をしている手だ。苦痛を与えたくなかった。

「ここに、グラダ・シティからシータ・ケツァル・ミゲール少佐が来ています。彼女に”心話”で伝えて頂けませんか?」

 少佐も彼の横から中佐の顔の上に身を乗り出した。そして先住民の言葉で話しかけた。テオは意味がわからなかったが、少佐が自己紹介したことだけはわかった。
 フッとマスクの中が白く曇った。そして、キロス中佐が瞼を開けた。

第5部 山へ向かう街     12

 テオとケツァル少佐が3階の重症患者の病棟へ近づくと、347号室の前に座っている陸軍兵の様子がおかしかった。椅子に座っているのは先刻と同じだが、壁に背中も頭もつけてぼーっとしている。大統領警護隊の内部調査班が中にいるに違いないが、彼等が見張りをそんな状態にする必要があるだろうか。
 ケツァル少佐が全身を震わせた。テオに「そこにいて」と囁き、347号室のドアの前へ足音を忍ばせて歩み寄って行った。彼女がドアの2メートル前迄接近した時、ドアが開き、一人の男が姿を現した。少佐と鉢合わせした彼は、ギクリと立ち止まった。テオの知らない顔で、彼は看護士の服装をしていた。彼を追う様に、病室から大統領警護隊の将校が一人出て来た。彼は看護士に「動くな」と命じ、それから少佐に気がついた。彼女を知らない大統領警護隊がいたら、モグリだ。将校が小声で彼女を呼んだ。

「ケツァル・・・」

 僅かな隙をついて、看護士が走り出した。ケツァル少佐が彼の脚に気で払いを掛けた。看護士がバランスを崩して転倒し掛けた。病室内でもう一人の将校が怒鳴った。

「医師を呼べ!」

それから彼は続けて言った。

「そいつは見逃してやれ。面倒だ。」

 看護士が体勢を立て直して、テオの目の前を走り去った。
 廊下に出た将校が病棟の入り口の事務室に向かって怒鳴った。

「347号室に医師を呼べ! 緊急だ!」

 ケツァル少佐は病室内を覗き、それから廊下に出ている将校に言った。

「向こうで待っています。お伺いしたいことがあります。」

 将校は訝しげに彼女とテオを見たが、頷いた。バタバタと音を立てて医師と看護師が走って来た。彼等が病室に駆け込むと、将校は椅子の上でぼーっとしている見張りに気がつき、舌打ちするとその額に片手を翳した。見張りの兵士がハッと我に帰った。将校は彼に何も言わずに医師達の後ろにつづいて病室内に入り、ドアを閉めた。
 テオは少佐が戻って来ると、看護士が逃げた方向を指した。

「あいつは向こうへ行った。」
「そうですか・・・」

 少佐は溜め息をつき、彼を近くのベンチへ誘った。
 並んで座ると、彼女は彼の催促を待たずに説明してくれた。

「逃げた男は”砂の民”だと思います。恐らく、太平洋警備室で起きた騒動を察知して、事情を聞きに現れたのでしょう。そして、彼女の体に負担をかけてしまったのだと思われます。」
「そこへ大統領警護隊が現れたので、男は逃げた?」
「そんなところです。」

 テオは347号室を見た。

「キロス中佐は大丈夫だろうか?」
「チラリと見えた彼女は、酸素マスクを装着していましたが、呼吸器を火傷した訳ではないので、尋問による心理的な負担がかかったのでしょう。」
「大統領警護隊はまだ彼女から”心話”で事情を聞けていないんだな?」
「まだでしょうね。看護士の男も事情聴取に神経を注いで、警護隊が来たことを察知出来なかった。だから、病室で鉢合わせして、恐らく一悶着あったのでしょう。」

 少佐が少し不安げに彼を見た。

「貴方はあの男に顔を見られませんでしたか?」
「彼が俺の方を見たと言う意識はなかったが・・・俺はただ訳がわからず呆然と立っていたから・・・」

 情けないことだが、テオは事実を語った、すると少佐がちょっと苦笑いした。

「呆然として頂いて感謝します。もし貴方がはっきり関係者である振る舞いをしていたら、あの男は顔を見られたと知って貴方を狙って来ますから。 私はあの男に警戒しなければならないところでした。」
「まだ粛清されたくないな。 だけど、また来るのかな、彼は?」
「大統領警護隊と鉢合わせしましたから、もう来ないでしょう。どちらに優先権があるか決めるのは長老会です。大統領警護隊より己が優先されるべきだと思えば、彼は首領に裁量を求めます。」
「ムリリョ博士に?」
「スィ。」
「博士が決定を下す迄は彼は何もしない?」
「しません。」

 テオは少しだけ安心した。

  

2022/02/05

第5部 山へ向かう街     11

  グラダ・シティを出てルート43を西に向かって走ると、ロホはピアニストの知人は元気だろうかと考えた。アメリカ先住民と”ヴェルデ・シエロ”とのミックスのロレンシオ・サイスは人気ジャズピアニストの地位を捨てて、一族の人間として生きる道を選んだ。今はアスクラカンで裕福な家庭の子供達にピアノを教える家庭教師と週に1回現地にあるキリスト教系の学校で音楽教室を受け持っていると言う話だ。地方都市の人々は彼が半年程前迄有名な演奏家だったことを知らない。偶に彼がアメリカで演奏活動をしていた時代に出したC Dを店で見つけて、「おや?」と思う程度だ。
 ギャラガはロホのビートルの助手席で風景を眺めていた。バスで同じルートを通ったことがあったが、乗用車で通るとまた違った風景に見えた。
 昼前にサスコシ族の族長シプリアーノ・アラゴの地所に到着した。Uの字の形に小さな家が並び、小さな集落を形取っているが、全部同じ家族の家だ。男は成年式を迎えると家を1軒与えられる。結婚すれば夫婦でそこに住む。独身の女性は親の家に住んでいる。狭いので早く結婚して家を出たがる女性がいるし、都会に就職して出て行く人もいた。
 ロレンシオ・サイスはアラゴの地所の中の家を一軒借りて住んでいた。ピアノ教室の仕事がない日はアラゴから超能力の使い方を教わっている。己が”ヴェルデ・シエロ”であることを知らずに育ち、親からも教わる機会がなかったので、大人になってから修行を始めた。
 ロホとギャラガは最初に族長を挨拶の為に訪問した。ロホは丁寧な挨拶の口上を伝え、それから今回の訪問の目的を説明した。

「今日の訪問は大統領警護隊としては非公式で、文化保護担当部単独の捜査のためのものです。ですから、セニョール・アラゴにはお断りされることも出来ます。我々は3年前にエル・ティティで起きたバス事故の調査をしています。死亡した乗客が最後に訪れた場所がアスクラカンであったと聞きましたので、こちらに参りました。その人物の足跡を追うだけの捜査ですから、サスコシ族の方々にご迷惑をおかけすることはないと思います。我々が街中を歩き回ることをご了承下さい。」

 アラゴはロホの後ろに控えている白人に見える男を眺めた。アンドレ・ギャラガは気を抑制していたが、サスコシ族の族長は彼が白人ではなく白人の血を引くメスティーソの”ヴェルデ・シエロ”だと判じた。

「仕事であろうとなかろうと君達がアスクラカンの街を歩き回るのは自由だ。だが、我が部族には君が知っている通り、厄介な思想を持つ家系がいる。連中が君達の行動に不快を覚え、妨害することも考えられる。それを防ぐ為に君達がこの街に来ていることを一族に知らせても構わないか? それとも、情報の拡散は捜査に支障が出ると思うか?」

 ロホは後ろのギャラガを振り返った。いっその事ギャラガに白人のふりをしろと言いたい気持ちになったが、それでは部下に失礼だと思い直した。彼はアラゴに向き直った。

「部下の安全の為にも情報拡散をお願いします。我々が探しているのは、オルガ・グランデからここへ来て、バスに乗ってオルガ・グランデに帰ろうとした帰路に事故に遭って死んだ男の足跡です。」

 ロホは事故の日付を告げた。アラゴはちょっと考え込んだ。3年前にアスクラカンで何か変わったことがなかったか、思い出しているのだ。
 ギャラガはアラゴの自宅の入り口に立っていたのだが、戸口の向こうに見えている家の内装が現代的なので意外に思っていた。敷地内の小さな家が形作る集落は古い先住民の居住地に似ている。しかし建っている家は外装は古く見えて中は都会の家と変わらない。面白いなぁと彼は思った。

「バス事故があった日は何もなかった。」

とアラゴは言った。

「だがその前の日に部族の者が他所から来た人間と問題を起こした。個人的な問題だったから当人に訊かなければ内容はわからぬ。」

 そして彼は憂い顔で付け加えた。

「問題を起こした男の名は、ディンゴ・パジェ、君達が知っているロレンシオ・サイスの父方の家系の男だ。」

 ロホは族長の憂い顔の理由を理解した。パジェの家はオルトの家と同じ系列だ。つまり、純血至上主義者の一家だった。


2022/02/03

第5部 山へ向かう街     10

  突然ケツァル少佐が背もたれから上体を起こした。テオは彼女の視線の先を追って外来病棟の入り口を見た。2人の軍人が入って来るところだった。どちらも純血種の男性で、彼等を見た瞬間、ケツァル少佐は立ち上がり、いきなりアスルの手を掴んで近くの柱の陰に走った。テオは置き去りだ。
 何なんだ?
 テオは新たに登場した軍人を見た。一人はスラリと背が高く、短く刈り込んだ黒髪に少々白いものが混ざっていた。顔は少し四角い印象だが、イケメンの先住民だ。もう一人は連れに比べるとちょっとだけ背が低かったが、黒い艶のある髪を肩まで伸ばした若い男だ。2人の胸には緑色に輝く鳥の徽章が存在感を放っていた。テオは肩章を見て、歳上が少佐、若い方が大尉だと判別した。
 2人の大統領警護隊の将校は受付を通さずに階段を上がって行った。2階の渡り廊下から入院病棟へ行くのだろうか。
 テオは柱の陰に隠れている少佐と中尉に声を掛けた。

「彼等は行ってしまったぞ。」

 ケツァル少佐とアスルがゆっくりと姿を現した。あー、焦った、と言う顔をして2人は長椅子に戻った。テオは推測を言葉に出してみた。

「本部の将校かい?」
「スィ。」

 少佐が認めた。

「司令部の内部調査班です。大統領警護隊の憲兵の様な人達ですから、キロス中佐とフレータ少尉の事情聴取に来たのでしょう。」
「中佐はもう話せる状態なのかな?」

 するとアスルが、テオが忘れている”ヴェルデ・シエロ”の常識を思い出させてくれた。

「俺達には”心話”がある。」

 ああ、とテオは得心した。声を出す体力がなくても、目を見つめ合うだけで意思疎通が出来る便利な能力だ。”ヴェルデ・シエロ”なら誰でも出来るし、出来なければ”ヴェルデ・シエロ”ではない。
 本部の人間が接触する前にキロス中佐から話を聞きたかったのだが。

「ひょっとして、彼等は既にサン・セレスト村へ行ってガルソン大尉とパエス中尉からも事情聴取しているのかも知れないな。」
「その可能性はあります。部下達の証言を先に取って、指揮官の証言との矛盾を探るのでしょう。」

 大統領警護隊の事情聴取の遣り方は、階級が下の者から先と言うのが慣行だ。部下が上官の言葉に矛盾する証言が出来なくなるのを防ぐ。出来るだけ多くの部下の証言を先に取って、能力が大きく権威もある上級士官の矛盾を探すのだ。
 事件が起きてまだ3日目の朝だ。テオは大統領警護隊の動きの速さに驚いた。セルバ人とは思えない、と言ったら失礼になるだろうけど。
 アスルが上官に尋ねた。

「キロス中佐の見舞いはどうしますか?」

 ケツァル少佐はテオを見た。この秘密の見舞いは、事件の真相調査が目的だが、半分はテオの過去に起きた事故の解明でもある。

「内調が去ったら、私は中佐に面会してみます。貴方はテオとここで待っていなさい。」
「俺も行く。」

とテオは言った。子供みたいだが、置き去りにされたくなかった。さっき少佐とアスルが柱の陰に隠れた時も置き去りにされた。テオは内部調査班に見られても構わないと少佐が判断したからだが、テオは内心ショックだったのだ。
 少佐はアスルを見た。アスルが肩をすくめた。

「一人で見張りをしています。」



2022/02/02

第5部 山へ向かう街     9

  廊下に出ると、病院は朝の活動を始めつつあった。日勤スタッフが出勤して来て、夜勤スタッフと交替が始まる。入院患者に出す朝食の準備も始まった。
 テオは347号室の方を見た。重症患者の区画にも食事を運ぶワゴンを押してスタッフが入って行った。ケツァル少佐かアスルが”幻視”で姿を見えない様にしているのだが、テオは忙しく動き回るスタッフとぶつかりそうになり、ヒヤリとさせられた。
 アスルが囁いた。

「病院内が落ち着く迄、我々も何処かで休憩しませんか?」

 ”幻視”を長時間使うと疲れるのだ。ケツァル少佐はテオの意見を訊かずに同意した。
 3人は一旦入院病棟から出て、外来病棟へ移動した。こちらでは陸軍関係の仕事をしている人でも診療を受けられるので、患者が多い。既に10数人が待合室で座っていた。テオと少佐とアスルは長椅子に座って少し休んだ。この場所も賑やかだが、食事時の入院病棟程ではない。

「カルロは向こうで上手くやっていましたか?」

 少佐が不意にテオに尋ねた。元部下を心配して、と言うより、姉として弟の働きぶりが気になるのだろう。

「心配ないさ。」

とテオは言った。

「フレータ少尉と一緒に厨房で仲良く働いていたし、キロス中佐が何者かにかけられていた呪いのお祓いもやった。ラバル少尉を捕まえたのも、カルロがガルソン大尉と協力してやったんだ。ガルソン大尉はカルロを信用してくれた。尤も、カルロが派遣されたので、本部にキロス中佐の異常を隠しきれないと覚悟したのも事実だがね。」
「カルロは太平洋警備室派遣の任務を無事に果たせたと言って良いですかね。」

とアスルが少佐に確かめるように言った。彼にとってカルロ・ステファンは上官と言うより兄貴だ。ロホも兄貴同然だが、こっちはサッカーのライバルチーム同士だったから、階級が違ってもライバルだ。ロホはアスルにとって職務上は兄貴で私生活では親友、ステファンは職務上も私生活でも兄貴だ。兄貴が新しい資格を取って任務を果たせるとアスルは嬉しい。
 ケツァル少佐はフンとアスルの十八番を奪って鼻先で笑った。

「まだ派遣されて1週間です。任務は終わっていないでしょう。太平洋警備室の異変を探るだけが任務ではありません。後片付けも必要です。」

 次の指揮官が来る迄太平洋警備室を管理監督する人間が必要だ。本来ならキロス中佐の副官であるガルソン大尉がその役目を果たすのだ。しかしガルソン大尉は本部を3年間欺いた罪で副官の任を解かれたと考えて良いだろう。パエス中尉もガルソン大尉と同罪だから、太平洋警備室を預かる任務を与えられる隊員は、ステファン大尉しかいない。本部から新しい指揮官と副官、隊員が派遣される迄、彼はサン・セレスト村とポルト・マロンを守らなければならない。
 テオは、ガルソン大尉の誠実な性格を思い出した。

「異動させられる迄ガルソン大尉とパエス中尉がカルロを支えてくれると思う。土地の勝手を知る人間が必要だし、新しい人員が直ぐに選ばれる訳でもないだろ? 文化保護担当部だって、カルロが抜けてからアンドレが来る迄半年以上あったじゃないか。」

 するとアスルが言った。

「遊撃班から数人派遣される筈だ。その為の部署だからな。本部はまた若い連中をスカウトして警備班に入れるし、警備班から優秀なヤツを遊撃班に転属させる。」

 テオはガルソン大尉とパエス中尉の行く末が心配になった。
 

第5部 山へ向かう街     8

  ブリサ・フレータ少尉は、頬と右腕の熱傷が重かったが、胴はすぐに火を消せたので皮膚の炎症程度で済んだと言った。打撲は車外に弾き飛ばされた時の物で、爆発で何かがぶつかったのではない、とも言った。

「キロス中佐が私を外へ出して下さったのです。私が中佐を守らなければならなかったのに・・・」
「狙われたのは中佐です。標的にされたことを彼女は貴女より先に察知したのです。貴女とパエス中尉を車から遠ざけることで彼女は精一杯だったのでしょう。敵の気を祓う力はなかった様です。」
「犯人は誰だったのです?」

 フレータ少尉の目は不安で満ちていた。10年近く一緒に勤務して来た仲間の誰かが裏切り者だと思いたくないのだ。しかし隠すべきことではない。
 テオが尋ねた。

「昨日は誰も君に事情聴取に来なかったのかい?」
「誰も来ませんでした。」

 フレータ少尉は心細そうな顔だ。忘れられているのか、見捨てられたのか、と不安がっている、とテオは感じた。ケツァル少佐が同じことを言葉で変えて尋ねた。

「本部から誰も来ませんでしたか?」
「来ていません。私は傷を治す為に自分で体を睡眠状態に落としていました。目が覚めたのは昨晩です。巡回に来た看護師に目覚めたことを伝えて、流動食をもらいました。中佐の具合を尋ねましたが、順調に回復に向かっているとしか教えてもらえません。」

 フレータは悲しそうに囁いた。

「本部に私達の嘘が知られてしまったのですね。中佐は健康だと言う嘘が・・・」

 ケツァル少佐が頷いた。

「中佐のことを思ってしたことでしょうが、本部はあなた方が3年間嘘の報告をしていたことを重く捉えるでしょう。」
「私はどうなっても構いません。でも・・・」

 フレータは涙を落とした。

「ガルソン大尉とパエス中尉には家族がいます。子供達が可哀想です。」

 それはテオも同じ思いだった。しかしケツァル少佐はドライに面会の目的を果たそうとした。

「あなた方を襲ったのは、ラバル少尉でした。」

 えっとフレータが体を跳ねるように起こした。熱傷の部分が引き攣ったのか、苦痛で顔を歪め、テオは思わず彼女の背中に手を回して彼女を支えた。フレータは痛みを後回しにしてケツァル少佐に尋ねた。

「ホセ・ラバルがどうして中佐を襲わなければならないのです? あの人は25年も太平洋警備室で真面目に勤務されていたのに・・・」
「その25年の内に何かが彼を変えたのでしょう。 彼は少尉のままですね、ガルソン大尉やパエス中尉は彼より若いです。派遣されたステファン大尉はまだ22歳です。 ラバルが面白くないと感じても不思議ではありません。ただ、彼は純血至上主義者の思想を逮捕時に語ったそうです。貴女は彼が今迄そんな話を語るのを聞いたことがありますか?」
「純血至上主義者ですって・・・?」

 フレータ少尉は首を傾げ、頬の筋肉が引っ張られたのか、また痛みに顔を顰めた。しかし重度の熱傷の割には元気なので、”ヴェルデ・シエロ”らしく治癒能力を発動させている。このまま病院で大人しく休んでいれば、早く回復する筈だ。顔の火傷も跡が残らない程度に回復するだろう。
 フレータは首を振った。

「ラバル少尉は半分カイナ、半分マスケゴです。”ティエラ”からみれば純血の”シエロ”ですが、少尉の様な一族の中のミックスの人は純血至上主義を毛嫌いしています。彼がそんなことを逮捕時に本当に言ったのですか? 信じられません。」

 テオとケツァル少佐は顔を見合わせた。それでテオは別の質問をしてみた。

「ラバル少尉に友人はいるのかな? 君と彼は世代が違うから、個人的な話をすることはないと思うが、彼が休日に出かけたり、誰かが訪ねて来たことがあったとか?」

 フレータはまた考え、それからテオに顔を向けた。

「客が彼の所に来たことはありません。ご存じの様に、彼は宿舎で一人住まいでしたが、客が来れば、狭い村のことですし、直ぐに太平洋警備室の隊員全員にも村人にも伝わります。陸軍水上部隊や沿岸警備隊の隊員と個人的に付き合っている噂も聞きませんでした。ただ、ポルト・マロンの港湾労働者達とはパトロールの時に立ち話していました。」
「ホセ・バルタサールとか?」
「スィ。鉱山会社が労働者に不当な労働を強いていないか、チェックしていました。でも、労働者達は”ティエラ”です。純血至上主義者が混じっている可能性は絶対にありません。」
「だろうな・・・」

 フレータはまた考えた。そしてケツァル少佐に視線を向けた。

「関係ないと思いますが、年に1回、ラバル少尉は休暇を取ってオルガ・グランデに5日か6日程度、泊まりで出かけていました。親族に会いに行っているのだと思っていましたが、休暇中の行動はプライバシーを尊重して訊かないことになっていましたから・・・」
「それは、貴女が太平洋警備室に着任する前からの習慣でしたか?」
「スィ。ガルソン大尉はサン・セレスト村に家族がいますし、親族はオルガ・グランデからサン・セレストへ行く途中の集落に住んでいました。現在は市街に引っ越された様ですけど。パエス中尉も家族は村に、親族はオルガ・グランデ郊外です。ですから、誰もラバル少尉がオルガ・グランデに出かけても気にしていませんでした。マスケゴ族もカイナ族もいますから。」

 ラバル少尉が親族に会わずに別の人間と会っていても、誰も知らない。
 フレータ少尉から聞けた話はそれだけだった。ケツァル少佐は、本部から事情聴取に来る人間がいたら、さっきと同じ様に正直に話しなさい、と彼女に忠告した。

「あなた方は、キロス中佐の健康問題に関して本部に嘘をつきました。でも貴女達自身の勤務は真面目に勤め上げました。しっかり太平洋岸を守って来ました。労働者も守って来ました。その点を本部は決して忘れないと私は信じています。処分を受けることは確実ですが、出来るだけ軽く済むよう、私も事件の真相が早く解明されることを願っています。」

 少佐は決して、「処分が軽く済むよう進言する」とは言わなかった。実現が不確実なことを約束しないのだ。
 フレータ少尉が火傷した腕を持ち上げて敬礼した。少佐も敬礼を返し、テオに外へ出ろと目で命じた。


第5部 山へ向かう街     7

 テオはグラダ・シティのセルバ国防省病院に行ったことがある。憲兵隊に反政府ゲリラと繋がりのある男がいて、ケツァル少佐が撃たれて入院した時だ。あの時、少佐を撃ったのは盗掘品密売及び麻薬犯罪組織のメンバーだと勘違いして敵の要塞に突撃したアスルも、脚を折って入院していた。 セルバ国防省病院は首都にあるだけあって、グラダ大学病院と並ぶ最新の医療設備が整った近代的な病院だった。オルガ・グランデの陸軍病院もエル・ティティの町立病院より進んでいるが、地方の医療機関だと言う雰囲気は拭えなかった。
 先ず、建物が古かった。石造りの外観と同じく、中も石造りだ。床や壁はツルツルに磨かれていたし、ペンキも明るい色が塗られていたが、採光状態は良くなく、昼間も照明が必要だ。消毒薬の臭いが空気中に漂い、服装だけは現代的なユニフォームを着たスタッフが歩き回っていた。陸軍病院は軍人だけでなく、その家族や軍属も利用出来る。セルバ共和国は何処の国とも戦争していないが、勤務中の怪我や病気で入院加療している人間が絶えなかった。
 テオ達は東棟の3階に階段で上がった。ケツァル少佐もアスルもエレベーターを好まない。恐らく狭い箱の中に入るのが嫌なのだ。或いは扉が開いた時に外で敵が待ち構えていることを想像してしまうのかも知れない。
 見舞いなら何か持って来れば良かった、とテオは思ったが、まだ早朝だ。店が開く時間には早かった。
 石のカウンターがあり、その向こうで事務員らしき男性が座って居眠りをしていた。アスルが彼の前に立ち、顔を覗き込んだ。

「オーラ!」

 彼が声を掛けると、事務員がビクッとして目を開いた。アスルと目が合った。アスルが尋ねた。

「大統領警護隊の女性達は何処にいる?」

 事務員はぽかんとして彼を見返した。

「311号室と347号室です。」

 テオは廊下を見た。右側へ伸びている廊下の南側は300番台、北側が310番台、左側の廊下の南側は320番台、北側が330番台、正面から向こうへ伸びている廊下は東側が340番台、西側は手術室や備品倉庫、スタッフルームの様だ。つまり、340番台の病室は重症者の部屋だ。
 彼は仲間に告げた。

「フレータが311号室で、キロス中佐は347号室だ。」

 少佐も左右の廊下と正面を見て、彼の意見を認めた。正面の廊下に椅子を置いて座っている兵士が見えた。”ティエラ”だが、陸軍特殊部隊の隊員だろう。
 フレータ少尉の病室に警護は付いていなかったが、個室だった。まだ早朝だ。日は昇りかけているが、311号室は北側なので暗いだろう。受付に近い部屋だ。少佐はアスルに見張りを命じ、自分でドアをノックした。返事はなかったが彼女は構わずにドアを開き、テオに入れと目で命じた。
 テオはそっと病室内に入った。部屋の中央に1台だけ置かれたベッドの上でブリサ・フレータ少尉が横たわっていた。右頬に薬を塗ってガーゼが貼られている。右腕も火傷の治療が施されていた。
 少尉は目覚めており、入室したのがテオだったので、びっくりして目を見張った。

「ドクトル・アルスト、何故貴方がここに・・・」

 彼女は口を閉じた。テオに続いて入って来たケツァル少佐に気がついたからだ。誰? と思う疑問と、少佐が持つ雰囲気で仲間、しかも上位の人間と言う認識が働いた様だ。フレータはベッドの上に起きあがろうとした。

「そのままで。」

と少佐が囁いた。静かな声だが、フレータを従わせる上位者の響きがあった。少尉は素直に体をベッドに戻した。テオが紹介した。

「大統領警護隊文化保護担当部の指揮官ケツァル少佐・・・じゃなかった、ミゲール少佐だ。」

 フレータが言った。

「ケツァル少佐のお噂は伺っております。暗がりの神殿で大罪人を捕まえたグラダの族長ですね?」

 一般の隊員達には、あの地下の聖地の存在は秘されているのだ。テオ、少佐、ステファン大尉、そしてロホの冒険は大罪人逮捕と言う情報で大統領警護隊に広められていた。
 少佐は微笑して頷いた。そして優しく声をかけた。

「傷の具合はいかがですか?」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...