2022/02/09

第5部 山へ向かう街     15

  石のテラスに座ってオルガ・グランデの市街地を見下ろす形で3人は並んでいた。セルバ共和国の大都市はあまり高層ビルがない。東海岸は海岸に沿って高いビルが並んでいるが、グラダ・シティ市街地は”曙のピラミッド”より高い建物を建設することが禁止されているから、低い土地でも4階建が精々だ。オルガ・グランデは別の理由で高層ビルが建てられない。地面の下に地下川が流れており、金鉱山の坑道が張り巡らされている。昔の地下墓地もある。つまり、地盤の強度の関係だ。高いビルが立っているのは硬い岩盤の地区で、テオ達が座っている石の街、別名「空き家の街」はその岩盤が斜面を登っていく所にあった。オフィス街の裏手にスラム街がある。現役のスラム街はもう少し旧市街地に近い西側にあった。

「キロス中佐は、ホセ・ラバル少尉に恋をしていました。」

 いきなりケツァル少佐はその言葉から始めてテオとアスルを驚かせた。

「中佐が少尉に恋ですか?」
「しかしラバルは・・・」

 テオはラバル少尉が25年も太平洋警備室に勤務していたことを思い出した。だからアスルに教えた。

「ラバル少尉は40代半ばの人だ。キロス中佐より彼は若い。」

 アスルは黙り込んだ。階級を超えた恋が悪い訳ではない。年齢差もどちらが上だろうが構わない。だが上官が部下に恋とは、下手をするとパワハラと受け取られかねない。
 少佐が続けた。

「勿論、中佐の胸に秘めた恋です。」

 それは”心話”で得た情報だから真実だ。キロス中佐はそんな秘密を内部調査班に知られたくなかっただろう。ましてや”砂の民”に。

「ラバル少尉はポルト・マロンの港湾労働者達に人望があり、彼等からエンジェル鉱石本社が従業員の健康診断で採取した血液をアメリカの製薬会社に売却したと言う情報を得て、中佐に報告しました。太平洋警備室はオルガ・グランデの守護をしています。中佐は製薬会社が人間の血液を使って新薬の開発をすることを知っていました。それ自体は珍しいことではありません。ただエンジェル鉱石はセルバ最大の企業の一つです。従業員の数は多く、いろいろな人種が混ざっています。中佐は一族の人もその中にいるのではないかと危惧しました。製薬会社は遺伝子を分析するでしょう。もし”シエロ”の遺伝子だとわかるものが混ざっていると大変だと彼女は思ったのです。」

 テオは頷いた。エンジェル鉱石が血液を売った相手は製薬会社などではなく、アメリカ陸軍基地にある国立遺伝病理学研究所だった。遺伝子そのものを研究する機関だった。

「中佐はエンジェル鉱石の本社を訪問して、アンゲルス社長に従業員名簿を見せるよう要求しました。アンゲルスはセルバの古い宗教を信仰していませんでした。大統領警護隊の要求を拒否したのです。従業員の個人情報を開示する訳にいかないとの理由でした。中佐は彼から情報を引き出そうと試みました。そして血液採取した従業員の名簿は産業医バルセルが持っていることを知りました。その時バルセル医師はアスクラカンに出かけていました。彼がオルガ・グランデに戻る迄待てなかったキロス中佐は、アスクラカンへ彼を探しに出かけました。」

 ケツァル少佐がキロス中佐からもらった情報はキロス中佐の記憶と思考のみだ。客観的事実ではない。だからケツァル少佐も慎重に語らなければならなかった。テオとアスルにこの話が真実だと思い込まれては困る。そして彼女自身も語りながらそれが本当の話だと錯覚してしまう恐れもあったから、彼女は出来るだけ傍観者の立場であり続けようと努力した。

「バルセル医師がアスクラカンで何をしていたのか、それはキロス中佐の記憶にありません。抜け落ちているのか、彼女がそこまで調べなかったのか、分かりません。兎に角彼女はアスクラカンでバルセルを探しました。そしてバルセルではなく、ラバル少尉を見つけてしまいました。」

 アスルが片手を肩の高さに上げて、質問があることを示した。少佐は休憩を兼ねて彼に質問を許可した。アスルが尋ねた。

「ラバルはアスクラカンへ何をしに出かけていたのです?」
「それをこれから語ってもらうのさ。」

とテオは言ったが、アスルが気を悪くする前に、彼が知っていることを話した。

「ラバル少尉は休暇を取っていた。彼は毎年数日休暇を取って出かけていたそうだ。休みの間に彼が何処へ出かけていたのか誰も知らないんだ。家族の所に帰っているのだろうとガルソン大尉達は思っていたみたいだが。」

 しかしその推測が違っていたことを、ケツァル少佐の表情が語っていた。

2022/02/07

第5部 山へ向かう街     14

 ”心話”はいつもの様に一瞬で終わった。ケツァル少佐が「グラシャス」と礼を述べると、キロス中佐は目を閉じた。目尻から涙が流れた。そして彼女の手がテオの手を握り返した。傷ついた唇が動いた。

「部下達に謝りたい・・・」

 少佐が言った。

「早く良くなって下さい。そして部下達の為に、本部で証言して下さい。貴女が元気になれば彼等はそれだけでも救われます。」
「グラシャス、少佐。」

 テオも礼を言って、2人は急いで病室を出た。見張りの兵士の目を覚まさせてから、彼等は重症患者用病棟を出て、階段で下へ下りた。少佐が気で呼んだのか、それとも階段を見張っていたのか、アスルがスッと足音を立てずに近寄って来た。少佐は何も言わずに病院の出口に向かった。テオとアスルは黙ってついていった。
 陸軍病院から出ると、彼等は10分程歩いて、街中の食堂に入った。労働者達の朝食時間は遠に過ぎており、店の中は空いていた。まだ朝食を取っていなかった3人はそこで遅い朝ごはんを食べた。食べながら少佐がアスルに尋ねた。

「邪魔が入らずに話が出来る場所は近くにありますか?」

 アスルが頭の中のオルガ・グランデの地図を検索するような表情になった。テオは陸軍基地の大統領警護隊が使用する部屋はどうかなと提案しようかと思ったが、さっきの内部調査班も使う可能性があると気がついた。あの連中は敵ではないが、邪魔だ。
 アスルが思考の海から戻ってきた。

「空き家の街はどうですか? カルロが昔遊んでいたと言うスラムの一角です。」

 ケツァル少佐はその場所にあまり馴染みがない様だったが、その提案を採用した。
 食堂から出ると、近くのカフェから内部調査班が出て来るのが見えた。3人は彼等を無視して歩き出した。尾行されるかとテオは心配したが、あちらは再び病院の方角へ歩き去った。ひょっとすると、フレータ少尉を尋問するのかも知れない。
 空き家の街は、近いと言っても半時間以上歩かなければならなかった。少佐はタクシーを拾わなかったが、考えてみればスラム街に行ってくれるタクシーがあるだろうか。
 初めて大統領警護隊と関わった時、テオはオルガ・グランデのスラム街に少佐達と訪れたことがあった。山の斜面に掘建小屋の様な貧しい家々がびっしりと建て込んでいた。そこがカルロ・ステファンの故郷だと知ったのは、ずっと後のことだ。「空き家の街」と呼ばれる一角はそのびっしりと家が立ち並び、人々が日々の糧を厳しい労働で得て暮らしている活きた区画から少し外れていた。昔のスラムと言うより、昔の市街地の端っこだ。石造りの家が斜面に並んでいた。まだ住んでいる人もいるので、所々で洗濯物が干されていた。しかし大半の家は空き家だった。壁に落書きがあったり、ゴミが捨てられていた。怪しげな商売をしている人が怪しげな物を保管する倉庫になっている家もあった。
 3人は家の中には入らずに、更地になっている石のテラスの様な場所で腰を下ろした。少佐を挟んでテオとアスルが左右に座る体制だ。
 歩いて来たので、暫く3人は静かに座っているだけだった。休憩して、周囲に人がいないと確信出来る迄時間を掛けた。それから、少佐が言った。

「これから語るのは、キロス中佐が教えてくれた話です。私も話しながら整理していきますから、矛盾があれば指摘してもらって結構です。」

 

第5部 山へ向かう街     13

 20分後、医師が病室から出て来た。次いで大統領警護隊の2人の将校も看護師に追い出されるかの様に出て来た。彼等が近くまで来ると、ケツァル少佐とテオは立ち上がった。内部調査班の将校達は少佐の前で立ち止まった。敬礼を交わし、”心話”が交わされた。そして無言のまま、男性達は立ち去った。 
 ケツァル少佐が溜め息をついた。テオは何となく”心話”の内容が想像出来た。大統領警護隊内部調査班はケツァル少佐にキロス中佐への面会を禁じたに違いない。そして彼等は何も情報を分けてくれなかった。
 彼は彼女に尋ねた。

「もしかして、内部調査班はキロス中佐から何も聞けていないんじゃないか?」

 少佐が、そうです、と言った。

「先刻の”砂の民”が彼女から強引に情報を引き出そうとして、彼女が抵抗した様です。中佐の心は内に篭ってしまいました。内部調査班が彼女に声をかけましたが、反応がないそうです。」
「彼女の心をこちら側に呼び戻さなければならないってことか?」

 テオは347号室を見た。見張りの兵士は背筋を伸ばして椅子に座っていた。
 テオは311号室を見た。見張りはいない。内部調査班もいない。彼等は巻き込まれて負傷したブリサ・フレータ少尉を無視している。尋問しても何も得られないと思っているのだ。彼女に訊くとしたら、キロス中佐の異常を本部に報告しなかった職務怠慢の件だろう。
 ふとテオは思いついたことがあって、347号室に向かって歩き出した。少佐が訝しげな顔をしたが、彼女も黙ってついてきた。部屋の近くへ行くと、見張りの兵士が立ち上がった。テオは少佐に囁いた。

「頼む・・・」

 少佐が前に進み出て、兵士の目を見た。気の毒な兵士はその日2度目の”操心”で、ぼーっとなって椅子に腰掛けた。
 テオは廊下を見て、誰も見ていないことを確認した。ドアを開けて少佐と一緒に中に入った。
 キロス中佐は酸素マスクを付け、点滴の針を腕に刺して寝ていた。顔と両腕に包帯を巻かれていた。頭部も包帯で包まれていた。
 テオは中佐の耳元に顔を寄せ、囁いた。

「キロス中佐、サン・セレスト村で貴方に面会したテオドール・アルストです。覚えておられますか?」

 反応はなかった。中佐の目は包帯の奥で閉じられていた。彼は続けた。

「貴女が3年前に心を閉ざされてから、ガルソン大尉もパエス中尉もフレータ少尉も、貴女が必ず良くなると信じて、本部に貴女の不調を報告しませんでした。その為に、彼等は今、本部から職務怠慢を理由に懲戒を受けようとしています。最悪の場合、反逆罪に問われるかも知れません。どうか、部下達の罪が少しでも軽くなる様に、貴女に起きた出来事を語ってくれませんか? 3年前、アスクラカンで何があったのですか?」

 中佐の睫毛が微かに震えた様な気がした。テオはさらに訴えた。

「俺は3年前、アスクラカンからオルガ・グランデに向けて出発したバスに乗っていました。エル・ティティでバスは事故を起こし、37人が亡くなり、俺一人生き残りました。俺は今も事故当時のことを思い出せません。何があのバスに起きたのか、ご存知ではないのですか? 俺はあの事故で死ぬべきだったのでしょうか? それとも、貴女はあの事故に全く無関係で何もご存知ないのですか? どうか教えて下さい。」

 彼は中佐の手を軽く握った。包帯こそ巻かれていないが、火傷をしている手だ。苦痛を与えたくなかった。

「ここに、グラダ・シティからシータ・ケツァル・ミゲール少佐が来ています。彼女に”心話”で伝えて頂けませんか?」

 少佐も彼の横から中佐の顔の上に身を乗り出した。そして先住民の言葉で話しかけた。テオは意味がわからなかったが、少佐が自己紹介したことだけはわかった。
 フッとマスクの中が白く曇った。そして、キロス中佐が瞼を開けた。

第5部 山へ向かう街     12

 テオとケツァル少佐が3階の重症患者の病棟へ近づくと、347号室の前に座っている陸軍兵の様子がおかしかった。椅子に座っているのは先刻と同じだが、壁に背中も頭もつけてぼーっとしている。大統領警護隊の内部調査班が中にいるに違いないが、彼等が見張りをそんな状態にする必要があるだろうか。
 ケツァル少佐が全身を震わせた。テオに「そこにいて」と囁き、347号室のドアの前へ足音を忍ばせて歩み寄って行った。彼女がドアの2メートル前迄接近した時、ドアが開き、一人の男が姿を現した。少佐と鉢合わせした彼は、ギクリと立ち止まった。テオの知らない顔で、彼は看護士の服装をしていた。彼を追う様に、病室から大統領警護隊の将校が一人出て来た。彼は看護士に「動くな」と命じ、それから少佐に気がついた。彼女を知らない大統領警護隊がいたら、モグリだ。将校が小声で彼女を呼んだ。

「ケツァル・・・」

 僅かな隙をついて、看護士が走り出した。ケツァル少佐が彼の脚に気で払いを掛けた。看護士がバランスを崩して転倒し掛けた。病室内でもう一人の将校が怒鳴った。

「医師を呼べ!」

それから彼は続けて言った。

「そいつは見逃してやれ。面倒だ。」

 看護士が体勢を立て直して、テオの目の前を走り去った。
 廊下に出た将校が病棟の入り口の事務室に向かって怒鳴った。

「347号室に医師を呼べ! 緊急だ!」

 ケツァル少佐は病室内を覗き、それから廊下に出ている将校に言った。

「向こうで待っています。お伺いしたいことがあります。」

 将校は訝しげに彼女とテオを見たが、頷いた。バタバタと音を立てて医師と看護師が走って来た。彼等が病室に駆け込むと、将校は椅子の上でぼーっとしている見張りに気がつき、舌打ちするとその額に片手を翳した。見張りの兵士がハッと我に帰った。将校は彼に何も言わずに医師達の後ろにつづいて病室内に入り、ドアを閉めた。
 テオは少佐が戻って来ると、看護士が逃げた方向を指した。

「あいつは向こうへ行った。」
「そうですか・・・」

 少佐は溜め息をつき、彼を近くのベンチへ誘った。
 並んで座ると、彼女は彼の催促を待たずに説明してくれた。

「逃げた男は”砂の民”だと思います。恐らく、太平洋警備室で起きた騒動を察知して、事情を聞きに現れたのでしょう。そして、彼女の体に負担をかけてしまったのだと思われます。」
「そこへ大統領警護隊が現れたので、男は逃げた?」
「そんなところです。」

 テオは347号室を見た。

「キロス中佐は大丈夫だろうか?」
「チラリと見えた彼女は、酸素マスクを装着していましたが、呼吸器を火傷した訳ではないので、尋問による心理的な負担がかかったのでしょう。」
「大統領警護隊はまだ彼女から”心話”で事情を聞けていないんだな?」
「まだでしょうね。看護士の男も事情聴取に神経を注いで、警護隊が来たことを察知出来なかった。だから、病室で鉢合わせして、恐らく一悶着あったのでしょう。」

 少佐が少し不安げに彼を見た。

「貴方はあの男に顔を見られませんでしたか?」
「彼が俺の方を見たと言う意識はなかったが・・・俺はただ訳がわからず呆然と立っていたから・・・」

 情けないことだが、テオは事実を語った、すると少佐がちょっと苦笑いした。

「呆然として頂いて感謝します。もし貴方がはっきり関係者である振る舞いをしていたら、あの男は顔を見られたと知って貴方を狙って来ますから。 私はあの男に警戒しなければならないところでした。」
「まだ粛清されたくないな。 だけど、また来るのかな、彼は?」
「大統領警護隊と鉢合わせしましたから、もう来ないでしょう。どちらに優先権があるか決めるのは長老会です。大統領警護隊より己が優先されるべきだと思えば、彼は首領に裁量を求めます。」
「ムリリョ博士に?」
「スィ。」
「博士が決定を下す迄は彼は何もしない?」
「しません。」

 テオは少しだけ安心した。

  

2022/02/05

第5部 山へ向かう街     11

  グラダ・シティを出てルート43を西に向かって走ると、ロホはピアニストの知人は元気だろうかと考えた。アメリカ先住民と”ヴェルデ・シエロ”とのミックスのロレンシオ・サイスは人気ジャズピアニストの地位を捨てて、一族の人間として生きる道を選んだ。今はアスクラカンで裕福な家庭の子供達にピアノを教える家庭教師と週に1回現地にあるキリスト教系の学校で音楽教室を受け持っていると言う話だ。地方都市の人々は彼が半年程前迄有名な演奏家だったことを知らない。偶に彼がアメリカで演奏活動をしていた時代に出したC Dを店で見つけて、「おや?」と思う程度だ。
 ギャラガはロホのビートルの助手席で風景を眺めていた。バスで同じルートを通ったことがあったが、乗用車で通るとまた違った風景に見えた。
 昼前にサスコシ族の族長シプリアーノ・アラゴの地所に到着した。Uの字の形に小さな家が並び、小さな集落を形取っているが、全部同じ家族の家だ。男は成年式を迎えると家を1軒与えられる。結婚すれば夫婦でそこに住む。独身の女性は親の家に住んでいる。狭いので早く結婚して家を出たがる女性がいるし、都会に就職して出て行く人もいた。
 ロレンシオ・サイスはアラゴの地所の中の家を一軒借りて住んでいた。ピアノ教室の仕事がない日はアラゴから超能力の使い方を教わっている。己が”ヴェルデ・シエロ”であることを知らずに育ち、親からも教わる機会がなかったので、大人になってから修行を始めた。
 ロホとギャラガは最初に族長を挨拶の為に訪問した。ロホは丁寧な挨拶の口上を伝え、それから今回の訪問の目的を説明した。

「今日の訪問は大統領警護隊としては非公式で、文化保護担当部単独の捜査のためのものです。ですから、セニョール・アラゴにはお断りされることも出来ます。我々は3年前にエル・ティティで起きたバス事故の調査をしています。死亡した乗客が最後に訪れた場所がアスクラカンであったと聞きましたので、こちらに参りました。その人物の足跡を追うだけの捜査ですから、サスコシ族の方々にご迷惑をおかけすることはないと思います。我々が街中を歩き回ることをご了承下さい。」

 アラゴはロホの後ろに控えている白人に見える男を眺めた。アンドレ・ギャラガは気を抑制していたが、サスコシ族の族長は彼が白人ではなく白人の血を引くメスティーソの”ヴェルデ・シエロ”だと判じた。

「仕事であろうとなかろうと君達がアスクラカンの街を歩き回るのは自由だ。だが、我が部族には君が知っている通り、厄介な思想を持つ家系がいる。連中が君達の行動に不快を覚え、妨害することも考えられる。それを防ぐ為に君達がこの街に来ていることを一族に知らせても構わないか? それとも、情報の拡散は捜査に支障が出ると思うか?」

 ロホは後ろのギャラガを振り返った。いっその事ギャラガに白人のふりをしろと言いたい気持ちになったが、それでは部下に失礼だと思い直した。彼はアラゴに向き直った。

「部下の安全の為にも情報拡散をお願いします。我々が探しているのは、オルガ・グランデからここへ来て、バスに乗ってオルガ・グランデに帰ろうとした帰路に事故に遭って死んだ男の足跡です。」

 ロホは事故の日付を告げた。アラゴはちょっと考え込んだ。3年前にアスクラカンで何か変わったことがなかったか、思い出しているのだ。
 ギャラガはアラゴの自宅の入り口に立っていたのだが、戸口の向こうに見えている家の内装が現代的なので意外に思っていた。敷地内の小さな家が形作る集落は古い先住民の居住地に似ている。しかし建っている家は外装は古く見えて中は都会の家と変わらない。面白いなぁと彼は思った。

「バス事故があった日は何もなかった。」

とアラゴは言った。

「だがその前の日に部族の者が他所から来た人間と問題を起こした。個人的な問題だったから当人に訊かなければ内容はわからぬ。」

 そして彼は憂い顔で付け加えた。

「問題を起こした男の名は、ディンゴ・パジェ、君達が知っているロレンシオ・サイスの父方の家系の男だ。」

 ロホは族長の憂い顔の理由を理解した。パジェの家はオルトの家と同じ系列だ。つまり、純血至上主義者の一家だった。


2022/02/03

第5部 山へ向かう街     10

  突然ケツァル少佐が背もたれから上体を起こした。テオは彼女の視線の先を追って外来病棟の入り口を見た。2人の軍人が入って来るところだった。どちらも純血種の男性で、彼等を見た瞬間、ケツァル少佐は立ち上がり、いきなりアスルの手を掴んで近くの柱の陰に走った。テオは置き去りだ。
 何なんだ?
 テオは新たに登場した軍人を見た。一人はスラリと背が高く、短く刈り込んだ黒髪に少々白いものが混ざっていた。顔は少し四角い印象だが、イケメンの先住民だ。もう一人は連れに比べるとちょっとだけ背が低かったが、黒い艶のある髪を肩まで伸ばした若い男だ。2人の胸には緑色に輝く鳥の徽章が存在感を放っていた。テオは肩章を見て、歳上が少佐、若い方が大尉だと判別した。
 2人の大統領警護隊の将校は受付を通さずに階段を上がって行った。2階の渡り廊下から入院病棟へ行くのだろうか。
 テオは柱の陰に隠れている少佐と中尉に声を掛けた。

「彼等は行ってしまったぞ。」

 ケツァル少佐とアスルがゆっくりと姿を現した。あー、焦った、と言う顔をして2人は長椅子に戻った。テオは推測を言葉に出してみた。

「本部の将校かい?」
「スィ。」

 少佐が認めた。

「司令部の内部調査班です。大統領警護隊の憲兵の様な人達ですから、キロス中佐とフレータ少尉の事情聴取に来たのでしょう。」
「中佐はもう話せる状態なのかな?」

 するとアスルが、テオが忘れている”ヴェルデ・シエロ”の常識を思い出させてくれた。

「俺達には”心話”がある。」

 ああ、とテオは得心した。声を出す体力がなくても、目を見つめ合うだけで意思疎通が出来る便利な能力だ。”ヴェルデ・シエロ”なら誰でも出来るし、出来なければ”ヴェルデ・シエロ”ではない。
 本部の人間が接触する前にキロス中佐から話を聞きたかったのだが。

「ひょっとして、彼等は既にサン・セレスト村へ行ってガルソン大尉とパエス中尉からも事情聴取しているのかも知れないな。」
「その可能性はあります。部下達の証言を先に取って、指揮官の証言との矛盾を探るのでしょう。」

 大統領警護隊の事情聴取の遣り方は、階級が下の者から先と言うのが慣行だ。部下が上官の言葉に矛盾する証言が出来なくなるのを防ぐ。出来るだけ多くの部下の証言を先に取って、能力が大きく権威もある上級士官の矛盾を探すのだ。
 事件が起きてまだ3日目の朝だ。テオは大統領警護隊の動きの速さに驚いた。セルバ人とは思えない、と言ったら失礼になるだろうけど。
 アスルが上官に尋ねた。

「キロス中佐の見舞いはどうしますか?」

 ケツァル少佐はテオを見た。この秘密の見舞いは、事件の真相調査が目的だが、半分はテオの過去に起きた事故の解明でもある。

「内調が去ったら、私は中佐に面会してみます。貴方はテオとここで待っていなさい。」
「俺も行く。」

とテオは言った。子供みたいだが、置き去りにされたくなかった。さっき少佐とアスルが柱の陰に隠れた時も置き去りにされた。テオは内部調査班に見られても構わないと少佐が判断したからだが、テオは内心ショックだったのだ。
 少佐はアスルを見た。アスルが肩をすくめた。

「一人で見張りをしています。」



2022/02/02

第5部 山へ向かう街     9

  廊下に出ると、病院は朝の活動を始めつつあった。日勤スタッフが出勤して来て、夜勤スタッフと交替が始まる。入院患者に出す朝食の準備も始まった。
 テオは347号室の方を見た。重症患者の区画にも食事を運ぶワゴンを押してスタッフが入って行った。ケツァル少佐かアスルが”幻視”で姿を見えない様にしているのだが、テオは忙しく動き回るスタッフとぶつかりそうになり、ヒヤリとさせられた。
 アスルが囁いた。

「病院内が落ち着く迄、我々も何処かで休憩しませんか?」

 ”幻視”を長時間使うと疲れるのだ。ケツァル少佐はテオの意見を訊かずに同意した。
 3人は一旦入院病棟から出て、外来病棟へ移動した。こちらでは陸軍関係の仕事をしている人でも診療を受けられるので、患者が多い。既に10数人が待合室で座っていた。テオと少佐とアスルは長椅子に座って少し休んだ。この場所も賑やかだが、食事時の入院病棟程ではない。

「カルロは向こうで上手くやっていましたか?」

 少佐が不意にテオに尋ねた。元部下を心配して、と言うより、姉として弟の働きぶりが気になるのだろう。

「心配ないさ。」

とテオは言った。

「フレータ少尉と一緒に厨房で仲良く働いていたし、キロス中佐が何者かにかけられていた呪いのお祓いもやった。ラバル少尉を捕まえたのも、カルロがガルソン大尉と協力してやったんだ。ガルソン大尉はカルロを信用してくれた。尤も、カルロが派遣されたので、本部にキロス中佐の異常を隠しきれないと覚悟したのも事実だがね。」
「カルロは太平洋警備室派遣の任務を無事に果たせたと言って良いですかね。」

とアスルが少佐に確かめるように言った。彼にとってカルロ・ステファンは上官と言うより兄貴だ。ロホも兄貴同然だが、こっちはサッカーのライバルチーム同士だったから、階級が違ってもライバルだ。ロホはアスルにとって職務上は兄貴で私生活では親友、ステファンは職務上も私生活でも兄貴だ。兄貴が新しい資格を取って任務を果たせるとアスルは嬉しい。
 ケツァル少佐はフンとアスルの十八番を奪って鼻先で笑った。

「まだ派遣されて1週間です。任務は終わっていないでしょう。太平洋警備室の異変を探るだけが任務ではありません。後片付けも必要です。」

 次の指揮官が来る迄太平洋警備室を管理監督する人間が必要だ。本来ならキロス中佐の副官であるガルソン大尉がその役目を果たすのだ。しかしガルソン大尉は本部を3年間欺いた罪で副官の任を解かれたと考えて良いだろう。パエス中尉もガルソン大尉と同罪だから、太平洋警備室を預かる任務を与えられる隊員は、ステファン大尉しかいない。本部から新しい指揮官と副官、隊員が派遣される迄、彼はサン・セレスト村とポルト・マロンを守らなければならない。
 テオは、ガルソン大尉の誠実な性格を思い出した。

「異動させられる迄ガルソン大尉とパエス中尉がカルロを支えてくれると思う。土地の勝手を知る人間が必要だし、新しい人員が直ぐに選ばれる訳でもないだろ? 文化保護担当部だって、カルロが抜けてからアンドレが来る迄半年以上あったじゃないか。」

 するとアスルが言った。

「遊撃班から数人派遣される筈だ。その為の部署だからな。本部はまた若い連中をスカウトして警備班に入れるし、警備班から優秀なヤツを遊撃班に転属させる。」

 テオはガルソン大尉とパエス中尉の行く末が心配になった。
 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...