2022/02/10

第5部 山へ向かう街     20

 「大統領警護隊の中佐は、私の気の爆裂で酷い損傷を頭部に負った筈です。しかし、私の家族には指導師がいませんでした。」

 ディンゴ・パジェは「あの日」の話をボソボソと話し始めた。”心話”を使えば一瞬で済むが、知られたくない個人的感情も全て伝わってしまう。彼はそれを恐れたのだ。

「中佐は何か焦っていた様で、まだ動ける状態でないにも関わらず、任務があるからと言って父の家を出て行きました。父は彼女を心配して私に彼女を連れ戻すよう言いつけました。私は彼女にしたことを後悔していたので、彼女を探し、バスターミナルで彼女を見つけました。彼女に謝罪して父の家に戻るよう説得しましたが、彼女は私の言葉に耳を貸そうとしませんでした。それどころか、あることを私に持ちかけてきました。」

 ディンゴ・パジェはロホに視線を向けた。それは救いを求める様な切ない眼差しだった。

「ホセと私の仲を父に黙っていてやるから、数分前にターミナルを出て行ったバスを一緒に追いかけてくれとと言うものでした。」

 ロホとギャラガは再び顔を見合わせた。キロス中佐が追いかけようとしたバスは、例の事故に遭遇したバスではないのか。テオドール・アルストが乗っていた運命のバスだ。
 ディンゴは続けた。

「私は自分の車に中佐を乗せて、バスの後を追いかけました。運転しながら、あのバスに何があるのかと彼女に訊きましたが、彼女はただ同じ言葉を繰り返すだけでした。止めなければ、と。」

 止めなければ・・・。 キロス中佐はバスを止めたかった。バスに誰かが乗っていたのだ。ギャラガが尋ねた。

「ホセ・ラバル少尉がそのバスに乗っていたと言うことはないのか?」
「ノ。 ホセは”通路”を使ってオルガ・グランデ近くの農村へ出て、それから実家経由で職場へ帰ると言っていました。彼はカイナとマスケゴのハーフですが、”入り口”を見つけるのはブーカ並に得意なのです。ですから、バスに彼が乗った可能性はありません。」
「キロス中佐はバスに誰が乗っているのか、全く言わなかったのだな?」
「一度も。」

 ディンゴは身を震わせた。

「バスはエル・ティティで一度停車しました。ですから、私の車はその時、追い付けたのです。中佐は私の車から降りて、バスに乗り換えました。」

 え? とロホとギャラガは驚いた。キロス中佐がバスに乗った? では、あのバスの乗客は38人ではなく、39人だったのか? 運転手と36人の乗客が死に、テオドール・アルスト1人だけが生き残った事故の生存者がもう一人いたのか?

 ディンゴが申し訳なさそうに言った。

「私が話せるのはそこ迄です。中佐がバスに乗って去ったので、私はアスクラカンに戻ったのです。そして怪我人を見つけられなかったと父に伝えました。父は私に”心話”を要求しました。恐らく、私は挙動不審だったのでしょう。そして中佐の怪我が気の爆裂によるものであると知っていた父は、私が絡んでいると睨んだのです。父は真実を知り、私の行為を大変恥に感じました。私は実家を追い出され、ここに住んでいます。」
「ホセ・ラバルはその後、貴方を訪ねて来たか?」

 ディンゴは少し躊躇い、小さな声で言った。

「あれ以来、彼がアスクラカンへ来ることはありません。私達はオルガ・グランデの廃坑で時々出会うだけです。」

 2人の仲はまだ続いていたのだ。
 ロホは更に確認した。

「エル・ティティのバス事故は知っているな?」
「スィ。」
「中佐が乗ったバスか?」
「スィ。あの時、中佐は死んだと思いました。不謹慎ですが、もうホセとの仲を邪魔されないと安堵しました。」
「しかし彼女は生きていた。」
「スィ。ホセに教えられ、仰天しました。一族の人間でも、あんな事故から一瞬で逃れられる人などいません。ましてや、脳に気の爆裂を食らった人間が、逃げられる筈がない・・・」

 ロホとギャラガは考え込んだ。アスクラカンを出てオルガ・グランデを目指したバスに何が起きたのか、バスに乗り込んだキロス中佐はどうやって助かったのか。

 

第5部 山へ向かう街     19

 アスクラカンのサスコシ族ディンゴ・パジェは父親が築いた家族の集落を出て、市街地のアパートで独り住まいをしていた。パジェ家は旧家だし、族長アラゴの話では裕福な家庭だと聞いていたが、ディンゴのアパートはセルバの平均的な収入がある一般的な住宅だった。入り口に守衛はおらず、バルコニーも狭い。エレベーターはなく階段で2階へ上がった。途中すれ違った女性はロホとギャラガに陽気な声で「オーラ!」と声をかけてくれた。
 ディンゴの部屋のドア横に呼び鈴のボタンが付いていたので、ロホは押してみた。中でジージーと音が鳴った。そして1分も経たぬうちにドアが開いた。30代後半と思える男が顔を出した。ロホは素早く緑の鳥の徽章を提示した。

「大統領警護隊、マルティネス大尉と・・・」

 彼は後ろを振り返って、部下を紹介した。

「ギャラガ少尉だ。ディンゴ・パジェは貴方か?」

 ディンゴがギョッとした様に目を大きく開いた。

「ロス・パハロス・ヴェルデス?  何の用です?」

 ロホは相手の気の大きさを推測った。ディンゴは気を抑制しているが、指導師であるロホは相手の能力の大きさが大体わかる。これは大事なことだ。相手がもし攻撃してきたら、防御に用いる力の加減を瞬時に設定しなければならない。小さければやられるし、大きければ跳ね返した相手の力が逆に相手自身を傷つけてしまう。
 ロホは慎重に言った。

「3年前の今頃にエル・ティティでバス事故があった。貴方がその事故の前日に他所から来た人と問題を起こしたと聞いた。その相手の人を覚えているか?」

 ディンゴは礼儀としてロホの目を見なかった。しかしロホの後ろに立っている赤毛で肌が白い大統領警護隊の隊員をぼんやりと眺めた。

「3年前に私が他所者と問題を起こしたと、誰が貴方に言ったのです?」

と彼が尋ねた。ロホは当然ながらその質問に答えなかった。

「こちらの質問に答えてもらいたい。これは公務である。」

 非公式だが、と後ろで控えているギャラガは心の中で呟いた。通常ロホ先輩は初対面の人に対して丁寧な言葉遣いで話しかける。しかし、ディンゴ・パジェに対して彼は上から目線で話していた。ギャラガはちょっと戸惑ったが、すぐにこれは純血至上主義者と言われるパジェ家の人間を牽制しているのだと気がついた。ディンゴに言っているが、ギャラガにも己と同じ様に話せよと教えているのだった。さもないと相手に舐められるぞ、と。
 大統領警護隊に嘘や誤魔化しを言うと、後でそれがバレた時に酷い目に遭う、と言うのが”ヴェルデ・シエロ”の常識だ。これは”ティエラ”達が彼等を恐れるのとはちょっと違う。”ティエラ”は大統領警護隊が古代の神々と話が出来ると信じているから、彼等が恐れるのは神罰だ。だが”ヴェルデ・シエロ”は、”ティエラ”が警察を厄介な相手と見做すのと同様のレベルで考えているだけだ。捕まって”曙のピラミッド”の地下神殿で審判を受けたくない。有罪判決が万が一にも出た日には、生きて家族の元へ帰れないかも知れない。
 ディンゴ・パジェは溜め息をついた。 彼は2人の大統領警護隊隊員を室内に招き入れた。狭い居間の椅子に向かい合って座ると、彼はロホの質問に答えた。

「軍服を着た小母さんだった。貴方の上官になる地位です。」
「名前を知っているか?」
「私のホセは、中佐と呼んでいました。」

 私のホセ? ロホは相手をまじまじと見た。ギャラガも思わず体を動かしてディンゴを見た。ディンゴ・パジェは彼等を真っ直ぐに見た。

「私は家族から異端者として追放されました。私が愛した人が軍人で男性だったからです。」
「その・・・ホセと言う人は・・・」

とギャラガが思わず口を出した。上官の許可なく発言するのは規則違反だが、ロホは咎めなかった。文化保護担当部はこの手の違反に対して緩いのだ。ケツァル少佐でさえ睨みつけるだけで、後から非難したり叱ったりしない。

「ホセさんが軍人なのだな?」

とギャラガが精一杯上から目線で喋った。相手は彼よりもロホよりも年上だ。しかし緑の鳥の威光が許される範囲で胸を張って振る舞わなければならない。
 ディンゴが小さく頷いた。

「大統領警護隊の少尉です。彼と私が会っているところを、上官の中佐に見られたのです。」

 当然、少尉の隊律違反を中佐は責めたのだ。セルバ共和国の軍隊は陸空、憲兵隊、そして大統領警護隊も同性愛を未だに認めていない。

「中佐は貴方ではなく少尉を咎めた。貴方は民間人だから、部下だけを責めた。そうだな?」

とロホが確認し、ディンゴは「スィ」と認めた。

「しかし、私は彼女の言葉に腹が立った。規則を守らせるだけなら、一言ホセに持ち場へ帰れと言えば済むことだ。私と会うなと言えば良い。しかし、彼女はそれ以上のことを言ったのです。ホセを侮辱したのです。彼が出世出来ないのはその・・・」

 ロホが片手を上げて遮った。

「それ以上言わなくても、結構。彼女は貴方と彼氏を誹謗中傷し、貴方達はそれに激昂した。そう言うことだな?」
「スィ。私は彼女に口を閉じて欲しかった。だから、夢中で・・・」

 ディンゴは両手で顔を覆った。

「気の爆裂で人間を襲うのは大罪です。私は殺人未遂を犯しました。気がついたら、中佐が倒れていて、ホセが彼女の息を確認していました。そして言いました。彼女はまだ生きている、自分がやったことにするから、君は逃げろ、と。後の咎めは全部自分が引き受ける、と。」
「ホセとは、太平洋警備室のホセ・ラバル少尉のことだな?」
「スィ。」

 ロホとギャラガはチラリと視線を交わした。

ーーラバルが今回の爆発事件の犯人でしたね?
ーーそうだ。彼は3年間中佐のそばで何を考えていたんだろうな。

 ロホはディンゴに向き直った。

「貴方は言われるがままに逃げたのか?」
「御免なさい・・・恐ろしくて、夢中で家に逃げ帰りました。しかし、その夜、父がその中佐を自宅に保護したのです。それを私が知ったのは翌日でした。その時既にホセは帰ってしまっていました。」

 ラバルは倒れた上官を見捨てて帰ったのか? ロホは呆れた。 ラバルの同僚のガルソン大尉と2人の他の部下達は自分達が咎めを受けるのを覚悟で中佐の異変を本部に隠し続けたと言うのに。
 ディンゴ・パジェの告白はさらに続いた。


2022/02/09

第5部 山へ向かう街     18

  ケツァル少佐は、キロス少佐から読み取った記憶を自分の頭の中で整理した。

「中佐の思考は時々混乱しています。恐らくディンゴ・パジェ又はラバル少尉から喰らった爆裂で脳にダメージを受けたのでしょう。
 彼女はディンゴに提案しました。ラバル少尉との仲を黙っていてやるから、少し前に出発したオルガ・グランデ行きのバスを追いかけて欲しい、と。」

 パジェ家は伝統を重んじる純血至上主義の家族だ。同性愛は勿論許されない。ディンゴ・パジェは父親に黙っていてくれるならと言う条件で、彼女を自分の車に乗せた。

「中佐とディンゴは車でバスを追いかけました。中佐の目的はバルセル医師が持っていたと言うエンジェル鉱石の従業員名簿でした。ディンゴがその目的を中佐から知らされたのかどうかは不明です。中佐の記憶はディンゴの車に乗ってから酷く曖昧になり、時間の統一性もありません。」

 ケツァル少佐は目を閉じた。指で己の額を抑えたので、テオは彼女の顔を覗き込んだ。

「頭痛がするのか?」
「少し・・・」

 少佐が辛そうなので、アスルがテオを見て言った。

「キロス中佐の記憶がメチャクチャになったので、読み取った少佐に影響が出ている。」

 テオは彼女に声をかけた。

「もう止せ、少佐。大体何が起きたのかわかったから・・・君が無理をして思い出さなければならないことじゃない。」

 アスルも彼に同意した。

「少佐、もう結構です。アスクラカンで起きたことはわかりました。バス事故の原因もなんとなく推測されます。」

 少佐が横目で部下を見た。

「事故原因が推測出来るのですか?」
「スィ。キロス中佐は気の爆裂で脳に損傷を受けたのでしょう。ルート43はアスクラカンを出ると舗装が終わります。ガタガタ道を車でバスを追いかけたら、振動で頭部の傷に悪い影響を与えます。中佐はバスを止めたいと思った筈です。朦朧とした頭で、バスを止めようとしたら・・・」

 テオはアスルの推測に背筋が寒くなった。

「意識が朦朧となったキロス中佐がバスを落としたのか?」
「飽く迄俺の推測だ、ドクトル。」

 アスルはテオを真っ直ぐ見た。

「事故の後でキロス中佐は正気に帰ったんじゃないか? そして自分がやらかした大惨事を目の当たりにして、あの人は自分の内に篭ってしまった・・・。」

 ケツァル少佐が頷いた。

「中佐の心は後悔と悲しみでいっぱいでした。彼女は現実に戻るのが恐ろしかったのです。年下の部下に片恋をして、部下の恋人と喧嘩をした挙句、気の爆裂で傷ついてしまいました。そして正気を失っている間に守護者として許されない大失態をやらかした。そして太平洋警備室に戻ると、そこにラバル少尉がいました。彼女は自分の心を殺すしかなかったのです。呪いが残る体で精神的に大きな負担を抱え、彼女の症状はどんどん悪化していったのです。」


第5部 山へ向かう街     17

 しかし、ケツァル少佐がキロス中佐から得た情報はそれだけではなかった。まだ続きがあった。

「中佐は気絶し、目覚めた時は誰も近くにいませんでした。ラバル少尉と相手の男は逃げた後でした。」
「倒れた上官を放置して逃亡とは、とんでもないヤツだ。」

 アスルがぷんぷん怒って見せた。

「しかし、そのラバルはそれから3年間、キロス中佐のそばで勤務していたのですね? どんな神経をしているのか・・・」
「ラバルの心理は中佐の”心話”では計れません。中佐を見張っていたのでしょう。それより、まだアスクラカンでの出来事には続きがあります。」

 ケツァル少佐はテオを見た。テオはドキリとした。バス事故に話が移るのか?

「中佐は倒れた現場から近いサスコシ族の地所に救援を求めました。頭部にも体にも爆裂の影響が出ており、まともに歩けない状態でした。彼女が訪ねた家族はパジェと言いました。」
「パジェ?」

 テオはその名に聞き覚えがあった。

「もしかして、ロレンシオ・サイスの父親の親族か?」
「恐らく。サイスとの関係は中佐の記憶の中にはありません。それに当時サイスはまだ普通のピアニストとして活躍している時期でした。彼の腹違いの姉も彼のそばに近づいていなかったでしょう。」

 少佐は憂を顔に出した。

「ラバルの恋人は、パジェ家の息子だったのです。」
「中佐は知らずに敵の家に入ってしまった・・・?」
「スィ。ただ、パジェ家の家長は分別がありました。怪我をした大統領警護隊の中佐を手当して保護しました。中佐は流石にパジェ家の家長に何が起きたのか語ることを躊躇い、沈黙した様です。恥じらいと、爆裂による呪いから来る苦痛が、彼女が真実を語ることを妨げたのです。そしてパジェ家では指導師の能力を持つ人がいませんでした。パジェ家の家長はサスコシ族の長老を呼ぼうとしましたが、キロス中佐自身がそれを断りました。」
「プライドと恥じらいと・・・」

とテオは呟いた。大統領警護隊の中佐ともあろう者が、痴話喧嘩の果てに恋敵から気の爆裂を喰らって負傷したなど、とても長老に言えたものでなかったろう。

「キロス中佐は恋敵が恩人の息子だと知りました。サスコシの伝統的な屋敷を見たことがありますか、テオ?」
「ノ。」
「小さな家が敷地内に円形もしくはUの字の形に並んでいます。それぞれの家に夫婦とその未成年の子が夫婦を一つの単位として住んでいます。家長夫婦が中心で、息子や娘が成年式を迎えると家を1軒もらうのです。中佐は家長の家に保護されましたが、窓から庭を見て、恋敵がいるのを見てしまいました。彼女は体が回復していないのに、パジェに別れを告げてそこを出ました。」
「どの道、指導師がいなければ治りませんよ。」

とアスルがぶっきらぼうに言った。彼は感情に流されて恋敵を怒らせたキロス中佐に同情する気分でなくなったようだ。ケツァル少佐は部下の不機嫌を無視した。

「キロス中佐は、バルセル医師を探す本来の目的を思い出しました。傷ついた体でアスクラカンの街を彷徨い、医師がグラダ・シティから来たオルガ・グランデ行きのバスに乗り込むのを見ました。そこへ、恋敵が彼女を追って来ました。」

 ケツァル少佐は少し休んだ。喉が渇いた様だが、近くに飲み物を売っている店はなさそうだ。アスルが井戸を探しましょうか、と言ったが、少佐は断った。

「ここは不衛生ですよ。ジャングルの中の湧水の方がまだマシです。」

 と都会育ちの少佐は言った。そして話を続けた。

「ラバル少尉の恋人は、ディンゴ・パジェと言う名でした。彼は父親から中佐を探すよう言いつけられ、仕方なく彼女を追いかけて来たのです。彼は中佐を傷つけたことを詫び、父親の家に戻ってくれるよう頼みました。」
「案外いい奴だったんだ・・・」
「中佐はバルセル医師を追いかけたかった。だから、ディンゴにある提案をしました。」



 


第5部 山へ向かう街     16

  ケツァル少佐は言葉を選んでいる様子だった。ストレートに言うべきか、遠回しに言うべきかと悩んで、やがてアスルを見て、テオを見た。

「ルカ・ラバル少尉はアスクラカンで恋人と会っていました。」

 テオもアスルも無言で少佐を見ていた。少佐は noviaではなくnovioと言ったのだ。ラバル少尉に片思いしていたキロス中佐が少尉が誰かと逢引している現場を目撃したとしても、彼等に何も言うことはない。
 少佐が続けた。

「キロス中佐が見たのは、ホテルから出てくるラバル少尉と若い男性でした。ラバル少尉の恋人は男性だったのです。」

 それは中佐に気の毒だと言うしかない、とテオは思った。ラバルが女性を愛せなくても男性を選んでも、それは彼の自由で権利だ。中佐が失恋したのは気の毒だし、ショックだったろうが、他人にラバル少尉を責める権利はない。
 しかしアスルは違った反応をした。

「我が国の軍隊では同性愛はまだ禁止されている。」

と彼はテオに聞かせるように呟いた。

「本部に知られたらラバルは除隊処分になる。」

 ケツァル少佐が頷いた。

「ですから、キロス中佐は彼等が人目のない場所まで歩くのを尾行し、そして2人の前に姿を現しました。ラバルに上官として規則違反を責めたのです。」

 ラバルが上官に何を言ったのか少佐は言わずに、相手の男性の方に話を向けた。

「ラバルの恋人はサスコシ族の男性でした。彼はラバルの隊律違反を責めるキロス中佐に向かって言いました。『異人種の血を入れて一族の血を汚すより、自分達がしていることの方が清い行為だ』と。」
「ええっと・・・それは・・・」

 テオは考えた。

「そのサスコシの男は純血至上主義者だったのかな?」

 ケツァル少佐は肩をすくめた。

「それはどうでしょう。自分達の立場を正当化する為に言っただけかも知れません。でも彼はキロス中佐にとって恋敵です。中佐と少尉とその男はそこで口論になりました。」
「痴話喧嘩ですか・・・」

 アスルが呆れたと言いたげに目を眼下の風景に向けた。少佐が溜め息をついた。

「大人気ないことです。キロス中佐は、ラバル少尉の恋人が女性だったら、あんなに取り乱すことはなかったかも知れません。でも彼が愛したのは男性でした。ずっと彼への恋を抑圧してきた中佐の心のタガが外れたのです。彼女はラバルに向かって叫びました。彼と別れなければ本部に通報すると。」

 あちゃーっとテオとアスルは心の中で声を上げた。それは部下に取って最後通告の様なものだ。20年以上少尉の地位に甘んじてきて、後輩が出世していくのを黙って見るしかなかったラバルに、不名誉除隊は地獄だろう。

「どちらが発したのか分かりませんが・・・」

とケツァル少佐は言った。

「キロス中佐の心は、『やったのは相手の男だ』と訴えていました。」

 テオがその意味を理解する前に、アスルの方が先に悟った。

「ラバルかサスコシの男か、どちらかがキロス中佐に気の爆裂を浴びせたのですね?」
「スィ。」
「無茶だ・・・」
「恐らく2人の男性は、”操心”で中佐の記憶を消したかったのでしょう。でも口論の最中にそんなことは不可能です。中佐の最後通告を聞いて、どちらかがラバルを守る為に中佐を襲ったのです。」

 

第5部 山へ向かう街     15

  石のテラスに座ってオルガ・グランデの市街地を見下ろす形で3人は並んでいた。セルバ共和国の大都市はあまり高層ビルがない。東海岸は海岸に沿って高いビルが並んでいるが、グラダ・シティ市街地は”曙のピラミッド”より高い建物を建設することが禁止されているから、低い土地でも4階建が精々だ。オルガ・グランデは別の理由で高層ビルが建てられない。地面の下に地下川が流れており、金鉱山の坑道が張り巡らされている。昔の地下墓地もある。つまり、地盤の強度の関係だ。高いビルが立っているのは硬い岩盤の地区で、テオ達が座っている石の街、別名「空き家の街」はその岩盤が斜面を登っていく所にあった。オフィス街の裏手にスラム街がある。現役のスラム街はもう少し旧市街地に近い西側にあった。

「キロス中佐は、ホセ・ラバル少尉に恋をしていました。」

 いきなりケツァル少佐はその言葉から始めてテオとアスルを驚かせた。

「中佐が少尉に恋ですか?」
「しかしラバルは・・・」

 テオはラバル少尉が25年も太平洋警備室に勤務していたことを思い出した。だからアスルに教えた。

「ラバル少尉は40代半ばの人だ。キロス中佐より彼は若い。」

 アスルは黙り込んだ。階級を超えた恋が悪い訳ではない。年齢差もどちらが上だろうが構わない。だが上官が部下に恋とは、下手をするとパワハラと受け取られかねない。
 少佐が続けた。

「勿論、中佐の胸に秘めた恋です。」

 それは”心話”で得た情報だから真実だ。キロス中佐はそんな秘密を内部調査班に知られたくなかっただろう。ましてや”砂の民”に。

「ラバル少尉はポルト・マロンの港湾労働者達に人望があり、彼等からエンジェル鉱石本社が従業員の健康診断で採取した血液をアメリカの製薬会社に売却したと言う情報を得て、中佐に報告しました。太平洋警備室はオルガ・グランデの守護をしています。中佐は製薬会社が人間の血液を使って新薬の開発をすることを知っていました。それ自体は珍しいことではありません。ただエンジェル鉱石はセルバ最大の企業の一つです。従業員の数は多く、いろいろな人種が混ざっています。中佐は一族の人もその中にいるのではないかと危惧しました。製薬会社は遺伝子を分析するでしょう。もし”シエロ”の遺伝子だとわかるものが混ざっていると大変だと彼女は思ったのです。」

 テオは頷いた。エンジェル鉱石が血液を売った相手は製薬会社などではなく、アメリカ陸軍基地にある国立遺伝病理学研究所だった。遺伝子そのものを研究する機関だった。

「中佐はエンジェル鉱石の本社を訪問して、アンゲルス社長に従業員名簿を見せるよう要求しました。アンゲルスはセルバの古い宗教を信仰していませんでした。大統領警護隊の要求を拒否したのです。従業員の個人情報を開示する訳にいかないとの理由でした。中佐は彼から情報を引き出そうと試みました。そして血液採取した従業員の名簿は産業医バルセルが持っていることを知りました。その時バルセル医師はアスクラカンに出かけていました。彼がオルガ・グランデに戻る迄待てなかったキロス中佐は、アスクラカンへ彼を探しに出かけました。」

 ケツァル少佐がキロス中佐からもらった情報はキロス中佐の記憶と思考のみだ。客観的事実ではない。だからケツァル少佐も慎重に語らなければならなかった。テオとアスルにこの話が真実だと思い込まれては困る。そして彼女自身も語りながらそれが本当の話だと錯覚してしまう恐れもあったから、彼女は出来るだけ傍観者の立場であり続けようと努力した。

「バルセル医師がアスクラカンで何をしていたのか、それはキロス中佐の記憶にありません。抜け落ちているのか、彼女がそこまで調べなかったのか、分かりません。兎に角彼女はアスクラカンでバルセルを探しました。そしてバルセルではなく、ラバル少尉を見つけてしまいました。」

 アスルが片手を肩の高さに上げて、質問があることを示した。少佐は休憩を兼ねて彼に質問を許可した。アスルが尋ねた。

「ラバルはアスクラカンへ何をしに出かけていたのです?」
「それをこれから語ってもらうのさ。」

とテオは言ったが、アスルが気を悪くする前に、彼が知っていることを話した。

「ラバル少尉は休暇を取っていた。彼は毎年数日休暇を取って出かけていたそうだ。休みの間に彼が何処へ出かけていたのか誰も知らないんだ。家族の所に帰っているのだろうとガルソン大尉達は思っていたみたいだが。」

 しかしその推測が違っていたことを、ケツァル少佐の表情が語っていた。

2022/02/07

第5部 山へ向かう街     14

 ”心話”はいつもの様に一瞬で終わった。ケツァル少佐が「グラシャス」と礼を述べると、キロス中佐は目を閉じた。目尻から涙が流れた。そして彼女の手がテオの手を握り返した。傷ついた唇が動いた。

「部下達に謝りたい・・・」

 少佐が言った。

「早く良くなって下さい。そして部下達の為に、本部で証言して下さい。貴女が元気になれば彼等はそれだけでも救われます。」
「グラシャス、少佐。」

 テオも礼を言って、2人は急いで病室を出た。見張りの兵士の目を覚まさせてから、彼等は重症患者用病棟を出て、階段で下へ下りた。少佐が気で呼んだのか、それとも階段を見張っていたのか、アスルがスッと足音を立てずに近寄って来た。少佐は何も言わずに病院の出口に向かった。テオとアスルは黙ってついていった。
 陸軍病院から出ると、彼等は10分程歩いて、街中の食堂に入った。労働者達の朝食時間は遠に過ぎており、店の中は空いていた。まだ朝食を取っていなかった3人はそこで遅い朝ごはんを食べた。食べながら少佐がアスルに尋ねた。

「邪魔が入らずに話が出来る場所は近くにありますか?」

 アスルが頭の中のオルガ・グランデの地図を検索するような表情になった。テオは陸軍基地の大統領警護隊が使用する部屋はどうかなと提案しようかと思ったが、さっきの内部調査班も使う可能性があると気がついた。あの連中は敵ではないが、邪魔だ。
 アスルが思考の海から戻ってきた。

「空き家の街はどうですか? カルロが昔遊んでいたと言うスラムの一角です。」

 ケツァル少佐はその場所にあまり馴染みがない様だったが、その提案を採用した。
 食堂から出ると、近くのカフェから内部調査班が出て来るのが見えた。3人は彼等を無視して歩き出した。尾行されるかとテオは心配したが、あちらは再び病院の方角へ歩き去った。ひょっとすると、フレータ少尉を尋問するのかも知れない。
 空き家の街は、近いと言っても半時間以上歩かなければならなかった。少佐はタクシーを拾わなかったが、考えてみればスラム街に行ってくれるタクシーがあるだろうか。
 初めて大統領警護隊と関わった時、テオはオルガ・グランデのスラム街に少佐達と訪れたことがあった。山の斜面に掘建小屋の様な貧しい家々がびっしりと建て込んでいた。そこがカルロ・ステファンの故郷だと知ったのは、ずっと後のことだ。「空き家の街」と呼ばれる一角はそのびっしりと家が立ち並び、人々が日々の糧を厳しい労働で得て暮らしている活きた区画から少し外れていた。昔のスラムと言うより、昔の市街地の端っこだ。石造りの家が斜面に並んでいた。まだ住んでいる人もいるので、所々で洗濯物が干されていた。しかし大半の家は空き家だった。壁に落書きがあったり、ゴミが捨てられていた。怪しげな商売をしている人が怪しげな物を保管する倉庫になっている家もあった。
 3人は家の中には入らずに、更地になっている石のテラスの様な場所で腰を下ろした。少佐を挟んでテオとアスルが左右に座る体制だ。
 歩いて来たので、暫く3人は静かに座っているだけだった。休憩して、周囲に人がいないと確信出来る迄時間を掛けた。それから、少佐が言った。

「これから語るのは、キロス中佐が教えてくれた話です。私も話しながら整理していきますから、矛盾があれば指摘してもらって結構です。」

 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...