2022/02/12

第5部 山の街     4

 就寝したのが何時だったのか、テオは覚えていない。2人並んで天井を見上げながら、ラバル少尉とディンゴ・パジェの今後を考えたりしているうちに眠くなって寝てしまった。目が覚めた時はもう日が昇りかけていて、台所でケツァル少佐が豆を煮込む匂いが漂っていた。家の外に出て共同井戸で顔を洗っていると、アスルがやって来た。朝食の支度だ。

「自宅に帰った巡査の分は必要ないぞ。」

と言うと、アスルはわかっていると言いたげにチラリと見返しただけだった。
 朝食は大統領警護隊とゴンザレス家の2人で台所と居間の好きな場所で取った。ギャラガが気を利かせて夜勤の巡査へパンとコーヒーの差し入れを持って行った。

「さて、今日の予定ですが・・・」

 ロホが少佐にお伺いを立てるかの様に上官を見た。

「土曜日の軍事訓練は終了です。」

と少佐が宣言した。

「ロホとアンドレはアスクラカンで得た情報を本部の内部調査班に報告しなさい。向こうが越権行為だと言えば、私の命令でしたことだと言いなさい。事実ですから。」

 テオはロホがちょっと悲しそうな顔をしたことに気がついた。密かに恋路を楽しんでいた軍人と民間人の細やかな幸福が突然の上官の出現で壊されてしまったことへの、同情だろうか。 ギャラガの方は平然としていた。もしかするとサスコシ族の男に何か気に障ることを言われたので、同情する気にならないのかも知れない。
 ロホは上官の言葉に短く「承知」と答えた。そして少佐に、貴女は? と尋ねた。

「私はオルガ・グランデに戻ってもう一度キロス中佐に会って見ようと思います。」

 彼女が振り返ったので、テオは「俺も行く」と言った。彼女が頷いた。アスルが尋ねた。

「私はどうしましょうか?」
「貴方はサン・セレスト村へ行って、カルロにこれ迄にわかったことを伝えて下さい。彼は遊撃班から撤収命令が出る迄あの村から動けません。恐らく何が起きていたのか、内部調査班は遊撃班に教えないでしょうから、きっと彼はヤキモキして過ごしていることでしょう。」
「ガルソン大尉とパエス中尉に情報を与える必要はありませんね?」
「必然性はありません。彼等が庇ってきた上官が、極めて個人的感情でラバル少尉との間に問題を起こし、その結果自分が傷ついてしまったことを知れば、彼等はどうするでしょうか。」
「なんだか惨めです。」

とアスルが呟いた。

「彼等は自分達のキャリアに傷が付くことも辞さない覚悟で上官を庇って来たのに。」
「3年前バスの中で何が起きたのか、真相が解明される迄、太平洋警備室の2人には情報を与えない方が良いでしょう。司令部が真相解明前に彼等を更迭してしまう可能性もありますが、恐らく彼等にキロス中佐が明かす真相を本部が教えると思えません。」
「では、ステファン大尉に情報を伝えたら、グラダ・シティに帰還します。」

 少佐が立ち上がったので、男達も立ち上がった。敬礼を交わし、ロホとギャラガは外へ出て行った。ロホのビートルに彼等が乗り込む音が聞こえた。
 アスルが素早く動いて食事の後片付けを始めた。オルガ・グランデまで、昨夜使用したレンタカーで3人一緒に戻るのだ。テオは署へ行って、巡査達に挨拶した。

「いきなり押しかけて、すまなかった。」
「構わないよ、大統領警護隊と同じ屋根の下で仕事をしたなんて、末代までの自慢になる。」

 大袈裟だな、とテオは笑った。

「だけど、良い人達だったな。」

と別の巡査が言った。

「みんな親切だった。もっと怖い連中かと思っていたけど。」
「うん、テオが語っていた通りの気の良い人達だ。」
「大統領警護隊はセルバ国民を守っているんだ。悪いことさえしなければ、国民には優しいんだよ。」

とテオは言った。
 家に帰ると、ゴンザレスが居間の椅子に座って、困惑していた。大統領警護隊が台所で皿や鍋を洗ったり、寝室に掃除機をかけているのだ。田舎の警察署長はとても困っていた。ケツァル少佐がモップ掛けも必要ですかと訊いた時、彼は結構と即答した。

「それは倅の仕事だ。客にしてもらうことじゃない。」

 少佐が真面目に反論した。

「我々は客ではなく、業務でここを使用しました。撤収に際して掃除をするのは当たり前です。」
「しかし・・・」
「親父!」

 テオは声をかけた。

「この人達はいつもしていることをしているだけだ。口出しするなよ。」

 すると後ろでアスルが言わなくとも良いことを呟いた。

「そのうち少佐の家になる可能性もあるしな・・・」



第5部 山の街     3

  アントニオ・ゴンザレスの家は平家で、エル・ティティの庶民の普通の家屋だった。部屋の配置も単純で、入り口を入るとすぐに居間、その横に台所と食堂、奥に寝室がその家の家族の数や裕福度によっていくつか造られていた。ゴンザレスの家は寝室が2つ、夫婦と息子の部屋だったが、妻子を疫病で失った彼は、狭い方の息子の部屋だった寝室に移った。仕事を終えて帰宅すれば寝るだけだったから、広い方の夫婦の寝室は数年間空き部屋だった。物置代わりに使っていたが、若いテオを養子にした時、ガラクタを捨てて新しく息子になった男に譲った。
 テオにしても週末に帰るだけだから、広い部屋は勿体無いと言ったのだ。しかしゴンザレスは彼に使って欲しかった。

「この家はいつかお前に譲るんだ。今からでも早くない、主人の部屋を使え。」

 テオはゴンザレスにもまだ新しい恋をする機会があるのに、と思ったが、厚意を有り難く受けることにした。もしかすると、ゴンザレスは新しい恋人が出来たら、この家を出て行きたいのかも知れない。天に召された妻と息子の思い出を新しい女性と共有することは出来ないのだろう。いっそのこと他人である養子とその彼女に使ってもらった方が良い、と考えているに違いない。
 そう言う訳で、テオの寝室には、今、ケツァル少佐がいて、夫婦の為の幅があるベッドの両端に彼女と彼は座っていた。寝るにはまだ少し早い時間だが、ゴンザレス家にテレビはない。昔はあったが、故障して、そのまま修理もせずに放置して、今やアナログの地上波用テレビは使えない。

「何か手がかりでもあったかい?」

とテオは調べ物の成果を尋ねた。すると少佐は言った。

「何も出ませんでした。しかし、それが却って奇妙です。」
「奇妙?」

 少佐は携帯で何かを検索した。そして見つけた写真をテオに見せた。それは崖から転落して谷底に横たわるバスの画像だった。南米の山岳地帯で起きた事故だ。

「このバスは100メートルの高さから落ちて、潰れています。」
「うん、潰れているな・・・」
「乗客の半数が不幸にも亡くなりました。」
「半数?」
「47人中19人です。」
「ほぼ半数だな・・・」
「バスは焼けていません。生存者もいます。」

 テオは画面から視線を外して少佐を見た。少佐はまた別の画像を出した。それも別の国で起きたバスの転落事故だ。

「これも、死者が出ましたが、バスは焼けていません。」
「バスは転落しても焼けなかった?」
「ガソリンタンクに火が付けば燃えます。でも、火を出したバスでも、何もかもが焼けて残らないと言う事故はありませんでした。エル・ティティの事故は犠牲者全員が焼けていたでしょう?」

 テオは黙り込んだ。彼は火傷を負っていなかった。左大腿骨骨折と全身打撲、無数の挫創、それが救助された直後の彼の状態の記録だった。
 少佐が続けた。

「犠牲者の記録に目を通しました。身元が判明した人は、火傷を負っていなかった体の部分や歯形が判断材料になっています。骨折や大きな衝撃を受けて亡くなった人もいますが、37人全員が火傷を負っていました。おかしいでしょう? 車外に投げ出された人まで焼けていたなんて。」

 テオは身震いした。

「誰かが、バスの中の人間全員を焼き殺そうとしたのか?」

 少佐が空中を眺めながら囁いた。

「体に火が付いてパニックに陥った運転士が、ハンドルを切り損ねて、バスを崖から落としたのだと思います。バスが落ちて火が出たのではなく、火が先に出て、バスが落ちたのです。」

 テオは深呼吸した。息が苦しい。頭痛もした。いつの間にかケツァル少佐が隣に座り、彼の背中に手を当てていた。

「大丈夫ですか?」
「ああ・・・バスの中で起きたことを想像しただけだ。思い出した訳じゃない。」

 テオは顔を上げて彼女を見た。

「きっと俺はその場面を目撃している。ただ、何が起きているのか理解していなかったと思う。目の前で信じられない出来事が発生して、頭の中が真っ白になった筈だ。俺の脳はそれを認めるのを拒否したんだ。」
「貴方だけが焼けなかった。貴方は私達の”操心”が効きません。それを考えると、恐らく・・・」

 少佐が不意に語気を強めた。

「火をつけたのは一族の人間です。そしてあの時バスに乗っていた”シエロ”はカロリス・キロス中佐一人だけだった筈。」



2022/02/11

第5部 山の街     2

 アスルは別に手の込んだ料理を作った訳ではなかった。普段と同じように鶏肉と野菜を煮込み、米を蒸して、皿にそれらを盛り付け、付け合わせに彩が美しく見える様に野菜を置いただけだ。しかし、その彩が若い巡査達を感激させた。エル・ティティの街の飲食店でそんな盛り付けの食事を出す店は、デートの時ぐらいしか利用しない。彼等は交代で署長の家の狭い食堂で食事をしたので、その間テオとアスルはずっと給仕と皿洗いをしていた。

「この町で大勢で会食出来る場所と言ったら、教会か町の広場しかないんだ。」

とテオは言い訳した。アスルは別に給仕係が苦にならなかったので、その言い訳を無視した。彼は巡査と大統領警護隊が食べ終えてやっと2人の順が回って来た時に言った。

「あんたは、俺がバス事故が起きた時間に跳んで、実際に起きたことを見ないのかと思っているんじゃないか?」 

 テオは皿から顔を上げた。ちょっとびっくりした。本当に彼はそう考えたこともあったのだ。しかし、すぐにそれは無理だと気がついたので、自分の中で却下した。

「俺が少佐とカルロと”星の鯨”の聖地に行った時・・・」

 アスルが彼を見つめた。

「グリュイエ少尉が少佐とカルロの前に現れた話を聞いただろ?」
「ああ・・・」

 グリュイエ少尉は、アスルの後輩だった。アスルに憧れて文化保護担当部に配属されることを望み、その希望が叶った日に、グラダ・シティでバス事故に遭って亡くなった。テオはカルロ・ステファン暗殺計画を解明する為に、ケツァル少佐とステファン、ロホと共にオルガ・グランデの地下深くにある”暗がりの神殿”へ下りて、そこから偶然”ヴェルデ・シエロ”の英雄達が亡くなってから集まる聖なる場所に行き着いた。そこで少佐とステファンはグリュイエ少尉の霊と遭遇したのだ。
 少尉の亡くなり方を少佐から聞かされた時、テオは其れ迄何故アスルが彼に対して毛嫌いする態度をとっていたのか理由がわかった気がした。

「君が彼を救おうと彼の最期の瞬間に跳んだ話を少佐から聞いたんだ。君は彼を救えなかった。」
「あいつは自分が助かる為にバスの残骸を吹き飛ばしたら、救助の為に集まりつつあった市民を巻き添えにするとわかっていた・・・」
「もし君がエル・ティティのバス事故の現場に跳んだら、また君を苦しめると思ったんだ。」

 アスルは「けっ」と言った。それっきりその話題は出なかった。もし過去に跳んで当時の人を救助したら歴史が変わる。それは絶対にしてはならないことだとオクターリャ族の掟で定められている。きっと規則以上の恐ろしい時間の法則か何かがあるのだ、とテオは予想していた。

「キロス中佐の記憶に事故の瞬間がない。アスクラカンのサスコシの男はバスが事故に遭う場面を見ていない。俺にも記憶がない。また調査のやり直しだ。中佐が異常な状態になった原因はわかった。だけど、中佐がバスに乗ったのなら、絶対に何かが起きたんだ。」

 アスルが何かを考えながら、ゆっくりと言った。

「あの事故のニュースを聞いた時、俺達はロザナ・ロハスを追っていた。あの女が強い呪いの力を持ったネズミの神像を持っていると思い込んでいた。だから、バス事故は、ネズミの神様が呪いの力を発揮させたのだと思った。」
「うん。それで少佐がここの警察署に来て、初めて俺は彼女と出会ったんだ。結局ネズミはその時既にアンゲルス社長の寝室に置かれていたが。」
「つまり、ネズミはバス事故とは関係がなかった。」
「関係があるとしたら、脳にダメージを受けて朦朧としたキロス中佐しか考えられない。」
「だが、俺達にはテレポーテーションとか、バスから飛び出して無傷で助かるなんてことは出来ない。」
「人間だもんな。」
「スィ。それに脳にダメージを受けた者がそんな急場で脱出出来る可能性もない。」

 その時、家の入り口のドアが開く音がしたので、テオとアスルは口を閉じた。一番最後に食事を取る為に、ゴンザレス署長が勤務を終えて帰って来たのだ。テオよりも早くアスルが席を立ち、署長の食事を用意した。普段から上官の世話をしているので慣れている。台所のテーブルの前に座ったゴンザレスは、目の前に置かれた皿を見て目を細めた。

「若い連中が、店の飯より美味かったと褒めていたが、実に良い匂いだ。評判は本物だな。」

 アスルは照れ臭かったので黙っていた。彼等は再び食事を再開した。

「それはそうと・・・」

とゴンザレスがアスルを見た。

「貴方達はどこで寝るんだ? 大尉が寝袋を持参していると言っていたが、少佐は女性だ。床に寝かせる訳にいかない。」
「お構いなく。我々は慣れている。」
「いや、大統領警護隊を床に寝かせたなんて知ったら、州警察の偉いさんが煩い。と言っても、この町の宿屋は1軒しかないし、グラダ・シティから来た人が泊まれる様な部屋じゃない・・・」

 ジャングルの木の上でも平気な大統領警護隊はゴンザレスの心配を無用だと思っているので、アスルはテオを見た。署長に心配するなと言え、と目で訴えてきた。ゴンザレスはケツァル少佐がお金持ちのお嬢様だと知っているから心配しているのだ、とテオは思い当たった。だから彼は養父を宥めた。

「少佐は女性だけど、ジャングルの野営や砂漠での野宿に慣れているんだ。軍隊にいたら、どんな状況でも眠れる訓練を受けるんだよ。だから親父が気に病む必要はないんだ。」
「しかし、都会と違って、ここは山の町だ。夜中は冷えるぞ。」

 するとアスルが妥協案を思いついた。

「署長、貴方の警察署には、監房はいくつある?」
「3房だが・・・」

 答えてゴンザレスが彼の質問の意図を悟った。

「監房で寝るのか?」
「寝台はあるだろ?」
「あるが・・・」
「そこに男は寝袋を置いて寝る。少佐は・・・」

 アスルがテオを見た。ゴンザレスもテオを見た。テオはドキッとした。

2022/02/10

第5部 山の街     1

  エル・ティティ警察の署長アントニオ・ゴンザレスは署に集結した”ヴェルデ・シエロ”達にコーヒーを出すと、当惑した面持ちで養子のテオドール・アルスト・ゴンザレスを見た。4人の若い巡査達も心なしか部屋の隅に集まって大統領警護隊を眺めている様な雰囲気だ。尤も彼等は実際のところ彼等の机の前に座っていただけだ。彼等の気分が萎縮しているのだ。テオは警察官達に申し訳ない気持ちだった。しかしケツァル少佐以下、ロホ、アスル、そしてギャラガは、警察官達の気分を推し測ることもなく、3年前のバス事故の調査資料と引き取り手がない犠牲者の遺品やバスの残骸を署の資料室で調べていた。長閑な田舎町で発生した大事故だったので、当時の資料は多かった。エル・ティティ警察は事故原因の調査や、犠牲者の身元確認の為によく働いたのだ。テオの身元調査の記録もあった。

「デジタル化していればグラダ・シティでも閲覧出来たのにな。」

とテオが言うと、ギャラガが小さな声でいった。

「本部もこんな様なものです。」

 書類仕事が苦手なアスルは、時計を見た。彼等は午後になってから、オルガ・グランデとアスクラカンをそれぞれ発ち、エル・ティティで合流したのだ。そろそろ夕食を作る頃だ、とアスルは思った。それでテオに声を掛けた。

「ここの連中は晩飯をどうするんだ?」
「夜勤当番以外は自宅に帰って食べるんだ。」

 アスルは少佐をチラリと見た。ケツァル少佐は部下の心の動きを敏感に察した。彼女は資料を捲りながら言った。

「きちんと署長の許可を得てからになさい。」

 アスルは敬礼すると、資料室を出た。テオは急いで彼を追った。
 ゴンザレスの机の前に立ったアスルは署長に敬礼してから用件を述べた。

「貴官の家の厨房をお借りしたい。」

 ゴンザレスが巡査から提出された報告書から顔を上げた。大統領警護隊の中尉の言葉の意味がすぐに理解出来なかったのだ。するとテオが後ろから「通訳」した。

「彼が家の台所を使って晩飯を作りたいと言ってるんだ。」
「・・・中尉が?」

と言ったのは、一番古参の巡査だ。ちょっと驚いていた。大統領警護隊と言えばセルバ共和国の軍隊の中で最もエリートだ。それが料理をしたいと言っている。テオが説明した。

「彼は料理が得意なんだ。俺のグラダ・シティの家に下宿しているんだ。家賃を安くする代わりに、手が空いている時に食事の支度をしてくれるんだが、凄く腕が良い料理人だ。」

 すると独身の巡査達の目が輝いた。テオは署長を見た。ゴンザレスが当惑して言った。

「家の台所は大人数の料理を作れる様な設備じゃないぞ。」
「心配無用。」

とアスルが言った。

「野営で慣れている。」

 流石に軍人だ、と巡査達が囁き合った。テオはゴンザレスに期待感を込めて視線を送った。ゴンザレスが頷いた。

「メルカドが閉まる前に買い物をしなきゃいかんぞ。それに誰が食材の金を払うんだ?」

 資料室の戸口にケツァル少佐が姿を現した。彼女がアスルに財布を投げ渡したので、ゴンザレスもテオに紙幣を数枚差し出した。

「うちの若いもんの分だ。お前も一緒に買い物に行って来い。」

 


第5部 山へ向かう街     21

 「大統領警護隊に私達の仲を知られてしまった以上、ホセは不名誉除隊になるのでしょうね?」

とディンゴ・パジェが心配した。ロホはホセ・ラバル少尉がキロス中佐の暗殺を図った上に同僚2人も負傷させ、逮捕されたことを彼に伝えなかった。上官暗殺未遂は反逆罪だ。司令部がキロス中佐の言い分を聞いて、どう判断するのかわからないが、無罪になることは絶対にない。
 ディンゴ・パジェは音信がふっつりと途絶えた恋人の安否を気遣いながら、これから生きていくのだろう。大統領警護隊は身内の不祥事を決して世間に公表しないのだ。

「貴方も人間を気の爆裂で負傷させたのだ。今まで貴方の親が隠していたことが、今我々の知るところとなった。貴方は恋人のことより貴方自身のことを心配する必要がある。」

とロホは言った。
 ディンゴが真っ青な顔になって彼を見た。

「私を逮捕なさるのですか?」
「そうしたいが・・・」

 ロホは肩をすくめた。

「今日は非公式の任務で来ている。貴方の証言を大統領警護隊に報告するが、貴方の処遇を決めるのは上層部だ。」
「では、私は・・・」
「悪いことは言わない。今日これからでもサスコシ族の長老に貴方がしたことを打ち明けろ。もし少しでも貴方の言い分が通るとしたら、それは長老の裁決次第だ。」
「私を庇った父も同罪なのですか?」
「それも長老の考え次第だ。あなた方が日頃はどんな振る舞いをして生きているのか、私は知らない。長老達が貴方と貴方の家族に対してどんな心象を抱いているかも知らない。しかし、隠したり、逃げたりすれば、確実に彼等を怒らせる。」

 それは、”砂の民”に追われることを意味した。
 純血至上主義者の家系に生まれ育ったディンゴ・パジェは、ミックスのギャラガをチラリと見た。長老会は”出来損ない”も一族と認めている。”出来損ない”に対して数々の酷い仕打ちをする人々として認識されている純血至上主義者達は長老会にもいるが、少数派だ。

「私は・・・異端だが、”出来損ない”を虐げたことはない。」

とディンゴは囁いた。ギャラガは聞かなかったふりをした。”出来損ない”と言う言葉を使うこと自体が差別だ。

「時間をとらせて悪かった。」

とロホが言った。そしてギャラガを促し、アパートから出た。
 2人で市街地の中心部に向かって歩いて行った。まだ日が高かったが、なんだか疲れた。

「腹が減ったな。」

とロホが呟いた。ギャラガが頷いた。

「どこかで爽やかなピアノ演奏を聞きながら食事が出来れば良いですがね・・・」


第5部 山へ向かう街     20

 「大統領警護隊の中佐は、私の気の爆裂で酷い損傷を頭部に負った筈です。しかし、私の家族には指導師がいませんでした。」

 ディンゴ・パジェは「あの日」の話をボソボソと話し始めた。”心話”を使えば一瞬で済むが、知られたくない個人的感情も全て伝わってしまう。彼はそれを恐れたのだ。

「中佐は何か焦っていた様で、まだ動ける状態でないにも関わらず、任務があるからと言って父の家を出て行きました。父は彼女を心配して私に彼女を連れ戻すよう言いつけました。私は彼女にしたことを後悔していたので、彼女を探し、バスターミナルで彼女を見つけました。彼女に謝罪して父の家に戻るよう説得しましたが、彼女は私の言葉に耳を貸そうとしませんでした。それどころか、あることを私に持ちかけてきました。」

 ディンゴ・パジェはロホに視線を向けた。それは救いを求める様な切ない眼差しだった。

「ホセと私の仲を父に黙っていてやるから、数分前にターミナルを出て行ったバスを一緒に追いかけてくれとと言うものでした。」

 ロホとギャラガは再び顔を見合わせた。キロス中佐が追いかけようとしたバスは、例の事故に遭遇したバスではないのか。テオドール・アルストが乗っていた運命のバスだ。
 ディンゴは続けた。

「私は自分の車に中佐を乗せて、バスの後を追いかけました。運転しながら、あのバスに何があるのかと彼女に訊きましたが、彼女はただ同じ言葉を繰り返すだけでした。止めなければ、と。」

 止めなければ・・・。 キロス中佐はバスを止めたかった。バスに誰かが乗っていたのだ。ギャラガが尋ねた。

「ホセ・ラバル少尉がそのバスに乗っていたと言うことはないのか?」
「ノ。 ホセは”通路”を使ってオルガ・グランデ近くの農村へ出て、それから実家経由で職場へ帰ると言っていました。彼はカイナとマスケゴのハーフですが、”入り口”を見つけるのはブーカ並に得意なのです。ですから、バスに彼が乗った可能性はありません。」
「キロス中佐はバスに誰が乗っているのか、全く言わなかったのだな?」
「一度も。」

 ディンゴは身を震わせた。

「バスはエル・ティティで一度停車しました。ですから、私の車はその時、追い付けたのです。中佐は私の車から降りて、バスに乗り換えました。」

 え? とロホとギャラガは驚いた。キロス中佐がバスに乗った? では、あのバスの乗客は38人ではなく、39人だったのか? 運転手と36人の乗客が死に、テオドール・アルスト1人だけが生き残った事故の生存者がもう一人いたのか?

 ディンゴが申し訳なさそうに言った。

「私が話せるのはそこ迄です。中佐がバスに乗って去ったので、私はアスクラカンに戻ったのです。そして怪我人を見つけられなかったと父に伝えました。父は私に”心話”を要求しました。恐らく、私は挙動不審だったのでしょう。そして中佐の怪我が気の爆裂によるものであると知っていた父は、私が絡んでいると睨んだのです。父は真実を知り、私の行為を大変恥に感じました。私は実家を追い出され、ここに住んでいます。」
「ホセ・ラバルはその後、貴方を訪ねて来たか?」

 ディンゴは少し躊躇い、小さな声で言った。

「あれ以来、彼がアスクラカンへ来ることはありません。私達はオルガ・グランデの廃坑で時々出会うだけです。」

 2人の仲はまだ続いていたのだ。
 ロホは更に確認した。

「エル・ティティのバス事故は知っているな?」
「スィ。」
「中佐が乗ったバスか?」
「スィ。あの時、中佐は死んだと思いました。不謹慎ですが、もうホセとの仲を邪魔されないと安堵しました。」
「しかし彼女は生きていた。」
「スィ。ホセに教えられ、仰天しました。一族の人間でも、あんな事故から一瞬で逃れられる人などいません。ましてや、脳に気の爆裂を食らった人間が、逃げられる筈がない・・・」

 ロホとギャラガは考え込んだ。アスクラカンを出てオルガ・グランデを目指したバスに何が起きたのか、バスに乗り込んだキロス中佐はどうやって助かったのか。

 

第5部 山へ向かう街     19

 アスクラカンのサスコシ族ディンゴ・パジェは父親が築いた家族の集落を出て、市街地のアパートで独り住まいをしていた。パジェ家は旧家だし、族長アラゴの話では裕福な家庭だと聞いていたが、ディンゴのアパートはセルバの平均的な収入がある一般的な住宅だった。入り口に守衛はおらず、バルコニーも狭い。エレベーターはなく階段で2階へ上がった。途中すれ違った女性はロホとギャラガに陽気な声で「オーラ!」と声をかけてくれた。
 ディンゴの部屋のドア横に呼び鈴のボタンが付いていたので、ロホは押してみた。中でジージーと音が鳴った。そして1分も経たぬうちにドアが開いた。30代後半と思える男が顔を出した。ロホは素早く緑の鳥の徽章を提示した。

「大統領警護隊、マルティネス大尉と・・・」

 彼は後ろを振り返って、部下を紹介した。

「ギャラガ少尉だ。ディンゴ・パジェは貴方か?」

 ディンゴがギョッとした様に目を大きく開いた。

「ロス・パハロス・ヴェルデス?  何の用です?」

 ロホは相手の気の大きさを推測った。ディンゴは気を抑制しているが、指導師であるロホは相手の能力の大きさが大体わかる。これは大事なことだ。相手がもし攻撃してきたら、防御に用いる力の加減を瞬時に設定しなければならない。小さければやられるし、大きければ跳ね返した相手の力が逆に相手自身を傷つけてしまう。
 ロホは慎重に言った。

「3年前の今頃にエル・ティティでバス事故があった。貴方がその事故の前日に他所から来た人と問題を起こしたと聞いた。その相手の人を覚えているか?」

 ディンゴは礼儀としてロホの目を見なかった。しかしロホの後ろに立っている赤毛で肌が白い大統領警護隊の隊員をぼんやりと眺めた。

「3年前に私が他所者と問題を起こしたと、誰が貴方に言ったのです?」

と彼が尋ねた。ロホは当然ながらその質問に答えなかった。

「こちらの質問に答えてもらいたい。これは公務である。」

 非公式だが、と後ろで控えているギャラガは心の中で呟いた。通常ロホ先輩は初対面の人に対して丁寧な言葉遣いで話しかける。しかし、ディンゴ・パジェに対して彼は上から目線で話していた。ギャラガはちょっと戸惑ったが、すぐにこれは純血至上主義者と言われるパジェ家の人間を牽制しているのだと気がついた。ディンゴに言っているが、ギャラガにも己と同じ様に話せよと教えているのだった。さもないと相手に舐められるぞ、と。
 大統領警護隊に嘘や誤魔化しを言うと、後でそれがバレた時に酷い目に遭う、と言うのが”ヴェルデ・シエロ”の常識だ。これは”ティエラ”達が彼等を恐れるのとはちょっと違う。”ティエラ”は大統領警護隊が古代の神々と話が出来ると信じているから、彼等が恐れるのは神罰だ。だが”ヴェルデ・シエロ”は、”ティエラ”が警察を厄介な相手と見做すのと同様のレベルで考えているだけだ。捕まって”曙のピラミッド”の地下神殿で審判を受けたくない。有罪判決が万が一にも出た日には、生きて家族の元へ帰れないかも知れない。
 ディンゴ・パジェは溜め息をついた。 彼は2人の大統領警護隊隊員を室内に招き入れた。狭い居間の椅子に向かい合って座ると、彼はロホの質問に答えた。

「軍服を着た小母さんだった。貴方の上官になる地位です。」
「名前を知っているか?」
「私のホセは、中佐と呼んでいました。」

 私のホセ? ロホは相手をまじまじと見た。ギャラガも思わず体を動かしてディンゴを見た。ディンゴ・パジェは彼等を真っ直ぐに見た。

「私は家族から異端者として追放されました。私が愛した人が軍人で男性だったからです。」
「その・・・ホセと言う人は・・・」

とギャラガが思わず口を出した。上官の許可なく発言するのは規則違反だが、ロホは咎めなかった。文化保護担当部はこの手の違反に対して緩いのだ。ケツァル少佐でさえ睨みつけるだけで、後から非難したり叱ったりしない。

「ホセさんが軍人なのだな?」

とギャラガが精一杯上から目線で喋った。相手は彼よりもロホよりも年上だ。しかし緑の鳥の威光が許される範囲で胸を張って振る舞わなければならない。
 ディンゴが小さく頷いた。

「大統領警護隊の少尉です。彼と私が会っているところを、上官の中佐に見られたのです。」

 当然、少尉の隊律違反を中佐は責めたのだ。セルバ共和国の軍隊は陸空、憲兵隊、そして大統領警護隊も同性愛を未だに認めていない。

「中佐は貴方ではなく少尉を咎めた。貴方は民間人だから、部下だけを責めた。そうだな?」

とロホが確認し、ディンゴは「スィ」と認めた。

「しかし、私は彼女の言葉に腹が立った。規則を守らせるだけなら、一言ホセに持ち場へ帰れと言えば済むことだ。私と会うなと言えば良い。しかし、彼女はそれ以上のことを言ったのです。ホセを侮辱したのです。彼が出世出来ないのはその・・・」

 ロホが片手を上げて遮った。

「それ以上言わなくても、結構。彼女は貴方と彼氏を誹謗中傷し、貴方達はそれに激昂した。そう言うことだな?」
「スィ。私は彼女に口を閉じて欲しかった。だから、夢中で・・・」

 ディンゴは両手で顔を覆った。

「気の爆裂で人間を襲うのは大罪です。私は殺人未遂を犯しました。気がついたら、中佐が倒れていて、ホセが彼女の息を確認していました。そして言いました。彼女はまだ生きている、自分がやったことにするから、君は逃げろ、と。後の咎めは全部自分が引き受ける、と。」
「ホセとは、太平洋警備室のホセ・ラバル少尉のことだな?」
「スィ。」

 ロホとギャラガはチラリと視線を交わした。

ーーラバルが今回の爆発事件の犯人でしたね?
ーーそうだ。彼は3年間中佐のそばで何を考えていたんだろうな。

 ロホはディンゴに向き直った。

「貴方は言われるがままに逃げたのか?」
「御免なさい・・・恐ろしくて、夢中で家に逃げ帰りました。しかし、その夜、父がその中佐を自宅に保護したのです。それを私が知ったのは翌日でした。その時既にホセは帰ってしまっていました。」

 ラバルは倒れた上官を見捨てて帰ったのか? ロホは呆れた。 ラバルの同僚のガルソン大尉と2人の他の部下達は自分達が咎めを受けるのを覚悟で中佐の異変を本部に隠し続けたと言うのに。
 ディンゴ・パジェの告白はさらに続いた。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...