2022/02/12

第5部 山の街     6

  食堂を出て陸軍病院の前に来ると、病院の敷地内に搬送用のバンが駐車しているのが見えた。バンの前後にジープが1台ずついるのを見て、ケツァル少佐が「先を越された」と呟いた。

「内務調査班か?」
「恐らく、キロス中佐を陸軍基地に運んで、そこから空軍機でグラダ・シティに護送するのです。」
「事情聴取は終わったのかな?」
「多分、私が得たのと同程度の情報を中佐は伝えたでしょう。内部調査班は馬鹿ではありません。中佐がまだ何か隠していると考え、本部で尋問するのです。司令部は指導師の集団ですから、どんなに中佐が頑固に情報を隠しても打破されてしまいます。」
「ダメージを受けて記憶が曖昧になっていた時間のものも、引き出されるのか?」
「脳のどこかに記憶が残っていれば全て・・・心を盗まれるのと同じ状態です。」

 司令部はキロス中佐から真相を引き出せるだろう。しかしテオに、3年前バスの中で何が起きたか教えてくれない。
 テオはやるせない気分になった。自分が真相を知らなければ37人の犠牲者が浮かばれない、そんな気持ちだった。

「司令部は君にも教えてくれないのか?」
「私は完全な部外者ですから。」

 少佐も悔しそうだ。

「俺は部外者じゃない。3年前、何が起きたか知りたいんだ。」

 テオは歩き出した。病院の門をくぐった。少佐が黙ってついて来た。行くなとは言わない。病院は面会を受け付ける時間帯だった。ジープと搬送車の横を通り、正面入り口から建物の中に入った。車のそばには警護の兵士が立っていた。
 内部は普通の病院と変わらない。面会に来た家族や友人達とソファに座って話をしている入院患者や、面会者に付き添われて散歩をしている患者、スタッフと話をしている面会者。
 エレベーターの扉が開いて、ストレッチャーに乗せられた患者が兵士に囲まれて出て来た。看護士が点滴の装備を支えてくっついていた。包帯に包まれたキロス中佐の顔ははっきりと見えなかった。思わず近づこうとしたテオの腕を、少佐が後ろから掴んで引き止めた。

「中佐は麻酔で眠っています。」

と彼女が囁いた。

「一族の人間を護送する時の常識です。」

 キロス中佐は危険人物と見做されている。ダメージを受けて3年間夢と現を行き来していた彼女の精神状態を司令部は信用していない。
 ストレッチャーの後ろから内部調査班の2人が現れた。調査班の少佐がテオとケツァル少佐に気がついて顔を向けた。ケツァル少佐が彼に視線を合わせた。
 ストレッチャーと兵士達と内部調査班は外へ出て行った。
 グッと彼等を睨みつけたテオに、後ろから少佐が囁いた。

「内部調査班に、貴方がバス事故の生き残りで、事故原因の真相を知る権利がある、と伝えておきました。」
「向こうは何て?」
「上層部に伝えておく、と。」

 テオはアスルの十八番の「けっ」と言いたくなった。
 少佐はエレベーターを見た。

「フレータ少尉はまだここにいるようですね。」
「彼女は本部が知りたがるような情報を持っていないからだろう。」
「もう一度彼女に会ってみませんか?」

 彼女は既に階段に向かって歩き始めていた。テオは搬送車にストレッチャーが乗せられるのを見ていたので、気がつくと既に彼女は階段を上りかけていた。急いで追いかけた。

「フレータに今更何を訊くんだ?」
「何も得ることはないかも知れませんが、彼女はカルロが着任する迄、中佐とラバルと3人で毎日食事をしていたのでしょう?」

 あっとテオは思った。どうして今迄それを思い出さなかったのだろう。フレータ少尉はキロス中佐とラバル少尉の関係を知っていたのかも知れないのだ。

 


第5部 山の街     5

  余計なことを言った罰として、アスルはオルガ・グランデまでの運転を任された。テオはゴンザレスとハグし合って別れを告げ、再び西に向かった。途中で事故現場を通過した。昨夜は暗くなりかけていたので、気づかずに通り過ぎてしまったことを、彼はちょっぴり恥ずかしく思った。車内で犠牲者達に祈りを捧げた。こんな時だけクリスチャンになるのもどうかとは思うが、祈ることしか彼等にしてやれない。一人だけ生き残ったことに罪悪感を抱いた時期もあったのだ。身元が判明してアメリカに連れ戻された時だ。記憶を失う前の己がどれだけ我儘で身勝手で他者への思いやりの欠片もない人間だったと知った時だ。何故一人だけ死ななかったのかと苦しんだこともあった。だが、今は違う。事故の真相を明らかにする為に生き残ったのだ。彼はそう信じていた。
 軍隊流と言うか、”ヴェルデ・シエロ”流と言うべきか、アスルは山間部の細い道路をぶっ飛ばして昼前にオルガ・グランデに到着した。陸軍病院の近くでテオとケツァル少佐は車を降りた。2人を降ろすと、アスルはそのままサン・セレスト村に向かって走り去った。昼食はどうするのだろうとテオはちょっと心配した。市街地を出ると飲食店はほとんど見当たらないのだ。
 ケツァル少佐はそんな心配を全然していなくて、昨日昼食を取った店に入って、再びお昼ご飯を食べた。内部調査班はもうキロス中佐から事情聴取をしただろうか。ラバル少尉の同性の恋人を見て逆上した中佐の、個人的な動機で始まった事件を、彼等はどう処理するのだろうか。

「正直なところ、ちょっと失望している。」

とテオは言った。少佐が黙って彼を見た。

「不謹慎な考えだが、バス事故の原因が一人の女性の嫉妬心だったと言う話に収まりそうだから。国家的な陰謀があって、それを阻止する為に中佐が起こした事故だったなら、犠牲者も少しは浮かばれるんじゃないかと思ってしまったんだ。」
「確かに中佐は嫉妬心からラバル少尉と口論になり、彼の恋人から気の爆裂を浴びせられました。そして正常な判断を下せない状態で、鉱山労働者の血液を外国に売却した医師を追いかけました。バスの中で何が起きたのかはわかりませんが、少なくとも痴話喧嘩ではなかった筈です。」

 テオは何気なく店の厨房の方を見た。コックが羊の肉を焼く匂いが漂っていた。

「もしかすると、中佐はバルセル医師に労働者の名簿を渡せと迫って拒まれたんじゃないかな。医者にすれば突然バスに乗り込んで来た軍人の女に大事な商売道具を渡したくなかったろうさ。或いは、名簿なんて持っていなかったかも知れない。医者が名簿を持ってアスクラカンに行ったと言うのは、アンゲルス社長から中佐が引き出した情報だろ? バルセルは名簿を自宅に置いて出かけたのかも知れないじゃないか。兎に角、中佐は名簿を手に入れることが出来なかった。」

 カウンター越しに、コンロの炎が一瞬高く上がるのが見えた。羊の脂が滴り落ちたのだ。

「キロス中佐は朦朧とした頭で思ったんじゃないか? 名簿を渡してもらえないのなら、ここで焼き払ってしまおう、と。」

 少佐が彼の想像に驚いて口を開けた。そして小さく頷いた。

「彼女は焼いてしまったのですね、名簿ではなく、バルセルと乗客達を・・・」
「そして運転士までも・・・”ヴェルデ・シエロ”が含まれているかも知れない名簿を外国に渡すぐらいなら、バスの乗員乗客を皆殺しにしてでも阻止しようと彼女は思ったに違いない。」
「そして一族の力が及ばない貴方だけが燃えなかった・・・」
「おかしな話だが、それしか思いつかない。」

 いきなり少佐が皿の上の食べ物を口に忙しく運び出した。さっさと食べて、さっさとキロス中佐に会おうと言うことだ。テオも慌ててフォークを持ち直した。

第5部 山の街     4

 就寝したのが何時だったのか、テオは覚えていない。2人並んで天井を見上げながら、ラバル少尉とディンゴ・パジェの今後を考えたりしているうちに眠くなって寝てしまった。目が覚めた時はもう日が昇りかけていて、台所でケツァル少佐が豆を煮込む匂いが漂っていた。家の外に出て共同井戸で顔を洗っていると、アスルがやって来た。朝食の支度だ。

「自宅に帰った巡査の分は必要ないぞ。」

と言うと、アスルはわかっていると言いたげにチラリと見返しただけだった。
 朝食は大統領警護隊とゴンザレス家の2人で台所と居間の好きな場所で取った。ギャラガが気を利かせて夜勤の巡査へパンとコーヒーの差し入れを持って行った。

「さて、今日の予定ですが・・・」

 ロホが少佐にお伺いを立てるかの様に上官を見た。

「土曜日の軍事訓練は終了です。」

と少佐が宣言した。

「ロホとアンドレはアスクラカンで得た情報を本部の内部調査班に報告しなさい。向こうが越権行為だと言えば、私の命令でしたことだと言いなさい。事実ですから。」

 テオはロホがちょっと悲しそうな顔をしたことに気がついた。密かに恋路を楽しんでいた軍人と民間人の細やかな幸福が突然の上官の出現で壊されてしまったことへの、同情だろうか。 ギャラガの方は平然としていた。もしかするとサスコシ族の男に何か気に障ることを言われたので、同情する気にならないのかも知れない。
 ロホは上官の言葉に短く「承知」と答えた。そして少佐に、貴女は? と尋ねた。

「私はオルガ・グランデに戻ってもう一度キロス中佐に会って見ようと思います。」

 彼女が振り返ったので、テオは「俺も行く」と言った。彼女が頷いた。アスルが尋ねた。

「私はどうしましょうか?」
「貴方はサン・セレスト村へ行って、カルロにこれ迄にわかったことを伝えて下さい。彼は遊撃班から撤収命令が出る迄あの村から動けません。恐らく何が起きていたのか、内部調査班は遊撃班に教えないでしょうから、きっと彼はヤキモキして過ごしていることでしょう。」
「ガルソン大尉とパエス中尉に情報を与える必要はありませんね?」
「必然性はありません。彼等が庇ってきた上官が、極めて個人的感情でラバル少尉との間に問題を起こし、その結果自分が傷ついてしまったことを知れば、彼等はどうするでしょうか。」
「なんだか惨めです。」

とアスルが呟いた。

「彼等は自分達のキャリアに傷が付くことも辞さない覚悟で上官を庇って来たのに。」
「3年前バスの中で何が起きたのか、真相が解明される迄、太平洋警備室の2人には情報を与えない方が良いでしょう。司令部が真相解明前に彼等を更迭してしまう可能性もありますが、恐らく彼等にキロス中佐が明かす真相を本部が教えると思えません。」
「では、ステファン大尉に情報を伝えたら、グラダ・シティに帰還します。」

 少佐が立ち上がったので、男達も立ち上がった。敬礼を交わし、ロホとギャラガは外へ出て行った。ロホのビートルに彼等が乗り込む音が聞こえた。
 アスルが素早く動いて食事の後片付けを始めた。オルガ・グランデまで、昨夜使用したレンタカーで3人一緒に戻るのだ。テオは署へ行って、巡査達に挨拶した。

「いきなり押しかけて、すまなかった。」
「構わないよ、大統領警護隊と同じ屋根の下で仕事をしたなんて、末代までの自慢になる。」

 大袈裟だな、とテオは笑った。

「だけど、良い人達だったな。」

と別の巡査が言った。

「みんな親切だった。もっと怖い連中かと思っていたけど。」
「うん、テオが語っていた通りの気の良い人達だ。」
「大統領警護隊はセルバ国民を守っているんだ。悪いことさえしなければ、国民には優しいんだよ。」

とテオは言った。
 家に帰ると、ゴンザレスが居間の椅子に座って、困惑していた。大統領警護隊が台所で皿や鍋を洗ったり、寝室に掃除機をかけているのだ。田舎の警察署長はとても困っていた。ケツァル少佐がモップ掛けも必要ですかと訊いた時、彼は結構と即答した。

「それは倅の仕事だ。客にしてもらうことじゃない。」

 少佐が真面目に反論した。

「我々は客ではなく、業務でここを使用しました。撤収に際して掃除をするのは当たり前です。」
「しかし・・・」
「親父!」

 テオは声をかけた。

「この人達はいつもしていることをしているだけだ。口出しするなよ。」

 すると後ろでアスルが言わなくとも良いことを呟いた。

「そのうち少佐の家になる可能性もあるしな・・・」



第5部 山の街     3

  アントニオ・ゴンザレスの家は平家で、エル・ティティの庶民の普通の家屋だった。部屋の配置も単純で、入り口を入るとすぐに居間、その横に台所と食堂、奥に寝室がその家の家族の数や裕福度によっていくつか造られていた。ゴンザレスの家は寝室が2つ、夫婦と息子の部屋だったが、妻子を疫病で失った彼は、狭い方の息子の部屋だった寝室に移った。仕事を終えて帰宅すれば寝るだけだったから、広い方の夫婦の寝室は数年間空き部屋だった。物置代わりに使っていたが、若いテオを養子にした時、ガラクタを捨てて新しく息子になった男に譲った。
 テオにしても週末に帰るだけだから、広い部屋は勿体無いと言ったのだ。しかしゴンザレスは彼に使って欲しかった。

「この家はいつかお前に譲るんだ。今からでも早くない、主人の部屋を使え。」

 テオはゴンザレスにもまだ新しい恋をする機会があるのに、と思ったが、厚意を有り難く受けることにした。もしかすると、ゴンザレスは新しい恋人が出来たら、この家を出て行きたいのかも知れない。天に召された妻と息子の思い出を新しい女性と共有することは出来ないのだろう。いっそのこと他人である養子とその彼女に使ってもらった方が良い、と考えているに違いない。
 そう言う訳で、テオの寝室には、今、ケツァル少佐がいて、夫婦の為の幅があるベッドの両端に彼女と彼は座っていた。寝るにはまだ少し早い時間だが、ゴンザレス家にテレビはない。昔はあったが、故障して、そのまま修理もせずに放置して、今やアナログの地上波用テレビは使えない。

「何か手がかりでもあったかい?」

とテオは調べ物の成果を尋ねた。すると少佐は言った。

「何も出ませんでした。しかし、それが却って奇妙です。」
「奇妙?」

 少佐は携帯で何かを検索した。そして見つけた写真をテオに見せた。それは崖から転落して谷底に横たわるバスの画像だった。南米の山岳地帯で起きた事故だ。

「このバスは100メートルの高さから落ちて、潰れています。」
「うん、潰れているな・・・」
「乗客の半数が不幸にも亡くなりました。」
「半数?」
「47人中19人です。」
「ほぼ半数だな・・・」
「バスは焼けていません。生存者もいます。」

 テオは画面から視線を外して少佐を見た。少佐はまた別の画像を出した。それも別の国で起きたバスの転落事故だ。

「これも、死者が出ましたが、バスは焼けていません。」
「バスは転落しても焼けなかった?」
「ガソリンタンクに火が付けば燃えます。でも、火を出したバスでも、何もかもが焼けて残らないと言う事故はありませんでした。エル・ティティの事故は犠牲者全員が焼けていたでしょう?」

 テオは黙り込んだ。彼は火傷を負っていなかった。左大腿骨骨折と全身打撲、無数の挫創、それが救助された直後の彼の状態の記録だった。
 少佐が続けた。

「犠牲者の記録に目を通しました。身元が判明した人は、火傷を負っていなかった体の部分や歯形が判断材料になっています。骨折や大きな衝撃を受けて亡くなった人もいますが、37人全員が火傷を負っていました。おかしいでしょう? 車外に投げ出された人まで焼けていたなんて。」

 テオは身震いした。

「誰かが、バスの中の人間全員を焼き殺そうとしたのか?」

 少佐が空中を眺めながら囁いた。

「体に火が付いてパニックに陥った運転士が、ハンドルを切り損ねて、バスを崖から落としたのだと思います。バスが落ちて火が出たのではなく、火が先に出て、バスが落ちたのです。」

 テオは深呼吸した。息が苦しい。頭痛もした。いつの間にかケツァル少佐が隣に座り、彼の背中に手を当てていた。

「大丈夫ですか?」
「ああ・・・バスの中で起きたことを想像しただけだ。思い出した訳じゃない。」

 テオは顔を上げて彼女を見た。

「きっと俺はその場面を目撃している。ただ、何が起きているのか理解していなかったと思う。目の前で信じられない出来事が発生して、頭の中が真っ白になった筈だ。俺の脳はそれを認めるのを拒否したんだ。」
「貴方だけが焼けなかった。貴方は私達の”操心”が効きません。それを考えると、恐らく・・・」

 少佐が不意に語気を強めた。

「火をつけたのは一族の人間です。そしてあの時バスに乗っていた”シエロ”はカロリス・キロス中佐一人だけだった筈。」



2022/02/11

第5部 山の街     2

 アスルは別に手の込んだ料理を作った訳ではなかった。普段と同じように鶏肉と野菜を煮込み、米を蒸して、皿にそれらを盛り付け、付け合わせに彩が美しく見える様に野菜を置いただけだ。しかし、その彩が若い巡査達を感激させた。エル・ティティの街の飲食店でそんな盛り付けの食事を出す店は、デートの時ぐらいしか利用しない。彼等は交代で署長の家の狭い食堂で食事をしたので、その間テオとアスルはずっと給仕と皿洗いをしていた。

「この町で大勢で会食出来る場所と言ったら、教会か町の広場しかないんだ。」

とテオは言い訳した。アスルは別に給仕係が苦にならなかったので、その言い訳を無視した。彼は巡査と大統領警護隊が食べ終えてやっと2人の順が回って来た時に言った。

「あんたは、俺がバス事故が起きた時間に跳んで、実際に起きたことを見ないのかと思っているんじゃないか?」 

 テオは皿から顔を上げた。ちょっとびっくりした。本当に彼はそう考えたこともあったのだ。しかし、すぐにそれは無理だと気がついたので、自分の中で却下した。

「俺が少佐とカルロと”星の鯨”の聖地に行った時・・・」

 アスルが彼を見つめた。

「グリュイエ少尉が少佐とカルロの前に現れた話を聞いただろ?」
「ああ・・・」

 グリュイエ少尉は、アスルの後輩だった。アスルに憧れて文化保護担当部に配属されることを望み、その希望が叶った日に、グラダ・シティでバス事故に遭って亡くなった。テオはカルロ・ステファン暗殺計画を解明する為に、ケツァル少佐とステファン、ロホと共にオルガ・グランデの地下深くにある”暗がりの神殿”へ下りて、そこから偶然”ヴェルデ・シエロ”の英雄達が亡くなってから集まる聖なる場所に行き着いた。そこで少佐とステファンはグリュイエ少尉の霊と遭遇したのだ。
 少尉の亡くなり方を少佐から聞かされた時、テオは其れ迄何故アスルが彼に対して毛嫌いする態度をとっていたのか理由がわかった気がした。

「君が彼を救おうと彼の最期の瞬間に跳んだ話を少佐から聞いたんだ。君は彼を救えなかった。」
「あいつは自分が助かる為にバスの残骸を吹き飛ばしたら、救助の為に集まりつつあった市民を巻き添えにするとわかっていた・・・」
「もし君がエル・ティティのバス事故の現場に跳んだら、また君を苦しめると思ったんだ。」

 アスルは「けっ」と言った。それっきりその話題は出なかった。もし過去に跳んで当時の人を救助したら歴史が変わる。それは絶対にしてはならないことだとオクターリャ族の掟で定められている。きっと規則以上の恐ろしい時間の法則か何かがあるのだ、とテオは予想していた。

「キロス中佐の記憶に事故の瞬間がない。アスクラカンのサスコシの男はバスが事故に遭う場面を見ていない。俺にも記憶がない。また調査のやり直しだ。中佐が異常な状態になった原因はわかった。だけど、中佐がバスに乗ったのなら、絶対に何かが起きたんだ。」

 アスルが何かを考えながら、ゆっくりと言った。

「あの事故のニュースを聞いた時、俺達はロザナ・ロハスを追っていた。あの女が強い呪いの力を持ったネズミの神像を持っていると思い込んでいた。だから、バス事故は、ネズミの神様が呪いの力を発揮させたのだと思った。」
「うん。それで少佐がここの警察署に来て、初めて俺は彼女と出会ったんだ。結局ネズミはその時既にアンゲルス社長の寝室に置かれていたが。」
「つまり、ネズミはバス事故とは関係がなかった。」
「関係があるとしたら、脳にダメージを受けて朦朧としたキロス中佐しか考えられない。」
「だが、俺達にはテレポーテーションとか、バスから飛び出して無傷で助かるなんてことは出来ない。」
「人間だもんな。」
「スィ。それに脳にダメージを受けた者がそんな急場で脱出出来る可能性もない。」

 その時、家の入り口のドアが開く音がしたので、テオとアスルは口を閉じた。一番最後に食事を取る為に、ゴンザレス署長が勤務を終えて帰って来たのだ。テオよりも早くアスルが席を立ち、署長の食事を用意した。普段から上官の世話をしているので慣れている。台所のテーブルの前に座ったゴンザレスは、目の前に置かれた皿を見て目を細めた。

「若い連中が、店の飯より美味かったと褒めていたが、実に良い匂いだ。評判は本物だな。」

 アスルは照れ臭かったので黙っていた。彼等は再び食事を再開した。

「それはそうと・・・」

とゴンザレスがアスルを見た。

「貴方達はどこで寝るんだ? 大尉が寝袋を持参していると言っていたが、少佐は女性だ。床に寝かせる訳にいかない。」
「お構いなく。我々は慣れている。」
「いや、大統領警護隊を床に寝かせたなんて知ったら、州警察の偉いさんが煩い。と言っても、この町の宿屋は1軒しかないし、グラダ・シティから来た人が泊まれる様な部屋じゃない・・・」

 ジャングルの木の上でも平気な大統領警護隊はゴンザレスの心配を無用だと思っているので、アスルはテオを見た。署長に心配するなと言え、と目で訴えてきた。ゴンザレスはケツァル少佐がお金持ちのお嬢様だと知っているから心配しているのだ、とテオは思い当たった。だから彼は養父を宥めた。

「少佐は女性だけど、ジャングルの野営や砂漠での野宿に慣れているんだ。軍隊にいたら、どんな状況でも眠れる訓練を受けるんだよ。だから親父が気に病む必要はないんだ。」
「しかし、都会と違って、ここは山の町だ。夜中は冷えるぞ。」

 するとアスルが妥協案を思いついた。

「署長、貴方の警察署には、監房はいくつある?」
「3房だが・・・」

 答えてゴンザレスが彼の質問の意図を悟った。

「監房で寝るのか?」
「寝台はあるだろ?」
「あるが・・・」
「そこに男は寝袋を置いて寝る。少佐は・・・」

 アスルがテオを見た。ゴンザレスもテオを見た。テオはドキッとした。

2022/02/10

第5部 山の街     1

  エル・ティティ警察の署長アントニオ・ゴンザレスは署に集結した”ヴェルデ・シエロ”達にコーヒーを出すと、当惑した面持ちで養子のテオドール・アルスト・ゴンザレスを見た。4人の若い巡査達も心なしか部屋の隅に集まって大統領警護隊を眺めている様な雰囲気だ。尤も彼等は実際のところ彼等の机の前に座っていただけだ。彼等の気分が萎縮しているのだ。テオは警察官達に申し訳ない気持ちだった。しかしケツァル少佐以下、ロホ、アスル、そしてギャラガは、警察官達の気分を推し測ることもなく、3年前のバス事故の調査資料と引き取り手がない犠牲者の遺品やバスの残骸を署の資料室で調べていた。長閑な田舎町で発生した大事故だったので、当時の資料は多かった。エル・ティティ警察は事故原因の調査や、犠牲者の身元確認の為によく働いたのだ。テオの身元調査の記録もあった。

「デジタル化していればグラダ・シティでも閲覧出来たのにな。」

とテオが言うと、ギャラガが小さな声でいった。

「本部もこんな様なものです。」

 書類仕事が苦手なアスルは、時計を見た。彼等は午後になってから、オルガ・グランデとアスクラカンをそれぞれ発ち、エル・ティティで合流したのだ。そろそろ夕食を作る頃だ、とアスルは思った。それでテオに声を掛けた。

「ここの連中は晩飯をどうするんだ?」
「夜勤当番以外は自宅に帰って食べるんだ。」

 アスルは少佐をチラリと見た。ケツァル少佐は部下の心の動きを敏感に察した。彼女は資料を捲りながら言った。

「きちんと署長の許可を得てからになさい。」

 アスルは敬礼すると、資料室を出た。テオは急いで彼を追った。
 ゴンザレスの机の前に立ったアスルは署長に敬礼してから用件を述べた。

「貴官の家の厨房をお借りしたい。」

 ゴンザレスが巡査から提出された報告書から顔を上げた。大統領警護隊の中尉の言葉の意味がすぐに理解出来なかったのだ。するとテオが後ろから「通訳」した。

「彼が家の台所を使って晩飯を作りたいと言ってるんだ。」
「・・・中尉が?」

と言ったのは、一番古参の巡査だ。ちょっと驚いていた。大統領警護隊と言えばセルバ共和国の軍隊の中で最もエリートだ。それが料理をしたいと言っている。テオが説明した。

「彼は料理が得意なんだ。俺のグラダ・シティの家に下宿しているんだ。家賃を安くする代わりに、手が空いている時に食事の支度をしてくれるんだが、凄く腕が良い料理人だ。」

 すると独身の巡査達の目が輝いた。テオは署長を見た。ゴンザレスが当惑して言った。

「家の台所は大人数の料理を作れる様な設備じゃないぞ。」
「心配無用。」

とアスルが言った。

「野営で慣れている。」

 流石に軍人だ、と巡査達が囁き合った。テオはゴンザレスに期待感を込めて視線を送った。ゴンザレスが頷いた。

「メルカドが閉まる前に買い物をしなきゃいかんぞ。それに誰が食材の金を払うんだ?」

 資料室の戸口にケツァル少佐が姿を現した。彼女がアスルに財布を投げ渡したので、ゴンザレスもテオに紙幣を数枚差し出した。

「うちの若いもんの分だ。お前も一緒に買い物に行って来い。」

 


第5部 山へ向かう街     21

 「大統領警護隊に私達の仲を知られてしまった以上、ホセは不名誉除隊になるのでしょうね?」

とディンゴ・パジェが心配した。ロホはホセ・ラバル少尉がキロス中佐の暗殺を図った上に同僚2人も負傷させ、逮捕されたことを彼に伝えなかった。上官暗殺未遂は反逆罪だ。司令部がキロス中佐の言い分を聞いて、どう判断するのかわからないが、無罪になることは絶対にない。
 ディンゴ・パジェは音信がふっつりと途絶えた恋人の安否を気遣いながら、これから生きていくのだろう。大統領警護隊は身内の不祥事を決して世間に公表しないのだ。

「貴方も人間を気の爆裂で負傷させたのだ。今まで貴方の親が隠していたことが、今我々の知るところとなった。貴方は恋人のことより貴方自身のことを心配する必要がある。」

とロホは言った。
 ディンゴが真っ青な顔になって彼を見た。

「私を逮捕なさるのですか?」
「そうしたいが・・・」

 ロホは肩をすくめた。

「今日は非公式の任務で来ている。貴方の証言を大統領警護隊に報告するが、貴方の処遇を決めるのは上層部だ。」
「では、私は・・・」
「悪いことは言わない。今日これからでもサスコシ族の長老に貴方がしたことを打ち明けろ。もし少しでも貴方の言い分が通るとしたら、それは長老の裁決次第だ。」
「私を庇った父も同罪なのですか?」
「それも長老の考え次第だ。あなた方が日頃はどんな振る舞いをして生きているのか、私は知らない。長老達が貴方と貴方の家族に対してどんな心象を抱いているかも知らない。しかし、隠したり、逃げたりすれば、確実に彼等を怒らせる。」

 それは、”砂の民”に追われることを意味した。
 純血至上主義者の家系に生まれ育ったディンゴ・パジェは、ミックスのギャラガをチラリと見た。長老会は”出来損ない”も一族と認めている。”出来損ない”に対して数々の酷い仕打ちをする人々として認識されている純血至上主義者達は長老会にもいるが、少数派だ。

「私は・・・異端だが、”出来損ない”を虐げたことはない。」

とディンゴは囁いた。ギャラガは聞かなかったふりをした。”出来損ない”と言う言葉を使うこと自体が差別だ。

「時間をとらせて悪かった。」

とロホが言った。そしてギャラガを促し、アパートから出た。
 2人で市街地の中心部に向かって歩いて行った。まだ日が高かったが、なんだか疲れた。

「腹が減ったな。」

とロホが呟いた。ギャラガが頷いた。

「どこかで爽やかなピアノ演奏を聞きながら食事が出来れば良いですがね・・・」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...