2022/02/13

第5部 山の街     8

 ”入り口”がありそうな場所を探しながら、前日の早朝に出て来た場所に向かって歩いていると、ケツァル少佐がふと足を止めた。”入り口”を見つけたかと思って、テオも足を止めた。

「見つけたかい?」
「スィ。でも別の物です。」

 少佐が民家の屋根の向こうに見えている塔を指差した。

「教会です。サン・マルコ教会ですよ、床下に遺跡がある・・・」
「ああ、あそこか。」

 アンゲルス鉱石が坑道拡張工事をしていてぶち当たった遺跡がある場所だ。文化保護担当部の指揮官であるケツァル少佐の好奇心が疼いた様だ。テオはそれを敏感に感じ取り、提案してみた。

「時間がありそうだから、ちょっと覗いてみようか?」

 2人は大きく迂回する曲がった道路を歩いて行き、大して大きくもない教会に15分後には行き着いた。オルガ・グランデにはもっと大きな大聖堂があり、そこは観光客も訪れることがあるのだが、サン・マルコ教会は無名に近く、観光マップにも載っていなかった。教会の前は大概広場だったり、道路の幅が広く取ってあるものだ。サン・マルコ教会の前も道路が広くなっていた。しかし屋台などは出ておらず、土産物屋もなかった。靴屋や革製品の加工所が数軒看板を出していたが、日曜日なので閉まっていた。
 教会の扉は少し開いていたので、簡単に中に入れた。木製の長椅子が正面の祭壇に向かって並び、中央の通路の中ほどに男性が一人立っていた。カーキ色のジャンパーの下にTシャツを着込み、腰から下はデニムパンツにスニーカーを履いた中年の男性で、床石を剥がして口を開けている穴を覗き込んでいたが、テオ達が入ると振り返った。
 テオは声を掛けた。

「ブエノス・タルデス!」
「ブエノス・タルデス。」

 男も挨拶を返した。彼の足元に小さな看板が立てかけてあった。

 地下遺跡調査中

 それを見て、ケツァル少佐が緑の鳥の徽章を出して彼に見せた。

「大統領警護隊文化保護担当部のミゲール少佐です。新しく発見された遺跡を見に来ました。」

 すると男性がポケットに入れていたストラップ付きのI Dカードを出した。

「オルガ・グランデ市役所の文化財保護課のミラネスです。以後お見知り置きを。」

 それでテオも名乗った。

「グラダ大学生物学部で准教授をしているアルストです。ミゲール少佐に誘われて遺跡を見に来ました。もしミイラの遺伝子を調べたければ、私の研究室にご依頼下さい。」

 ミラネスが微笑した。

「恐らくここにいるミイラは全員オルガ族の神官だと思います。もし不審なミイラがあれば検査をお願いします。」

 少佐とテオは穴のそばへ近づいた。階段が地下へ降りていた。小さな裸電球がラインに繋がれて3つばかり、階段の周辺を照らしていた。穴の深さは 10メートルはあるだろうか。遺体を置く岩棚は穴から見えなかった。

「不審なミイラと言えば・・・」

とミラネスが言った。

「ここが発見された時に、墓泥棒のミイラがありました。」
「知っています。私の研究室で荷解きしました。」

 おや、とミラネスがテオを見て笑った。

「それじゃ、教授が仰っていた遺伝子学者と言うのは、貴方でしたか。」

 教授? とテオが聞き返すと、ミラネスが穴の底に向かって怒鳴った。

「グラダ・シティからお友達が来られていますよ、教授!」

 ケツァル少佐が両手を頭の上に置いた。まさか恩師が来ているとは・・・。そんな顔だった。
 返事がなかったが、穴の底に人間の頭が見えた。ライト付きのヘルメットを被った男性で、上をチラリと見上げて、階段を登って来た。
 フィデル・ケサダ教授だった。普通の人間の様にヘッドライトを装着してヘルメットを被り、動き易い様に繋ぎの服を着ていた。彼は客を見て、ブエノス・タルデスと挨拶した。そしてミラネスを振り返った。

「見学は終わった。後片付けをしておくから、君は帰ってもよろしい。日曜日に駆り出してすまなかった。」

 ミラネスは微笑して、教授に挨拶し、テオと少佐にも笑顔で別れを告げると教会から出て行った。
 ケサダ教授は穴の下の照明の電源を切り、床石を元に戻した。テオも手伝いながら尋ねた。

「”シエロ”のミイラは混ざっていなかったのですね?」

 ケサダ教授が彼を見て、微笑した。

「幸いにね。」

 床石がきちんと穴を塞ぐと、教授は「地下遺跡調査中」の看板を抱えて教会の奥へ運んで行った。
 少佐が床石を眺めた。他の箇所の石と変わらない。目印らしきものが付いていないので、祭壇からの石の数で入り口を探さなければならないのだろう。この入り口を見つけたのは、市役所の文化財保護課のお手柄だ。
 繋ぎを脱いで手と顔を洗ったケサダ教授が戻って来たのは10分以上後だった。

第5部 山の街     7

  ブリサ・フレータ少尉の病室には女性が一人見舞いに来ていた。少尉とよく似た顔で、姉妹だとわかった。少尉が彼女を姉だと紹介し、ケツァル少佐とドクトル・アルストだと彼女に紹介してくれた。妹の上官だと知った女性は、気を利かせてロビーの売店に行ってくると言って部屋を出て行った。
 フレータ少尉はまだ頬にガーゼを貼っていたが、前日より血色が良くなり、ベッドの上に起き上がっていた。”ヴェルデ・シエロ”らしく回復が早いのだ。

「気分はいかがですか?」

と少佐が尋ねると、「ビエン(良いです)」と答えた。そして訊かれる前に言った。

「昨晩、内部調査班が来ました。」
「どんなことを訊かれましたか?」
「最初に私の体調を気遣ってくれて、それから爆発事故当時のことを訊かれました。最後はキロス中佐とラバル少尉の仲はどうだったかと・・・私には昨日貴女にお話したこと以外に話すことはありませんでした。」

 テオが尋ねた。

「君は太平洋警備室に配属されてから、ずっと厨房で勤務していたのだろう? 食事はいつも中佐とラバル少尉と3人一緒だったよね?」
「スィ。」
「2人の食事の時の様子に変化はなかったかい? 3年前に突然中佐の様子が変わってしまう前と後で・・・」

 フレータ少尉が考えこんだ。

「あの2人は普段、あまり会話をしなくて・・・どちらも私には世間話などで話しかけてくれましたが、中佐とラバル少尉が話をする時はいつも仕事で生じた問題ばかりでした。3年前の中佐の突然の異変から後は、中佐が殆ど口を利かなくなり、目もどこを見ているのかぼんやりした状態で、ラバル少尉も私も見えていない感じでした。」
「3年間ずっと?」
「スィ。あ、でも・・・女の私には時々話しかけてくれました。料理の出来具合の感想や、厨房の設備の具合や、村の出来事とか・・・昔通りでした。」
「他の部下達には?」
「ガルソン大尉には、副官ですから、時々指示を出されました。本当に時々です。まるで思い出したかのように。後はずっと沈黙して座っているだけでした。」
「食事の時のラバル少尉には?」
「殆ど無視でした。少尉も中佐が危ないことをしないように見張るだけで・・・。」
「危ないこと?」
「熱湯が入った薬缶を触ったり、包丁の置き場に近づかないように・・・」
「ああ、そう言うこと。」

 ラバル少尉は恋人が中佐に致命傷を与えてしまったと思い込み、一足先に勤務場所に戻った。しかし中佐は生きていて、脳に受けたダメージで朦朧とした状態のまま帰ってきた。少尉は恋人と連絡を取って、中佐を監視していたのだろう。指導師の祓いを受けていない中佐が正気に帰る可能性は低いと踏んで。そして幸いなことに副官のガルソン大尉が中佐の異常を本部に隠してしまった。少尉は適当な時期を見計らって大統領警護隊を去り、恋人とどこかへ行くつもりだったのではないか。しかし、本部は3年も経ってから太平洋警備室の異常を察知して、指導師のカルロ・ステファン大尉を送り込んで来た。そこからラバル少尉の計画は崩れたに違いない。
 
「内部調査班は貴女の処遇について何か言いませんでしたか?」

 ケツァル少佐がフレータ少尉の将来を気遣って尋ねた。フレータ少尉が寂しそうに笑った。

「退役年齢まで少尉のまま、サン・セレスト村の厨房で勤務するか、国境警備隊の厨房で勤務するか選ぶように言われました。もしくは、退役して故郷に帰るか・・・」

 ケツァル少佐はちょっと考えた。そして言った。

「私は貴女にどれを選べとは言えません。ただ、国境警備隊の厨房係は、捕らえた密入国者の食事の世話もしなければならないので忙しいですよ。隊員も大統領警護隊だけではなく、陸軍国境警備班の合同編成ですから、太平洋警備室に比べると大所帯です。」

 するとテオには意外に思えたが、フレータ少尉の目が明るく輝いた。

「国境警備隊に行かせてもらえるのでしたら、そちらが良いです。」

 閉塞的な太平洋警備室よりマシだと思えるのだろう。ケツァル少佐が微笑んだ。

「次に本部の人が来たら、そう告げなさい。昇級は望めないかも知れませんが、新しい出会いがあるかも知れません。」
「グラシャス、少佐!」

 別れを告げて部屋を出ようとして、テオはふと思いついた質問をしてみた。

「少尉、君はカイナ族だったね。カイナ族にカノと言う家族はいるかい?」
「カノですか?」

 フレータ少尉はちょっと首を傾げ、数秒後に何か思い出して首を振った。

「古い家系ですね。もう離散して、いませんが。」
「離散した?」
「スィ。植民地時代に白人の血がかなり入ってしまった家系で、セルバ共和国が独立した時にカイナ族の他の家系から仲間外れの様な仕打ちを受けたために、オルガ・グランデから離れて東へ移って行ったと聞いています。」
「それじゃ、カノ家には早くから白人の血が流れていたんだね?」
「そう聞いています。」
「グラダ・シティにカノ家の子孫がいてもおかしくない?」
「寧ろ、そちらの方が生き易いのではないでしょうか。白人の血が入ると気の制御が難しくなります。”ティエラ”になって生きていく方が幸せな人生を送れると思いますよ。」

  フレータに別れを告げて、テオとケツァル少佐は病室を出た。階段を下りながら少佐が囁いた。

「アンドレの白人の血はかなり昔からのものの様ですね。」
「うん。彼の父親が本当に白人だったのか、ちょっと怪しくなってきたな。」




2022/02/12

第5部 山の街     6

  食堂を出て陸軍病院の前に来ると、病院の敷地内に搬送用のバンが駐車しているのが見えた。バンの前後にジープが1台ずついるのを見て、ケツァル少佐が「先を越された」と呟いた。

「内務調査班か?」
「恐らく、キロス中佐を陸軍基地に運んで、そこから空軍機でグラダ・シティに護送するのです。」
「事情聴取は終わったのかな?」
「多分、私が得たのと同程度の情報を中佐は伝えたでしょう。内部調査班は馬鹿ではありません。中佐がまだ何か隠していると考え、本部で尋問するのです。司令部は指導師の集団ですから、どんなに中佐が頑固に情報を隠しても打破されてしまいます。」
「ダメージを受けて記憶が曖昧になっていた時間のものも、引き出されるのか?」
「脳のどこかに記憶が残っていれば全て・・・心を盗まれるのと同じ状態です。」

 司令部はキロス中佐から真相を引き出せるだろう。しかしテオに、3年前バスの中で何が起きたか教えてくれない。
 テオはやるせない気分になった。自分が真相を知らなければ37人の犠牲者が浮かばれない、そんな気持ちだった。

「司令部は君にも教えてくれないのか?」
「私は完全な部外者ですから。」

 少佐も悔しそうだ。

「俺は部外者じゃない。3年前、何が起きたか知りたいんだ。」

 テオは歩き出した。病院の門をくぐった。少佐が黙ってついて来た。行くなとは言わない。病院は面会を受け付ける時間帯だった。ジープと搬送車の横を通り、正面入り口から建物の中に入った。車のそばには警護の兵士が立っていた。
 内部は普通の病院と変わらない。面会に来た家族や友人達とソファに座って話をしている入院患者や、面会者に付き添われて散歩をしている患者、スタッフと話をしている面会者。
 エレベーターの扉が開いて、ストレッチャーに乗せられた患者が兵士に囲まれて出て来た。看護士が点滴の装備を支えてくっついていた。包帯に包まれたキロス中佐の顔ははっきりと見えなかった。思わず近づこうとしたテオの腕を、少佐が後ろから掴んで引き止めた。

「中佐は麻酔で眠っています。」

と彼女が囁いた。

「一族の人間を護送する時の常識です。」

 キロス中佐は危険人物と見做されている。ダメージを受けて3年間夢と現を行き来していた彼女の精神状態を司令部は信用していない。
 ストレッチャーの後ろから内部調査班の2人が現れた。調査班の少佐がテオとケツァル少佐に気がついて顔を向けた。ケツァル少佐が彼に視線を合わせた。
 ストレッチャーと兵士達と内部調査班は外へ出て行った。
 グッと彼等を睨みつけたテオに、後ろから少佐が囁いた。

「内部調査班に、貴方がバス事故の生き残りで、事故原因の真相を知る権利がある、と伝えておきました。」
「向こうは何て?」
「上層部に伝えておく、と。」

 テオはアスルの十八番の「けっ」と言いたくなった。
 少佐はエレベーターを見た。

「フレータ少尉はまだここにいるようですね。」
「彼女は本部が知りたがるような情報を持っていないからだろう。」
「もう一度彼女に会ってみませんか?」

 彼女は既に階段に向かって歩き始めていた。テオは搬送車にストレッチャーが乗せられるのを見ていたので、気がつくと既に彼女は階段を上りかけていた。急いで追いかけた。

「フレータに今更何を訊くんだ?」
「何も得ることはないかも知れませんが、彼女はカルロが着任する迄、中佐とラバルと3人で毎日食事をしていたのでしょう?」

 あっとテオは思った。どうして今迄それを思い出さなかったのだろう。フレータ少尉はキロス中佐とラバル少尉の関係を知っていたのかも知れないのだ。

 


第5部 山の街     5

  余計なことを言った罰として、アスルはオルガ・グランデまでの運転を任された。テオはゴンザレスとハグし合って別れを告げ、再び西に向かった。途中で事故現場を通過した。昨夜は暗くなりかけていたので、気づかずに通り過ぎてしまったことを、彼はちょっぴり恥ずかしく思った。車内で犠牲者達に祈りを捧げた。こんな時だけクリスチャンになるのもどうかとは思うが、祈ることしか彼等にしてやれない。一人だけ生き残ったことに罪悪感を抱いた時期もあったのだ。身元が判明してアメリカに連れ戻された時だ。記憶を失う前の己がどれだけ我儘で身勝手で他者への思いやりの欠片もない人間だったと知った時だ。何故一人だけ死ななかったのかと苦しんだこともあった。だが、今は違う。事故の真相を明らかにする為に生き残ったのだ。彼はそう信じていた。
 軍隊流と言うか、”ヴェルデ・シエロ”流と言うべきか、アスルは山間部の細い道路をぶっ飛ばして昼前にオルガ・グランデに到着した。陸軍病院の近くでテオとケツァル少佐は車を降りた。2人を降ろすと、アスルはそのままサン・セレスト村に向かって走り去った。昼食はどうするのだろうとテオはちょっと心配した。市街地を出ると飲食店はほとんど見当たらないのだ。
 ケツァル少佐はそんな心配を全然していなくて、昨日昼食を取った店に入って、再びお昼ご飯を食べた。内部調査班はもうキロス中佐から事情聴取をしただろうか。ラバル少尉の同性の恋人を見て逆上した中佐の、個人的な動機で始まった事件を、彼等はどう処理するのだろうか。

「正直なところ、ちょっと失望している。」

とテオは言った。少佐が黙って彼を見た。

「不謹慎な考えだが、バス事故の原因が一人の女性の嫉妬心だったと言う話に収まりそうだから。国家的な陰謀があって、それを阻止する為に中佐が起こした事故だったなら、犠牲者も少しは浮かばれるんじゃないかと思ってしまったんだ。」
「確かに中佐は嫉妬心からラバル少尉と口論になり、彼の恋人から気の爆裂を浴びせられました。そして正常な判断を下せない状態で、鉱山労働者の血液を外国に売却した医師を追いかけました。バスの中で何が起きたのかはわかりませんが、少なくとも痴話喧嘩ではなかった筈です。」

 テオは何気なく店の厨房の方を見た。コックが羊の肉を焼く匂いが漂っていた。

「もしかすると、中佐はバルセル医師に労働者の名簿を渡せと迫って拒まれたんじゃないかな。医者にすれば突然バスに乗り込んで来た軍人の女に大事な商売道具を渡したくなかったろうさ。或いは、名簿なんて持っていなかったかも知れない。医者が名簿を持ってアスクラカンに行ったと言うのは、アンゲルス社長から中佐が引き出した情報だろ? バルセルは名簿を自宅に置いて出かけたのかも知れないじゃないか。兎に角、中佐は名簿を手に入れることが出来なかった。」

 カウンター越しに、コンロの炎が一瞬高く上がるのが見えた。羊の脂が滴り落ちたのだ。

「キロス中佐は朦朧とした頭で思ったんじゃないか? 名簿を渡してもらえないのなら、ここで焼き払ってしまおう、と。」

 少佐が彼の想像に驚いて口を開けた。そして小さく頷いた。

「彼女は焼いてしまったのですね、名簿ではなく、バルセルと乗客達を・・・」
「そして運転士までも・・・”ヴェルデ・シエロ”が含まれているかも知れない名簿を外国に渡すぐらいなら、バスの乗員乗客を皆殺しにしてでも阻止しようと彼女は思ったに違いない。」
「そして一族の力が及ばない貴方だけが燃えなかった・・・」
「おかしな話だが、それしか思いつかない。」

 いきなり少佐が皿の上の食べ物を口に忙しく運び出した。さっさと食べて、さっさとキロス中佐に会おうと言うことだ。テオも慌ててフォークを持ち直した。

第5部 山の街     4

 就寝したのが何時だったのか、テオは覚えていない。2人並んで天井を見上げながら、ラバル少尉とディンゴ・パジェの今後を考えたりしているうちに眠くなって寝てしまった。目が覚めた時はもう日が昇りかけていて、台所でケツァル少佐が豆を煮込む匂いが漂っていた。家の外に出て共同井戸で顔を洗っていると、アスルがやって来た。朝食の支度だ。

「自宅に帰った巡査の分は必要ないぞ。」

と言うと、アスルはわかっていると言いたげにチラリと見返しただけだった。
 朝食は大統領警護隊とゴンザレス家の2人で台所と居間の好きな場所で取った。ギャラガが気を利かせて夜勤の巡査へパンとコーヒーの差し入れを持って行った。

「さて、今日の予定ですが・・・」

 ロホが少佐にお伺いを立てるかの様に上官を見た。

「土曜日の軍事訓練は終了です。」

と少佐が宣言した。

「ロホとアンドレはアスクラカンで得た情報を本部の内部調査班に報告しなさい。向こうが越権行為だと言えば、私の命令でしたことだと言いなさい。事実ですから。」

 テオはロホがちょっと悲しそうな顔をしたことに気がついた。密かに恋路を楽しんでいた軍人と民間人の細やかな幸福が突然の上官の出現で壊されてしまったことへの、同情だろうか。 ギャラガの方は平然としていた。もしかするとサスコシ族の男に何か気に障ることを言われたので、同情する気にならないのかも知れない。
 ロホは上官の言葉に短く「承知」と答えた。そして少佐に、貴女は? と尋ねた。

「私はオルガ・グランデに戻ってもう一度キロス中佐に会って見ようと思います。」

 彼女が振り返ったので、テオは「俺も行く」と言った。彼女が頷いた。アスルが尋ねた。

「私はどうしましょうか?」
「貴方はサン・セレスト村へ行って、カルロにこれ迄にわかったことを伝えて下さい。彼は遊撃班から撤収命令が出る迄あの村から動けません。恐らく何が起きていたのか、内部調査班は遊撃班に教えないでしょうから、きっと彼はヤキモキして過ごしていることでしょう。」
「ガルソン大尉とパエス中尉に情報を与える必要はありませんね?」
「必然性はありません。彼等が庇ってきた上官が、極めて個人的感情でラバル少尉との間に問題を起こし、その結果自分が傷ついてしまったことを知れば、彼等はどうするでしょうか。」
「なんだか惨めです。」

とアスルが呟いた。

「彼等は自分達のキャリアに傷が付くことも辞さない覚悟で上官を庇って来たのに。」
「3年前バスの中で何が起きたのか、真相が解明される迄、太平洋警備室の2人には情報を与えない方が良いでしょう。司令部が真相解明前に彼等を更迭してしまう可能性もありますが、恐らく彼等にキロス中佐が明かす真相を本部が教えると思えません。」
「では、ステファン大尉に情報を伝えたら、グラダ・シティに帰還します。」

 少佐が立ち上がったので、男達も立ち上がった。敬礼を交わし、ロホとギャラガは外へ出て行った。ロホのビートルに彼等が乗り込む音が聞こえた。
 アスルが素早く動いて食事の後片付けを始めた。オルガ・グランデまで、昨夜使用したレンタカーで3人一緒に戻るのだ。テオは署へ行って、巡査達に挨拶した。

「いきなり押しかけて、すまなかった。」
「構わないよ、大統領警護隊と同じ屋根の下で仕事をしたなんて、末代までの自慢になる。」

 大袈裟だな、とテオは笑った。

「だけど、良い人達だったな。」

と別の巡査が言った。

「みんな親切だった。もっと怖い連中かと思っていたけど。」
「うん、テオが語っていた通りの気の良い人達だ。」
「大統領警護隊はセルバ国民を守っているんだ。悪いことさえしなければ、国民には優しいんだよ。」

とテオは言った。
 家に帰ると、ゴンザレスが居間の椅子に座って、困惑していた。大統領警護隊が台所で皿や鍋を洗ったり、寝室に掃除機をかけているのだ。田舎の警察署長はとても困っていた。ケツァル少佐がモップ掛けも必要ですかと訊いた時、彼は結構と即答した。

「それは倅の仕事だ。客にしてもらうことじゃない。」

 少佐が真面目に反論した。

「我々は客ではなく、業務でここを使用しました。撤収に際して掃除をするのは当たり前です。」
「しかし・・・」
「親父!」

 テオは声をかけた。

「この人達はいつもしていることをしているだけだ。口出しするなよ。」

 すると後ろでアスルが言わなくとも良いことを呟いた。

「そのうち少佐の家になる可能性もあるしな・・・」



第5部 山の街     3

  アントニオ・ゴンザレスの家は平家で、エル・ティティの庶民の普通の家屋だった。部屋の配置も単純で、入り口を入るとすぐに居間、その横に台所と食堂、奥に寝室がその家の家族の数や裕福度によっていくつか造られていた。ゴンザレスの家は寝室が2つ、夫婦と息子の部屋だったが、妻子を疫病で失った彼は、狭い方の息子の部屋だった寝室に移った。仕事を終えて帰宅すれば寝るだけだったから、広い方の夫婦の寝室は数年間空き部屋だった。物置代わりに使っていたが、若いテオを養子にした時、ガラクタを捨てて新しく息子になった男に譲った。
 テオにしても週末に帰るだけだから、広い部屋は勿体無いと言ったのだ。しかしゴンザレスは彼に使って欲しかった。

「この家はいつかお前に譲るんだ。今からでも早くない、主人の部屋を使え。」

 テオはゴンザレスにもまだ新しい恋をする機会があるのに、と思ったが、厚意を有り難く受けることにした。もしかすると、ゴンザレスは新しい恋人が出来たら、この家を出て行きたいのかも知れない。天に召された妻と息子の思い出を新しい女性と共有することは出来ないのだろう。いっそのこと他人である養子とその彼女に使ってもらった方が良い、と考えているに違いない。
 そう言う訳で、テオの寝室には、今、ケツァル少佐がいて、夫婦の為の幅があるベッドの両端に彼女と彼は座っていた。寝るにはまだ少し早い時間だが、ゴンザレス家にテレビはない。昔はあったが、故障して、そのまま修理もせずに放置して、今やアナログの地上波用テレビは使えない。

「何か手がかりでもあったかい?」

とテオは調べ物の成果を尋ねた。すると少佐は言った。

「何も出ませんでした。しかし、それが却って奇妙です。」
「奇妙?」

 少佐は携帯で何かを検索した。そして見つけた写真をテオに見せた。それは崖から転落して谷底に横たわるバスの画像だった。南米の山岳地帯で起きた事故だ。

「このバスは100メートルの高さから落ちて、潰れています。」
「うん、潰れているな・・・」
「乗客の半数が不幸にも亡くなりました。」
「半数?」
「47人中19人です。」
「ほぼ半数だな・・・」
「バスは焼けていません。生存者もいます。」

 テオは画面から視線を外して少佐を見た。少佐はまた別の画像を出した。それも別の国で起きたバスの転落事故だ。

「これも、死者が出ましたが、バスは焼けていません。」
「バスは転落しても焼けなかった?」
「ガソリンタンクに火が付けば燃えます。でも、火を出したバスでも、何もかもが焼けて残らないと言う事故はありませんでした。エル・ティティの事故は犠牲者全員が焼けていたでしょう?」

 テオは黙り込んだ。彼は火傷を負っていなかった。左大腿骨骨折と全身打撲、無数の挫創、それが救助された直後の彼の状態の記録だった。
 少佐が続けた。

「犠牲者の記録に目を通しました。身元が判明した人は、火傷を負っていなかった体の部分や歯形が判断材料になっています。骨折や大きな衝撃を受けて亡くなった人もいますが、37人全員が火傷を負っていました。おかしいでしょう? 車外に投げ出された人まで焼けていたなんて。」

 テオは身震いした。

「誰かが、バスの中の人間全員を焼き殺そうとしたのか?」

 少佐が空中を眺めながら囁いた。

「体に火が付いてパニックに陥った運転士が、ハンドルを切り損ねて、バスを崖から落としたのだと思います。バスが落ちて火が出たのではなく、火が先に出て、バスが落ちたのです。」

 テオは深呼吸した。息が苦しい。頭痛もした。いつの間にかケツァル少佐が隣に座り、彼の背中に手を当てていた。

「大丈夫ですか?」
「ああ・・・バスの中で起きたことを想像しただけだ。思い出した訳じゃない。」

 テオは顔を上げて彼女を見た。

「きっと俺はその場面を目撃している。ただ、何が起きているのか理解していなかったと思う。目の前で信じられない出来事が発生して、頭の中が真っ白になった筈だ。俺の脳はそれを認めるのを拒否したんだ。」
「貴方だけが焼けなかった。貴方は私達の”操心”が効きません。それを考えると、恐らく・・・」

 少佐が不意に語気を強めた。

「火をつけたのは一族の人間です。そしてあの時バスに乗っていた”シエロ”はカロリス・キロス中佐一人だけだった筈。」



2022/02/11

第5部 山の街     2

 アスルは別に手の込んだ料理を作った訳ではなかった。普段と同じように鶏肉と野菜を煮込み、米を蒸して、皿にそれらを盛り付け、付け合わせに彩が美しく見える様に野菜を置いただけだ。しかし、その彩が若い巡査達を感激させた。エル・ティティの街の飲食店でそんな盛り付けの食事を出す店は、デートの時ぐらいしか利用しない。彼等は交代で署長の家の狭い食堂で食事をしたので、その間テオとアスルはずっと給仕と皿洗いをしていた。

「この町で大勢で会食出来る場所と言ったら、教会か町の広場しかないんだ。」

とテオは言い訳した。アスルは別に給仕係が苦にならなかったので、その言い訳を無視した。彼は巡査と大統領警護隊が食べ終えてやっと2人の順が回って来た時に言った。

「あんたは、俺がバス事故が起きた時間に跳んで、実際に起きたことを見ないのかと思っているんじゃないか?」 

 テオは皿から顔を上げた。ちょっとびっくりした。本当に彼はそう考えたこともあったのだ。しかし、すぐにそれは無理だと気がついたので、自分の中で却下した。

「俺が少佐とカルロと”星の鯨”の聖地に行った時・・・」

 アスルが彼を見つめた。

「グリュイエ少尉が少佐とカルロの前に現れた話を聞いただろ?」
「ああ・・・」

 グリュイエ少尉は、アスルの後輩だった。アスルに憧れて文化保護担当部に配属されることを望み、その希望が叶った日に、グラダ・シティでバス事故に遭って亡くなった。テオはカルロ・ステファン暗殺計画を解明する為に、ケツァル少佐とステファン、ロホと共にオルガ・グランデの地下深くにある”暗がりの神殿”へ下りて、そこから偶然”ヴェルデ・シエロ”の英雄達が亡くなってから集まる聖なる場所に行き着いた。そこで少佐とステファンはグリュイエ少尉の霊と遭遇したのだ。
 少尉の亡くなり方を少佐から聞かされた時、テオは其れ迄何故アスルが彼に対して毛嫌いする態度をとっていたのか理由がわかった気がした。

「君が彼を救おうと彼の最期の瞬間に跳んだ話を少佐から聞いたんだ。君は彼を救えなかった。」
「あいつは自分が助かる為にバスの残骸を吹き飛ばしたら、救助の為に集まりつつあった市民を巻き添えにするとわかっていた・・・」
「もし君がエル・ティティのバス事故の現場に跳んだら、また君を苦しめると思ったんだ。」

 アスルは「けっ」と言った。それっきりその話題は出なかった。もし過去に跳んで当時の人を救助したら歴史が変わる。それは絶対にしてはならないことだとオクターリャ族の掟で定められている。きっと規則以上の恐ろしい時間の法則か何かがあるのだ、とテオは予想していた。

「キロス中佐の記憶に事故の瞬間がない。アスクラカンのサスコシの男はバスが事故に遭う場面を見ていない。俺にも記憶がない。また調査のやり直しだ。中佐が異常な状態になった原因はわかった。だけど、中佐がバスに乗ったのなら、絶対に何かが起きたんだ。」

 アスルが何かを考えながら、ゆっくりと言った。

「あの事故のニュースを聞いた時、俺達はロザナ・ロハスを追っていた。あの女が強い呪いの力を持ったネズミの神像を持っていると思い込んでいた。だから、バス事故は、ネズミの神様が呪いの力を発揮させたのだと思った。」
「うん。それで少佐がここの警察署に来て、初めて俺は彼女と出会ったんだ。結局ネズミはその時既にアンゲルス社長の寝室に置かれていたが。」
「つまり、ネズミはバス事故とは関係がなかった。」
「関係があるとしたら、脳にダメージを受けて朦朧としたキロス中佐しか考えられない。」
「だが、俺達にはテレポーテーションとか、バスから飛び出して無傷で助かるなんてことは出来ない。」
「人間だもんな。」
「スィ。それに脳にダメージを受けた者がそんな急場で脱出出来る可能性もない。」

 その時、家の入り口のドアが開く音がしたので、テオとアスルは口を閉じた。一番最後に食事を取る為に、ゴンザレス署長が勤務を終えて帰って来たのだ。テオよりも早くアスルが席を立ち、署長の食事を用意した。普段から上官の世話をしているので慣れている。台所のテーブルの前に座ったゴンザレスは、目の前に置かれた皿を見て目を細めた。

「若い連中が、店の飯より美味かったと褒めていたが、実に良い匂いだ。評判は本物だな。」

 アスルは照れ臭かったので黙っていた。彼等は再び食事を再開した。

「それはそうと・・・」

とゴンザレスがアスルを見た。

「貴方達はどこで寝るんだ? 大尉が寝袋を持参していると言っていたが、少佐は女性だ。床に寝かせる訳にいかない。」
「お構いなく。我々は慣れている。」
「いや、大統領警護隊を床に寝かせたなんて知ったら、州警察の偉いさんが煩い。と言っても、この町の宿屋は1軒しかないし、グラダ・シティから来た人が泊まれる様な部屋じゃない・・・」

 ジャングルの木の上でも平気な大統領警護隊はゴンザレスの心配を無用だと思っているので、アスルはテオを見た。署長に心配するなと言え、と目で訴えてきた。ゴンザレスはケツァル少佐がお金持ちのお嬢様だと知っているから心配しているのだ、とテオは思い当たった。だから彼は養父を宥めた。

「少佐は女性だけど、ジャングルの野営や砂漠での野宿に慣れているんだ。軍隊にいたら、どんな状況でも眠れる訓練を受けるんだよ。だから親父が気に病む必要はないんだ。」
「しかし、都会と違って、ここは山の町だ。夜中は冷えるぞ。」

 するとアスルが妥協案を思いついた。

「署長、貴方の警察署には、監房はいくつある?」
「3房だが・・・」

 答えてゴンザレスが彼の質問の意図を悟った。

「監房で寝るのか?」
「寝台はあるだろ?」
「あるが・・・」
「そこに男は寝袋を置いて寝る。少佐は・・・」

 アスルがテオを見た。ゴンザレスもテオを見た。テオはドキッとした。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...