2022/03/07

第6部 水中遺跡   8

  昼前にクエバ・ネグラを出発したので夕方になる前にグラダ・シティに到着した。大学に戻ると主任教授と学部長に出張から戻った報告をして、テオとカタラーニは研究室に入った。トカゲを飼育用水槽に入れ、捕獲場所と日時を記入したラベルを水槽に貼った。それをマルク・スニガ准教授の研究室へ持って行った。トカゲを必要としていたのは、スニガ准教授だったのだ。彼は閉所恐怖症なので洞窟に入れない。それでテオが代理で捕獲に行った。助手にやらせれば良いのにと思ったが、遠出も悪くなかったのでテオは引き受けたのだ。小一時間世間話をしてから、終業時間になったので、テオは大学を出た。
 特に約束をしていなかったが、文化・教育省の前で待っていると、職員達が閉庁時間になって一斉に出て来た。文化保護担当部は珍しく全員が揃って降りて来た。こんな場合は何か夜の予定があるのだ。テオは仲間外れにされる予感を抱きながらも声をかけてみた。するとケツァル少佐が「来い」と手を振ったので、ちょっと意外に思いつつもついて行った。
 駐車場で少佐のベンツ、ロホのビートル、テオの中古車(最近トヨタに買い替えた)の前で4人が集合だ。少佐、ロホ、ギャラガ、そしてテオ。少佐はちょっと考えてから、テオを見た。

「出張帰りですね?」
「スィ。」
「車で移動?」
「スィ。」
「では、ベンツ1台にしましょう。ロホとテオはそれぞれ自宅に一旦帰りなさい。私が順番に拾います。」

 それでロホが素早くビートルに乗り込んだので、テオも急いでトヨタに乗った。どちらもマカレオ通りに自宅があるから、前後して到着した。テオは荷物を家の中に放り込んだ。外に出て施錠するとすぐに少佐のベンツが現れた。助手席にギャラガが座っていたので、ロホとテオは後部座席だ。走り出してすぐにロホが尋ねた。

「クエバ・ネグラはどうでしたか? 国境の街は結構賑やかでしょう?」
「スィ。それに意外な人に出会ったよ。」

 テオがルカ・パエス少尉の名を告げると、ギャラガは反応しなかったが、少佐が彼は元気でしたかと尋ねた。

「元気だった。以前から無口な人だったから、殆ど話をしなかったけれどね、でも・・・」

 テオは海岸に放置されていた盗難車の話をした。パエス少尉がその車に大統領警護隊がこだわる理由を教えてくれそうだったが、同僚を気にして口を閉じてしまったことも語った。

「彼は懲戒を受けて転属になったので、同僚に悪い印象を持たれたくないのでしょう。」

とロホが評価した。

「民間人に仕事の内容を喋っては信用を取り返せなくなりますから。」

 きっとパエス少尉は窮屈な思いをして勤務しているのだろう、とテオは同情した。太平洋警備室は僅か5人の小さな部署だったが、少なくとも各自自由に仕事をしていた筈だ。機械いじりが得意だったと言うパエスは、国境警備に勤しんでいる。事務仕事が得意そうな彼の上官だったガルソン中尉は、今車両部で車の整備をしている。仕事内容が逆だったら、どちらも少し楽だったろう。
 ギャラガはテオのパエス少尉近況報告の中にチラリと出たサメの話が気になった。

「人喰いザメがいたのですか?」
「俺はこの目で見た訳じゃない。でも現場は大騒ぎだった。」

 早速ギャラガが携帯を出してネット検索を始めた。

「あ、ほんとだ、ニュースになっています。食われた人間の身元調査を開始とか・・・」

 アンドレ、とロホが声をかけた。

「食事前にそんな話は止そうぜ。」

 ところが、少佐が助手席の少尉に言った。

「これから人に会います。その情報を出来るだけ詳しく集めておきなさい。」

 

第6部 水中遺跡   7

  ほんの1時間前迄平和だったビーチがすっかり大混乱に陥っていた。誰かが通報したのだろう、セルバ共和国の官憲にしては珍しく警察と憲兵隊がすぐにやって来た。早くも砂浜でどっちの縄張りか揉め始めた。
 国境警備隊はレッカー車を引き連れてやって来た。運転手不明の盗難車を収容するのだ。大統領警護隊はルカ・パエス少尉も含めて全部で5名、まるで砂浜の喧騒が聞こえないみたいに完璧に無視して黙々と作業を指揮していた。陸軍の国境警備班は部下扱いだ。勿論ゲイトの方に大勢残っているのだろうが、エベラルド・ソロサバル曹長に指図を与え、レッカー作業を手伝わせていた。レッカー車は民間業者の様だ。砂浜をしきりと気にしていた。
 窓を黒く塗ったバンが2台やって来た。鑑識と死体収容車だ。テオは人垣のおかげで遺体を見ずに済んだことを感謝した。
 大統領警護隊が盗難車が停められていた付近を歩き回っていた。何かの手がかりを求めているのだろう。ソロサバル曹長とレッカー業者が2人で車を牽引する作業をしていたので、カタラーニがお節介にも手を貸しに行った。人助けが好きな若者だ。
 テオは大統領警護隊が盗難車を気にする理由が気になった。密入国の疑いがあるとしても、憲兵隊に任せて良いのではないか、と思ったのだ。だからパエス少尉が近くを通った時に近づいて声をかけた。

「密輸か密入国の疑いがあるのかい?」

 パエス少尉が足を止め、草むらから顔を上げた。

「そんなものですが・・・」

と曖昧な言い方をして、彼はレッカー車の後ろに繋がれたワゴン車を見た。

「発見から3日経ってから収容するには訳があります。」

 彼は同僚が近づいて来るのを見て、口を閉じた。そして、故意に声を大きくしてテオに言った。

「作業を手伝っていただいて感謝します。」

 彼はテオに敬礼すると仲間の方へ戻って行った。 盗難車が牽引されてビーチから出て行き、国境警備隊もそれぞれ車に乗り込んだ。ソロサバル曹長も自分が乗って来た車に乗った。走り去る時にテオとカタラーニに片手を上げて挨拶してくれた。
 砂浜のサメ騒動も沈静化しつつあった。憲兵隊が遺体とサメを収容して、撤収を始めた。警察は交通整理だ。人垣がバラけ始めたので、やっとテオは砂浜に乗り上げている漁船のそばに行った。
 クルーザーみたいに見えたが、そばに行けば古ぼけた大型漁船だとわかった。漁師と地元民がまだ何やら騒いでいた。テオは近くにいた男を捕まえて声をかけた。

「サメから死体が出たんだってな?」

 男は振り返ってニヤッと笑った。

「どこかの馬鹿がエル・エスタンテ・ネグロで泳いだんだ。それで守護者に飲み込まれちまったのさ。」
「エスタンテ・ネグロ? 守護者?」

 男は沖を指差した。

「あの辺りだ。大昔、岬があったって辺りでさ、海の底が平らになって黒っぽい岩の板が並んでいるんで、エスタンテ・ネグロ(黒い棚)って呼ばれている。」
「岩の板が並んでる?」

 それは遺跡じゃないのか、とテオは思ったが、口を挟むのは控えた。

「魚を網で獲るのは良いが、泳いじゃいけない。守護者・・・」

 男はサッと周囲を見回し、大統領警護隊が撤収したことを確認した。

「ヴェルデ・シエロのことじゃないぜ。ジャガーは海の中にはいないからな。ここで言う守護者って言うのは、サメのことなんだ。あの連中がエスタンテ・ネグロ周辺にいっぱいいてさ、人が泳ぐと集まってくる。だから、泳いで魚を獲っちゃいけないのさ。」

 彼は砂浜に乗り上げた漁船を見た。

「あれはホアンの船だ。ホアンは時々白人を沖へ連れて行って大物釣りをさせる。沖って、もっと遠くの沖だぜ。 カジキとかそんなの。で、今日はカジキ狙いで朝早く出たら、客がでっかいサメを見かけて、釣りたいって言ったらしい。ホアンは嫌がったが、チップを弾んでくれたんで、サメ用の仕掛けを客に教えた。」
「それで釣り上げたサメに人間が入っていたのか・・・」
「とんだ大物だよ、全く・・・」

 男はそれだけ喋りまくると、さっさと行ってしまった。
 砂がサメの血で赤く染まっていた。そのうち波に洗われるだろう。
 カタラーニが呟いた。

「なんだかトカゲを捕まえる気力が無くなっちゃいました。」


2022/03/06

第6部 水中遺跡   6

  ノミがいない宿屋を探すのもそれなりの苦労がある。チェックインした時にノミ避けスプレイを撒いておいたので、その夜は無事に眠ることが出来た。
 朝になって、チェックアウトするとテオとカタラーニは近所のカフェで朝食を取り、海岸へ行った。海辺のトカゲを捕獲してからグラダ・シティに帰ろうと言う魂胆だった。ところがビーチに近づくと、何やら人だかりしていた。砂浜に野次馬が大勢押し寄せていた。何だろうと思いつつ、ふとテオが北側を見ると、砂地が草むらに変わる辺りにワゴン車が1台停まっており、そばに兵隊が1人所在なげに立っていた。その顔に見覚えがあったので、テオは声をかけた。

「ソロサバル曹長!」

 陸軍国境警備班のエベラルド・ソロサバル曹長が振り向いた。テオとカタラーニは曹長のそばへ歩いて行った。砂が細かく歩きにくい。
 朝の挨拶を交わしてから、ビーチの人だかりの理由を尋ねると、意外な答えが返って来た。

「でかいサメが獲れたそうです。」
「サメ?」
「スィ。ホーガみたいにでかいそうです。」

 ホーガはカリブ海に住む豚のような頭の魚の怪物で、勿論民間伝承の化物だ。
 テオはビーチを見た。人々は船が戻って来るのを待っている様だ。大型の漁船らしい船がエンジン音を響かせながらビーチに近づいていた。あのまま砂に乗り上げるのか?
 人々が波打ち際に押し寄せ、船が見えなくなったので、カタラーニが人垣の方へ走って行った。テオは曹長に向き直った。 ワゴン車は国境警備班の車ではなさそうだ。ナンバーはセルバのものだが、公用車の印である国旗が描かれていなかった。

「この車は?」

 曹長が車を見た。

「持ち主不明の車です。」
「昨夜、大統領警護隊が持ち主を探していると言っていた、乗り捨てられた車?」
「スィ。」

 テオは運転席を覗き込んだ。がらんとした運転席で、荷物らしきものは見当たらなかった。後部席も空っぽだ。

「いつからここにあるんだ?」
「通報者によれば、一昨日の朝からだそうです。」

 普通なら警察が調べるのだろうが、国境警備隊が番をしたり、持ち主を探している。もしかすると密入国や密輸に関係した車なのかも知れない、とテオは思った。

「ナンバーの照会とかしてみたのか?」
「スィ。」

 当然だろうと言う顔で曹長が答えた。そしてテオが予想したことを言った。

「盗難車でした。」

 だから大統領警護隊が車をこの海岸まで運転してきた人間を探していたのだ。ゲイトを通った形跡がなかったので、まだセルバ側にいるかも知れないと夜の町を捜索していたのだろう。しかし、運転者の顔を知っているのだろうか。それともヴェルデ・シエロの勘を頼りに歩いていたのか? 
 
「それで、君はここで証拠物件の車の番をしているのか。」
「スィ。レッカーを待っています。」

 その時、ビーチに集まっていた野次馬の群れから悲鳴に似た声が上がった。テオとソロサバル曹長はそちらへ顔を向けた。数人が人垣から離れ、砂の上でゲーゲーやり出した。
 テオとソロサバル曹長は意図した訳ではなかったが、同時にその光景に背を向けた。

「サメの腹を裂いたんだな。」

とテオが囁くと、曹長が頷いた。

「そうでしょうね。そして嫌な物が出て来た・・・」

 足音が2人に向かって走って来た。

「アルスト先生!」

とカタラーニの声が怒鳴った。

「凄いものを見ちゃいました。サメの腹から人間が出て来たんですよ!」


第6部 水中遺跡   5

  夕食を終えてモーテルに帰ろうと歩きかけると、3軒向こうの店から先ほどの大統領警護隊の隊員達が出て来るのが見えた。どうやらこのハイウェイ沿いの店を片っ端から調べているようだ。この分だとモーテルにも来るかも知れない。テオとカタラーニは隊員達がいる方向へ歩いて行った。隊員達は顔を寄せ合って何か確認し合っていた。”心話”を使わないのは何故だろう。近くまで来てしまったので、テオは無視するのも悪い様な気がして、思い切って声をかけて見た。

「ブエナス・ノチェス、パエス少尉!」

 元大統領警護隊太平洋警備室勤務の中尉だったルカ・パエス少尉が振り返った。テオがいることは先刻承知だ。

「ブエナス・ノチェス、ドクトル・アルスト。」

 ニコリともしない無愛想さも以前と同じだった。カタラーニも挨拶した。院生のことを少尉が覚えているかどうか不明だったが、返事をしてくれた。テオは質問してみた。

「誰かを探しているのですか?」

 パエス少尉と連れの隊員が視線を交わした。これは”心話”だ。パエスが答えた。

「海岸に乗り捨てられた車がありましてね、持ち主を探しているところです。」

 それなら警察の仕事だろうと思ったが、テオは意見を差し控えた。大統領警護隊が探しているのだから、何か普通でない理由があるのだ。彼は100メートル程先のモーテルを指差した。

「俺達の車はあのモーテルの駐車場にあります。12号室です。」

 だから、その部屋の客は乗り捨てられた車の主じゃないよ、と告げたつもりだ。パエス少尉が頷いた。
 別れを告げて、テオとカタラーニは宿に向かって再び歩き始めた。軍人達が4軒目の店に入ったのを確かめてから、カタラーニが尋ねた。

「あの人、中尉じゃなかったですか?」
「少尉だよ。」

とテオは振り返らずに答えた。

「大人の事情があるのさ、アーロン。」

 カタラーニはサン・セレスト村で起きた爆発事件を思い出した。事件の真相を彼は知らなかったが、爆発したジープのそばにいたパエスが何らかの責任問題に問われたのだろうと思った。それ以上詮索するのはセルバのマナーに抵触する。

第6部 水中遺跡   4

  洞窟内は湿っぽかった。想定内だったので、テオとカタラーニはヘッドライト付きのヘルメットを被り、手にもう一つずつ懐中電灯を持っていた。トカゲを捕獲したら収容するための容器も肩から提げていた。所謂洞窟探検ではないので、生物の有無を確認しながらゆっくりと進んだ。テオはケイビング用長靴を履いていたが、カタラーニはトレッキングシューズだ。水が溜まっている箇所ではテオが、少し岸壁を登って見なければならない場所はカタラーニが分担して探した。捕獲用網も持っているので、動くものを見つけると懐中電灯を置いて、網を構えて忍び寄る。
 何とか目標の2匹を捕獲したのは3時間も経ってからで、外に出ると互いに泥だらけになっていることを確認出来た。エベラルド・ソロサバル曹長は彼等を見て肩をすくめた。
 洞窟の外に駐車しておいた大学の公用車(かなり年季がいったピックアップ)の番もしてくれていたので、テオは着替える間も見張りを頼み、カタラーニと共に泥だらけの服を脱いで新しいシャツに替えた。

「グラダ・シティに戻られるのですか?」

と曹長が尋ねた。テオはクエバ・ネグラに宿を取っていると答えた。

「今日トカゲを捕まえられなかったら明日も頑張るつもりだったんだ。」
「そうですか。ミッションが成功して良かったですね。」

 曹長はガイド料は要らないと言ったが、テオが紙幣を2、3枚握らせると感謝して去って行った。セルバでは兵隊にコネを作っておけば、後でトラブルに巻き込まれた時に役に立つことが往々にある。
 宿はハイウェイ沿いのモーテルだった。チェックインしてシャワーを浴びてから、テオとカタラーニは夕食に出かけた。捕獲用ケースをもう一つ持って出たのには理由があって、洞窟の外の現地のトカゲを見つけたら捕まえるつもりだった。
 トラックやバスの運転手達で賑わっているレストランを見つけ、食事をした。周囲のドライバー達は国境ゲイトが夕食時間の2時間閉鎖になるので、その間に食べてしまうつもりなのだ。夜は午後9時になると閉鎖になるので、この日ドライバー達に残されている越境時間は1時間しかない。しかし誰もが暢んびり料理を味わっている様に見えた。

「観光客は少ない様だな。」

とテオが客の印象を述べると、カタラーニも周囲を見回した。

「そうですね。南部の海岸では観光客が多いですが、ここは運送業者ばかりに見えます。でも昼間は海岸で遊んでいる人を多く見かけましたけどね。」
「観光客が宿泊するのはもう少し南の方なのかも知れないな。」

 店の入り口に顔を向けたカタラーニが、あれ?と言う顔をした。

「見た顔だなぁ・・・」

 テオもそちらを見た。兵士が2人入店したところだった。食事に来たと言うより、客の顔を確認しているように見えた。その胸に光っているのは緑色の鳥の徽章だ。
 大統領警護隊か。
 テオもその2人の顔を見た。一人は知らない顔だったが、もう一人は知っていた。知っていたが、彼はカタラーニの手を抑えて囁いた。

「向こうから声をかけて来ない限り、知らん顔をしていよう。」

 カタラーニは怪訝な顔をしたが、テオの言葉に従った。相手は大統領警護隊だ。馴れ馴れしく近づくような人々ではない。テオは彼の手から己の手を引っ込め、食事の続きをした。
店員が大統領警護隊に近づき、声をかけた。お食事ですかとか、どういう御用件でしょうか、とか訊いているのだ。大統領警護隊でなくても制服を着て拳銃を持った人間が入り口に立ちはだかって店内を見ていたら、客が落ち着かなくなる。外にいる人も入って来ない。店にすれば、客として来てくれるのなら良いが、そうでなければ迷惑な訪問者なのだ。
 大統領警護隊は店員に何か言い、外へ出て行った。誰かを探していたのだ、とテオは思った。だけど、俺達には関係ない。

第6部 水中遺跡   3

  クエバ・ネグラは北部国境近くにある海辺の町で、南から伸びて来ているセルバ東海岸縦貫ハイウェイの最後の通過地点になる。町の北の出口に国境のゲイトがあり、大統領警護隊と陸軍国境警備班合同の国境警備隊が守っていた。街はゲイトの通過待ちをする人々の宿泊施設や警備隊の家族が住む住宅地、両国の間の荷物を運ぶ短距離運送業者の事務所などがあり、商店も並んでいて、国の端っことは思えない賑やかさだった。
 海には沿岸警備隊と陸軍水上部隊が哨戒艇を出して密入国者を警戒していた。ここでは経済水域がどうのとかややこしい外交の問題は政治家にうっちゃって置いて、漁民が隣国とトラブルを起こさないよう見張っているだけだ。
 クエバ・ネグラの名の由来は町の西にある「黒い洞窟」だ。黒っぽい岩の丘があり、その中腹にポッカリと洞窟が口を開けている。時々大昔の石の鏃とか動物の骨らしき物が出て来るが、遺跡とは認定されていない。鏃が出るのだから遺跡だろうとテオは思ったが、人間が生活していた痕跡がないので、「偶々」鏃が落ちていたのだろうとセルバ共和国の考古学界は結論つけたらしい。
 遺跡ではないが、洞窟内にはそこにしかいないカエルやトカゲ、昆虫などが棲息しており、文化・教育省はそれらの希少生物保護の為に洞窟内の立ち入りを期間限定の許可制にしていた。洞窟内に入りたければ、インターネットか文化・教育省3階の自然保護課に申請を出して許可証を発行してもらわなければならない。
 テオはクエバ・ネグラ・トカゲの採取に許可証を申請して発行してもらった。早速助手のアーロン・カタラーニと共に出かけたら、洞窟の入り口にはゲイトも見張りもいなくて、困ってしまった。仕方なく自然保護課に電話をかけると、ガイドが行くので待つ様にと言われた。

「セルバ人の僕が言うのもなんですが・・・」

と洞窟近くの茶店でお茶を飲みながらカタラーニが言った。

「ガイドは明日にならないと来ないんじゃないですか?」
「俺の電話番号を自然保護課に伝えてあるから、遅くなるならガイドから電話があるだろうさ。」

 テオもなんとなくセルバ的な時間の使い方に慣れてきたので、2人で屋外席から見える海を眺めていた。

「昔はあの辺りに岬があって、あの沖まで地面があったんですって。」

とカタラーニが腕を前に伸ばして海原を指した。

「海から来る来訪者を迎える屋敷や海の神様に捧げられた神殿が建っていたそうです。」
「あの沖まで?」
「スィ。でも8世紀か9世紀頃に大きな地震があって、一晩でその岬は消えてしまったそうです。」
「地震で地殻変動が起きたんだな。」
「恐らくね。うちのインディヘナの婆ちゃんが先祖からの言い伝えだって言ってました。」
「神様のご機嫌を損ねたとか、そんな話かい?」
「多分ね。地質学院の調査で地震があったことは断層とかで確認されていますから。ほら、この店の裏手の崖と、向こう側の崖、色が違うでしょ?」
「ああ、本当だ。岩の層も違うな。ずれている。」

 2人で喋っていると、ハイウェイから洞窟へ向かって上がって来る道を、1台のオフロード車が走って来るのが見えた。カタラーニが気がついて、手を額にかざして見た。

「兵隊が来ますよ。ええっと・・・国境警備隊ですね。」

 国境警備隊の兵士が何の用事だろうと思っていると、車は店の前で停車した。運転席に座ったまま、兵士がサングラス越しにテオとカタラーニを見た。

「グラダ大学の人?」
「スィ。」
「じゃ、これから穴に入りますか。」

 兵士は車を前に数十メートル走らせて、道端に寄せて停めた。テオとカタラーニは顔を見合わせ、それから店の中に声をかけてから、洞窟に向かって歩き出した。

「ガイドって、あの兵隊か?」
「そんな感じですね。ガイド料を取るのかな?」

 兵隊はアサルト・ライフルを抱えて待っていた。テオは声をかけてみた。

「文化・教育省自然保護課が洞窟へ入る時のガイドを呼んでくれると聞いたんだが?」
「スィ、私です。エベラルド・ソロサバル曹長です。」

 陸軍国境警備班だ。ヴェルデ・ティエラ、普通のメスティーソだ。テオは自己紹介した。

「グラダ大学生物学部遺伝子工学科のテオドール・アルスト・ゴンザレス、准教授だ。正規の名前はゴンザレスだが、アルストと呼ばれているので、曹長もそちらで呼んでくれ。」

 彼はカタラーニを振り返った。

「大学院生のアーロン・カタラーニ、学者の卵だ。」
「アーロンと呼んで下さい。」

 カタラーニは手を差し出した。ソロサバル曹長は普通に握手に応じた。それでテオも彼と握手した。

「ガイドと言うから民間人が来ると思っていた。」
「洞窟の内部へ入るガイドは民間人にいますが、私は入り口であなた方が無事に出て来るのを確認するだけですから。」

 砂と小石が混ざり合った歩きにくい道を登り、洞窟の入り口に着いた。

「俺たちの目的は、この洞窟内に棲息するトカゲなんだ。2匹ばかり捕まえて、大学に持って帰る。研究用の検体を採取したら、また洞窟に返す。トカゲ以外の動植物は採取しない。」

 テオは許可証を提示した。トカゲの何を調べるのか、兵士は質問しなかった。外で待っていると言うので、テオとカタラーニは彼をそこに残して洞窟内に入った。

 

第6部 水中遺跡   2

  4階のオフィスに戻ったロホは、上官ケツァル少佐の机の前に立ち、会議終了の報告を行った。短く、

「サン・レオカディオ大学から出された助成金給付申請は却下されました。」

と告げ、会議の内容は”心話”で行った。少佐は無言で頷いた。却下されたのは当然だと言う意思表示だ。ロホが報告書を文書化する為に己の机の前に座ると同時に、隣の文化財遺跡担当課の職員達が戻って来た。4階に残って業務に就いていた同僚達に会議結果を報告したり感想を述べたりして、4階フロアが賑やかになった。
 カウンター前に座っていたアンドレ・ギャラガ少尉は、指揮官が怒らないかと心配になって、そっと少佐の方を伺った。文化保護担当部は3人しかいない。乾季の終わりが近づき、オクタカス遺跡で行われている今季の発掘調査が終了するので、監視役のマハルダ・デネロス少尉は忙しい。初めての大役を果たしている彼女の援護に、上官のキナ・クワコ中尉、通称アスルもオクタカスに出張しているのだ。だから残っている3人はとても忙しい。
 ギャラガの手元には来季の発掘申請が山のように配達されるし、メールも送られて来る。彼はそれを最初に隣の文化財遺跡担当課へ転送する。本来はそっちへ先に送られるべきなのだが、外国の研究機関は大統領警護隊文化保護担当部の承認が最初に必要だと勘違いしていることが多い。ギャラガは申請か別の要件か判別・仕分けしなければならなかった。そして文化財遺跡担当部で発掘申請受理が決定された案件は、再びギャラガの元に送り返されてくる。彼はそれを開いて内容を吟味して、申請書類の不備がないか審査する。文化財遺跡担当課との2重チェックだ。そして護衛の必要がない遺跡調査申請は直行でケツァル少佐に届けられる。少佐はそれに許可の署名をして文化財遺跡担当課へ戻す。
 護衛の必要がある遺跡の場合は手順が複雑になる。反政府ゲリラや盗賊の出没が懸念される地域の遺跡だ。或いは、(大きな声では言えないが)呪いがかけられた遺跡の場合だ。ギャラガは護衛の規模を想定し、案件をロホへ回す。ロホはそれを見て、陸軍の人件費や装備費用を算定し、発掘隊が支払うべき協力金の金額を割り出す。ロホが作成した予算書を見て、ケツァル少佐が本当にその遺跡監視にそれだけの費用が必要か検討する。遺跡監視費予算に許される範囲であると判定すると許可、予算的に無理と判じれば、ロホに再検討を求める。ロホの計算でどうしても護衛の規模に変更を加えなければならないとなると、協力金が増額される。それを申請者が承諾しなければ、発掘申請は却下される。
 申請者に協力金増額の通知を出すのはマハルダ・デネロス、陸軍に護衛の警備隊を編成させるのはアスルの役目なのだが、2人共不在なので、残っている3人が手分けして業務を行う。超忙しいので、少佐はご機嫌斜めだ。ギャラガは隣の職員達の喧騒で上官が苛立つことを恐れた。少佐の足元にはアサルト・ライフルが置かれているのだ。
 ケツァル少佐が視線を隣の課へ向けた。ヤバい! とギャラガが危惧した時、階段のところに一人の男が姿を現した。

「ケツァル少佐!」

 少佐の公式名であるミゲールではなくミドルネームのケツァルを使う一般人は、考古学界の人間だ。文化財遺跡担当課が静かになった。客が少佐を呼んだからではなく、客の出現が原因だった。文化財遺跡担当課の職員が客に声をかけた。

「少佐に直訴ですか、モンタルボ教授?」

 ギャラガは馴染みがなかったが、サン・レオカディオ大学のリカルド・モンタルボ教授は真っ直ぐに彼が座っているカウンターのところへやって来た。そしてカウンターに両手をついて、奥に座っているケツァル少佐に呼びかけた。

「護衛は要りません! 船や装備はこちらでなんとか整えます。ですから発掘許可をお願いします!」

 文化財遺跡担当課の課長がうんざりした様子で言った。

「大統領警護隊が護衛の有無を検討する前に、こちらで申請を通さなければ話は進みませんぞ、教授。」
「しかし・・・」
「兎に角、予算見積もりを立ててから来て下さい。調査員の安全が保障される装備を整えられるのかどうか、貴方の予算見積もりから推定して、許可を出せるか出せないか、考えますから。」

 ギャラガは上官達を見た。少佐も大尉も既にモンタルボ教授に興味がなさそうに書類に関心を戻していた。
 ギャラガは教授に言った。

「正式な申請書を提出していただけないと、護衛の有無の判定は出来ません。」

 モンタルボ教授は白人に見える若い少尉を眺め、それから溜め息をつくと階段を降りて行った。
 文化財遺跡担当課の職員の中から囁き声が聞こえた。

「カラコルの遺跡を発見したとなれば、一躍名を挙げられますからね。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...