2022/03/10

第6部 水中遺跡   19

  昼食は幼い子供の希望でハンバーガーショップで取った。Tシャツにデニムのボトムと言うラフな服装のケサダ教授は珍しいが、子煩悩な父親ぶりを発揮する姿も滅多に見られるものではない。それにアンヘリタ・シメネスは5歳で、最初は人見知りしているのかと思えたが、そうではなかった。3色の糸でミサンガを編み上げると、精神集中させる物がなくなったので、突然お茶目で騒がしい普通の子供に変身した。テオの隣に座りたがり、テオの腕時計に興味津々だった。普通の金属フレームの時計なのだが、熱心に見つめるので、テオは時計を外して持たせてやった。ケサダ教授が娘に「壊すなよ」と注意を与えた。
 テオは教授に水中遺跡に興味ありませんかと訊いてみた。ケサダ教授はないと答えた。

「海岸に近い遺跡は船で交易していた可能性が高い。私は陸路の交易を研究しています。歴史の中で消えていった古の街道を探しています。水中遺跡は他の人が研究してくれればそれで良いのです。」
「そうですか。海の底に沈んだ街と言うものに、俺の様な考古学の素人はロマンを感じますがね。」
「ロマンですか。」

 ケサダ教授は不意に娘からテオの時計を取り上げた。もう少しで時計をオレンジジュースの中に突っ込むところだったアンヘリタが抗議の声を上げたが、父親は取り合わなかった。時計のベルトを紙ナプキンで拭ってから、彼はテオに時計を返した。

「私が水中遺跡に興味を抱かない最大の理由は、水に潜るのが好きでないからです。」

と彼は正直に告白した。

「川や沼なら泳ぐことも苦になりませんが、海は塩分が目に染みるでしょう。それに果てしなく水が広がっている。そんな中に身を浮かべると、どこかへ流される様な気がして怖くなります。」
「俺は沼が苦手で・・・」

 テオも告白した。

「ヌルヌルした藻や水草が脚に絡まるのがなんとも言えない恐怖です。」

 するとアンヘリタが言った。

「パパはワニを捕まえられるよ。」

 恐らくナワルを使ってと言う話だ、とテオは思った。それで彼は言った。

「俺はサソリを捕まえられる女の子を知っているぞ、アンヘリタ。」
「リタよ。」

とアンヘリタが言った。

「リタって呼んで。」
「リタ?」
「スィ。サソリは簡単だから。採り方を教えてあげようか?」
「早く食べなさい、アンヘリタ。」

 娘に注意を与えてから、ケサダ教授はテオに言い訳した。

「私はワニ狩りなどしたことがありません。この子が勝手に思い込んでいるだけです。」
「そうでしょうね。」

 多分幼女はテレビか何かの媒体で、野生のジャガーがワニを捕食する映像を見たのだ、とテオは思った。そして何故かそのジャガーを父親だと思い込んだのだろう。しかし彼女の父親はジャガーではない。彼は決して我が子にもそのナワルを見せないだろう。

「もしクエバ・ネグラ沖の遺跡がカラコルと言う街だとしたら、調査なさりたいですか?」
「カラコル?」

 ケサダ教授はフンと鼻先で笑った。

「興味ありません。カリブ海諸国と船で交易をしていた街です。私の街道研究の対象外ですよ。」

 随分とはっきり言い切ったものだ、とテオは内心呆れた。それともヴェルデ・シエロの考古学者達は自分達の祖先が関わっていない遺跡を知っているのだろうか。

 

第6部 水中遺跡   18

  週末はエル・ティティに帰省するのがテオの1週間の締め括りだったが、その週は違った。養父アントニオ・ゴンザレス署長がグラダ・シティに出張して来たのだ。警部以上の警察官の研修なのだそうだ。金曜日の夜に夜行バスに乗ってやって来た署長を、テオは土曜日の朝バスターミナルまで迎えに行った。署長は長距離バスで疲れた体を休める暇もなく、グラダ・シティ・ホールで開かれる研修会に参加した。週末に仕事をするなんて、セルバの公務員としては珍しいことだが、内務大臣パルトロメ・イグレシアスの都合らしい。大臣は来週月曜日からフランスへ公務で出かけるので、土日に無理矢理研修会の日程をねじ込んだのだ。
 アスルが、土曜日の軍事訓練に出かける前に、自室として使っている客間から枕と毛布をテオの寝室に運び込んでいた。客間をゴンザレスに使ってもらう為だ。テオも自分の寝室にアスルの為に折り畳めるマットレスを置いた。急な来客用に購入していたもので、ソファで寝てもらうより体を伸ばせるので楽なのだ。
 研修会が終わったら電話するとゴンザレスが言ったので、迎えに行くとテオは約束した。夕食時間が何時になるか不明なので、大統領警護隊文化保護担当部とは約束出来なかった。
 夕方迄の時間潰しに公園に行った。広い芝生と低木の植え込みが波打つようななだらかな丘を覆っている。グラダ・シティ市民の憩いの場所だ。暢んびり歩いて、太陽が少しずつ真昼の位置に上がる頃に汗ばんでしまった。
 昼食はどうしようかと考えながら歩き続けると、大きな楡の木の下で休んでいる男性と幼い女の子の2人連れを見つけた。読書している男性がとても馴染みのある人だったので、テオは思わず声をかけた。

「ブエノス・ディアス!」

 男性が顔を上げた。そしてテオを見て微笑んだ。

「ブエノス・ディアス。 お一人ですか?」
「スィ。今日は一人です。」

 女の子は5歳ぐらいに見えた。白と緑と青の糸で何かを編んでいた。テオが子供を見たことに気がついて、男性が紹介した。

「末の娘のアンヘリタです。」
「ブエノス・ディアス、アンヘリタ!」

 テオが屈み込んで挨拶すると、女の子はチラッと彼を見て、「ブエノス・ディアス」と返事をしたが、すぐ糸に関心を戻した。
 テオは相手の許可をもらって隣に腰を下ろした。

「今日はエル・ティティではなかったのですか?」

と相手が尋ねた。テオは首を振った。

「養父が警察官の研修でシティ・ホールに来ているんです。だから、今夜は俺の家に泊まります。明日も研修かなぁ。」
「大臣の気まぐれも困ったものですね。」

 イグレスアス内務大臣の突然の研修会日程変更は既に前の週にニュースで流れていた。
 テオは公園を見渡した。もし記憶が正しければ、まだ女の子が3人いる筈だ。

「他のお嬢さん達は、教授?」

 フィデル・ケサダ教授は肩をすくめた。

「長女のピアノの発表会で、妻と次女と三女も一緒に出かけています。アンヘリタは演奏会に行くにはまだ早い年齢なので、私が子守をしているのです。」
「それは・・・長女さんはお父さんにもピアノを聞いてもらいたいだろうに・・・」
「毎日練習を聞かされているので、どうってことはありません。」

 テオはケサダ教授の家にはもう一人老人がいたことを思い出した。だが、彼女の存在は秘密の筈だ。ここで持ち出してはいけない。家族が出掛けている間、誰かが老人の面倒を見ているのだろう。教授の収入ならお手伝いさんぐらい雇える筈だ。
 テオは暫く鳥の囀りを聞いていた。 ケサダ教授は読書に戻り、幼子は何か編んでいた。
 ふとテオはンゲマ准教授が受けた電話を思い出した。それで、ケサダ教授に訊いてみた。

「ンゲマ准教授が最近奇妙な電話を受けたお話をご存知ですか?」
「奇妙な電話?」

 ケサダ教授が怪訝な顔をした。情報通の彼に入っていない情報なのか。ンゲマ准教授は恩師に報告する必要がない案件として片付けてしまったらしい。しかし喋ってしまった以上、テオは黙っている訳にいかず、クエバ・ネグラ沖の水中遺跡の発掘を希望しているサン・レオカディオ大学のリカルド・モンタルボ教授が体験した奇妙な資金援助提案と電話の話を語り、クエバ・ネグラの海岸の放置自動車を国境警備隊が調べていたこと、サメの腹から人間の遺骸が出て来たこと、ンゲマ准教授も奇妙な問合せの電話を受けたことを語った。
 ケサダ教授は意外な反応を見せた。笑ったのだ。

「貴方はいつも奇妙な案件を引き寄せるのですね。」
「別に俺が望んで引き寄せている訳じゃありません。」

 テオはちょっとムッとした。だが、と教授は言った。

「普通は無視して終わる話です。しかし貴方は気にしている。」
「そうですが・・・」
「セルバ流にアドバイスすれば、忘れなさい、と言うところですが、貴方は忘れられないでしょう。」
「損な性分です。」

 教授は本を閉じた。

「私からンゲマとモンタルボ教授に、その後の事態の進展を訊いてみましょう。さて、その件はここまでにして、どこかでお昼でも食べませんか? 子供連れで申し訳ないが・・・」



第6部 水中遺跡   17

  焼きそばを食べ終わる頃に、テオはモンタバル教授とンゲマ准教授の元にかかって来た奇妙な問合せの電話の件を語った。モンタバル教授に電話がかかって来たことはケツァル少佐とギャラガも以前教授自身の口から聞いていたので知っていた。ンゲマ准教授は最近のことなので、ちょっと驚いた。ギャラガはムリリョ博士が専任の教授となるし、講義対象もヴェルデ・シエロがセルバを支配していたと考えられる古代遺跡の研究なので、比較的年代が新しい遺跡を研究しているンゲマ准教授とはあまり馴染みがなかった。

「ンゲマ准教授の専門を考えると、クエバ・ネグラ沖の海中遺跡は少し年代が古くなるのではありませんか?」
「電話の主は遺跡より沈没船に関心があるように聞こえます。」

とデネロスが言った。彼女はスパゲティみたいにフォークに焼きそばを巻き取ろうとしたが、この店の焼きそばは短いのでちょっと難しそうだった。だからフォークで掬って食べていた。おかげで口周りにソースがベタっと付いてしまい、紙ナプキンを何枚も消費しているのだ。

「沈没船の噂は聞いたことがないなぁ。」

とテオは言った。

「海の底に昔の街が沈んでいることは住民も知っているけど、サメがいるし、漁師が魚を獲るか、ビーチで水遊びをする程度の場所だ。住民は水深の深い場所まで行かない。潜水漁より網で量をする場所だ。」
「沈没船があれば、もっと以前から噂が流れていると思います。」

 するとアスルが呟いた。

「沈没船ではなく、海底資源のことじゃないか?」

 全員が彼に注目した。

「チャールズ・アンダーソンとか言う男も遺跡ではなく、海底に埋蔵されている物を調査したいと思っているのかも知れない。」
「すると・・・」

 ケツァル少佐が考えた。

「放置自動車を運転していた人物は、アンダーソンか電話の主の仲間で、先行調査のつもりで海に入り、そのまま行方不明になった可能性もありますね。」
「サメに食われたとか・・・?」

 暫く一同は沈黙した。
 ウェイターがデザートに香りの良い中国のお茶とセルバの果物を使った色彩豊かなゼリー寄せを運んで来た。デネロスが注文したマンゴープリンではなかったので、彼女がそれを告げると、ウェイターが言い訳した。

「マンゴーがお昼に完売。今日は仕入れが少なかった。」

 少佐がゼリーを口に入れて微笑んだ。

「これで構いません。美味しいです。」
「グラシャス。」

 ウェイターがお辞儀して奥に戻っていった。デネロスも苦情を言うのを止めて、素直にゼリーを食べた。アスルが彼女に自分のゼリーを差し出した。

「俺の分も食って良いぞ。俺はお茶を買って来る。」

 彼は店内に入って行った。
 ギャラガが少佐に言った。

「クエバ・ネグラの件は発掘許可が出る迄、我々には関係ない話と考えて良いですか?」
「関係ありません。」

 少佐はあっさり言い切った。そしてテオを見た。

「トカゲはもう採取場所に戻したのですか?」
「スィ。スニガ准教授が自分で放しに行った。本当は捕獲した場所に放さなきゃいけないんだが、彼はきっと入り口付近で放してしまうだろうな。」
「学生にやらせれば良いのに。」
「洞窟の中に入るには文化・教育省の許可とガイドが必要なんだ。きっと彼はその手間を省いたんだろう。」

 それにスニガ准教授はちょっとしみったれだ、とテオは心の中で呟いた。学生を連れて行けば、それなりにお金がかかる。
 アスルがお茶が入った紙袋を持って出てきた。そしてテーブルに着くなり、彼は少し興奮気味に報告した。

「おい、中国人って、サメを食うって知ってたか?」


2022/03/09

第6部 水中遺跡   16

  ショッピングモールの中国料理店は繁盛していた。大統領警護隊文化保護担当部は一般企業より1時間早く終業時間を迎えるので、混み合う前にテーブルの確保が出来た。普段はバルで飲みながら小皿の単品料理を数多く注文して食べることが多いセルバ人も、中国料理は大皿を数種類注文して大勢で取り分けるスタイルなので、それが面白いのか喜んで騒いでいる。アスルは厨房を覗く許可をもらって店内に入ったが、それほど長居せずに出て来た。

「あの火力じゃ、普通の家で同じ物を作るのは無理だぞ。」

とギャラガに言った。それでもやっぱり気になるらしく、追加注文する度に中へ入って行くので、テオも少佐も笑ってしまった。デネロスはアジア系のソースの味が気に入ってソースをスプーンで掬って舐めていた。ギャラガは不安そうにテオに囁いた。

「アスル先輩は焼きそばを作ってくれますかね?」
「材料が手に入れば、何とかして作るだろうさ。それより、我が家には箸がないぞ。」
「木の枝で作ります。」

 ケツァル少佐がフォークを使えば?と呟いた。デネロスは遠慮なくフォークを使っていた。箸は無視だ。

「例の村の跡地へ行ってみましたけど、少佐とカルロが見た井戸の跡は草茫々でした。楡の木が生えていましたよ。でも幽霊の姿も臭いもありませんでした。」
「夜もそこにいたのかい?」
「スィ。アスル先輩が来て下さったので、キャンプは先輩に任せて私は村の跡地で寝ました。」

 デネロスは怖いもの知らずだ。少なくとも、死体が見えなければ、幽霊が何人出てこようが平気だった。
 恐らく、とケツァル少佐が言った。

「前回長老会の方々があの村跡を訪問した時に、長老のお一人が、ヘロニモ・クチャにこちらの世界に残った人々の近況を報告されたのでしょう。それでヘロニモは安心して眠りにつかれたのだと思います。」

 テオはその長老が誰なのか見当がついた。その長老はヘロニモ・クチャの心残りであったマレシュ・ケツァルとその息子が元気で暮らしていると告げたのだ。特に息子が立派に成長して、社会人として、守護者ヴェルデ・シエロの誇りを守って生きていることを報告したことだろう。マレシュ・ケツァルの息子の父親がヘロニモ・クチャだったのか、エウリオ・メナクだったのか、それはマレシュにもわからないと言うことだが、ヘロニモにとっては我が子だったのだ。
 デネロスは監視業務に就く前に親から教わった「死者への祈り」をきちんと執り行ったと報告した。”心話”でそれを見て、彼女が間違えることなく作法を守って儀式を行ったことを知り、少佐が満足げに頷いた。

「これでマハルダも多少の悪さをする霊がいる遺跡へ派遣出来ます。」
「え? いえ・・・そんなに回数は多くなくて良いです。」

 デネロスが焦ったので、一同は大笑いした。そこへウェイターが山盛りの焼きそばを運んで来た。アスルがウェイターを見た。

「いつ作ったんだ?」
「今さっき。」

と中国人ウェイターが答えた。

「貴方来なかった。だから、シェフがレシピ書いてくれた。麺が手に入らなければ、うちの店で売る。」

 アスルは漢字で書かれたレシピを渡された。ウェイターは店の中に戻って行った。紙面を睨んでいるアスルを見て、少佐が笑いたいのを堪えながら尋ねた。

「読めますか?」
「神代文字より難しいです。」

 テオが横から覗いた。

「俺は読めるぞ。」

 ヴェルデ・シエロ達が彼を見た。テオは己の額を指差した。

「アメリカ時代に勉強したことがまだここに残っているんだ。家に帰ってからスペイン語に翻訳してやるよ。俺も美味しい物が食えるなら、いくらでも協力する。」
「それじゃ・・・」

 デネロスが期待感いっぱいの顔で言った。

「マンゴープリンと杏仁豆腐と抜絲紅薯の作り方も訊いて下さい。」


第6部 水中遺跡   15

  テオが大学に戻り、キャンパス内を歩いて自然科学学舎に向かっていると、反対側の人文学舎から男性が一人出て来た。Tシャツにデニムパンツのラフな服装だったのですぐにはわからなかったが、考古学部のハイメ・ンゲマ准教授だと気がついた。フィデル・ケサダ教授の弟子でヴェルデ・ティエラのメスティーソだが、顔つきは純血種の先住民に近かった。普段キチンとしたスーツ姿で、昼休みは大学のカフェではなく自宅から弁当持参が多いと聞いていたし、実際のところテオはこの人とあまり出会ったことがなかった。見かける時はンゲマ准教授は大概ケサダ教授かムリリョ博士と一緒だった。珍しい普段着姿だったのは、オクタカス遺跡の出土品整理の手伝いをしていたのだろう。だから彼が近くに来た時、テオは挨拶がてら質問してみた。

「オクタカスの出土品はかなりの量の様ですね。」

 ンゲマ准教授が立ち止まって、「スィ」と答えた。

「有力者の住居跡と思われる箇所からかなりの日用品が出たそうです。数が多いので、もしかするとムリリョ博士がフランスへ持ち出す許可を出すかも知れません。」
「それは珍しい。」
「スィ。フランス人達は張り切っています。セルバの出土品を母国へ持って帰った例はまだありませんからね。」

 ヴェルデ・シエロの秘密に抵触しない壺程度なのだろうが、ムリリョ博士のお墨付きがあれば、堂々と国外へ持ち出せる。

「ところで、」

とンゲマ准教授がテオを見た。

「ドクトル・アルスト、貴方は最近クエバ・ネグラに行かれたそうですね。」
「スィ。街の名前の由来になっている洞窟でトカゲを採取しました。」
「海中遺跡の話を耳にされたことは?」
「モンタルボ教授にお会いして少しだけ話を聞きましたが、街では噂にも聞きませんでした。」

 するとンゲマ准教授が近づいて来て、囁いた。

「奇妙な電話が昨日かかって来まして、クエバ・ネグラの海の宝物について何か知らないか、と訊かれました。」
「相手は?」
「名乗りませんでした。私が知らないと答えるとすぐ切れました。」

 それでテオはモンタルボ教授も同様の電話を受けた話を語った。ンゲマ准教授は不快な表情を見せた。

「何者かが、海の底に関心を抱いている様です。グラダ大学は水中遺跡の研究をしてませんが、モンタルボ教授が心配です。あの人はまだ諦めていないでしょうから。」
「そうですね。」

 テオは、ンゲマ准教授が師匠のケサダ教授かムリリョ博士にその電話の話をしたのだろうか、と考えたが、尋ねなかった。准教授の判断に任せるしかない。


第6部 水中遺跡   14

  テオが危惧したサメから出た遺体のD N A検査依頼は来なかった。恐らく憲兵隊は、放置自動車から車泥棒の身元を探す手がかりを何も見つけられなかったのだ。サメから出て来た遺体は身元不明のまま、クエバ・ネグラの郊外にある教会墓地に埋葬された。
 セルバ共和国沿岸警備隊はクエバ・ネグラ沖でサメを数匹駆除したが、全部捕獲する訳でもなく、1週間も経つと住民の関心は薄れ、忘れられていった。
 オクタカス遺跡発掘隊の撤収が本格化して、グラダ大学に出土品や貸し出した発掘道具の返却など様々な荷物が送られて来始めた。フランス隊の世話をしたンゲマ准教授は大忙しだ。3日目には考古学者達と発掘に参加していた学生達が首都に戻って来た。考古学部が賑やかになった。発掘に参加しなかった学生や教授陣も一緒になって出土品の仕分けや記録作成の手伝いをしていた。
 大統領文化保護担当部の監視当番だったマハルダ・デネロス少尉も3ヶ月ぶりに帰還した。実際は”空間通路”を使って何度か帰って来て備品調達や休憩をしていたのだが、正式に帰って来た。撤収の監督をしたアスルも一緒だった。
 テオは久しぶりにデネロスに出会って、彼女がすっかり大人びていることに感心した。まず容姿が変わった。以前はセルバ美人と呼ばれるぽっちゃり顔に近かったが、顎の線が細くなり、きゅっと締まった顔つきになっていた。欧米のファッションモデルにも通用しそうな美女に変身していたのだ。全く化粧気がないのに、艶々と輝いていた。目つきも鋭くなった。ケツァル少佐を少し若くした感じだ。

「ジャングルでの任務は君にピッタリだった様だね。」

とテオが揶揄うと、えへへと笑った。そこはマハルダちゃんのまんまだ。

「体の奥にあった太古の血が騒いじゃって、楽しかったんですぅ。」

 アスルが横目で彼女を見た。

「出土品をちょろまかそうとした作業員を5人も摘発して、発掘隊から鬼の様に恐れられたんだぞ。」

 ケツァル少佐があははと笑った。

「見た目が可愛いからと言って、甘く考えましたね。いきなり引っ掻かれてさぞや痛い目に遭ったでしょうね。」

 マハルダは首都の空気をグッと吸って、「ああ、排気ガスの臭い!」と呟いた。

「報告書はいつまでに揚げると良いですか、少佐?」
「今週中です。」
「ええ、あと1日?」

 4階の職員全員からドッと笑いが起きた。テオも一緒に笑った。彼はその時、偶々学生の留学手続きの為に3階を訪問して、用事が済んで4階に来ていたのだ。
 デネロスがいそいそと机の前に座った。報告を文書化しなければならない。
 アスルがギャラガから留守中の業務報告を”心話”で受けた。ついでに焼きそばの報告も受けたらしい。彼はボソッと言った。

「俺は作ったことがない。今夜用事がなければ、その店に案内しろ。」

 後輩が作る前に自分が先に作り方をマスターしておきたいアスルだ。ギャラガが「承知」と答えた。アスルが外食なら、テオは自炊しなければならない。だから彼は横から割り込んだ。

「あの店に行くなら、俺も加えてくれ。」
「何の話です?」

 耳聡くデネロスが振り返った。食べ物の話は決して聞き逃さない。仕方がない、とケツァル少佐が苦笑した。

「マハルダのお帰りなさいパーティーでもしますか?」

 ロホが悲しそうな顔をした。

「今夜、グラシエラと会う約束をしています。」

 少佐がテオを見た。テオがグラシエラも連れて来れば、と言いかけると、少佐が先に言った。

「では、貴方は今夜別行動ですね。」
「すみません。」

 ロホはデネロスに向かって、「すまん」と謝った。テオは少佐に小声で尋ねた。

「どうしてグラシエラは駄目なんだ?」

 すると少佐も小声で答えた。

「マハルダにイェンテ・グラダ村の報告もしてもらうので・・・」

 50年前に住民全滅作戦が行われた村の遺構だ。デネロスはその悲劇の場所へ行って、ヘロニモ・クチャの幽霊がもう現れなくなったことを確認に行ったのだった。グラシエラは先祖の悲劇を何も教えられていない。少佐も兄のカルロ・ステファン大尉も、母親のカタリナも、末っ子の彼女には悲しい家族の歴史を教えたくないのだった。ロホはイェンテ・グラダ村跡に行ったことがない。だからグラシエラとあの村の話をせずに済む。

第6部 水中遺跡   13

  地元民にとって大事な物・・・それがチャールズ・アンダーソンや謎の電話の主が探している物なのか?
 テオはモンタバル教授が何か危険なことに巻き込まれそうな不安を感じた。もしかすると発掘許可が出ない方が教授とサン・レオカディオ大学にとって良いのではないか。
 発掘装備と水中活動装備、それにサメ対策とモンタバル教授の考古学部には課題が多い様だ。
 食事が済むと、教授は全員の食事代を払うと言ったが、ケツァル少佐はキッパリと拒否した。公務員として民間人から利益供与を受けられないと彼女は言った。

「もし貴方がここでお支払いされると、私達は貴方に今後一切の発掘許可を出せなくなります。」

 そこまで言われると、教授も仕方なく引き下がるしかなかった。食事代は大皿から取り分けて食べた料理と同じように全員で均等に分担した。(但し、一番格下のギャラガの食事代を少佐が払ったことをテオは知っていた。)
 モンタバル教授と別れて、テオと大統領警護隊の3人はショッピングモールの中をぶらぶら歩いた。平日なので、そろそろ衣料品店などは店仕舞いしてシャッターを下ろし始めていた。少佐の養母の宝飾店がある区画へ行くかとテオは期待したが、そちらへは足を向けなかった。宝石や高級ブランドの衣料品店は食物の匂いがするのを嫌うので、ちょっと遠い場所に出店している。少佐はそこまでわざわざ行く価値を見出さなかったのだ。元よりブランド品には興味のない女性だ。開いている雑貨店などを冷やかしながら、彼等は駐車場に向かった。

「中国料理はいかがでしたか?」

と少佐が不意に質問した。テオは美味かったと答え、ロホも同意した。

「中国では医食同源と言って、食べ物も薬と言う考え方があるそうですよ。」
「そうなんですか。」

 指導師の資格を持っているので、少佐とロホは漢方の話を始めた。まだ若いギャラガはちょっと蚊帳の外だ。テオに、文化・教育省がある商店街にテイクアウト専門の中華料理店がありますよと話しかけた。テオは首を振った。

「あの店はお薦めしないな。中華を食べたければ、大学の学食で食べた方が良い。安いし、学生向けの味付けの物を作っている。唐揚げとか、エビチリとか・・・」
「今夜の焼きそばが気に入りました。」

 テオは笑った。

「食材店で材料を買って、ネットで作り方を検索しろよ。俺の家の台所を貸してやる。アスルに作ってもらうのも良いかもな。」

 ギャラガが悩ましげな顔になった。彼はアスル先輩が好きなのだが、アスルは気まぐれで無愛想だ。だからギャラガはちょっと苦手意識もあった。頼み事をしてもあっさり拒否されることが少なくないのだ。それにテオの家の台所はアスルの縄張りと言う認識をギャラガは持っていた。
 車に乗り込み、街に出た。テオは隣のロホに尋ねた。

「グラダ大学はクエバ・ネグラ沖の水中遺跡に興味がないのか?」
「水中遺跡を研究している学者がいませんから。」

とロホは答えた。

「主任教授、2人の教授、2人の准教授、それに大学院生の講師1人がいますが、全員地上遺跡の研究者です。」
「船は苦手なのかな?」
「船が、と言うより、地震で沈んだとされる街がヴェルデ・ティエラの街だったので、興味がないのでしょう。ンゲマ准教授が興味を抱くかと思ったのですが、彼はフランスの大学が発掘を希望している遺跡の方に関心があって、クエバ・ネグラに無関心です。」
「ああ・・・オクタカスやアンティオワカ辺りか。」
「スィ。海底遺跡は以前イギリス人が興味を持ちましたが、結局壺が10個ばかり出ただけで、生活の痕跡や祭祀跡がなかったのです。ですからグラダ大学に海に潜る人はいません。」

 ギャラガが「泳ぐのは好きですが、潜水はね・・・」と囁いた。あくび混じりだったので、少佐が運転しながら笑った。

「アンドレ、もうお眠ですか。」
「すみません、満腹で瞼が落ちて来そうです。」
「あと少しです、頑張りなさい。」

 少佐はベンツを大統領警護隊本部の正門前に停めた。ギャラガはリュックを手に取り、助手席から外へ滑るように降り立ち、上官とテオに敬礼した。そしてくるりと体の向きを変え、門に向かって走り去った。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...