2022/03/13

第6部 水中遺跡   24

  サン・レオカディオ大学考古学部が2度目の発掘許可申請を文化・教育省文化財遺跡担当課に提出したのはそれから1ヶ月後だった。予想以上に早い展開でスポンサーを見つけたのだ。相手は隣国でも海洋レジャー施設を建設しているアメリカ資本の観光業者ビエントデルスール社で、サン・レオカディオ大学の発掘作業を海上で見学出来るクルーズを許可することが条件だった。そして発掘が休止するシーズンには、遺跡そのものを潜水して見学するツアーも認めて欲しいと要求を出していた。モンタルボ教授はクルーズやツアーのコースが国境を越えるものであることを心配したが、観光業者はそちらの件は自分達の方で両国政府関係省庁に許可申請すると言った。既に国境を跨いだクルーズコースを持っている業者であったし、国境警備隊とも良好な関係を築いてきた実績がある会社だったので、モンタルボ教授は腹を括り、スポンサー契約を結び、セルバ共和国文化・教育省に発掘許可申請を出したのだ。
 南国と雖もクリスマス休暇は大事だ。その長い連休前に出された申請に、文化・教育省文化財遺跡担当課のお役人達はちょっと焦った。休暇を跨いで持ち越すと、文化・教育大臣は機嫌が悪くなる。決裁に時間を掛けることを嫌う人だった。文教大臣に合否の署名をもらう前に、大統領警護隊文化保護担当部の承認を取るところまで持って行かねばならない。ビエントデルスール社の信用を根拠に早々と申請を受理し、助成金給付の検討に入った。同時に遺跡発掘許可申請を大統領警護隊に回した。
 海で休日を過ごすのが好きな窓口担当のアンドレ・ギャラガ少尉は、水中発掘作業の装備品の目録を見て、知り合いの海中作業士に電話で問い合わせた。海中作業士は海に潜って工事や建築用調査を行う仕事をしているので、モンタルボ教授の申請書に書かれた装備品目録を検討して、ほぼ合格と判定した。モンタルボ教授が事前にビエントデルスール社と相談して立てた計画書だったから、当然だった。それでギャラガはデネロス少尉に発掘調査隊の警護について相談した。デネロスは海での発掘を監視した経験がなかった。それで大学の恩師であるケサダ教授に連絡を取り、海外の海中遺跡調査を経験している団体を紹介してもらった。デネロスはスペインの考古学者に電話をかけて、出土品の管理や作業員の安全管理はどうだったかと質問した。スペイン人は海の上での監視はなかったが、陸上で出土品の検査を受けたと答えた。遺跡から引き揚げた出土品は遺跡がある国のものなので、考古学者と言えど無断で国外に持ち出せない。出土品は当該国の政府が管轄する文化機関に預けられたと言うことだった。
 デネロス少尉が付けた監視案と共に申請書はロホに回された。ロホは海上警備の立案経験がまだなかったので、北部国境警備隊に電話をかけた。勿論大統領警護隊のオフィスだ。クエバ・ネグラのオフィスからの回答は、海賊対策は沿岸警備隊の担当だと言うことだった。ただ発掘隊に密入国者が混ざる可能性もあるので、海から戻って来る調査隊の監視は行うと国境警備隊は言った。出土品の盗難チェックは文化保護担当部に任せるとも言った。密入国者への警戒は国境警備隊本来の職務なので、文化保護担当部が立てる予算に費用は入らない。海賊対策も沿岸警備隊が常時行なっている仕事なので、これも省略出来る。ロホはこの発掘調査に関する予算として、港で待機して出土品の監視をする文化保護担当部の日当を計算して、ケツァル少佐に申請書を回した。
 ケツァル少佐は、夕方帰港する調査隊を待つだけの仕事に貴重な部下の時間を使うのは無駄だと考えた。彼女はセルバ国立民族博物館に電話をかけ、事務長に博物館の学芸員を監視業務に回してもらえないかと尋ねた。普通大統領警護隊の依頼を断る機関は滅多にない。しかしセルバ国立民族博物館は、館長が大統領警護隊文化保護担当部全員の師匠だから、いつも強気で応対する。どの学芸員も多忙で、港で一日何もせずに待たされる仕事をする暇はないと博物館事務長は答えた。少佐は一旦電話を切り、モンタルボ教授に連絡をとった。出土品の所有権を全てセルバ国立民族博物館に譲り、サン・レオカディオ大学は管理権を持つと言うのはいかがだろうかと提案した。管理権とは、出土品を好きな時に大学に持ち帰り研究する権利と、外国へ貸し出したり展示する権利、発見者の名前を出土品の名前に使用する権利等だ。モンタルボ教授は検討期間を3日要求し、3日目の夕刻に提案の承諾を伝えた。ケツァル少佐は博物館に再び電話を入れた。電話に出たのは事務長ではなく、館長だった。

「どうしてもカラコルをいじると言うのだな?」

 不機嫌な声だったが、怒っていない、と少佐は判断した。

「スィ。サン・レオカディオ大学は出土品の所有権を放棄する代わりに、自由に研究したいと言っています。」
「海の底で腐りかけている物など、欲しいだけくれてやるわ・・・と言いたいが、貴重な我が国の歴史の一部だ、粗末に扱えぬ。モンタルボに伝えておけ。調査する以上は徹底して調べろと。そして作業者を決して危険に曝すな、とな。派遣する学芸員はこちらで選考する。」
「グラシャス。」

 少佐は電話を終え、申請書の最後の署名欄に彼女の名前を書き込んだ。

第6部 水中遺跡   23

  テオは日曜日にゴンザレスを市内観光に連れ出すつもりでいた。しかしゴンザレスは研修会で出会った警察学校時代の同級生がアスクラカン南部で署長をしていると知り、彼と一緒に車で帰ると言って、昼前にグラダ・シティを去って行った。朝ご飯にアスルが作った焼きそばを大量に食べて行ったので、アスルは上機嫌だった。

「あんたの親父さんは良い人だな。だけど、俺に嫁を世話しようとするのだけは止めさせてくれ。」

と言ったので、テオは笑ってしまった。エル・ティティにはゴンザレスの親戚がいて、年頃の娘達の結婚相手を探しているのだ。大統領警護隊の中尉となれば嫁の来てがいくらでもいるだろうが、姪っ子をもらってくれないか、と朝食の時にアスルはゴンザレスに声をかけられ、危うく喉を詰まらせるところだった。
 日曜日は自由時間だ。テオは自宅前に迎えに来た友人の車に乗ったゴンザレスを見送り、それから散歩がてら西サン・ペドロ通りに向かって歩いた。歩きながら電話をかけると、ケツァル少佐はアパートで退屈していたので、すぐに外に出て来てくれた。
 商店街まで歩いて、どこかで昼ごはんを食べようと言うことになり、2人は話しながら暢んびり街中を歩いた。少佐はデネロスのオクタカス遺跡発掘監視報告の概要を語り、最後にムリリョ博士がモンタルボ教授の資金集めを知って不機嫌だったと告げた。

「ですから、大学で彼に出会ったら、用心して下さいね。不機嫌な博士は学長も避けて通りますから。」

 テオは思わず笑った。そして彼も公園でケサダ教授と娘のアンヘリタと出会ったことを語った。教授が海中の遺跡に全く興味を示さないことへ疑問を感じたと言うと、少佐はアスルが言った3つの理由を教えてくれた。3番目の理由は、テオの興味を大いに引いた。

「カラコルの町はヴェルデ・シエロの呪いで海に沈んだのか・・・」
「伝説がどこまで真実なのかわかりませんが、全国の全てのヴェルデ・シエロが呪えば、地震も起こせたのでしょう。」
「それでグラダ大学の教授達はモンタルボ教授の研究に知らんぷりをしている・・・ンゲマ准教授はヴェルデ・ティエラだったと思うが・・・?」
「ンゲマ准教授はジャングルの遺跡が専門ですから。」
「そうだった。俺の乏しい考古学の知識によれば、オクタカス辺りの遺跡はカラコルより後の時代のものだったなぁ。」

 モンタルボ教授は可能な限りの資金集めをして、集まる金額から発掘調査隊の規模と装備を算定し、それから再び発掘申請を出すのだろう。
 教授に奇妙な資金援助を持ちかけて来た会社や奇妙な問い合わせ電話の主は、カラコルの町にあったと考えられる財宝を狙っているのかも知れない。モンタルボ教授が発掘許可を得た時に、そんな連中が集まって来るのだろうか。


第6部 水中遺跡   22

 テオは夕日が沈み切る前にアントニオ・ゴンザレスから連絡をもらい、シティ・ホールに迎えに行った。ゴンザレスは昔馴染みの警察官と研修会場で出会って、彼等にテオを紹介した。地元グラダ・シティの警察官が案内して、彼等は彼の行きつけの店を数軒梯子した。テオもオヤジ達に引っ張られ、あちらこちら飲み歩いた。

「何の研修をしたの?」
「決まってるだろう、麻薬取締関連さ。」

 研修は土曜日だけで終わったので、年を取った警察官達はすっかりご機嫌だった。難しいことは憲兵隊に任せて、自分達は街中で不審人物を取り締まるだけだ。彼等は研修内容については口が固かったが、研修会を主催した内務省のお役人達の悪口には大いに盛り上がった。テオは苦笑しながら彼等の愚痴を聞かされた。
 4軒目の店を出て、やっとゴンザレスが「家に帰ろう」と言ってくれたので、テオは車を運転するには飲み過ぎたと気がつき、タクシーを拾った。彼の車は路駐のままだが、車上狙いに遭わないための秘策を施しておいた。フロントガラスの内側に、緑色の鳥のシールを貼ったプレートを置いたのだ。これは大統領警護隊御用達の業者が使用を許されている「駐車違反御免」のプレートだ。交通警察のお目溢しに預かれるし、車上狙いも寄り付かない。大統領警護隊は出入り業者に損害を与える者に対して容赦しないからだ。何の業者だと訊かれれば、テオはこう答えただろう。「遺跡の出土品の年代特定検査業者だ」と。ミイラの遺伝子鑑定は年代特定に入るのだ。
 自宅に帰り着くと、アスルはまだ戻っていなかった。ゴンザレスはシャワーを浴び、客間に入るとすぐ寝てしまった。長距離バスと研修と酒で疲れたのだ。一日暢んびり過ごしたテオはまだ眠る気にならず、自室に入ってパソコンでニュースを見た。
 大統領警護隊本部官舎の門限の頃になって、アスルが帰って来た。テオは物音で彼がシャワーを使う気配を知り、床にマットレスを広げて置いた。
 ドアをノックしてアスルがテオの寝室に入って来た。テオがパソコンの電源を落とそうとすると、「気を遣うな」と言った。彼はマットレスの上にゴロリと寝転がった。テオは声を低くして話しかけた。

「マハルダの報告会は上手く行ったかい?」
「スィ、彼女は大学でも優秀だからな、合格点をもらえた。」

 未許可場所での喫煙者の発見をしくじった点を指摘したことをアスルは黙っていた。大した問題ではないからだ。デネロスは次回から用心する筈だ。そう言えば、とテオは昼間出会った人物との会話を思い出した。

「俺は公園で散歩していてケサダ教授と出会ったんだ。教授はお嬢さんと散歩中だったので、一緒にハンバーガー屋に行って昼飯を食った。」

 アスルは彼の報告を気のない顔で聞いていた。眠たいのかも知れない。テオは急いで本題に入った。

「グラダ大学の考古学者達はクエバ・ネグラの海中遺跡に全く興味がない様だが、どうしてだろう。ヴェルデ・ティエラの遺跡でも地上のものはちゃんと発掘調査をしているのに。」

 アスルは簡単に答えた。

「本当に興味がないからだ。水中調査に使う金がないからだ。そしてカラコルはヴェルデ・シエロにとって禁忌の場所だからだ。」

 え?とテオは彼を見つめたが、アスルは毛布を体にかけて、彼に背を向けた。そしてモゴモゴと呟いた。

「詳しく知りたければ、彼女に聞け。」

 

2022/03/12

第6部 水中遺跡   21

  博物館の駐車場に来ると、デネロス少尉が再び質問した。

「どうしてグラダ大学は海中遺跡の研究をしていないのですか?」

 ロホがケツァル少佐を見た。答えを知っているが、上官に任せたいと言う顔だったので、少佐が答えた。

「いくつか理由があります。第1は、海中遺跡に興味を持った研究者がこれ迄いなかったからです。第2は、海中調査は膨大な資金が必要です。船や潜水具、安全対策、全て国民の税金で賄われている大学の予算から割り当ててもらえるのは至難の業です。第3は、カラコルがヴェルデ・シエロと無関係だと考えられているからです。」

と言ってから、彼女は周囲を見渡し、自分達以外に人がいないことを確認した。そして声を顰めた。

「無関係ではなく、禁忌の場所だったからです。」
「禁忌?」

とアスルがおうむ返しに尋ねた。今度はロホが答えた。

「カラコルはヴェルデ・ティエラの町だった。住民は船で交易をしていた。相手は当然ながら外国だ。そして交易相手がある商品を望んだ。相手国の支配者が欲しがったのだ。」
「何を望んだんだ?」
「ジャガーだ。ジャガーの毛皮ではなく、生きたジャガーを望んだ。恐らく王権の象徴として飼育するつもりだったのだろう。セルバではジャガーを狩ることは古代から禁止されている。ジャガーは神だからな。しかし、カラコルの商人達はその禁忌を犯したのだ。」

 少佐が素早くその後を引き継いだ。

「カラコルの住民は3頭のジャガーを捕まえました。金色のジャガー、黒いジャガー、そして白いジャガーです。」
「え?」
「白いジャガー?」
「黒いジャガーって・・・?」

 アスル、デネロス、そしてギャラガがびっくりして少佐とロホを見つめた。少佐が言った。

「勿論、文献に残っているのではなく、ロホの実家の様な旧家に言い伝えられている話です。金色と黒のジャガーは恐らく動物のジャガーだったのでしょう。動物でもジャガーは捕ってはいけないことに変わりありません。」
「白いジャガーと言うのは?」
「恐らく”聖なる生贄”となる人だったのです。決して他人に見せてはいけないナワルを使った時に見つかって捕まったのだと考えられています。”聖なる生贄”を捧げられるのはヴェルデ・シエロの”暗がりの神殿”だけです。絶対にヴェルデ・ティエラが触れてはいけない人なのです。しかし、カラコルの商人達はその人を外国人に売り渡そうとしたのです。」

 ロホが実家に伝わるその物語を締めくくった。

「ママコナが白いジャガーの危機を察知した。彼女は全国の一族に触れを出したのだ。”聖なる生贄”を外国に渡してはならぬ、一族を汚すカラコルを罰せよ、と。」

 暫く沈黙してから、ギャラガが口を開いた。

「それでカラコルの町があった岬は海の底に沈んだのですね?」

 伝説です、と少佐が囁き、ロホが言った。

「だから、一族の血を引く考古学者はカラコルの遺跡があの海底にあると知っていても無視を続ける。モンタルボ教授は一族とは無関係だし、彼が遺跡を研究しても我々は文句を言えない。だが、我々があの遺跡を研究することはない。」

 夕食はセルド・アマリージョで取ろうと言うことになって、少佐のベンツとロホのビートルにそれぞれ適当に分乗した。ハンドルを握ったケツァル少佐は思った。

 ジャガーを冒涜した町をムリリョ博士はきっと嫌悪されているのでしょうね。




2022/03/11

第6部 水中遺跡   20

  その週末の軍事訓練は、マハルダ・デネロス少尉のオクタカス遺跡発掘隊監視業務の報告会だった。”心話”で指揮官ケツァル少佐に報告したが、文書化すると色々と私観が入っていたことも気付かされ、デネロス自身から反省会の申し出があった。それで大統領文化保護担当部はセルバ国立民族博物館の研修室を貸し切って、オクタカカス遺跡発掘状況報告会を行った。これはデネロス少尉にはかなり緊張を要する「訓練」となった。文化保護担当部の仲間の他に博物館の学芸員達も出席したのだ。ヴェルデ・シエロはいないので、普通の人間を相手に発掘行程や出土品の解説、作業員の待遇、発掘隊の考古学者達の研究などを説明した。
 前回の発掘で見つかった有力者の邸宅跡から大量の生活道具が出土したことや、庶民の住宅も多数確認され、オクタカスは豊かな街であったことが推測された。そして前回落盤事故(と公式には発表されている)で崩落した古代の裁判所「サラ」の発掘作業も報告された。

「恐らくオクタカスに近隣の村などから罪人が集められ、審判にかけられる迄勾留されていたと考えられ、拘置所に相当する施設を探すことが次回の課題となった様です。街の賑わいは、それらの罪人を連れてきた役人や兵士の宿泊施設や店から成り立っていたと考えられます。つまり、オクタカスは商業都市でも宗教都市でもなく、裁判所で繁栄した稀な街だったと推測されるのです。」

 デネロスの遺跡に関する解説が終わると、忽ち学芸員達から質疑が浴びせられた。デネロスは一所懸命考え、応答していった。ケツァル少佐は彼女の落ち着きと慎重さに満足気に見えた。ロホは一度だけ訪れた遺跡を思い出し、異様な雰囲気の洞窟通路やテオドール・アルストに普通の人間ではないと見破られた苦い経験が今では良い思い出になったなぁと、年寄りの様な感慨を抱いた。アスルは陸軍警備隊の撤収を監督して来たところだったので、明日の日曜日は暢んびり寝ていたいなぁと思っていた。ギャラガは自分も早く遠隔地の現場に出て一人前になりたいと強い願望を抱いていた。
 考古学的報告が終了して、学芸員達が研修室から出て行くと、大統領警護隊は警備と監視の報告と反省を行った。作業員の中で出土物をちょろまかそうとした人が2人程いて、デネロスは彼等を見つけ次第解雇した。場所によっては罰金や禁固刑になるのだが、オクタカスの村の住民だったので、今後の雇用のことを考え、厳重注意と解雇で許した。監視が小娘だと舐めていたら、やっぱり大統領警護隊だ、と思い出させてやったデネロスは、一人で森の中を歩き、野豚を仕留めてキャンプに帰り、男達を仰天させたのだった。
 アスルは警備兵の中に隠れて喫煙していた者がいたと指摘した。喫煙禁止ではないが、喫煙場所を守らないのは良くない。山火事の原因になるのだ。デネロスはタバコの臭いに気が付かなかった。喫煙場所で吸った兵士と臭いが混ざってしまったのだ。

「時間の経過による臭いの減少具合を覚えないといけないな。」

と先輩に指摘され、デネロスは反省した。
 最後にアスルがイェンテ・グラダ村跡の報告を行った。ケツァル少佐とカルロ・ステファン大尉が長老会の護衛で訪問した時期より数ヶ月経って、村跡はさらに密林に飲み込まれていた。もうそこに人間の営みがあった場所とは誰も思わないだろう。斜めに生えた楡の木も、墓とは思えない。ヘロニモ・クチャは誰にも邪魔されずに故郷の土に還ったのだ。
 報告・反省会が無事に終わり、研修室を片付け大統領警護隊は通路に出た。そこに、館長が立っており、一同は不意打ちを食らった。

「サン・レオカディオ大学のリカルド・モンタルボがカラコルを見つけたと言っておるそうだな?」

 いつも顰めっ面をしているファルゴ・デ・ムリリョ博士が、相変わらず気難しそうな顔で訊いて来た。ロホが訂正した。

「モンタルボ教授は伝説のカラコルの一部ではないかと思われる水中遺跡を発見したのです。」
「カラコルであると言う確証はないのだな。」
「発掘許可を出していませんから、本格的調査はまだです。」

 口をへの字に曲げてムリリョ博士は去って行った。セルバ考古学界の大御所の背を見つめる大統領警護隊に、博士の秘書が話しかけた。

「サン・レオカディオ大学が資金集めに積極的活動を始めたのです。それは構わないのですが、カラコルの遺跡を発見したと言う触れ込みなので、博士はご機嫌斜めです。」
「カラコルが発見されると都合が悪いのですか?」

とデネロスが無邪気に質問した。秘書が肩をすくめた。

「今までセルバ考古学界が手をつけなかった海底で見つけたから、面白くないんじゃないですか?」

 苦笑する大統領警護隊を置いて、彼女は急いで博士を追いかけて行った。

 

2022/03/10

第6部 水中遺跡   19

  昼食は幼い子供の希望でハンバーガーショップで取った。Tシャツにデニムのボトムと言うラフな服装のケサダ教授は珍しいが、子煩悩な父親ぶりを発揮する姿も滅多に見られるものではない。それにアンヘリタ・シメネスは5歳で、最初は人見知りしているのかと思えたが、そうではなかった。3色の糸でミサンガを編み上げると、精神集中させる物がなくなったので、突然お茶目で騒がしい普通の子供に変身した。テオの隣に座りたがり、テオの腕時計に興味津々だった。普通の金属フレームの時計なのだが、熱心に見つめるので、テオは時計を外して持たせてやった。ケサダ教授が娘に「壊すなよ」と注意を与えた。
 テオは教授に水中遺跡に興味ありませんかと訊いてみた。ケサダ教授はないと答えた。

「海岸に近い遺跡は船で交易していた可能性が高い。私は陸路の交易を研究しています。歴史の中で消えていった古の街道を探しています。水中遺跡は他の人が研究してくれればそれで良いのです。」
「そうですか。海の底に沈んだ街と言うものに、俺の様な考古学の素人はロマンを感じますがね。」
「ロマンですか。」

 ケサダ教授は不意に娘からテオの時計を取り上げた。もう少しで時計をオレンジジュースの中に突っ込むところだったアンヘリタが抗議の声を上げたが、父親は取り合わなかった。時計のベルトを紙ナプキンで拭ってから、彼はテオに時計を返した。

「私が水中遺跡に興味を抱かない最大の理由は、水に潜るのが好きでないからです。」

と彼は正直に告白した。

「川や沼なら泳ぐことも苦になりませんが、海は塩分が目に染みるでしょう。それに果てしなく水が広がっている。そんな中に身を浮かべると、どこかへ流される様な気がして怖くなります。」
「俺は沼が苦手で・・・」

 テオも告白した。

「ヌルヌルした藻や水草が脚に絡まるのがなんとも言えない恐怖です。」

 するとアンヘリタが言った。

「パパはワニを捕まえられるよ。」

 恐らくナワルを使ってと言う話だ、とテオは思った。それで彼は言った。

「俺はサソリを捕まえられる女の子を知っているぞ、アンヘリタ。」
「リタよ。」

とアンヘリタが言った。

「リタって呼んで。」
「リタ?」
「スィ。サソリは簡単だから。採り方を教えてあげようか?」
「早く食べなさい、アンヘリタ。」

 娘に注意を与えてから、ケサダ教授はテオに言い訳した。

「私はワニ狩りなどしたことがありません。この子が勝手に思い込んでいるだけです。」
「そうでしょうね。」

 多分幼女はテレビか何かの媒体で、野生のジャガーがワニを捕食する映像を見たのだ、とテオは思った。そして何故かそのジャガーを父親だと思い込んだのだろう。しかし彼女の父親はジャガーではない。彼は決して我が子にもそのナワルを見せないだろう。

「もしクエバ・ネグラ沖の遺跡がカラコルと言う街だとしたら、調査なさりたいですか?」
「カラコル?」

 ケサダ教授はフンと鼻先で笑った。

「興味ありません。カリブ海諸国と船で交易をしていた街です。私の街道研究の対象外ですよ。」

 随分とはっきり言い切ったものだ、とテオは内心呆れた。それともヴェルデ・シエロの考古学者達は自分達の祖先が関わっていない遺跡を知っているのだろうか。

 

第6部 水中遺跡   18

  週末はエル・ティティに帰省するのがテオの1週間の締め括りだったが、その週は違った。養父アントニオ・ゴンザレス署長がグラダ・シティに出張して来たのだ。警部以上の警察官の研修なのだそうだ。金曜日の夜に夜行バスに乗ってやって来た署長を、テオは土曜日の朝バスターミナルまで迎えに行った。署長は長距離バスで疲れた体を休める暇もなく、グラダ・シティ・ホールで開かれる研修会に参加した。週末に仕事をするなんて、セルバの公務員としては珍しいことだが、内務大臣パルトロメ・イグレシアスの都合らしい。大臣は来週月曜日からフランスへ公務で出かけるので、土日に無理矢理研修会の日程をねじ込んだのだ。
 アスルが、土曜日の軍事訓練に出かける前に、自室として使っている客間から枕と毛布をテオの寝室に運び込んでいた。客間をゴンザレスに使ってもらう為だ。テオも自分の寝室にアスルの為に折り畳めるマットレスを置いた。急な来客用に購入していたもので、ソファで寝てもらうより体を伸ばせるので楽なのだ。
 研修会が終わったら電話するとゴンザレスが言ったので、迎えに行くとテオは約束した。夕食時間が何時になるか不明なので、大統領警護隊文化保護担当部とは約束出来なかった。
 夕方迄の時間潰しに公園に行った。広い芝生と低木の植え込みが波打つようななだらかな丘を覆っている。グラダ・シティ市民の憩いの場所だ。暢んびり歩いて、太陽が少しずつ真昼の位置に上がる頃に汗ばんでしまった。
 昼食はどうしようかと考えながら歩き続けると、大きな楡の木の下で休んでいる男性と幼い女の子の2人連れを見つけた。読書している男性がとても馴染みのある人だったので、テオは思わず声をかけた。

「ブエノス・ディアス!」

 男性が顔を上げた。そしてテオを見て微笑んだ。

「ブエノス・ディアス。 お一人ですか?」
「スィ。今日は一人です。」

 女の子は5歳ぐらいに見えた。白と緑と青の糸で何かを編んでいた。テオが子供を見たことに気がついて、男性が紹介した。

「末の娘のアンヘリタです。」
「ブエノス・ディアス、アンヘリタ!」

 テオが屈み込んで挨拶すると、女の子はチラッと彼を見て、「ブエノス・ディアス」と返事をしたが、すぐ糸に関心を戻した。
 テオは相手の許可をもらって隣に腰を下ろした。

「今日はエル・ティティではなかったのですか?」

と相手が尋ねた。テオは首を振った。

「養父が警察官の研修でシティ・ホールに来ているんです。だから、今夜は俺の家に泊まります。明日も研修かなぁ。」
「大臣の気まぐれも困ったものですね。」

 イグレスアス内務大臣の突然の研修会日程変更は既に前の週にニュースで流れていた。
 テオは公園を見渡した。もし記憶が正しければ、まだ女の子が3人いる筈だ。

「他のお嬢さん達は、教授?」

 フィデル・ケサダ教授は肩をすくめた。

「長女のピアノの発表会で、妻と次女と三女も一緒に出かけています。アンヘリタは演奏会に行くにはまだ早い年齢なので、私が子守をしているのです。」
「それは・・・長女さんはお父さんにもピアノを聞いてもらいたいだろうに・・・」
「毎日練習を聞かされているので、どうってことはありません。」

 テオはケサダ教授の家にはもう一人老人がいたことを思い出した。だが、彼女の存在は秘密の筈だ。ここで持ち出してはいけない。家族が出掛けている間、誰かが老人の面倒を見ているのだろう。教授の収入ならお手伝いさんぐらい雇える筈だ。
 テオは暫く鳥の囀りを聞いていた。 ケサダ教授は読書に戻り、幼子は何か編んでいた。
 ふとテオはンゲマ准教授が受けた電話を思い出した。それで、ケサダ教授に訊いてみた。

「ンゲマ准教授が最近奇妙な電話を受けたお話をご存知ですか?」
「奇妙な電話?」

 ケサダ教授が怪訝な顔をした。情報通の彼に入っていない情報なのか。ンゲマ准教授は恩師に報告する必要がない案件として片付けてしまったらしい。しかし喋ってしまった以上、テオは黙っている訳にいかず、クエバ・ネグラ沖の水中遺跡の発掘を希望しているサン・レオカディオ大学のリカルド・モンタルボ教授が体験した奇妙な資金援助提案と電話の話を語り、クエバ・ネグラの海岸の放置自動車を国境警備隊が調べていたこと、サメの腹から人間の遺骸が出て来たこと、ンゲマ准教授も奇妙な問合せの電話を受けたことを語った。
 ケサダ教授は意外な反応を見せた。笑ったのだ。

「貴方はいつも奇妙な案件を引き寄せるのですね。」
「別に俺が望んで引き寄せている訳じゃありません。」

 テオはちょっとムッとした。だが、と教授は言った。

「普通は無視して終わる話です。しかし貴方は気にしている。」
「そうですが・・・」
「セルバ流にアドバイスすれば、忘れなさい、と言うところですが、貴方は忘れられないでしょう。」
「損な性分です。」

 教授は本を閉じた。

「私からンゲマとモンタルボ教授に、その後の事態の進展を訊いてみましょう。さて、その件はここまでにして、どこかでお昼でも食べませんか? 子供連れで申し訳ないが・・・」



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...