2022/03/25

第6部 七柱    10

  ガルソン中尉から聞いた話をケツァル少佐に語って聞かせると、彼女は「面白い!」と言った。テオは久しぶりに彼女と2人きりでバルで飲んでいた。

「東海岸の伝説が、西のオエステ・ブーカ族に伝わっていたなんて、考古学の盲点でした。」

 彼女は苦笑した。考えてみれば、カラコルの町を建設したと言われているマスケゴ族もオルガ・グランデ近辺で前世紀末迄居住していたのだ。彼等を雇ってカラコルの仮館を築いたブーカ族の家系は、恐らく歴史のどこかで消滅したか、オエステ・ブーカの中に溶け込んでしまったのだろう。そして同じ言語を持つオエステ・ブーカがその伝承を受け継いだ。

「オエステ・ブーカ族も元は東海岸地方に住んでいたんだろ? カラコルを築いたブーカ族の移動とオエステ・ブーカ族の移動はどっちが先だったんだろう? オエステ・ブーカ族の方が後だったら、カラコルが沈んだことを施工主のブーカ族よりよく知っていたんじゃないのか?」
「知っていても、何故沈んだのか、仕組みは知らなかったでしょう。原因がマスケゴ族の細工だとわかっていただけだと思います。」

 少佐はクエバ・ネグラのバルでアンドレ・ギャラガがクラッカーで作って見せた模型を思い出した。

「アンドレの仮説では、町の地下に巨大な水槽があって、町は水槽の蓋の上に築かれていた、と言うものでした。」
「水槽?」
「カラコルが外国船に売っていたのは、森で採れる産物と真水だった、と地元の漁師が言っていました。それでアンドレは地下に貯水槽があったと考えたのです。クエバ・ネグラには大きな川がありません。船に売る程の湧水もなさそうです。」
「だが、セルバは地下に川が流れていることがよくある・・・」
「そうです。海の底に川が流れているなど聞いたことはありませんが、陸の地下川から水を引いて貯めることは出来たかも知れません。元からあった天然の地下洞窟を加工して貯水槽として利用したと考えることが出来ます。」
「施工主のブーカ族はその貯水槽を敵の来襲に備えて崩壊させる仕組みを造った? しかしそれを使うことなく彼等と職人集団のマスケゴ族は引っ越した。やがて”ティエラ”があの土地に住み着き、仮館を神殿か貿易の倉庫として使っていた。だが彼等が繁栄に奢って神聖なジャガーを外国に売り渡そうとしたので、ママコナの怒りを買い、セルバ中の”ヴェルデ・シエロ”の呪いを受けることになった・・・」
「古代の仕組みがその呪いで役目を果たしたのか、それとも呪いが起こした地震で仕組みが相乗効果を生み出したのか、恐らくマスケゴ族に訊いても答えは出ないと思います。彼等もその場にいた訳でありませんから。」
「こんな時、タイムトラベルが出来ればと思う・・・」

 テオはふと気難しい同居人の顔を思い浮かべた。時間跳躍をするオクターリャ族の英雄だ。しかし彼が口を開こうとした瞬間にケツァル少佐が怖い顔で言った。

「駄目です。10世紀以上も昔の世界に跳ばせるなんて、危険極まりません。アスルを跳ばすことは許しませんよ。」
「想像しただけだ。」

 テオは憮然としたふりして言った。 時間跳躍そのものが確かに危険行為だ。過去に行くのは簡単らしいが、戻って来るのにエネルギーを大量に消費するのだと以前聞いたことがあった。1200年も跳んだら命に関わるだろう。

「冗談でも彼に跳んでくれなんて言わないさ。あいつ、時々ムキになるからな。」
「わかっているのでしたら宜しいです。」

 少佐は時計を見た。

「明日も大学でお仕事ですか?」
「試験本番迄学生と接触しない様にしている。だから明日は図書館に行こうと思っている。」
「一緒にロカ・エテルナ社へ行きませんか?」

 テオはドキドキした。

「ムリリョ博士の息子に面会するのか?」
「一応約束を取り付けてあります。」
「何時に何処へ?」
「930にカフェ・デ・オラスで落ち合いましょう。」


第6部 七柱    9

 「え?! どう言うことですか?」

 テオは座り直した。ガルソン中尉は寧ろ彼の驚きが意外だったようで、

「オエステ・ブーカには知られている伝説ですがね。」

と言った。 彼は整備士達がぼちぼちと仕事に取り掛かる準備を始めるのを眺めながら語った。

「古代のマスケゴ族は人口が多くて、北部一帯に広く住んでいたそうです。彼等は建設関係の仕事が得意で、今でもそうですが・・・」
「ロカ・エテルナ社とか・・・」
「スィ、メスティーソでもマスケゴ系の先祖を持つ会社が他にも多くあります。現在のクエバ・ネグラ辺りに住んでいたブーカ族の祖先の家系の一つが、岬に仮館を築きました。仮館と言うのは、海を渡って来た異邦人を迎える迎賓館みたいな物です。それを建築したのが、マスケゴの職人達でした。やがてそこに住んでいたブーカはその土地に価値を見出さなくなり、仮館を放棄して西へ移動しました。マスケゴの職人達も一緒について行きました。そのブーカの一族は現代のオエステ・ブーカとは直接繋がりはありませんが、我々の祖先とは接触があったので、彼等の海辺の故郷の話が伝わったのです。マスケゴはそのまま現代のオルガ・グランデ周辺に住み着きました。」
「海辺の土地を手放した理由はわかっていますか?」
「恐らくハリケーンや、地震による津波が多かったので、見切りをつけたのでしょう。”シエロ”がいなくなってから、”ティエラ”がやって来て、岬の仮館を利用して神殿や建物を増やしたのです。」

 そこでガルソン中尉はテオにグッと顔を近づけた。

「これは噂ですが、最初のブーカ達はマスケゴに侵略者が来た時に備えて仮館にある仕掛けを作らせたそうです。それが何かわかりませんが、岬が沈んだことと関係あるのだろうと、オエステ・ブーカに内緒話として伝わっています。これはマスケゴには聞かせられないのです。技術屋集団の秘密を我々が知っていると言うに等しいですからな。」
「しかし、仕組みそのものはわからないのでしょう。」
「当然です。」

 ガルソンが笑った。テオは初めてこの男が含むものを持たずに笑うのを見たような気がした。世間話でリラックスしているのだ。笑うと意外に可愛い顔だ、とも思ってしまった。10歳以上も年上なのだが、ガルソン中尉は相手との年齢差はあまり考えない人の様だ。ムリリョ博士や年寄りの先住民達のように、目上に対する礼儀がどうのとか、煩く言わない。

「ケツァル少佐がクエバ・ネグラに行かれたと聞いて、その仕組みがわかって、”ティエラ”に知られないように始末に行かれたのかと思いました。」

 ガルソン中尉は文化保護担当部の役割も承知していた。

「仕組みがわかれば、きっと事件は早く解決するでしょうが・・・」

 テオは肩をすくめた。

「考古学者だけでなく、得体の知れない外国人が海底遺跡に興味を抱いている様なんですが、何故だと思いますか? 連中は沈没船や宝物を探している様に言うのですが、俺は彼等が本当の目的を言っていないと思うのです。」
「恐らく、古代の建築の仕組みを解明しようとしているのでもないでしょうな。」

 ガルソン中尉は携帯電話を出して時刻を確認した。そしてボソッと言った。

「レアメタルでも探しているのかも知れません。」

 テオは地質学に詳しくなかった。だが、わかっていることはあった。

「レアメタルが埋蔵されているなら、それはセルバ共和国の財産で、外国人に権利はありません。」
「その通りです。」

 ガルソン中尉が立ち上がったので、テオも立ち上がった。中尉が言った。

「外国人達があまり騒ぐと”砂の民”が動き出します。とばっちりを受けないよう、用心なさい。」
「グラシャス、気をつけます。」


2022/03/24

第6部 七柱    8

  テオは午前の仕事を片付けると暇になった。試験期間が始まる迄出来るだけ学生と接触しない様に、大学から離れることにした。つまり、遊びに行くのだ。と言っても友人達は皆仕事をしている。シエスタの時間は相手にしてくれるだろうが、午後の仕事が始まれば一人になる。だから、彼は友人達を当てにせずに街中をぶらぶらと歩いて行った。あまり遠くへ行くと大学の駐車場に停めてある車に戻るのに長い距離を歩かなければならなくなるので、半時間以内で歩いて行ける距離と自分で決めた。人通りの少ない路地は避けた。昼間でも防犯対策は取るに越したことはない。ビルとビルの隙間で、車が両方向から行き違えられる幅の横道を見つけた。緩やかにカーブしており、その先の空間に見覚えがあった。軍用車両を専門に扱っている自動車整備工の作業所だ。民間人が一人で入っても大丈夫だろうか、と思いつつ、そちらへ歩いて行った。
 作業所はシエスタの最中だった。整備工達は屋根の下で弁当を食べたり、昼寝をしていた。彼等はテオを見ても特に反応しなかった。もしかすると、以前ケツァル少佐に連れられて来た彼を覚えているのかも知れない。
 ボディの横に緑色の鳥の絵が描かれたトラックが1台ピットに入っていた。滅多に見ないが、あのトラックは荷台に兵士を乗せて走るものだ。つまり、どこかで戦闘が発生した時に大統領警護隊を集団で輸送するための車両だった。普段使わないと故障してもわからない。恐らく定期点検をしているのだ。
 テオはそのトラックの前を通り過ぎようとして、日陰で折り畳み椅子に座って新聞を読んでいる兵士に気がついた。

「オーラ、ガルソン中尉!」

 声をかけると、相手は顔を上げた。そして微笑みで挨拶を返した。

「オーラ。ドクトル・アルスト。今日も少佐のお供ですか?」

 テオは苦笑した。

「俺がいつもケツァル少佐の後ろをくっついて回っていると思うのは、間違いですよ。ただ散歩して通りがかっただけです。」
「それは失礼。」

 ガルソン中尉の顔は以前会った時よりも明るくなっていた。転属したばかりの頃の緊張が解け、新しい仕事にも慣れたのだ。同じ部署の同僚とも上手く付き合えているに違いない。だから、テオは尋ねた。

「ご家族はお元気ですか?」
「グラシャス、皆元気です。子供達は新しい学校に慣れました。妻も家の近くで仕事を見つけて、頑張っています。都会の生活が面白いらしく、私が休みの日に戻ると、母子揃って私の留守中の話をしたがるので、ちょっと煩い程です。」

と言いつつも、幸せな家庭の親父感を漂わせるので、テオは笑った。そしてパエス少尉とは対照的だ、と思った。するとガルソン中尉が思いがけないことを言った。

「実はキロス中佐ともお会いしているのです。子供が中佐の体操教室に通い始めたのです。月謝を払う余裕がないと申し上げたら、彼女を庇ったせいで私が転属になってしまったのだからと、中佐が月謝を無料にして下さいました。」
「俺は一回きりしか彼女に会っていないが、良い人ですね。」
「スィ、私には今でも彼女は上官です。今の上官が私が彼女と会うことを快く思わないかも知れないと思い、最初に報告したら、許可してくれました。寧ろ、私の子供達が”ティエラ”の母親を持つので”シエロ”の教育を中佐にして頂くよう頼んでくれました。」
「それは素晴らしい!」

  ガルソン中尉は己の隣の椅子から車の部品を近くの棚に移して、テオに座れと言ってくれた。テオは素直に腰を下ろした。

「最近、北部国境のクエバ・ネグラと言う町に行って来ました。仕事でトカゲを捕まえに行ったんです。」

 ガルソン中尉が怪訝な表情になったので、彼は説明した。

「俺は遺伝子学者ですが、生物学部の職員ですから、他の教授の仕事の手伝いもするんです。トカゲは同僚の依頼で、俺の専門ではありません。頼まれて捕まえに行ったんですよ。」
「はぁ・・・?」
「そこで、パエス少尉と出会いました。」

 ほうっと言う顔をガルソン中尉が見せた。以前の部下がどこで勤務しているのか知らなかったのだ。

「国境警備隊に転属させられたと聞いていましたが、クエバ・ネグラの検問所にいるのですか。」
「スィ。今度の上官も女性だそうです。俺はその上官に会っていませんが、ケツァル少佐が考古学関連の仕事で出張して、パエス中尉にも女性指揮官にも会ったそうです。」
「パエスは少し偏屈なところがある男です。上手く同僚とやって行けているかどうか・・・」

 ガルソン中尉は長年一緒に勤務した元部下の性格を知り尽くしていた。ちょっぴり心配そうだ。

「俺が見た限りでは同僚と一緒に普通に働いていました。しかしケツァル少佐が彼に会った時に、彼に一つ問題点を見つけたそうです。」
「問題点?」
「彼はハラールを受けていない食べ物を口にすることが出来ないと言って、宿舎の食堂の食事を拒否して、毎日奥さんのところへ帰って食べるそうです。」

 ガルソン中尉が顔を曇らせた。

「それはいけませんな。」

 彼は元部下の将来を心配した。

「その行為は私的なもので、身勝手と受け取られてしまいます。軍人が取るべき行動ではない。」
「ケツァル少佐も彼に意見したそうです。今後のことは、彼自身で打開しなければ埒が明かないでしょう。」

 ガルソン中尉が首を振った。

「仰る通りです。私に彼に意見する権限はないし、彼の為にしてやれることもありません。仮に私が何かしても、彼のプライドが許さないでしょう。国境警備隊では誰もがハラールの問題を克服して勤務しているのだと言う単純な事実を、彼が早く気づいて受け容れるべきです。」

 年長のパエスを飛び越えて先に大尉に昇級しただけのことはあって、ガルソンは自分達が生きている世界をよく理解していた。
 整備工達が動き出したので、テオは退散することにした。彼が椅子から立ち上がると、ガルソン中尉が思い出した様に尋ねた。

「ケツァル少佐がクエバ・ネグラに行かれた考古学の仕事とは、カラコルの件ですか?」

 テオはびっくりした。カラコル遺跡の話もモンタルボ教授が襲われた話も、グラダ・シティでは全く話題に上っていなかったからだ。

「何故カラコルの件だと思われるのです?」

 テオの問いに、ガルソン中尉が答えた。

「何故って、あそこにはカラコルしか遺跡がないでしょう。」
「そうですが、”ティエラ”が造った町が海の底に沈んでいるので、今迄誰も調査しなかったんですよ。」

 ところが、ガルソン中尉はこう言った。

「カラコルは、”シエロ”が造った町ですよ、ドクトル。」




第6部 七柱    7

  試験問題の手直しとは、文章の修正だった。解答が2つあるかの様な問題文になっていると言われ、その場で主任教授のパソコンを借りて修正して、一件落着した。スニガ准教授は試験問題を作る当番でなかったので、彼は洞窟探査に係る費用の相談を主任教授に持ちかけていた。テオはバイト料さえもらえれば良いので、主任教授の部屋を出た。
 自分の研究室に入った途端に机の内線電話が鳴った。出るとンゲマ准教授だった。手が空いていたら、すぐ来てくれと言う。丁寧な言葉遣いだったが、声は不機嫌な響きを含んでいた。テオに腹を立てているのではなく、部屋の中の人物に怒っている様だった。テオは先刻の来客を思い出し、すぐ行くと答えた。
 助手に試験が終わる迄は彼等自身の勉強に励む様にと部屋から出し、それから人文学舎へ急いだ。
 ンゲマ准教授の研究室はドアが開放されたままで、学生が10人ばかり部屋の前に集まっていた。テオが彼等をかき分ける様にして進むと、ンゲマ准教授と先刻の客が話をしていた。客は出来るだけ穏やかに話そうと努力しているかに見えたが、ンゲマ准教授は怒っていた。

「どうかしましたか?」

とテオが尋ねると、そばにいた学生の一人が答えた。

「あの人が、僕等の発掘調査を撮影したいと申し出て来たらしいんです。」
「いけないのかい?」
「宝探しの様な演出をしたいって・・・」
「はぁ?」

 客は撮影の協力に対する金額を提示しているのだが、ンゲマ准教授は研究調査とお遊びの映画撮影を一緒にするなと怒っているのだ。しかし客もなかなか引き退らない。ジャングルの奥深くに眠る未知の古代遺跡を世界中の人が見て、どれだけ感動するかと語っている。インディ・ジョーンズの世界を想像させるのだと言う。そんな映像を配信して儲かるのだろうか。
 テオはなんとなく相手の正体がわかった気がして、試しに名前を呼んでみた。

「アイヴァン・ロイドさん?」

 客が振り返った。おや? と言う顔をした。ンゲマ准教授が不機嫌な顔でテオを見た。

「お知り合いですか、ドクトル・アルスト?」
「ノ。さっき駐車場で初めて出会っただけです。でも名前は聞いたことがあります。アンビシャス・カンパニーのアンダーソン氏から・・・」

 すると、ロイドの顔が険しくなった。

「アンダーソンがこちらに来たのですか?」
「一度だけ。俺に大統領警護隊文化保護担当部と顔つなぎして欲しいと言って来ました。」

 ロイドがンゲマ准教授から離れ、テオの前に来た。

「大統領警護隊文化保護担当部の人とお知り合いなんですね?」

 ンゲマ准教授がテオに硬い声音で言った。

「繋がなくて良いですよ、ドクトル。私は例え少佐が許可を出しても、この男を発掘現場に立ち入らせません。」
「撮影出来るのは土ばっかりですよ。」

と学生の中から声が上がり、その場の人々が失笑した。

「これから何年係るかわからない発掘に、泥だらけの作業を喜んで見る人がどこにいるんです? 帰って下さい。」

 ンゲマ准教授はテオに言った。

「貴方からも、この人を説得して下さい。大統領警護隊は絶対にこの人には会わないって。」

 テオはアイヴァン・ロイドをジロリと眺めた。アメリカ人だ、と思った。ヨーロッパ系セルバ人ではない。

「大統領警護隊は外国人と直接接触することは滅多にありません。」

と彼は言った。

「ンゲマ准教授が先に説明されたと思いますが、最初に文化・教育省に取材許可申請をして下さい。それがこの国のルールです。そこから先の手順は役所が教えてくれます。」

 また学生の中から声が上がった。

「要求が通るのに1年を見込んで置いた方が良いです。」

 爆笑が起きた。ロイドは真っ赤になり、そしてンゲマ准教授の部屋から出ると、学生の人垣を掻き分け足早に去って行った。
 ンゲマ准教授が額の汗を拭った。

「グラシャス、ドクトル・アルスト。最近、考古学関係で奇妙な人間がやって来る。誰もまだ手をつけていないジャングルの奥の遺跡に、宝が隠されているなんて、どこからそんな発想が出て来るのやら・・・」

 彼は学生達に気がつき、行け、と手を振った。学生達が散って行った。

「あの人は、モンタルボ教授の海底遺跡を取材しようとして断られたんです。それで今度は貴方をターゲットにしたのでしょう。」
「モンタルボにしても私にしても、まだ何も始めていないんです。訳がわからない。」

 そうだ、訳がわからない。テオはロイドとアンダーソンの目的は何なんだろうと疑問に思った。 

第6部 七柱    6

  翌朝、朝食の後アスルが先に出勤し、テオは少し遅く家を出た。主任教授から試験問題で1箇所だけ手直しが必要だと言う内容のメールが来ていた。それが単語のスペルの誤りなのか、それとも問題そのものが不適切なのか、メールではわからなかったので、ちょっと気が重かった。
 大学の駐車場で車から降りた時、スニガ准教授と出会った。

「雨季休暇で何か予定があるかい?」

と訊かれたので、特にないと答えた。

「休暇は、いつもエル・ティティに帰っている。向こうの方が湿気が少ないから過ごし易いんだ。」

 するとスニガが期待を込めた目で見た。

「湿気が多くてすまないが、またクエバ・ネグラの洞窟に入ってもらえないかな? 洞窟内の撮影をして欲しいんだ。トカゲの棲息環境を比較したくてね。」
「構わないが、無料ではないぜ。トカゲの生態は専門外だし、トカゲの遺伝子も興味がないから。」
 
 その時、近くに来て停まった車から一人の男が出てきた。アングロサクソン系の男性だ。薄いベージュの襟付きシャツにデニムのボトム、スニーカーのラフな格好をしていた。彼はサングラスを外し、テオとスニガの方へやって来た。

「こちらの大学の方ですか?」

と綺麗なスペイン語で話しかけて来た。テオとスニガが同時に「スィ」と答えた。すると男性がさらに尋ねた。

「考古学部はどちらへ行けば良いですか?」

 スニガ准教授が事務局の方を指した。

「まず、あちらの事務局で受付してもらって、それから訪問される相手の名前を告げて下さい。そうすれば、案内してもらえます。」

 男性は「グラシャス」と言って、歩き出した。彼が十分遠ざかるのを待ってから、スニガが呟いた。

「考古学者に見えないな。」
「そうかい?」
「だがよく日に焼けている。野外で活動している人間だ。」

 彼はテオに向き直った。

「バイト料は払う。撮影する時間で時給と言うのはどうだい?」
「交通費と宿泊費も欲しいな。」

 しみったれで名を馳せるスニガ准教授が顔を顰めたので、テオは笑った。

「わかった、わかった、交通費で手を打つ。撮影時間の時給と交通費だ。で、どの程度の映像が必要なんだ?」

 詳細は後ほどメールで、と言うことで話がまとまり、2人は生物学部へ向かった。



2022/03/23

第6部 七柱    5

  食事会は静かに終了した。家政婦のカーラは後片付けをして、彼女を手伝ったアスルは彼女からそっと先刻の話し合いの記憶を抜いた。そして彼女に夕食の食材の余りを持たせてタクシーに乗せてやった。
 ロホがデネロス少尉とギャラガ少尉を自分のビートルに乗せて官舎へ送って行った。テオはケツァル少佐とリビングで2人になった。

「パエス少尉と出会ったかい?」
「スィ。」
「俺と出会った時、彼は余り幸せそうに見えなかった。」
「生活習慣の違いが原因で、同僚と馴染めないでいるのです。」

 少佐がソファにもたれかかった。テオは少し離れて彼女の隣に座った。

「彼はオエステ・ブーカ族で、伝統を重んじます。奥さんもアカチャ族で伝統を重んじます。でも国境警備隊は全国から集まって来た兵士の集団です。大統領警護隊も陸軍国境警備班も同じです。狭い地域の伝統を守っていたら、統制を取るのが困難になります。パエスが指揮官とどれだけ話し合えるか、それが彼の将来への課題です。」

 恐らくテオや少佐が口出しすることでないのだろう。
 アスルがリビングに戻って来たので、テオはそろそろ帰宅しようと思った。少佐も疲れている。早く休ませてやろう。しかし、腰を浮かしかけて、また彼は別のことを思い出した。

「今日、ンゲマ准教授の学生が喧嘩した話を聞いたんだが・・・」

 アスルが向かいのソファに座った。テオは学生が真の名前を呼ばれて憤慨した話を語った。アスルが失笑した。

「奇妙だな。真の名を呼ばれて、腹を立てるとは。周囲に己の真の名を言いふらしているのと同じじゃないか。」

 そう言われればそうだ。すると少佐が、多分、と言った。

「その学生の真の名はかなり古い言葉を語源にしていて、現代は意味が変化している単語なのではありませんか? 相手の学生の部族ではその単語が侮辱の意味を持つ別の言語体系を持っていて、本当に侮辱の意味で叫んだので、1人目の学生は動揺してしまったのでしょう。」
「別の言語体系?」
「部族によっては全く通じない言語があるからな。」

とアスルが眠たそうな顔で言った。この男は満腹になるとすぐ眠くなる。

「古代のブーカ語と現代のブーカ語はかなり文法が違うそうだ。現代の俺達がブーカの呪術師の祈祷を聞いても、さっぱり意味がわからん。古代語で行うからさ。現代ブーカ語に翻訳してもらえれば、オクターリャ語に似ているから俺も理解出来る。オクターリャ語は古代から殆ど変化していない言語だと言われている。だから、古代社会では、ブーカ族とオクターリャ族は互いに言葉が通じなかった筈だ。」

 彼は小さく欠伸をした。

「恐らく、真の名を呼ばれたと怒った学生は、現代の侮辱の意味で使われている、己の真の名と同じ発音の言葉を知っているんだ。だから、相手がそいつの真の名を知らずに単純に侮辱のつもりで使ったのを聞いて、怒りが爆発したんだろう。己の真の名に誇りを持っていないのさ。」

 彼の瞼が半分落ちかけているのを見て、少佐がテオに囁いた。

「早くアスルを連れて帰りなさい。駐車場まで彼を抱っこして運びたいですか?」
「わかった、妙な脅迫をするなよ。」

 テオは苦笑して立ち上がった。

「少佐、君も真の名を持っているんだろうな? 教えてくれとは言わないが。」

 すると彼女は言った。

「純血種は全員ママコナから真の名をもらいます。ですから、親も知りません。異人種の血が入るとママコナの声を聞けても意味を理解出来ません。でもママコナは彼等にも与えているのです。カルロが蜂の羽音の様な声だと言っていますが、呼びかける最初の音は彼の真の名の筈です。だから、アメリカで捕まった彼が麻酔で眠らされていたにも関わらず目覚めたのは、ママコナに真の名を呼ばれたからです。当人は全然気がついていませんけれど。」
「彼のお祖父さんや父親のシュカワラスキ・マナは彼に名前を与えなかったのか?」
「与えたかも知れません。でも、カルロは決して私にさえ言いませんよ。真の名の掟ですからね。」
「それじゃ、カルロは真の名を2つ持っている?」
「エウリオ・メナクとシュカワラスキ・マナは純血の”ヴェルデ・シエロ”です。きっとママコナからカルロに真の名を与えたことを知らされた筈です。だから、カルロがお祖父様から、或いは父からもらった真の名は、ママコナから頂いた名前なのだと私は思います。恐らく、グラシエラもカタリナもママコナから名前を頂いています。」

第6部 七柱    4

 「ロカ・エテルナ社の現社長アブラーン・シメネス・デ・ムリリョはムリリョ博士の長男です。」

とロホがテオに説明した。

「アブラーンが経営の実権を握り、次男は建築デザイナーです。あのグラダ・シティ・ホールを設計したのは次男のエフラインです。しかし、彼等が海底の遺跡の写真を力付くで奪ってでも手に入れようとした理由がわかりませんね。」

 するとギャラガが言った。

「会社が奪おうとしたのではなく、アブラーン個人、もしくはムリリョ家単独の考えで行ったのではありませんか?」

 アスルがジロリと後輩を見た。

「何故そう思う?」

 ギャラガは一瞬躊躇った。一番格下の己が意見を言って良いのかと不安を感じた。しかし先輩達は黙って彼が口を開くのを待っていた。それで彼は言った。

「狙われたのが8世紀の町の遺跡を撮影したものだからです。現代の建設会社には用がない物でしょう? しかし”ティエラ”の町と認識されている場所に、何か”シエロ”の秘密が隠されていて、それを知っているのがムリリョ家だけだとしたら、世間に明るみになる前に秘密を消してしまいたいのではありませんか?」

 テオは”ヴェルデ・シエロ”の友人達が互いの目を見合い、別の人の目を見て、と”心話”で話し合うのを目撃した。こんな場合、彼に知られたくない情報を交わしているか、あるいは、口から出る言葉を考えるのが面倒臭くて一瞬で思考が伝わる”心話”を使っている物臭行為のどちらかだ。どちらにしても”心話”を使えないテオは疎外感が拭えない。だから彼は強引に割り込んだ。

「今日、ここへ来る前に大学のカフェでケサダ教授や数人の教授達と喋ったんだ。」

 友人達が”心話”を止めて彼を見た。テオは続けた。

「最後にケサダ教授と2人きりになった時に、モンタルボ教授が襲撃された事件を知っているかと訊いたら、彼は知らなかった。少なくとも俺には、彼が事件を全く知らなかった様に見えた。演技には見えなかったな。」

 ケツァル少佐が食事の手を止めた。

「フィデルが事件のことを知らなかったとしても不思議ではありません。」

と彼女が言い、部下達が彼女を見た。彼女は水を一口飲んでから言った。

「彼は建設会社の経営には全く関与していません。そしてムリリョ博士も同じく会社とは無関係です。彼等とアブラーンは家族ですが、仕事に関して言えば完全に独立し合っています。博士と教授が大学での考古学部の経営で話し合うことはあっても、学生の教育や研究では互いに無関心で干渉し合わないのと同様に、彼等考古学者と建設会社のアブラーンは、家族の平和の維持に関して一丸となりますが、互いの仕事に関しては全く無知です。但し・・・」

 ケツァル少佐は皿の底から沈んでいたマカロニを掬い上げた。

「カラコルの町がどの様に海底に沈んだのか、その仕組みを考古学者と建設会社の経営者が秘密を共有している可能性はあります。」
「ケサダ教授はその秘密を知らないと思うな。」

とテオは呟き、また友人達の注目を集めた。少佐の視線を感じながら、彼は部下達に言った。

「フィデル・ケサダはムリリョ家の血筋じゃないだろ? 彼は子供の時に親が知り合いだった博士に預けて、そのまま博士の家で育てられた人だ。一応ムリリョ家の子供の一人として扱われていると思うが、血族じゃない。だから先祖代々マスケゴ族の家系に伝わって来た秘密を知る立場ではないと思うんだ。」

 ロホが同意した。

「血族の秘密は家長が後継者のみに伝える物です。私の実家では祖父から父へ伝えられ、叔父達は知らないことが沢山あります。同様に父から長兄へ伝えられ、私を含めた5人の兄弟に教えられていないことが沢山あります。」
「では、ムリリョ博士とアブラーンが知っていて、エフライン、フィデル、それに女性の子供達は知らない秘密があるのですね?」

 デネロスの言葉に、少佐が首を傾げた。

「博士はこの件に関わっていない様な気がするのです。私の記憶が正しければ、私が大統領警護隊に入った頃に、ムリリョ家の先代ロカが没しました。ロカ・エテルナ社はロカ・ムリリョがスペイン人の創業者一族から経営権を譲られて、今の大企業に押し上げた会社です。彼の唯一人の親族で甥のファルゴ・デ・ムリリョは会社の経営に全く興味がなく、考古学にのめり込んでいましたから、ロカは後継者に甥の息子アブラーンを指名しました。大企業のトップの交代ですから、当時の経済ニュースに大きく取り上げられていました。あなた達はまだ幼かったから、知らないでしょう。」

 年齢差と言うより、ケツァル少佐の養父母が実業家なので、少佐も幼い頃から経済ニュースを知ることが出来たのだろう、とテオは思った。

「それじゃ、アブラーンがロカ爺さんから血族の秘密を伝授され、それを守ろうと今回の襲撃事件を起こしたってことですか?」

とギャラガ。多分、と少佐が答えた。

「それが何なのか、モンタルボとアンビシャス・カンパニーによって撮影された画像を見なければわかりません。」

 その時、アスルが極めてセルバ的な意見を言った。

「アブラーンが血族の秘密を守るのであれば、我々が出る幕ではありません。モンタルボは生きているし、アメリカ人の撮影会社も機材を盗まれただけです。放置しても良いのではないですか。」

 それに対して、テオは反発を覚えた。だから、彼はアスルに意見した。

「モンタルボはまた調査をやり直すかも知れない。またアブラーンが妨害したら、次は死人が出る可能性もあるだろう? アブラーンに何が問題なのか訊いてみても良いんじゃないか? 少なくとも、モンタルボに触って欲しくない箇所がどこなのか、ヒントをもらえないのかな?」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...