2022/04/14

第6部  赤い川     15

 オルガ・グランデ陸軍基地に向かう車中で、ロホが疑問を呈した。

「族長のサラテもガルシアも、川の上流で死んでいた人の身元に関して何も言いませんでした。彼等が川を汚す筈がないので、あの死体をあの場所に放置したのは地元民ではありません。そして死んでいた人は村の住民でもない。では誰が誰を殺したのか? 何故あの場所なのか? 厄介なことです。」
「行き倒れじゃないよな?」
「村へ行くなら兎も角、こんな外れの道へ入る他所者はいないでしょう。」
「だが、死体を捨てるとなると、ガルシアさんの家の前を通る訳だろう? 見られずに通れるだろうか? ガルシアさん達は”ヴェルデ・シエロ”だ。夜中に通ったとしても、車の音が聞こえるだろうし、窓の外も見えるだろう?」
「確かに・・・」

 自分達が追っているベアトリス・レンドイロ記者行方不明事件と関係があるのかないのか、それすら不明だった。
 テオは満腹だったので欠伸が出た。

「君は俺の護衛で来てくれたのに、面倒な仕事を増やしちまってすまない。」
「何を言うやら・・・」

 ロホが苦笑した。

「最近少佐の代理でデスクワークばかりしていたので、羽根を伸ばせると嬉しかったんですよ。」

 自分で動くのが好きな指揮官の副官として働くと、時にオフィスの留守番ばかりになるのだ。ロホだってまだ若いし、外で活動するのが好きな性格だから、毎日書類を読んで署名するだけの仕事は飽きる。テオも大学で講義したり野外に学生を連れて動植物の細胞を採取する方が、職員会議や報告書作成や学生の論文チェックをするより好きだ。
 車がやっと凸凹道から舗装道路に出た。真っ暗で車のヘッドライトしか灯りがないが、ロホは対向車がいないので、スピードを上げて車を走らせた。

「カージョはまた君が呼べば出て来ると思うかい?」
「政府に不満を抱いているそうですから、2度目は無理でしょう。」
「”砂の民”を呼ぶのも無理だろうな?」

 ロホが運転しながら、チラリとテオを見た。

「向こうの名前がわからないと無理です。私はママコナじゃありませんからね。」

 テオは黙り込んだ。
 夜中近くに陸軍基地に戻った。大統領警護隊の控室は空気が冷え切っており、テオは数台置かれているベッドの毛布を集めて、ロホと分け合った。尤もロホは毛布を重ねると重たいと言って、敷布代わりにしてしまった。
 夜間の歩哨の声だけが響く静かな夜が更けていった。
 朝は起床ラッパの音で目が覚めた。ロホが綺麗好きなテオの為に風呂の順番を確保してくれた。2人で一緒に裸になって入浴した。ロホの左肩にうっすらと傷跡が残っていた。反政府ゲリラ、ディエゴ・カンパロに刺された跡だ。普通の人間なら後遺症が残る程の深傷だったが、”ヴェルデ・シエロ”は元通りの腕の機能を取り戻した。今では肌に僅かな白い跡が残っているだけだ。それでもテオはそれを見ると、いつも胸の奥が熱くなる。テオの命を、ロホが命懸けで救ってくれた証だ。ロホはすっかり忘れた様な顔で、汚れた衣類を洗濯に出すべきでしょうか、と惚けた質問をしてきた。テオは笑った。

「俺はエル・ティティでは洗濯屋のバイトもするんだ。朝飯の後でシャツを洗ってやるよ。」

 アパートで一人暮らしをしているロホは、汚れ物が溜まるとコインランドリーに行くのだと言った。基地にもコインランドリーがあったが、常に兵士達が使っていて、空いている時間がなかった。
 大勢の兵士達と一緒に朝食を取り、洗濯をした。空気が乾燥している土地なので、シャツ程度ならすぐに乾く。乾くのを待ちながら、テオとロホはその日の行動を相談した。
 ベンハミン・カージョのルームメイト殺害事件の捜査がどんな進み具合か知りたかったので、憲兵隊基地へ行くことに決めた。

   

2022/04/13

第6部  赤い川     14

  ガルシア家の食事は質素だった。煮豆に蒸した米、挽肉と玉葱をピリ辛のトマトソースで煮込んだものが1枚の皿に盛り付けられて配られた。「こんな物しかなくて申し訳ない」とガルシアの妻は謝ったが、ロホもテオも美味しいと応えた。

「陸軍基地の食事に比べれば、遥かにご馳走だ。」

とロホが言うと、ガルシアの息子が「そうなんですか?」とちょっぴりがっかりした口調で応じた。ひょっとすると入隊を考えていたのかも知れない。
 食事を終える頃になって、外で車のエンジン音が聞こえた。やっと憲兵隊のお出ましだ。テオとロホはガルシア家の人々に食事の礼を言って、席を立った。ガルシアも立ち上がったが、ロホが自分が憲兵隊を案内するから彼は休んで良いと言った。それでガルシアは族長を呼んでおきますと言った。
 夜間に郊外へ呼び出された憲兵隊は機嫌が悪そうだったが、現れたのが大統領警護隊だったので、文句を言わずに川の上流へ向かった。今度はテオも同行した。
 車のライトで光る川の水は細く、川と言うより水の流れとしか呼べない様なものだった。それでも乾燥した土地では貴重な水源なのだろう。余程の旱魃でもない限り、この流れは涸れずに畑を潤しているに違いない。だから、その川が汚されてしまうのは、農民にとって死活問題だった。
 道路状況は上流へ行くに従って酷くなって来た。凸凹道をゆっくり走り、車幅ギリギリの狭路を行くと、やがて広い川原に出た。ロホが車を停めると、憲兵隊の車両、司令車とトラック2台、計3台が横並びに川原に停まった。
 憲兵隊がライトを設置して地面に横たわる遺体を照らすと、各車両はライトを消した。ガルシアの家の庭で嗅いだ不快な臭いが強くなり、テオはハンカチで鼻を押さえた。遺体を見たくなかった。ロホはスカーフで顔を目の下から覆い、同様のスタイルになった憲兵達を遺体まで導いた。遺体の下から流れ出る液体が川へ流れ込んでいた。まるで遺体が川の源流みたいな細い流れだ。1キロ下流で川の水が赤くなって異臭がしたのも無理がない状態だ、とテオは感想を抱いた。憲兵隊の指揮者と少し話をしてから、ロホが車に戻って来た。

「彼等に後を任せました。除霊の必要はないと彼等は考えているので、私は口出ししません。帰りましょう。」

 テオはホッとした。ここで捜査に加われと言われたら、嫌だな、と思っていたからだ。
 車が動き出し、方向転換して来た道を戻り始めると、彼は尋ねた。

「死んでいたのは、男かい?」
「服装や体格から判断するに、男性でしょう。」
「死んでどのくらい時間が経っているんだ?」

 ちょっとベンハミン・カージョが心配になったので、そう尋ねた。ロホがちょっと考えた。

「腐敗の進み具合から考えて1日ですか・・・動物に荒らされた跡が少なかったので、2日は経っていないと思います。」
「村人は川が変化する迄、気がつかなかったのか?」
「死体がある場所は耕作地ではありません。この先の峠を越えたところに、古い鉱山跡があるそうです。今走っている道は旧道です。新しい道がもう少し戻ったところから分岐して、この村の一番民家が集まっている場所を通って隣村へ続いています。」

 ガルシアの家迄戻ると、族長のサラテが来ていた。ロホは車に乗ったまま、サラテと”心話”を交わした。恐らく憲兵隊とのやり取りを伝えたのだろう。サラテが頷いた。

「もし祈祷が必要なら、長老に相談します。」

と彼はロホに言った。別れの挨拶を交わし、テオとロホはオルガ・グランデ陸軍基地へと向かった。


第6部  赤い川     13

 ロホとマリア・ホセ・ガルシアが家の中に入ってきた。ロホがサラテに向かって言った。

「1キロ上流に人の死骸がある。憲兵隊に連絡を取ろうと思ったが、携帯の圏外だった。貴方でもガルシアでも、どちらでも良いから、ここから憲兵隊に通報して欲しい。」

 ロホは自分の電話を使いたくなさそうだ。本来の目的と離れた事件だった場合、それに巻き込まれて仕事を増やすのは御免なのだ。サラテが己の携帯電話を出した。

「貴方のお名前を出して構わないでしょうか?」
「それは構わない。ガルシアと私が死骸を見つけた。家に入る前に私はガルシアのお祓いをした。憲兵隊の捜査が終わる時に私がオルガ・グランデにまだ居れば、川のお祓いをするが、私が其れ迄に去れば、村の長老に頼むと宜しい。」

  ロホが大統領警護隊と言うより、祈祷師の本領を発揮する言葉で話すと、サラテは安心した表情で電話をかけた。
 テオはガルシアが青い顔をして椅子に座り込むのを見た。夜目が利くから、まともに遺体を見てしまったのだろう。テオは無断で良いのかと思いつつも、台所へ水を汲みに入った。そこにガルシアの妻が不安気に座っていた。彼女はテオが入って来ると、彼の顔を見た。居間の会話は聞こえているから、嫌な言葉も聞いてしまったのだろう。だからテオは微笑んで見せた。

「大尉は祈祷師でもあるから、旦那さんのお祓いをしてくれました。この家は安全です。」

 妻が心なし表情を和らげ、頷いた。テオが彼女の夫に水を与えたいと言うと、水道の蛇口からコップに水を汲んでくれた。ここは上水道が通っているのだ、とテオは安心した。少なくとも死体で汚された川の水を使わずに済んでいる。
 テオが水を運んで行くと、サラテは電話を終えていた。ロホがテオに言った。

「憲兵隊は1時間後に到着するでしょう。2時間後かも知れません。ここで待ちますか? それともセニョール・サラテに送らせましょうか? 陸軍基地に貴方が泊まることを連絡しておきますが?」
「俺もここで待つ。」

 テオは事件がどう展開するのか、ただ安全圏に留まって見ているのは嫌だった。ロホは頷き、サラテに帰宅を許し、ガルシアに庭を借りると言った。車の中で憲兵隊を待つつもりだった。しかし、ガルシアが立ち上がり、これから妻に食べ物を用意させるので居間にいてくれと言った。水を飲んで落ち着いた様だ。恐らく大統領警護隊が家の中にいれば悪霊が来ないと思ったのかも知れない。
 サラテは憲兵隊が来たら己もまた来ると言って、帰宅した。聞けば彼の自宅はガルシアの家から歩いて20分かかると言う。その距離を彼は車を使わずに来ていたのだ。
 食事の用意が出来る迄、テオはロホとガルシアと共に居間に座っていた。テオがサラテから聞いた若者の不満分子の話をすると、ガルシアが苦笑した。

「”出来損ない”の連中です。俺も”出来損ない”ですが、まだママコナの声は聞こえる。聞き取れないが、聞こえるレベルです。だが、全く声が届かない連中が、俺達や中央の尊い人々に不満を抱いている。搾取されている訳でもないのに、何が不満なのか、俺には理解出来ません。」
「彼等の生活水準は? 貴方は耕作地をお持ちだと思いますが、彼等は畑を持っていないのでは?」
「連中は畑どころか、仕事もありません。昼間っから酒を飲んだり、ギャンブルにのめり込んだり・・・貧困は自分達のせいなのに、他人のせいにする。」
「オルガ・グランデは仕事がないのでしょうか?」
「鉱山会社へ行けば、いくらでもあります。きつい仕事ですが、今は機械が導入されて昔に比べればかなり楽だし安全になったと聞いています。学校で勉強すれば、オフィスで仕事をもらえる。セルバ共和国は貧富の差が大きいですが、義務教育は無料なので、学校は誰でも行けるんです。奨学金だってもらえる。俺の上の息子も奨学金で大学に行ってます。下の息子は地元で農作物の改良を研究している会社で勉強しながら働いています。真面目に働けば、不満なんてない筈です。」

 ちょっと楽観主義的な発言だったが、ガルシアが若い不満分子を快く思っていないことを、テオとロホは理解した。

「ベンハミン・カージョも不満分子でしょうか?」
「ああ、あのインチキ占い師!」

 ガルシアは唾を吐きたそうな顔をして堪えた。

「神殿を冒涜するような文章をネットに書き込んでいたヤツです。だが本人は何か行動を起こす度胸はない。若い連中に中央の陰謀やら、外国の脅威やら、あることないこと嘘を吹聴して混乱させていました。村の年寄りの中には、闇の仕事をする人にあいつを引き渡そうと言う者もいましたよ。」

 物騒なことをガルシアは平気で言った。テオが白人だと言う認識が足りない。
 そこへ彼の妻が食事の支度が出来たので、台所へ来る様にと男達に告げた。

第6部  赤い川     12

 テオは石造の家にセフェリノ・サラテと共に入った。マリア・ホセ・ガルシアの妻と息子が中にいて、2人をテーブルに案内した。オルガ・グランデは高原の乾燥地帯だから、夜間は気温が低下する。ガルシアの家の中ではストーブが焚かれていたので、テオはちょっと驚いた。セルバ共和国に来てからストーブを見たのは初めてだ。エル・ティティも標高が高い町だが、ティティオワ山の東側なので湿度はオルガ・グランデより高く、気温の変化もそれほど大きくない。涼しくて心地良い土地だ。しかし、オエステ・ブーカ族の村の夜はどちらかと言えば寒い。同じ西部でも海辺のサン・セレスト村が暖かったので、余計にそう感じるのかも知れない。市街地が暖かく感じられたのは、都会の熱のせいだろう。
 ガルシアの妻がコーヒーを出してくれた。そして無言のまま息子と共に隣の部屋に引っ込んでしまった。
 サラテはそれまで黙っていたが、テオと2人きりになると、やっと話しかけてきた。

「貴方はマレンカの若と付き合いは長いのですか?」

 「若」と言う呼び方が、貴人の子息の名を直接呼ぶことを避けた言い方であると、テオは気がついた。ロホは自己紹介の時に己をアルフォンソ・マルティネス大尉だと名乗った。だがオエステ・ブーカ族の人々にとって、彼は都に住まう貴族の若君アラファット・マレンカなのだ。ロホ自身がどんなにその身分を嫌っても、恐らく一族の中で生きる限りは一生その肩書きが着いて回るのだろう。
 テオは敢えてロホの現在の名前を使って呼んだ。

「アルフォンソとは付き合って3年目です。彼と初めて出会ったのは、オルガ・グランデでした。彼は俺の命の恩人で、同様に彼も俺のことを命の恩人だと呼ぶでしょう。つまり、我々は互いに助け合い、信頼し合う仲です。大切な友人です。」

 サラテは暫く彼を眺めていた。礼儀として目を見ることはなかったが、テオの為人を見極めようとしているかの様だった。テオは己がどれだけ大統領警護隊の友人達から信用されているか、証明する為に言った。

「俺は大統領警護隊の友人達のナワルを見たことがあります。アルフォンソは美しい金色のジャガーです。カルロ・ステファンは見事なエル・ジャガー・ネグロです。2人共、俺の命を救う為に変身してくれたのです。変身が命懸けであることを俺は知っています。だから、俺も彼等の役に立ちたい。」

 サラテが硬い表情を崩して、フッと笑みを浮かべた。

「グラダに愛されている白人がいると聞いたことがありますが、貴方のことですね。」
「愛されていると言われると面映いですが、現在長老会が認めている全てのグラダ族の人々と仲良くさせてもらっています。」

 テオは長老会が認めていないグラダも知っているぞ、と内心得意に感じた。
 サラテがドアを見た。

「我がオエステ・ブーカはグラダ・シティの出来事とは縁遠い生活をしています。遠い祖先が政争に敗れてこちらへ移って来たと伝えられていますが、現在の農耕や近くの町での働きで十分生活出来ます。東への野心も恨みも妬みも何もない。その筈でした。しかし、最近はインターネットとやらで、世界中の情報が入って来ます。若い連中の中には、何故自分達が貧しいのかと疑問を抱く者も出て来ました。貧しいと思うのなら、自分で努力して稼げば良い。グラダ・シティやアスクラカンで成功している一族の者は、昔から努力して来たのです。何もしないで今日の繁栄を築いているのではない。しかし、それが分からない愚かな連中は、羨望ばかりを増幅させ、不満を募らせています。世の中は不公平だと勝手に思い込んでいるのです。」
「それは、どこの国でも同じです。」
「ホセ・ガルソンをご存知ですか?」

 いきなり知人の名前が出て、テオは不意打ちを喰らった気分で驚いた。

「スィ、知っています。少し前迄太平洋警備室にいた大統領警護隊の将校ですね。」
「スィ。彼は愚かな過ちを犯し、左遷されました。彼の部下達も同様でした。」
「確かに、上官を守ろうとして本部に嘘をついたことは、重大な過ちでした。彼等は信用を失い、代償を払うハメになりました。しかし、現在彼等は失った信用を取り戻そうと努力しています。決して失望していません。」

 サラテがテオを振り返った。少し驚いていた。

「彼等とも親しいのですか?」
「親しいと言える程ではありませんが、ガルソン中尉とはグラダ・シティでたまに出逢います。彼の家族の話など、勤務に関係ない世間話をする程度ですが。」
「家族の話をするなら、彼は貴方を信頼しているのでしょう。」

 サラテは何気ない風に言った。

「彼は私の甥なのです。大統領警護隊に入隊して、”ティエラ”の女性を妻に迎えてから、あまり我が家と交流しなくなりましたが、村の若者達の尊敬の的でした。それがあの失態です。若者達がどれだけ彼に失望したか、彼は想像すらしていないでしょう。」
「彼等は尊敬する上官を守ろうとした。その上官は任地の村人達や港の労働者達を長く守って来た人でした。本部はそう言った事情を理解してくれたので、彼等は降格と転属で済んだのです。彼等は決して反逆者ではなく、判断をミスしただけです。」

 サラテが溜め息をついた。

「若い連中の中には、ホセ・ガルソンより愚かな者もいます。ホセとルカ・パエスは東の連中に冷遇されたのだと本気で憤りを感じる者がいるのです。」

 テオはふとベンハミン・カージョはこの村の出身ではないのかと思い当たった。だから訊いてみた。

「付かぬことをお聞きしますが、ベンハミン・カージョと言う人をご存知ですか?」

 サラテが複雑な表情で頷いた。

「スィ。ここの出身です。かなり血が薄いが、まだ”シエロ”と呼ばれる力、”心話”や”感応”、夜目を使えます。だが本人は己が”シエロ”なのか”ティエラ”なのか気持ちの置き所が定まらず、常に苛立っていました。テレビを見た私の妻が、あの男が今朝の殺人事件や雑誌記者の行方不明に関わっているらしいと教えてくれましたが、本当でしょうか?」
「まだ彼がどんな事件に巻き込まれているのか、俺達にはわかりません。それを調べに俺達はグラダ・シティから来たのです。数時間前に彼と接触しました。彼は政府の手先が彼の友人を殺したと思い込んでいます。何故そんな考えを抱くのか、理由がわかりません。」

 サラテの顔が硬くなった。

「政府に対して疑いを抱いているのではなく、長老会に・・・」

 彼は話し相手が白人であることを思い出して口を閉じた。だからテオは言った。

「”砂の民”を長老会が動かしたと彼は考えたのでしょうか?」

 サラテがびっくりした表情で彼をまじまじと見た。”砂の民”の存在を知っている白人など過去にいなかったのだろう。テオは話を続けた。

「”砂の民”が人間をあんな風に殺したりする筈がありません。カージョのルームメイトは拷問されて殺害されたのです。それがメディアで報道された。あんな目立つやり方を、”砂の民”はしないし、長老会も望まないでしょう。」
「貴方は、本当に我々一族を知っているのですね。」

 サラテがやっと緊張を解いたように見えた。その時、ドアの外で人が近づく気配がした。彼はそちらへ顔を向け、呟いた。

「マリア・ホセとマレンカの若が戻ったようです。」


2022/04/12

第6部  赤い川     11

  呼び出しの内容はレンドイロ記者の行方不明ともカージョのルームメイト殺害とも関係ない話です、とロホは断った。

「私がオルガ・グランデに来ている情報は、この土地の”ヴェルデ・シエロ”社会に既に拡散されています。大統領警護隊が動くと少なくとも長老級の人々にはグラダ・シティから情報が飛ぶのです。自分達の部族の粗探しをされない為の、自衛手段です。」

 彼は車を市街地から郊外に向かって走らせた。日が落ちかけているので、街がシルエットになり、テオは家々の灯りが庶民の住宅から見えることに気がついた。オフィス街からも繁華街からも遠ざかりつつあった。

「大統領警護隊としての、仕事の依頼かい?」
「スィ、と言うより、私の実家の名前に対する依頼です。」

 テオはロホが宗教的な権威を持つ”ヴェルデ・シエロ”の旧家の出であったことを思い出した。

「祈祷かお祓いの依頼なのか?」
「スィ。電話ではよく事情が掴めませんが・・・貴方が同行することを言っていないので、私が紹介する迄、車の中にいて下さい。依頼者は”シエロ”であることを白人に知られたくないですから。」
「わかった。」

 道路の舗装が途切れ、土の上を走っている感触が伝わって来た。マジに郊外だ。車は緩やかに蛇行する道を走り、テオはヘッドライトの灯りの中に見える岩や、野生動物の光る目を眺めた。やがて平らな場所が見えてきた。

「トウモロコシ畑です。オエステ・ブーカ族の村ですよ。」

とロホが教えてくれた。彼は車を一軒の家の前に停めた。ヘッドライトの灯りの中に見えた家は、石の壁と薄い瓦葺の屋根の、そこそこ立派な家だった。男が2人外に立って、車を出迎えた。ロホがエンジンを止め、車外に出た。男達が彼に挨拶した。ロホが属する主流のブーカ族と、大昔に政争で敗れて西部へ移住したオエステ・ブーカ族はどちらが優位なのか、テオはわからなかった。目の前の光景を見る限りでは、出迎え側がロホを自分達より格上扱いしている風に思えた。ロホが自己紹介をして、また彼等は改まって礼儀作法に則った挨拶を繰り返し、やっとロホが車を振り返って、白人を連れていること、その白人は”ヴェルデ・シエロ”の大事な友人であることを紹介した。彼が手を振ったので、テオは許可が出たと判断して、車外に出て、彼等のそばへ行った。ロホが紹介してくれた。

「グラダ大学のアルスト准教授です。」
「アルストです。宜しく。」

 テオが作法通りに右手を左胸に当てて挨拶すると、向こうも同じ仕草をした。ロホが彼等を紹介した。

「族長のセフェリノ・サラテさんとこの家の主人のマリア・ホセ・ガルシアさんです。」

 サラテは60歳を過ぎていると思われる純血種で、ガルシアは40代半ばのメスティーソだった。メスティーソでも”ヴェルデ・シエロ”なのだ。
 テオは何となく生臭い臭いがすることに気がついた。金気臭い、胸が悪く様な臭いが風に乗って漂って来る。彼が風上に視線を向けると、サラテが尋ねた。

「貴方にも臭いがわかりますか?」
「スィ。」

 テオは頷いた。

「正直に言わせて頂きますが、胸が悪くなるような臭いが風に乗って来ます。」

 サラテとガルシアが頷いた。ロホも肯定した。そして呼ばれた理由を語った。

「この家の裏手に細い川が流れています。その川の水が今日の午後、赤くなり、不快な臭いが漂い始めたそうです。」
「川が赤くなった?」

 テオはギクリとした。この臭いは血の臭いなのか? サラテとガルシアは彼の想像を裏切らなかった。彼等は暗い空間に顔を向けた。

「上流で何かが死んでいます。川が汚されてしまった。」
「グラダ・シティからマレンカ家の御曹司が来られていると聞いて、長老に連絡を取って頂いたのです。」

 先刻の電話は、オエステ・ブーカ族の長老の一人から掛かって来たのか? するとロホがテオに分かりやすく説明した。

「この村の長老は私への連絡方法が分からなかったので、最初に憲兵隊に連絡を入れたのです。先住民の村で問題が発生した場合の担当公的機関は憲兵隊ですから、正しい処置でした。憲兵隊は大統領警護隊に連絡して欲しいと依頼され、陸軍オルガ・グランデ基地に連絡して、私の携帯電話の番号を知る基地司令官秘書が私に電話して来たのです。」

 長い説明だが、分かりやすかった。もしサラテかガルシアに語らせたら、周りくどい説明でややこしくなっただろう。

「ここの人達は、君にお祓いをして欲しいと願っているってことだね?」
「スィ。しかし、原因を突き止めないと、物理的に解決しません。」

 ロホは現実的だ。

「川を見てきます。貴方はここで待っていて下さい。」

 テオはついて行きたかったが、街灯も何もない場所だ。ロホもサラテもガルシアも”ヴェルデ・シエロ”だから、照明なしでも暗がりの中で目が見える。夜の屋外は危険だ。蠍や毒蛇に出くわす確率が高い。テオは素直に車の中で待つと応じた。するとサラテが言った。

「マリア・ホセに川筋を案内させます。私はアルスト准教授とここで待ちます。」

 ガルシアが自宅を指した。

「中でお待ち下さい。家の者に居間で接待させます。」


第6部  赤い川     10

  ベンハミン・カージョは逃げてしまった。彼がベアトリス・レンドイロ記者の行方を知っているとは思えなかったが、彼が何と戦っているのか、まだ掴めないでいた。古代の神殿建築の秘密を暴いたとして、それが現代にも用いられていると言う証明がない。その建築が建物を崩壊させることを前提に造られたと言う証明もない。だから、カージョやレンドイロがどんなに古代の秘密をネット上で騒ぎ立てても、”ヴェルデ・シエロ”には痛くも痒くもない筈だ。
 だが・・・
 テオは帰りの車の中でロホに言った。

「カラコルの海底遺跡で古代の7柱の秘密が暴かれないか、ロカ・エテルナ社は心配していた。いや、会社じゃないな、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョが心配していたんだ。」
「アブラーンが心配したのは、その工法が現代人に知られることではないと思います。」

とロホは人混みの中を慎重に運転しながら言った。

「彼の先祖がその工法を使ったことを、一族の他の部族に知られたくなかったのでしょう。」
「どう言うことだ?」
「つまり、現代もその工法で建てられている施設が、”ヴェルデ・シエロ”社会にあると言うことです。」

 テオは考えた。

「つまり、”ヴェルデ・シエロ”の中で、部族間抗争が起きた場合に、マスケゴ族が相手を簡単に殺せる場所があるってことか?」
「スィ。私は見当がつきますが、言わないでおきます。貴方が知って得をすることではありません。」

 思わせぶりな言い方だが、テオはロホがどの場所のことを言っているのか、想像出来た。確かに、その場所が崩壊したら、恐ろしいことになるだろう。国中の”ヴェルデ・シエロ”は大混乱に陥るし、セルバ共和国も大きな衝撃を受ける。政治的ダメージを受ける人間も少なくない筈だ。

「アブラーンはその秘密を一子相伝の範囲に止め、未来永劫使用されないことを願っている筈です。だから、古代の建築法の秘密を暴いたと騒ぎ立てる”ティエラ”を殺して騒ぎを拡大させるとは思えません。カージョとレンドイロがS N S上で交わした会話は公開されているもので、誰でも見られますが、閲覧者が増えたのはレンドイロの行方不明がテレビで報じられてからです。それ迄は双方の友人や客が見ていただけで、4、5人程度でした。占い師と記者に興味はあっても、彼等2人の会話には興味を持たれなかったのです。閲覧が増えたのは、レンドイロの行方不明にカージョが関わっているのではないか、と憲兵隊が考えたからですね。」
「それじゃ、最初から彼等の会話を見ていた人物を特定出来れば良いんだな・・・。憲兵隊はサイバー分析の専門家を雇っているんだろうか?」
「どうでしょう・・・」

 ロホが苦笑した。

「そもそも、貴方は、何処からカージョの住所を突き止めたんです? 憲兵隊は公開していなかったと思いますが?」

 それでテオはアントニオ・バルデスにレンドイロのS N S上の会話相手を探してもらったと言った。ロホは溜め息をついた。

「バルデス社長はそう言うシステムや専門家を持っているんですね。」
「レンドイロの会話相手がカージョだと指摘したのは、ゴシップ誌”ティティオワの風”だった。あの雑誌は何処の町や村でも手に入るから、全国にカージョの名前は知れ渡っているだろう。」
「カージョのルームメイトを拷問して彼の居所を吐かせようとした人物は何者だと思います?」

 難しい質問だ。”砂の民”と言いたいが、”砂の民”は自分達の仕事を仕事だと知られないように標的を殺害する。それに彼等は”ティエラ”を拷問しない。目を見て”操心”で自白させる。
 夕暮れ時の街中を走っていると、ロホの携帯に電話が掛かってきた。ロホは堂々と道路のど真ん中で停車した。狭い道路だったから、路肩や駐車スペースなどない。道端に寄せても、車同士すれ違える幅がないので、ロホはそんな手間をかけなかった。
 彼が電話に「オーラ」と応えると、男の声で何か早口で喋るのがテオに聞こえた。ロホは表情を変えずに聞いていたが、やがて、返答した。

「了解。すぐにそちらへ向かう。」

 彼は電話を切ってポケットに仕舞うと、車を発車させた。軍用車両の後ろで辛抱強く待っていたドライバー達がホッとするのを、テオは背中で感じた。

「何か厄介事か?」
「スィ。」

 ロホが前方を見ながら囁いた。

「晩飯が遅くなるかも知れません。」



2022/04/11

第6部  赤い川     9

  ロホが近づいて来る男性の気配に気がついた。目で合図されて、テオも通路を振り返った。無精髭を生やした50代半と思われるメスティーソの男がゆっくりと歩いて来るところだった。服装は草臥れたチェックの襟付き綿シャツとデニムボトム、履き古したスニーカーだ。肩から斜めがけに大きめのショルダーバッグを提げていた。
 男はロホの大統領警護隊の制服を見て足を止めた。少し躊躇ってから声をかけて来た。

「呼びましたか?」
「スィ。」

 ロホは男の背後を見た。尾行されている様子は見られなかった。彼は男にそばに座れと手で合図した。男はまた躊躇したが、意を結した表情で長椅子のテオの隣に座った。
 テオが挨拶した。

「グラダ大学生物学部のテオドール・アルスト・ゴンザレス准教授です。」

 男が怪訝な顔をした。大学の先生が何の用事だ? しかも大統領警護隊を連れて?
 テオは彼を揶揄うつもりはなかったが、相手が名乗らないので、少し意地悪く言った。

「こちらの要件を貴方の占いで当てられませんか?」

 男が表情を硬らせた。彼はテオとロホを交互に見た。どちらを相手にすべきかと量っている。テオは腹の探り合いが得意でなかった。だから尋ねた。

「貴方のルームメイトが殺害されたことはご存じですね?」
「・・・スィ・・・」

 男はベンハミン・カージョであることを暗に認めた。

「犯人をご存知ですか?」

 カージョはロホを見た。彼はロホに尋ねた。

「殺人犯を捜査しているんですか? それとも私を捕まえに来たんですか?」
「捕まるようなことをしたのか?」

 ロホが高い階級の軍人の口調で訊き返した。カージョが首を振った。

「私は法律に触れることをしていない。私はただ我々の先祖が神話の中の存在ではなく、現実にいたのだと言うことを、ネット上で語っただけです。」
「シエンシア・ディアリア社のベアトリス・レンドイロ記者と語り合っていた、そうですね?」
「スィ。遺跡の形状の特徴を指摘して、ある時代からそれが造られなくなったことを考えると、それが”ヴェルデ・シエロ”の遺跡である可能性があると言う話を論じ合ったのです。」
「それが、何故『いる』と言う考えに繋がるのです? 『いた』のではないのですか?」

 カージョはまたロホをチラリと見た。大統領警護隊が伝説の神と話をすると言う迷信を信じているのか? しかし彼はロホの”感応”に応えたのだ。この男も”シエロ”だろう。或いはその子孫だ。彼は小さく息を吐いて、答えた。

「現在も同じ建築方法が使われていることに気がついたんです。」

 テオとロホが黙っているので、彼は説明を付け加えた。

「ある特定の建設会社が建てた公共施設がどれも同じ構造を取り入れてることに気がつきました。素人目には分かりません。プロの建築家でもわからないでしょう。でも、柱の配置が同じなんです、遺跡の崩壊した神殿跡の柱の痕跡と全く同じ配置なんです。」

 彼は全身を小さく震わせた。

「建物を支える主要な柱が必ず7箇所なのです。そしてそれらが折れると自然に建物全体が崩壊するようになっている。同一建設会社の建造物で、公共施設です。そこが重要なのです。個人の依頼による建物ではない、公共施設です。大勢が利用する建物です。」

 テオはそれに似たような話を聞いたような気がしたが、何処で聞いたのか、誰から聞いたのか、思い出せなかった。恐らく、軽く聞き流してしまったのだ。
 カージョが声を小さくした。元より小さい声だったので、聞き辛くなった。テオは彼に顔を近づけた。

「・・・逆らうと、罰として建物を崩壊させ、我々に見せしめる為のものではないかと思うのです。」

 とカージョが言った。ロホには最初から聞こえていたようだ。

「考え過ぎだ。」

と彼はカージョを遮った。

「政府が国民をそんな方法で罰する筈がない。古代の建築方法で建てたからと言って、その建設会社が古代の民族の流れを受け継いでいると言う考えも無理だ。そもそもセルバ人はその古代の民族の子孫ではないか。神殿の建築を真似てもおかしくない。」
「だが、現にホアンは殺された!」

 カージョが立ち上がった。

「ここに来たのが間違いだった。大統領警護隊は政府の機関だ。ホアンは政府の手先に殺されたんだ。建築方法の秘密を守るために・・・。」

 彼はクルリと向きを変え、聖堂の中を走り出した。テオは思わず立ち上がったが、追いかけなかった。聖堂内にはまだ数人見物人がいて、走って出ていくカージョを眺めていた。
 テオは座り直した。ロホを見ると、ロホがカージョの言葉を教えてくれた。

「彼は、セルバ政府が古代建築を真似て建てた公共施設を使って、政府の政策に反対する人々を罰しようとしている、と考えているのです。」
「はぁ?」
「例えば、シティ・ホールの様な大きな場所に反対派を入れ、柱を破壊して建物を崩壊させる、そして反対派を抹殺する・・・」
「馬鹿馬鹿しい!」

 テオは呆れた。

「政府の指導者達は富裕層が占めていることは知っている。だけど、彼等は選挙で与党が入れ替わる度に閣僚も変わっているじゃないか。そんな連中が、施設の崩壊で反対派を殺すなんて無理だろう。」

 しかしロホが意味深な微笑を浮かべたので、彼は口を閉じた。政府の構成員が入れ替わっても、本質の支配者は、地下に潜っている”ヴェルデ・シエロ”だ。もし”シエロ”に不都合なことが起きれば、反対派、この場合は”シエロ”に敵対する人間、を公共施設に集めて抹殺することは可能かも知れない。

「ロホ・・・」

 ロホが優しい笑みを彼に向けた。

「我々は守護者です。」

と彼は言った。

「政権の反対派など、問題ではありません。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...