2022/04/17

第6部  赤い川     20

  セルバ人は噂話を流すことをタブーとしている。しかしそれは表向きで、裏では情報が拡散されるスピードが非常に早い。インターネットが普及するより早い時代から、中南米の先住民は情報伝達システムを発達させていた。インカ帝国は伝令システムを国家が整えていたそうだが、セルバでは”心話”と言う神の力がものを言った。能力を持たない”ヴェルデ・ティエラ”でさえ、緊急の要件を遠方に伝えたい時は、村に一人はいる祈祷師に頼んで”ヴェルデ・シエロ”に伝言してもらうのだ。
 アンゲルス鉱石社では緊急重役会議が開かれ、バルデス社長がレグレシオンの活動に関する情報がある、と一言発言した。内容はない。ただ、彼は文字通りそう言っただけだ。しかし重役達はすぐに社長が何を望んでいるか理解した。社長の希望は彼等の希望でもあった。会社に害を与える可能性があるものは即刻排除せよ。そう言うことだ。彼等は直ちに直接の配下に命令を下した。
 憲兵隊オルガ・グランデ基地では、指揮官がグラダ・シティの本部へ連絡を入れた。内容は暗号化されていたが、テロリストの活動が活発化してきたことへの警戒を促すものだった。連絡を終えると、指揮官は幹部クラスの部下を集め、捜査会議を開いた。
 オルガ・グランデからの情報を解読したグラダ・シティの憲兵隊本部は直ちにテロ対策班を招集した。これまで内偵を続けてきた不穏分子の現段階での状況を分析し、オルガ・グランデからの情報の信憑性が高いことを確信するに至った。彼等が捜査に入ったのは言うまでもない。
 そして憲兵隊の動きは瞬時に大統領警護隊にも伝えられた。司令部はテロリズムと言う国民に与える危機を憂慮し、遊撃班に情報収集と対処を命じた。本当に公共施設を崩壊させて国民を殺傷する計画があるのか、あるとすればどの場所なのか。
 この動きを”砂の民”が知らぬ筈もなく、闇の狩人達は首領からの指示を待つことなく標的を求めて動き出した。

 夕方、シエスタから目覚めたロホは、ケツァル少佐から電話をもらった。テオは彼が母語で喋るのをぼんやり聞いていた。ベンハミン・カージョをどうすれば保護出来るかとそればかり考えていたので、通話を終えたロホが「グラダ・シティに帰ります」と言った時は驚いた。

「レンドイロの行方はまだわかっていない。カージョも守らないと・・・」
「それは貴方の役目ではありませんよ、テオ。」

 ロホは軍人だ。命令を受けると心の切り替えが早い。

「貴方はエル・ティティのゴンザレス署長の所に帰って下さい。私はそこまで貴方を護衛します。」
「それじゃ、アスクラカンへ行く。」
「レンドイロ記者を探す目的で行くのは駄目です。」
「どうしてだ?」
「警察が捜しても見つからなかったんです。貴方一人で動いても無駄です。」

 はっきり無駄だと言われてしまった。テオは腹が立ったが、言い返せなかった。

「せめてカージョの保護を誰かに頼みたい。」
「その本人が保護を拒否して隠れているのです。彼が希望しない限り、憲兵隊も警察も動きません。」
「彼はオエステ・ブーカ族じゃないのか? 一族の人は彼を守らないのか?」
「それも心許ないです。彼は一族から離れています。S N Sの投稿内容を見ても、一族に歓迎される文章ではありません。寧ろ一族に近づく方が彼にとって危険ですよ。」

 ロホの言葉は冷たく聞こえたが、冷静に考えればそれが当然なのだ。”ヴェルデ・シエロ”は長い時の流れの中で血を絶やさぬために、一族の中の不穏分子を自分達で排除してきた。大きな超能力を持ちながらも、圧倒的多数の”ティエラ”に存在を知られることを何よりも恐れてきた民族なのだ。ベンハミン・カージョは、一族にとってベアトリス・レンドイロより危険で厄介な人物に違いない。ロホは、そんな人物にテオが親切心で近づいて巻き添えになることを心配してくれているのだった。
 テオは溜め息をついた。

「わかった。明日1番のバスでエル・ティティに帰る。だけど、俺がアスクラカンに買い物に出掛けることは止めないでくれよ。」




 

2022/04/15

第6部  赤い川     19

  テオはベンハミン・カージョに憲兵隊の保護を受けることを勧めたが、占い師は拒否した。仕方なくテオは連絡先を書いた名刺を彼に渡し、ロホと共に陸軍基地に戻った。ロホが憲兵隊基地へ向かうと言うので、テオも同行した。ロホは殺人事件の担当者ではなく、憲兵隊オルガ・グランデ基地の指揮官に面会し、反政府組織レグレシオンが2件の殺人事件に関与している疑いがあると告げた。反政府組織は憲兵隊にとって天敵の様な存在だ。レグレシオンの名を知らない憲兵隊員はいなかった。
 古代遺跡の構造から7本の柱を破壊するだけで大きな公共の建造物を崩壊させることが出来ると言う説を唱えた占い師と、そのS N S上の友人である雑誌記者がレグレシオンに目をつけられたらしいこと、古代の遺跡は核爆弾で破壊されたと主張していたアメリカ人が殺害されたこと、等をロホとテオは憲兵隊指揮官に説明した。

「もし真犯人が本当にレグレシオンなら、何処かの公共施設でテロを起こす可能性を考えなければならない。」

とテオが意見を述べると、指揮官も固い表情で頷いた。

「近頃街で若い連中が度々集会を開いていると情報が入っています。学校へ行かず、仕事もしない、普段どうやって食っているのかわからない連中です。監視をつけていますが、集まるメンバーが毎回違う顔なので、当方も困惑しているところでした。レグレシオンは明確なリーダーを持たない組織で、その時々の活動でリーダーが決められ、交替します。グラダ・シティに本拠地があると言われていますが、オルガ・グランデでも動きが見られるようになりました。監視体制を強化し、警戒を厳しくします。」

 ロホは頷き、大統領警護隊が訪問先の軍隊の指揮官にする挨拶の言葉を唱えた。

「貴官と貴官の軍にママコナのご加護がありますように。」

 憲兵隊の指揮官が敬礼した。
 憲兵隊基地から陸軍基地は車で10秒程の距離だが、陸軍基地は広いので、宿舎としている兵舎に戻るには2分ほどかかった。
 車を車両部に返し、テオとロホは遅めの昼食を取り、シエスタに入った。ベンハミン・カージョを逃すまいと広範囲の結界を張ったので疲れたのだろう、ロホはベッドに横になるとすぐに眠ってしまった。もしかすると、地下のカージョの隠れ家にいた時も結界を張っていたのかも知れない。テオは彼の隣のベッドで無防備に眠るロホを愛しい弟の様な気分で眺めた。陸軍基地の中だから安心しているのではなく、隣にいるのがテオだから、熟睡出来るのだ。
 電話が鳴ったので、急いで部屋の外に出た。ロホを起こしたくなかった。電話をかけて来たのは、アントニオ・バルデスだった。ベンハミン・カージョとベアトリス・レンドイロのS N S上での遣り取りを覗いていた人間、つまり2人のどちらかのページにアクセスした人物の特定が出来たのだ。アンゲルス鉱石社は、かなり優秀なI T技術者を抱えている様だ。テオはバルデスが順番に挙げる6人の氏名とアドレスを書き取った。そしてバルデスが「もう用件はないですか?」と尋ねた時、レグレシオンを知っているかと訊いた。反応があった。

ーー反政府組織ですな。反逆者ですよ。
「昨日起きた2件の殺人事件に関与している可能性がある。」
ーー2件の殺人?

 バルデスは少し考え、思い当たることがあった様子で、ああ、と声を出した。

ーーどちらも連中がやったと、ドクトルはお考えで?
「まだ断定出来ていないがね。」
ーーあまり深入りしないことですな。

と言ったすぐ後で、オルガ・グランデ政財界の実力者は携帯ではなく、遠くへ視線を向けて呟いた。

ーーこの街で我が物顔に振る舞って無事に済むと思うなよ・・・
「セニョール・バルデス!」

 テオは相手が何を考えているのかわかったので、つい叱責するような声を出してしまった。バルデスは薄笑いを浮かべ、「さようなら」と言って通話を終えた。
 テオは怒れる虎の前に狂犬を放った気分になった。バルデスは善人ではないが、愛国者だ。彼なりのルールを持っているが、社会の秩序を乱す者を憎む。テロリストは彼の会社の様に大きな企業も狙うだろう。だからバルデスにとって、レグレシオンは排除すべき相手だった。


第6部  赤い川     18

  ベンハミン・カージョの隠れ家はクーリア地区の古民家にあった。台所の床板を外すと、古い坑道に降りられたのだ。どこからか違法に引いた電線で、暗い電灯が一つだけ灯る空間があり、そこにカージョは寝袋と食料を置いていた。昔トロッコでも通ったのか、錆びたレールの残骸が床にあり、何処かへ通じる通路が暗闇の中へ消えていた。決して暖かい場所と言えなかった。

「ここじゃネットが使えない。だからアパートに戻ろうとした。」
「パソコンはなかったぞ。」

 テオが教えると、カージョは悔しそうな顔をした。

「アイツらの仕業だ!」
「アイツらって?」
「レグレシオンの連中だ。」

 ロホが、ハッとした表情になったので、テオは彼を見た。

「知っているのか?」
「話に聞いたことはあります。所謂インテリの反政府組織です。”ティエラ”の学生崩れ達が組織した団体で、政府高官の家に小型爆弾を送りつけて来たり、富裕層の家の子供を誘拐して洗脳して仲間に引き入れたりするのです。」
「大統領警護隊は直接関わらないからな、あの連中とは。」

とカージョがちょっと人を馬鹿にしたような口調で言った。

「あんた等は一族に害が及ばなければ、知らん顔をしているんだ。」
「国民に直接被害が出なければ動かないだけだ。」
「政府高官だって国民だぞ。」

 テオはロホとカージョが喧嘩を始める前に、割り込んだ。

「何故レグレシオンが犯人だと思うんだ?」
「半月前に新聞記者を装った男が取材だと言って、俺のアパートに来た。遺跡の7柱の仕組みについて、かなり熱心に質問してきた。だが俺は、一族の存亡に関わる情報は渡せないと承知している。だから適当に返事をしてはぐらかした。男は満足した様子じゃなかった。俺が何か重要なことを隠していると勘づいたんだな。俺は占い師で、建築の専門家でも考古学者でもないから、柱をどう破壊すれば建物全体が崩れるなんて、知らないって言って追い払った。」

 テオは嫌な想像をした。

「もしかして、シティ・ホールとか大きな施設でテロを起こすつもりじゃないだろうな?」

 カージョが暗がりの中で、顔を暗くした。

「その可能性はあるかもな・・・」
「貴方が出かけている間に彼等は再びアパートに来て、貴方が柱の仕組みをパソコンの中にでも隠していると考え、貴方のルームメイトを殺害してパソコンを盗んだんだな?」
「恐らくな・・・パソコンの中にはそんな情報は入れていない。占いの客の個人情報ばかりだ。」

 テロリストにとって無用な情報でも、それを掴んでいるのがテロリストだと考えただけでも嫌じゃないか、とテオは思った。

「貴方は、マックス・マンセルと言うアメリカ人を知っているかい?」
「マンセル? ああ・・・」

 セルバ人のインチキ占い師はアメリカ人のインチキ占い師を知っていた。

「俺のところへやって来て、古代の神殿が破壊されたのは、柱が折れたからじゃなくて、核爆弾が仕掛けてあったからだと言いやがった、頭のおかしな男だな?」
「実際に会ったのか?」
「スィ。アパートに来やがった。俺に考えを改めろと迫ったんだ。頭がおかしいとしか言いようがないだろ?」

 カージョの7柱の説は正しい。そしてカージョはそれを実際に現代使用する目的で建設された公共施設があると指摘した。それを誤っているとアメリカ人のマンセルが批判しに来た? マンセルはカージョの説の誤りを認めさせて己の名誉回復を図ろうとしたのか?
 もしかすると、とテオは呟いた。ロホが彼を見た。テオは頭の中の考えを言った。

「マンセルは核爆弾の話をテロリストに売り込んだのかも知れない。だがテロリストはカージョの説の方を支持した。マンセルはカージョに誤りだと認めさせようとして相手にされなかった。テロリストには、頭のおかしなマンセルは邪魔だ。だから処刑してしまった・・・」

 え?とカージョが声を上げた。

「あのアメリカ人は殺されたのか?」

 暗い隠れ家の中に沈黙が降りた。


第6部  赤い川     17

  アントニオ・バルデスはテオの厚かましいお願いを、顰めっ面しながらも引き受けてくれた。

「その行方不明になっている記者は、貴方の友人なのですか?」

と訊かれたので、テオは「ノ」と答えた。

「友人のところへ取材に来た記者だ。そのうち俺の研究も取り上げてもらおうと思っていた、その程度だ。彼女個人の連絡先も何も知らなかった。だが、彼女が行方不明になる直前に乗ったバスに、俺も乗り合わせていたんだよ。」

 バルデスが電話の画面の中で彼をじっと見つめた。

「またバスですか。貴方とバスは奇妙な組み合わせなのですな。」

 そしてベアトリス・レンドイロが行方不明になる前に彼女とベンハミン・カージョのネット上での会話を覗いていた人々を探してみると言って、通話を終了させた。
 横で聞いていたロホがフッと笑みを漏らした。

「彼は善人と言えない人間ですが、することは筋が通っています。貴方に協力すれば大統領警護隊文化保護担当部における彼と彼の会社の株が上がる。鉱山業務がやりやすくなると言う訳です。」
「つまり、俺も彼に利用されているんだな。」

 テオも笑った。
 陸軍基地内でウダウダしていても埒が開かないので、テオとロホは街へ出かけた。ベンハミン・カージョが住んでいたクーリア地区のアパートへ行ってみたら、既に規制線は外されていた。住民が邪魔だと言うので、切ってしまったのだ。警察も憲兵隊も文句を言わないから、黄色いテープの破片はそのまま千切れて小さくなるまで風にはためくことだろう。
 カージョの部屋は荒れていた。殺人者が荒らしたのか、警察が捜査の為に荒らしたのか、よくわからない。もしかすると以前から整頓されていない部屋だったのかも知れない。占い師だと聞いていたが、占いの道具と思われる物は見当たらなかった。パソコンもなかった。殺人者が奪ったのか、警察が押収したのか、それともカージョが持ち歩いているのか。
 床にチョークで死体があった型が描かれていた。血溜まりが黒くなって残っており、異臭がした。テオは耳を澄ませてみたが、アパートや通りの雑音や人の話声しか聞こえなかった。ロホを見ると、彼も特に死者の霊が見えている様子でなかった。
 生活の場であって、商売をする場所ではないのかも知れない、とテオは思った。占いを依頼する客はどこでカージョと会っていたのだろう。近所の人に聞き込みをしようと部屋の外に出た。
 廊下の向こうでチラリと人影が見えた。テオはその顔を見て、叫んだ。

「カージョ!」

 人影が壁の向こうに引っ込んだ。テオは走り出した。
 カージョが階段を駆け降りる音がして、彼も追いかけた。通りに出ると、カージョが左手へ走り去るのが見えた。テオが追いかけ、カージョが逃げる。カージョは地の利があるが、テオは足が早い。狭い住宅地の道を2人の男は全力で走った。
 カージョが6つ目の角を曲がった。テオもその角を曲がった。カージョが立ち止まっていた。前方を、いつ先回りしたのか、ロホが立ち塞がっていた。

「何故逃げる?」

とロホが尋ねた。テオはカージョの後ろに追いついた。息が弾んでまだ口を利けなかった。カージョもはぁはぁと息を肩で息をしていた。彼が苦しい息の下で悪態をついた。テオは顔を上げ、そこがカージョのアパートのそばだと気がついた。ぐるっと町内を一周しただけだ。いや、カージョはそうせざるを得なかったのだ。彼は”ヴェルデ・シエロ”の血を引いており、ロホが張った結界から出られないのだ、とテオはようやく気がついた。純血種で高度な技を習得しているロホが張った結界を無理に破ろうとすれば、”ヴェルデ・シエロ”は脳にダメージを受ける。”ティエラ”には無害な精神波のバリアーだが、一族には致命的だ。

「俺を捕まえに来たんだろ?」

とカージョが言った。

「俺をワニに食わせるために・・・」
「馬鹿な・・・」

 ロホが真面目な顔で言った。

「我々はお前が何をしたのかも把握していない。だからお前が何を心配しているのか、お前のルームメイトが何故殺されたのかもわかっていない。だから、お前の話を聞きに来たのだ。」
「それじゃ・・・」

 カージョはやっと上体を真っ直ぐに伸ばした。

「あんた達はレンドイロを捕まえたんじゃないのか?」
「ノ!」

 テオはやっと声が出せるようになったので、ロホより先に否定した。

「俺は彼女とアスクラカンへ向かうバスの中で言葉を交わした最後の人間だ。彼女はアスクラカンで下車してそれっきり戻らなかったが、そのまま行方不明になっていたことを知ったのは、つい最近だ。だから気になって、大統領警護隊の友人の協力で彼女の行方を探しているんだ。最初はアスクラカンへ行くつもりだったが、彼女が貴方とネット上で話をしていたと知って、貴方が何か手がかりを持っていないかと期待してここへ来た。そしたら殺人事件が起きていて、びっくりしたんだ。貴方とレンドイロが何に巻き込まれているのか、俺達は知りたいんだ。」

 一気に喋って、咳が出そうになった。彼が唾液を飲み込んで喉を休めている間に、ロホがカージョに近づいた。

「ここは安全とは言えない。もしお前が我々を信用してくれるなら、陸軍基地へ連れて行って保護するが、それが嫌だと言うなら、どこかお前が知っている場所へ案内してくれ。」

 カージョはテオとロホを交互に見比べた。白人と大統領警護隊を信用して良いものかと考えているのだ。
 数分間の沈黙の後、カージョは腕を振った。

「俺の隠れ場所へ案内する。逃げたりしないから、結界を解いてくれ。」


2022/04/14

第6部  赤い川     16

  オルガ・グランデの憲兵隊基地は陸軍基地内にある。グラダ・シティの様な独立した場所を持っていないのは、土地が限られているからだ。市街地は旧市街新市街どちらも家がびっしり建て込んでいるので、丘陵地しか空いていなかった。
 ロホは憲兵隊基地へ行くと、前日ベンハミン・カージョの家で起きた殺人事件の担当者を呼び出した。担当の曹長は、カージョのインチキ占いに腹を立てた客がカージョを襲うつもりで家に押し入り、ルームメイトの男を拷問した挙句死なせてしまったのだろうと言った。テレビで放映されたグラダ・シティの雑誌記者行方不明の事件と、カージョのルームメイト殺害事件を関連づけて考えていなかった。犯人の目撃はなく、怪しい人間や車を見た人もいなかった。いたかも知れないが、事件に関わりたくないので名乗り出ないだけとも考えられた。

「カージョの行方はわからないのですか?」

とテオが訊くと、曹長は肩をすくめた。わからないのだ。オルガ・グランデはグラダ・シティと比べて土地は狭いが、周囲は岩山や砂漠で、しかも街の地下は坑道が縦横無尽に掘られている。隠れ場所に不自由しない。20数年前、ケツァル少佐とカルロ・ステファンの父親シュカワラスキ・マナは2年間たった一人で一族と闘ったが、それは坑道と言う隠れ家があったからだ。
 憲兵隊があまり情報を持っていないとわかり、ロホが陸軍基地に戻りましょうと言った。テオは同意したが、ふともう一つの事件を思い出した。

「昨夜、農村で見つかった死体の身元はわかったんですか?」

 曹長は担当ではないので知らないと答えたが、すぐに大統領警護隊のロホがいることを思い出し、慌てて担当者に連絡を取ってくれた。暫く相手と話をしていたが、電話を終えるとテオに向き直った。

「アメリカ人のマクシミリアム・マンセルと言う人を知っていますか?」
「マクシミリアム・マンセル?」

 テオはどこかで聞いた記憶がある、と考えた。マクシミリアム・・・マックス・マンセル?

「マックス・マンセルか!」

 彼が叫んだので、ロホと曹長が驚いて彼を見た。

「お知り合いですか?」
「まさか!」

 テオは苦笑した。

「俺がまだアメリカ人だった頃に、テレビに出まくっていたインチキ占い師だ。預言者と称していたがね。話術が巧みで、結構騙された人が多かった。そのうちインチキだって訴えられて、行方を眩ませたんだ。俺が初めてセルバに来るより少し前だったから、覚えている。あのマックス・マンセルがどうかした?」
「昨晩の死体がパスポートを所持していました。名義がマクシミリアム・マンセルだったのです。」

 今度はテオが驚いた。詐欺師として悪名を得た男が、セルバ共和国の荒地で死んでいた? せいぜいメキシコ辺りに逃げたとばかり思っていたが。

「死因はわかったのかな?」
「後頭部を拳銃で撃たれていたそうです。後ろ手に縛られていたので、所謂処刑の形で殺されていました。」

 曹長の言葉に、実際に遺体を見たロホが頷いた。
 憲兵隊に礼を言って、テオとロホは陸軍基地に戻った。

「妙なことになってきた。」

とテオはベッドに腰を下ろしてから言った。

「カラコル遺跡の地下に核爆弾が仕組まれていたと、チャールズ・アンダーソンやアイヴァン・ロイドに嘘を吹き込んだのが、マックス・マンセルだったんだ。アンダーソンとロイドは本当の話だと信じ込んでしまい、モンタルボ教授の発掘調査に同行して核爆弾の痕跡を見つけようと考えたんだ。しかし実際は核爆弾なんてなかった。カラコルの街の大元を築いたマスケゴ族の先祖達は、7柱の仕組みで、いざとなった時に街を崩せるように細工したんだ。
 現代のマスケゴ族はその仕組みが”ティエラ”ではなく一族に知られるのを心配している様なんだ。先祖が一族と仲違いした時の用心に造ったものが残っていると後味が悪いのだろう。ところがそれをベンハミン・カージョが気がついて、ネット上でベアトリス・レンドイロに語ってしまった。カージョは中央の長老会や政府に不満を抱いている様子だったから、所謂先祖の秘密の暴露をしてやろうって魂胆だったのだろう。レンドイロ記者は純粋に考古学の謎を解く好奇心だったと思う。だけどネット上で彼等の会話を覗いた誰かが、気に入らないと感じたんだ。レンドイロがアスクラカンで襲われ、それからカージョが狙われた。マックス・マンセルも何らかの理由で存在を知られて殺されたんだと思う。」

 彼は一気に喋って口を閉じた。ロホは向かいのベッドに座って彼を見ていた。テオの話が終わると、彼は少し考え、質問した。

「一連の事件の犯人が同一人物だと仮定して、そいつは”シエロ”ですか、”ティエラ”ですか?」
「それが問題だ。殺害の手口は”ティエラ”としか思えない。だけど、”シエロ”の殺し屋が”ティエラ”の犯行と見せかけていたとしたら?」
「犯人が”シエロ”なら、川を死で汚さないと思いますが・・・」

 ロホは目を閉じてまた考えた。テオはふと思いついて、グラダ・シティのケツァル少佐にメールを打った。

ーーレンドイロの行方の手がかりはあったかい?

 ロホが目を開いた。

「取り敢えず、カージョと記者の遣り取りを覗いていた人々を特定しましょう。犯人はその中にいると思います。」

 テオも同意した。

「ネットの管理者にユーザーの特定をさせることは出来るのかな?」
「貴方はカージョをどうやって見つけたのです?」
「彼の場合はハンドルがわかっていたから、バルデスに頼んで彼の会社で調べてもらった。」
「では、またバルデスに頼みましょう。」

 ロホはオルガ・グランデの裏社会の帝王とも言える鉱山会社の経営者に対して強気だ。バルデスが前の経営者ミカエル・アンゲルスをネズミの神像で呪殺したことを知っているし、その神像の怒りを鎮めて然るべき処置を行ってバルデスと会社を救ってやったのもロホとケツァル少佐だ。
 テオが苦笑すると、携帯にメールが着信した。少佐からだった。

ーーなし。

 簡潔に明解に。


第6部  赤い川     15

 オルガ・グランデ陸軍基地に向かう車中で、ロホが疑問を呈した。

「族長のサラテもガルシアも、川の上流で死んでいた人の身元に関して何も言いませんでした。彼等が川を汚す筈がないので、あの死体をあの場所に放置したのは地元民ではありません。そして死んでいた人は村の住民でもない。では誰が誰を殺したのか? 何故あの場所なのか? 厄介なことです。」
「行き倒れじゃないよな?」
「村へ行くなら兎も角、こんな外れの道へ入る他所者はいないでしょう。」
「だが、死体を捨てるとなると、ガルシアさんの家の前を通る訳だろう? 見られずに通れるだろうか? ガルシアさん達は”ヴェルデ・シエロ”だ。夜中に通ったとしても、車の音が聞こえるだろうし、窓の外も見えるだろう?」
「確かに・・・」

 自分達が追っているベアトリス・レンドイロ記者行方不明事件と関係があるのかないのか、それすら不明だった。
 テオは満腹だったので欠伸が出た。

「君は俺の護衛で来てくれたのに、面倒な仕事を増やしちまってすまない。」
「何を言うやら・・・」

 ロホが苦笑した。

「最近少佐の代理でデスクワークばかりしていたので、羽根を伸ばせると嬉しかったんですよ。」

 自分で動くのが好きな指揮官の副官として働くと、時にオフィスの留守番ばかりになるのだ。ロホだってまだ若いし、外で活動するのが好きな性格だから、毎日書類を読んで署名するだけの仕事は飽きる。テオも大学で講義したり野外に学生を連れて動植物の細胞を採取する方が、職員会議や報告書作成や学生の論文チェックをするより好きだ。
 車がやっと凸凹道から舗装道路に出た。真っ暗で車のヘッドライトしか灯りがないが、ロホは対向車がいないので、スピードを上げて車を走らせた。

「カージョはまた君が呼べば出て来ると思うかい?」
「政府に不満を抱いているそうですから、2度目は無理でしょう。」
「”砂の民”を呼ぶのも無理だろうな?」

 ロホが運転しながら、チラリとテオを見た。

「向こうの名前がわからないと無理です。私はママコナじゃありませんからね。」

 テオは黙り込んだ。
 夜中近くに陸軍基地に戻った。大統領警護隊の控室は空気が冷え切っており、テオは数台置かれているベッドの毛布を集めて、ロホと分け合った。尤もロホは毛布を重ねると重たいと言って、敷布代わりにしてしまった。
 夜間の歩哨の声だけが響く静かな夜が更けていった。
 朝は起床ラッパの音で目が覚めた。ロホが綺麗好きなテオの為に風呂の順番を確保してくれた。2人で一緒に裸になって入浴した。ロホの左肩にうっすらと傷跡が残っていた。反政府ゲリラ、ディエゴ・カンパロに刺された跡だ。普通の人間なら後遺症が残る程の深傷だったが、”ヴェルデ・シエロ”は元通りの腕の機能を取り戻した。今では肌に僅かな白い跡が残っているだけだ。それでもテオはそれを見ると、いつも胸の奥が熱くなる。テオの命を、ロホが命懸けで救ってくれた証だ。ロホはすっかり忘れた様な顔で、汚れた衣類を洗濯に出すべきでしょうか、と惚けた質問をしてきた。テオは笑った。

「俺はエル・ティティでは洗濯屋のバイトもするんだ。朝飯の後でシャツを洗ってやるよ。」

 アパートで一人暮らしをしているロホは、汚れ物が溜まるとコインランドリーに行くのだと言った。基地にもコインランドリーがあったが、常に兵士達が使っていて、空いている時間がなかった。
 大勢の兵士達と一緒に朝食を取り、洗濯をした。空気が乾燥している土地なので、シャツ程度ならすぐに乾く。乾くのを待ちながら、テオとロホはその日の行動を相談した。
 ベンハミン・カージョのルームメイト殺害事件の捜査がどんな進み具合か知りたかったので、憲兵隊基地へ行くことに決めた。

   

2022/04/13

第6部  赤い川     14

  ガルシア家の食事は質素だった。煮豆に蒸した米、挽肉と玉葱をピリ辛のトマトソースで煮込んだものが1枚の皿に盛り付けられて配られた。「こんな物しかなくて申し訳ない」とガルシアの妻は謝ったが、ロホもテオも美味しいと応えた。

「陸軍基地の食事に比べれば、遥かにご馳走だ。」

とロホが言うと、ガルシアの息子が「そうなんですか?」とちょっぴりがっかりした口調で応じた。ひょっとすると入隊を考えていたのかも知れない。
 食事を終える頃になって、外で車のエンジン音が聞こえた。やっと憲兵隊のお出ましだ。テオとロホはガルシア家の人々に食事の礼を言って、席を立った。ガルシアも立ち上がったが、ロホが自分が憲兵隊を案内するから彼は休んで良いと言った。それでガルシアは族長を呼んでおきますと言った。
 夜間に郊外へ呼び出された憲兵隊は機嫌が悪そうだったが、現れたのが大統領警護隊だったので、文句を言わずに川の上流へ向かった。今度はテオも同行した。
 車のライトで光る川の水は細く、川と言うより水の流れとしか呼べない様なものだった。それでも乾燥した土地では貴重な水源なのだろう。余程の旱魃でもない限り、この流れは涸れずに畑を潤しているに違いない。だから、その川が汚されてしまうのは、農民にとって死活問題だった。
 道路状況は上流へ行くに従って酷くなって来た。凸凹道をゆっくり走り、車幅ギリギリの狭路を行くと、やがて広い川原に出た。ロホが車を停めると、憲兵隊の車両、司令車とトラック2台、計3台が横並びに川原に停まった。
 憲兵隊がライトを設置して地面に横たわる遺体を照らすと、各車両はライトを消した。ガルシアの家の庭で嗅いだ不快な臭いが強くなり、テオはハンカチで鼻を押さえた。遺体を見たくなかった。ロホはスカーフで顔を目の下から覆い、同様のスタイルになった憲兵達を遺体まで導いた。遺体の下から流れ出る液体が川へ流れ込んでいた。まるで遺体が川の源流みたいな細い流れだ。1キロ下流で川の水が赤くなって異臭がしたのも無理がない状態だ、とテオは感想を抱いた。憲兵隊の指揮者と少し話をしてから、ロホが車に戻って来た。

「彼等に後を任せました。除霊の必要はないと彼等は考えているので、私は口出ししません。帰りましょう。」

 テオはホッとした。ここで捜査に加われと言われたら、嫌だな、と思っていたからだ。
 車が動き出し、方向転換して来た道を戻り始めると、彼は尋ねた。

「死んでいたのは、男かい?」
「服装や体格から判断するに、男性でしょう。」
「死んでどのくらい時間が経っているんだ?」

 ちょっとベンハミン・カージョが心配になったので、そう尋ねた。ロホがちょっと考えた。

「腐敗の進み具合から考えて1日ですか・・・動物に荒らされた跡が少なかったので、2日は経っていないと思います。」
「村人は川が変化する迄、気がつかなかったのか?」
「死体がある場所は耕作地ではありません。この先の峠を越えたところに、古い鉱山跡があるそうです。今走っている道は旧道です。新しい道がもう少し戻ったところから分岐して、この村の一番民家が集まっている場所を通って隣村へ続いています。」

 ガルシアの家迄戻ると、族長のサラテが来ていた。ロホは車に乗ったまま、サラテと”心話”を交わした。恐らく憲兵隊とのやり取りを伝えたのだろう。サラテが頷いた。

「もし祈祷が必要なら、長老に相談します。」

と彼はロホに言った。別れの挨拶を交わし、テオとロホはオルガ・グランデ陸軍基地へと向かった。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...