2022/04/18

第6部  虹の波      3

  森の中は下草が多かったが、明るく、歩きやすかった。それに”ヴェルデ・シエロ”と一緒なので蛇や毒虫も寄って来ない。少佐が先頭で、テオを挟んでデルガドが殿を務めた。テオは何故少佐のお供が文化保護担当部の隊員ではなく遊撃班のデルガド少尉なのか、理由がわからなかった。遊撃班は通常2人1組で行動する筈だ。それで歩きながらその疑問を口にすると、少佐が教えてくれた。

「文化保護担当部は申請書類が溜まって忙しいので、一番最終的な仕事をしている私が出張しているのです。」

 つまり、申請書審査を担当するギャラガ少尉やデネロス少尉は多忙だ。警護の規模を考えるアスルも多忙で、警護費用や申請者に請求する協力金を計算するロホも忙しい。最終審査をして署名する少佐が、一番時間の余裕があるので、出張って来たと言っている訳だ。きっと文化・教育省の会議に出席したくないのだろう。
 ケツァル少佐の短い説明が終わったので、デルガド少尉の番だ。

「遊撃班は指揮官のセプルベダ少佐を含めて26名ですが、まだステファン大尉が厨房勤務なので、1人余ります。セプルベダ少佐は今回のテロリスト捜査に2名ずつ振り分けて、私が残りました。私は憲兵隊からもたらされる情報を分析して同僚に伝える役目を仰せ使っていましたが、レンドイロ記者がアスクラカンの無名の遺跡に誘い出された可能性が出て来ました。セプルベダ少佐は私をテロリスト捜査から外し、記者の捜索へ配置変えしたのです。」
「君一人だけを?」
「私は以前アスクラカンでディンゴ・パジェの捜索と捕縛を行ったので、ここでの森の歩き方はわかるだろうと。それに文化保護担当部に遺跡での捜査を手伝っていただければ、双方から1名ずつ出すことになって、2人組みが出来ると少佐はお考えになったのです。」
「すると、ケツァル少佐が出張ったのは、セプルベダ少佐の要請があったからか?」

 少佐と少尉が同時に「スィ」と答えた。最強の”ヴェルデ・シエロ”グラダ族のケツァル少佐と、一番力は弱いが情報収集活動では優れた能力を発揮する”ヴェルデ・シエロ”グワマナ族のデルガド少尉のコンビだ。テオはあのずんぐりしたセプルベダ少佐の賢人の様な風貌を思い出し、案外最適コンビをセプルベダが最初から考えていたんじゃないか、と想像した。

「レンドイロを誘い出した男は何者だったんだろう? レグレシオンの仲間だろうか?」
「それはわかりません。彼女に遺跡を見せると言って誘い出したのか、それとも他にも仲間が隠れていて、彼女を拉致したのか。しかし彼女は考古学の研究を取材している雑誌記者で、建造物の構造や崩壊させる仕組みを調べる専門家ではありません。専門家の話を聞くのが仕事の記者に、どんな用件があったのでしょう。」

 仲間がテロリストを追っている時に、行方不明の雑誌記者の捜索を命じられたデルガドは、不満ではないのか、とテオはちょっぴり心配したが、デルガド少尉はそんな小さな悩みなどない様に、森の中に注意を払っていた。だから通り道から少し離れた所で落ちていた赤い紙の切れ端を見つけたのも彼だった。それは雨で何度も濡れて溶け掛けていたが、雑誌の一部に見えた。ケツァル少佐はそこで立ち止まり、周辺を見回した。そしてさらに数片の紙屑を見つけた。

「雑誌を破り捨てた様だな。」

とテオは呟いた。振り返ると、低木の森であったが、どの方向から来たのかわかりにくくなっていることに気がついた。もうアスクラカンの街並みも、農村地区の風景も見えない。ここで置き去りにされると町への方角がわからない。太陽はほぼ真上だ。
 少佐が進みましょう、と言った。デルガドが黙ってテオに水筒を渡してくれた。”ヴェルデ・シエロ”達は時々通り道の樹木の葉を噛んだりしている。それで水分を補給しているのだろう。テオに薦めないのは、植物に含まれる成分が”ティエラ”には有毒である場合もあるからだ。

「デルガドと私はレンドイロと面識がありません。」

と不意に少佐が歩きながら言った。

「もし彼女が無事なら、貴方は彼女と面識がありますから、彼女を安心させてあげて下さい。」

 その為だけに呼ばれたのか? テオは不思議に思った。少佐はレンドイロがまだ生きていると思っているのだろうか?

「今向かっている遺跡は、行ったことがあるのかい?」
「ムリリョ博士とケサダ教授は行かれたことがあります。私は”心話”で情報を頂きました。」
「ムリリョ博士とケサダ教授は行った?」
「スィ。お2人は”シエロ”の遺跡をチェックする仕事をされています。発掘されていなくても、荒らされていないか不定期に見回っておられるのです。教授はディンゴ・パジェがこの付近に逃亡した時も、来られていました。」

 すると突然、ピリッと空気が微かに震動した。ケツァル少佐が足を止め、テオも思わず後ろを振り返った。デルガド少尉が困惑した表情で立っていた。

「どうした、エミリオ?」
「何でもありません。」

 一瞬怯えた表情が浮かんだが、デルガドは直ぐに平静に戻った。テオは彼が何に反応したのか、思い当たって、ハッとした。前を振り向くと、ケツァル少佐が肩をすくめ、再び歩き出した。彼女も思い当たることがあったのだろう。だが言葉に出してはいけないことだ。デルガドも忘れたことを思い出してしまって後悔しているだけで、誰にも話すつもりはない。
 テオはデルガドが”見てはならぬ者”を見たと聞いた時、あの人がディンゴ・パジェを追っていたのだとばかり思っていた。あの人が”砂の民”だと思い込んでいたからだ。しかしケツァル少佐から思い違いだと言われて、あの人がアスクラカンにいた理由がわからなくなった。だが、今になって少佐が説明してくれた。あの人は犯罪者を追いかけていたのではなく、遺跡を見回りに来ていただけだ。そして偶々森に隠れていたパジェを見つけ、パジェを捜索していた大統領警護隊を見つけたに過ぎなかった。
 デルガド少尉は、”見てはならぬ者”が誰だったのか、推測出来た。だが決してそれを口に出してはならない。一緒に同じ者を目撃した同僚にすら告げてはならない。彼は十分に掟を理解していた。 
 3人はそれから半時間ばかり無言で歩き続けた。次第に樹木が高くなり、高い位置で茂る葉が日光を遮り、薄暗くなってきた。
 不意にケツァル少佐が足を止めた。テオは危うく彼女の背中に接近しそうになって、立ち止まった。少佐が片手を挙げて、後ろの2人に待機と合図した。テオは最後尾のデルガドが気配を消したことに気がついた。まるで一人で森の中に立っている気分だ。
 少佐がアサルトライフルを腰だめの位置に構えて静かに前の藪に入って行った。

第6部  虹の波      2

  アスクラカンへ行く足は、アントニオ・ゴンザレスに相談すると直ぐに解決した。朝野菜や果物をアスクラカンへ卸に行く農家にトラックに乗せてくれるよう頼んでくれたのだ。グラダ・シティよりエル・ティティの方が近いので、早朝に出発すれば日が昇り切った頃にアスクラカンに到着した。テオは養父が町中に顔が利く警察署長であることを誇りに思った。
 ドロテオ・タムードの家は初めてだったが、すぐに見つかった。富豪サンシエラの家系の支流だから、町の名士だ。タムードの名を出せば道行く人誰もが同じ方向を指差して教えてくれた。ハイウェイから横道に入り半時間走った所にあった。民家と畑が混在する平たい土地の中に建てられた大きめの家だった。大地主と言うより何処かの会社の重役と言った感じだ。農家のトラックはその門の前でテオを下ろすと、帰りの便の心配もせずに走り去った。テオも何時帰れるのか不明なので、それ以上農家の厚意に甘えられなかった。タムード家も農家だ。広い庭の端に大きなトラクターが格納された小屋が2棟も建っていた。
 門衛はおらず、門が開放されたままなのでテオが入って行くと、玄関からケツァル少佐が出て来た。半時間前にバスが着いたのだ。バスで来たから私服かと思えば、意外にも彼女は迷彩服を着用していた。しかもアサルトライフル迄持っていた。彼女はテオを見ると、挨拶もせずに、「その服装は駄目です」と言い、後ろを振り返った。彼女の後ろから出て来た軍人を見て、テオは驚き半分喜び半分で叫んだ。

「エミリオ! 久しぶりだな!」

 大統領警護隊遊撃班所属エミリオ・デルガド少尉が敬礼で挨拶に替えた。彼も迷彩服で武装していた。テオに手招きして、タムード家の屋内を指差した。

「中で着替えて下さい。これから森へ行きます。」

 軍服ではなかったが、迷彩柄のズボンとカーキ色の長袖シャツを着せられた。靴は野外用ブーツだ。タムード家は農地での作業で雇う作業員の為の着替えや備品をたくさん持っていたので、サイズもすぐに合うものが見つかった。脱いだ私服はテオ自身のリュックに入れた。靴は置いていかねばならなかった。
 何処へ何をしに行くのか説明がないまま、テオと2人の大統領警護隊隊員はタムードの息子が運転する車で耕地の外れまで送られた。主人のタムードにまだ会っていないな、とテオが思っている間に、メスティーソの息子は少佐に挨拶して車をUターンさせ、戻って行った。
 テオは周囲を見回した。果樹園だ。まだ若いマンゴーの実が目についた。完熟した実は朝早く収穫されてしまったようだ。果樹園の南側は森が広がっていた。野生動物避けのフェンスがあるが、フェンスと果樹の間は距離が開けてあり、車で通れる様になっている。フェンスと森の間も空間を設けてある。動物がフェンスに万が一挟まってもすぐに発見出来るようにしてあるのだ。監視カメラもあったが、それは人間用だろう。作動しているのかどうか、テオはわからなかったので、カメラの視界に入ったと思われる箇所で手を振って見た。彼が移動するとカメラが同じ方向に向いたので、作動しているとわかった。タムード家は果樹園の警備にお金を掛けられる農家なのだ。
 彼はケツァル少佐に尋ねた。

「これから何処へ行くんだ? レンドイロの行方について、何か手掛かりでも掴んだのか?」

 少佐がデルガド少尉を振り返った。ほっそりした長身の若者が説明した。

「例の雑誌記者がバスを降りた後、子供と接触したことがわかりました。」
「子供?」
「スィ。目撃者の証言では、10歳程度の男の子がバスターミナルの女性トイレの近くで彼女に話しかけ、雑誌を彼女に見せたそうです。そして彼女は子供に導かれてバスターミナルを離れました。」

 テオは少佐を見たが、少佐からは何の解説もなかった。デルガドは続けた。

「憲兵隊に所属する一族の者が地道に捜査を続けた結果、記者に話しかけた子供を発見することが出来ました。それが5日前のことです。」

 ベアトリス・レンドイロが行方不明になってやっと25日後に手掛かりが出て来た。

「子供はテレビで捜索願いが出されていた女性の事件と、彼が話しかけた女性を結びつけて考えていませんでした。ニュースに興味がなかったのでしょう。憲兵に質問されて、親に宥めすかされて、やっと見知らぬ男から記者を呼び出してくれと頼まれたと告白しました。お礼はキャンデー1袋だったそうです。」
「その見知らぬ男はレンドイロがアスクラカンに来ることを知っていた様だな。」
「そうですね。もしかするとグラダ・シティから尾行していたのかも知れません。同じバスに乗って。」
「レンドイロは子供と一緒に何処へ行ったんだ?」

 すると初めてケツァル少佐が言った。

「ここです。」
「はぁ?」

 テオは周辺を見回した。ただの果樹園だ。少佐がデルガドの説明の後を継いだ。

「子供は男に頼まれて、レンドイロが以前書いた写真入りの記事が載った雑誌を彼女に見せたのです。そして、『7つの柱の跡がある場所を知っている』と彼女に言いました。男にそう伝えろと言われたからです。」
「それでレンドイロはノコノコついて行ったのか?」
「朝で明るかったし、ここは集落から遠くありません。それに子供がお駄賃をくれるなら案内すると、自然なもの言いをしたので、彼女は怪しまなかったのでしょう。」

 デルガドが監視カメラを指差した。

「あのカメラは2日おきに記録が上書きされてしまい、彼女の姿を残すことがなかったのです。でも彼女は知らなかった。彼女がここでカメラに手を振った、と子供は覚えていました。きっと彼女は記録されていると信じてしまったのでしょう。」
「ここで彼女はどうなったんだ?」
「子供はここで彼女を、子供を雇った男に引き合わせました。そして子供は帰りました。」
「子供は彼女と男が争ったりするところは見ていないんだな?」
「見ていないそうです。」

 テオが何か言う前に、ケツァル少佐が森を指差した。

「この奥に、古い遺跡があります。」
「え? 遺跡は実在するのか?」
「スィ。”ヴェルデ・シエロ”の遺跡です。未調査ですが、ムリリョ博士の遺跡地図には記載されています。」
「彼女は男とそこへ行ったのか?」

 テオは森を見つめた。暗い密林と言うイメージはなく、背が低い樹木が密に生えている、そんな森だった。



2022/04/17

第6部  虹の波      1

  エル・ティティの雨季は午後スコールが来る程度で、グラダ・シティほど蒸し暑くない。他国ではエル・ティティに似た気候の高原に首都が設けられているのに、セルバ共和国はわざわざ雨が多い低地に築かれている。しかし他所の国のカリブ海岸に比べると豪雨の頻度は低く、実際に住んでみると暮らしやすい気温だ。住民達はそれは”曙のピラミッド”のお陰だと信じている。何人もその石を積み上げた建造物に近づくことも触れることも許されない。内部がどんな構造になっているのかもわからない謎の建造物だ。
 テオはエル・ティティの町からティティオワ山を見上げ、それが巨大なピラミッドの様に思えて仕方がなかった。綺麗な円錐形に見える。尤も南側や西側の一部は山頂が崩壊して違う姿をしているのだが。
 ベアトリス・レンドイロが姿を消して1ヶ月経った。もう彼女の家族も彼女が無事生還することを諦めたのか、テレビにも出なくなってしまった。噂話をしないセルバ人は彼女の事件を忘れたみたいに世間話にも出なくなった。テオはそれが哀しかった。よく知らない女性だが、このまま世間から忘れ去られていくのが哀れだと思えた。
 会計士ホセ・カルロスの事務所での仕事を片付け、彼が帰り支度をしていると、携帯に電話がかかって来た。見るとケツァル少佐からだった。彼は急いでボタンを押した。

「オーラ、少佐!」
ーーオーラ。お仕事は終わりましたか?
「スィ。これから家に帰って、一人寂しく晩飯を食う。」
ーー署長は?
「今夜は夜勤だ。ああ、晩飯は家で食って、また仕事に出るんだがね。」
ーーでは、貴方も寂しく一人で食べることはないでしょう?
「言葉の礼だよ。」

 少佐は時々気が向いた時に電話をくれるが、内容は殆ど反政府ゲリラの情報の問い合わせだったし、かけて来る時刻はもっと遅い時間だった。夕刻にかけて来るのは珍しい。

「今日はどう言う要件だい?」
ーー今夜、バスで西へ向かいます。明日の早朝にアスクラカンに着きます。

 そこで少佐が黙ったので、テオは次の言葉を待った。しかし1分待っても彼女が何も言わないので、こちらの反応を待っているのだと気がついた。

「俺にも来いって言ってるのか?」
ーー忙しければ結構です。

 いつも素直な物言いをしない女性だ。テオは苦笑した。

「こっちから同じ時刻にアスクラカンに着く様なバスのダイヤはないんだ。車を調達するか誰かに乗せてもらって行く。もしかすると待たせるかも知れない。何処で落ち合おう?」

 すると少佐は意外な場所を挙げた。

ーードロテオ・タムードの家へ行って下さい。叔父様には話をつけておきます。
「え? タムードって・・・サスコシ族の?」
ーー他にいますか?

 少佐は「では明日」と言って、さっさと電話を切った。テオはポカンとして電話を見つめた。少佐の誘いは決してデートではない。デートではないが、誘われて嬉しい。嬉しいが、問題が生じた。

 さて、どうやってアスクラカンへ行こうか?


第6部  赤い川     20

  セルバ人は噂話を流すことをタブーとしている。しかしそれは表向きで、裏では情報が拡散されるスピードが非常に早い。インターネットが普及するより早い時代から、中南米の先住民は情報伝達システムを発達させていた。インカ帝国は伝令システムを国家が整えていたそうだが、セルバでは”心話”と言う神の力がものを言った。能力を持たない”ヴェルデ・ティエラ”でさえ、緊急の要件を遠方に伝えたい時は、村に一人はいる祈祷師に頼んで”ヴェルデ・シエロ”に伝言してもらうのだ。
 アンゲルス鉱石社では緊急重役会議が開かれ、バルデス社長がレグレシオンの活動に関する情報がある、と一言発言した。内容はない。ただ、彼は文字通りそう言っただけだ。しかし重役達はすぐに社長が何を望んでいるか理解した。社長の希望は彼等の希望でもあった。会社に害を与える可能性があるものは即刻排除せよ。そう言うことだ。彼等は直ちに直接の配下に命令を下した。
 憲兵隊オルガ・グランデ基地では、指揮官がグラダ・シティの本部へ連絡を入れた。内容は暗号化されていたが、テロリストの活動が活発化してきたことへの警戒を促すものだった。連絡を終えると、指揮官は幹部クラスの部下を集め、捜査会議を開いた。
 オルガ・グランデからの情報を解読したグラダ・シティの憲兵隊本部は直ちにテロ対策班を招集した。これまで内偵を続けてきた不穏分子の現段階での状況を分析し、オルガ・グランデからの情報の信憑性が高いことを確信するに至った。彼等が捜査に入ったのは言うまでもない。
 そして憲兵隊の動きは瞬時に大統領警護隊にも伝えられた。司令部はテロリズムと言う国民に与える危機を憂慮し、遊撃班に情報収集と対処を命じた。本当に公共施設を崩壊させて国民を殺傷する計画があるのか、あるとすればどの場所なのか。
 この動きを”砂の民”が知らぬ筈もなく、闇の狩人達は首領からの指示を待つことなく標的を求めて動き出した。

 夕方、シエスタから目覚めたロホは、ケツァル少佐から電話をもらった。テオは彼が母語で喋るのをぼんやり聞いていた。ベンハミン・カージョをどうすれば保護出来るかとそればかり考えていたので、通話を終えたロホが「グラダ・シティに帰ります」と言った時は驚いた。

「レンドイロの行方はまだわかっていない。カージョも守らないと・・・」
「それは貴方の役目ではありませんよ、テオ。」

 ロホは軍人だ。命令を受けると心の切り替えが早い。

「貴方はエル・ティティのゴンザレス署長の所に帰って下さい。私はそこまで貴方を護衛します。」
「それじゃ、アスクラカンへ行く。」
「レンドイロ記者を探す目的で行くのは駄目です。」
「どうしてだ?」
「警察が捜しても見つからなかったんです。貴方一人で動いても無駄です。」

 はっきり無駄だと言われてしまった。テオは腹が立ったが、言い返せなかった。

「せめてカージョの保護を誰かに頼みたい。」
「その本人が保護を拒否して隠れているのです。彼が希望しない限り、憲兵隊も警察も動きません。」
「彼はオエステ・ブーカ族じゃないのか? 一族の人は彼を守らないのか?」
「それも心許ないです。彼は一族から離れています。S N Sの投稿内容を見ても、一族に歓迎される文章ではありません。寧ろ一族に近づく方が彼にとって危険ですよ。」

 ロホの言葉は冷たく聞こえたが、冷静に考えればそれが当然なのだ。”ヴェルデ・シエロ”は長い時の流れの中で血を絶やさぬために、一族の中の不穏分子を自分達で排除してきた。大きな超能力を持ちながらも、圧倒的多数の”ティエラ”に存在を知られることを何よりも恐れてきた民族なのだ。ベンハミン・カージョは、一族にとってベアトリス・レンドイロより危険で厄介な人物に違いない。ロホは、そんな人物にテオが親切心で近づいて巻き添えになることを心配してくれているのだった。
 テオは溜め息をついた。

「わかった。明日1番のバスでエル・ティティに帰る。だけど、俺がアスクラカンに買い物に出掛けることは止めないでくれよ。」




 

2022/04/15

第6部  赤い川     19

  テオはベンハミン・カージョに憲兵隊の保護を受けることを勧めたが、占い師は拒否した。仕方なくテオは連絡先を書いた名刺を彼に渡し、ロホと共に陸軍基地に戻った。ロホが憲兵隊基地へ向かうと言うので、テオも同行した。ロホは殺人事件の担当者ではなく、憲兵隊オルガ・グランデ基地の指揮官に面会し、反政府組織レグレシオンが2件の殺人事件に関与している疑いがあると告げた。反政府組織は憲兵隊にとって天敵の様な存在だ。レグレシオンの名を知らない憲兵隊員はいなかった。
 古代遺跡の構造から7本の柱を破壊するだけで大きな公共の建造物を崩壊させることが出来ると言う説を唱えた占い師と、そのS N S上の友人である雑誌記者がレグレシオンに目をつけられたらしいこと、古代の遺跡は核爆弾で破壊されたと主張していたアメリカ人が殺害されたこと、等をロホとテオは憲兵隊指揮官に説明した。

「もし真犯人が本当にレグレシオンなら、何処かの公共施設でテロを起こす可能性を考えなければならない。」

とテオが意見を述べると、指揮官も固い表情で頷いた。

「近頃街で若い連中が度々集会を開いていると情報が入っています。学校へ行かず、仕事もしない、普段どうやって食っているのかわからない連中です。監視をつけていますが、集まるメンバーが毎回違う顔なので、当方も困惑しているところでした。レグレシオンは明確なリーダーを持たない組織で、その時々の活動でリーダーが決められ、交替します。グラダ・シティに本拠地があると言われていますが、オルガ・グランデでも動きが見られるようになりました。監視体制を強化し、警戒を厳しくします。」

 ロホは頷き、大統領警護隊が訪問先の軍隊の指揮官にする挨拶の言葉を唱えた。

「貴官と貴官の軍にママコナのご加護がありますように。」

 憲兵隊の指揮官が敬礼した。
 憲兵隊基地から陸軍基地は車で10秒程の距離だが、陸軍基地は広いので、宿舎としている兵舎に戻るには2分ほどかかった。
 車を車両部に返し、テオとロホは遅めの昼食を取り、シエスタに入った。ベンハミン・カージョを逃すまいと広範囲の結界を張ったので疲れたのだろう、ロホはベッドに横になるとすぐに眠ってしまった。もしかすると、地下のカージョの隠れ家にいた時も結界を張っていたのかも知れない。テオは彼の隣のベッドで無防備に眠るロホを愛しい弟の様な気分で眺めた。陸軍基地の中だから安心しているのではなく、隣にいるのがテオだから、熟睡出来るのだ。
 電話が鳴ったので、急いで部屋の外に出た。ロホを起こしたくなかった。電話をかけて来たのは、アントニオ・バルデスだった。ベンハミン・カージョとベアトリス・レンドイロのS N S上での遣り取りを覗いていた人間、つまり2人のどちらかのページにアクセスした人物の特定が出来たのだ。アンゲルス鉱石社は、かなり優秀なI T技術者を抱えている様だ。テオはバルデスが順番に挙げる6人の氏名とアドレスを書き取った。そしてバルデスが「もう用件はないですか?」と尋ねた時、レグレシオンを知っているかと訊いた。反応があった。

ーー反政府組織ですな。反逆者ですよ。
「昨日起きた2件の殺人事件に関与している可能性がある。」
ーー2件の殺人?

 バルデスは少し考え、思い当たることがあった様子で、ああ、と声を出した。

ーーどちらも連中がやったと、ドクトルはお考えで?
「まだ断定出来ていないがね。」
ーーあまり深入りしないことですな。

と言ったすぐ後で、オルガ・グランデ政財界の実力者は携帯ではなく、遠くへ視線を向けて呟いた。

ーーこの街で我が物顔に振る舞って無事に済むと思うなよ・・・
「セニョール・バルデス!」

 テオは相手が何を考えているのかわかったので、つい叱責するような声を出してしまった。バルデスは薄笑いを浮かべ、「さようなら」と言って通話を終えた。
 テオは怒れる虎の前に狂犬を放った気分になった。バルデスは善人ではないが、愛国者だ。彼なりのルールを持っているが、社会の秩序を乱す者を憎む。テロリストは彼の会社の様に大きな企業も狙うだろう。だからバルデスにとって、レグレシオンは排除すべき相手だった。


第6部  赤い川     18

  ベンハミン・カージョの隠れ家はクーリア地区の古民家にあった。台所の床板を外すと、古い坑道に降りられたのだ。どこからか違法に引いた電線で、暗い電灯が一つだけ灯る空間があり、そこにカージョは寝袋と食料を置いていた。昔トロッコでも通ったのか、錆びたレールの残骸が床にあり、何処かへ通じる通路が暗闇の中へ消えていた。決して暖かい場所と言えなかった。

「ここじゃネットが使えない。だからアパートに戻ろうとした。」
「パソコンはなかったぞ。」

 テオが教えると、カージョは悔しそうな顔をした。

「アイツらの仕業だ!」
「アイツらって?」
「レグレシオンの連中だ。」

 ロホが、ハッとした表情になったので、テオは彼を見た。

「知っているのか?」
「話に聞いたことはあります。所謂インテリの反政府組織です。”ティエラ”の学生崩れ達が組織した団体で、政府高官の家に小型爆弾を送りつけて来たり、富裕層の家の子供を誘拐して洗脳して仲間に引き入れたりするのです。」
「大統領警護隊は直接関わらないからな、あの連中とは。」

とカージョがちょっと人を馬鹿にしたような口調で言った。

「あんた等は一族に害が及ばなければ、知らん顔をしているんだ。」
「国民に直接被害が出なければ動かないだけだ。」
「政府高官だって国民だぞ。」

 テオはロホとカージョが喧嘩を始める前に、割り込んだ。

「何故レグレシオンが犯人だと思うんだ?」
「半月前に新聞記者を装った男が取材だと言って、俺のアパートに来た。遺跡の7柱の仕組みについて、かなり熱心に質問してきた。だが俺は、一族の存亡に関わる情報は渡せないと承知している。だから適当に返事をしてはぐらかした。男は満足した様子じゃなかった。俺が何か重要なことを隠していると勘づいたんだな。俺は占い師で、建築の専門家でも考古学者でもないから、柱をどう破壊すれば建物全体が崩れるなんて、知らないって言って追い払った。」

 テオは嫌な想像をした。

「もしかして、シティ・ホールとか大きな施設でテロを起こすつもりじゃないだろうな?」

 カージョが暗がりの中で、顔を暗くした。

「その可能性はあるかもな・・・」
「貴方が出かけている間に彼等は再びアパートに来て、貴方が柱の仕組みをパソコンの中にでも隠していると考え、貴方のルームメイトを殺害してパソコンを盗んだんだな?」
「恐らくな・・・パソコンの中にはそんな情報は入れていない。占いの客の個人情報ばかりだ。」

 テロリストにとって無用な情報でも、それを掴んでいるのがテロリストだと考えただけでも嫌じゃないか、とテオは思った。

「貴方は、マックス・マンセルと言うアメリカ人を知っているかい?」
「マンセル? ああ・・・」

 セルバ人のインチキ占い師はアメリカ人のインチキ占い師を知っていた。

「俺のところへやって来て、古代の神殿が破壊されたのは、柱が折れたからじゃなくて、核爆弾が仕掛けてあったからだと言いやがった、頭のおかしな男だな?」
「実際に会ったのか?」
「スィ。アパートに来やがった。俺に考えを改めろと迫ったんだ。頭がおかしいとしか言いようがないだろ?」

 カージョの7柱の説は正しい。そしてカージョはそれを実際に現代使用する目的で建設された公共施設があると指摘した。それを誤っているとアメリカ人のマンセルが批判しに来た? マンセルはカージョの説の誤りを認めさせて己の名誉回復を図ろうとしたのか?
 もしかすると、とテオは呟いた。ロホが彼を見た。テオは頭の中の考えを言った。

「マンセルは核爆弾の話をテロリストに売り込んだのかも知れない。だがテロリストはカージョの説の方を支持した。マンセルはカージョに誤りだと認めさせようとして相手にされなかった。テロリストには、頭のおかしなマンセルは邪魔だ。だから処刑してしまった・・・」

 え?とカージョが声を上げた。

「あのアメリカ人は殺されたのか?」

 暗い隠れ家の中に沈黙が降りた。


第6部  赤い川     17

  アントニオ・バルデスはテオの厚かましいお願いを、顰めっ面しながらも引き受けてくれた。

「その行方不明になっている記者は、貴方の友人なのですか?」

と訊かれたので、テオは「ノ」と答えた。

「友人のところへ取材に来た記者だ。そのうち俺の研究も取り上げてもらおうと思っていた、その程度だ。彼女個人の連絡先も何も知らなかった。だが、彼女が行方不明になる直前に乗ったバスに、俺も乗り合わせていたんだよ。」

 バルデスが電話の画面の中で彼をじっと見つめた。

「またバスですか。貴方とバスは奇妙な組み合わせなのですな。」

 そしてベアトリス・レンドイロが行方不明になる前に彼女とベンハミン・カージョのネット上での会話を覗いていた人々を探してみると言って、通話を終了させた。
 横で聞いていたロホがフッと笑みを漏らした。

「彼は善人と言えない人間ですが、することは筋が通っています。貴方に協力すれば大統領警護隊文化保護担当部における彼と彼の会社の株が上がる。鉱山業務がやりやすくなると言う訳です。」
「つまり、俺も彼に利用されているんだな。」

 テオも笑った。
 陸軍基地内でウダウダしていても埒が開かないので、テオとロホは街へ出かけた。ベンハミン・カージョが住んでいたクーリア地区のアパートへ行ってみたら、既に規制線は外されていた。住民が邪魔だと言うので、切ってしまったのだ。警察も憲兵隊も文句を言わないから、黄色いテープの破片はそのまま千切れて小さくなるまで風にはためくことだろう。
 カージョの部屋は荒れていた。殺人者が荒らしたのか、警察が捜査の為に荒らしたのか、よくわからない。もしかすると以前から整頓されていない部屋だったのかも知れない。占い師だと聞いていたが、占いの道具と思われる物は見当たらなかった。パソコンもなかった。殺人者が奪ったのか、警察が押収したのか、それともカージョが持ち歩いているのか。
 床にチョークで死体があった型が描かれていた。血溜まりが黒くなって残っており、異臭がした。テオは耳を澄ませてみたが、アパートや通りの雑音や人の話声しか聞こえなかった。ロホを見ると、彼も特に死者の霊が見えている様子でなかった。
 生活の場であって、商売をする場所ではないのかも知れない、とテオは思った。占いを依頼する客はどこでカージョと会っていたのだろう。近所の人に聞き込みをしようと部屋の外に出た。
 廊下の向こうでチラリと人影が見えた。テオはその顔を見て、叫んだ。

「カージョ!」

 人影が壁の向こうに引っ込んだ。テオは走り出した。
 カージョが階段を駆け降りる音がして、彼も追いかけた。通りに出ると、カージョが左手へ走り去るのが見えた。テオが追いかけ、カージョが逃げる。カージョは地の利があるが、テオは足が早い。狭い住宅地の道を2人の男は全力で走った。
 カージョが6つ目の角を曲がった。テオもその角を曲がった。カージョが立ち止まっていた。前方を、いつ先回りしたのか、ロホが立ち塞がっていた。

「何故逃げる?」

とロホが尋ねた。テオはカージョの後ろに追いついた。息が弾んでまだ口を利けなかった。カージョもはぁはぁと息を肩で息をしていた。彼が苦しい息の下で悪態をついた。テオは顔を上げ、そこがカージョのアパートのそばだと気がついた。ぐるっと町内を一周しただけだ。いや、カージョはそうせざるを得なかったのだ。彼は”ヴェルデ・シエロ”の血を引いており、ロホが張った結界から出られないのだ、とテオはようやく気がついた。純血種で高度な技を習得しているロホが張った結界を無理に破ろうとすれば、”ヴェルデ・シエロ”は脳にダメージを受ける。”ティエラ”には無害な精神波のバリアーだが、一族には致命的だ。

「俺を捕まえに来たんだろ?」

とカージョが言った。

「俺をワニに食わせるために・・・」
「馬鹿な・・・」

 ロホが真面目な顔で言った。

「我々はお前が何をしたのかも把握していない。だからお前が何を心配しているのか、お前のルームメイトが何故殺されたのかもわかっていない。だから、お前の話を聞きに来たのだ。」
「それじゃ・・・」

 カージョはやっと上体を真っ直ぐに伸ばした。

「あんた達はレンドイロを捕まえたんじゃないのか?」
「ノ!」

 テオはやっと声が出せるようになったので、ロホより先に否定した。

「俺は彼女とアスクラカンへ向かうバスの中で言葉を交わした最後の人間だ。彼女はアスクラカンで下車してそれっきり戻らなかったが、そのまま行方不明になっていたことを知ったのは、つい最近だ。だから気になって、大統領警護隊の友人の協力で彼女の行方を探しているんだ。最初はアスクラカンへ行くつもりだったが、彼女が貴方とネット上で話をしていたと知って、貴方が何か手がかりを持っていないかと期待してここへ来た。そしたら殺人事件が起きていて、びっくりしたんだ。貴方とレンドイロが何に巻き込まれているのか、俺達は知りたいんだ。」

 一気に喋って、咳が出そうになった。彼が唾液を飲み込んで喉を休めている間に、ロホがカージョに近づいた。

「ここは安全とは言えない。もしお前が我々を信用してくれるなら、陸軍基地へ連れて行って保護するが、それが嫌だと言うなら、どこかお前が知っている場所へ案内してくれ。」

 カージョはテオとロホを交互に見比べた。白人と大統領警護隊を信用して良いものかと考えているのだ。
 数分間の沈黙の後、カージョは腕を振った。

「俺の隠れ場所へ案内する。逃げたりしないから、結界を解いてくれ。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...